90話 遠山・アウト・the・フォグ
「と、ほー! と、ほー! はいやー! すごいディス、このお馬さん達! とても、強い!」
馬ウマウマ馬、さん、にー、いち。
ストルがたづなを握る馬車が夜を進んでいく。
立ちはだかる鬼を、人知竜と聖女のおかげでかいくぐり、彼らがけやきの林を駆ける。
「おほほほほ! うちの審問会専用の調教お馬ちゃん達だもの! そんじょそこらのお馬さんとは食べてるものと血統が違うのよ、血統が! ……は! 閃いた、軍馬の質向上を口実に、お馬さんを競走させる催し、いいんじゃないかしら! その名も、ケイッーー」
ガタン! がりっ!
主教がなにか思いついてはいけない、少なくともこの女とコラボさせてはいけない催しを思いつきかけた瞬間、大きく馬車が跳ねた。
「主教様、その話はすげえ楽しそうだが後にしろ、舌噛むぞ!」
「いひゃい……… ひゅこひ、おひょいわ」
案の定舌を噛んだらしい主教が口を押さえてうずくまる。
馬車は既に最高速、操馬に長ける騎士だからこそ出せる速度になっていて。
「っ! 何かきますディス! トオヤマ!」
感知能力の高いストルが叫ぶ。それと同時に、月の光を遮り、何かが夜空に跳んだ。
「止まってもらいましょうか、竜殺し殿」
頭上、声。そして、
殺気ーー
「っあぶね!! ふんごお!!」
反射的に、遠山が腰のベルトにひっかけていたメイスを振り上げる。
がきん!! 重たい金属がぶつかり合う音が響くと同時に、腕に走る衝撃。
それわ押しのけるように振り払う。夜に紛れて襲いかかってきた人影が、地面に着地した。
「誰ディス! いきなり襲いくるとは、下郎! 名乗れ」
ぎぎぎい!
馬車をカーブさせながら見事なたづな捌きでブレーキをかけたストルが叫んだ。
「ふん、威勢だけはいいようだな、天使教会。普段は我らが竜の威に怯え、お行儀よくしていると思えば」
月の光が、彼らを照らす。
夜半の襲撃者は1人ではなかった。
「あなた達は……」
「誰だ、このイケメン執事ども」
月夜に照らされたその道、竜大使館へのケヤキ林の一本道を、執事服のイケメン達が塞いでいた。
「ッ! お初にお目にかかる、トオヤマナルヒト! 竜殺し! 貴殿とは顔を合わすのは初めてだな!」
「我ら! ベルナル老の高弟にして竜大使館を支える執事見習い!」
「アリス様の側仕えを目指し、日夜研鑽に挑む誇り高き存在!」
「そう、人呼んで!」
「みんなそろって!」
「「「「「アリス親衛隊!!」」」」」
揃いの執事服に、鉄製の手甲をつけたイケメン達が首を抑えたイケメンポーズで声高らかに叫ぶ。
「執事要素はどこにいったよ」
「結果的に、蒐集竜様のファンってわけね」
遠山と主教。目つきのよろしくない2人がしらっーとそれを静かに眺めていた。
突っ込むのが面倒だ。
「我らを愚弄するか! トオヤマナルヒト!」
イケメンの1人が、ずびしと遠山を指差して声を張る。鉄製の手甲が月の光を反射する、先ほどの頭上からの一撃はそれによる殴打だったらしい。
その威力は本物だった。
「おっと、なんか初対面から嫌われてるパターンだぞこれ」
「アンタ、初対面で好かれたことあるの?」
「言葉のナイフで後ろから刺すのやめてくれる?」
流れるような主教の悪口に、呑気に返事をする遠山。割とこの2人、まだ余裕があった。
「トオヤマナルヒト! 残念だが、貴公はこの先を通ることは能わず!」
イケメン執事の1人が、声を張り上げる。
「ベルナル老が言っていた通りだ! 今宵、トオヤマナルヒトがこの敷地に侵入するやも知れぬ、と!」
「我ら! アリス様親衛隊! 貴公を通す道理なし! 我らが竜のおやすみを邪魔すること、能わず!」
わかりやすい敵意が遠山に突き刺さる。どうやら遠山はかなり彼らから嫌われているらしい。
「アリス様親衛隊か。アイツすげえな。ファンクラブいるのかよ」
