神様の過ち
「天職が術士、か」
「決して悪いわけじゃない。食いっぱぐれないし。いざというときは身も守れる」
「そんなことはわかってるさ。俺も、息子も」
深夜。家族の中でも大人たちが話しているのを、真新しい扉越しに聞いていた。扉越しに聞く会話は油断すると聞き逃してしまいそうなほど小さいが不思議と耳には響く。
「天職につかせるべきだ」
祖父の力強い声に視線は床に向く。
やはりそうだろうな、とも思う。理性的にかつ合理的に考えるとそれしか選択肢がないように思う。
この世界では10才から12歳ごろになると皆天職を与えられる。たまに、13歳で与えられる子もいるし、9歳で役割が与えられる子もいる。だが、3歳で与えられたというのは聞いたことがないし、18にもなって与えられていない、というのは聞いたことがない。
この世界には、神様が実在する。そして、神の子らに相応しい職と職に必要なありとあらゆる才能を授ける。子らは割り当てられた職に喜び、職を全うする。もしくは、従うのだ。それが普通で当たり前で常識だ。少なくとも、ここ20年は。
今年で12になるリベルも天職を授かった。
与えられた職は術士。術というもので、火や水、風を操り時には薬を作ることさえある。安直にいえば、リベルは神様に魔法使いであることを求められたのだった。しかし、問題もあった。彼、リベルは物心つく頃から剣に心を奪われていた。将来仕事をするなら剣に関わることを、と決めていた。根拠なく、授かる天職は剣士か、そうでなければ鍛治士だと思っていた。
「しかし、リベルは」
父親は言い淀む。母親は、何も言わずにじっと身を固めるのみなのか、声は聞こえてこない。
「神様の御意向にそむくと」
険のある声色が肌を指す。肌が粟立つ感覚を覚える。しかし、ははっと笑いながら父親ははっきりと意見する。
「農家が、ある日突然、お前の仕事はこれだと銛と船を持たされても困るでしょう」
「これは、そういう話ではない」
「いえ、そういう話ですよ、神様だって間違うことはあるみたいだ。剣士の心と魂を魔法使いの体に入れちまうとは」
神は間違った職を息子にあたえたのだ、と。
「おまえ、なにを言っているのかわかっているのか」
祖父は声を荒げる。テーブルを叩き割る破砕音が家中に響く。
「あんたこそ、何言ってるのかわかってんのか!息子に、お前は剣士になれないから諦めろ、とそう言えってのか」
「剣士になったところでどうする。天職は術士だぞ。非才で頭もいいかもしれんが、非力で俊敏さに欠けるのはわかりきっている。剣士になるには、余りにも真逆の才能だ!不幸になるぞ。これはもう。決まったことなんだ」
現実を叩きつけられた気がした。確かに、リベルの体はすでに術士のものだった。
空気中にある、森羅万象の全てを操ることができる気がした。実際に手のひらに火を灯すことも容易だった。誰に教わったわけでもない。自然と方法と理論が理解できた。一方で、いくら鍛えても、筋肉はつかず。足も遅いまま。確かに、神様が作ったこの体は剣士には向いていないようだった。
足は、玄関へと向かっていった。現実を受け止めるのに、時間が必要だったし、気分を変えたかった。何より祖父の怒鳴り声を聞きたくなかった。
「それでも、リベルは俺の息子なんだ。やると決めたことは絶対に曲げたりしない」
父親の声を背に扉を開けた。その重圧を玄関のドアでバタンと遮った。
リベルの住む街は比較的発展している街らしかった。石畳で舗装された道。家屋は木製と煉瓦で作られたものが混在しているが、そのどれもが真新しい。少しあるけば、公園もある。リベルは、その公園のベンチに腰掛け、落ち着くことにした。剣士の夢を捨てるには覚悟が必要だ。
公園のベンチが見えてくると先客に気付く。おまけにそいつは、近づくと話し掛けてきた。
「ん?もしかしてリベル?どしたの?こんな遅くに」
