第66話 タイフーン・ハンター
7月20日、現地時刻11時。マリアナ諸島から東へ2000㎞ほどの海域、水深50m程度の海中にて。
世間を騒がす台風に対処すべく、まずは情報収集が必要である。特に、衛星では中々正確に視認できない目の中に、何かがあるのではないかということで、アストライアーが調査に駆り出されている。
コックピット内の真希と香織は、折を見て浮上するための待機中だ。
深く暗い青色の海の中は、異様なほどに静かで、時の流れを忘れそうになる。
一方、あの台風の脅威にさらされる国々は、慌ただしい毎日を送っていた。堅牢な建造物への避難準備、沿岸部に住む国民の退避、公共交通機関を含めた避難誘導オペレーションの策定等。
最悪に備えた準備は整いつつあるものの、そういう事態を招くわけにはいかない。静かで、少し冷えを感じさせるコックピットの中、真希は拳を握った。
ただ、今回の作戦は調査メインとはいえ、尋常の調査活動ではない。そもそも、海中待機という今の段階から、相当の無理がある。海中では通信手段が著しく制限され、台風の強風域の巨大さから、安定した中継点を用意することもままならない。
そのため、今のアストライアーは、外界からは完全に切り離されている。
中々に長い待機時間中、香織の提案で、ステラ含む3人は潜水艦モノの映画を視聴していた。ステラに動画のデータを覚えてもらったものだ。
これで数時間潰した後、香織は真希に話を持ち掛けた。
「そろそろだし、復習しておきましょう」
「了解」
今回の作戦において、一番重要になるのは、台風の中からの離脱だ。暴風圏に入って無事に済むという保証はない。
ただ、この台風は強風域の直径が1000㎞を優に超える超大型だ。中心部からの転移は、今のこの3人の限界を超えている。逃げた先で疲弊しているところ、強風にあおられる状況は可能な限り避けたい。
ならば、台風の上に……というのも無理がある話だ。台風の上端高度は15㎞ほど。転移でこれ以上の高さにまで移動することはできるが、後が続かない。
なぜなら、救星軍共通装備である飛行ユニットに、使用高度制限があるからだ。飛ぶことを専門とする航空機でさえ、高度15㎞を飛べるものはめったにない。戦闘機の高度上限近い高さである。
そこで、浮上する前に、台風の目の中をある程度探るという方針が定まった。事前に、安全そうなポイントを見繕っておく。浮上後に何かあれば、目の中で安全そうな領域へと転移。そこからまた海中へと戻り、台風の進行方向とは逆に動いて暴風圏、できれば強風域からも脱する。
つまるところ、今回の命綱は、台風の中で行われる空間転移だ。それを、香織が担当することになる。真希は操縦担当ということで、分業する形だ。
事前の予測から、そろそろ上空に台風の目がやってくる。頃合いになったところで、香織は動き出した。
まず、コックピット内に持ち込んだノートPCを操り、ステラとデータリンクさせる。これにより、真希が見るコックピットモニターの邪魔をすることなく、香織が転移系統の映像を見ることができるという寸法だ。
転移における"目"の操作が、実質的には地図アプリの操作と変わりないというのも幸いした。PCの操作で目を操ることで、真希の機体操作と混線することなく、同時に二人が別々の機能を操ることができる。
逆に言えば、この体制が整ったからこそ、今回の作戦に踏み切ることができたというわけでもある。
深呼吸の後、香織は自身の端末から、転移の目を起動させた。移動を伴わなければ、目は水中に作ることもできる。前方10mほどの空間に出たそれを、まずは海上までワープさせていく。
まずは海中から出た目だが、送ってくる映像は、とてもではないが視聴に耐えないものだ。現地時刻とは裏腹の真っ暗な中、雨音らしき大音響のノイズが響き渡る。
地図ソフト上には、事前に用意した進路予測も記載されている。もう数キロ進めば、おそらくは転移の目が台風の目の中に入るはずだ。
「それにしても……」
「何?」
「台風でも転移でも、″目″って言ってて、紛らわしいなって」
困ったように苦笑いして香織が言うと、「そうだね」と真希は朗らかに応じた。
それから、香織は地図上でカーソルをさらに先へと動かしていった。
すると、画面上には言葉を失うような光景が映し出される。思わず言葉を失った香織は、少しして自己を取り戻してからステラに話しかけた。
「これ、コックピットモニターにも表示できませんか?」
『わかりました。浮上するまで共有しましょう』
「そうだね。海の中は、特に変わり無さそうだし」
真希が言葉を返すと、コックピット内の様子が一変した。台風の目に侵入した視界が映し出すのは、白い孤状の壁に囲まれた晴れ間だ。空と海の青の間で、個体的な実体感すら与えてくるほどの、濃密な白い雲の壁が動いている。
超巨大台風の目の中は、推定では直径20㎞ほど。その端の方に侵入した視界からも、目が十分な大きさを持っていることが察せた。
ひとまずの逃げ場探しに苦労するような、異様な兆候は見受けられない。
そこで、転移の目をガイドにしつつ、アストライアーを動かし、相対距離を詰めていくこととなった。転移の目が安定したポイントを確保、その直下まで機体が到着したら浮上という流れである。
やがて、ちょうど良さそうな浮上ポイントに差し掛かると、真希は「行くよ」と言って、機体を海面へと向かわせた。モニターに映し出される青が、少しずつ深みのある暗いものから、明るいものへと遷移していく。
そして、機体が完全に水を離れた。遠隔で送られたのと相違ない、荘厳さすらある光景が、モニター全体に広がる。
とりあえず、目に見えるような異常はない。ここから目の中心へと移動し、何らかの異常を見つけ出せれば……というところ。
まずは、台風の進行方向とは逆に動くことで、中心部への接近を図ることになったが、早速異常が現れた。正確に言えば、それに気づいたというべきか。ステラがその異常について指摘した。
『台風の目に入りましたが、妙な気流があります。注意してください』
「うん、操縦しててもわかるよ」
暴風圏に比べれば、遥かに落ち着いて見える目の中だが、機体の表面が感知する風の動きは、波打つように複雑なものだ。
この目の中もまた、尋常ではないこの台風の力が働いている――その直感が、コックピット内の空気を張り詰めさせた。
それからも、真希は静かに慎重に機体を操り、目の中央へと向かわせていく。目に見える脅威や異常は特にない。
とはいえ、何か見つからないようでは、この台風は異常な自然現象ということになってしまう。手の施しようがないよりは、何かわかりやすい異常が見つかってほしいところだが……
彼女らの願いが通じたのか、目の中心に近づくと、高度1㎞ほどに不思議な反応があった。何かがそこにいる。台風全体と完全に同期するスピードで移動している。
それはさながら、目という空隙を隔てても、この台風全体を制御する軸のように思われる。あるいは……
「もしかして、あれも核かな?」
『その可能性はあります』
この台風が、何らかのAIMが引き起こした現象であれば、近づきつつあるそれは核なのかもしれない。マクロフォージとはまた違う形で、地球を脅かそうとする敵の核が、そこにあるのかもしれない。
やがて、それが視界に入った。エメラルドグリーンに輝く、直径10m近くある半透明の球体が、宙に浮かんでいる。
「間違いないんじゃない?」と問う真希に、香織とステラが続く。
「みたいね」
『はい。この台風の核かと思われます』
台風という巨大な殻に包まれた核が、目の前でむき出しになっている。
これをどうにかすれば……そう思った真希だが、どことなく違和感があり、彼女は思わず身構えた。これまで見てきた核と比べると、異様に大きい。それに――
(核の中に核が見える……?)




