92話 夏の音、殺した君へ
「世界が五分前にそっくりそのままの形で、突然出現した。誰も、そのことを確実に否定することはできねー、だっけ」
懐かしい声だった。気怠げで、しかし不思議と耳触りのいい、夏に鳴る縁側の風鈴のような声。
「世界5分前説、おまえなら、知ってるよなー、とーやま」
しゃわしゃわしゃわしゃわ。
校庭のもみの木、遅れて蝉たちの声が砕けて聞こえる。
教室の窓を、夏が、叩く。
「バートランド先生が提唱したトンデモ設だけどよー、オイオイオイ、まったくどうしたもんだい。ほんとじゃん」
懐かしいそいつの声は、記憶に残っていたもの、最後に探索者になる前に会った時よりさらに幼くて。
「…………なん、で?」
遠山は喉から搾り出すように、声を漏らした。真昼間の交差点で、幽霊でも目にしたような気分だった。
「なんでって言いたいのはよー、こっちのほうなんだなこれが。とーやま、とーやま、とーやまくんよー」
同じだ。その女、濡れたままの髪の毛をそのままにするズボラさと、なのに、異様にそれすらも似合う容姿の良さ。
黒髪のセーラー服のズボラな美少女、厭世的な態度、それでいて目を離せない神秘を感じさせる容姿の女。
高校生の海城優紗が、遠山の高校時代の、ある重要な人物が、そこにいた。
「いや、これ、夢か…… ファラン、あのメイドさん、精神攻撃系の奴かよ」
「おい、そこのオタク、僕の話をまずは聞けって」
「……すげえな、このムカつく喋り方、マジでカイキそのものじゃん……」
遠山がまじまじとその少女を見つめる。中性的な顔立ち、猫のように丸くアーモンドの目。太陽をちりばめた黒曜石のような瞳。
相変わらず、性格はともかくツラがとてもーー
「ちえすと」
ずびし。
目にも止まらぬ速度の目潰し。遠慮なく女の子を見つめる遠山の目に細い指が。
「……おぎゃああああ?! め、目エエエエエエエ!?」
「ふ、安心しろ、峰打ちだ」
ひっくり返り、悶える遠山を、机に座ったままのカイキが見下ろす。
ふうっと、ガンマンが銃口の硝煙を吹き飛ばすように戯けて。
「目潰しに峰打ちもクソもあるか、このタコボケ!! って、痛い……? なんだ、この夢、痛みもあるのかっ、クソ……」
「この男、まーだ人の話を聞く気ないな。もう一発行きますか」
黒髪の美少女。カイキが目潰しの素振りを続ける
「待て、やめろ、マジで目はやめろ。眼科の検査の風吹くやつ並みに怖いから」
「……ああ、あれ、怖いよね…… 気球の絵を見る奴だけでいいじゃんね」
しみじみとつぶやくその女の顔は、遠山の記憶に残るものと全く同じ。
3年間の青い春のものと全く同じでーー
「………え、まじでカイキ? 基特高校の? 俺とタメのあの死にたがり屋のバカ女?」
「そういう君はマジでとーやまだね。基特高校の。僕とタメのお節介のひねくれいじけ友達ナシ男」
互いに容赦のない罵り合いはしかし、敵意など微塵もない。
互いにそれが互いへのコミュニケーションだと理解していた。
「訳が、わからん…… いや、なんだ、この状況」
「そりゃこっちの話だぜー。さっきまで、この教室は国語の授業中だったのによー。君が居眠りから目覚めた瞬間、全部壊れちゃってよ」
「なんの話だ?」
読めない話、カイキはどこからか取り出したいちご牛乳の紙パックに小さなストローを刺しながらぼやいた。
「……へえ、ドラルの奴、アメリカからの交換留学生じゃなくて、別の世界の生き物なんだ。んで、とーやまは、それを追いかけてきた、と。ほーん、ほんほん、うわー、萎えるなあ」
とんとんとん、まぶたの上を叩きながらつぶやくその内容、彼女のはなしのスピードについていけない。
「カイキ、おまえ、何を」
「世界5分前説。さっきも言ったろ。あーあ、つまんねー。僕も、この世界も、君の記憶を材料に造られたものなんかよー、なんだよ、それー」
「は?」
