中山裕介シリーズ第4弾
「本番行きまーす!」
東京都内の在京キー局、TOKYO―MS(東京メディアシティー)本社のCスタジオでは、昨年十月にスタートした深夜番組の収録が始まろうとしていた。
「本番十秒前ー・・・・・・八、七ー六、五秒前ー・・・・・・」
ADの三浦が声高にカウントしていた時、
「ちょっと待ってください!!」
番組アシスタントを務めている桐谷智衣美がスタジオに乱入し、収録を妨げた。
この状況に出演者全員が驚愕し、誰からも言葉は出ない。
桐谷が乱入する事はフィクション上での設定。だがストーリーはノンフィクションという、何とも摩訶不思議なストーリーが展開される事となる――
ちょうど一年前の三月――
終了した番組の打ち上げでの席上、
「『ルームナイト』の番組が一新されるの知ってるか?」
制作会社<ワークベース>のディレクター、多部亮はこう切り出した。
『ルームナイト』とは、TOKYO―MSにて月曜から木曜日に放送されている、深夜番組枠の名称。
「新しくなるのはタイトルとコンテンツだけで、出演者の大半は残留するか、同じ事務所の別のタレントに引き継がれるんだってよ」
「まっ、いつものパターンだよな」
「でも月曜の番組だけは枠移動して継続されるから、全くの新番(組)になるんだ」
その月曜枠に多部が勤める<ワークベース>が企画案を出しており、通る可能性があるとの事。その場には桐谷もいて、
「通ったら私を遣ってよ」
朗々とした口振りで食い付く。オレも冗談でも「オレも遣ってくれ」と食い付いた方が良いとは思いつつも、この時は聞き流していた。
それから二ヶ月後の五月下旬。多部から品川にある高級焼肉店で食事をしようと誘われた。いつもは居酒屋か、高くてもレストランバーに止まっているのに、何故今回は高級店なのか?
なーんか裏がある――
そう曲解したまま、レギュラー番組の構成会議が終わって二十時半、店が入るホテルに到着。大きく深呼吸をしてホテル一階にある店内に入った。
「予約している多部です」
「こちらでございます」
店員に個室に案内されると、そこには多部の隣に桐谷が座っている。
桐谷智衣美。芸能事務所<オフィスリトライ>に所属し、ナレーターやリポーターの仕事を主としているが、本音は役者として、映画やドラマに出演したいという目標を持っている。
多部からはっきり告げられた事はないが、オレは二人が交際しているなと感付いていた。
理由は二点。
三月の打ち上げで、桐谷はウーロンハイを飲んでいたが、多部が飲んでいたのもウーロンハイ。多部には、別れたり現在交際中の女性が好きな酒を好んで飲んでは回想話をする、周りにとっては厄介な酒癖がある。
そしてもう一点は、その席上で桐谷が口にした言葉。
『今付き合ってる彼がドラマに携われるかもしれないの』『そうなったら口利きして貰おうかなってね』。口利きが出来る立場という事は、最低でもディレクタークラスの人間だ。
この二点で、何となく二人の関係に察しが着いた。そして今、眼前にはその二人が満面の笑みでオレを迎えている。オレが何にも知らないつもりだな――
そう思う傍ら、今日は桐谷の目標に関する「仕事」の話だなと、曲解が確信に変わる。
「突っ立ってないで座れよ」
失笑する多部に促がされ、
「桐谷さん久しぶり」
「久しぶり。元気そうだね」
多部と向かい合う席に座った。
多部とオレはビール。桐谷は、やっぱりウーロンハイで乾杯。
どんどん焼かれて行くカルビやタン塩。本題の話と肉は別。そう割り切って味わい、近況や取り留めのない会話が一通り終わった所で、
「多部、今日呼び出したのは、桐谷さんに関する仕事の話だろ?」
意地悪げに探りを入れてみた。
「よく感付く奴だよな。その通りだよ」
多部は失笑してお手上げのポーズをした。
「やっぱな・・・・・・その話の前に、こんな豪勢な店の予約よく取れたな。経費下りないだろ?」
制作費を削減されている今、まして若手と呼ばれる作家を口説き落とす事に、高級飲食店を使うなどまずあり得ない。
「「良い作家を買収する」って言って会社から半分出して貰って、もう半分はオレの自腹だよ」
「そこまでして、オレなの?」
もっと良い作家は他にいるべ? 自分で言うのも何だけど――
「お前しか頼める人いないんだよ」
この哀願する表情と口振り。ディレクターは持ち上げ上手な人種でもあるから、真に受ける訳も、なし――
「亮とこの仕事はユースケ君にしか出来ないよねって話してたの」
桐谷はさっきからずーっと微笑み続けている。
「ふーん。そんなに大事な仕事なんだ? 取り敢えずお話を伺いましょう」
言うなり多部は破顔し、左手で『パチンッ!』と爪弾きした。ここまで来てオレが席を立つ性質ではない事を分かっていやがるから、そんなリアクションを取るのだが……今日はそうはいかないぞ。
「まずは、三月の打ち上げの時に言ってた企画の話、覚えてるだろ?」
「ああ、深夜の新番だろ?」
「その企画が無事通って、十月からスタートする事が決まったんだ。ユースケには番組の構成に参加して欲しい」
「そう。オレの他に声掛けてる作家はいるの?」
「後は加奈ちゃんだけ。今の所は」
沢矢加奈。放送作家事務所<vivitto>所属の作家。彼女も三月に終了した番組で一緒だった。将来は秋元康さんのような作家を目指す野心家だ。
と、ここまでは、後でオレが所属する放送作家事務所<マウンテンビュー>を通して正式にオファーする、普通の仕事の話。放送作家が仕事のオファーを受ける際、今回のように制作会社からの場合もあれば放送局、番組サイドからと特に決まった通例はない。
本題はもうワンセット、これも察しは着いている――
「番組を放送するTOKYO―MSは、来年四月で開局二十周年を迎える事も知ってるよな?」
「存じております」
「それを記念して、来年四月十六日から二十五日までの十日間、『二十周年記念TOKYO―MS Festival』と題して、現在放送中のバラエティで記念特番を組む事が企画されてるんだ。それを受けて、秋からスタートする新番でオレはドラマを企画しようと思ってる。ユースケにはドラマの原案と脚本を考えて貰いたいんだ」
多部は微笑みを浮かべた。「話してしまえばこっちのもん」という考えの表れか?
「私は今回の番組ではナレーターじゃなくて、アシスタントとして出演が決まってるの」
桐谷も微笑みを崩さない。そして、二人でオレを持ち上げて丸め込もうとし、尚且つ、ストーリーは「桐谷中心のものにしろ」という事なのだろう。
「多部、ドラマに携われるかもしれなかったんじゃないの?」
「知ってたか。あれちょっと無理っぽいんだよ」
微笑みからばつが悪そうな表情を見せたが、手緩い。まだ問い詰める必要がある。
「新番はバラエティなんだよな?」
「まあ、そうなんだけど・・・・・・」
まだまだ。
「桐谷さんをキャスティングさせたのはお前で、ドラマの企画を具現化させようとしてるのは、桐谷さんの願いからだろう。お二人さん、これは立派な職権濫用です」
再び意地悪げに言ってやった。まあ、職権濫用は、この業界では珍しい事ではないのだけれど――
オレの問い詰めに二人からは笑みが消え、真剣な顔付になった。
「それは百も承知してる。だからユースケにしか頼めないんだ。どうか智衣美に力を貸してやって欲しい」
多部はやっと本音を吐露し、頭を下げる。
「今までお芝居をする仕事は舞台の脇役だけだった。(映画やドラマに出演したい)目標に少しでも近付きたくて亮にお願いしたら、ドラマの企画を立ててくれたの。ユースケ君、私からもお願いします」
桐谷も頭を下げる。
「彼女の願いを叶えてやりたい彼氏と、目標奏功に邁進したい彼女……っか」
桐谷にとって多部との交際は、目標の為だけか? 罷り本当にそうならば、多部って不憫な奴――
「そういう事か。頼みたいのはそれだけなんだな?」
「ああ、お前には他の作家よりも苦労を掛けるけど」
「……今回は涙を呑んでお断り」
「どうして!?」
桐谷が顔を上げ憮然とした表情を向ける。
「まだ事務所を通してない段階なのが一つ。それと、今回は彼女の欲望を具現化したいだけだという私情でしかないのも、個人として気に食わない。腹も一杯になったし、そろそろ帰るわ。ご馳走様でした」
素早く立ち上がる。
「おい!」
「ちょっと!」
多部、桐谷の順で立ち上がり引き留めようとするが、
「それじゃあ」
二人を背にして右手を振りながら個室を出た。
出入り口付近まで来て女性店員が「ありがとうございました」と頭を下げガラス扉を開けようとした刹那、
「ちょっと待てよ! ユースケ」
多部が猛ダッシュで追い掛けて来て、必死の形相で引き留める。左腕を掴まれたまま、
「ここ幾らすると思ってんだよ!?」
「まっ、高いだろうな」
「半分はオレが自腹切ってるんだぞ! それにお前口説き落とせなかったら全額負担になる」
「それはあんたの事情でしょ」
「取り敢えず席に戻ってくれ。頼むよ!」
「店員さんさっきからずっと見てんだけど」
店員がオレ達から目を逸らす。
多部は店員を一瞥して、
「話だけでも聞いてくれって」
声を落とした。
「話ならもう聞いたよ。下心満載な仕事、オレはパス。って返しただろ」
「そんな事言わないでくれよ」
この哀願、というか今にも泣きだしそうな顔。よっぽど桐谷の事が好きで願望を叶えて遣りたいのは分かるが――
「多部、彼女の願いを具現化したい気持ちは分かる、けども、自分で遣ってみれば良いじゃないか」
言葉を吐き捨て店を出ようとするのだが……。
「お前の言う通り下心かもしれねえけど、オレナレ原しか書いた事ねえしホン(台本)は書けねえんだよ!」
個室に戻されて行く。というか引き摺り戻された。多部は大学時代ボクシング部に所属していたそうな。だから腕っ節は強い。
到頭個室まで戻されて……。
「亮、捉まえてくれたんだね! 流石」
桐谷がファイティングポーズを取って破顔。人の彼女だけど頭を一発はたいてやろうか。
だが桐谷は席を外し多部の左隣に移動する。そして――
「何とか頼む! 力を貸してくれ!」
「私からもお願いします!」
何と二人揃って土下座までしやがった。
そこまでして……電波を私情に遣いたいのか? この二人。
土下座をした二人の顔が今どうなっているのか、もしかしてにやついている? 心中でほくそ笑んでいる? 眼前の光景に、大きな大きな溜息をお見舞いする。そして――
「・・・・・・壷漬カルビ頼んでも良いか?」
これが承諾の合図だと悟った二人は笑顔で顔を上げ、
「どうぞ頼んじゃってくれ! 本当感謝するぜ、ユースケ!」
「ユースケ君ありがとう!」
多部はオレと目を合わせて大きく頷き、桐谷は心做しかしたり顔に見えた。その笑み、憎たらしい。が、憎たらしい程輝き、人の彼女だが奇麗だ。それはさて置き――
多部の頷きは何を意味しているんだ? ひょっとしてこいつ、桐谷が自分の目標の為に自分を利用している事を看破してるいのか? 何れにせよ、オレは多部の腕っ節と二人の押しの強さに負けた訳で――
「ユースケ、今智衣美の顔見て欲情しただろ?」
感謝の表情が消え眼光が鋭くなる。
「してねえし。別に……良い彼女を持ったな」
「ありがとうよ」
「だけど交換条件がある」
「何だ?」
『パシン! パシン!』。二人の頭を一発ずつはたいてやった。
「イテ!」
「痛っ!」
「この業界に毒された利殖願望者ども!」
一言言わなきゃ気が済まねえ。
多部達は立ち上がり席に着いた。壷漬カルビが来る前にトイレに立つと、多部も後を追って来た。
「急な依頼を引き受けさせて申し訳ない」
多部は改めて頭を下げる。
「もう良いよ。特別な仕事の話だろうって、大体予想はしてたから」
「智衣美には、これから映画やドラマで脇役の仕事は来るかもしれないけど、主役級の役は難しいと思う。だからオレが出来る範囲で願いを叶えてやりたかった」
「そっかあ・・・・・・今回の企画が少しでも話題になれば、お前も鼻が高いよな」
ニヤリとして言うと、多部は満更でもなさそうに笑う。
ディレクターとして手柄を立てようと逆に彼女を利用する。「君達の交際には愛が何%含まれているんだい?」。皮肉を込めた冗談が浮かんだが、口にするのは止めた。
その後、壷漬カルビを存分に味わっておいて「やっぱ無理だわ」と言える度胸もなく、オレには新番の構成と、その番組の特別ドラマの原案、脚本を勘考する仕事が……決まってしまう。
こうして新番は十月中旬(月)にスタートする事が決まった。放送時間は二三時二十分から二十四時(午前零時)までの四十分間。
内容は、様々な分野で再出発した人を毎週一人取り上げ、再出発するスタートラインに立つまでの道のりに注目する。芸能人を特集する回では、本人に出演オファーをする予定だ。
健気な人の姿を見て、人生を諦めない大切さを再認識して貰おうというコンセプトだが、裏のテーマは、他人の華やかさより修羅場の方に興味を持つ人間の心理を突くという、下種な面も持ち合わせている。
番組タイトルは、TOKYO―MSが港区北青山に所在する事から、『北青山再起クラブ』などが候補として上がった。だが最終的には、渋谷区神宮前から、TOKYO―MSが所在する北青山三丁目までを「表参道」と呼ぶ事から、参道に通じる明治神宮に、「再出発出来た事を感謝する」という意味を込め、それに、英語で再出発を意味するリスタートを合わせて、『表参道リスタート団』に落ち着く。
収録はTOKYO―MS本社のスタジオで、隔週金曜日の二一時から四本撮りで行なわれ、構成会議は毎週木曜日に開かれる。
MCは、お笑いコンビ、東京V2チャンネルの大村政高。アシスタントは桐谷智衣美で、大村の相方、多田勇樹はコメンテーターに回る。
他の出演者は、芸歴四二年のベテラン芸人、千イチローと、若手お笑いコンビ、ビーダッシュの野呂泰祐と南出優。グラビアアイドルの力久咲良。そして、最近おバカタレントとしてバラエティに進出し始めている、女性アイドルユニット、ファンベルトのメンバー、佐藤那々の五人がキャスティングされた。
「番組構成だけじゃなくてドラマのホンまで書かなきゃいけないんだろ? 大変だなお前も」
坂木舞社長は同情しているのか微苦笑を浮かべる。
この坂木社長。名前も身体も女だが、口振り、服装は男。早い話がトランスジェンダー。
「ほんとですよ。おかしいと思ってはいたんですけどね。あんな高級店に呼び出すなんて」
「多部君の術中に嵌ったって事だな」
「全く気乗りはしませんでしたし、はっきり断ったんですけどね」
「でも受けたんだろ? 友達想いっていうか人が好いっていうか」
社長の顔は「微」が消えて苦笑に変わった。
「「人が好い」って形容した方が自分でもしっくり来ますね」
オレも自分で自分を嗤うしかない。土下座までされちゃったし。
「それで、どんなドラマにしようと思ってるんだ?」
「まだなーんにも。プロットすら思い付いてませんから」
「そうか。もし他局でホンを書くんならスタッフルームは止めとけよ。別の仕事を振られる可能性があるから」
「ああ……そうかあ」
局では書けないって事か――
「書きたい時はトイレにノートパソコンを持ち込むんだよ」
「トイレに?」
「そう。ウォシュレットのコンセント外してパソコンのプラグをつなぐ。個室だし誰にも見なれないから」
「なるほど」
キーボードを叩く音でバレると思うんだけど。まあ、良い知恵は頂いた。
「まあ桐谷ちゃんの魅力をフルに活かせるドラマにしてやれよ。「放送作家らしく」面白いコンテンツをな」
坂木社長は顔付も目も期待している笑み。
桐谷が喜ぶようなプロットがオレの頭で浮かぶのか。コミット出来ないって事は、自信もなし。
番組がスタートしてから四ヶ月が経った、翌年の二月上旬。番組収録日であるこの日、MCの大村は、事前に打ち合わせがある為に十九時半に、他の出演者は二一時からの収録開始に合わせ、二十時頃からTOKYO―MSに集まり出していた。
二十時五十分になり、出演者七人は収録が行なわれるCスタジオの前室に集合するが、そこに桐谷の姿はない。開始時刻の二一時になってもTOKYO―MSに現れない桐谷を心配し、マネージャーの塚本淳一が連絡を入れた所、最年長の出演者、千イチローのセクハラに嫌気が差し、千イチローが出演し続ける限り、自分は出演を見合わせて貰うと告げられたという。桐谷は収録のボイコットを宣言したのである。
塚本から知らせを受けた、番組演出兼プロデューサーの合川信壱さんは、収録開始を遅らせて、アシスタントプロデューサー(AP)の鈴井愛子さんと、多部を含む五人のディレクターを集め、緊急ミーティングを行なう。
