第1章 エピローグ
戦いの締めくくりまではと、意地を張って気力を持たせた真希だが、彼女は甲板に立つや否や、意識を失ってしまった。その様を間近で眺めた春樹もまた、微妙な笑みを浮かべて倒れ、二人を迎えた者たちは騒然となった。
もっとも、ヴァジュラ1射目における香織と同様、命に別条があるものではなかったのだが。
帰還を果たして数時間後、目を覚ました真希は、ベッドからゆっくりと上体を起こした。場所は香織が寝ていた医務室である。
ただ、以前と立場は逆転しており、真希と春樹それぞれのベッドの間で、香織が椅子に腰かけている。
「おはよう」
「……オハヨー」
香織に声を掛けられた真希は、相手の顔をまじまじと見つめながら声を返した。
「今、何時?」
「えっと、深夜一時を回ったところ」
「……お肌に悪いよ?」
きっと、今まで起きていたのだろうと考えた真希は、困り気味に力なく笑って言った。一方、向けられた言葉に対し、香織はキョトンとした顔になった後、顔を綻ばせた。
「これぐらい、夜更かしの内にも入らないし……」
「教育者の言うセリフかなあ……」
「辞めたからいいのっ」
「良くはない」
そうして軽口を交わし合い、二人は笑った。しかし、真希は横のベッドで眠る春樹に目を向け、ため息をついた。
少し横で騒がしくした程度では、起きる気配がない。ドラマで見るような物々しい装置につながれていないあたり、問題はないのだろうが……物憂げな顔で彼を見つめ、真希は口を開いた。
「香織先生」
「なに?」
「立川さんが起きるまで、まだ起きてる?」
尋ねられた香織は、少し黙り込んだ。
「実は、私も少し眠くて……藤森さんから、無理しないようにって言われてるし」
「そりゃそっか、先生も頑張ったし」
「私としては、2回戦ったのに先に起きてる真希ちゃんにビックリなんだけど……」
「ま、鍛えてるからね」
そうして言葉を交わしつつ、二人は春樹の様子をうかがったが、やはり彼はそのままであった。激戦の後ではあるが、中々安らかな寝顔をしている。
真希は少し身を乗り出し、彼の顔の前に右手をかざした。そして、静かな呼気を確かに感じ、「ま、いっか」とつぶやいた。
「先生も寝たら? 私も、もう少ししたら、また寝るつもりだし」
「うーん……そうね。立川さんには悪いけど……精華さんに代わるわ」
「精華さん?」
「見守り役が一人はいないと、あなたたちに悪いからって」
そう言って立ち上がった香織に、真希は笑顔を向けて小さく手を振った。二人で「おやすみなさい」と言葉を交わした後、香織が部屋を立ち去っていく。
そうして部屋が静かになるも、すぐに真希は、思い出したように動き出した。ネックストラップで下げられている白いアクセサリーを手に取り、声をかけていく。
「ステラ?」
『はい』
「腕とか、治りそう?」
『もちろんです。ただ、完全に直るまで、数日はかかるものと思われますが』
前腕部のみの喪失であれば、作戦中にものの数時間で修復が終了していた。それに比べれば、数日というのは大きな差である。疑問が顔に浮き上がる真希。
そこで、ステラが補足を入れた。曰く、損失した質量に対し、修復までの時間は比例しない。グラフにすると曲線を描き、損傷が増すほどに、復旧までの所要時間も弾みがついていく、と。
ただ、修復まで時間がかかるものの、大きな心配はなさそうである。
『地球近傍に、敵影は見当たらないとのことです。もしかすると、細かな見落としがあるかもとのことですが……救星軍で対処すると』
「そっか。まあ、任せるしかないよね」
『はい』
そうして会話が途切れ、沈黙が訪れた。ステラの側から話し出そうという気配がなく、真希にはどうにも、気まずく感じられる。
というのも、彼女はステラに対して、負い目のようなものがあるからだ。横で眠りっぱなしの同乗者にも、申し訳なさげな目を向けた後、真希は口を開いた。
「なんか、こう……荒っぽく使っちゃって」
『真希さん』
食い気味にかぶせてきたステラの声音に、やや鋭く固い感じを覚えた真希は、少したじろいた。
「なに?」
『痛い目を見たのはお互い様です。ですから……そういうの、ナシにしませんか? 突撃の直前、あなたから似たようなことを言われたから、というのもあります』
言われて真希は、攻撃を仕掛けに行く直前のやり取りを思い出した。
(あ~、何か、私たちに負い目とか感じないでね、みたいなことを言ったっけ)
あの時口にしたようなことを、今度は自分に向けられている。その気恥ずかしさに唇を小さく歪めた真希は、ステラの白い核を指先で優しくなで始めた。
「触られてるの、わかる?」
『はい』
「気持ちいい?」
『そういう感覚はよくわかりませんが……長く続いてほしいとは感じています』
「そっかー」