「とーやま、超優秀な君のライバル、このカイキ様はよー。ぜーんぶお見通しなんだぜ」
「うわ、そのセリフ、カイキがめちゃくちゃ言いそう」
「うわ、その顔、君大人になっても目つき悪いなー…… とーやま。これ、夢じゃないよ。少なくとも寝てる時に見る夢じゃあないね」
「夢、じゃない?」
「そ。少なくとも僕は、ついさっき、さっきのさっきまで、その席に座っていた"高校2年生"の遠山鳴人とこの夏休みの計画を話していたんだよ、僕のーー」
カイキがにんまり、八重歯を見せながら笑う。
ああ、遠山はこの先の言葉を良く知っている。
いつも、海城優紗は口癖のように。
「ーー壮大な自殺計画か? 死にたがり女」
その言葉を遠山が被せる。
「ーーはあ、ああ、ちくしょー、君完全にとーやまじゃん。……今のセリフで理解した。君が本物、僕たちとこの世界が偽物だ」
カイキが笑う。眉を下げつつ、困ったようなその笑い方には諦めと、悲しみと。泣き笑いにも見えた。
「カイキ、おまえ」
「いい、いい、もう大体わかったよ。この僕は、君の記憶から作られた仮初の命、この世界は君の記憶をいじられて勝手に作られた舞台だ。んで、僕の役割は、君を試すこと……? はーん、さてはこの世界を作った奴、相当焦ってんなあ、僕のことも、とーやまのことも、なーんにもわかっちゃあ、いないぜえ」
遠山の言葉を手で払いながら、カイキがまたまぶたをぽんぽんと人差し指と中指で叩きながら呟いた。
「お前、どこまで知ってんだ?」
「ああ、良い、良い。皆まで言うなよ、とーやま。このカイキ様が1から100までジョーキョーを教えてやるさ。んー、僕の予想が正しいとすれば、こう、かな?」
パチン。
カイキの細く、白い指が気味の良い音を鳴らして。
「は?」
水面に、夏の日差しが砕けている。
鼻に届く爽やかな、薬臭さ。カルキの香り。
ちゃぱん、ちゃぽん。どこか呑気な水面が揺れる音。
ざらざらした地面、剥き出しのコンクリートでできたプールサイドにいつのまにか、遠山は座り込んでいた。
「おー、出来た、出来た。んー、風の匂いも、この日差しの暑さも、ほんと、本物にしか思えないのに、偽物たあなあ……」
「プール……」
カイキが指を鳴らした途端、さっきまで教室の中にいたのに景色が変わる。
プールにいた。
「はは、つめてー。……とーやま、状況を説明してやんよ」
カイキがいつのまにか上履きを脱ぎ捨て、プールサイドに腰掛け、足をチャプチャプ水に浸して遊んでいる。
水が、砕けて、小さな白い泡が現れすぐに消えた。
「君は今、何者かが即席で作った世界の中に閉じ込められている、夢とかそんなあやふやなものじゃない。ここは君の記憶を材料に造られた、そうだな、箱庭みたいなもんさ」
「……箱庭……眷属界、あのメイドさんまためちゃくちゃなことを」
メイドさんが呟いた言葉を反芻する。あれは、なんらかのキーワードだったのだろう。メイドさんに何かされた後、気づけばここにいた。
現在進行形で、メイドさんの力で造られた場所に閉じ込められた。割とこういう事態に慣れてきていた遠山は、状況を理解して。
「心当たりがありそうでなにより。んで、この僕は、君の記憶に残る"海城 優紗"を材料に造られた、まあ、いわばスワンプマンみたいなもん。あーあ、普通こう言うのって気づかないもんだよねー、まあ、でもそらに気づいてしまうのがよー」
ふんふんふん、ドヤ顔で、ぱちゃぱちゃぱちゃと水面を足で叩き続けるカイキ。
その言葉に、遠山が被せるように
「カイキユサだろ」
「っ! ふふーん、わかってるじゃん、とーやま。そう、僕なら気付く、例え普通に僕自身が生きてきた17年間の記憶と昨日食べた夜ご飯の味を覚えていても、こんな風に気付く、全部偽物で、自分が誰かの複製品として生まれてきてたことにね」
「ああ、お前ならそう言うよ」
海城優紗はそういう奴だ。