その結果、桐谷を病欠扱いにする事。この状況を作り出した元凶は千イチローである為、千に責任を取って貰う形で、アシスタントに就いて貰う事に決まった。だが――
千イチローは一九八○年代に人気を博した芸人であるが、九○年代からは失速状態が続いている。しかも、芸歴は四二年と長いが、その貫禄は全くなく、空気を読まずにギャグを連発するなど、終始落ち着きがない。経歴と芸風から、共演者からは必ず「一発屋」と突っ込まれるイジられキャラの芸人である。
そんな人物がアシスタントと聞いた、千イチロー以外の出演者は、
「マジでそれで行くんですか?」
「あの人が進行出来ますかねえ?」
「収録長くなるなあ・・・・・・」
大村、野呂、力久の順で口々に不安を漏らす。
そんな中、急遽に大役を任されたこの人は――
「いやー、大船に乗ったつもりで任せてよ。本領発揮しちゃうよ!」
能天気に有頂天となっていた――
と、ここまでは番組構成の中山裕介、オレが勘考した原案に基づき、オレを含め沢矢加奈さん、重盛友樹君、畑中みな実さんの四人の作家が書いた脚本通りの展開。
桐谷が収録をボイコットする事も、千イチローがアシスタントを任されて有頂天となる事も、全てこっちが考えた設定、演出である。
よって、合川Pが鈴井APと多部Dらを集めて行なったミーティングも形だけのもの。
ドラマの脚本を持っているのは、MCの大村と千イチロー。桐谷とスタッフのみ。他の五人の出演者には何も知らせず、最後にネタばらしをする。
オレが考えた原案は、ドラマとドッキリを融合させたドキュメントタッチのドラマ。タイトルは、『表参道リスタート団特別編――桐谷智衣美失踪事件――』。
ドラマの設定を展開させる為には、番組スタート時点から伏線を張る必要があった。桐谷と千、大村の三人には、スタート前の打ち合わせでドラマのストーリーは説明済みで、了解を得ている。
こっちが設定した通り千イチローは番組スタート直後から桐谷に対して、
「乳頭の色は何色」「パンツはどっちの足から穿くの」などと、笑福亭鶴光の台詞をパクってにやついて訊いたり、肩に手を回して抱き寄せる、尻を触る、スカートの中を覗いたりとセクハラを連発。
基本的には千イチローのアドリブに任せているが、スカートの中を覗いた時だけは事前に打ち合わせをして、桐谷はスカートの中にスパッツを穿いていた。
だが、手の甲にキスをしたり、挙げ句にはノースリーブの衣装の時に二の腕を舐めたりと、了解済みを良い事に千イチローは遣り過ぎている。これには番組が放送される度に、TOKYO―MSに苦情の電話やメールが殺到し、新聞の投書欄にも、『バラエティとはいえ笑えない』とのコメントが掲載されていた。
桐谷は設定とはいえ、嫌に違いない……というか嫌だろう。
この設定を考えた張本人はオレであり、収録の度に「ごめん・・・・・・」と罪悪感を覚えるが、桐谷は何とか苦笑して黙認してくれている。と思っていたら、二の腕を舐められた収録後、
「ドラマの企画が決まって嬉しかったけど、こんな思いをさせられるとは思わなかった」
ジロッと微笑を浮かべて抗議された。
セクハラをエスカレートさせる千イチローに対し、
「最悪!」
「キモキモい!」
佐藤、力久女性出演者は嫌悪感を示し、男性出演者は、
「この一発屋!」
多田が口火を切り、
「そんなんじゃ二発目は撃てないですね」
「早く芸能界から去れ!」
野呂と南出が続き、
「もう去ったも同然だよ」
大村が付け加えてイジって行く。
イジられた千は泣き真似をする古典的なリアクションを取ったり、
「大スターに失礼だぞ! 売れてないけどね」
と自虐的なギャグで返していた。
こうして千イチローのセクハラに出演者は引きながらも、突っ込みやイジりで猛攻して行き、ドラマの下地は整って行く。
『桐谷智衣美失踪事件』
そして二月。桐谷が収録をボイコットした事により、四本分の収録を千イチローがアシスタントに就いて行う事となった。
千はのっけからカメラに向かって「イエーイ!」と言いながら両手の親指を立てる、高島忠夫のフレーズをパクったかと思えば、取り上げるゲストの話を殆ど聞く事もなく、持ちギャグの「シガ! シガ!! シガ!!!」を連発。このギャグ、右手で空手チョップのポーズを取りながら叫ぶだけ。これ以外は何も、なし。
因みに「シガ」は「滋賀」の事ではなく、歯牙にも掛けないの「歯牙」という意味なのだとか。要するに、スターはどんな事態になろうとも物ともしないという事。本物のスターならばの話だが――
迎えたゲストに対しては失礼極まりない状況で、皆の笑顔は明らかに引きつっている。
「ちゃんと進行しろ!」
南出に突っ込まれると千イチローという人は増長し、
「済みま「千イチロー」。ギャハハハハッ!!」
「せん」しか掛かっていない自分のギャグに自分で高笑いする始末――
このような遣り取りが多い為に、いつもは一本分でカメラを一時間半回す所が、倍の二時間半回す事になり、四本の収録中、出演者から「桐谷さん帰って来てー!」の悲痛な叫びが六回は聞かれた。
こうしてこの日の収録は終了。出演者はゲストに対してや、互いの遣り取りよりも、千イチローに突っ込む事が俄然多かった為、皆いつもよりも疲れた様子だった。
そもそも千イチローがアシスタントに選ばれた理由は、単に責任を取って貰うという結論だけではなく、番組スタート直後に千が、
「ねえ合川ちゃん、オレをアシスタントにしてよ」
こう言い寄った事に起因する。しかも一、二回ではなく、収録前、後にかかわらず、収録がない日も合川さんに電話を掛け、
『あの話どうなった? 智衣美ちゃんよりオレの方が絶対番組は盛り上がるからさ、頼むよ』
懇願を繰り返した。
挙げ句の果てには合川さんを楽屋に呼び出し、
「合川ちゃん、これで何とかなんない?」
現金を差し出す始末。
合川さんは唖然とするばかりで金は受け取らず、
「そんなに(アシスタントが)遣りたいんなら、智衣美ちゃんが自分から降りるように千さんが仕向けてくださいよ」
仕方なくあしらったつもりで口にする。
しかし、千イチローはその言葉を真に受けた為、桐谷が番組に対して嫌悪感を抱くようにと、執拗にセクハラを繰り返したのである。
「金まで差し出して来たんだぜ、あの人」
会議中、合川さんがうんざりしてぼやいた事で、千イチローの行為はスタッフ全員が知る所なった。
そのような事もあり、二月上旬の緊急ミーティングで、プロデューサーとディレクターは、諦めの気持ちから責任を取って貰おうと結論を出す一方、
「自由に泳がせたら、あの人どうなるんだろう?」
鈴井さんのこの一言で全員がにやつく。
「「あれ」、実現出来るかもしれませんよ。お手並拝見と行きますか?」
多部は堪えきれずに吹き出してしまう。釣られて全員が声を出して笑い始めた。
全員の頭にあるのは、千イチローがアシスタントを務めるのは今回の収録四本分だけ。一回分が放送され、翌日に出される視聴率表の数字(視聴率)は、絶対に前の週より落ちると予測が着く。数字が落ちる事は痛いが、千イチローに降板を打診するきっかけにはなる。
合川プロデューサーが、千イチローが金を差し出して来たとぼやいた後に言ったもう一つの言葉。
「あの人しつこいし本番中も騒がしいだけだから、もう降りて欲しいんだよなあ。キャスティングミス・・・・・・何か良い手はないか・・・・・・」
二回分を放送して数字が下がる一方ならば、次回、二週間後の収録時に早速、千イチローに降板を打診する。大いなる期待を抱いた、高見の見物のスタンスを取る事で意見はまとまり、何も知らない千に、
「急で申し訳ないんですけど、アシスタントをお願い出来ないでしょうか? 合川さんも含めて皆さん、千さんしかいないって言ってるんですよ」
AD三浦は合川さんの申し付け通り、態と懇願する素振りを見せてその気にさせる。
千イチローは待ち焦がれていたとばかりに有頂天となった。「一発屋」とイジられて久しい千にとって、これがリスタートとなる筈だったが、実はスタッフの術中に嵌まったのである。
ここまでのシーンは脚本に沿って予定通りに収録された。
クランクインする前の会議で、スタッフ役は当然、役者をキャスティングしようと案は出た。が――鈴井APは、
「そんな予算ある訳ないじゃない!」
と一蹴する。
アシスタントプロデューサー(AP)は、番組制作費の管理と出演者のキャスティングを任されている役職。オレも予算を考慮して、必要最低限の役者のキャスティングで済むように原案を考えたが、まさかそこまで制作費を削るとは――
役者を使えないとなればどうするべきか、合川プロデューサーが出した結論は、「自分達が遣る」だった。何と安直な、勘考しなくてもそのつもりだったんでしょ?
会議終了後、
「予算がないって最初っから分かってたんだろ? 言っといてくれよ」
多部に愚痴ると、
「わりー、申し訳ない!」
笑って誤魔化しやがった。
とはいえ、キャストは全員本人役にすると決まってしまった。必要とあらばスタッフもどんどんカメラの前に立たせる、ケチったドラマになるぞこれは……。しかし、予算がないと言いながら、演出は合川さんではなく、本格的にしようという理由から、小説家でありながら自分の劇団を運営し、演出を手掛けている森本睦代にお願いするという。何故かそこは経費を惜しまない訳で――
森本には脚本の監修も依頼していて、オレ達作家が執筆した脚本に、森本が加筆、修正してドラマはクランクインする。
今後のドラマの展開は――
合川さんの思惑通り、千イチローがアシスタントに就いた初回、二月中旬放送分の数字は、前の週の六・六%より低い三・○%。この結果を受け、会議はのっけから数字の話題で持ち切りとなる。
普通、数字が下がると会議室には重苦しい雰囲気が漂うものだが、今回ばかりは皆「やっぱりな」とゲラゲラ笑う。
そして翌週の放送分は二・五%と更に下落。この結果を受け、下旬の会議の冒頭、
「決定だな」
合川さんは低いトーンで決断をし、翌日の収録後に千イチローに番組降板を打診する事で全員の意見が一致する。
二月下旬の金曜日。一本目の収録中、
「私は凄いっ!」「大スターだ!」。相変わらずこの人は進行とは無関係のギャグを連発し、
「うるせーぞオヤジ!」
「ギャグ飛ばすんなら面白いやつ飛ばしましょう」
南出、野呂の順で突っ込まれるというよりウザがられている。
その状態のまま一本目の収録は終わり、休憩を挟んで二本目の収録が始まろうとしたその時――
「本番十秒前ー・・・・・・八、七ー六・・・・・・」
三浦の声高なカウントが始まると、
「ちょっと待ってください!!」
収録をボイコットしていた桐谷が、三浦よりも大声で叫びながらスタジオに乱入する。千イチローと大村、スタッフ以外の出演者は何も知らない為、それだけでも驚愕だが、桐谷が警官二人を連れていた事で更に唖然とする。
スタジオ全体が静寂に包まれた所で、警官Aが千イチローに近付く。
「千イチローさん、本名、小野田隆史さんですね」
警官Aの問い掛けに、千は神妙となって顔面が蒼白して行き、
「・・・・・・はい」
消え入るような声で返した。
「桐谷智衣美さんが、あなたを迷惑防止条例違反で訴えると言っています。ちょっとお話を伺えないでしょうか?」
警官Aはこう切り出すが、
「それは任意なんですか?」
千イチローは微かな望に大きな期待をしているようだ。
「そうですが、聞く所によるとあなたは、番組の収録中に桐谷さんの腕を舐める行為までしたそうですね? それは傷害罪に該当する可能性があります。それでも拒否しますか?」
警官Aの言葉に千は大きく溜息を吐き、暫く黙る。そして――
「私が、彼女が不快に思う言動を故意にしていた事は事実です」
徐に口を開いた。
「何か理由があったんじゃないですか」
大村の問い掛けに、千イチローはゆっくり頷く。
「嘗ては何本ものレギュラーを抱えてた私だけど、今はこの番組だけ。それでも久方振りのレギュラーなんだ。これをきっかけにレギュラーを増やして行くにはどうしたら良いか、他の番組のプロデューサーやディレクターの目に付くように目立つ為には、どうしてもアシスタントの座が欲しかった。それで、智衣美ちゃんが自分から番組を降りるように仕向ける為に考え着いたのが、執拗なセクハラだった」
ここで千は、合川さんからアシスタントを遣りたいのなら、桐谷が自分から降りるように仕向けてくれと言われた事を思い出すが、人を巻き込んではいけないと考え、言わずにおいた。
千イチローと警官Aの遣り取りをサブ(副調整室)で見ていた合川さんは、千は自分が口にした言葉を言わないつもりだと悟り、眼前のモニターを見詰めてほくそ笑む。
「アシスタントの座が欲しいって、そんな理由で!?」
警官Aは眉間に皺を寄せた。表情と口振りには呆れと非難が交じっている。
「そんな理由でもこっちは必死なんだよ! 仕事がなくなれば飯は食えなくなる。自分一人ならまだしも、家族がいれば養って行かなくちゃいけない。それぐらいあんたにも分かるだろ?」
千イチローは語気強く反論。
「気持ちは分かりますよ。オレ達も同じ立場ですから・・・・・・」
大村が言葉に詰まると、今まで黙っていた警官Bが千イチローに近付く。
「保証のない芸能界で仕事を得て行くのは大変だとは思います。でも人を傷付けて仕事を得る遣り方は間違ってますよ!」
警官Bの咎めに、千は何か勘考した様子で天井を見上げる。
「・・・・・・そうですよね・・・・・・私には司会者として番組を回す技術はない。それを今頃になってやっと気付きました。本当は、イジられキャラでも芸能界で仕事をさせて貰っている事に感謝しなければいけなかった・・・・・・出頭します」
吹っ切れた様子の千イチローに、
「千さん・・・・・・」
大村は心配そうに呼び掛ける。
「私は大丈夫。今まで何度もリスタートして来たから。今回の事を重々反省して智衣美ちゃんが許してくれるのであれば、今度は本格的なイジられキャラとしてリスタートするよ」
千は大村に向かって破顔した後、桐谷に向かって深く頭を下げた。桐谷は複雑な表情で軽く会釈するが、千とは目を合わせない。
「さあ、行きましょう」
千イチローの呼び掛けに警官二人は頷き、千は前後を警官に挟まれてスタジオを出て行く。千が連行されて行く姿を横目で見ながら、桐谷は意味深な笑みを浮かべる。
これがドラマだとは知らない出演者一人一人の表情をアップで撮影し、ここでネタばらし。このシーンで演技をしているのは千イチローと大村、桐谷と警官二人のみで、他の出演者のリアクション次第で、また内容は変わって来るだろう。
ラストは何事もなかったかのように桐谷がアシスタントに復帰し、収録は再開される。
千イチローはリスタートに失敗したが、合川プロデューサーと出演者は鬱陶しい千を降板させ、桐谷もやっとアシスタントとして力量を存分に発揮出来る環境が整い、各々リスタート出来る筈だったが――
「はい本番!」
カウントが始まると、
「一○○一秒前ー!」
とんでもない数字が叫ばれる。
「どっからカウントすんだよ!」
南出がフロアディレクターに突っ込みを入れる。
「一○○○!」
と叫びながらフレームインしたのは千イチロー……。
「千、私! 私は凄い! 大スターだ!! シガ! シガ!! シガ!!!」
この光景をサブで見ていた合川さんは、
「誰だ雇ったのは!?」
苦虫を噛み潰したような表情になる。
「イジられキャラでリスタートするんじゃなかったの!?」
「ADとしても失格!」
「ゴキブリみたいにしぶとい人・・・・・・」
スタジオでも多田、力久、桐谷の順で呆れられ、
「直ぐクビにしろ!」
最後に大村が締め、千イチローのリスタート先はADだったというオチで、ドラマはクランクアップする予定である。
当然、これはフィクションの世界。千イチローには汚れ役、桐谷は被害者に徹して貰って成立するもの。
警官役は流石にスタッフという訳にはいかず、二人共、森本の劇団に所属する役者をキャスティングした。
因みに脚本を読んだ桐谷の感想は、
「私よりも千さんの方が目立ってるじゃない」
と不服だったが、
「今度は桐谷さんが主役のドラマ作るからさ」
咄嗟に出任せを言ってねじ伏せた。
しかし、バラエティが台本通りに行かないように、ドラマも脚本通りには行かない事があるのだと、まざまざと教えられる事態が、クランクインした時点で始まっていたのである。それが何かとお伝えする為には、申し訳ありませんが、話を二月上旬に戻す必要があります――
クランクインした二月。桐谷智衣美は脚本通りスタジオに現れなかった。
「大丈夫なんですか? 連絡してます?」
大村は脚本に沿って迫真の演技を見せる。
「智衣美ちゃんが遅刻するって珍しいよねえ」