そこで、真希は撫でるのをやめた。意地悪く微笑む彼女の手の中で、ステラは声を上げず、ただわずかに震える。それからまた撫で始めると、ステラの震えも収まり……真希は優しげな目をしつつも、小さな含み笑いを漏らした。
香織が去って数分後、ドアがノックされた。「どうぞ」と真希が答えると、「失礼します」と女性の声。入ってきたのは予想通り、精華であった。
一礼の後、彼女は真希の傍らへと歩を進めていく。穏やかな微笑を浮かべる彼女だが、向けてくる視線の中に何か熱いものがあると、真希は感じた。
そして、精華はイスに座った。スラッとした長身の持ち主だからか、姿勢の良さが際立つ。先に座っていた人物が、そんなにピシッとしていなかったから余計にということもあるが……その姿勢の良さに、真希は肉親のことを思い出した。
(じいちゃん……今回の戦いのこと、何かで見たかな……)
すると、えも言われぬ感情が胸にこみ上げてきた。ただ、いきなり涙ぐむのも変かと思い、真希は少々失礼と思いつつも、あくびのフリをしてごまかした。そして、適当に思いついた話題を投げかける。
「世間じゃ、結構な騒ぎになってたり……しませんか?」
「はい、それはもう」
にこやかに笑って応じる精華は、春樹を起こさないように気遣う様子を見せつつ、抑えた声音を弾ませた。
「世間でも、英雄扱いですよ」
精華が口にした“でも”という言葉と、彼女が投げかける視線の中に、含むものを感じ取った真希は、照れくさくなって掛け布団に潜り込んだ。そんな彼女へ、嬉しくも恥ずかしい追撃が襲いかかる。
「あなたのおかげで、小学生のあこがれの職業に、『アストライアーのパイロット』や『救星軍の人』がランクインしそうな勢いです」
自尊心のようなものを遠慮なくくすぐられるようで、真希は布団にくるまりながらも身悶えた。そして、放っておくと危ないと考えた。何か、話題を変えなければと。
そこで彼女は、精華のことを尋ねることにした。
「守屋さん」
「はい」
「一つ聞きたいことが……」
「何でしょうか」
「小学校の卒アルで、将来の夢とか書きました?」
すると、精華は黙りこくった。(変なこと聞いちゃったかな)と思った真希だが、幸いなことに、精華にとってはただ恥ずかしい話であるだけのようだ。先程までよりも小さな声で、彼女は言った。
「笑わないで、聞いてほしいのですが」
「もちろん。で、なんです?」
「……正義の味方です」
☆
翌朝9時。真希の目覚めは、中々爽快なものであった。全身にまとわりつくような倦怠感こそあるが、激闘の余波としては軽いものだ。
一方、隣のベッドで起きた春樹は、かなり怠そうにしている。彼は目覚めて身を起こすなり、横の真希と自身を見比べ、苦笑いした。
「やっぱ、若い子には敵わないな……」
「いや、立川さんも十分若いでしょ」
「それはそうだけどさ」
そうして起床した二人の元へ、香織と精華がやってきた。まずは朝の挨拶を交わし合い、続いて精華から業務的な話が。
「今、動けそうですか? よろしければ、朝食の前に寄っていただきたいところが」
「私は大丈夫ですけど……立川さんは?」
「大丈夫です」
返答までに、ほんの少し引っかかるような間を認め、真希は彼にそれとなく視線を向けた。無理しているのではないかと。
ただ、実際には杞憂だったようで、彼なりの強がりもあるのかもしれないが、自力で歩くのに支障はないようだった。
それから、精華の先導で四人は艦内を進んでいった。妙に人気のない通路を進み、不自然なほど人とのすれ違いがないまま、足は甲板の方へ。
果たして、四人が甲板に上がると、空は気持ちがいい程に晴れ渡っていた。あの暗雲は、かすかな残りが遠くでまばらに見える程度だ。
そして、その晴天の下には、広い甲板上を埋め尽くさんばかりの人が整然と並んでいる。
ここまでの通路の様子や向かう先から、もしかしたらと考えていた真希ではあったが、直に目にする人の多さと彼らが湛える熱気の前には、ただただ圧倒されてしまう。春樹も同様に立ち尽くしているし、事前に知っていたであろう香織も、呆然とした様子でいる。
そんな三人が我に返ったところで、先頭の精華は微笑みかけ、前へと案内していった。左右に並ぶ行列の向こうには、救星軍日本支部長と、この艦隊の司令官の姿が。
やがて、一行が代表者の前に立つと、司令官は真希に向けて無言で手を差し出した。何か言われてもわからない彼女としては、それでちょうど良かった。それに、言葉がなくても通じ合える――そう思いたいという気持ちも。
差し出された手は厚みがあって、暖かだった。互いにギュッと力を込めて握りあうと、拍手の波が急激に広まり、甲板上が歓喜に満ちる。
そんな中、真希はふとひらめいたことがあり、首に吊るしたアクセサリーを手にとった。それを高らかに掲げると、さんさんと降り注ぐ陽の光を受け、白い珠がキラリと輝き、場は一層の歓声に包まれた。