みんな、竜に魅せられている。
確かにツラやスタイルといった見た目はまさに、神がかっているし、なんといってもこの世界ではわかりやすい崇拝と信仰の対象になっているのが竜だ。
天使教会の騎士以外にもこんな風なのがいてもおかしくはなかった。
「俗! 我らが純粋なる崇拝を愚弄するか、竜殺し!」
「アイツ、などと気安い呼び方をするな!」
「……騎士といい、お前らといい、ドラ子に幻想抱いてるやつが多いな」
イケメン達の剣幕とは対象的に遠山のテンションは低い。
確かにドラ子がすごい奴なのは遠山も理解しているが、彼らの竜への姿勢は遠山の認識とは遠いもので。
「貴公がおかしいのだ! はっきり言おう! 我らは貴公を竜の友と認めてはいない!」
「……あ?」
そのイケメンの言葉に、遠山の声がわかりやすく低くなって。
「あのお方は、竜だ。決してヒトに染まるべきではない!」
「竜は孤高、竜は隔絶、故に竜。超越者たる上位の生物にヒトの真似事など似合わない」
「あのお方は、残酷で、傲慢で、嗜虐的で、故に美しいのだ、貴公はそれを歪めている」
「他者を廃絶し、只唯一尊い方として在る、その姿がお美しいのだ!」
「竜の美は不可侵。例えあのお方の怒りを買ったとしても、我らは貴公を否定する」
イケメン達はそれぞれがそれぞれの持つ竜への幻想を口にする。
顔がみんないいので、言葉もどこか綺麗なもののように聞こえる。
だが、それは先程の老執事の言葉と違って、遠山鳴人には届かない。
「……ベルナルの爺さんとは違うな。あの爺さんはシンプルにドラ子を悲しませた俺にキレてた感じだが、お前らは、違う」
「なんだと?」
遠山のため息混じりの言葉に、イケメン執事の1人がぼそり、つぶやいた。
「お前らのそれは、自己満足だ。まあ、俺も人のことは言えないか」
遠山が馬車席から立ち上がる。
彼らを見下ろし、口を開く。
「ファンクラブ、お前らがドラ子に、いや、アリス・ドラル・フレアテイルをどれだけ崇拝してようと、幻想を、願いを込めていようと、俺には関係ない」
夜の中、遠山の言葉が静かに広がる。
「アイツはわがままで、高飛車で、めんどくさくて、地雷が多くて、宝飾品の話するときだけ早口になって、それでーー」
ここに来てから、見た竜の姿。
いるだけで周囲を威圧する生き方、傲慢にもにた高貴さが溢れる所作、見た目。
ドロモラの指輪を眺める視線、そして、釣りをしながらこちらを見つめる視線ーー 何かを慈しむような蒼い目。
「俺みたいなバカを心配して、泣く奴なんだ。お前らが言うような、孤高とか、隔絶とか、似合う奴じゃねえんだよ」
ーーどうして、何もーー
夕焼けの中、苦しそうに、そう、苦しそうに漏らした彼女の声が遠山の鼓膜から離れない。
「貴公とは、話が合わない」
「俺もそう思うよ」
遠山が息を吐く。
明るい夜、月を遮る雲はなく。
ふと、ベルナルに叩きつけられた言葉を思い出す。
「たしかに、あれだな。あの爺さんの言う通りだ。俺のコレは、自己満足だわ」
イケメン執事達の言葉を聞いて、理解した。
奴らは、遠山にとっての鏡だ。
「何を、言っている?」
「俺たちは同じって話さ、イケメンども。ドラ子の気持ちなんざ考えず、ただ己のエゴを貫こうとする、愚かな定命の者ってな」
声高らかに、己の願いと思いを叫ぶ。彼らのやっていることは、先ほど遠山自身がした事と同じ。
改めて他人のフリを見て、強くそれを自覚する。
「貴公と一緒にするな!」
「一緒さ。俺はお前たちで、お前たちは、俺だ」
ーーなんて、間抜けな姿だろうか、と。
「な……」
「ああ、全部、認めるよ。俺は大バカで、自己中で、かっこつけのアホだ」
夜の空気がひんやりと顔にまとわりついた。
さっきまで遮るものなどなかった白い月、いつのまにか薄い雲がかかる。