力久は怪訝な表情となり、
「前の仕事が押してるんですか(時間が足りなくなり、収録などが長引く)」
野呂も塚本マネージャーに確認する。
出演者から口々に心配する言葉が出る中、事は脚本に沿って運ばれて行く。
そして、千イチローが桐谷の代わりにアシスタントを務めて収録が終わる所までは、予定通りであった。
しかし、収録後に多部が桐谷に電話をしてもつながらず、メールも送ったが、折り返しのメールや電話はない。
多部は気になったが他の仕事も入っていた為、明日には帰って来るだろうと思い、その日は連絡するのを止めたという。
だが、翌日になっても桐谷からの連絡はなく、心配になった多部は桐谷の自宅マンションへ向かうが不在だった。幾ら電話をしてもつながらず、メールを送信しても返信はない。
桐谷は「本当に」消息を絶ってしまったのである。
この番狂わせに中旬の会議は当然、重々しい空気の中で始まった。
「こんな緊急事態の時にドラマなんて言ってられません。企画を一旦中断させて、このまま桐谷と連絡がつかない状態が続くのであれば、警察に捜索願いを出すべきだと思います」
多部は切迫した面持ちで主張する。
「そうだな」
合川プロデューサー始め、他のスタッフも納得しているが、捻くれたオレの目には「素直な納得」には見えない。
ドラマのコンセプトは、ドラマとドッキリを融合させたドキュメントタッチ。ならば、この事態も題材になるのではないか。そんな邪な考えが浮かんでいるような気がする。面白いと判断されれば人の不幸もネタにされる、そんな非情さとぶっ飛んだ側面も持つ業界である。
しかし今回は桐谷が見付かっていない為、仮に題材にしてもストーリーは成立しない。それに、常識的に考えれば多部の主張は正論。常識を理解しているからこそ、皆も納得した筈なのだが――
「でもさあ、智衣美ちゃんと連絡取れなくなってまだ一週間なんでしょう?」
鈴井APは些か違うようだ。この人は普段から、
「人を愛する気持ちが分からない」「男の人と遊ぶのが好きだから、二股三股は当たり前」などと、それこそぶっ飛んだ発言を平然と発している。良く言えばユニークな人。悪く言えば奇人、変人以外、何と表現出来ようか――
「ねえ塚本さん、事務所はどう対応する方針なんですか」
鈴井さんは塚本マネージャーに尋ねた。塚本さんにも、今後の対策を協議する為に同席して貰っている。
「うちの社長は、暫く様子を見てから対応を決めると言っています」
「ちょっと待ってくださいよ! 所属のタレントが行方不明なんですよ!? そんな悠長な事言ってられないでしょう」
多部は怪訝な気持ちを抑えられない。
「でも事務所が様子を見るって言ってるんだから、こっちも様子を見ながらドラマ収録を進めても良くないですか」
鈴井さんは合川さんに問い掛ける。
「そうは言っても・・・・・・」
合川プロデューサーは事態が重大であるだけに、すんなりGOサインは出せないだろう。
「鈴井さん、桐谷さんはマジで行方が分からないんですよ!? 何か事件に巻き込まれてたらドラマどころじゃなくないですか?」
多部はのうのうとした鈴井さんに尤もな意見をぶつける。
桐谷が消息を絶った事は紛れもない事実であり、一瞬でも題材になるのではと考えたオレは、作家である前に人間失格であったと自省する。多部の気持ちを察すれば、恋人が自分にも事務所にも何も告げずに行方不明となり、憂いともどかしさにさいなまれて直ぐにでも捜索願いを出したい筈だ。と、オレは思うのだが――
「まだ事件とは決まってない訳だから、ドラマの企画を進めても問題ないでしょう」
鈴井さんが塚本さんに確認する。
「うちとしては、現段階ではそちら(番組)にお任せします」
塚本さんの答えに多部は、
「二人共マジで言ってるんですか!? ハー・・・・・・あり得ねえよ・・・・・・」
うんざりして押し黙ってしまう。
バラエティ番組のスタッフは、何処に面白さが転がっているかと常にアンテナを張り、探究心を持って生きている。だが当然、理非を判断する聡さも必要な訳で、周りのスタッフも鈴井さんの態度は流石に不可解なようで、皆唖然としている。
そのスタッフの顔が、
「もし事件じゃなくてスキャンダルだったら番組にも注目が集まるし、智衣美ちゃんの知名度も上がるんじゃないですか?」
「うちにとってはスキャンダルは困りますけど、桐谷の知名度が上がる事はありがたいですね」
鈴井さんと塚本さんには見えないらしい。
もしスキャンダルだったとして、そんなもので上昇した知名度など一過性で終わり、最悪の場合は番組打ち切りの可能性が生じる事を、APともあろう人が何故気付かないのか――
「内容次第では番組始まって以来の最高の数字を取るかもしれませんよ」
鈴井さんは合川さんを丸め込もうとするが、
「数字は欲しいけど、「お蔵(放送出来なくなる)」になるかもしれないだろう・・・・・・」
プロデューサーとして当然の難色だ。
でも冷静に見ると、鈴井さんは何故ドラマの企画を進めたがり、塚本さんに同意を求めているのだろうか? マスコミが桐谷が失踪した事を嗅ぎ付ければ、「何故捜索願いを出さなかったのか!?」と大バッシングを受ける事は必至だ。それも予見出来ないというのは、やっぱりおかしい。
この二人、何か知ってるんじゃないのか? オレの悪戯心に火が点いた。
「分かりました。鈴井さんがそこまで言うのなら、ホンを書き直します」
作家にとっては、出演予定だったタレントが急遽キャンセルになったりしてホンを書き直す、なんて事態は間々ある事。書き直す事に億劫がっている暇などない。
「おいユースケ! お前まで何言い出すんだよ!?」
多部は怒りをぶり返したが、
「リトライさんがこの企画を進めるかどうかは番組に任せると言ってるのなら、オレも警察に捜索願いを出す事態になるまでは、収録を続けても構わないと思います。勿論、「お蔵」覚悟ですけど」
無視して続けた。多部は苦々しい表情をして舌打ちする。友達に裏切られた心境なのだろう。
多部を気の毒に思いつつ、
「どうでしょうか」
合川さんに尋ねる。勘考する合川さんを尻目に、
「ユースケ君は乗っかると思ってた」
鈴井さんは満足気な顔を見せる。オレって、そんなにかるーく見られとんのかい……。そう思いながらも、合川さんと目を合わせ続けた。
合川さんは溜息を吐きながら二、三回頷くと、
「分かった。ホンを書き直すって言うんなら任せる」
根負けしてGOサインを出す。
「合川さん、「お蔵」覚悟の企画なんて今時ないじゃないですか」
多部は口で反論しつつ顔は呆れ返っている。
制作費が削減傾向にある現在、「お蔵入り」になって費用が無駄になる企画など、始めからボツにされる。ましてゴールデン帯より制作費が少ない深夜帯なら尚更――
だが、ここは心を鬼にする必要がある。
「そもそもこの企画の立案者は、多部、お前じゃないか。ディレクターだったら、「大切な人」を見付けるまでカメラを回すくらいの精神が必要なんじゃないか?」
決然とした態度を見せた。多部は黙って思案に暮れている。ディレクターとしての立場。彼女の為に企画を立案したが、その彼女は消息を絶ってしまった――多部は自分と葛藤しているのだろう。
誰もが沈黙したまま約十分が経ち、
「・・・・・・遣ってみよう」
多部は渋々だが承諾した。
会議終了後、作家四人は局内のロビーに集まった。オレが三人に相談もせずに脚本を書き直すと宣言した為、
「どうするんですか? あんな事言って」
「ホン書くの結構大変だったんだぞ」
「あーあ。また振り出しに戻っちゃったっ!」
沢矢、重盛、畑中は大いに不満顔。
「申し訳ない」
唯々頭を下げるしかない。
「タイトルは事実のまま『桐谷智衣美失踪事件』で良いとして・・・・・・」
「クライマックスはどうするんですか?」
沢矢さんはオレの頭を看破している口振り。そこなのである。オレも決め辛いとは分かっていた。書き直すと宣言した時に宿っていた心は、怪しいと睨んだ鈴井さんと塚本さんを泳がせてみようという、悪戯心だけ。
「何にも考えが浮かんでないのに見切り発車するからですよ」
沢矢さんに叱られ「ごめん」と謝る一方で、会議中に思った事を内々にするよりも、打ち明けた方が企画は膨らむだろうと思った。
「皆に話があるんだ。でもその前に、多部の耳にも入れといた方が良いな」
オレが携帯で多部を呼び出そうとすると、
「何で多部さんを呼ぶ必要があるんですか?」
沢矢さんが訝る。沢矢さんを含めた三人は、多部と桐谷が交際している事を知らない筈だ。
「声高に反対意見を出してたのはあいつだけだからさ。一応、言説しとこうと思って」
十分以上が経ち、まだ局内に残って打ち合わせをしていた多部が現れた。
「まだオレに言いたい事があんかよ? お前は常識がある奴だと思ってたんだけどな」
多部は顔付にも言葉にも失望感が表れている。
「お前の気持ちは分かってるよ。でもあんな態度に出たのにはオレにも理由があるんだ」
「へー。それならその理由を聞かせて貰おうか」
多部は忌ま忌ましそうな表情で椅子に座った。その様子を見て、改めて友達を裏切った事を自覚するのと同時に、自分に対して気落ちし、頭が逆上せて行くのを感じる。
「確りしろ!」と自分に言い聞かせながら、「フッ!」と力強く息を吐き椅子に座る。そして直ぐに、
「会議中の鈴井さんと塚本さんの様子を思い返して欲しい」
声を落として切り出した。
「鈴井さんは企画を進めたがってたね」
重盛君が何気なく発した言葉。
「注目すべき点はそこなんだよ。企画を続行させたい鈴井さんは塚本さんを丸め込もうとしてた。その塚本さんは嫌々ではなく満更でもない様子だっただろ? 二人の遣り取りからして、鈴井さんと塚本さんは何か知っているとオレは見てる」
「それは飽く迄ユースケさんの推測でしょう?」
沢矢さんの指摘に、
「その通りだ。何か確証があって言ってんのか?」
多部も同調して解せない様子。
「確証はないけど、二人を泳がせてれば絶対に何かが出て来る。二人の言動は何か事実を隠してるからこそだ」
公言した自分にも見解に確信はないが、それに相反して妙な自信がある。
「確証もないのに企画続行に賛成したのかよ・・・・・・」
呆れ返る多部。
「もしユースケさんの言う通りだとしても、クライマックスをどうするかっていう問題解決にはならなくないですか?」
沢矢さんも同じく――
「要するにサスペンスにしたいって事?」
重盛君は渋い顔をし、
「そうなったらトリックとか考えなきゃいけないし、ホン書くの大変そう」
畑中さんもげんなりするだけで、取り合う者は一人もなし……。どいつもこいつも――
ムカついて来るが、確証もない見解に取り合って貰おうという考えが間違っていた。オレがごり押しする事もない為、五人の間には重苦しい沈黙が流れる。そこに――
「皆暗い顔してどうしたの?」
鈴井さんがやけににこやかな表情で現れた。噂をすれば影……内心鼻で笑ってしまう。
「ドラマのクライマックスをどうするかって話し合ってたんです」
多部はちらっとオレと目を合わせ、皮肉を込めた口振り。
「そうそう、ドラマの事なんだけどさ、さっき多部君とユースケ君の遣り取り凄い迫力あったから、本格的に出演してくれない?」
楽しそうな鈴井さんから発せられた言葉に、「またかよ・・・・・・」聞いた瞬間からげんなりする。
オレは過去にBSの番組に一年間、冒頭のコーナーで「本日の内容」を紹介する役として出演した経験がある。だからといって、別にギャラが増える訳でもなかったが……。その番組も多部との共演だった。あの時もプロデューサーが多部とオレとの遣り取りが面白いと言い出して、強引に出演させると決められてしまったっけか――
普段ならこの手の話に直ぐ食い付く性格の多部も、
「オレは前半に出演してますけど?」
流石に今回は状況が状況なだけに気乗りしていない。
オレもカメラの前に立つ精神的プレッシャーと、コメントや表情の難しさは十分に分かっている為、幾ら脚本があるからとはいえ、テレビ出演自体に気乗りしない。
それにこの前、母の小枝子から、
『あんた裏方なんでしょう? あんまりテレビに出ないでくれる。近所の人から「この前、裕介君観たわよ」って言われて、恥ずかしいったらありゃしないわよ』
こう愚痴られたばかりだ。
小枝子はオレが不安定な職業に就いた事を未だに賛成していない。幸い仕事を頂ける状態になったので、あからさまに反対する事はなくなったが、息子がテレビに出演していたり話を聞く度に、憂いが頭を擡げて来るのだろう。
オレ達の気持ちに相反し、
「二人で智衣美ちゃんを捜索するって内容も面白いと思うよ。それに加奈ちゃんも出演してくれたら、男二人よりも女が加わった方が良いかも」
鈴井さんは淡々とキャスティングを進めて行く。
「私は、出演させて貰えるなら遣らさせて頂きます」
沢矢さんは澄まし顔で言う。彼女はタレント活動もこなせる作家を目指す、向上心の高いお方。ドラマに出演出来るとなり、さっきまでクライマックスをどうするのかと危惧していた気持ちが、一時的に吹っ飛んだのだろう。
沢矢さんの表情を見た後、直ぐに多部の顔を見ると、渋い顔から険しい顔付に変わっている。
そんな二人の表情を見ている内、頭はドラマ出演に気乗りしないが、何故だか心は躁状態となって来た。
「分かりました。三人が本人役で出演する設定で原案を書いてみます」
あーあ、言っちゃった――
確言したオレに対し、
「おいマジかよ!?」
多部は怪訝さを表したようだが、多部の顔を一切見ずに鈴井さんと目を合わせ続けた。
すると鈴井さんは破顔して、
「お願いね。さあ、楽しみだなあ」
こう言い残して去って行く。その背中を見ながら、こっちが鈴井さんを泳がせているのではなく、逆に弄ばれているのだろうと思い、また内心鼻で笑った。
「もう任せるよ・・・・・・」
多部は「好きに遣れ!」と続けたそうなうんざりとした表情で席を立つ。
別に企画を是が非でも進めたかった訳でも、出演する事に意気込んだ訳でもない。只、重大な事態に直面し、頭が逆上せているのだ。多部を除いた皆の――
この日から、オレは自宅にいる時や仕事の合間を使い、原案の再考を重ねる。
鈴井さんの言葉である、桐谷を捜索して行く内容も面白い、これをヒントにするならば、具体的にはどのように捜索して行くのか――
後は、鈴井さんのユニークなキャラを活かし、塚本さんもストーリーに絡ませたい。丁度、春の特番の収録が始まる時期で、連日会議で忙しい中ではあるが、オレは呻吟をしながら原案をまとめて行った。
因みにこの間、<オフィスリトライ>が捜索願いを出す気配はなく、話すら聞かない。
二月中旬の水曜日。会議の前日、携帯がバイブしたので確認すると、合川プロデューサーからの電話。
『原案の方はどうなってる?』
「まとまりました。後は作家同士の打ち合わせをして、ホンにして行くだけです」
『分かった。くれぐれも四月の放送には間に合わせるように』
「了解です」
合川さんとの電話を終え、三人の作家に向け、明日の会議終了後にドラマの打ち合わせがしたいとメールで伝えた。
そして翌日の会議。スタッフ全員に向け、
「この後、作家で打ち合わせをしてホンの執筆に入ります。それを森本さんに見立てて貰いながら完成させて、早い内に皆さんに手渡せるよう努めます」
正式に発表した。ホンの合否に関しては、全て演出兼監修の森本に委託されている。
会議終了後、合川さんの許可を得て、そのまま7B会議室を借りて打ち合わせを行なう。原案を元にドラマ収録を再開するにあたって、ディレクターの協力が必要となる為、多部にも残って貰っている。
勘考した原案を言説すると、
「そう上手く行かねえんじゃねえの?」
多部は難色を示し、
「大胆過ぎ・・・・・・バラエティの枠を超えてますよ」
沢矢さんも渋い顔になる。
「本来は、桐谷さんが消息を絶っている状態で企画を進める事自体が無謀だろ? 邁進したいんならこれぐらい承認して貰わないと困る。この案を聞いて鈴井さんがどんな反応を示すか・・・・・・」
思わずにやついてしまう。そんなオレの表情を見て、
「どうなっても知らねえからな」
多部は目で「お手上げだ」と訴え、
「右に同じです。演技は一生懸命遣りますけど」
沢矢さんは動揺と意欲が交錯し、微妙な気持ちのようだ。
「この企画が話題になったらオレらの仕事増えんじゃね?」
重盛君は破顔一笑。
「そうなったら嬉しいけど、なーんか私も出たかったなあ」
畑中さんはオレ達に羨望の眼差しを向ける。せめてもの救いだったのは、失礼ながら、重盛、畑中の二人が能天気な性質であったという事だ。
