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現代ダンジョンライフの続きは異世界オープンワールドで!【コミカライズ8巻 10月8日発売!】  作者: しば犬部隊
サイドクエスト "石窯に火を灯せ"

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73話 すいみんすいみんすいみんブソク

 


「匂い、わかるかなあ。それ、すごくすごく大事なんだよ。生き物の中身が揮発して醸し出すそれは個体の情報そのもの、その生き物の生そのものと言ってもいいと思うんだよねえい」



 蠢くものがある。




 姿形は、清廉なれど。その美貌は月の光で編まれた芸術如きものなれど。




「そしてボクはなによりも彼の香りを好ましく思っているんだ。夏の夜の匂い、濃い血と悲しみの匂い、しんとした山の空気のような匂い、どの匂いも大好きなんだ、それを汚されるのは本当に、はらわたが煮えくりそうだよ」




 彼女が喋るそのたびに、空気が澱んで蠢いて。



 真っ黒な瞳の奥には世界の澱が吹き溜まっている。



「ああ、ダメ、ダメダメダメダメ。トオヤマくんにはただでさえ、いろんな女が匂いをつけようとしてるんだ。呪いにも似た暗示で彼を独占しようとした女、自殺、己の死をひけらかし彼の青い春を独占した女、あの能天気お子さま竜もそうだし、最近では正義の繰り手もたまにメスの顔を見せるようになってる…… 香り、かおり、香りを、さあ、ボクのトオヤマくんにつけようとしてるんだよう」




 ぎりり、人知竜が銀色の髪をくしゃりと握りしめ、片方の手の親指の爪を、噛み続ける。にちにち、にちにち。血、竜の血が垂れた。



 古い竜が、爪を噛みながら己の性癖をつらつら語る。誰もそこに口を挟むことなど出来ない。




 今にもその黒い瞳から、タールのようなドロドロが溢れてもおかしくない。そんな目を眠る遠山に向けながら、彼女はひたすら爪を噛む。




「彼の匂いが変わるってのは、彼の生き方が変わるということだ。ボクはそれを認めない、彼が行き着くところまで行き着き、彼の意思でその生き方を変えるのならばそれを喜ばう、でもね、他人によって彼の生き方が変えられるのだけは我慢出来ないんだよ、ボクが何を言ってるかわかるかなあ」




 その美竜は、ただ、ただ、己のオモイヒトに対して言葉を重ねる。




 人知竜が、性癖を、想いを、語る。





 風が吹かない。森の木々の向こう側、光の届かぬ場所にある暗闇全てが、人知竜に従うかのごとく、ざわざわ、ざわざわ、蠢いて。




 闇ですら、その竜を畏れて平伏するのだろうか。昏い瞳が、伝説の風を舐めつけるように見つめていた。





「……昔からおかしな奴だったけど、今の貴女はもっと意味不明ね」





「すぷぷ、おやおや、意外だ。数百年前のキミはもう少し礼儀を知った奴だと思ってたけど。勇者がキミを変えたのかな?」




 くしゃくしゃの髪を整えながら、人知竜が目をチェシャ猫のように歪ませてウェンフィルバーナに戯けてみせた。





「……部外者が勇者の話を、しないでもらえるかな?」




 上空で、バンっと、音が鳴る。風だ、風が遥か高い空の上で爆ぜた音。




「ん〜? あれ、もしかして怒ってる? すぷぷ、不快そうな顔をしたね。射手」




 そんな異常をも意に介さず、にんまり笑う銀髪の美竜。ヒトの心を掻き乱し、泥沼に引き摺りこむ美貌が嘲笑う。




「……だいたい、なにかな、その喋り方に、一人称。キミ、かなりキャラ変わりすぎてない? 気持ち悪いな、普通に」



 ウェンフィルバーナの凛とした顔が不快感を露わに鋭くなる。




 互いに互いの力を充分に理解している、故にこの2人の古い大戦から生きる生き物たちは未だに殺し合いには至っていないのだ。





「すぷ、ああ、気にしないでくれたまえよ。別にキミに好かれたくてこんな感じにしてるんじゃないのさ。ボクはボクが気に入った人に好かれたい為にこうしてるだけ。ごめんね、キミは眼中にないんだ」



 肩に垂れる銀色の髪。水銀を溶かして夜に光る星々を混ぜ込んだ銀色を人知竜が弄びながら、すぴーっとため息をつく。




「好かれたい…… へえ、蒐集竜だけではなく、貴女もってこと? トオヤマナルヒト、彼って何者なのかな」




「それをキミに教えることはないかなあ。射手、彼はボクが連れて帰る、メス臭いからそこどいてくれない?」




「ククク、全知竜、いや、人知竜。愉快だね、ほんと変わった。ヒトなんて路傍の石ころ程度にしか思っていなかった貴女が、さあ」





「ボクは元々ヒトには優しい竜だよ」



 互いに、朗らかな表情は変わらない。



 だが、昏い瞳に、銀の瞳、互い、宝石のような眼は何一つ笑っていない。




「それは、愛玩動物として、でしょ。魔術式を見出し、ヒトに広めた貴女は、飼い犬を飼うようにヒトを飼い集め学院を創った。大戦の時の貴女は、ヒトを好んでいたけど、決して愛してはなかった。……俄然、興味が湧いてきたな、彼にさ」



