第50話 逃走
突然、翔太と明美を押さえ込んでいる男達がバラバラと四方へ散った。
誰かが彼らの襟首を片手で捕まえ、次々と放り投げているのだ。男達の怒号と叫びの中、姿を現したのは鬼の形相をした弘樹だった。
190センチを越すジャージ姿の巨体、そして鋭い眼光。
気化した汗が身体からユラユラと沸き立ち、怒りの闘気のように周囲のネオンに赤く照らされている。
「俺のダチに手ぇ出すとは、手前ぇら良い度胸しているじゃねえか!」
弘樹の巨大な手が男を掴み、軽々と持ち上げる。そして、数メートル離れたゴミ置き場まで投げ飛ばした。
この辺の不良達の間で、彼を知らぬ者はいない。口々に、こんな話聞いていないと言いながら戸惑い始めた。
「お前は神社で会った河野って男だな?まだ懲りてないようだな」
「へへっ。前回とは違うぜ。俺は特別な力を貰ったんだ!」
「特別な力?馬鹿馬鹿しい」
「ククク。吠え面かくなよ」
地面を蹴って河野が突進してきた。そして、拳を振り上げて何度も殴りかかってくる。
「おっ?」
と、いう言葉が弘樹の口から漏れた。
確かに以前よりスピードもパワーも増している。あの神社の一件から数日が経ったが、まさか俺に仕返しするつもりで何かの訓練でもしたのか?
弘樹は素早いフットワークで河野の攻撃をいなしながら、そう考えた。
俊敏な動きで振り下ろしてくる拳やキックが弘樹の胸や頬、肩をかすめ始めた。
「空手バカが!避けているだけか?!」
河野が笑う。だが、すぐにそれが悲鳴へと変わった。弘樹の右手が河野の顔面を掴んだからだ。
「お前のへなちょこパンチにやられる訳ないだろう?」
そう言うや否や、握力95キログラムの手に力を込める。アイアンクローというプロレスの技だ。
メキメキという骨の軋む音と共に、河野の叫びが周囲に響いた。
「痛いぃぃ!!ぐぁあ!」
「こちとら空手部の出禁がようやく解除されるとなって、軽く興奮していたところだったんだ。訛った身体を動かすのに、丁度良い練習台だぜ」
遠くの方からサイレンの音が聞こえてきた。ハッと気がついた翔太がすぐに弘樹へ駆け寄る。
「きっと近所の人が通報したんだ。逃げよう!」
だが、怒りの渦中にいる弘樹は、なかなか河野を離さなかった。
「また警察に捕まるとマズイよ」
鋼鉄のような手にしがみついて無理やり引き剥がす。
「さあ、行こう!」
翔太の呼びかけで、皆は商店街の細い路地へ駆け込んだ。
痛みで悶絶していた河野が「追いかけろ!」と指を差す。だが、手下達は動かなかった。誰も弘樹を相手にしたくなかったのだ。
すると、河野は胸ポケットから札束を出して見せつけた。
「捕まえたら、褒美にこれをくれてやる。さあ、追え!」
「こっちよ!」
明美が皆を先導する。
「下町育ちのアタシの方が、この辺の地理に詳しいんだから!」
言葉通り、明美の土地勘は優れていた。
だが、案内する道はメチャクチャだった。70センチくらいの空間しかない家と家の隙間を進み、壊れた木戸を開けて他人の家の庭を横切り、ブロック塀に登って平均台のように進むのだ。
皆がヒイヒイ言いながら明美の後に続く。そして辿り着いた先は、商業ビルの裏口だった。
「ここから入って、こう行けば、翔太の家の近くに行けるわ」と、手振り身振りで説明をする。
裏口のドアノブを握った明美はギョッとした。
「あれ、鍵がかかっている!?いつもは開いているのに」
ドアにはテンキーの並んだ電子錠ボックスがあり、施錠を意味する赤い光が灯っていた。翔太は試しに4桁の数字を打ってみたが、NOの文字が表示されるだけだった。
「これは、暗証番号を打ち込まないと開かないタイプの鍵だよ」
「俺がやってみる」
弘樹が力任せにノブを回したが、鉄製のドアはびくともしなかった。
「いたぞ!こっちだ」
追いかけて来た河野達の足音が聞こえる。
「もう、来やがったのか」
腕まくりをした弘樹が皆を守るように立ち塞がり、迎え撃つ準備をした。
「マジ最悪!」
明美がガチャガチャと乱暴にドアノブを回す。
「オレがやってみる」
見かねたユウマが明美と交代した。
ドアノブを掴んで念動力を送り込むと、わずか数秒でOKの緑の文字が表示され、鍵が開いた。
それを見た翔太が、目を丸くした。
「開いた!?な、なぜ?どうして?」
河野達がすぐそこまで迫ってきた。
「入ろう!早く!」
ユウマの呼びかけで皆は一斉に動き、なだれ込むようにドアの向こうへ飛び込んだ。勢いで転んだユウマの上に明美が重なり、その上にミキ、翔太と続き、最後に弘樹が乗った。
再び施錠されたドアの向こうでは、男達が騒ぎ立て、ドアを蹴ったり殴ったりする音が暫く聞こえていたが、ついに諦めたのか、やがて静かになった。
「重い~死ぬ~!」
「キャッハッハ」
薄暗いビルの廊下に明美の呻きや、なぜか大笑いするミキの声が響いた。




