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シュレーディンガーの悪役令嬢~婚約破棄されて箱の中に入れられて毒ガスを注入されたら毒を操る能力をゲットしましたわ!~

「ソフィア、お前との婚約を破棄させてもらう!」


 公爵家の跡取りレグルスはこう言い放った。


「なぜ……!?」


「自分の胸に手を当ててみろ!」


 当ててみるソフィア。

 自分のしてきたことといえば、侯爵家の娘であることをいいことに、権力を振りかざし、贅沢三昧をし、召使いたちをこき使い、庶民たちを鼻で笑う……。しかもレグルスと婚約したら、それを笠に着て一段と酷いことになった。

 この程度のことである。婚約破棄される原因など、なんら心当たりがなかった。


「なんら心当たりがありませんわ」


 思ったことを素直に口にする。


「……分かった、もういい」


 だが、とレグルスが睨む。ハンサムな彼は睨んだ顔もまた凛々しい。


「このままお前と別れたところで、猛獣を野放しにするようなものだ。お前自身が変わらなきゃ意味がない」


わたくしに変わらなければならない点があるとは思いませんけど……」


「今からお前に罰を与える!」


「罰?」


 きょとんとするソフィア。自分に罰を与えられる筋合いなどないと本気で思ってるからだ。


「シュレーディンガーの猫って知ってるか?」


「シュレ……? なんですの、それ?」


「王国史にも名を残すいにしえの大賢者シュレーディンガー氏がやった思考実験のことで……うろ覚えなんだが、まず猫を箱に入れて毒ガスを注入する」


「まあ酷い」


「だが、箱を開けてみるまで猫が生きてるか死んでるかは分からない、というお話だ」


 うろ覚えな上にだいぶ間違ってるが、ここに訂正できる者はいない。


「それがどうかして?」


「今からお前にも同じことをやる!」


 レグルスはソフィアを捕まえると、用意してあった巨大な箱に入れた。すぐに蓋を閉じる。


「何をするの!」


「毒ガスを注入してやる。死なないようにはしてやるが、せいぜい反省しろ!」


「おやめになって!」


 問答無用。レグルスは箱に空いている穴から、毒ガスを注入した。

 注入して5分ほど待つ。

 そろそろいいだろう、とレグルスは蓋を開けた。


 これでだいぶ懲りたはず……そう思ったのだが。


「オ~ッホッホッホッホッホ!!!」


「!?」


 ソフィアはピンピンしていた。

 扇を口に当て高笑いしている。ご自慢の金髪縦ロールも、先ほどより輝いているようだ。


「な、なぜ……!?」


「どうやら私、毒に耐性があったようですわね」


「なんだとぉ……!?」


 全く予期していなかった事態に、後ずさるレグルス。


「しかも……新しい扉まで開かれました」


「新しい扉……?」


「毒ガスを受けたことで、私……毒を操れるようになったようですわ!」


 掌に紫色の液体をにじませる。


「は……!?」


「どうやらあなたは私に罰を与えるどころか、パワーアップさせてしまったようですわね! オ~ッホッホッホッホ!」


 この悪女がそんな能力を身につけたら一体どうなってしまうのか。

 レグルスの内に眠る貴族としての誇り高き血が、彼に呼びかける。


 ――この怪物はここで仕留めねばまずい!


 すかさず剣を抜き、レグルスは斬りかかる。


「御免ッ!」


 ソフィアを退治したら自分も死のう……そのぐらいの覚悟だった。のだが……


「無駄ですわね」


 ソフィアが発した毒の霧に触れると、たちまち刃が腐食してしまった。


「なにい……!?」


 狼狽するレグルス。彼が注入した毒ガスに腐食効果などない。彼女は体内で独自の毒を生成できるようになっている。


「私の勝ちですわね」


「かくなる上は……」


 レグルスは自分の首を切ろうとするが、ソフィアがすかさず止めた。この男は自分が高みに上がるために必要な存在だからだ。


「あなたに私は倒せない。かといって私はあなたに死んで欲しくもない。なんたって公爵家の御曹司ですもの。それに、あなたがいなくなったら私、何をするか分からなくてよ?」


 今の彼女ならば要人暗殺や大規模殺戮も容易いだろう。こんな怪物を野放しにはできない。せめてもの安全装置として生きなければならない。


「何が……望みだ」


「簡単なことですわ。さっきの婚約破棄を……破棄して下さいませ」


 選択の余地などなかった。


「分かった……! 婚約破棄を……破棄する!」


 レグルスを屈服させたことに気をよくして、ソフィアがにんまりと笑う。

 睨みつけるレグルス。


「この……毒婦がァ……!」


「毒婦? 褒め言葉ですわ。オ~ッホッホッホッホ……」



***



 こうしてソフィアとレグルスは結婚し、豪奢な屋敷で暮らすことになった。

 毒を操れるようになったソフィアは毎日のようにレグルスに嫌がらせをする。


「さて……寝るか」


 ベッドに横たわったとたん、

 グシャンッ!

