第41話 新生活①
一般的に東京とされるところから、南東へおよそ1800km。そこには、行政上は東京都として扱われる南鳥島がある。神奈川県の厚木基地からは、航空機で3時間半ほど。
5月30日。春樹の案内で、真希と香織は、この日本最東端の島に訪れ――すぐにヘリへ乗り換えた。最終目的地は別にある。南鳥島を根拠とするEEZ内、そのかなり南方にある施設だ。
ヘリが飛び立って1時間ほど。乗り換え込みでは5時間近く、航空機に乗っている計算になる。アストライアーのパイロットという立場上、近ごろ急に空の旅が増えた真希にとって、航空機に乗るという経験は、さほど楽しめるものではなくなってきている。
(我ながらナマイキかもだけど……)と、自分がちょっとスレてきているように思われ、彼女は自嘲気味に笑って窓に顔を向けた。
彼女が経験した空の旅は、観光気分には程遠いものばかりであった。快適かと言われると疑問符がつくし、本州から出て南下するルートばかりだったせいで、見えるものといえば空と海。初フライトも、結局は必要に迫られての出撃という側面があって、無邪気に興奮できるものでもなかった。
しかし、洋上に何かの存在を認識し、彼女の目に生気が戻ってきた。彼女は揚々とした気分で顔を輝かせ、双眼鏡で確認にかかる。果たして、お目当てのものが、そこにあった。
3人の引越し先である。
☆
豪華客船を2つ、甲板の上をまっさらにし、それらの船の上に巨大な板を置く。船同士の固定と行き来のため、板の下には連絡通路を数本設置。
救星軍日本支部の新しい拠点は、そのような見た目である。
空母の甲板よりもさらに広い甲板上にヘリが降り立ち、3人は新たな住居に足をついた。
元々の作りもそうだが、新築という情報が、まっさらな甲板をさらに広く整ったものに見せる。さすがに管制塔はあるし、落下防止柵のようなものも遠くに見えるが……それでも、洋上に浮かぶ平面の広大さに、真希は呆気に取られた。
彼女がふと我に返ると、年上の二人が微笑ましそうに顔を緩めているところであった。急に恥じらいが真希の顔に押し寄せる。そこで春樹は、表情そのままに歩き出し、女性二人の先導を始めた。
「ここじゃ暑いし、さっさと中に行こうか」
そういう彼は、大きなバックパックを背負い、両手にも荷物を手にしている。大部分は他の二人の荷物だ。「世話役だから」ということで荷を請け負った彼ではあるが、照り返しのある甲板上で、服装はいつものスーツ。いかにも暑そうである。
この状況下で任せっきりというのは、さすがに……そんな思いから、真希は自分の分だけでも持っていくことに決めた。
「立川さん、自分のは持っていくよ」
「いや、これも仕事だし」
「空調が効いてるところに入ったら返すから」
自分の荷物を指して「返す」というのも妙な話ではあるが……春樹自身、暑さに滅入る部分はあるのか、申し出を素直に受け入れた。
すると、当然のように香織も動き、結局自分の荷物は自分で持っていく流れに。
それから、改めて甲板を歩き出したところで、春樹は二人に告げた。
「ここの構造、前もって聞かされてます?」
「いえ」
「私も」
「了解。じゃ、とりあえず重要なところから」
そう言って彼は、甲板上で一番目立つ構造物を指差した。
「この甲板の下に船が2つ並んでて、甲板からの入り口はいくつかあるんだけど、管制塔がある側のは使わないように」
「使うとまずい?」
「そこまで深刻なもんでもないけどね」
彼の口調も軽いもので、彼は簡易な説明を続けていった。
船は2つあるが、それぞれ役割が違う。1つは事務関係と居住用。もう一方は、多少の工場機能も有する研究開発用だ。軍事的な司令機能も、こちら側にある。
「そういうわけで、あっちはセキュリティーが厳しくてね。二人の場合、迷い込んでも重大事件にはならないだろうけど、必要がなければいかない側になると思う」
「それで、管制塔が目印になるということですね」
「そういうわけです」
そうこう話している間に出入り口に着き、3人は階段を降りていった。傾斜はきつくなく、ゆとりのある作りだ。軍関係か、それに類する施設という感じではない。
また、通路は空調が十分に効いていた。早速スーツの胸元を少し広げ、扇子で涼を取る春樹の足元に、真希は荷物をそっと置いて微笑んだ。対して、春樹は何も言わずに笑みを返し、荷物を手に取った。扇子を閉じ、空いた方の手は香織へ。
