第58話 悩み事、いろいろ③
救星軍日本支部において一番暇を持て余している人物。それは紛れもなく、香織である。
基本的なスケジュールは真希と共通する彼女だが、余暇の過ごし方が違う。真希の場合、たまの休暇をテレ授業に当てているのだが、香織にはそれがない。
香織の場合は、持久力のためにと自主的なトレーニングは行っているが、やりすぎは逆効果ということで、時間としてはそう長いものでもない。
もちろん、彼女が暇を持て余しているからといって、それを誰かに責められるいわれはない。ハワイでの献身ぶりはまだまだ記憶に新しいところだし、彼女は民間からの協力者だ。
救星軍職員も記者たちも、そういった事情はしっかりわきまえている。
というより、取材に乗ってくれやすい香織の存在は、彼女が社会人経験があるということもあり、記者たちにとってはありがたいようだ。
ただ、香織本人としては、何とも言えない感情を覚えていたのも確かである。
だが、そんな日々に終止符を打つ日が、ついにやってきた。
真希と春樹が銃撃戦を繰り広げたその日、昼食を終えた香織はステラを伴い、緊張で胸を高鳴らせながら食堂を後にした。
向かう先は、中枢棟。船を二つ並べたような日本支部拠点の内、居住棟と対を成す側である。実質的には救星軍日本支部の中枢的役割のため、そう呼ばれている。
さすがにセキュリティが厳しい区画であり、幾度も警備員とすれ違いながら、彼女はある部屋へと向かった。
日本支部研究開発主任、吉河博士のオフィスである。
インターホンでのやり取りの後、彼女は部屋へと足を踏み入れた。
吉河の部屋は、ある意味では整っている。事務側はあまり物が置かれず、フリースペースらしきところは雑然とした区分けだ。
目を惹くのは、3Dプリンターが数台並んでいるところだろうか。非作品の模型らしき物が、付番とともに棚にずらりと並んでいる。新武装らしきものから良くわからないもの、はたまた趣味で作ったようなマスコットまで。
他の部屋にはない独特の雰囲気に、少しドキドキしつつも、香織は執務机に対面する形で座った。
「博士、この度はわがままを聞いてくださって、ありがとうございます」
「いやあ、我々としても興味深い案件でしたんで。むしろ、喜んでという感じでしたね。ステラさんには感謝してますよ」
言葉どおりに喜びの微笑みを浮かべ、彼は麦茶を入れた。感謝を受け、ステラからも『興味深い経験でした』と一言。
差し出された麦茶に香織が口をつけると、吉河は少しだけ表情を引き締めた。
「一応、使い物にはなるんですが、完成ではないですね。なんといっても、使い手からのフィードバックがないと」
「わかりました」
「テスト結果は良好でした。満足してもらえるとは思いますよ」
それから二人は、茶が切れるまでの雑談も手短に終え、部屋を後にした。本当の目的地は、また別にある。
しかし、そこへ向かう道中で、二人は精華と出くわした。
中枢棟での思わぬ遭遇に、互いに様子をうかがい合う気まずい沈黙が少しだけ訪れ――吉河がそれを割りと無遠慮に解消していく。
「お嬢もトレーニングを?」
「はい……ということは、香織さんも?」
「はい。実は……」
それから、香織は少し考え込んだ後、精華をまっすぐ見つめて頼み込んだ。
「真希ちゃんには、このことを黙っていただけませんか?」
「それは……いえ、わかりました」
真面目な顔で答える精華。それに感謝する香織だが、会話が切れると、また気まずい空気が……
「なんだったら、お互いの訓練でも見たらどうです?」
何でもないことのように吉河が言うと、女性二人はお互いの顔をまじまじと見つめ合い、何かに耐えかねたように表情を崩して提案を了承した。
改めて一行が向かう先は、ヴァリアントの訓練用シミュレーターである。
部屋の前についてさっそく……という前に、まずは着替えだ。訓練室併設の更衣室でパイロットスーツに着替える二人。さすがに同行できない吉河は、壁にもたれかかって二人を待った。
やがて二人が出てくると、これまでの道中よりはずっと打ち解けた雰囲気になっている。同じ特別な服を着ているからというのもあるだろう。
ただ、香織としては、少し違和感を覚えているようだ。
「私が着ると、服に着られているというか……」
「そんなことは……吉河博士からはどうです?」
