第63話 新技②
空間転移という前代未聞の事象を前に、二人が気分を落ち着けて準備が整ったところで、ステラがモニター上にイメージ図を表示しつつ説明を始めていく。
『最初に、極小の空間の歪みを生成。これが転移の際の"目"になります。後は、この目自体を転移で飛ばしていき、機体を飛ばす箇所を定めます。転移先が定まれば、機体周辺と転移先で同期した空間の歪みを生成、2点をつなぎ、瞬間的に移動するという仕組みです』
「わかったよーな、そーでもないよーな……先生は?」
「私は、なんとなくわかったけど……」
『とりあえず最初の手順から行きましょう』
すると、モニター上には、直径1mほどの空間の歪みが現れた。空間を見えない手でねじり上げたような歪みだ。正常な空間との境目が渦巻き、渦の中には周囲から切り離された、別の光景が映し出されている。
と言っても、試験場が試験場だけに、他と変わりない海と空が映るばかりだが……歪みの内外に映るものに、空間の連続性がないのは明白だ。
真希の目には、それがレンズのように見えた。光を歪めて遠くを見つめているような、そんな感覚がある。
だが、客観的な立場からの視点は違う。研究開発部門は、観測映像をコックピット内へと送ってきた。その映像では、アストライアーの前方10m程の空中に、空間を捻じ曲げたような輪が存在している。
これが、ステラが言うところの目だ。10m離れたところからの視点が、コックピットモニター上に映し出されている。
「この視点自体、どんどんワープで飛ばせるんだっけ?」
『一応、制約はあります』
転移に当たっての注意点を、ステラは話し始めた。
重要なのは距離と、転移先の状態の2点だ。距離が遠くなればなるほど、パイロットに掛かる負担は増していく。その“相場”がどの程度のものなのか、まずは実際に試してみなければわからないという。
また、転移元の周囲や転移先に何か物があると、それを押しのけて空間をつなぐために、余分な――というより、多大なエネルギーを使うことになる。
そのため、実質的には空と空をつなぐための能力と考えるべき、というのがステラの言葉だ。
「ということは、海へワープしたり、逆に海からワープするのは厳しい?」
『はい。空のように、ほとんど何もないところを行き来するためのものと考えてください。距離の制約よりも、こちらの方がルールとしてはずっと重い、そう考えていただければ』
「そのために、”目”で下見するというわけですね」
『はい。実際に空間をつなげないようであれば、保護機能として処理を中断しますが』
ここまでの話を聞いている内に、真希としては、かなり危ない橋を渡ろうとしている気分になってきた。そういう心境をは察したのか、ステラからは『大丈夫ですよ』と優しい声が。
『どこにもつなげず、“行方不明“になるということはありません』
「そ、そっかー……気絶するぐらいキツいってこともない?」
『私の感覚でしかありませんが、10m先程度であれば、まず問題ないものと思います』
「……わかった、やるよ。先生もいい?」
「ええ、大丈夫」
香織の返事の早さに、真希は少し面食らう思いだった。自分ばかり不安がっていたような気がしてくる。
彼女は深く息を吐いた後、両手で軽く頬を叩いた。それから、外の関係者たちへと声をかけていく。
「では、これから動きます」
『了解』
転移先の目は、すでに位置について準備完了だ。後は、空間を歪めてつなげるだけである。
コックピット内の二人は、特に声がけの必要もなく、息を合わせて集中を始めた。同時に、モニター上で変化が起きる。機体周囲が歪み始め、色彩を失っていく。
一方で、大きくなった目から映し出される”向こう側”の光景は、大きさ以外はそのままだ。むしろ、周囲の光景との比較で、鮮明になったように感じられる。
モニターに映る、歪んだ周囲と、正常に見える向こう側の光景。見比べてみると、むしろ自身があちら側にいるのが正しいように、真希は感じた。
モニターの外からの観測でも、大きな変化があった。アストライアーの表面には青と赤のラインが走り、機体全体を包み込むように空間の歪みも発生。機体から10m先にある目の部分も、機体周辺と同程度の大きさで歪んでいる。
そして、転移が行われた。アストライアー周囲の空間の歪みが、その中央へと一気に収縮していき、同時に、歪んだレンズのような“目”の部分が、大きくグニャリと一層の歪みを見せる。
しかし、そうした反応は一瞬のことであった。パイロット二人にとっても、見守る者たちにとっても、ほんのわずかな間に転移が完了し、アストライアーは10mの距離を瞬間移動した。閃光のような激しい反応は特になく、あたかも、元からそこに居たかのように。
甲板上の観測者たちは、目にしたものが信じられず、ざわついている。そんな中、春樹と吉河は冷静であった。先に春樹が、二人に呼びかけていく。
『二人とも、無事ですか?』
「大丈夫です」
「私も」
あっさりとした返事に、甲板上で安堵の空気が広がっていく。
一方、コックピット内の二人は、どこか拍子抜けした気分であった。
「意外と、大したことないっていうか……」
「物理法則とか考えると、メチャクチャなことをしてるけど……負担の方は、確かに余裕ある感じね。距離としてはお試しという話だし、こんなものなのかも。ステラさん、距離を伸ばすほど大変というのは、どんな感じですか?」
『私の感覚では、線形です』
そう言ってステラは、モニター上にグラフを表示した。あくまで“彼女“自身の経験と感覚に基づくものだが、距離と負担は正比例の関係にあるらしい。
とはいえ、実際に飛んでみた二人としても、10mの負荷がどの程度であるかを言語化するのは難しい。この倍、10倍と距離を伸ばしていっても、それがどれほどのものになるのか、イメージしようとしても首を傾げてしまうばかりだ。
そのため、今後は慎重に少しずつ距離を伸ばし、操作と負担に慣れるとともに、限界を探っていくことになりそうである。
転移終了直後には大きくざわついた甲板も、次第に驚きと戸惑いから、興奮へと切り替わっていく。
そんな中、変わらず冷静さを保つマイペースな吉河から、ステラに質問が飛んだ。
『機体の見た目が変わりましたね。あれは、核とやら2つ分の力を用いているという事でしょうか?』
『はい。より大きなエネルギーをどうにか運用できるようになりました』
答えたステラは、コックピットの二人にも見えるように、機体の姿を表示した。
動かしている最中の機体の見た目がどうであるか、普段の二人はほとんど意識していない。しかし、こうして青と赤の装飾が入った機体を表示されると、2つの核の力を用いているというのがよくわかる。
そこで真希は、疑問に思っていたことが解消されたような気がして、声を上げた。
「空間転移が先って話してたけど、実際にはさっきの赤い剣と一緒になったじゃない。そのことと、空間転移で2つの力を使ってるのって、何か関係がある?」
『はい。赤い核の力もうまく使わなければ、空間転移するだけの力を得られませんでしたので。赤い方の力を引き出そうとしているうちに、刃の方も自然と形になったというところです』
「なるほどね」
ともあれ、こうして新たにいくつかの力を得たアストライアー。これら新能力を使いこなせるように、訓練を重ねていきたいところである。
特に空間転移については、戦略的な価値が極めて高いと目され、初期段階の試験が終わった今、甲板の上は興奮に包まれている。研究開発部員も報道陣も、まさに世紀の瞬間に立ち会ったという風である。
一方、盛り上がりぶりを離れて見守る真希は、「これで使いこなせなかったってなると、ちょっと恥ずかしいよね」と、困り気味の笑顔を浮かべ、香織は「ふふっ」と軽く笑って応じた。