「私の分も、お願いします」
「ええ、もちろん」
そうして通路を歩き出したところで、真希は少し興奮しつつも、どこか訝しむ様子で言った。
「なんていうか……本当に、住む側って感じ。空調効いてるし、通路もゆとりあるし……」
「いや、色々事情があってね。設計に当たって、マジモンの豪華客船を参考にしたらしくて」
「えっ? マジで?」
「実績あるものを流用した方が安全だろって話で。後、偉い人をこちらにお招きすることもあるだろうし……パイロット含め、救星軍職員の福利厚生って面もある。重要な仕事を負っている者が、生活面なんかで余計なストレスを負わないようにってね」
「なるほどね~」
春樹の言を耳に入れ、真希はその前提を持って改めて船内を見回してみた。洋上ということを忘れてしまうくらい、足場はしっかりしたものだ。新築ということもあって、通路は清潔感にあふれている。
そして、そんな船内から覗く空と海は、軍用機の中から見るものとは、また随分と違って見えた。本州から離れた孤独を感じる一方で、こうした立場が「特別」なものとも思わせる。パイロットである自分たちだけのために用意されたわけではないとしても、これだけのものを用意される集団の一員ではあるのだと。
しばしの間、なんともいえない感慨にふけりつつ、真希は歩いていった。やがて、春樹が足を止め、二人に入室を促す。
そこは、カフェラウンジであった。客船ベースであれば、こういったものもあるだろうが、本当にあるとは思っていなかった真希は、少し戸惑う様子を見せた。香織も同じである。
そして、真希は重大なことに気がついた。
「立川さん」
「どうかした?」
「お金は? やっぱり、結構する?」
すると、一瞬だけ真顔で硬直した春樹は、すぐに破顔一笑した。
「基本的に、全部タダだと思っていいから」
「えっ、いいの?」
信じられないと言った顔でいる真希に対し、春樹はまず、周囲へ視線を巡らした。広々としたラウンジには客――もとい、同僚等の関係者――がちらほら。彼らに加え、「店員」も、注目すべき有名人の客3人に視線を注いでいる。
そこで春樹は、声を潜めるようにして真希と香織に告げた。
「職員の福利厚生上、こっち側の生活関係施設は、全部タダになってる」
「へぇ~、気前が良いね」
「ま、常識の範囲内で頼むよ。なんていうか……やりすぎると、教育に悪いからね」
困ったような笑みを浮かべて話す彼に、真希はふと故郷のことを思った。
(もしかして……私になにかあると、じいちゃんや先生たちに悪いから?)
ただ、それを面と向かって確認する真希ではなかった。想像が外れていれば、色々と立場のある春樹に新たな枷を強いることになりかねない。さりとて想像が合っていたとしても、口にするのはいかにも可愛げがないし、それはそれでプレッシャーになりかねないからだ。
だから真希は、単に笑顔を向けるにとどめた。
「ま、ヒーローとしての外聞もありますもんねえ~」
「そーゆーこと。ちょっとくらい羽目外すのも可愛いもんだとは思うけどね」
☆
カフェラウンジで各種施設の説明を受けた後、3人は真希の居室へ向かった。
真希の部屋は、高めのビジネスホテルといったところだ。トイレと風呂場はセパレートで、ベッドは一つだが、部屋の間取りはゆったりと余裕がある。そして、窓は大きく、空と海の青さがなんともいえない開放感を与えてくれる。
さて、本来の入居者以外がやってきたのには、もちろん理由がある。春樹は腕時計を見つめるや、いそいそと準備を始めた。リュックサックからバッグインバッグを取り出し、その中から出したのはノートパソコン。立ち上げつつ、他のケーブル類も手際よくセッティングしていく。
真希も香織も、同世代の人間に比べれば、こういった端末の扱いには慣れている方ではあるが……口を挟む暇も必要もないほどに、春樹の手でどんどん作業を進む。
やがて、一通りの準備が整うと、春樹は振り返って「できたよ」と言った。イスから立って真希に交代を促す。
入れ替わって真希が座ると、PC上には見覚えのあるアプリが立ち上がっていた。テレ授業のために使うという、ビデオ会議用アプリである。
「これ、もう使えるの?」
