第50話 アストライアー、飛ぶ
アストライアーが飛ぶための訓練を開始して1週間。ついに、実際に飛んでみる日がやってきた。
しかし、コックピット内の二人はと言うと、浮かない顔で地に足つかない若干の戸惑いを見せていた。彼女らの不安を察したのか、ステラが二人に話しかけていく。
『事前の接続試験で、翼との接続強度は十分なものがあると確認できています。ご安心を』
「あー、うん、ありがと……」
声に加え、モニターにも3次元の設計図と試験の様子を映し出すステラだが、真希の返事に張りはない。次いで外からの声がコックピット内に響いた。
『やっぱり不安かな?』
「物を飛ばすのはともかく、自分が飛んでみるっていうのは……私一人だけの問題でもないですし」
胸中の不安を打ち明けると、外の吉河は『うーむ』と唸った。
とはいえ、ここまでお膳立てされているのだから、引き下がるわけにもいかないと、真希は重々承知している。単に、最初の踏切を行う、その決心がつかないだけだ。彼女は深く息を吐いた後、後部座席の香織に問いかけた。
「そろそろやってみるけど、大丈夫?」
「……大丈夫、頑張りましょうね!」
予想以上に朗々と返事を返す香織を、真希は少し意外に感じて真顔で面喰い……そして苦笑いした。
(私ばっかり、あたふたしてるみたい)
結局のところ、香織の返事が一番の後押しになった。二人の力を合わせれば……意を決した真希は、気持ち大きな声で外に告げた。
「離陸します。気を付けてくださいね!」
『了解。では、こちらで3つ数えるから、それに合わせて離陸しようか』
「はい!」
返事の後、真希は外の様子をうかがった。遠巻きに離れていた記者陣の前に、誘導灯を持った作業員が数名。彼らの様子を見る限り、すでに十分な距離は確保できているようだ。
こうなると、後は飛ぶ側の問題である。緊張に胸を高鳴らせる真希の耳に、白河のカウントダウンが大きく響く。3、2、1――
そして、大勢の目が見守る中、アストライアーは音もなくふわりと甲板を離陸した。吉河の無線機が、外の歓声を拾ってコックピットを満たす。
とはいえ、空に上がってからが本番でもある。興奮冷めやらぬ中、吉河は告げた。
『では、手はず通り。まずは洋上へ向かってくれ』
「はい」
指示に対し、真希はやや硬い口調で答えた。慣れない感覚に戸惑う彼女の心境を反映しているのか、ややふらつくようにして、機体は甲板を離れて海の方へ。
浮上後、甲板上空でやらかしたのでは、大惨事になりかねない。それに比べれば、洋上の方がずっと安全である。アストライアーには水中活動能力もあるのだから。翼が水に浸かると面倒ではあるのだが、甲板上のトラブルに比べれば……
というわけで、飛行試験はまず洋上に移ってからと、事前のミーティングで決まっていた。
今の所、動きにぎこちなさはあるが、推力は期待通り問題無さそうである。一度離陸してからというもの、高度は変に下がることなく、やや上向きに安定している。
翼単体を飛ばしていた訓練では、真希と香織のいずれか片方の力のみでこなしていた。アストライアー相当の荷重をかけても、である。
一方で、今回の実際に飛んでみる試験では、二人分の力で機体を浮かせている。力の面では余裕があって当然と言える。
加えて、操る真希が、高度を急に落とさないようにと意識している面もあるのだろう。外で見守る側は、あまり不安する様子なく、この飛行試験に向き合えている。
そんな中、肝心のパイロットはというと……
『真希さん、どうでしょうか?』
「なんか、こう……変な感じ」
――中々苦戦していた。
機体が浮遊を始めてからというもの、それなりに強い風が機体に吹き付けてきている。それに対抗しようと推力を操り、姿勢を制御することに意識を集中している真希だが……
「踏ん張りが効かないのが、だいぶやりづらいね……慣れればどうにかなるかな?」
『はい、そう思われます』
迷いのない即答である。ステラから寄せられるこの信頼に、真希はやや困り気味ながらも微笑み、操縦に意識を傾けていった。
そうして姿勢の安定にもどうにか慣れてきたところで、吉河からの通信が入った。
『じゃ、矢印のアレでもやろうか』
「はい」
『ただ、機体の上下動が激しいと、中も厳しいだろうからね。今度は、矢印が出続けている間、同じ方向に動くという感じでいこう』