翌日。多部に付き添って貰い、収録前と休憩中を見計らって、出演者一人一人の楽屋を訪ねた。この事は合川さんと鈴井さんには伏せている。
千イチローと大村以外の出演者にはまず、桐谷は収録をボイコットしている事になっているが、これはTOKYO―MS五十周年記念の特番で放送予定だった、ドラマの企画である事から打ち明ける。
これには殆どの出演者が、
「この番組バラエティなんじゃないの!?」
と失笑した。
次に、これまではドキュメントタッチのドラマにする予定であった為、「ドッキリ形式」で収録を進め、出演者には詳しい事情を説明していなかった事。しかし、ストーリーを変更する必要性が出た為、「桐谷さんが消息を絶ってしまった」という設定に改めると告げる。
これには、
「そうですか・・・・・・」
と戸惑いながらも納得してくれる人と、
「これもドッキリなんじゃないですか」
と訝ってCCDカメラを捜す人もいた。
しかし多部が、
「この企画は本当なんだよ。小説家の森本睦代さんって知ってるでしょ? 森本さんは演出家でもあるから、あの人のアドバイスでストーリーを変更する事が決まったんだ」
こう説明すると、全員の疑心は消えたようだ。森本は新鋭の小説家として知名度
を上げており、その人の名前を出せば信憑性は高まる。多部の協力が必要だった
事も同じで、作家だけで説明するよりも、ディレクターと一緒の方が説得力が増
すからである。
因みに、森本のアドバイスがあったという件は当然嘘。あの人はまだ何も知らない。
多部は、
「今回からはドッキリじゃなくて、ホンが出来次第、全員に渡る。なので味わい深い演技を見せちゃってくれよ!」
と出演者を持ち上げ、全員は満更でもない笑みを見せて了解する。
千と大村にも、ストーリーが変更となった事。ドッキリは中止になり、全員にホンを渡す事を伝えた。二人は直ぐに了解すると、ドッキリの仕掛け人である緊張感から解放されたからか、何処かホッとした表情をしていた。
四本撮りの収録後、スタッフルームで多部同席の元、合川Pと鈴井APに新たな原案の内容を報告する。
その内容は――
「警察に捜索願いを出した上で、同時進行でドラマ収録を行なうというものです。ホンは状況に応じてその都度書いて行きます。二週間も連絡が着かない現実がありながら、事務所は未だ会見もせずに様子見の状況はやっぱりおかしいと思います。リトライさんに対して、こちらから捜索願いを出すよう要請すべきです」
「警察は駄目よ! リトライさんが何も言ってない限り、こっちから要請する必要なんかない」
鈴井さんはきっぱりと突っぱねる。ここで気後れしてはならぬ――
「捜索願いを出して警察が許可する限りカメラを回して行けば、大スクープが撮れるかもしれません。それを放送すれば高い数字を期待出来ると思いますが、それでも駄目でしょうか?」
上目遣いで言ってみる。
「だから捜索願いは出さない。何度言ったら分かるの?」
鈴井さんはオレから目を逸らさず、低いトーンで言った。
「数字が取れるかもしれないのに?」
負けじと微笑を浮かべて念を押すと、
「ユースケ君!」
鈴井さんは不気味な笑みで返す。
多部に向かって「な?」という目を向けると、あからさまに困惑顔をした。
「そういう事だ・・・・・・」
訥弁な合川さんの口振り。鈴井さんの態度に圧倒されているのか。
これが「原案A」である。態と「捜索願いを出す」という文言を入れ、鈴井さんの反応を見る術中だった。この「原案A」に対して、多部と沢矢さんは難色を示したのである。
「今の案が駄目だったら・・・・・・」
努めて淡々と次の案を言説する。これはまだ誰にも言っていない「原案B」である。
「そっちの方がまだ良いね。出演者もアドリブが飛ばし易いだろうし」
「原案B」を聞いた鈴井さんは納得して頷く。
「分かりました。この案でホンを執筆します」
「頼んだぞ」
合川さんの顔には諦めが滲んでいた。
多部と廊下を歩きながら、したり顔になる気持ちを抑えきれない。
「見ただろ? 鈴井さんの反応」
「確り見てたよ」
多部は呆然とした口振り。
「捜索願いを出す事をあれだけ拒絶するって事は、桐谷さんについて何か知ってるって言ってるようなもんだ」
「警察が絡むと困る・・・・・・智衣美の居所を知ってるのかもな。でもそう易々とぼろを出すような人じゃなくね?」
多部は厄介そうに言う。
「それは同調するけど、ふるいに掛け続ければ絶対何か出て来るって」
鈴井さんと塚本さんは何かを知っている。初めて見解を言説した日からずっと、妙な自信を持ち続けていた。
「それにしても、あんなオチ緩くねえか?」
多部はやっとディレクターの感が戻って苦笑しているが――
「ああするよりしょうがねえだろ。企画を通す為だよ」
自分でもオチが緩い事は自覚している為、大見得は切れなかった。
この日から、オレを含める作家四人は分担して脚本の執筆を始める。森本には、合川さんと鈴井さんの方からストーリー変更の件を伝えて貰ったが、恐らく桐谷が本当に消息を絶った事は伏せられているだろう。
森本からは渋々ではあるが了解を頂き、作家四人が書き上げた脚本を加筆、修正して貰い、三月中旬の金曜日に脚本は完成した。
バラエティのドラマとはいえ、演出家としての森本の演技指導、その光景を傍らで観ていたが――
「今の早口で駄目!」「ちょっとそこ棒読み!」「入って来る間が悪い!!」当然だが笑顔を一切見せず、峻烈で恐い……。五、六回NGを連発しようものなら、脚本を丸めて床に『バーン!』と投げ付ける始末。
しかし、演出家ならば完璧な作品を目指して妥協せず、熱が入って語気が強まるのは職業柄の自然な心理。半分バラエティのようなドラマにも熱を込めて演出して貰える事は、大変ありがたい。のだが……オレも出演するという事は、厳しい演出の手解きを受ける訳で、考えるだけで実が竦んでしまう。
三月中旬。桐谷が消息を絶った事が発覚する前の、二月上旬までに収録されたビデオとつなげる形で、ドラマ収録は再クランクインする。
放送予定は四月下旬月曜日。編集を考慮に入れると、最低でも三日前までには終わらせなくてはならない。
三月下旬の水曜日、二三時四十分。TOKYO―MS内の『表参道リスタート団』のスタッフルームには、ディレクターの多部亮、放送作家の中山裕介と沢矢加奈が呼び出されていた。
対座した番組演出兼プロデューサーの合川信壱は、
「実は智衣美ちゃんが消息を絶ったんだ」
徐に口を開く。
「マジっすか!?」
多部が驚愕し目を丸くする。
「千さんのセクハラが存外苦痛だった事も起因してるんでしょうかね・・・・・・」
「苦痛だったとしても消息を絶ちますかね?」
沢谷は首を傾げる。それだけが起因ではないのでは? と思っているようだ。
合川Pの隣に座る鈴井APは、
「それであなた達に頼みたいのは、智衣美ちゃんを捜索して欲しいの」
微笑を浮かべて申し付ける。
「それは警察の仕事ですよ。何で警察に頼らないんですか」
上目遣いで訊いてみた。
「智衣美ちゃんの所属事務所は今の所様子を見ると言ってる。警察に頼る前に何とかならないだろうかと、うちに相談があったんだ」
合川Pは溜息と微苦笑を交えているが、心底億劫な様子。
「だからそれに応じる訳ですね。でもどうして私達なんですか?」
沢矢さんは要請に応じる所までは納得出来るが、自分達にお鉢が回って来た事には不服のようだ。
「智衣美ちゃんと年も近いし、特に親しいんじゃないかって思ったからさ」
尚も微笑を浮かべる鈴井さん。その顔からは「不服は受け付けない!」という強固な姿勢が窺える。
「オレ達もずっと桐谷さんの事に付きっ切りって訳にはいきませんからね。お二人は彼女が何処に行きそうだとか、見当は着かないんですか?」
多部は疲れている様子で、沢矢さんと同じく気乗りしていない。
「分かればあなた達にお願いしないよ」
鈴井さんは苦笑にしては満面の笑み。
ここで脚本上では、多部が不服に思いながらも承諾する事になっているのだが――
「警察に頼った方が宜しいかと思いますが?」
再び上目遣いで、今度は微笑を浮かべてみた。鈴井さんをムキにさせる為のアドリブだ。
「だから警察には頼らないの! 良い、何としても智衣美ちゃんを見付け出して!」
案の定、警察の件にはムキになって語気を強めた。その様子に多部は静かに息を吐き、
「遣るだけ遣ってみますよ。良いよな?」
うんざりとした口振りで、オレと沢矢さんに問い掛けた。オレと目を合わせると、「もう止めとけ」と訴えている。
「手当たり次第当たってみますか」
両手を腰に当て、背筋を伸ばしながら言うと、
「まずは桐谷さんと親しい人からですね」
沢矢さんの口振りも諦め気味。彼女とも目が合うと、「あまりややこしくなるようなアドリブは飛ばさないように」と警告を発している。
三人から承諾したニュアンスの言葉を聞き、
「それじゃ宜しくね。出来る範囲でいつでも力になるから」
鈴井さんは微笑から満足げな笑みに変わった。仮にも人が失踪した設定なのに、
この人はのっけからずっと笑顔。もうちょっとリアリティーを考えて欲しい。
それに「力になるから」って、見当も着いてないじゃなですか――
「何かあったら直ぐに報告してくれ」
合川さんが複雑な表情のまま告げて、話し合いは終わった。
多部とオレ、沢矢さんは途方に暮れた表情で廊下を歩く。
「何で警察に頼らないかなあ・・・・・・」
「オレもそう思うけど、上司の命令ならしょうがなくね?」
多部は首を回したり手で肩を揉んだりしている。
「桐谷さんの事は心配だけど、事務所の人達はこっち(番組)に押し付けるだけで、自分達は何もしないつもりなんですかね?」
沢矢さんは癇に障った様子で皮肉る。
「そうなんだよね。あんた達も何かしろよ! って話だよ」
「何から何まであり得ねー!」
オレが多部に宛がった台詞だが、その声高な嘆きには色んな想いが裏打ちされているようだ。
多部の台詞通り、不服ではあっても「上司」の申し付け。オレ達は翌日から早速、桐谷の捜索を開始する。何か取っ掛かりとなる情報を得ようと、まずはいつも身近にいる塚本淳一マネージャーに話を聞く為、桐谷の所属事務所<オフィスリトライ>へと向かう。
ミーティングルームに通されたオレ達に対し、
「今回はご迷惑をお掛けしてしまう事態となって、本当に申し訳ありません」
塚本さんは事務所を代表して頭を下げる。
「僕らも最善は尽くしますけど、桐谷さんが消息を絶って一ヶ月ですよね? 事務所としては非常事態じゃないんですか」
探り探りよりも単刀直入に訊いて、塚本さんの様子を見ようと思った。
「確かにそうです。社長も心配しています」
塚本さんは粛然とはしているが――
「心配しているのは当然だと思いますけど、警察に捜索願いを出すとか、社長さんが会見を開いて桐谷さんに呼び掛けるとか、そういう話は出ないんですか?」
沢矢さんも探りを入れるのがまどろっこしいようだ。
「出るには出るんですが、過去にもタレントが消息を絶った事例はありますので・・・・・・」
塚本さんは誰とも目を合わせず、訥弁とした口振り。
ここまでは脚本通りで、この後は多部が「冷たい見解ですね」とチクリと嫌味を言って、消息を絶つ心当たりはないのかなどを尋ねて行く段取りとなっている。
「そんな歯切れの悪い返事をして! 消息を絶ったタレントがどうなって行ったか知ってるでしょう!? 事務所やタレントにとって何もプラスにならなくないですか?」
多部は塚本さんを見ている内に、抑えていた感情を噴出させてしまう。思わず多部の左肩を「落ち着け」と軽く叩いた。
塚本さんは突然カメラの前で怒声を上げられて、羞恥心が込み上げたのだろう、目線を下に向けて頷くだけだ。
「今の所様子を見るとか社長も心配してるとか、そんな上意下達じゃなくて、塚本さんの方から進言してみたらどうですか?」
事態を収拾させようとアドリブを入れ、やっと目線を上げた塚本さんの目をじっと見詰める。
「警察には頼れません。社長が合川さんに相談をして皆さん方に捜索をお願いしている以上、僕はそれに従うだけです」
塚本さんは何か後ろ暗そうな表情をして、オレから目を逸らした。多部の顔を見て「な?」という目を向けると、多部は下唇を噛んだ状態で頷く。
「・・・・・・分かりました。桐谷さんが消息を絶つ心当たりはないんですか?」
多部は「仕方ない」といった顔付で、話を脚本通りに戻す。
「それは僕にも分かりません」
「彼女が休みの日なんかでよく向かう場所って、何処か知ってます」
多部の問い掛けに、
「以前、マチュ・ピチュに行ってみたいとは言っていましたけど・・・・・・プライベートな事は殆ど話しませんので」
歯切れの悪い答えは続く。マネージャーにも事務所にも黙って海外なんかに行くかよ……。
「マチュ・ピチュ・・・・・・ペルーにある世界遺産ですねえ」
バカらしいが話は続ける。
「旅行だったら黙っては行かないですよね」
沢矢さんも途方に暮れた口振り。
「ありがとうございました。また何かあったら伺います」
多部はこれ以上訊いても埒が明かないと判断し、席を立った。
「宜しくお願いします」
再度頭を下げる塚本さんに会釈をし、オレ達はミーティングルームから出て行く。結局、取っ掛かりとなる情報は得られず、三人は事務所を後にする所でカットが掛かる。
オレ達は他のスタッフから離れた場所に集まった。
「見たよな? 塚本さんの反応」
「見たよ。鈴井さんと同じで何か知ってそうだったな」
多部は当てもなく呟くと、タバコに火を点ける。
「何故警察に頼れないのか。社長の方針に決然と従っているのならば、オレから目を逸らさないと思う。怪しいねえ」
「鈴井さんと塚本さんが桐谷さんの居場所を知ってるにしても、どうやって炙り出すのかむずくないですか?」
沢矢さん表情は「この後はどうするの?」とでも言いたげだ。
「それが問題だよ。その先の方針はないんだろ」
多部に訊かれ、
「ドラマみたく何か取っ掛かりが出て来ればな」
開き直った態度で言ったが、切に願っている本音だ。
「これもドラマなんだよ! 聞いた? こいつ計画的そうで・・・・・・」
多部は呆れて沢矢さんに振り、
「気紛れな人……」
同じく呆れている彼女に結論を出させた。
翌日。『リスタート団』の収録の為にTOKYO―MSに集まったオレ達は、出演者の中でも特に桐谷と親しい力久咲良と、ビーダッシュの二人にも話を聞こうと、本番前と後に楽屋を訪ねる。
「智衣美ちゃんがいなくなったって本当なの」
力久は深刻な顔付で多部に訊く。
「残念ながら本当なんだよ。それで訊きたいんだけど、桐谷さんが消息を絶つような心当たりって、何かない?」
「ええ、心当たり・・・・・・」
「些細な事でも何でも良いんだよ」
脚本ではここの件は空白になっている。従ってここからは出演者のアドリブ。
「前に南出さんから「六十点顔」って言われた収録の後は、かなりムカついてたみたいだけど・・・・・・」
「ああ、そんな事ありましたね」
力久と沢矢さんは思い出して失笑する。
「力久さんは「五八点」って言われなかったっけ?」
ビーダッシュの南出は、多少毒舌で売っている。以前、女性タレントがゲストの回の収録中、
「今日スタジオにいる女性の顔に点数を付けるとしたら?」
多田が南出に振ったのだ。因みにゲストは七一点だった。
「そうだよお。私が一番低かったんだからね!」
「だからねって、別にオレが言ったんじゃないから」
力久は自分で思い出すきっかけを作り、ムカつきを蒸し返したが――
「確かにあの時はショックを受けてたけど、そのくらいじゃ消息絶たなくね?」
多部は苦笑しながら念を押す。
「まあ、結局はギャグだからな」
「合点は行きませんよね」
「ごめん。消息を絶つような素振りなんて、私には見せなかったからさ」
「分からなかったら仕方ないよ。じゃあ、彼女がよく行く場所って何処か知ってる?」
「六本木ヒルズとか表参道ヒルズはお気に入りみたいだよ」
「ヒルズ好きかあ・・・・・・」
思わず多部の顔を見てニヤリとしてしまう。二人でよく行っているのだろう。
「そっか。収録前に悪かったね」
多部はばつが悪くなったのだろう、早口で話を畳んだ。
二六時半(午前二時半)。全ての収録が終わり、ビーダッシュの楽屋を訪ねる。
「智衣美ちゃんがいなくなったって聞いてびっくりしたよ、本当」
「半笑いで言うなよ!」
野呂の台詞に南出が軽く頭をはたき突っ込む。
「いや本当だって。心配してるんだから!」
野呂よ……演技がクサ過ぎる。
「桐谷さんが見付かったらまずどうする?」
「優しく腕を摑んで抱き締めてやりますよ!」
野呂は低いトーンで言うと、カメラ目線でキメ顔をした。ドラマだって言っているのに――
「流石はお笑いハードボイルド」
