第53話 射撃訓練②
香織と、おそらくは真希にとっても幸いだったのは、射撃訓練の区切りが経過時間によるものだったことだ。射撃の成果によるものではなく。所定の時間が過ぎたところで、吉河はいたって変わりない調子で『そこまで』と言った。
それから、だいぶためらったと思われる間を空けて、無言のステラはモニター上に射撃の結果が表示した。
――命中率は4割弱。動かない的相手に、機体それ自体が動き回るわけでもなく、だ。開発主任からは『初めだし、こんなものでは?』との評だが……バトンタッチのため、甲板に戻るだけの短い移動も、香織にはずいぶんと長く感じられた。
機体が甲板に立ち、今度は香織が操縦する番に。コックピット内で入れ替わろうとする二人。
そこで香織は、意識して自然な感じで、真希の顔に目を向けた。
真希は……目を閉じ、深い呼吸を繰り返している。気分を落ち着かせるためのように映るが、香織としては色々と心配だった。思わず、声を出して尋ねてしまうほどに。
「真希ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫……ゴメンね」
気丈にも笑って見せる真希だが……最後に付け足した声に、やや震えたような響きを認めた香織は、その表情を維持するのにかなりの努力を要した。顔を曇らせて思わしげな雰囲気になれば、余計に追い詰めかねない、そう思ったからだ。
やがて二人がそれぞれの座席に着くと、香織は「緊張する~」とつぶやくように言った。そこへ「香織さん」と真希の声。だいぶ間を空け、逡巡する気配を感じさせた後、真希は言葉の続きを口にした。
「変に遠慮なんてしないでね」
「……どうなっても、何とも思わないでね。笑っちゃうくらい、アレかもだから」
答えた香織は、内心では緊張が少し膨らむ思いだった。ここで自分がうまくでき過ぎたら、もしかすると、真希が変に思われるかもしれない。そんな懸念から、調子が良ければ少し加減をという思いが、ないでもなかった。
一方、真希を支えて力になろうという意味では、仮に射撃がうまくできるようであれば、それを長所としたいとも。今のところ、アストライアーのパイロットとしては、真希に対して明確な強みがないのだから。
そして今、真希の想いを受け入れ、香織は本気で状況に向き合った。ライフルを構える両手に意識を集中させ、機体に動きを反映させる。集中力の高まりとともに、視界は一層鮮明になり、標的の姿がありありと大きく――
(いや、そもそも、そういう見え方するんだった)
ともあれ、ステラによる的の拡大表示までもが、自身の集中力とシームレスにつながっているように感じられる。そんな彼女の脳裏に、真希のことが一瞬よぎり――
彼女は引き金を引いた。空間を切り出した表示の中で、白が赤に染まっていく。
すると、「おめでとう」と少女の声。香織が振り返ってみると、真希が屈託のない笑みを浮かべていた。それは予想外のことではあったが、香織は間を置かず、素直に称賛を受け入れた。そして、冗談交じりに一言。
「ここでやめたら、百発百中ね」
『んなわけないでしょ先生』
すかさず入る吉河のヤジ。それに笑う真希の姿を認め、香織は再びモニターに向き直った。
☆
結局、香織の命中精度は相当なもので、動かない的に対しては5%ほどのミス率。的が動き出しても、発射間隔がやや伸びる程度で、外す割合に差はほとんどなかった。
実のところ、香織としては「思った通りに当たる」というのが正直な印象であった。
この成果の差について吉河は、真希に問題があるのではなく、香織の方に適性があるとの考えだ。
『ゲーセンに入り浸ってたりしませんでした?』
「さすがに、そこまでは……」
「ふーむ。では、どういうわけか得意ということにしておきましょうか、別にそれで困るもんでもなし」
香織の印象としては、吉河はマイペースな人間だが、決して無神経ではない。真希の出来に触れないわけでもなく、しかし彼女をかばいすぎるわけでもない。飄々とした彼の、いい意味での軽さ加減に、香織は大いに救われる思いだった。
そうして一連の射撃訓練が終わり、二人はコックピットを下りた。すかさず駆け寄ってくる記者たち。
今回の主役は、やはりと言うべきか香織だ。短い間だが、一緒にランニング等をこなした彼らのことだから、真希に対する遠慮もあるのだろうが。一通り終えての感想、今後の展望など、向けられる質問に香織は答えていく。
それを見守る真希は、一見すると落ち着いた様子ではあるが……香織の中では、どうにも拭えない心配がある。
真希の狙いが定まらない理由について、香りの中に思い当たることがないでもない。
というのも、ハワイでの戦いにおいて、真希はヴァジュラでの照準合わせに大苦戦していた。結局は彼女自身の手で敵を倒せたのだから、トラウマと言うほどのものではないだろうが、射撃への苦手意識は根付いているのかもしれない。あのせいで、香織に大きな負担をかけてしまったということもある。
しかし、今回の射撃が思うようにいかなかった原因に、あの戦いがあるとしても……あの戦いのときにうまくいかなかったのは何故だろうか。その疑問が香織の胸中を占めた。
(やっぱり、慣れない動きだっただろうし、緊張したから?)
取材が終わって昼食へ向かう合間も、香織は考え続けたが、正解には至らない。本当のところを知るには聞くしかないのだろうが、その最後の一歩を香織はためらった――というより、注意深く避けた。
抱え込みがちな真希ではあるが、ヴァジュラ一発目の時のように、本当に無理と思えば打ち明けてくる。それに、下手に聞き出そうとすれば、追い込んでいるように感じ取るかもしれない。
香織はとりあえず様子を見ることにした。何かまた新しい兆しがあれば、それに対応するとして、今できることは……
「真希ちゃん」
「何?」
「私にも、やっと勝てる分野ができたな~って」
――真希に対し、少し強気に、自信を持って振る舞うことだった。得意げな顔を作って笑う香織。すると、真希は唇を尖らせた後、思い出したように言った。
「英語あるじゃん」
「いえ、それは勝ってて当然だし……」
「そういえば、英語教師でしたね」
横から入る記者の言葉。「そういえば」という表現に、香織はなんともいえない表情を浮かべた。辞めた理由が当人としては不本意なものだけに、どうにも引っかかるものがある。
「……真希ちゃんの英語、私が担当しようかしら」
「うーん、学校の授業もあるし……」
「ダメ?」
「半々かな。相談しないとだけど」
この応諾に、香織は嬉しそうに笑い、真希はと言うと……「仕方ないなあ」と言わんばかりの、困ったような笑みで応じた。周りの記者も、二人の雰囲気に合わせて和やかな様子でいる。
しかし、香織にはまだ気になることがあった。真希は自分自身の悩みに集中していて、気づいていないかもしれないが……
(精華さん、どうかしたのかしら……)
先輩として射撃練習を見守っていた精華は、時折アドバイスなどをかけてくれた。が、終わった後となっては、一言も発さず、他人への干渉を避けているようにさえ映る。
もしかすると、それが先輩としての方針であるのかも知れないが……香織としてはむしろ、精華の方にも、自分たち二人に関わる悩みがある可能性を考えた。表情には出ていないが、他人との距離のとり方や振る舞いに、そうした気が感じられなくもない。
もっとも、「そういえば」程度の教職経験だけに、思い過ごしでしかないかもしれないが……
(今度、何か機会があれば、ちょっとお話してみましょうか)
真希との関わりを通じ、自分が少し積極的に――それこそ、教職なりたての頃に戻ったようだ。それに気づいた香織は、自身の変化を人知れず喜んだ。