 ベッドが崩れる。


「あの女……ベッドの足を一本腐らせていやがった……」




 食事を終えたレグルス。


「食器、お下げしますね」


「ああ、ありがとう」


 とメイドに言った瞬間、腹が痛くなる。

 グギュルルルルルルル……!


「どうされました、旦那様!?」


「なんでもない……!」


 食事に多少下痢になる程度の毒を盛られたのだろう。レグルスは急いでトイレに駆け込んだ。




 レグルスが風呂に入ろうとする。


 浴槽の湯は真っ黒になっていた。


「なんじゃこりゃああああ……!?」


 慌てて召使いたちが駆けつけると、湯は透明になっていた。

 ソフィアは毒を遠隔操作し、湯を真っ黒にしてレグルスを驚かせると、すぐに毒を解除したのだろう。

 毒の操作精度・射程範囲がおぞましいことになっている。




 レグルスは恐怖した。

 彼女は今にとんでもないことをやらかす。国王暗殺、建造物を倒壊させる、川の上流から猛毒を流す、土壌を汚染し死の大地を作る……思うがままだ。


 だが、ソフィアはレグルスへの嫌がらせ以外に毒は使わなかった。

 召使いたちが被害にあった様子はない。


 夫婦の会話はあまりないが、それでもたまに話すと、


「私の能力、何かうまい使い方はないかしら」


 などとつぶやく。


 ソフィアが何を考えているのか……夫であるレグルスにも全く分からなかった。



***



 ある日、ソフィアは町を歩いていた。

 特に理由はない。散歩がしたかったからだ。

 以前の彼女なら町ゆく庶民たちを見てあざけりの顔を浮かべていただろうが、不思議とそんな気持ちにはならなかった。


 悲鳴がした。ついで得意げな笑い声。


「へっへっへ、いただきーっ!」


 髭を生やした男が走っている。ひったくりだ。女の子からバッグを奪ったようだ。


「どけどけーっ!」


「まあ、野蛮なこと」


 ひったくり男は自分めがけ走ってくるが、プライドの高いソフィアがどくわけがない。

 それどころか、自分の目の前で罪を犯す下賤な民に苛立ち、ソフィアは“力”を使った。


「少しばかり動けなくしてあげますわ」


 ソフィアは指から出した毒を、ひったくり男の体内に送り込んだ。


「ぐはぁっ!?」


 たちまちのたうち回るひったくり男。死にはしないが、小一時間は苦しむだろう。犯人を冷酷な目で見下しながら、ソフィアは優雅にバッグを回収した。


「はい、どうぞ」


「全財産が入っていたんです。ありがとうございました……!」


 10代半ばの少女が、潤んだ瞳でソフィアに感謝の言葉を述べた。

 ソフィアの中で何かが弾けた。

 なんという達成感。なんという満足感。なんという幸福感。


 ソフィアは気づいた。

 私がやりたかったのは、レグルスへの嫌がらせなどではない。ましてや暗殺などの悪事などではない。


 これだったんだわ……!