そこでさっそく、モニター上に上向きの矢印が現れた。指示に従い、機体をゆっくり上昇させる真希。2秒ほど上昇を続けると矢印が消え、数拍おいて今度は右。乗る者の負荷を考えているらしい、ゆっくりした指示に応え、真希は機体を動かしていった。
☆
ある程度操作が上達してきたところで、香織にバトンタッチ。休憩を挟み、また真希へ。そんな流れで、飛行訓練は続いていった。
前もって翼の操作で慣らしていたおかげで、二人が機体を操るのに、大きな支障はなかった。空中で自由自在に動き回り、敵と戦闘するにはまだ早いが……初日の推移としては十分だろう。
すっかり落ち着いて動かせるようになった真希だが、操縦に慣れたら慣れたで、新たな心配事が沸いて出た。
「ステラ、ちょっといい?」
『どうぞ』
「ステラからすると、この翼って借り物というか、自分の一部じゃないよね?」
『はい』
そこで真希は、外の吉河に疑問を向けた。
「機体を消してステラの元に戻したら、翼だけ取り残される感じになると思うんですけど……それって、気を付けないと、だいぶ危なくないですか?」
この指摘に、吉河はずいぶんと感心したように、嬉しそうな唸り声を上げた。
『そこに気づくとはね。いやなに、考えはあるんだ。詳細はステラさんに尋ねるとよろしい』
「ステラに?」
すると、吉河から話を振られたステラが、返事代わりらしくモニターへといくつかの画像を映し出した。翼の接合部を中心とした、多面的な図面等だ。
『翼を装着できるよう、私の自己認識を改めるという話が、前にあったと思いますが」
「覚えてるよ。もしかして、それをこの翼にも?」
『はい』
こともなげに言い放つステラだが、真希は少し信じられない様子で、モニターを渋い表情で見つめている。そこへ、今度は香織が口を開いた。
「現物の翼からも情報を得て、それを模倣しよう……という感じですか?』
『はい、そのようになります。こればかりは、あなた方には理解しがたい感覚かと思います』
「ええ、確かに……ステラさん的に問題ないのであれば、それを信じるしかないですね」
『ただ、私自身を作り替えるにも、さすがに限度はあります。今回は、質量・容積の面でさほどの拡張でもないこと、加えて多くの図面と現物を相互参照して理解できること、これらの好材料がかみ合っています』
「おかげで、うまくいくと」
『1週間ほど、この翼を装着したままで過ごせば、次からは装着済みで機体を生成できるかと』
ステラの言葉に、香織は得心がいったようにうなずいた。次いで真希が口を開き、吉河へ疑問を投げかける。
「博士、一週間出しっぱなしってことは、格納庫暮らし?」
『その予定。ま、ステラさん自身の意向があるとはいえ、今回の試験を考慮した上で、二人に了承をと思っていたんだが』
真希の手元を離れ、アストライアーが出しっぱなしになる。そうするのは初めてのことだが、救星軍の開発部門に預けることに、真希はあまり抵抗感を覚えなかった。研究開発の主である吉河は、他の職員と比べてやや変わったところが見え隠れはするが……抑えきれないマッドなヤバさはない。
それに、ステラとはスマホでもPCでも直接やり取りできる。真希にとって気にかかることといえば……肌身離さず身に着けたステラが、少し手を離れるということで、若干の寂しさがあるというぐらいだ。
(まあ……お守りと言うには、だいぶ面倒を呼び込んでるかもだけど……)
真希は香織にも確認を取り、了承を得た上で吉河に告げた。
「一週間でしたよね? お預けしますので、よろしくお願いします」
『ああ、こちらこそ。それと、翼とかのデザイン面で何か注文があれば、その時は遠慮しないように」
「いえ、そういうセンスはないので……」
その後、真希は後部座席に振り向いた。この行動の意図をほんの少し遅れて察した香織は、苦笑いを浮かべて首を横に振った。
「注文とかありませんので、このままでいいです」
『そうか、了解』
答える吉河の声には、どことなく残念そうな響きが。ひどいことにはならないだろうが、妙なことにはなるかもしれない――真希は早くも、少しばかり選択を早まったような気分になった。
そうして新装備に関する話がひと段落し、いくらか経ったところで、ステラは二人に切り出した。
『お二人に相談が』
「なに?」
『外には、まだ内密の件です。会話も、向こうには伝わらないようにしています』