「あ~、説明しないとだけど……最初は僕が動かそうか。あんまり時間もないことだし」
そこで、真希はタスクバー端に目を向け、「お願い」と言ってうなずいた。真希が座る横で、春樹がマウスを動かしていく。
すると、向こう側とつながった。狭い画面上に、級友たちが「我も我も」とすし詰めになっている。その中央で代表として端末を操っているのは、学級委員の女子である。開口一番、彼女は笑って言った。
「今日ばっかりは、学級委員で良かったって思うわ」
「な~に言ってんの、まったく」
とはいえ、その席を取り合ったのであろうことは想像に難くなく、真希はやや視線を落としつつも顔を綻ばせた。
今のところは、単なる動作確認である。昼休みで食事が終わり、数分もすれば刻限のチャイムが鳴る頃合いだ。事情が事情とはいえ、担任以外が受け持つ授業を邪魔するのは悪い。引越し先でやることはまだまだあり、後ろ髪を引かれる思いをしつつも、真希は言った。
「また後でね。放課後なら、時間は取れると思うから」
「わかった」
「ところでさあ」
真希と級長のやり取りに割って入った声の主は、身を滑り込ませるようにして発言を続けた。
「マッキーの後ろの人たちって、もしかして……」
「えっと……みんなも知ってる、かな?」
真希が答えると、モニターの向こう側は大いに沸き立った。さすがに級長は、時間の兼ね合いもあるのか、やや困り気味だが……意を決したように、彼女は言った。
「もしよろしければ、お顔だけでも拝見できませんか? 高原さんがお世話になっている方ですし、ご挨拶できればと」
(うまいこというもんだな~)と、真希は感心した。二人が顔だけでも見せれば、級友たちはそれで収まりがつくだろうし、二人に頼み込む言葉としては自然だ。
そして、真希の後ろでにこやかに様子をうかがっていた二人は、こういった頼みを無下にする人物ではなかった。真希の左右に顔が並ぶように、二人が腰を下ろすと、モニターの向こうは歓声に満ちた。無理もない反応だ。あちらからすれば、世界を救ったとさえ言える3人が、小さな画面にちょうど収まっているのだから。
そんな騒ぎに満ちる中、級長は義理堅くも頭を深々と下げた。後ろがうるさすぎて、声では届かないと判断してのことだろう。
やがて騒々しさが去った頃、真希の友人が身を乗り出し、春樹に問いかけた。
「変なこと聞きますけど……なんで海へ引っ越したんですか?」
「うーん、そのうち公表することになると思うけど……」
「あっ、いえ、単に気になっただけです」
自身の聞き方に少し棘があったと感じたのか、身を乗り出していた彼女は、少しシュンとして身を引いた。そんな彼女に対し、顎に指を当てて考えた春樹は、あまり間を置かずに答えていく。
「基本的に、敵の迎撃は洋上になります。陸地だと、どうしても避難誘導等の手間が増えますから。引っ越したのは、すぐに迎え撃てるようにするためですね」
「……それって、敵がまずは海に降りる性質があるってことですか? それとも……もしかして、誘導するとか?」
「いや、それにしたって太平洋は広いし、カバーしきれないんじゃ?」
「でも、クラゲぐらいなら戦艦で落とせるんだろ? 久里浜と違って、前もって動かしておけるなら、十分間に合うんじゃね?」
春樹の言に対し、男子生徒を中心に言葉が交わされ始めた。完全に無視するというのもはばかられる立場の春樹は、やや苦笑いして答えた。
「近日中に、その回答を公表できるかと思います。とりあえず、今の話は外には漏らさないように」
「それはもちろん。お互いの迷惑になってしまいますから」
きっぱりした様子で級長が告げ、級友たちもしっかりとうなずいた。
と、そこでチャイムが鳴った。だが、多くは名残惜しそうにそのままでいる。締めの言葉が必要だろう。真希は最後に、「またね!」と言って手を振った。
ただ、向こうも結局同じようにするばかりだ。やらなければならないこととはいえ、先に切ってしまうのには抵抗がある。最終的に、「せーの」で揃えて切ることになった。
ビデオ会議が切れると、真希の側は急にしんみりした空気になった。少なくとも、彼女はそのように感じた。しかし、すぐに気を取り直し、彼女は朗らかに言った。
「ご飯食べよ? 立川さん、案内よろしくね!」
「了解」