***



 真夜中、一人の若い女がナイフを持った目つきのイカれた男に追い詰められる。


「や、やめて……! なによあんた!」


「俺は“切り裂きジョニー”……といってもこれから呼ばれる予定だがな。お前が一人目の犠牲者だァ!!!」


「きゃああああああっ!」


 その時、闇夜を切り裂く黒い影が降り立つ。


 女を助けたのは、紫色のドレスに身を包み、仮面舞踏会の仮面マスクをつけた女だった。


「悪の毒素を辿ってきてみれば……悪人を見つけましたわ」


「誰だてめえ!?」


「悪に名乗る名前などありませんけど、答えて差し上げますわ」


 ポーズを決める紫ドレス仮面女。


「私の名は……ポイズンレディ! ……ですわ」


「なんだそりゃ……」


 ジョニーへの攻撃はすでに終わっていた。喉を押さえて苦しみだす。


「うぐぐ……息が……!」


「朝日が昇るまで失神してなさい。もっとも起きたら牢屋の中でしょうけど」


 あえなくジョニーは気絶した。緊縛され、「危ない男なので一生閉じ込めておいて」と書かれた紙を貼られる。

 助けられた女はお礼を述べる。


「ポイズンレディさん、ありがとう!」


「お礼など無用ですわ。さ、家にお帰りなさい」


 ポイズンレディは闇夜に消えた。



***



 深夜、30人ほどの強盗団が、ある商人の屋敷に忍び込もうとする。

 頭領が全員に命令する。


「よーし、みんな寝静まってる。一気になだれ込むぞ!」


「へい!」


「もし家の中の奴らが起きてきたらどうします?」


っちまえ!」


「女だったら?」


「そりゃあもちろん……っちまえ!」


 下卑た笑いを浮かべる強盗集団。


 そこへ降り立ったのは――ポイズンレディ。


「強盗なんて許しませんわよ」


「な、なんだこいつは!?」


「この私ポイズンレディが、あなた方に地獄の苦しみを味わわせましょう」


「ふざけるなよ……! なにがポイズンレディだ!」


 強盗団が襲い掛かるが、ポイズンレディの前にはあまりにも無力だった。

 30人全員が毒霧を浴びせられ、予告通り地獄の苦しみを味わうことになる。


「うぐぐ……うげえっ!」


「ぐおおおっ……!」


「た、助けて……」


 頭痛、腹痛、吐き気、めまい、神経痛、幻覚、幻聴、気だるさがまとめて襲い掛かる。

 もはやどうしようもない。苦しんでるところを逮捕され、捕まった後もいくらかの後遺症は残るだろう。ポイズンレディは悪に容赦しないのだ。


「オ~ッホッホッホ、それではごきげんよう!」



***



 ある木造建ての小屋で、恐るべき研究が完成を迎えていた。


 白衣を着た男が、歯並びのよくない歯をむき出して笑う。


「キ~ッヒッヒッヒ! ついに完成したぞ! この猛毒さえあれば、一滴で一つの町を全滅させることも容易い!」


 フラスコに入った液体は男の夢の結晶。“人類絶滅”という夢の。


「じゃあさっそく飲ませて下さる?」


 いきなり現れた女が、フラスコの中身を全部飲んでしまった。夢の結晶は泡となって……というか胃の中に消えた。


「私の毒探知能力に引っかかるだけあってなかなかの毒でしたわね。ごちそうさま」


「えええええ!?」


 飲んだのはもちろんポイズンレディ。人類を絶滅させる猛毒も、彼女にとってはおやつだった。


「私の……夢が……。人類絶滅が……」膝をつく白衣男。


「人類絶滅、たしかにすごい夢ですけど、もっとすごい夢もありますわよ」


「どんな……夢だ?」


「人類の……救世主になるのですわ!」


「救世主……!」


「これほどの毒を作れるあなたなら、薬も作れるはず。その腕で救世主になってみなさいな。あなたならなれるわ。このポイズンレディが保証します!」


「……!」


 長年蔑まれ、孤独だった男には、ポイズンレディが聖母に見えた。


「やります……! 人類を救います……!」


「約束ですわよ」


 後にこの男、数々の不治の病の特効薬を作ることになるのだが、それはまた別の話。



***



 昼下がり、屋敷のリビングでソフィアとレグルスは二人きりになっていた。

 今ではレグルスに対する嫌がらせもすっかり収まっていた。ベタベタするわけではないが、夫婦仲は意外に悪くないといった状態。


「なあソフィア」


「なにかしら?」


「最近お前、俺に嫌がらせしなくなったよな」


「私ももうそこまで子供じゃないのよ」


 そっけない会話に見えるが、二人の間に漂う空気は穏やかだった。


「ところでお前知ってるか? ポイズンレディって女」


「ポ、ポイズンレディ!? さ、さあ……」


 露骨に動揺するソフィア。


「最近しょっちゅうニュースになってるぞ。主に夜中に活躍して、毒で悪をやっつける……女ヒーローだ」


「ふ、ふうん……私、あまり新聞とか見ませんから……」


 目を合わせようとしない。


「かっこいいよな」


「え」


「ポイズンレディみたいに、自分の力を正しく使う人間って俺、素晴らしいと思うんだ。俺も貴族として見習わなきゃな」


 ソフィアの顔がほのかに赤く染まる。


「もし、ポイズンレディに恋人がいるとしたら、そいつは最高に幸せ者だと思うんだ。まあ、俺にはソフィアがいるけど。色々あったけど、俺はお前と一緒になれて幸せだよ」


「そ、そ、そうね! 私もよ! 私もあなたと一緒でそれなりに幸せ!」


 こみ上げる笑みをこらえきれない様子。


「あ、そうだ! 私、お紅茶でも入れてくるわね! とっておきの葉を出すわ!」


 ソフィアはキッチンに向かって歩いていった。

 レグルスは微笑む。


「あいつ……まだ自分のことがバレてないと思ってるんだな。可愛いな」


 そして、かつての文句なしの悪女だった頃の彼女と比較する。


「あいつがここまで変わったのも、古の大賢者シュレーディンガー氏のおかげなのかもな……」


 大賢者シュレーディンガーがこれを聞いて何を思うのか、それは確かめようがない。






~おわり~

読んで下さりありがとうございました。

なお、作中の大賢者シュレーディンガーは実在の物理学者シュレーディンガー氏とは無関係です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いや心当たりないんかい! 身につけた特殊能力、こわーい! ( >Д<;)
[一言] 大賢者シュレーディンガーがこれを聞いたら。 あまりの理不尽さにふくろうのように首をかしげすぎてしまってグキっといいそう(触手的感想)
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