「トオヤマ、ここは、私がーー」
ストルの申し出に、遠山は横に首を振る。
「ちょ、あんたーー」
主教の制止も聞かず、遠山が馬車席を降りる。
夜半の、暗黒を溶かしたような真っ暗な地面をしっかり踏みしめて。
「だが、もう止まる気はない。バカでもアホでも、俺は俺の決めたことから目を背けない。俺はこれからドラ子に会わないといけない」
このイケメン執事たちと遠山の違いは一つだけ、己の間抜けさを理解しているかどうか。
ただそれだけの違いで、あとは何も変わらない。
「それは無理だ、竜殺し! これ以上、我らが竜を貴公に穢させない!」
執事達は会話に応じる気はなさそうだ。
「ヒヒヒ、そうか、ならもう仕方ねえな。同じ自己満、自己中のバカ同士。互いに互いの話を聞く気も理解する気もないときたら、もう方法は一つしかねえ」
そして、遠山も、もう会話でどうにかする気もなかった。
「トオヤマ、彼ら、強いディス。少なくとも全員、一級冒険者と同じか……」
「大丈夫さ、ストル。悪いな、アホなことに巻き込んで」
「……止めても無駄ディスね。……お手並み拝見させていただきます、わたしの審問官殿」
ため息をついたあと、ストルが目を細めてつぶやく。
「おう、見せつけてくるさ。我が剣」
「……ばか」
か細い騎士の言葉に、手をひらひらと返して遠山が進む。
馬車の前、行手を阻む竜に魅入られた者たちの対面。
遠山鳴人、ただ1人で立つ。
「……警告だ、竜大使館。天使教会異端審問官としてお前達に告げる」
大きな声ではなかった。
だが、前を見て、はっきりと。夜、審問官の声が通る。
「お前たちは、天使教会の、第一の騎士、ストル・プーラの竜謁を邪魔している、そこをどけ。警告に従わない場合は、実力で排除する」
様式美。シンプルに伝えたその意味。
どけ、さもなければぶん殴る。
「貴公の言葉は我らには届かない! 我ら親衛隊、ベルナル老のご命令と竜の威厳のため、ここは何人たりとも通さない!」
かかってこい、やってみろ。
彼らの返事もまたシンプルで。
イケメン執事、親衛隊。
金色の竜、上位生物を正しく敬う彼らにとって、竜殺しは目障りな存在ゆえに、その言葉など聞く気はない。
「貴公は、相応しくない! 本来ならば、我らこそが、天使教会騎士よりも、どのような存在よりもあのお方に相応しいのだ!」
「我ら、鬼の手解きを受けいつしかかのお方にみそめられる役割に選ばれた者!」
「横から出てきた貴公に、いや、貴様など認められるはずもない!」
彼らがどうしても認められない事実、竜殺し。
本来ならば騎士よりも、ベルナルに選ばれた彼ら戦士の末裔が受けるはずだった栄誉。
竜にみそめられ、竜に認められ、竜に選ばれる。この世の悦楽の全てを享受出来たであろうその誉はしかし、ぽっと出てきた野良犬以下の奴隷により奪われた。
彼らが欲しくて止まないそれを、その奴隷は簡単にてにいれ、あまつさえ竜のツガイを拒否した。
それで、竜が怒り、奴隷が焼き殺される、それであればまだ、鬼の高弟達は納得していたかもしれない。
だが、そうはならなかった。奴隷はいつしか、竜殺しと呼ばれ、竜は明らかにその男に魅せられていて。
鬼の高弟、竜のツガイの候補だった彼らは、日に日に、奴隷によって変わっていく竜を、ヒトに近づいていく竜を遠くから眺めるしか出来なかった。
その屈辱は、彼らの誇りをゆっくり歪ませて。
「「「「「「竜の隣に相応しいのは貴公ではない!」」」」」」
その叫びには、きっと嫉妬の名前がつくだろう。
「それを決めるのはお前達じゃあない」
だが、そんな歪んだ想いはこの男にこれっぽっちも響かない。
「そして、俺の知ったことじゃねえ」
遠山の言葉のあと、周囲の環境が変わり始める。
執事達が遠山に敵意を向けるのと同じく、遠山もまたあまり気が長い方ではなく。
「コレは……」