☆
ハワイでの戦闘終結から、ほぼ半日後。太平洋上空、高度3万6千km程度の宙域にて――
漆黒の闇に溶け込むように、それはあった。全長十数メートルの、機械の巨人だ。流麗なシルエットのアストライアーよりは、直線が多くやや鋭角的なそれは、ほとんど光沢のない黒で塗り潰されている。
その人型起動兵器の内部、半球状のコックピット内で、一人の男性がハンカチ片手に球面モニターを見つめていた。年の程は40代程度。薄手のパイロットスーツに包まれたやや細身の体は、筋肉質で引き締まっている。
フルフェイスのヘルメットを膝におき、モニターを食い入るように見つめる彼は、時折にじむ涙でハンカチを濡らした。
モニター上に映し出されているのは、ハワイで起きた一連の戦闘である。アストライアーが、マクロフォージ目掛けて急降下していく動画を、彼は幾度となく繰り返して視聴していた。
と、そこへ、戦闘音らしかぬポップな音が響き渡った。次いで、女性の声が流れる。
『マスター、父君からです』
「ああ、了解」
男性が少し声を震わせながら応じると、モニターで視聴中の動画は隅に追いやられた。代わりに、周囲の宇宙空間と、地球を中心とした広域のレーダーが映し出される。
次いで、動画がミュート状態になったところで、しゃがれた男性の声がコックピット内に響いた。
『今、大丈夫か』
「ああ、問題ない」
『……少し涙声に聞こえるが?』
通話先が、少しからかうようにも聞こえる響きを持たせて言うと、パイロットは鼻で笑った。
「いま話題の動画を見て、一人じゃないって思えてね。年甲斐もなく感動していたんだ。父さんは違うのか?」
『まぁ、報われた気はしたな。だが」
「ああ、わかってる。まだまだやることはあるんだろ。それも、山ほどな」
言葉を返した彼は、宙に右手を遊ばせた。その動きに呼応するように、モニター上のレーダーが動き出し、地球近海の"勢力図"が少しずつ鮮明になっていく。地球と月の間の宙域を映し出すそこには、数多くの光点が存在している。
それを目にして、彼はうんざりしたようなため息をついた。すると、彼へ労いの言葉が投げかけられた。
『お前も、良くやった』
「ま、小物であっても、介入を許せる状況ではなかったからな。衛星のオペレーターたちも、十分に労っておいてくれ」
『実は、お前の分で最後だ』
「……で、何か用件があるんじゃなかったのか?」
『ああ、そうだった。こちらの状況を伝えようと思ってな』
すると、モニター上には様々なものが映し出された。ハワイの航空写真に、現地からの映像。情報系サイトを思わせる文章の羅列などなど。
『マクロフォージは、ほぼ完全に崩壊した。山体に脚部の残骸が残っている程度だな。他の残骸の組成を調べつつ、脚部も回収できれば……といったところだ』
「島民の生活について、米議会は?」
『数年は無理だとの同意に至った』
「そもそも、赤道近くの島だからな……」
『そうだな。他の諸島についても、避難勧告の用意をしてもらっている』
そこでモニターは、地球を映し出した。太平洋が大きく拡大されていき、洋上の島々が光って強調表示される。赤道近くのそれら諸島を一瞥した後、男性は口を開いた。
「うまくいけばいいんだが」
『まったくだ。こちらがうまくいかなければ、お前の仕事が増えるだろうしな』
すると、男性は乾いた笑いを上げ、苦い表情を浮かべた。
「ま、娘も頑張っていることだし、これぐらいはなぁ……」
しみじみと、感慨に浸るように放たれた言葉だが、通話先からは反応がない。少ししてから、しわがれた声は告げた。
『現状の報告は以上だ』
「わかった。後は降りてからだな」
そうして通信が切れると、男性はモニターをぼんやり眺めた。彼に女性の声が問いかける。
『帰投の準備はいかがいたしましょうか』
「まだいい」
『了解いたしました』
コックピットが静かになると、男性は右手を動かしてモニター上の各種情報表示を消していった。広大無辺な漆黒の海の中に、大小さまざまの星明かりが輝いている。
――人類の技術が捕捉したものからそうでないものまで、この闇の中に多くの脅威が潜んでいる。つい先日、ハワイにて退けたあの巨大な怪物も、既知の敵群の規模の前には、それなりの大物でしかない。
人類が納めたこの勝利は、この先の遠大な道のりの、ほんのわずかな一歩でしかない。
だが、それでも、偉大な一歩である。
この勝利の価値に思いを馳せた男性は、モニターに右手をかざし、無言でゆっくりと手を握った。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
キリが良いところということで、ご感想等いただければ、大変励みになります。
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