「実際、普通の服じゃないですし。慣れるまでは違和感あると思いますよ、やはり」
そんな慣れないスーツを着てまで訓練に臨むのは、決して気分を出させるためというわけではない。
インナーの各所に取り付けられた薄い電極から、操縦時の生体電位の動きを計測。これを操縦桿等の操作と組み合わせ、パイロットが思い描く動きを、より精度の高い形で実現しようという仕組みがある。
そして、このヴァリアント用操縦システムを流用する形で、今回の試みが実現した。
ヘッドセットを装着し、香織はシミュレーター内に入った。操縦桿などがあるせいで、アストライアーのコックピットよりは少し狭く感じられる空間だ。
座席に腰かけると、シミュレーターのモニターが起動した。と、その時、モニター上に手のひら程度の大きさの円が表示された。次いで、外の吉河からの指示。
『操縦桿等を触らず、単にその円を的と見立てて狙ってもらえますか?』
「わかりました」
答えた香織は、実際に念じてみた。すると、モニター上には小さな赤いドットが現れ、それが逃げ惑う円を追い回していく。
すぐに標的の中心を赤いドットが捉え、ほとんど中心からぶれることなく、円の動きに追随し続けた。
『いけますね。ここまではテスト済みなんですが』
「いえ、すごいです。本当にここまでできるなんて」
『ま、ステラさんのおかげというか』
そこで吉河は、思っただけでも動かせる照準システムについて、そのタネを明かした。
ベースとなっているのは、3種類のセンサー類だ。すなわち、パイロットスーツの電位計測、ヘッドセットの視線追跡、そしてステラの—
『正直、ステラさんのはよくわかりませんが、思念を読み取っている感じですね。狙いを定めるぐらいの簡単な思念は、正確に読み取れるみたいで』
「そうですね。アストライアーの中では、それ以上のことばかりですし……」
アストライアー搭乗中においては、今更驚きもない香織だが、改めて他の技術と比較すると、かなりの隔絶を感じている。
いや、救星軍の技術も大概ではあるのだが。
当のステラはというと、『お役に立てたようで』と、どこか嬉しそうな声を上げた。
動作の基本的な部分が確認できたところで、訓練開始となった。モニターには実戦さながらの敵が現れ、加えて自機の腕とライフルも。
さっそく照準を合わせようと意識した香織だが、先ほどの照準合わせとは感覚が違う。
というのも、思い描いたとおりにドットが動いたのと違い、今度は実体のある腕とライフルを構えて動かすという、物理的な制約があるからだ。
この再現度は、まさに実物での訓練を想起させる再現度があり、香織は思わず口にした。
「ここまで再現できるんですね」
『じゃないと訓練になりませんしね。幸い、ステラさんがそういう″感覚″のデータというか、記憶を持ってらしたんで、割と再現には苦労しなかったみたいで』
「みたいで……ということは、博士は直接は関わっていないのですか?」
『あ~、実は私、この件については全体の統括役でして。そもそも、私はソフトじゃなくてハード屋なんですよ。って、意味わかります?』
「ハードウェアとソフトウェアの話ですよね?」
英語ができてゲームもそこそこやる香織としては、当然のように理解できる話だった。
それはさておき、実際に構えるラグまで表現するシミュレーターに、香織は集中した。思え描き、狙いを定めて撃つまでは、本当に実物に近い感覚で取り組める。
画面上に現れる的という的を、彼女は慣れた様子で撃っていった。ノッてきたのか、次第に射撃のテンポが速まり、敵の補充ペースも少しずつ速くなる。
だが、ミス率はかなり低く、救星軍正規兵の訓練水準とも張り合える数値だ。これには見守る精華も感嘆のため息を漏らした。
『こうまでできると心強いですね』
「いえ、私なんてまだまだで……射撃に加えて機体操縦もとなると、中々……」
『構えて待ち、先手を打つのが基本ですから、これだけの精度であれば実戦でも通用すると思います』
この賛辞を、香織は世辞だとは受け取らなかった。落ち着いて待ち構えて撃つ。そういう有利な状況であれば通用する。そういう認識自体は香織も抱いている。
ただ、そういうシチュエーションばかりでもないだろう、とも。だからこそ、こうした訓練に乗り出しているわけでもある。