「ちょ、なにこの霧…… うわ、キショ」
満ちるのは白いキリ。月夜を覆う。
「ーー通しはしない! 義は我らに! 竜の美を、強さを、竜の価値を貶めんとする貴公に資格なし!」
「ここを通りたくば超えてみよ! 鬼の高弟! 竜のツガイにすら相応しい我らの力を!」
「上位の生物に届けるため、研鑽を積んだのはこの時なりて!」
「竜は、我らの尊きお方なのだーー」
「我らこそが、あのお方に相応しい! 貴公にもう出番はない!!」
「貴公こそ、これ以上竜大使館に近づくというのならば、排除する!」
「ヒヒ、ああ、そうだな。男が女のことで揉めたんなら、話し合いなんざ、意味がねえよな」
遠山が首、喉仏に手を当てる。
そこから漏れ出す真白の霧は、彼岸より広がるこの世ならざる力の具現。
「やれるもんなら、やってみな」
界を分け離す、山野と平野に溜まる霧。そこに潜むは爪と牙。
霧の刃が、溢れ出す。
「コレが、竜様を手にかけたキリとやら……」
「怯えるな! ベルナル老のお話を思い出せ! キリが満ちる前に全て吹き飛ばせば問題なし!」
遠山の霧、それをすでに彼らは知っている。竜を下した妖しい力。されどその種は割れていて。
「応、任せろ! スキル・セット! "大風"!」
イケメンの1人が、地面を踏み鳴らす。それに呼応するように彼の足元から風が吹き登った。
「トオヤマナルヒト! 貴公の力のタネは割れている! 所詮はこけおどしの絡め手! 汚い手で、誉れなき戦いで竜の油断をついたまで! 我らにそのような手が通用すると思うな!」
イケメン執事達の髪が風で暴れる。地面の柔かな土が風で巻き上がる。
ケヤキの林が風に踊る。
「このキリが晴れたときが、貴公の醜い願いが終わるとき!」
「竜の元にはいかせぬ! だが安心せよ、殺しはしない! 骨の数本だけで許してやろう!」
「竜と我らの慈悲に感謝せよ!!」
彼らは、すでに知っている。竜殺しのその力はこけおどしと騙しの力。
不意を打つことで、竜に届いた下賤な力。所詮は小賢しい奴隷の力。
対策さえすれば恐るるに足らず、と。
「「「「「さあ、霧よ、晴れよ!!!」」」」」
その霧が晴れた瞬間、彼らは示す。竜殺しを打ちのめし、竜に示すのだ。
こんな者、貴女が気にかける価値などなかった。貴女に相応しいのは自分達だと。
彼らがその時を待つ。
紛い物の卑賤な力を払い飛ばし、その高慢で下品な顔を実力により打ちのめす瞬間をーー
霧が、風に。
「「「「「……………………あれ?」」」」」
「お前たちは何も知らない。俺たちのぼうけんを」
いつまでまっても、キリが、風に飛ばされることはなかった。
遺物、霧散。
満たせ、キリヤイバ。
遠山鳴人が、その"報酬"を解放する。
「これは、お前たちの義を示す戦いじゃあない、これはお前たちの高潔さを表す戦いじゃあない」
竜に魅せられた彼らは知らなかった。
その卑賤な奴隷が繰り広げてきた冒険を。
死を目前とし、それに抗うべく遠山がたどり着いた進化を。
「どいつもこいつもエゴイスト。等しく醜く、等しく愚か。……この戦いはどっちの自己満足がより強く、生き残るべきなのか、それを問う戦いだ」
「ば、ばかな、霧が晴れない?! ど、どこだ! どこにいる、トオヤマナルヒト!!」
キリは、吹き飛ぶことは愚かむしろどんどん濃くなっていく。
数歩先すら見通せぬほどに。
「ヒヒ。上等だ。もう知らねえ、どれだけ自己満だろうが、醜くかろうが、俺は決して止まらない」
ず、ずず。
遠山が首元から、それを引き抜く。欠けたヤイバ。霧にまみれたボロボロの刃。
それが露わになるたびに、その霧は重く、そのキリは濃く。
鬼の高弟のひとり、その才能により引き起こされる大風が吹き荒れる。ああ、しかし、遠山の自我のごとく、淀み、重たいマシロのキリはびくともしない。
ピコン。