まるで世界に愛されているように、この女はなんでも出来る。できないことはたった一つだけ。
そんな、女だった。
「……とーやま、君、大人になって少し変わったね。け、むかつくぜ。ま、本来ならこの世界、もう少しマシに、君がここに来た後は普通に機能してた筈なんだけど、どうやらミスがあったらしいね。壊れちゃってるわ、これ」
「どう言う意味だ?」
「簡単さ、テレビゲームのキャラクターがよ。この世界はテレビゲームの中の世界で、自分はキャラクターに過ぎない、なんて気づいたらダメだろ? 定められたプログラムの中で起こってはならない挙動がある、それをバグっていうのさ。さてとーやま、そのバグは誰でしょうか?」
「お前」
遠山が、カイキを指差す。
「と、君さ。とーやま」
その指した指を、カイキがぐいっと掴んで自分から晒す。
「ひっひっひ。面白いなあ、この世界を作った存在はトンデモなくすごい存在、それこそ神様か何かに近い存在だけど、君のことをよく知らなかったらしいね、そしてもちろん、僕のことも知らなかった。シンプルなはなしさ。僕と君はこの世界の創造者には扱いきれなかった。大きな二つのバグに耐えきれず、この世界はあっという間に壊れちゃったわけ」
「壊れたってのは……」
「んー、本来さあ、あれだよ。君がまず、この異常事態に気付くにはもう少し時間がかかるはずだったんじゃない? 高校生の遠山鳴人として、まあ、記憶の中の思い出の時間を過ごすうちに少しずつ、違和感に気付く。そしてこの世界から抜け出し、目的を達成する、的なストーリーラインだったんじゃない?」
「ああ、よくある奴ね」
「そ。よくある奴。成長イベント的なやつ。でもそれはすでに破綻した。面白いね、この世界。君から造られたもののせいか、少し意識するだけで、君の情報がどんどん流れこんでくる…… そっか、とーやまは、大人になったんだ」
カイキがプールサイドの床を撫でて、目を瞑る。何かを夢想しているようにも見えた。
「……お前は、俺の記憶の中のカイキ。記憶から造られたカイキってことか」
本物の訳はない。だが、目の前のカイキは、あまりにも遠山が知るそいつそのもので。
「そ。バグその2、この世界が偽物であり、自分すらも偽物であると気づいてしまった悲しい美少女さー。スワンプマンの気分だよ、全く」
「ああ、お前、完全にカイキだな」
その喋る内容があまりにもらしいので、遠山は気付けば笑ってしまっていて。
「おー、そうだぜー、カイキ様、そのものさ。ぜーんぶ、君との思い出は覚えてる。ほら、トーキョーに観光行った時、お嬢様学校の文化祭に侵入したとか、南の島で事件に巻き込まれたときのこととか、ぜーんぶね」
「ああ、あったな、そんなことも。すげえ強いアホが、沢山のアホを引き連れて女子校のガードマンと戦争してた奴」
「ひっひっ、どさくさに紛れて君も参加してたじゃん」
「アレはあっちが俺を同類と勘違いして捕まえようとしてきたからだ。てめーだけいつのまにかちゃっかり校内に入ってたのはさすがだよ。ほんと、面の皮が厚いというか」
「ひっひ、それ、褒めてんの? ……ねえ、とーやま一つ、聞いていい?」
しゃわしゃわしゃわ。
プールサイドを囲むもみの木、木の葉たちが風に揺れて、擦れて奏でる。
プールの水面が、ゆらゆら揺れて。
「君、血の匂いがするようになったんだね」
カイキの、星空のような瞳が遠山を夏の風の中、真っ直ぐ見つめていた。
「遠回しな言い方どうも。気になるんならプールで洗い流そうか?」
どきり。心臓が、見つかってしまったかのように一際大きく動いた気がした。
「ばーか。そんなもんで取れるかよ。なあ、どうして、人を殺したの?」
ストレートな質問。
記憶をもとに作られた存在にしては、その質問はあまりにも真摯で、遠山はとてもじゃないが、誤魔化す気にはならなかった。
「どうして、か。どうして、どうして…… うーん」
どうして人を、殺した?
