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月、満ちる時

「んー! 明日香の部屋来るの久しぶりだなあ」

「久しぶりって言ったってまだ半年くらいでしょ」

 確かに、と悠くんは笑う。そんなに嬉しそうにするなら、招いた甲斐があるのかもしれない。

「しばらく泊まっていっていいかな? ……ん?」

 ベッドに置かれた二人分の枕を見て、悠くんは不思議に感じたようだ。

「……誰か、泊まりに来てたのか」

「ああ、幼なじみの女の子。男じゃないよ」

 よかった、と悠くんが安堵の息を漏らす。

「でも一緒のベッドで寝るって仲良しなんだな」

「えっ……と、うん。まあ、幼なじみだし?」

 答えになっているかわからないのでこれ以上追求してほしくなかった。

「そういえば明日香に幼なじみがいたなんて知らなかったな。どんな子?」

「んー……顔が良くて、背が高くて、足が長い」

「外見ばっかだな……性格とかは?」

 わたしのことが好きすぎるとか、結構不安定だったりとか、あれでいて料理ができないとか、かわいいところはいっぱいある。けど、どれを選んだら彼女だとバレずに……。

 あれ、そういえばわたし、詩織の彼女だったんだよね……? 今は、なんなんだろう。ちゃんと別れを告げずに、今わたしは元彼と縁を戻そうとしている。結局わたしは詩織の下から離れられていないのでは……?

「明日香? ぼーっとして大丈夫?」

「あ、うん。なんでもないの。夕飯、何がいい?」

 詩織が知ったら、ずるいって言うのかな。だから、詩織にはまだ連絡できないな。ちゃんと区切りのいいところで連絡しなきゃ。いつか話さなきゃ。でもそうしたら、詩織との関係は壊れてしまうんだろうか。何を今さら怖がっているんだわたしは。

「……カレーとか?」

「子どもかよっ。いいよ、作ったげる」

 捨てられるくらいなら自分から消える。それが最善の選択でしょ?




「やっぱ誰かと囲む飯は美味いな〜」

「お粗末さまでした」

 カレーの汚れはスポンジまで浸食するからあまり好きじゃない。鍋も何回か洗わないと落ちないし。

「……なあ、明日香。実はさ……俺も仕事辞めたんだ」

 驚いて皿を落としそうになったが、既の所で踏みとどまる。皿は滑っていたが、うまく指に引っかかってくれた。

「いま転職活動中。いいところが見つかったら、また一緒にやり直そう」

「……ねえ、悠くん。どうして今になって、やり直そうなんて言ってきたの?」

 率直な疑問をぶつけてみる。転職活動中なら、尚更終わってからでも良かったんじゃないだろうか。

 悠くんは顎をさすりながら、照れるように答えた。

「明日香と別れたのも、仕事でいっぱいいっぱいになっちゃったからだったんだけど、明日香を失ってさ、気づいた。俺は何のために働いているんだろうって。この先ずっと一人で、金だけ稼いで生きていくのが俺の人生なのかって思ったら虚しくなった。だから明日香みたいに側にいてくれる人が必要だと思ったんだ」

「…………」

 自分勝手、じゃないだろうか。きっとこの人は、側にいてくれるなら誰でもいいんだ。わたしが手頃だったから、わたしに声をかけた。それだけなんだ。わたしが必要だけど、それは、わたし以外の誰かでも代用が利く。それでも、必要とされているなら、いいのかな。

 詩織は。詩織なら、こんな時、なんて言うだろう。

「えっと……明日香? さっきからぼーっとしてるけど大丈夫? 長旅の疲れがまだ残ってる感じ?」

「……うん、そうかも。今日は早めに寝るね」

「わかった。じゃあ、ん」

 悠くんの顔がゆっくりと近づいてくる。ああ、おやすみのキスか。

 触れた唇は、味がしなかった。

 皿洗い、手伝ってくれないんだな。




「海に行こう、明日香」

 悠くんが家に泊まりにきてからちょうど一週間。転職活動から帰ってきた悠くんは嬉しそうだった。

「なに急に。内定もらえたの?」

「まだ。でもいい感じだった! だからお祝いも兼ねて」

「気が早いよ……それにこの時期のこの時間帯の海って寒いじゃん」

 九月の、しかも陽はもうほとんど沈みかけていて、空は夜の顔を見せ始めていた。

「まあまあ、車から出なくてもいいし。行こうぜ」

 早速スーツを脱ぎ始めた悠くんをこれ以上止めるのも野暮だなと思った。ま、あったかい格好していけば大丈夫かな。

 悠くんが車を出してくれた。ドライブミュージックをかけながらノリノリで運転している彼を横目に、わたしは別のことを考えていた。

 悠くんはこう言った。わたしみたいに側にいてくれる人が必要だと思った、って。それは多分、わたしじゃなくてもいいんだろう。じゃあ詩織は? 詩織はずっと、わたしを追いかけてきたと言っていた。わたしと同じ学校に入ったし、同じところに就職するつもりだって。結局わたしが会社を辞めたからそれは叶わなくなってしまったけど、わたしに好きだと言って、それをずっと抱え続けて、返事をしなかったわたしのことを追いかけてここまでやってきた。でも、詩織と悠くんに違いなんてあるんだろうか。どちらも自分勝手で、わたしの気持ちを考えないで。勝手に離れたり近づいてきたり。

 ああ、そうか、わたし。

 寂しかったんだ、きっと。

「おっ、見ろよ明日香。今日満月だぜ」

「月……」

 海が見えてくる。水面にキラキラと月の光が反射していた。


 ——ほら、月だって捕まえられる。月は今、わたしの手の中。詩織、言ったでしょ? 月を捕まえられたら、二人の愛は永遠だって。


「……ごめん、悠くん。戻ってくれる?」

「え?」

「それからわたし、やっぱり悠くんとは付き合えない」

 息を大きく吸ってはっきりと言葉にする。宙に浮いてしまわないように、はっきりと悠くんに届くように。

「戻るってまだ来たばっかじゃん。それに——」

「好きな人が、いるの」

「……そっか。やっと話してくれたな」

 悠くんは大きくハンドルを回して、来た道を戻っていく。

「てっきり明日香は、誰のことも好きにならないと思ってた。付き合ってた頃もだけど、ここ数日、特にぼーっとすることが多くて。まるで死んだ恋人に思いを馳せるような顔してた。……そっか、俺はそいつにずっと負けてたんだな……」

「悠くん……」

「いいよ、どこで降ろせばいい?」

「……家の近くの歩道橋。大通りのとこ」

「わかった」

 悠くんがアクセルを踏む。

 そうだ、やっとわかった。わたしは詩織に求められたから詩織の側にいるんじゃない。

 詩織が好きだから、わたしが詩織を必要としているから、側にいるんだ。


『ごめん詩織。お願い、話をさせて。あの歩道橋で待ってるね』

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