彼女はアレキサンドリア。言いにくいから、アリーと呼んだりする。街でも目立つくらいには、綺麗な顔立ちをしていて服も庶民の割には良い服を着ている。彼女の父親は娘をやけに可愛がっていた。歳は2つ上だったはず。仲が良いわけではないが家は隣なので、まったく話さないのもおかしいので、挨拶くらいはする。確か、彼女の天職は剣士だ。腰に細身の剣が下げられているのも、それを補足していた。
「リベルの天職、剣士じゃなかったんだ」
「なんでそれを?」
「剣士の歩き方は、老若男女みんな同じになるんだよ。天職に体が引っ張られるから」
それは、羨ましいことだ。顔面の表情筋が突っ張るのがわかる。上手く、愛想笑いできない。
「本当のところは?」
「リベルの父さん、声でかいね」
ああ、と納得の声。
「なんで剣士?術士もかっこいいじゃん、めっちゃモテるし」
「親が、剣士なんだよ」
父親みたいな強い偉大な男になりたくて、剣士になれば父親に近付ける気がした。恥ずかしいのでアリーには言えないが。
アリーは三つ編みにした長い髪を撫でながら、目を合わさず話しかけてくる。
そうか、あの人めっちゃ格好いいから。わかる気すんなー、あんな風になってみたいよね。そんな内容を半分聞き流して、三つあるベンチの一番端に座る、今は彼女と話したい気分ではなかったが、夜の街で12歳が落ち着ける場所をここ以外に知らなかった、少なくともアリーの方が祖父の怒鳴り声よりマシだった。だから、少しだけ腰を下ろすことにした。
「リベルはさ。天職、剣士が良かったんだよね」
カシャりと細剣が彼女の腰で揺れる。
「嫌味かよ」
リベルは悪態をつきたいわけではなかったが、煽るような真似をされては黙っているのも難しかった。
「ごめん、そうじゃない」
それから、アリーは言葉を慎重に選んでから、言った。
「僕はさ。男に生まれたかったんだ」
女は人間関係が面倒だとかそういった話だろうか。リベルは年上の女性がそういうことをたまに口にするのを聞いたことがあった。
「どうして」
興味本位というには、面倒だったが暇つぶしにはなる。そう考えてのことだった。
「僕はさ。男なんだよ。本当は」
滑らかな曲線の足と、膨らみ始めて少し経つ胸、夕陽のような長い赤髪をそれぞれに凝視する。
「どこがだよ」
「心と中身が」
柔らかそうな唇はキツく結ばれていた。
「なんで、俺に、そんなこと」
「なんだろう、リベルがさ。もうどうしようもない。諦めるしかない。みたいな顔をしてたから」
アリーは、目を合わせなかった。真っ暗な空だけをみていた。きっと、一人だと自分もそうしていただろう。
リベルはそっと、内心で謝った。そして、あえて、びっくりした様に振る舞う。
「アレックス、そういうことは、早く言えよ。」
自分の体をさする様に、リベルは言った。
「なんで」
「一瞬でも、お前の唇とか脚とかみちゃった自分が気持ち悪い。お前、男かよ」
自分は剣士のつもりでもきっと、周りはリベルを術士として扱うだろう。この体はもう術士なのだ。神様がそう決めたから。それは自己を否定されるような気持ちで辛い。周囲が自分ではなく、違う何かを見ている様で酷く気持ち悪い。
アレックスも、自分は男のつもりでも周りはそうは見てくれない。それはきっと、気持ち悪いものなのだろう。
きっと神様は間違ったのだ。男の心を女の体に入れてしまった。神様が勝手にそう決めた。ただそれだけなのだ。
「はは、どっからどう見たら男に見えんの」
アレックスは笑った。もう、空は見ていない。
「自分で言ったんだろ。あとその口汚ねーからやめろ」
リベルは、アレックスのアヒル口を咎めた。なぜ、あんなに柔らかそうだと思ったのか、不思議でならなかった。
その夜、二人はご近所さんから友達になった。
よく連んでいるものだから、付き合っているだとか噂されたが、気にもしなかった。
よく考えて欲しい。
男二人でよく遊んでいるから、付き合っている?馬鹿馬鹿しくて逆に笑える。
そんな噂が街中を駆け巡ったのだから、よほど皆娯楽に飢えているのだろう。もっと面白いものがあるはずだ。
「リベルは、本当剣上達しないよね」
「うるせー。8合合わせられる様になったんだ。強くはなってる」