第60話 悩み事、いろいろ⑤
あまり物がない片付いた自室の中、電気もつけずに精華はベッドに倒れ込み、枕に突っ伏した。
(何も、逃げなくても……)
なんとも情けない自分の振る舞いに、彼女は恥と自責を覚えた。引き留める声は耳に届いていたというのに。
しかし、あの場で向き合い続けるだけの気持ちを保つことが、精華には難しかった。
――いっそ、嫌われた方が楽だったろうに。逆に気を遣わせてしまったようで、そのこともまた、精華の中で大きな負い目となった。
そんな負のスパイラルに陥り、彼女は自身の闇の中へと沈んでいった。
彼女自身、心の闇の底はよくわかっている。闇の底というより、今の彼女のスタート地点だ。
それは忘れもしない、小学3年の頃。名門私立でクラスメイトから掛けられた言葉。
「守屋さんのところって、武器も扱っていらっしゃるのですよね」
いいとこの坊ちゃんお嬢ちゃんが集まる学校だけに、互いの家業についても目が向けられることは良くある。守屋家は大財閥ということで、注目や興味関心を引くのはなおのことだった。
そんな中、精華に向けられた言葉がどういう状況で出たのか、彼女自身はあまり覚えていない。
含むところがない発言ではないだろう。その子の親の事業や思想と、守屋家が相いれなかったのかもしれない。
ただ、他の家の者から言及されたことで、幼い日の精華は、自分の家がどういう家なのかを子供心ながらに理解した。
そして、あまりに居づらくなって、結局は転校することとなった。
誰かの血の上に立つ、清浄で上品な学校生活を、彼女は許容できなくなったから。
救星軍の一員として参加できたのは、精華にとって大きな幸運だった。
危険に身を晒し、宇宙から迫る外敵を――人類共通の敵を倒すことで、彼女は赦しを得られると思った。彼女自身が自分に感じる罪への赦しを。迫る外敵の屍を積み上げ、功徳にして……
ふと我に返ると、全てが自分本位で嫌になる。
持ち上げられる自分も、敬われる自分も、素直には受け入れられず。それでいて、人々の想いを踏みにじることはできず。
あてがわれる光の渦の中、相反する自分の闇を意識し続けてきた精華にとって、真希はただただ眩しかった。
紛争で親を失った、あの少女が。
もし、彼女から両親を奪ったのが、偶然にも流れ着いた守屋の武器だったとしたら……
ただ、精華は――彼女の自己認識としては――中途半端に強かった。いくら思い悩んでも、やるべきことはきちんとやるし、実際にやってきた。
人前で気持ちを引きずることもなく、素知らぬ顔でやり過ごせる。
単に、真希を目の前にすると、ダメな部分が少し顔を出してしまうというだけのことで。
そして今、その真希がやってきた。
慣らされたインターホンの音に予感が走り、恐る恐る目を向け、予感が当たったことを知った精華。
一瞬、居留守を使おうかとよぎった自身の浅はかさを恥じ、彼女はベッドから立ち上がった。部屋の電気をつけ、努めて平静を装い、機械越しの会話に臨む。
「はい、どうしましたか?」
「夕食まだですよね。ご一緒にと思って。守屋さんとは、まだこういう機会がなかったですし」
真希は平然とした様子でいる。そんな彼女に安堵を覚えつつ、精華は少しだけ悩み、応じた。
「わかりました。少し待っていてください」
「よっしゃ」
お誘いの受諾にガッツポーズする真希。そんな彼女に思わず含み笑いが漏れると、それが聞こえたらしく、画面の中の少女はニコリと笑った。
さて、精華の方はと言うと……鏡で自身の状態を確認したところ、それほど悪くはなかった。暗い思いに沈んでいたにしては上出来である。少し乱れていた髪を整え、少しだけ笑顔の練習をし、違和感のない自分を認めてから――緊張感を持って通路へ。
部屋を出て合流してからは特に何事もなく、二人は食堂へと歩いていった。食堂へ入ったところで、真希が精華に問いかけてくる。
「何か食べたいものあります?」
「えっ、いえ、特には何も……だいたい日替わりの定食ですから」
「じゃ、私も同じの食べますか」
「えっ、高原さんは好きなものを食べれば……」
「いいからいいから。同じの食べたい気分なんです」
人懐っこい笑みで言われると、それ以上の抗弁はできない。精華にできることといえば、同じように笑みを浮かべて返すぐらいである。
二人がカウンターに向かうと、受付は愛想のいい中年女性だった。真希とは仲が良いのか、目が合って笑い合っている。その程度のことにも羨ましさを覚える自分に、ちょっとした情けなさを覚える精華。
(ああ~、ダメダメ、こんなのでは……一緒の夕食ぐらい、楽しめなくてどうするの?)