シミュレーションではあるものの、申し分ないペースと精度で以って敵を仕留めていった香織。
しかし、この訓練には足りないものがある。それを自覚している吉河が、敵がいなくなったタイミングで切り出した。
『機体の方からのフィードバックがないと、違和感はありますか?』
「……はい。しかし、どうしようもありませんよね?」
すると、吉河はため息交じりな声で『そりゃもう』と答えた。まるで、彼の苦笑いが香織の目の前に浮かぶようだ。
アストライアー搭乗中は、機体の感覚がパイロットにも伝えられる。しかし、このシミュレーターにおいては、それがない。ステラという仲立ちを用意しても、感覚をダイレクトに伝えるというのは、吉河としては『やりたくない』とのことだ。
『ステラさん自身、機体を介さない感覚の伝達は、やったことがないそうで。さすがに、危険すぎるなと。それに、現実に似せた感覚を実現できたとしても、微妙な差異がかえって違和感になるかもしれません』
「その違和感が、こちらで動かす支障になるかもしれないし、逆に、アストライアーを動かす時の妨げになるかも……ということですね」
『どちらかというと、後者の懸念があります。今の訓練についても、やりすぎは良くないなと』
実際、そういう印象を香織も抱いていた。
狙いを合わせるという訓練にはもってこいだが、機体操縦という点で見ると、欠けているものが多い。こちらに慣れすぎると、実機で違和感に困らされる可能性が無視できない。
そして、パイロットの思念を読み取って動かす機体ならば、そういう違和感が思わぬ大敵になるかもしれない。
そこで、このトレーニングについては、実施の頻度を様子を見ながら決めていこうという話になった。
『あくまで、実機操縦の補助的なものという立ち位置で。実機を動かした時間の、何割かをこちらの訓練にもってところでしょうか。動きが悪くなったら、すぐに中断する形で』
「そうですね」
『ま、そのあたりは上とも相談しましょう』
「はい、ありがとうございます。ステラさんも」
『いえ、お疲れさまでした』
そうして香織の訓練が終わり、次は精華の訓練の番となった。
だが、実を言うと、彼女はこのシミュレーターではなく、また別の訓練機に用があるという。そちらを香織に見せることには、少し逡巡する様子を見せた精華だが、吉河が後押しを入れた。
「町田さんも、もしかすると必要になるかもしれませんし、別に知られてもいいでしょう」
「あまり、使うような事態にならないと良いのですが……」
そうして三人が向かったのは、大きな空間の中で太いバーにつながれた小部屋を振り回し、中の人間に遠心力で強烈なGを与える訓練装置だ。
戦闘機パイロットや宇宙飛行士が訓練で用いるようなアレが、この支部拠点にもある。
設備の充実ぶりに驚かされる香織だが、その設備を前にして何らたじろぐ様子がない精華にも、香織は驚きを隠せないでいる。
「もしかして、以前からこういった訓練を?」
「……はい。うまくいけば、新しい陣形の開拓につながるかもしれませんので」
やや間を空けて答えた精華に、含みを感じないこともない香織だが、彼女は特に突っ込まないでおいた。
会話もそこそこに、訓練に取り掛かる精華。香織と吉河は、外部の制御室で見守ることとなった。見守るといっても、吉河に言わせればいつものトレーニングらしいが。
「お嬢は対G訓練を積み重ねてますので……さすがに、こればっかりは真似できるとは思わない方がいいですよ」
吉河の言葉に、香織は生唾を呑んだ。
やがて、オペレーターが精華の入る小部屋を動かし始めた。中央の頑強な支点を中心に、小部屋が容赦なく振り回されていく。
絶叫マシンどころの騒ぎではないが、香織以外はみな平然としている。さすがに相応のGがかかっているため、精華はやや苦しそうにしているが。
「守屋さんって、いつからこういうことを?」
「う~ん……ここは、出来てからしょっちゅう使ってますね」
吉河の返答を受け、香織はまじまじと精華の方を見た。モニター上では、狭い小部屋の中で、精華が見えない力と格闘している。
不意に「町田さんも、どうです?」と尋ねられたが、彼女にできることは、やや引きつった顔でフルフルと首を横に振る程度だった。
「また、今度にします……」