改めて、昔の知り合いにそれを聞かれると少し迷った。
昔の自分、少なくとも人を殺してなんかいなかった自分を知るその少女は何も言わず、遠山を見ているだけ。悲しそうにも、何にも考えていないようにも、どちらにも見えた。
思い出す。ここに来て、奴隷になって、初めて人の形をした連中をその手で始末したことを。
思い出す。ここに来て、冒険者になって、どんどんそのタガが緩んでいったことを。
過去が、遠山に問う。どうしてお前は殺人者になったの? と。
遠山は少し考えて、それから自然と口が開いた。
「死ぬわけにはいかなかった。殺さないと、俺が死んでた。ああ、そうだ、俺ーー」
思考が、言葉になる。問われて始めて見つめるシンプルない気持ち。
なんで、人を殺したの? その答えはとても、単純なもので。
「生きたかったんだ」
簡単に、口に出すとすんなり理解出来た。
あの世界に来てからずっと選択を迫られていた。即ち、殺すか、それとも死ぬか。
「それは人を、他人を殺してでも?」
「ああ。殺さないと、殺されてた。俺は殺すことを選んだ。俺は、俺が殺した奴らより、俺の方が大切だった」
なんのことはない。遠山にとっては選んだだけだ。殺人という行為への忌避感よりも、ただ自分が尊かった。
あのときも、あの時も、あのときも。
ただ、自分が尊いと思ったものを奪われない為に殺した。それだけだった。
「罪悪感とか、ないわけ?」
過去が、それを問う。少なくとも、殺人を絶対の悪として認知する現代社会に属する少女が、静かに殺人者になった大人へ問いかける。
「ないことは、ない」
正直に、遠山が告げる。今でも殺した時の手の感触は覚えている、しかしーー
「でも、俺、またきっと同じことをする。どこかの誰か、俺にとって、どうでもいい誰かが ラザールやがきんちょ、ストル、ドラ子に人知竜、ドロモラ、俺が大切にしようとしてるもんを壊そうとするならーー」
ーーしかし、遠山はもう自分が殺した人間の顔を覚えていない。その程度の、罪悪感だった。
いつも、遠山の殺しの中には自分なりの納得があった。いつも、遠山の脳みそはハッピーで狂っていた。
遠山の殺しには道理と狂気が常にともにあった。
例え殺人者が呪われた魂の持ち主だとしても、もう止まることはない。それよりも、大切なものを知っているから。
「ーー俺を踏み躙ろうとする奴は、俺のぼうけんの邪魔をする奴は、きっと、殺す」
ざあああああああああ。
夏の風が、プールサイドを駆けた。
遠山は呪われた魂の殺人者になっていたけど、その風だけはあの青い春の3年間、毎年訪れ、感じていた温い風と変わらない。
だから、遠山は少し安心した。
少し、目を閉じて風に吹かれる。
「……僕の記憶の中の、とーやまはなんだかんだ、人は殺せない奴と思ってたんだけど、きみは大人になったんだね」
風が止んだあと、カイキが口を開いた。
遠山をじっと、見ていたその目。遥か彼方、地平線の向こうを眺めているような、遠い目。
「君は捨てることができるようになったんだ。いいじゃん。まあ、たしかにそれだけ大事なものがあるんなら、殺したくないから殺さないのって、何も選んでないのと同じだしね」
カイキが身体を前に倒し、プールの水を手のひらで掬う。
夏の日差しを溶かした水が彼女の手からすぐに溢れて、プールサイドに染み込んでいく。
「ーー君は選んだんだ」
それ以上、彼女は何も言わない。責めることも、怯えることもない。