笑う沢矢さんの隣にいる多部も笑顔ではあるが、明らかに引きつっている。
「言葉なんかいりませんよ!」
「何一仕事終わったような顔してんだよ!」
苦笑する南出に続き、
「君達は桐谷さんが消息を絶つ理由なんか知らないよね? さっ、次行こうか」
多部も苦笑して話を畳もうとした。
「おいちょっとちょっと! 一応訊いてよ」
南出が出て行こうとする多部の右腕を摑む。
「もう良いだろう。一ネタ遣ったんだから」
多部は渋い笑み。
「ネタ遣ったのはこいつだけじゃん」
南出は続けたがっている。もっと映りたい、芸人の性。
「じゃあ消息を絶つ心当たりがあるんだね?」
「そんなプレッシャー掛けんの止めてくれよ」
野呂は吹き出してしまう。
「これといったものはないよ、確かに」
南出も半笑い。駄目だこの二人、役者として。
「結局ないんじゃないですか」
沢矢さんに続いてオレも吹き出してしまい、
「これ以上は何も出て来ないだろ? 疲れてるとこありがとう」
多部は渋い笑みのまま、手を振って出て行く。
「最後に桐谷さんが行きそうな場所って知ってる?」
「これといって知ってる所はないよ!」
南出は一見不服そうな顔付だが、目は「良いパスをありがとう」といっている。
「本当に仲良いんですか?」
沢矢さんも呆れて笑ってしまう始末。
「いや、オレ達が仲良いって言ったんじゃなくて、あんた達が勝手に来たんだから」
野呂も最早芝居ではない。
「だったらさっさと出て行きますよ」
沢矢さんとゲラゲラ笑いながら廊下に出て、楽屋のドアを閉める。カメラがドアに近付くと、二人は細長い磨りガラスに顔を近付け、
「もう終わりかよー!?」
と叫んでこのシーンは終了。
次にオレ達が向かった先は、桐谷と同じ事務所で普段から親しい友人、岡北有弓の楽屋。
「たまたま岡北さんがいて良かったよな?」
多部が安心した表情でオレ達を見る。
「事務所が同じですから、何か収穫があるかもしれませんね」
沢矢さんも期待満面。
「あっち深夜(番組)じゃないし観客も入ってるのに、随分長い事撮ってるよな」
オレは、怪訝満面――
スタジオに観客を入れた番組の収録は、普通、遅くても終電前には終わるようにスケジュールが組まれているもの。だが、もう二七時(午前三時)を回っている。
「釈迦に説法だけど、観客帰してスタッフ座らせちゃえば問題ねえじゃん?」
多部は気に留めない口振り。確かに収録が長引いた場合、スタッフが観客席に座る事がたまにあるのだが――
ここでぶっちゃけた話をすると、本当の現在の時刻は十九時半。実は岡北のシーンは力久より先に撮影し、放送では編集で前後を逆にして、岡北のシーンを最後にする。何故かというと、ドラマの演出上そうする必要があるから。そして、岡北のスケジュールの都合です――
「智衣美ちゃんいなくなったんだってね?」
岡北はのっけから半笑い。この人も演技は駄目だ。
「その表情だと消息を絶つ心当たりはないって事?」
多部も仕方なく笑っているが、諦め満面。
「結構気紛れな子だから。仕事をほったらかしにするのは駄目だけど、前に万里の長城に行ってみたいって言ってたから、旅行してるのかもよ」
岡北も首を傾げたという事は、この人にも連絡はない訳だ。
「また世界遺産か・・・・・・ヒルズのカフェで旅行の話をする人でもいるのかな?」
またニヤリとして多部を見ると、渋い顔で目を逸らされた。
「旅行関係の話ばっかりですね・・・・・・」
沢矢さんは口を噤んで勘考に入ってしまう。
「っあ! そういえば智衣美ちゃん、千イチローさんのセクハラに悩んでたよ」
「はい、それは僕らも知ってます」
「それで、私が弁護士に相談してみたらって提案したら、そうしてみるって言ってたから、弁護士事務所に顔を出すかもしれない」
岡北でやっと具体的な取っ掛かりの情報が入った。
「弁護士事務所か・・・・・・」
「そっちの方が俄然現実味がありますね」
多部と沢矢さんの顔は希望満面。
「一ヶ月以上経ってるからちょっと心配だけど、当たってみる価値はあるな」
弁護士事務所に相談するには予約が必要だが、もう相談し終わった後かもしれない。が、多部、沢矢両人の様子を見ると、それを明言するのは憚られる。
「貴重な情報をありがとう」
多部は早口で礼を言い、足早に楽屋を出て行く。
「ありがとうね」
「それじゃあ」
「いえ、とんでもない」
オレと沢矢さんも廊下に出ると、
「良い情報得たよなあ」
多部は興奮し始めていた。
「やっと取っ掛かりに繋がりますね。これで桐谷さんが見付かれば、後は事務所と合川さん達の仕事ですから」
沢矢さんの澄まし顔。「その先の事はもう知らない」と決め込んでいるようだ。
興奮する多部と安堵する沢矢さん、そして若干物憂いオレ。が……謎解きをして行くかのような三人を客観的に見て、『ハリーポッター』のハリー、ロン、ハーマイオニーを重ねて吹き出してしまったりもする。
「ちょっとユースケさん大丈夫ですか?」
沢矢さんは一人で「クククッ!」と笑い続けるオレに自然な突っ込みを入れる。
脚本では、オレは無言のまま、釈然としない表情を浮かべてこのシーンは終わる、という展開だったが――
「はいカット! オッケー」
関口ディレクターは声高に告げて大目に見てくれた。だが、森本がつかつかと近寄って来る。凛とした表情からして嫌な予感――
「今の笑い、ストーリーと関係ないですよね? 何か計算があるんですか?」
森本は凛とした表情を崩さない。予感的中。
「いえ・・・・・・ありません」
「二人もそうですけど、ストーリーと関係のない言動は取らないように! もっとアジャストしてください」
「済みません・・・・・・」
三人でしゅんとして頭を下げるしかない。
「それと、カメラが回ってんだからにやついてオレを見るな!」
多部は「カッ!」と一瞬鬼の形相を見せて去って行く。そのリアクションって事は、旅行の話はしてるんだな――
三月下旬の二二時。多部、中山、沢矢が四人から聞いた話の要点をまとめ……ビーダッシュは全くの論外だが、この後の方針を決める打ち合わせをするシーンの撮影が、六本木のガールズバーを貸し切って行なわれる。
このシーンを撮影するにあたり、事前の会議での事――
「何処の店に使用の許諾を得る為に交渉するかなあ・・・・・・」
合川さんが腕組をして呟いた時、
「それなら任せてください」
鈴井さんは得々と手を挙げた。
普通は、これからどの地域の店で撮影するか、幾つかの候補を出し、その地域にある店をリサーチしてリストアップし、一軒一軒交渉して行く。
しかし、
「使用許可は直ぐに取れます。場所も六本木で良いですよ」
鈴井さんは微笑を浮かべ、惑う事なく公言する。そんな鈴井さんの様子を妙に思ったが、行きつけでオーナーとも顔馴染みなのかもしれないとも考え、特に気には留めなかった。
が、その店を知って釈然としない気持ちが一瞬で涌いた。多部も同じで、二人で顔を合わせて首を傾げずにはいられない。モダンな内装でカジュアルな雰囲気の店内には、客役のエキストラが約二十人呼ばれている。
だが、女性バーテンダーは全員、実際にこの店に勤務している人達。これも普通は、エキストラや女優をキャスティングする。制作費削減の為、にしても一般人にまでそれを押し付けはしない。
二度リハーサルをして本番となるが、開始直前に現場に居合わせている鈴井さんの方を見ると、オレ達に対応するバーテンダーを相手に、真顔で何やらアドバイスしている様子。
「おい、あれ見ろよ」
多部に声を掛けると、
「演出家でもないあの人が何をアドバイスするんだろうな」
オレと同じく不可解な様子。
このシーン、全てが妙だ――
本番が始まり、オレ達はカウンターに並んで座り、一番安いビールを注文する。
ストーリー上では、この店は多部の行きつけの店という設定。
「四人から聞いた話で何を取っ掛かりにするか・・・・・・」
「言うまでもねえじゃん、岡北さんだろ」
多部は面倒臭そうに言う。
「弁護士事務所にいるかもって聞いた時には舞い上がってましたけど、都心だけでも相当な数はありますよね」
沢矢さんは頭が冷静になった事で途方に暮れている。
「しらみ潰しに当たったにしても、刑事でもないオレ達に個人情報を教えてくれる訳ないよ」
「さてどうすっかなあ!」
多部は「それ以上は言うな」と制するような口振り。この一言で三人は口を噤み、考えあぐねる。多部はビールをお代わりし、オレは溜息を吐いてタバコに火を点けた。
そんな二人に対し、沢矢さんは何気なく携帯を見詰めていたが、やがて手に取ってネットに繋ぐ。「弁護士事務所」「セクハラ」と入力して検索すると、項目の一番最初に、セクハラ問題のエキスパートである女性弁護士事務所のサイトが出て来た。
「ここですよ!」
声を上げた沢矢さんを見ると、彼女の顔には確信が現れている。
「何か凄い発見をしたようですね」
沢矢さんは携帯をオレ達の方へ向ける。
「有楽町(千代田区)にある福岡千穂弁護士の事務所です。セクハラ問題のエキスパートとして最近メディアにも顔を出してますから、相談するとしたらここじゃないかなって」
沢矢さんは早口で言説した。
「加奈ちゃんナイス!」
多部はいつもの陽気さに戻ったが――
「もし沢矢さんの言う通りだとしても、さっきの個人情報の問題解決にはならなくね? いつ相談に来るかも分からないし、何日も事務所の前に張り込んでる訳にはいかないだろう」
渋い顔はしたが、「もう相談した後かもしれないし」とまでは言えなかった。二重に希望を潰すと自分も苦しくなるから。
「張り込みしてたらそれこそ刑事じゃね?」
多部、オレは憂慮で胸が一杯なんだけど――
「笑ってる場合か!」
「笑うしかねえだろ?」
多部は口を尖らせておどけて見せるが、目は笑っていない。
「大丈夫だと思いますよ。張り込み」
彼女ののうのうとした口振りに、
「何で!?」
オレ達は見事なユニゾンが決まる。
「実は・・・・・・」
沢矢さんは言説を始めるが、この部分は放送では、これまでとこれからのストーリーとは全く関係のない、きゃりーぱみゅぱみゅの『つけまつける』が流れる。
その為、視聴者には沢矢さんの声は聞こえない。きゃりーぱみゅぱみゅさんには、こんな形で曲を使わせて頂く事は失礼極まりないと承知しているが、オレも知らない内に決められていた、合川さんの演出? であります――
「何でそれをもっと早く言ってくんないかなあ」
多部は左手でテーブルをバンバン叩きながら、声を何オクターブか上げる。
「うっかりしておりまして。お代わりください」
にやっとする沢矢さんを見て、
「あなたも気紛れじゃん?」
オレもにやついてしまう。
「作家のペースには付いて行けねえよ・・・・・・でも今の話、早速頼むよ」
「了解です」
沢矢さんの台詞で、このシーンの大綱は撮り終えた訳だが、
「っあ! 君達、捜索の方は進んでる?」
脇で撮影を見ていた鈴井さんが、相変わらず声を弾ませてフレームインして来る。「神妙な感じで」と脚本には書いたんだけど。
「どうしたんですか? 六本木で打ち合わせですか?」
多部がアドリブで台詞を言う。ていうか、ここから先の台詞はまたしても空白。だからアドリブで進めるしかない。鈴井さんのユニークなキャラを活かせるのは、このシーンしかないと判断した。
「そう。さっきまで近くのお店で打ち合わせをしてたの。私にもビールちょうだい」
鈴井さんは多部の隣に座る。
しかしこの人、桐谷の居場所を恐らく知っていながらそれを隠し通し、あっけらかんとし続けている。何故、隠す必要があるのか? 何故、桐谷は何も言って来ないのか? もしかして、桐谷の方から口止めしているのだろうか? 鈴井さんを見ていると歯痒くて仕方なく、「っあ!」と叫びたい衝動に駆られる。
「所で加奈ちゃんって、まだ彼氏とラブラブ?」
鈴井さんは予想通り、話題をストーリーから逸脱させた。沢矢さんが彼氏ととても仲が良い事は、内輪では有名な話ではあるけれど――
「ええ、ラブラブですよ」
沢矢さんはカメラを意識し、些か困惑気味。
「偉いね。私は色んな男の人と遊びたいから、一人の男性に尽くすのは無理だな」
「一途な交際も、結構楽しいですよ」
「嫌だよそんな生活。ずっと不特定多数の男と遊んで行きたい」
鈴井さんは「肉食AP」として、業界内ではちょっとした有名人だ。でも外連味との噂もある。
「不純ですね」
多部は何食わぬ顔。
「オメーだって同じようなもんだろ、チャラ男!」
「オレは付き合いだしたら一人の女にスパッと嵌るぜ」
多部は大いに不満顔。
「クラブとか合コンで女と触れ合うのが趣味だみたいな事言ってたじゃねえかよ」
多部は「チャラ男D」として、鈴井さんよりも有名人である。こちらは外連味の噂は、ない。
「それ、私も聞いた事あります」
沢矢さんはギロッと多部を睨む。
「不特定多数の異性と遊ぶのって楽しいよね?」
「どうなんですか? 多部さん」
鈴井、沢矢から問い詰められたチャラ男Dは、
「これからも女遊びしてーー!!」
何故かバンザイのポーズ――
「何だそのカミングアウトは!?」
「お前から振って来たんじゃねえかよ!」
「そんなカミングアウトまで求めてねえよ別に。でも鈴井さん、不特定多数の男性とはデートだけなんですか?」
「人にもよる。デートしてそのままホテルに行く事もあるよ」
「自分から誘っちゃうんですか?」
沢矢さんも興味津々のようだ。
「うん。気に入った人ならバンバン誘っちゃう」
「伊達に「肉食AP」じゃないですね・・・・・・でも誰もOKしてくれなくなったらどうします?」
悪戯っぽく言うと、
「そんな事ある訳ないし、第一さ、先の事心配してたら楽しくなくない?」
きっぱりとした答え。その凛とした表情からは、恐ろしいくらいの自信が窺える。
「カッケーなあ・・・・・・」
「感心してるけどお前はどうなんだよ?」
多部にさっきのお返しとばかりに振られ、
「自分には出来ないからカッケーと思ったんだよ」
呆れた口振りで返しながら、心中で皮肉を込めた拍手をした。皮肉は自分に対してだ。人を傷付けないのであれば、遊べる人はどんどん異性、又は同性同士で遊ぶ事は別に構わないと思う。只、オレは元来、人付き合いが苦手な為、遣らないし、しようともしていない。
けど羨望はあり、そういったものは鈴井さんや多部の話を傾聴し、未知なる世界を知って行く訳である。そんな安易に知識を深めようとしている自分に、冷笑を浮かべて拍手……である。
「人を愛した事がないっていうのも本当なんですか」
沢矢さんが素朴に訊く。鈴井さんは以前、「人を愛する気持ちが分からない」とも言っていたから。
「本当だよ。だから正式な彼氏は作ってない」
「そんな人っているんですね・・・・・・」
これは沢矢さんも理解不能のようだ。
オレもベタな言い方ではあるが、人は一生の内で一、二度は他人を愛するものだと思っていた。だがそれは違っていたのか、それとも、鈴井さんが移り気な性格をごまかして強がっているだけなのか――
「でも鈴井さんは淡白だから、まだ良いですよ。中には酒飲んでへべれけになって、過去の女の事をグジグジ言う奴もいますから」
それは多部。こいつには酒に酔っては好きだった女性への想いの丈を語っては溜飲を下げる、迷惑極まりない性癖がある。
「そうそう。「オレはあいつを死ぬ程愛してた!」とか、「マジで結婚したかった!」とか言ってね」
オレと沢矢さんが悪戯っぽくにやつく横で、多部は渋い顔をして頷き、
「これからも女遊び山程するぞー!!」
天井に向かって叫びやがった。
「だから大声で言うこっちゃない!」
「お前らが振ってんじゃねえかよ!」
「じゃあ話題変えるわ。沢矢さんはうちにいる時、まだあの週間やってんの?」
言い終わった瞬間、酔いが回ってカメラがある事を忘れていたと後悔したが、
「ほぼ裸でいるって事でしょ? やってますよ」
沢矢さんもかなり酔いが回っているのだろう、あっけらかんとした口振り。
「何それ?」
今度は鈴井さんが興味津々。
「私、彼と同棲してるんですけど、彼とうちにいる時はいつでもSEX出来るように裸でいるんです」
彼女は惑う事なく見事に公言する。
「そうなんだ。それはそれで楽しそうだね」
「鈴井さん、感心してる場合じゃないですから」
話を振ったり、鈴井さんをこのシーンに登場させたオレが言うのは変だが、皆酔いが回ってストーリーから逸脱し過ぎて使えない。スタッフがカメラ慣れすると陸な事はないと後悔するのも虚しく――
「この辺で一回テープチェンジするか?」
声を弾ませる多部ディレクター。
「する必要ねえよ! 皆さんこれドラマなんですからね。座談会じゃないんだから。ここから観た人タレント一人もいなくて訳分かんねえだろう」
