第42話 新生活②
昼食の後、春樹は二人を連れて、もう一方の船へと歩き出した。特段の用はないが、一応の案内と挨拶のためだ。
連絡通路に差し掛かると、そこには警備員が二人立っていた。基本的に、身内や関係者しか入れない船ではあるが、間違いが起きないよう念のための措置であろう。
ただ、通路を守る年配の男性と青年のコンビは、三人を見るや、元から良かった姿勢をさらに正した。「そんなにかしこまらなくても」と苦笑いする春樹だが、警備員の二人はそれでも緊張した様子でいる。
結局、かなりかしこまったままの二人とやり取りする春樹を見て、彼がどうにもやりづらそうだと真希は思った。
彼は救星軍の中では、一介の職員に過ぎないが……ハワイの一件で、名前と顔が世界中に売れている。それに、真希と香織を除けば、唯一のアストライアー同乗者だ。組織における実際上の立ち位置も、本来の職分を離れたものになっているのかもしれない。
彼に関わるそうしたギャップが、ここで表に出てきたというわけだ。
無論、保安上の問題は何もなく、形式的に身分照会を済ませた上で、三人は連絡通路に立ち入った。
通路の作りはさすがにしっかりしているが、それでも抑えきれない揺れというものはある。下は見えないが、何枚も連なる窓からの風景が、場の高さというものを想起させてくる。
最初、壁際で手すりを掴みながら歩いた香織だが、だいぶ進んだところで心細そうに声を発した。
「二人とも、普通に歩いてるけど……平気なの?」
「えっ? いや、私はその、あんまり考えないようにしてて」
「そ、そう……ゴメンね?」
申し訳なさそうにする香織だが、真希は困ったようにしながらも微笑み、手を差し出した。
「手をつなげば、怖くなくなるんじゃない?」
「そうかも」
そう言って香織は、怖気づいていた自分を笑い飛ばすように、表情を柔らかくした。
当然のことながら、二人がなんとなく危惧していたような事態に陥ることはなく、三人は無事に対岸へ着いた。そこでも、硬い様子の警備員に敬われ、春樹は中々やりづらそうではあったが。
居住棟にも救星軍の事務機能があるが、本体はこちら側といっていい。有事の際の司令機能に加え、研究開発の設備も備わり、まさに洋上拠点といったところだ。居住側に比べると、通路も心なしか狭く感じられる。すれ違うのに不都合が生じるほどではないが。新築ならではの清潔感も、どことなく張り詰めた場の雰囲気から、ややよそよそしくも感じられる。
声を発するのが自然とはばかられる中、三人は無言で歩いていった。硬質で乾いた小さな足音だけが、通路でかすかに響く。
そうして一行が向かった先は、所長室である。ドアは周囲の壁と同様、のっぺりとした白みの強い材質であり、どっしりした木製の「いかにも」なドアではない。威圧感のようなものはないドアではあるが、それでも春樹としては緊張するようだ。
彼のノックの後、簡単なやり取りが続き、三人は部屋に入った。
所長室は、無機質な通路と同様に、壁も床も少し殺風景だ。その有り様に、真希は理科準備室を思い出した。ただ、ああいう部屋ほどに物で溢れかえっているわけではないが。
越してきて間もないせいか、部屋の中は物が少なく、壁に並ぶ棚にも空きが目立つ。床と壁に使われる素材の、面白みのなさも手伝い、さっぱりすっきりといった言葉よりは、味気なくて物寂しさを感じさせる部屋だ。
そんな部屋の中央奥には、存在感のある重厚な執務机が鎮座し、救星軍日本支部長の藤森裕司その人が座っている。
そして、彼の横にもう一人。体格のいい藤森に比べ、そちらの男性はだいぶ細身だ。年齢は、藤森と同程度で40代程度といったところ。肌は色白で背が高く、短く切った髪は少しボサポサとしている。
白衣に身を包む彼は、真希と目が合うなりペコリと頭を下げた。ここまでに出会った警備員たちとはまた違う態度である。とりあえず初対面ということで、真希も軽く頭を下げ返すと、対面する男性二人は表情を柔らかくした。