そして、少しだけ、ほんの少しだけ、寂しそうにつぶやく。
「大人になったね。とーやま」
「それはお前もーー いや、お前は高校生のカイキなんだったな」
記憶から創られた存在。目の前の海城にしかみえないカイキはそう言った。
遠山の言葉に、カイキは視線をプールに落として。
「ふふ。そうさ、僕は所詮、スワンプマン。この心も記憶も、誰かに造られた偽物に過ぎない。本物の海城優紗じゃない。食べるもの、吸う空気、語る言葉もぜーんぶ作りものってね。さて、どうしたものかな。壊れた世界に、壊れた役割、もう正直、この世界で君が出来ることってほとんどないんだけどね」
「いや、ある」
「へえ」
「お前、さっき面白いこと言ってたな。外国からきた転校生、ドラルがどうのこうの。俺、そいつを探しに、会いに来たんだ。案内してくれ」
「僕が嫌だと言えばー? どうすんだよー?」
「嫌ってことは、知ってるってことか」
「ゲーッ、嫌な奴」
渋い顔をして、舌をちろりと出すカイキ。
全部同じ、遠山の知る海城と目の前のカイキはまるで同じ人間にしか見えない。
その仕草、所作、あまりにも記憶の、思い出の中の彼女と同じだった。
「はいはい、わかりましたよ。ドラルのとこに案内するさ。この調子だと、あの子も多分、君の知る竜とやらに戻ってるらしいしね」
「お前、どこまで知ってんの?」
「全部だよ。言ったろ? この僕は君の記憶から、この世界も、君の記憶から造られたものだ。ぜーんぶ、遠山鳴人を材料に造られた世界だからね。今、こうして話してるだけでも、大人になった君がどんな騒ぎを起こしてきたかよくわかる」
「それ少し恥ずかしいんだけど」
「ひっひっひ。そう? 似合ってるよ、"竜殺し"さん。てか、君、完全に異世界転生かましてんじゃん。はー、羨ましいー」
「お前そういうの好きだったな、そういえば」
「剣と魔法の世界に憧れるのは人間なら誰しも持つ習性みたいなもんだよ、とーやま。へえ、帝国に、王国、貴族に、教会に、竜かー。面白そーだねー」
「……なあ、カイキ」
「あ、この世界から出る方法かい? それにはまだ答えないよ。もう少しモヤモヤしてもらうから。えー? 待って、待って、現代ダンジョン? バベルの大穴? 嘘、これからあと数年したらこんな世の中になるの? あー、くやしー、絶対なりたい奴じゃーん」
割と聞きたかったことをカイキはさらりと流す。
この世界とこのカイキは深く繋がっているらしい。遠山は郷愁に足を取られながらも、この先のことを考えていた。
カイキは、この世界から出る方法を知っている。それだけ確認できただけでもラッキーだ。
「……お前、探索者適性ないからなれねえぞ」
「え、マジ? うそ、僕、そういうのめちゃくちゃありそうなのに?」
ポカンと、口を開いて固まるカイキ。絶対に受かるはずの筆記試験に落ちた人みたいな顔だ。
「あ、その顔。ドヤ顔で血液検査受けた後の結果発表ん時と同じ顔してら」
その顔を遠山は見たことがあった。
「はー? なに? とーやまにできて、この僕に出来ないことがあんの? むなくそー。よかった、この世界は壊れてて、先がなくてー。あ、今のイヤミとブラックジョークを高度に混ぜたセリフなんだけど、どう?」
流し目を向けるカイキ。
遠山は真顔で答える。
「性格が悪い」
「でも顔は?」
「超良い」
テンポのいい会話。2人ともあの頃と同じように小さく笑っていた。
「ひっひっひー、とーやまよー、カイキさんの機嫌を取ったってそうはいかねーぜー、てめーよー…… ああ、ちくしょー、やっぱたのしいな……」