酒が進む皆さんに襟を正して貰いたいのだが、それも虚しく――
「彼とどんなプレーするの?」
鈴井さん……この人のキャラを見縊っていた。
「お酒飲んでカンチョーし合ったりもしますね」
!!!……。
「沢矢さん! 澄ました顔で言うこっちゃないよ」
「直にやんの」
「多部! そんな事訊いてどうすんだよ!?」
「そこまで聞いたら詳しく知りたいのが通念だろ」
「パンツ穿いてる時もありますけど、直の時もあって気分次第です」
「沢矢さん、カメラ回ってんだよ今。大丈夫か? そんな事言って」
その沢矢さんは、虚ろな目でカメラに向かってVサイン……駄目だこりゃ――
「あんまり遣り過ぎると痔になるんじゃねえの?」
素直に心配している多部に、
「そういう問題じゃなくない?」
鈴井さんが珍しくまともな突っ込みを入れる。
「もう終わろう。このシーンで尺取って誰が観たがるよ」
「ユースケさんだって、ドラマ忘れて「カメラ」とか「尺」とか言ってるじゃないですか」
へべれけの沢矢さんの言う通りだが、関口ディレクターも面白がってカットを掛けないのだから仕方がない。森本の方を見ると、脚本を丸めて持て余し、薄笑いを浮かべ「もう好きにやって」という顔をしている。
「時間は気にしなくて良いのよ。ここ私が経営するお店だから」
鈴井さんがライトに口にした一言に、オレだけではなく、多部も沢矢さんも、関口ディレクターやスタッフ連中全員が「えっ!?」という表情をして、動きを止めた。
なーるほど。だから店の使用許可が直ぐに取れて、バーテンダーは本物。酒の勢いで口を滑らせたな。唖然としながらも、関口ディレクターに向けて、人差し指と中指でハサミの真似をして合図を送る。
「カット! はいオッケーでーす!」
やっと関口ディレクターからカットが掛かり、途中から下種な座談会と化したシーンの撮影は終わった。何処まで放送するかは、多部達ディレクター次第。このシーンに入って極端に数字が下がらなければ良いのだが――
鈴井さんが出て行った事を確認し、「おい」と言いながら多部の腕を摑んだ。
「鈴井さんのあの台詞、カットするよな?」
「しなきゃしょうがねえだろ。TOKYO―MSは社員の副業禁止だからな。おい! 鈴井さんが言った事は内密にしとけよ!」
多部がぐったりした顔でディレクターやADに釘を刺すと、
「分かってるよ」「はい」と返事が返って来た。
「随分と辻褄が合って来たな」
「ああ。もうちょっとで真相が明白になる」
多部はジロッとオレの目を見ると、手で「お疲れ」という合図をして店を出て行く。
「ちゃんと「対策」しとけよ」
「分かってるって」
多部は振り返らずに答えた。
鈴井さんが社則を破って副業をしていた事が判明し、かなりの事に合点が行った。だが、それとは別の問題が引っ掛かっている。恐らく、多部も釈然としていない筈。
『桐谷智衣美失踪事件』は、三月二八日にクランクアップする予定である。その内容は――
ガールズバーで、桐谷は福岡千穂弁護士の事務所に相談に訪れるだろうと、確信を持ったまでは良かったが、ずっと張り込んでいる訳にはいかないと、多部とオレは途方に暮れていた。
そんな中で沢矢さんが発した、
「大丈夫だと思いますよ。張り込み」
という言葉。彼女が言説した内容は、沢矢さんの大学時代の男友達は、個人で探偵事務所を経営している。その探偵に弁護士事務所の前で張り込んで欲しいと依頼し、桐谷らしき女性が入って行った際には、至急、連絡をして貰おうというもの。因みに探偵役は、また森本の劇団の役者にお願いした。
そして四日後の三月二十八日。沢矢さんの携帯に、探偵から『今、桐谷らしき女性が事務所に入って行った』との連絡が入る。
沢矢さんからの連絡を受けた多部とオレは、有楽町の福岡弁護士の事務所前に駆け付け、そこで沢矢さんと落ち合い中へ駆け込む。
受付の女性に多部が、
「説明は後でしますから」
とだけ言って、オレ達は中へ進もうとする。
しかし女性が、
「ちょっと誰かー!」
と叫んだ為、オフィスから男女数人のスタッフが出て来てオレ達を制止する。
スタッフと揉み合いながらも何とか振り切り、強引にカウンセリングルームのドアを開けると、そこには桐谷らしき女性が相談をしている最中だった。
「何ですか、あなた達は!?」
困惑する女性弁護士を無視し、多部が後ろ姿の桐谷に近付いて肩を叩くと、振り返った人物は、女装した千イチロー――
「大スターに何て恰好させるのよあんた達!! シガ! シガ!! シガ!!!」
ギャグを叫ぶ千イチローに対し、
「こんなに頑張って結局この終わり方かよ!?」
多部がオレを睨み付ける。
「だってこの人くらいしかスケジュール空いてなかったんだからしょうがねえだろ!」
オレが多部に食って掛かり、
「ビミョーなオチ・・・・・・」
沢矢さんが呆気に取られる。
「私は大スター、でもスケジュールは真っ白! コマネチ!」
(ビート)たけしさんのギャグまでパクる千イチローに呆れつつ、多部がカメラに向かい、
「桐谷さん何処にいるのー! 見掛けた方は番組にご一報ください」
と懇願して、ドラマは終了。
オレ自身、このラストが愚にも付かない内容である事は重々承知しているが、桐谷の消息が杳として分かっていない以上、オレの思考力ではこのレベルのストーリーしか浮かばなかった。
岡北が言った弁護士事務所の件だけは、脚本で宛がった台詞だ。弁護士事務所は、福岡弁護士の事務所にも、一応、撮影依頼をしたが、当然の如くNG。福岡弁護士の出演も拒否され、名前を出す事だけ許諾を得るのがやっとだった。
そこで仕方なく、内装をリフォームしたばかりのビルに入る会社数社に、使用許諾を得ようと交渉し、代官山の一社から特別に、引っ越し前のオフィスを貸して貰える事になった。
よって、受付の女性、スタッフ、弁護士、全て森本の劇団役者……。予算がないと言われながら、結局、かなりの制作費が掛かってしまった。
だが、このラストシーンの撮影を前に、内容を大幅に変更せざるを得ない事態に発展してしまう。オレは、今回の脚本の手直しは、三人の作家を巻き込まずに一人で遣ろうと決心した。
ラストの変更を逸早く伝える為、三月二六日、『リスタート団』のスタッフルームの合川プロデューサーの元を尋ねた。
「おう。どうしたんだよ?」
突然、神妙な顔で現れたオレに対し、合川さんは不審がる。
「ちょっと明後日の撮影の事で、お話があります」
「何だよ改まって。どうした?」
合川さんは今の所失笑している。天井を見上げ、大きく深呼吸する。
「唐突なんですけど、明後日の撮影は中止にして、四月六日の番組収録の合間に行なわせて欲しいんです」
「はっ!? 中止? 何でだよ?」
合川さんの声が何オクターブか上がり、更に不審がる表情に変化した。
「やっぱり最後は、レギュラー全員が揃っていた方が面白いと思うんです。実は・・・・・・」
今の自分の頭の中にあるラストの内容を言説すると、
「もう金は払ってあるんだぞ。本当に面白くなんのか?」
合川さんは不審の表情を崩さない。当然だ。合川さんが言う金、撮影に使うオフィスの賃貸料は既に支払われており、撮影を中止するという事は、制作費をどぶに捨てるも同然。
「こんな意想外なラストはありません。絶対に話題を集めます」
自信を持って確言する……しかない。
「・・・・・・もう気持ちは変わらないんだな?」
「はい」
合川さんの目を凝視して答えると、
「分かった。責任はオレが持つから、面白いラストにしてくれ」
根負けして笑みを見せた。その笑みには、諦めと期待が交錯しているのだろう。
スタッフルームを後にし、次に渋谷区内にある森本の劇団事務所へ向かう。大幅に内容を変更するという事は、脚本の監修と演出で携わって貰っている森本にも伝えなければならない。
合川さんからは、
「申し出を呑む代わりに、今回はお前から説明しろ」
と言われ、強引なお願いをしたのだからその通りだと、納得はしたものの……峻烈な森本は何と返事をするのか。考えただけで身が竦み、電車で渋谷に移動中の段階で心臓は大きくバウンドしていた。
ミーティングルームに通されて森本を前にし、再び大きく深呼吸……した後は、明後日二十八日の撮影は中止となり、四月六日の番組収録の合間に行なう事に決まった。それに伴い、ラストの脚本をもう一度書き直すと、努めて淡々と申し上げる。
それを聞いた森本は途端に顔を険しくさせ、
「またなの? 執筆中ならともかく、クランクインして節操もなくころころストーリーを変えるドラマが面白いと思ってるの!?」
語気強くまくし立てる。予想通り――
「あなたも作家だったら信念を持って仕事しなさいよ!」
森本の息巻きは止まらない。尤もな心理だ。
前回もクランクイン後に桐谷が失踪したという内容に変更した際、森本は渋々了解してくれている。不快に思いつつも演出を手掛け、そのままクランクアップするのかと思いきや、また内容を変更したいと申し出る。
オレ達も桐谷から右往左往させられたが、その観点で観れば、一番の被害者は森本かもしれない。
仕方がない、腹を決めた。
「桐谷さんは消息を絶ったっていう設定で進めてますけど、実は本当に消息が分からなくなったんです」
合川さんと鈴井さんは、森本には伏せていたであろう事。
「・・・・・・そんな状況下で撮影を続けてたの!?」
森本は怪訝満面。打ち明けた事が火に油を注いだか?
「僕らも非常識である事は百も承知してました」
「そうよ! 何かあってからじゃ遅いんだよ。そんなの放送したらシャレになんないじゃない!」
「ご尤もです・・・・・・ですけど・・・・・・」
合川さんの時と同じように、ラストの内容を言説した。
「それで大丈夫なの?」
森本はやっと冷静さを取り戻す。
「ドキュメントタッチのドラマにするっていう原点に返ろうと思います」
少し語気を強めて言うと、
「じゃあ私はもう何も言わない。ラストは観るだけにする」
淡々とした口振り。
その目は「遣りたいように遣ってみなさい」と言うような、優しい姉貴に見えた。
その日の夜。事務所でストーリーのプロットを執筆していると、デスクに置いていた携帯がバイブした。見ると鈴井さんからの電話。
『ラストを変えるってどういう事!?』
鈴井さんはのっけから息巻いている。
「もっと意想外で面白い内容を思い付いたんです」
『オフィスの賃貸料は払ってあるの知ってるでしょ!? お金を無駄にして!』
制作費を管理する事は、APの仕事の一つ。ではあるが――
「合川さんと森本さんからはもう了解を得てるんで。合川さんは責任はオレが持つって言ってました」
『そんな・・・・・・』
鈴井さんは意気消沈。自分よりも上のプロデューサーが了解したと聞いて、呆然としている顔が目に浮かぶ。
だが、オレにとっては鈴井さんも「上司」。結果、僕は「上司」を柳に風と受け流してしまった訳でございます――
鈴井さんとの電話の後、まだ何も知らない沢矢さんにラストが変更になった事と、詳しい事情を伝える為、明日にでも少し会えないかとメールした。
約二時間後、
『明日はテレビ局で打ち合わせが入ってるんですけど、その後でも良かったら』
と返信が来る。
オレも丁度、明日同じ局で別の番組の会議が入っている為、その後に会う約束をした。
翌日の十八時半。某キー局本社十八階にあるカフェテリアにて、沢矢さんには、合川さんと森本より詳しくラストの内容と、これまでのいきさつを伝えた。
「マジなんですか今の話!?」
沢矢さんも初めは驚愕していたが、
「皆(出演者)どういう顔するか楽しみですね」
最後は余裕の笑み。流石は豪放磊落な性質の人。唯々、脱帽する。
四月になり、書き上げた脚本を合川さんと森本、多部と沢矢さんのパソコンのメールに添付して送った。
森本からは「もう何も言わない」と任せられた為、今回は加筆、修正を頼んでいない。
そして三日後の四月六日の金曜日。TOKYO―MS本社のBスタでは、今日も千イチローの傍若無人なアシスタントにより、一本目の収録が始まった。
約二時間後に一本分が撮り終わり、休憩を挟んで二本目をスタートさせる為、
「本番行きまーす! 本番十秒前ー・・・・・・八、七ー六、五秒前ー・・・・・・」
AD三浦が声高にカウントしていたその時――
「ちょっと待ってください!!」
桐谷智衣美がスタジオに乱入して収録を妨げ、その後ろに多部とオレ、沢矢さんが続く。桐谷登場と同時に、スタジオの天井から「おー!」と男性のの太い声が響いた。
その声に出演者全員が失笑し、
「桐谷さんの前に、今上(サブ。副調整室)から合川さんの声がしたよ。あんなとこから普通聞こえる?」
大村は呆れ顔でサブの方を指差す。
出演者の顔は尚も笑ってはいるが、桐谷が乱入して来た事への驚愕も交じり、誰からも言葉は出ない。
何故、サブにいる人の声がスタジオに響いたのか、合川さんが座る席の前には、何台ものモニターと共にマイクが取り付けられている。フロアにいるスタッフに指示を出す場合、通常はインカムによって各々に伝えられるが、全体に指示を出す場合は、取り付けられたマイクを使い、天井にあるスピーカーから伝えられる。スピーカーから声を届けるには、スイッチを押し続けていなければならず、本番中にスイッチを押す事は、基本的にはない。
という事は、さっきの「おー!」は合川さんによるアドリブの演出。にしては、展開の腰を折る演出な事……。サブにいる森本から叱責を受けていなければ良いのだが――
「智衣美ちゃんが入って来たって事は、これもドラマ?」
力久が長い沈黙を破った。
「でも脚本と違くないですか?」
佐藤が不思議そうに大村を見る。
「オレも貰ったホンの内容と違うから驚いてる」
大村は苦笑して桐谷を見た。その目は「早く説明して」と訴えている。
「千さん、最後の美味しい所を奪ってごめんなさい。でも私、あなたが遣った事を許せなかったから」
桐谷の勝ち気な笑みに、千イチローはたじろぐ。
改めていうが、このラストの脚本を持っているのはサブにいる合川さんと森本、桐谷と多部、そしてオレと沢矢さんの六人だけ。弁護士事務所で桐谷を真似て女装する予定だった千イチローには、『ラストの撮影は後日に延期になりました』としか伝えていない。
「千さん何遣ったの?」
神妙な野呂の言葉に、
「私、この人から威されてたんだよ!」
桐谷は声高に暴く。
「何とち狂った事言ってるんだよ。証拠はあるのか?」
千は抗弁するものの、口振りと表情からは狼狽が見て取れる。
「あれだけの事をして証拠を残さないとでも思ってるんですか?」
桐谷はゆっくりとした口調で、勝ち気な笑みを崩さない。
「そういう事です。お願いします!」
多部がサブに向かって叫ぶと、
『番組を降板するか、芸能界から消えるか、どちらを選択するかはあなたの自由だ』
千イチローが桐谷の携帯に残したメッセージが、フロアに響く。
「何これー!?」
「言い逃れ出来ないじゃないですか」
佐藤、多田や他の出演者は目を丸くするが、
「マツキ芸能(千イチローの所属事務所)は大手ですけど、千さんにタレントを潰す力なんかないでしょう」
南出の言葉には出演者やスタッフから笑いが起こる。
「こんな威しを二週間も受け続けたの。許せないでしょ?」
桐谷は笑み消し、憎しみの表情となった。
「あなたを脅迫罪で訴えます!」
語気強く発せられた言葉に対し、千イチローは呆然と天井を見上げて押し黙ったまま。
「千さん、桐谷さんを番組から降ろしたかった理由は何なんですか?」
オレも語気が強くなってしまう。何となく推察は出来るが、無言の千を見ているとじれったく、それに、番組として成り立たない。
「ドラマじゃなくて、現実にアシスタントの座が欲しくなったからだよ……」
千イチローは呆然としたまま、弱々しい口振りで動機を明かした。
「アシスタントを任せられる事になる設定のホンを読んでいる内に、売れっ子としてメインでレギュラーを持っていた頃が懐かしくなった。嘗ての栄光を取り戻したい衝動に駆られたんだ」
やーっぱそんな事だったか。でも、一つ引っ掛かる事が――
「でもアシスタントの座が欲しいって画策しても、千さんの意思だけじゃ無理ですよね」
多部はゆっくりと、念を押すような口振りで訊く。
「千さん、確か以前、僕に「本当のスターは二面三面と違う顔を持っているんだよね」って、ぽつりと言った事がありましたよね? 嘗ての栄光を取り戻したかったのとは別に、僕に言った言葉も関連してるんじゃないですか?」
「そんな事も言ったかねえ・・・・・・」
千イチローは虚ろな目を左右下と動かしている。