そのメッセージが、遠山の霧に染まる視界の中、はっきりと浮かんだ。
【警告】
【遺物の拡大解釈により、あなたは遺物キリヤイバから侵食を受けています。肉体の変異が急激に進んでいます。警告、遺物使用を続けるたびに侵食ががごかーー
HEY listen トオヤマナルヒト】
ざりざりとしたノイズの後、見覚えのある文体のメッセージが視界に浮かぶ。
「ハーヴィーか」
パン文書館の主。由来のわからぬ、しかし割と味方してくれている知識の眷属とやら。
【ごめん、手短に話す。こっちのミス。まさか、アレがあそこまで古い神話の存在だなんて思わなかった。私と湖の底のカレ、そして霧のアレ。あんたの身体に潜んでいる三つのバランスが崩れてる。アレは、今、調子に乗ってーー アンタの死後じゃなく、今を
おっと。まだ残っておったか】
プチッ。
遠山の耳の中で何か、虫が潰れたような音が響いた。
メッセージの文体が、変わる。それが誰の言葉なのか、特徴的な喋り方を遠山は知っていた。
「お札マッチョ、てめえ……」
【良い良い、気にするな、わが主人。あるがままに振る舞うといい。わぬしの思うまま、わぬしの為すべきことをなしや】
「ーーヒヒ、てめえ、やっぱロクなもんじゃなかったな」
ハーヴィのほか、遠山のゆめにいつのまにか住み着いていた存在。己をキリヤイバだと嘯く怪しい存在に、遠山が笑う。
【警告 "未登録遺物、キリヤイバ"からの侵食進行、STRでの抵抗ロール…… 失敗。肉体の変異、さらに進行、特性"俺の血の色は白色だ"を獲得しました。キリヤイバの使用をーー】
「続行だ」
あの血液の変異、己の身体に起きつつある異常。自分に起きる意味不明な事態。
キリヤイバへの恐れーー
それを全て、遠山は無視する。
「この程度のことで、怯えるとでも? 今更、俺が止まると思ったかよ」
遠山鳴人は、欠けている。本心から他人に弱みを見せることを嫌がり、人の気持ちを考えることをしない。
「止まっていいわけがない。怯えていいわけがない。こんな所だけ都合よく真人間みたいな反応するわけねーだろうがよ」
だから、遠山鳴人は、遠山鳴人故にアリスの想いを無視して、選択を見誤った。
「キリヤイバ、使うのは俺だ、使われるのはテメーだ。覚悟しとけ、俺に黙ってなんか俺の身体にヤベーことしやがって、必ずギタギタにしてやる。だが、今は!!」
だが、今回は違う。
遠山鳴人は恐れない。たどり着くべき光景がある限り、己の目的が、欲望がその道を示す限り、止まることはない。
「俺に力を寄越せ、霧の化け物」
故に、遠山鳴人は、遠山鳴人だからこそ、今回の選択を見誤らなかった。
大いなる存在と接する者は欠片とて弱みを見せるべきではないからだ。
【ーーああ、やはりわぬしは恐ろしい…… 少しでも儂の力に怯えようものなら、その器、今すぐにでも貰い受けれたのにのう……】
臆した瞬間、それは遠山鳴人に価値を感じなくなっていただろう。すぐにでもその器を奪い、念願の現界を、彼岸から此岸への帰還を果たしていたたろう。
【キリヤイバからの侵食、POWでの抵抗ロール…… 成功!! 一時的に変異の進行が遅れます】
だが、それは遠山のぼうけんを知っている、遠山鳴人を恐れている。
この期に及んで未だ躊躇いを見せぬその精神と思考に、魂に価値を感じてーー
【それでこそ我が主人、我が器。使うと良い、我が力、わぬしの本当の力を。世界を侵せ、己がままに振る舞うといい、わぬしにはその価値がある】
その力の源が、どれだけ邪悪で、共に歩むことなど出来ない者だとしても、遠山鳴人は躊躇わない。
「遺物、拡大解釈」
領域に、何度でも。
必要であれば、何度でも遠山は彼岸を渡るだろう。
「かしこみ、かしこみ、奉る」
思い起こすは、保存した恐怖たち。既に遠山鳴人が乗り越えた試練たち。
「な、これ、はーー」