それから、まずは藤森が口を開く。
「長旅、お疲れさまでした。そして、ようこそ。救星軍日本支部へ」
「……ということは、ここが日本支部の中心になるんですか?」
真希が問うと、藤森は軽くうなずいて言葉を返した。
「こちらの方が現場に近いので。相応にリスクもあるでしょうが……対応のしやすさと世間体を取った、といったところです」
昼食前、洋上が主戦場になるという話を春樹がしていた。今回の藤森の言も合わせれば、海で敵とやり合うのは、まず間違いない。敵の意向はどうあれ、救星軍としては完全にそういう構えのようだ。今後のことを脳裏でうっすら思い浮かべ、真希は体を少し強張らせた。
そうして緊張に固まる彼女に、藤森は微笑みかけ、傍らの人物の紹介に移った。
「確か、初対面のはずですが……救星軍の装備開発主任、吉河泰明です」
紹介にあずかった白衣の彼は、一歩歩み出て真希に手を差し出した。
「どうぞよろしく」
「はい、こちらこそ」
少し大きく筋張った手の彼は、真希と握手した後、彼女が首から下げるアクセサリーに親しげな笑みを浮かべて軽く手を振った。
「町田さんとステラさんとは、すでに知り合いでね」
「ああ、そういえば、研究施設へ通ってましたもんね」
『はい。そちらの吉河博士には、電波と会話する方法を教えていただきました』
すると、その博士は吹き出し笑いをした。真希の横でも同様の音が。笑ったのは春樹と香織であろう。藤森は苦笑いしている。
その時、真希は春樹と会ったばかりのことを思い出した。
(確か、電波とお話しするとかなんとかっていうのは、アブナイ人みたいな意味なんだっけ?)
ステラの表現はかなりストレートなもので、彼女自身が意図したわけではないのだろうが、言葉の含意に大人たちは思うところがあったようだ。それを咎め立てするような雰囲気はないが。半ば「電波」呼ばわりされた格好の博士は、「同僚にも、たまに電波とか言われるけどね」と苦笑いで前置きした。
「アストライアーのメンテナンスを始めとして、各種サポートはこちらで受け持つ。その関係で、君たち三人には、こちらへ足を運んでもらうことが多くなるかな」
「わかりました」
「足を運んでもらうといっても、結局は単なる立ち合いをお願いする程度だけどね。こちらで勝手にアストライアーをいじるのも、君らとしては気分が良くないだろうし」
言われて真希は、少し口ごもった。救星軍が、AIMとの戦いに使命感を持って臨んでいるのは間違いないだろうし、情報開示を進めてもいるが、依然として底知れない部分も多々ある。そうした印象を統合すれば、「胡散臭いところがある味方」といったところか。
向けられた言葉に対し、反応に困った真希だが、すぐに助け舟が出された。
「支部長。今後のスケジュールについて、今一度共有を」
「そうだな……来て早々ですが、6月1日に実戦の予定があります」
藤森の言葉で、場が急に引き締まる。この情報自体は、真希も事前に知らされていたものだ。
「ごく小規模な群れが来るということで……私たちは、念のために待機するようにと聞いています」
「はい。我々で準備してきた戦力が、実際に通用するかどうかの試験を兼ねていますので。力を借りるような事態にならなければよいのですが……」
「担当部門としては、自信を持って送り出すが」
吉河が口を挟むと、藤森は真顔を少し緩めて真希と香織に向けた。
「担当者はこう言っていますので、期待してもいいでしょう。備えこそしてもらいますが、あまり気張らないようにしてもらえればと」
実際、真希の内側に、変に気張る感じはなかった。一方で、ソワソワしてしまう部分はある。なにしろ、その戦力とやらと、これから一緒に戦うことになるかもしれないのだ。人類の命運を始めとして、色々な物がかかった、大きな戦いを。