カイキが、プールに足を浸けたまま、大きく伸びをする。空を見上げる少女の呟きは、夏空には届かない。
「カイキ?」
「んーん、なんでもないさ。さて、さて、ではこの壊れた世界の最期の1人、カイキ様がとーやまの願いを聞いてやろうか。ドラル、ドラル、ドラル、あ、いた。また屋上にいやがるなー」
また、カイキがまぶたを何度か叩く。遠山には決して見えないそれを見つめてつぶやいた。
「そんなのもわかるのか?」
「まーね。僕、ほら、スペシャルな奴じゃん。ま、言っておくとよー、とーやまもドラルを連れて帰るんなら早くしたほうがいいよ」
「あ?」
「君に執着してる子、君を探してる子が今の事態に気付かないうちに急ぎなよって、ハナシ。女たらしだからね、とーやまは」
「あ? 俺がモテねーのお前が一番よく知ってるだろ?」
「そうかな、そうだっけ? まあ、いいや」
クスクスと笑って、カイキがまた指を構える。
彼女の白い肌を、プールの水面が照り返す日光がより白く照らして。
パチン。
また、景色が変わった。
フェンスに囲まれた空間、より、空は高く、雲が近い。
その場所から市内が一望出来る。
夏の風が、すぐ頭上を吹いている。市内を囲む山々の上、アイスクリームをめちゃクチャに盛ったような入道雲がぽっかり浮かんでいた。
屋上。夏の日差しがより近い。
「うおっと、風強いな」
「よっと。お、早速いた。ドラル、ヨスヨスー」
隣にいるカイキの声に、遠山は目線を前に。
ドラル。
どう考えても、その名前は聞き覚えのある名前だ。
金色の長髪が、ニホンの夏の日差しを受けて眩しく。彼女は、屋上のフェンスから外を眺めていた。
その背中、遠山の知るそれよりも少し小さくなったそれを眺める。
彼女が、振り返った。
外に跳ねた腰までありそうな長い金色の髪。人種、いや、生物が違うということを理解させられる制服の上からもわかるバランスの良い身体。
蒼い、空の最も宇宙に近くて昏い色を写した瞳。
ああ、あの竜が10後半の姿で、遠山の知る夏用のセーラに身を包んでそこにいた。
入道雲を背景に、金色の竜が夏の絵の中に。
「ドーー」
ここまで来たのは、その竜に謝るため。遠山が声をつっかえて。
「あ、ユサ! ど、どこにいたんデスかー? さ、探していたんデスよー!」
ぴょこん。
金色の髪、頭のつむじから一本、アホみたいな毛が跳ねた。
目に涙をうかべて、金髪の女の子が声を震わせて。
ーー留学生のドラル。
そう、カイキはそんなことを言っていた。つまり、この壊れた世界での彼女は。
「……役にハマってんな」
完全にこの世界の役割にはまってるカタコトドラゴンが、涙目でこちらに駆けてきた。
〜TIPS〜 遠山の探索者パーカー
赤色の原色が施された遠山の探索者パーカー。
多数の軍で使用されている特殊防刃繊維が編み込まれている。裏地は怪物種の素材繊維で守られている一品。これは怪物種のその多くが肉食獣の性質である爪と牙を持つためだ。
探索者の服装については民間出身者の多くはパーカーにカーゴパンツのスタイルを揃えているものが多い。
これははじまりの探索者が民間出身者であることに由来し、彼の装衣をいつしか皆が真似するようになった。
猟犬と猟師から始まった現代の怪物狩り達にとって探索もアウトドアもさして変わりはないのかもしれない。
殺すものよ、殺せるものよ、きみ死にたもうなかれ。