「霧が、どんどん深く……」
「どうなっている!? なぜ風を吹かせているのに、霧が晴れないのだ!?」
執事見習い、鬼の高弟たちが喚き始める。夜を、霧が包み込む。
どろりと、まるで液体かと見紛うばかりの濃い霧は風に払われることはない。
「何をした!? トオヤマナルヒト!!」
霧の中、高弟の1人の声が虚しく響いて。
「キリヤイバ・拡大解釈ーー」
キリの中で、何かが蠢いた。
海の底から姿も見えぬ生物がゆっくり揺蕩うように、キリがゆらめく。
「魑魅魍魎狭霧山野絵巻物語」
その強欲は、ついに己が体験した恐怖。試練の大敵すらも平らげていた。
『シャロロロロロロロロロ』
霧の中、その長い躰がよじれて、ねじれて顕れる。
それの魂に、キリが肉付けされていく。
白い鱗、ねじれる巨大。
大蛇。キリに象られた白い大蛇が、霧の中から這いずり出て。
ーー君は、証明し続けなければならない。
古い魔術の祖、上位の生物の中、竜の中でも最も恐ろしいとされた彼女の声を思い出す。
ここに来るまで、たくさんの助けがあった。
「ああ、証明してやるさ」
あとは、それに、期待に応えるだけ。それだけでよかった。
「俺の、価値を」
『………アア』
「古代種"ラミア"ーー」
魂に刻まれた名前。遠山が殺し、遠山が保存したそれの情報が伝わる。
キリヤイバの真の力、魂の保存とーー
「かしこみかしこみ、疾く参れ。汝が主人の命である」
その、使役。
それはまさに、人の枠を嘲笑う、みわざにて。
「白蛇女」
『ア、アアアアアアアアアハハハハハハハハハハ!!』
がぱり。キリの白蛇の大口が裂けるように開く。天を仰ぐ、白蛇の口の中から彼女が現れる。
悲劇に沈み、化け物に見出された女。彼女は死して、遠山の冒険の末席に加えられていた。
「ヒッ……」
「あ、どうして……」
「ば、かな……」
「古代種…… ラミア…… 伝承に残る伝説の生物…… なんで……」
鬼の高弟たちが、目を剥く。古代種。己の主人達、超越者たちの好敵手であるはずの枠外の生物。
それが、なぜか目の前に。
『あ、ハハハハハハハハ、う、フフ』
白蛇女、キリによって象られた魂だけの影法師が笑う。
ここにあるのはキリヤイバにより保存された魂というエネルギーのみ。
静かに、静かに笑い続けるキリの白蛇。
「白蛇女」
『アア、フフ』
遠山の言葉に、身体をもたげて白蛇女が笑う。主人の声を、命を待つ。
「ここは任せた。適当に遊んでやれ」
『アハぁ』
その不死の蛇、種の見出した狂気の存在。遠山に一度死を覚悟させた試練が嗤う。
今度は、遠山の力として。
ぼうけんには報酬が必要なのだ。
「なにを……した?」
「あ、ありえない! 古代種の使役……?! どんな魔術式だろうと、副葬品、秘蹟だろうと、そんなもの!? あるわけが!」
「ーーああ、安心しろ。親衛隊の皆様方」
おののく執事見習いたち、アリス親衛隊に遠山が嗤う。
チベットスナギツネのようか目を醜く歪めて、口を片側だけ吊り上げて。
それはもう、ものすごく悪い顔で。
「安心しろ、殺しはしねえ。骨の数本で勘弁してやるよ」
遠山は根に持つタイプだった。
TIPS 〜鉄のメイス〜
先端が菱形に膨らんだ片手槌、振り下ろせば遠心力により強い衝撃力で打撃を繰り出す。
遠山鳴人はその扱いの簡単さから、好んで探索者時代から鈍器を扱っていた。
この世界におけるメイスは古い大戦の時代、支配種エルフ族の堅い騎士鎧を崩す為にヒュームのとある軍事国家、後に帝国につながるその名前の忘れられた国より生み出された武器である。
永い大戦の結末や詳細が、例えヒトビトの記憶から薄れようとも、ヒュームたちはこれだけ忘れない。
どのように壊し、どのように殺すか。
最早遥か遠く、彼らの忘れられた祖先と同じように、ヒュームはどの種族よりも殺すことに秀でているのだ。