ただ、夕食そのものは楽しめそうである。というのも、日替わりメニューの中に、精華の好物があったからだ。
「守屋さん、日替わり何種類かありますけど。ちなみに、私は中華が好きで」
「えっ? ええ、私も麻婆豆腐は好きです。実は辛党で……」
「じゃ、麻婆豆腐定食を二人前で」
あっさり決まると、受付の女性は「あいよっ」と威勢のいい声を上げ、厨房にオーダーを通した。
それから、あまり待たされることなく注文の品がやってきた。(こんなに早かったかしら?)と思う精華だが、さりとて異常に早いというわけでもなく、疑問は胸の内にしまい込んだ。
二人で席につき、合掌の後、精華はレンゲを麻婆豆腐に突っ込んだ。そのさまを、真希はじっと見つめている。
「高原さんも、早く」と恥じらいながら言った精華は、一口目を口に含んだ。
辛い。
いや、彼女の好みの味ではあるのだが、食堂としてはどうなのだろう? と、疑問に思わざるを得ない味だ。なにしろ、これが日替わりメニューなのだ。万人受けする辛さではないし、メニューには四川ともなんとも書いていない。
ただ、味としては本当に好みである。花椒が効いていて、かすかに酸味を帯びたようなピリリとする刺激が、次の一口を誘い――精華は一つ気づいた。
「高原さん、これ、辛くありませんか?」
「いや、フツーですよ」
見てみると、二人の料理は若干色が違う。真希の側の方は、透き通っていて橙色に近い朱色。それに比べると、精華のは黒味が入った赤だ。いかにも辛党向けといったところ。
何かの手違いではと思い始めた精華だが、そこで真希が動いた。辛そうなマーボーにレンゲを向け、「いいですか?」と興味ありそうな顔で断ってくる。
「辛いと思いますよ?」
「割とイケる口で、私も」
そうして辛そうな方を一口含んだ真希は、余韻を楽しむように口を動かした後、白米を一口。
「辛いマーボーって、後の米がおいしくって」
「わかります」
「私も結構好きな味ですけど、守屋さん的にはどうです?」
「好みの味ですよ。美味しいです」
「そりゃ良かったです」
真希は精華をまっすぐ見ながら微笑んだ。この態度になんとも言えない何かを感じ、レンゲが止まる精華。自分のマーボーだけが不自然に辛く、それでいて狙いすましたように好みの味。
「私が作ったんですよ」
固まる精華に対し、あまり勿体つけることなく、真希はネタばらしした。
話は単純である。厨房スタッフからは料理好きということで、前から仲がいい真希は、精華の好みについて聞き出していた。彼女のためだけに働くシェフではないが、守屋の協力下にある施設ということで、そういう事は知っている。
後は、真希が得意な中華が日替わりにあるということで、話の流れでこれを注文するように持っていく。オーダーが通ったら、先に真希が作っておいたものを、何食わぬ調子で温め直してお出しする。
「どうしてそこまで……」
「いや、なんとなく、食べてもらいたくなって」
呆気にとられる精華に、真希はあっけらかんとした口調で言った。それでも、どこか思いつめた顔をしてしまう精華に、真希は言葉を重ねていく。
「私、料理が好きで、特に中華が得意なんですよ。じいちゃんが教えてくれて。あと、スポーツ万能で、友だちもたくさんいて……付き合ったことはないけど、男連中とも仲良くって。今まで色々あったけど、楽しくやれてるんですよ、これでも」
精華は、やはり言葉を返せないでいる。何を言ったものか、持ち前の聡明さは働かず、素直な気持ちが何なのかもわからない。
そんな彼女に対し、真希の方も、話の続きには苦慮しているようだ。レンゲを宙でくるくる回す彼女は、ややあって、少し勢い任せに口を開いた。
「だから、何ていうか、私の料理で精華さんも元気にならないかなぁって」
「……ありがとう。そこまで言われては、元気にならないと悪いですね」
「そうですよ。『今日は中華の気分じゃない』って言われたらどうしようって、内心バクバクだったんですよ?」
どこかおどけた調子で言う真希に、精華は微笑みを浮かべ、食事の続きを始めた。一口、口に含んで「おいしい」と一言。
しかし、食を進めるほどに、目に涙が溜まっていく。耐えかねて、彼女は机に両肘を置き、手に顔を埋めた。
「ちょっと、辛いわ」
「やりすぎましたかね」
「少し……」
声を震わせながらも、精華は言葉を返した。「泣けるほど辛いわ」と、次は涙がにじむ笑みを浮かべて。
それから、彼女は食卓からナプキンをさっと取り、目元を軽く拭った。気持ちを落ち着かせ、真希に向き直り、まっすぐ見据えて感謝を口にしていく。
「ありがとう」
「いえ、私も、喜んでもらえて嬉しいです」
「……この後、時間ありますか?」
今度は真希が驚く番だ。形勢が逆転したようで、表情が緩む精華。彼女は言葉を続けた。
「せっかくだから、今日はもっと色々な話をしたくて……一緒に、デザートやお茶でも楽しみながら。どうでしょう?」
「もちろんですよ、喜んで!」
快諾する真希の笑顔に、精華は心の底がすくわれていく思いだった。