「人気に火が点いて強火のまま保ち続けているタレントは、一面だけじゃなくて二面三面と別の顔を持ってるものだ。そこに本人達が会得した技術が肉付けされて行く。「一発屋」と呼ばれるようになって久しい私は、二面三面と顔を持つ事が出来なかった。その私が再びスタジオのセンターに立つ事によって、今人気を集めている若手芸人に対して、「先を見越して二面三面と顔を身に付け、暇があれば知識を得て技術を肉付けして行って欲しい」と、メッセージを送る狙いがあったんだ」
千イチローは切ない笑みを浮かべた。現在はすっかりイジられキャラとなった千だが、人気絶頂だった一九八○年代には週に五本のレギュラーがあり、その内、三本が冠番組だった。
しかし、九○年代に差し掛かると人気に陰りが見え始め、番組は次々と終了。やがてレギュラーさえゼロとなり、以降はゲスト出演やドラマのバイプレーヤーとして出演する仕事が主となる。『リスタート団』のレギュラーも、本来<マツキ芸能>からは別のタレントをキャスティングする予定だったが、スケジュールが合わず、ならばと、<マツキ芸能>の社長から半ば押し付けられたのだ。
「人を蹴落として行くような世界ではありますけど、人に危害を加えて得られた仕事や人気は、どうせ俄かに終わりますよ」
多田は厳しい口振りだが、表情は切ない。
「確かに・・・・・・私が八○年代に得ていた人気は、一種の夢だったのかもなあ・・・・・・」
こう結論付けた千イチローは、自分自身を納得させるかのように、軽く何回も頷く。
「千さんの動機は分かりましたけど、今回の一件、鈴井さんも関係してるんじゃないですか? タレントをキャスティングさせるのもAPの仕事ですから」
れっきとした誘導尋問。アシスタントの座を狙って千イチロー一人で動いたというのは考え難い。千は口を真一文字に結んで、チラッとサブの方を見た。言おうかどうかと躊躇っているようだが、鼻から息を吐きながら二、三回頷くと、
「鈴井さんにお願いした」
決然とした口振りで明かす。
「何とかアシスタントの座を手に入れる策はないかって思案に暮れていた、一月中旬だったかなあ、この局の廊下を歩いて曲がり角に差し掛かった時、鈴井さんが曲がった先の廊下の壁に寄り掛かって電話をしていたんだ」
「ガールズバーの事じゃないですか?」
多部も皆まで聞かなくても分かっている事。
「そんな内容だった。前日の売上を尋ねたり、バーテンダー達に指示を出していたから。これは使えるって思い立って収録後、鈴井さんに私をアシスタントに据えて欲しいとお願いしたんだ。でも当然拒否されたから、さっき鈴井さんの電話を立ち聞きした事を打ち明けた。この局は社員の副業は禁止の筈。この事が社内の人にバレたら不味いんじゃないですか? ってね。そしたら鈴井さんは、自分が社則を破っている事を黙止して貰う代わりに、私が自ら智衣美ちゃんが番組を降りるように仕向けて、それが奏功すればアシスタントに据えるって交換条件を出したんだ」
「はー・・・・・・当初予定していた合川さんが千さんに言う台詞をなぞったんだ」
思わず鼻で嗤ってしまう。
「鈴井さんが映ってる・・・・・・」
力久が呟くように言う。
左に置かれたモニターに目をやると、念の為にサブに設置していた隠しカメラが、鈴井さんの横顔を映し出していた。その顔は、唖然、驚愕。今にも立ち上がりそうだが、隣の合川さんが鈴井さんの肩を押さえている。
「TOKYO―MSって、副業禁止だったんだ」
桐谷はモニターを見詰め、何かに納得した口振り。
「知らなかったの?」
「今初めて聞いた。どうりで・・・・・・」
桐谷の中で辻褄が合ったようで、微笑を浮かべた。
再びモニターを見ると、そこに鈴井さんの姿はない。という事は――
「ちょっと千さん!」
血相を変えた鈴井さんが、ヒールで鉄階段を『カンカンカンッ!』と鳴らせながら降りて来た。
「いきなり何とち狂った事言ってるんですか!?」
「もうよしましょうよ。彼らはある程度、看破してましたよ」
いきり立つ鈴井さんに対し、千イチローは気持ちが吹っ切れた様子で淡々としている。
「鈴井さんが出した条件に了解して、桐谷さんを威した訳ですね」
多部の問い掛けに、千イチローは無言で頷く。
「多部君まで何なの!?」
「千さん! 続けてください」
多部は鈴井さんの顔を一切見ようとしない。
「鈴井さんと約束した私は、早速二週間後の収録後に智衣美ちゃんの楽屋を訪ねて、私にアシスタントの座を譲って貰えないかって打診したんだ。でも智衣美ちゃんは冗談だと思って取り合わなかった。それで「うちの事務所の力を使えば、あなたを消す事など簡単だ」と言って、威しを掛けた」
桐谷が所属する<オフィスリトライ>は中規模な事務所であり、それに対し、千イチローが所属する<マツキ芸能>は強豪事務所だ。
「それだけじゃ緩いと思ったから、マネージャーの塚本さんから携帯の番号とアドレスを手に入れて、さっき流れた威しを電話やメールで掛け続けた。そして二月上旬に智衣美ちゃんは消息を絶って、私の目論みは奏功した」
「塚本さんもぐるだったのか」
多部の言葉に1カメが塚本さんに向けられた。
「別にぐるだったんじゃありません! 僕も千さんから事務所の名前を出されて威されたんです。それでつい・・・・・・」
塚本さんは、一見すると申し訳なさそうな表情と口振り。
「何かヤバくないですか?」
佐藤は唯々目を丸くしている。
「これ放送出来んの?」
野呂は微苦笑を浮かべて言いながらも、戸惑った表情には「出来ないだろ」という気持ちが浮かび上がっている。
「まさかこんな陰険なストーリーとは思わなかったね」
大村は笑うしかないようだ。
千イチローのマネージャーの青木さんに目をやると、スタジオの隅で血相を変えて電話中。相手は<マツキ芸能>の上層部の人で間違いないだろう。
「桐谷さん、鈴井さんのガールズバーで働いてたんでしょ? どういういきさつで働く事になったの?」
多部が桐谷に向けた表情には、「もう全部言っちゃえよ」とGOサインが示されている。
「千さんの度重なる威しに心労を抱えるようになって、多部さんに相談しようかとも思ったんだけど、日々忙しくしている姿を見て余計な心配を掛けたくないって思ったから、塚本さんに何とかして欲しいって訴えたの。それがドラマがクランクインする前日だった。そしたら塚本さんが、休養と気分転換を兼ねて鈴井さんが経営するガールズバーで働いてみてはどうかって勧めて来たの。渋々ではあったんだけど、せっかくのお話だから承諾して、二日後から勤務する事になった」
「鈴井さんからは何か言われた?」
薄々分かってはいるが、念の為に。
「ドラマのスートーリーは、私が収録をボイコットするから、私が消息を絶ったに変更になったって聞いた。だから出演者や他のスタッフ、芸能界の誰とも連絡を取らないようにって釘を刺されたの。ツイッターでツイートされたら直ぐにバレるとは思ったんだけどね」
ここまでの桐谷は淡々とした口振り。それに対し――
「フフフッ・・・・・・智衣美ちゃん何言ってるの? 私、ガールズバーなんか経営してないよ」
鈴井さんは今にも高笑いしそうな勢い。何を今更――
「鈴井さん、今になって白を切るってあり得なくないですか?」
多部は呆れて苦笑した。
「酔っ払って覚えてないんでしょうけど、先月の撮影の時、「ここ私が経営するお店だから」って、はっきり言ってましたよ」
オレも吹き出しそうになる感情をグッと抑えた。役回りとシーンの雰囲気を考えると、泰然としておいた方が良いと思ったから。
「ユースケ君までどうしちゃったの? 私がそんな事を言ってるシーンなんかないよ」
鈴井さんは尚も余裕の笑み。
「どうしてシーンって分かるんですか? カメラが回ってたなんて一言も言ってませんよ」
沢矢さんが鈴井さんに鋭い目を向けると、鈴井さんは「あっ!」と声に出しそうな半口を開け、顔からは笑みが消えた。何とも分かり易い反応な事――
「そこまで分かってるんなら、鈴井さんこれ観ちゃって! お願いします!!」
多部は人を追い込んでいる内に興奮したのだろう、チャラ目に再びサブに向かって叫ぶ。
数秒後、モニターには先月下旬に撮影されたVが流れ始めた。
「もう終わろう。このシーンで尺取って誰が観たがるよ」
「ユースケさんだって、ドラマ忘れて「カメラ」とか「尺」とか言ってるじゃないですか」
「時間は気にしなくて良いのよ。ここ私が経営するお店だから」
『ここ私が経営するお店だから』
「ここまで(映像が)残ってるんならアウトっしょ?」
「オレらタレントがいない所で楽しそうにやってんな」
力久は唯々失笑。多田は皮肉を込めて失笑。
「酔いが醒めた鈴井さんは絶対あの部分を消すと思ったんで、その前にダミングしといたんです」
余裕の笑みは多部の方へ移る。あの日、去り際の多部に言った「ちゃんと対策しとけよ」の真意は、「消される前にダミングしとけよ」だったのである。
「そこまで対策取られてたんじゃ仕方ないね」
鈴井さんの表情と口振りは、あっさり開き直った感じ。これも、ある意味豪放磊落ってか。
「塚本さんから智衣美ちゃんが千さんから威しを受けて困ってるって相談されたの。私は何で千さんが智衣美ちゃんを威すのか内情を知っているから、智衣美ちゃんが音を上げる事も、それを塚本さんが私に報告して来る事も予測していた。塚本さん、私の遊び相手の一人だから」
「そういう事だったのか」
「不特定多数の男性と遊びたい」は、案外、外連味ではなかったようだ。
スタジオにいる全員の目が塚本さんの方へ向く。塚本さんは覚悟を決めたような、強張った表情。鈴井さんも真相を明かし始めた状況では、もう逃げられないと自分を追い込んでいるのだろう。
「智衣美ちゃんを自分の店で働かせたのは、多少メディアに露出しているバーテンダーがいれば客足が伸びるって思ったからよ。でもSNSで話題になり過ぎると、副業が会社にバレる可能性が高まるから、一時的な客寄せの道具に使うっていう打算的な判断だったけどね。誰とも連絡を取るなって言ったのも、単に社則を破っている事を社内に漏らさない為だから」
「ツイートされ始めたから桐谷さんを直ぐに辞めさせたんですね?」
多部の言葉には怒気が込められている。
「そうよ。ツイッターに智衣美ちゃんの情報が載り始めたのを察知したから、今度は「地元に帰ってゆっくりして来たらどう?」って口実を言って、速やかに退店させたのよ。ガールズバーで働いた事は口止めしてね」
「だからオレ達が行った時にはいなかった訳だな」
「行ったんだ?」
桐谷の口振り、「あんた達もよく遣るね」と感心しているような、呆れているような。
「二月の下旬にフォロワーに対して、ここ数週間の間に桐谷さんを目撃した人はいないかって問い掛けたんだよ。そしたら一人のフォロワーから、六本木のガールズバーで桐谷さんによく似たバーテンダーを見たってツイートがあった。そのフォロワーから店名を訊いて、ユースケのホンの執筆が片付いた三月上旬に二人で行ってみたんだ。一足違いだったけど」
「今までの話を聞くと、塚本さんが公言してた「事務所は様子見」の話は嘘ですね?」
再び1カメが塚本さんに向けられる。塚本さんは赤く光ったタリー(カメラが回っている事を知らせるランプ)を見詰めて大きく深呼吸した。
「鈴井さんがさっき言ったように、僕は不特定多数の遊び友達の一人です。その縁で、バーテンダーを探していた鈴井さんの経営に協力する形で、うちに所属する売れていない女性タレントをバーテンダーとして送っていました。桐谷をガールズバーで働かせてみたらと鈴井さんから提案されて受諾した後、事務所には、桐谷は心労の為に休養中だが、何も心配いらないとだけ報告しました」
塚本さんは宙を見詰めて下唇を噛んでいる。悔恨の気持ちが涌いて来るのは当然。
「結局マネージャーもぐるって、誰を信用すりゃ良いんだよ・・・・・・」
大村の呟きは嘆きでしかない。
「でも鈴井さん、何で会社の規則を破ってまで副業をする必要があったんですか」
力久の素朴な疑問。そこはオレ達はノーマークだった。
「不特定多数の異性と遊ぶのって、結構お金が掛かるのよ」
鈴井さんの開き直った口振りは、ここまで来ると清々しささえ感じる。
「番組制作費が削減されてるって事は、私達スタッフの給料だってカットされてるのよ。そんな安月給じゃブランド物のファッションやアクセサリーだって買えないし、エステにも通えない。だから・・・・・・」
副業を始めた。
「そんなにAPの給料って安いんですか? もっと儲かるって思ってた」
佐藤にとっては大いに意想外だったようだが、
「今の時代、テレビ局だって例外なく厳しいよ」
野呂は少し鈴井さんに同情している様子。
「鈴井さんいつもオシャレだから。でも規則を破ったら、本業も失う事になり兼ねなくないですか?」
野呂の仰る通り。
人生に遊び心は大切である。だが、守るべきものは守った上で羽目を外すめり張りがなければ、それは遊び心ではなく、単なる堕落……と思うのだが、
「本業がクビになったら、副業を本業にしちゃえば良いのよ」
この人は飽く迄、勝ち気に我が道を行くご様子。
「鈴井さんらしい考えですね」
桐谷はきっぱりとした口振りで言うと、鈴井さんと目を合わせた。
二人は目を合わせたまま、一言も発しない。沈黙が流れる内、鈴井さんは開き直った態度からは打って変わり、目線を下にして切ない微笑を浮かべる。改めて桐谷の目を見ている内に自分を顧みて、良心が咎められたのかもしれない。
「・・・・・・智衣美ちゃんを苦しめた元凶って、私だね。私が千さんを唆したりしなければ、威される事はなかったんだから。許しては貰えないだろうけど、ごめんなさい」
鈴井さんは頭を下げた。
「急に態度が変わって・・・・・・」
多部の口振りには、「今頃になって何だよ!」と、言外に皮肉が込められている。
とはいえ、鈴井さんの神妙な態度は、演技ではないと信じたいものだけど――
「鈴井さんには怨みはありません。おかげで地元に帰ってゆっくり考える事が出来ましたから」
そうは言いながらも、桐谷の表情には戸惑いが感じられる。急な謝罪でもあるし、直ぐに許す事は出来ないだろう。
「私を苦しめた元凶は千イチロー! あんただよ!!」
桐谷が千イチローを指差して怒声を上げた事を合図に、
「お願いします!!」
多部がスタジオ入口に向かって叫ぶ。
すると、男性警官二人が駆け込んで来て、
「千イチロー、午前一時三五分、脅迫罪で逮捕する!」
警官Aが告げると、警官Bが千イチローに手錠を掛けて連行して行く。
この急な事態に呆然としているのは千だけではなく、他の出演者や鈴井さん、塚本さんと、千のマネージャーの青木さんも同じ事。
「ちょっと待ってくれ! こんな事あるのか!?」
動揺している千イチローがやっと言葉を発しても、警官は足を止めない。
「おい、最後に言わせてくれ!」
千イチローが警官二人に腕を摑まれた状態のまま、入口手前で立ち止まった。
「私、逮捕されてもいいかな?」
「いいとも! って、最後の言葉それ!?」
「ここアルタじゃないんっすよ!」
力久の鋭い突っ込み。それに『笑っていいとも!』は疾うに終わったし――
多田と力久が苦笑すれば、
「オヤジ暫く捕まってろ!」
「さようならー」
南出が呆れ顔で叫び、佐藤は無邪気に敬礼する。
千イチローがスタジオから連れ出させた瞬間から、全体に「この後どうするの?」と、戸惑う雰囲気が漂う。
「はいオッケーでーす!」
三浦の甲高い声が響くも誰もが黙し、その場を動こうとしない。
だが、『桐谷智衣美失踪事件』はこれにて終了。
「ドラマ撮影はこれでクランクアップです。皆さんありがとうございました!」
多部が告げると、
「お礼を言われるような事はしてないけど、こんな内容で良いの?」
大村は失笑し、
「全部フィクションなんでしょ?」
力久が恐る恐る尋ねた。
「全部本当の事だよ、ノンフィクション。千さんが私を威して、その後私が消息を絶った事もね」
桐谷は全てが終わった事もあり、物騒な事をにこにこして言う。
「私が社則を破った事も、全部ノンフィクション」
鈴井さんは諦めたように、穏やかな笑みを浮かべた。
やっと緊張が解けて来た出演者達は、
「この番組の方向性分かんない」
力久も、
「本当、何処目指してんのこの番組?」
多田も、
「すげえ番組のMC引き受けちゃったなあ・・・・・・」
大村だって、皆、苦笑……するしかないだろう。
脚本中にオレが割り当てた台詞は、桐谷の「ちょっと待ってください!!」と、多部がサブに向かって「お願いします!」と叫ぶ箇所、そして桐谷が「私を苦しめた元凶は――」と千イチローを指差し、多部が「お願いします!」と叫んで警官を呼ぶ台詞の四つだけ。後はプロットがあるだけで全てアドリブ。「私を苦しめた――」の台詞には、「元凶」という言葉は入れていなかったが、鈴井さんの言葉を受けて桐谷が付け加えたのだ。
こんなラストを撮るにしても、多部ディレクターとオレは苦労したのでございます――
オレ達がガールズバーでの撮影を行なった、翌日の夜。多部から電話が入り、桐谷のマンションに呼ばれた。場所が場所だけに、どういった事態かは何となく予測が出来る。
オレの顔を見て、安心した様子の多部に迎えられ中に入ると、案の定、一目見て息巻いていると分かる桐谷がソファに座っていた。
「やっぱおたくらそんな関係だったんだな?」
今更だがにやついて言うと、
「とっくに気付いてたろ? それより協力してくれ」
多部は冗談に付き合っている余裕はない様子。
「一からちゃんと説明してください」
「また話すの?・・・・・・」
桐谷は渋い顔になるが、斯く斯く然々説明して貰わないと察しもつきやしない。
二人の話によると――
鈴井さんから帰郷を勧められ、桐谷も一度そうしようと思い、岡山市の実家に帰る事にした。千イチローからの威しは二月上旬を境になくなったが、一応、電話とメールは受信拒否にしたという。
帰郷するにあたり、鈴井さんからはガールズバーで働いた事は口止めされたが、出演者やスタッフに連絡するなとまでは言われなかったらしい。心配しているでだろう多部だけにも連絡しようかと悩んだが、東京の喧噪を一旦忘れる為、結局誰にも連絡しなかった。
三月から久しぶりの実家で過ごし、高校時代の友達に逢ったりして、時間と仕事を忘れてゆっくりしていた。が……月曜日の二三時二十分になると、自然と『表参道リスタート団』の事が気になってしまう。
それで、東京の一般人の友達に『リスタート団』を録画して貰い、DVDを送って欲しいと頼んだ。傍若無人過ぎる千イチローのアシスタントぶりを観ている内、威されていた事を思い出した桐谷の中で、千に対する怒り、憎しみが涌いて来る。
それと、
『今の状態は、私は逃げてるだけ。このままあの人を許しては置けない!』。千イチローがとった言動は脅迫であり、立派な犯罪。千を脅迫罪で訴えようと決心し、東京に戻る事にした。
そして三月下旬。桐谷は多部に連絡を入れる。
多部は駆け込むように桐谷のマンションに赴き、
「一体何があったんだよ!?」「どうして今まで連絡しなかったんだ!?」。溜まっていたフラストレーションを吐き出すかの如く、急き立てて行く。
取り乱した状態の多部に対し、桐谷は落ち着いた口調で、千イチローから威しを受けていた事、それが原因で心労が重なり、一旦何もかもリセットさせる為に、休養も兼ねて帰郷していた事を告白する。
話を聞いている内に落ち着きを取り戻した多部は、
「地元に帰る前に、鈴井さんが経営するガールズバーでバーテンダーをしてたんじゃないか」
確信を持って訊く。
それに対し桐谷は、そこまで看破されていれば、もう鈴井さんの申し付けを守る必要はない。
「その通りよ」
戸惑うことなく認めた。
「私は千さんを許す事は出来ない。あの人を脅迫罪で訴えるって決めたの。だから弁護士に相談してる」
それを聞いた多部は再び慌て、
「ちょっとそれは・・・・・・訴えを起こすのは待ってくれ!」
必死に説得を始める。
当初はドラマの企画続行に反対していた多部だが、撮影も進んでいる今となっては、番狂わせで本当に「お蔵入り」となっては元も子もない。ディレクターの血が「お蔵」になる事を阻止しようとしていた。
「どうして待たなきゃいけないの!?」
今度は桐谷が問い詰める形勢逆転の状況となる中、多部は息巻く桐谷を一人で説得するのは困難だと判断し、オレに哀願して来たという訳である――
「いやはや何と申し上げたら良いのか・・・・・・」
桐谷は苦虫を噛み潰したような表情。再度一から話をさせられ、千イチローに対する怒り、憎しみが熾烈さを増したのだろう。
多部が自分の口をオレの右耳に近付け、
「頼むよ。何とか説得してくれ」
と小声で言う。
桐谷の顔をチラッと見た後、天井を見上げて思案に暮れる事、約二分。
「分かった。ドラマの中で千さんの悪事を暴けるように、ホンを書き直す。だから裁判沙汰にする事は止めて欲しい」
「私の話を聞いてた!? 弁護士にも相談してるんだよ」
桐谷は語気強く、怒りが収まらない。その態度を受け、再び天井を見上げて思案に暮れる事、約四分。
「裁判を起こすって言うけどさ、そもそもドラマを遣りたかったのは桐谷さんじゃなかったっけ? 去年の五月に焼肉店で自分が言ってた事を思い出してみてよ。映画やドラマに出演したい目標に少しでも近付きたい。そう言ったよね?」
オレも少し語気を強めると、
「・・・・・・ユースケ君、記憶力良いんだね」
桐谷の表情が若干、柔らかくなった。
「せっかくの企画を自分で「お蔵」にしちゃ勿体ないよ。「これもネタにしてやるんだ」っていうぐらいの遊び心がないと」
桐谷は沈黙した。ずっと出演したかったドラマ。それがやっと現実となったが、千イチローに対する怒りは消えない。思案に暮れ、自分と葛藤しているのだろう。
「ラストのシーンで全てを暴けば、ドラマの中心は桐谷さんだよ。視聴者を魅了する事にもなるし、そうなるようにホンも手直しする。それでも駄目かな?」
桐谷は尚も沈黙。
『カチ、カチ、カチッ・・・・・・』。時計が時を刻む音だけが響く事、十分は経っただろうか――
「ネタにするんだったら、その代わり魅力的に書いてよね」
桐谷は冗談でムッとした顔を作り、念を押す。
多部と目が合い、二人で安堵の表情となる。
「かしこまいりました」
笑顔で承諾したが、精神的にはぐったりである。
これにより、ほぼ台詞のない、大まかなプロットだけの脚本が完成した。重点は出演者のアドリブに任せるという、一か八かでカメラを回した事である。
しかし、これより前代未聞だったのは――
クランクアップしたのでいうけれど、多部亮ディレクターは、ホン読みの時から台詞を覚えようとする意志がゼロ。仕方なくカンペを用意させ、チラ見しながら演技をしていた。ドラマでカンペが用意されるなど、余程の事がない限りあり得ない。これには森本も、
「遣る気はあるの!?」
と憤慨したが、毎回用意されているカンペを見て、呆れ返って何も言わなくなった。
「いやー、びっくりしちゃったよお」
千イチローが何食わぬ顔をしてスタジオに戻って来た。
さっきの警官二人は当然、役者。森本の劇団に所属する役者で、本来は探偵役、弁護士事務所のスタッフ役で出演予定だった。
千イチローは平静にしようとしているが、桐谷を威していた事が発覚し、カメラも回っていない状況では、笑顔で迎える者などいない。誰一人、口を開く事はなく、スタジオに流れる重苦しい雰囲気を、流石の千も読み取ったらしい。神妙な面持ちでMC席に置かれている椅子に座る。
悪い空気とはいえ、収録は後三本分残っている。出演者は気持ちがすっきりしないまま、収録は再開。呼ばれたゲストも全体のぎこちなさを読み取っていて、申し訳がない。
恐らく千イチローにとっては、今日の収録が最後になるだろう。多分、事務所からは謹慎処分が下るだろうから。本人もそれは感付いているらしく、傍若無人だった一本目とは打って変わり、終始、落ち着いてアシスタントに徹していた。
多部とオレ、沢矢さんは収録を途中で抜け、桐谷の楽屋へ向かう。
「鈴井さんと塚本さんがぐるだって、初めから分かってたの?」
桐谷は塚本さんがぐるだった事を、まだ信じられないようだ。
「いいや。疑ってはいたけど、あそこまで密着してたとは思わなかったよな?」
多部のしかめっ面。彼女を弄ばれた怒りが見て取れる。
「全部アドリブで自然に炙り出された事だよ」
「塚本さん、自分から(事務所を)辞めちゃうかも。根は真面目な人だから」
桐谷は塚本さんの事を相当信頼していたのだろう。裏切られた怒りよりも、ショックで同情している。
「それより、次回の収録から復帰になるから」
多部は話題を変えて破顔した。
「分かった」
桐谷も喜色満面。
「随分早く決まったな?」
「合川さんはああ見えて決断早いからな。鈴井さんは停職処分くらいにはなるだろうし、合川さんがAPも兼務するんだってよ」
「ふーん。演出兼プロデューサー兼アシスタントプロデューサー・・・・・・忙しい人だな」
「今ふと思ったんですけど、桐谷さんがいない間、視聴者から問合せはなかったんですか」
沢矢さんの素朴な疑問。オレも今まで気付かなかった事を、
「ホームページ観てないの? 「病気療養中」ってなってたよ。私健康なのに」
桐谷は苦笑して答えつつ、目は「頼むよお二人さん」と軽蔑している。
「ホームページまでチェックする暇なかったし、オレ達が書いた文言じゃないから」
「病気療養としか言い様なくね? 「失踪中です」とは言えないだろう?」
多部が執り成すと桐谷は、
「まあそうよね」
と納得した。
「あー、これで私もリスタート出来る」
桐谷は両手を上に伸ばす。心には歓喜と安堵が広がっているのだろう。
「タイトル通りだね。千さんと鈴井さんには罰が下るだろうけど、結果的にはそれも二人にとってはリスタートにつながる」
「リスタートって、別に前向きな気持ちからだけじゃなくて、憎しみや切なさから始まる人もいますからね」
沢矢さんは自分を顧みているような口振り。
「始まりの気持ちがどうであれ、本人の心が改善されればそれがリスタートだよ。人生は何度でもリスタート出来るようになってるんだろうね」
「そう思った方が救いだよな」
多部の口調は軽いが、目からは「リスタートは何度だって出来る」と信念を持っている事が伝わる。
「それはそうとユースケ君、今度は私を主役にしたドラマを作ってよね」
桐谷は目力強く任務を下す。
「覚えてたか・・・・・・お言葉だけど、そんな簡単には出来ないよ」
「でも「作るから」って言ったよね?」
数ヶ月前の記憶が蘇る――
『私よりも千さんの方が目立ってるじゃない』
『今度は桐谷さんが主役のドラマ作るからさ』
「確かに・・・・・・」
言った――
途方に暮れるオレとは裏腹に、
「よし、また作るか!」
多部はオレの右肩に手を置き、遣る気満々。
「あんたと?」
「何か不満か?」
「いや、別に・・・・・・」
オレのリスタートは遠し――
「でも、これがTOKYO―MS二十周年記念として放送されるのかと思うとね?」
勿体振った沢矢さんの言葉を受けて、全員が失笑するしかない。
『ブーン、ブーン・・・・・・』
携帯がバイブし始め、反射的に全員が自分の携帯を確認する。
「ちょっと済みません」
バイブしていたのは沢矢さんの携帯で、彼女は楽屋から出て行く。その背中を目で追っていると、これまた反射的に、悪戯心に火が点いた。
「おい多部、桐谷さんが戻って来たんだから、暫くクラブ通いや合コンは中止だよな?」
「急に何だよ? 別に行ってねえし」
多部は不機嫌を装っているが、目は泳ぐ泳ぐ。分かり易いやっちゃなあ――
「聞いたぞお前。他の特番でも忙しいこの時期に、クラブで三、四人の女の子とDJブースの前で乗りに乗ってたらしいじゃねえか」
「ちょっと何なのそれ? もう行ってないって言ってたじゃん!」
桐谷は膨れっ面になって、多部の右腕を摑んだ。途端に多部はよろけたから、相当な力――
それを見て「良いぞ良いぞ」と、心中でもにやついてしまう。
「まだあるんだよ桐谷さん。今回のドラマのシーンで「これからも女遊びしてーー!!」って叫んでる箇所があるから」
「ちょっと!!」
多部を睨む桐谷の目が、更に険しくなる。
「お前さあ、余計な事言うなよ!」
「どうせあそこを全切り(カット)にはしないんだろ?」
「ねえ、どういう事なのか説明してよ!」
「違うんだよ。今は智衣美だけだって」
「嘘クセー」
「嘘じゃねえっつうんだよ!」
「じゃあ、もう智衣美だけしか見ないか?」
「ああ、智衣美だけしか見ないよ」
多部は頷いて噛み締めるように言う。
「智衣美だけを守る?」
「智衣美だけを守る」
「桐谷さん、よく聞いときな」
「うん・・・・・・フフフッ」
桐谷は珍問答を見ている内に怒りを忘れ、面白がっている。
「智衣美だけを愛す?」
「智衣美だけを愛す・・・・・・なーんてね!」
「おい!」
桐谷は多部の背中を『バーン!』と叩いた。やっぱりよろける多部。突っ込みではなくガチだ――
「笑いを入れるな! 笑いを」
「お前が振ってんじゃねえかよ!」
「何か面白そうですね?」
沢矢さんが電話を終えて入って来た。
「オレはこの二人に遊ばれたんだよ。ったく、オレ収録戻るわ」
多部は不快そうに言うが、顔は満足げ。イジられる事を美味しいと思う所が、バラエティ出演者とスタッフの性。ここにカメラがあれば、もう言う事はなし――
桐谷の楽屋を後にし、タレントクローク(楽屋が並ぶフロア)の廊下を進む。
隣には、
「この人も今TOKYO―MSの中にいるんだ」
目をキラキラさせる現役キャバ嬢のチハル。彼女とは、キャバクラではない所で一悶着あった末に交際する事になり、未だに腐れ縁が続いている。
チハルが何故テレビ局にいるのかというと、現役キャバ嬢二十人をスタジオに呼んでトークをする別番組の収録があり、その番組の作家から、
「誰か仲の良いキャバ嬢いない?」
と尋ねられた為、「知人」として彼女を紹介したのだ。
チハルはその番組の収録が終われば、そのまま帰宅する予定だったが、
「オレももう直ぐ終わるからさ、局内の食堂で何か食おうぜ」
こう誘って足留めした。
「じゃあ私、(『リスタート団』の)収録を観てても良い?」
チハルはスタジオ見学で時間を潰すと言う。
そのCスタに向かっている途中、
「あれオクリズじゃない?」
チハルが耳打ちした。
前から男性お笑いコンビのオクシデンタルリズムが歩いて来る。
彼らはデビュー二年目で『♪ ズンチ! ズンズンチ!』と、口でリズムを取りながら、身近な事や世間の事に対して毒突いて行く「毒舌ラップ」で注目を集め、二人共、端整なルックスである事も手伝い大ブレーク。三年目にして冠番組を持っている超売れっ子だ。
オレも彼らの特番の構成を担当したりと、何度か仕事をした事がある。
「おはようございます」
オレから挨拶すると、
「おはようございます、ユースケさん」
「おはようございます!」
大政と飯田は、いつものようににこやかで快活に返す。
「ほぼ毎日こんな時間でしょう? ご苦労様です」
「いや、ありがたい事ですから」
大政は照れ臭そうに笑う。
「確かにありがたいけど、休み取れないよね?」
「休みはないですけど、最近になってやっと仕事を楽しめるようになったんです。だから一日一回、二回はテレビに出たいですね」
飯田は抱負を語りながらチハルをチラ見した。
「ああ、友達」
人前で「彼女」と紹介するのは照れ臭い。
「握手して貰っても良いですか?」
チハルが右手を差し出すと、二人は「良いですよ」と、快く応じる。
「そうだ。『オクオビ』の作家さんが一人、急に辞める事になっちゃったんですよ」
大政がふと思い出し、
「多部さんがユースケさんを誘ってみようって言ってました」
飯田が付け加える。
「えっ!? こんな時期に? ずっと多部と一緒だったけど、何も言わなかったぜ」
『オクオビ』は某キー局にて月曜から木曜日の二四時台に放送されている、オクリズの冠(番組)であり、多部がディレクターとして携わっている。
「多部さんは、ユースケさんは急にオファーした方が仕事を躍起になって遣るって言ってました。だからオレ達も口止めされてたんです」
大政は悪戯っぽく笑う。
「だから黙っていやがったか・・・・・・っち、あいつ・・・・・・」
普通、仕事のオファーは緊急事態でもない限り、四月、十月からの放送に間に合うように、最低でも三ヶ月前にはされて来る。だが、多部はオレの引っ込み思案な性格を知り抜いている為、そのルールを度外視して抜け駆けした。又もや――
「もし決まったら、来月から宜しくお願いします」
「是非、力をお貸しください」
大政と飯田の笑顔を見る限り、制作サイドでは、オレは承諾するものだと決まっている様子。けれど――
「まあ決まったらね。こちらこそ宜しく」
二人に当たっても仕方がない。オレも笑顔で頭を下げた。
「また多部さんにやられちゃったね?」
チハルの楽しそうな顔。憎たらしい――
「うるせっ! まだ受けるって決めてねえよ」
強気に言ったものの事実である。
「今月からはまた新たな新番も何本かあるからな」
「でもさ、人気商売にとって、仕事が入る事はありがたいよ」
「そりゃそうだけどさっ」
分かってはいても――
「オレもリスタートしてー!」
「何でバンザイのポーズなの?」
チハルに嗤われても、自分でも何故なのか説明がつかない……ので候。
了