 ウェンフィルバーナが、足元を眺める。長いまつ毛に白銀の目が遠山鳴人に向けられて。




「警告だけど、ウェンフィルバーナ」



 人知竜が、名前を呼んだ。もう、空気の流れる音すらも完全に止まっている。



「…………?」




「彼に、指一本でも触れてみなよ。竜(・)よ(・)り(・)も(・)古(・)い(・)キミという存在、キミの力、それ全てを理解した上で、キミを殺すから」




 一切の表情を失くした顔。それは人知竜の生き物としての顔、竜というヒトを超えた生き物特有の無機質な顔だった。




「………怖いな、いや、貴女もそうだが、私は、今この彼に恐怖を感じるよ。数百年という短い時間で竜を、ここまで変えてしまう人間が現れるなんてね」



 ウェンフィルバーナは、知らずに流してこめかみを流れた汗を人差し指で拭う。




 心底、気持ち悪いものを見る顔で、眠りかける遠山を見て。





「キミが勇者によって変えられたのと同じだよ。数千年を生きるキミですら、たった数年の旅でずいぶんと、ヒト臭くなってるじゃあないかい。……ウェンフィルバーナ、最後の忠告だ。今すぐ目の前から消えてくれないかなあ。……死んだら、もう2度と勇者のことを思い出すことも出来ないよ、これからの人生も永いものになるんだ、思い出は大事にしなよ」




 すぷぷぷ。



 竜の笑い声、それだけが響いた。



「………ーーふう、そう、だね。……くく、ああ、悔しいな。まだ、まだ足りないな、やはり。私は弱い、弱いってのはほんとに苦しいことだ」




 大きなため息と、硬直の後、ウェンフィルバーナが自分の顔を手で覆って笑い出す。



「私の前で、2度も貴女は"勇者"を引き合いにした。本当なら許せない、私以外の存在が、アレの名前を口にするのほんと不愉快なのに、貴女が強いから黙らせることが出来ない…… くく、この激情は、教訓にさせてもらうよ」





 風そのものが荒れ狂う。上空では雲が信じられない速度で流れて、砕けて、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられていた。



 森は、それとは対照的に息を潜めるように静かで。



「好きにしたらいいんじゃないかなあ。ああ、そうだ、ウェンフィルバーナ」




「何かな、アイ」



 古い知己が、互いに名を呼び合う。




 人知竜が静かに指をまっすぐ掲げて、微笑んだ。




「キミの願いはどんな方法でも叶うことはない。トオヤマくんに何を見たのかは知らないが、失ったモノが元に戻ることなど決してありえない。ましてやーー」





 人知竜、アイが一瞬目を瞑る。



 何かを思い出す、何かを懐かしむ、次に浮かべた表情はそんな郷愁をもった笑みで。





「終わった物語のはじまりに戻ることも、ねえい」





「ーー」



 ウェンフィルバーナの顔。視線だけで生命を奪いそうな、そんな目だ。




「……私は、そう思わない」



 力ない言葉だ。それきり、ウェンフィルバーナは人知竜から顔を背ける、呆然と立っているユトに顔を向けて。




「悪いことをしたね、ユト。じゃあ、元気で」



 短い言葉、確かに存在した物語、師と弟子の出会いの物語はしかし、青い春の記憶に勝ることはなかった。



「師匠、あんた……」




「キミのこと、本気で嫌いではなかったよ、でも、今日思い知らされた。私は結局、変わることなど出来なかった、結果、私はそういう生き物だった」



 ウェンフィルバーナがユトから視線を切り離す。



 背中を向けて、手を挙げて溢すようにつぶやいて。



「私との時間は、そうだね、悪い夢だった、と思っておくれよ。……さようなら、良い人生を。ユト・ウエトラル」




「……また、逢いにいくぞ、アンタを独りにはさせない」




 ユトの言葉に、ウェンフィルバーナは返事をすることはない。




 一際大きな風が、森を吹き抜けて。



 ウェンフィルバーナの姿は消えていた。





「……行ったか。やれやれ、間一髪、といった所だねえい。愛や恋を知らない処女を拗らせた長命はほんとにめんどくさいものだよ。さて、さて」




「えっと、なあ、もしかして、あんた、竜とか言われてたけど……」




 ユトが恐る恐る、人知竜に問いかける。



 人知竜は自分の顎に手をやりながら、真っ黒の瞳で冒険者を見つめた後。



「ふむ、塔級冒険者くん。キミと、キミの仲間は取り敢えずギルドにおかえりなさいな。魔術式、仮説構築ーー 定理証明完了」




「え?」




 ぱしゅ。



 人知竜が指を鳴らす、それだけでユト・ウエトラルと、彼の仲間達3人の姿は消えた。



 彼女の魔術式は確実に、3人をギルドまで送り届けたことだろう。




「キミのように、トオヤマくんの味方をしてくれる人は貴重だからねえい。願わくばこの先も生き残ってほしいものだよ」




 満足げに、むふーと鼻息を吐いて人知竜が笑う。本人的には最上級の敬意を払った行動のつもりらしいが、ナチュラルに不遜で失礼な行動だった。




「ぐ、す、ー、すぴょー、ごぐー」





「さてさて、風は吹き去り、冒険者は生還した。後に残るは化け物の死骸と、眠りこけるキミだけ、か」





 もう、誰も居なくなった森の中、その男の寝息だけが呑気に響く。





「ぐー、しー、ぴょー、すー」




 呑気に眠る遠山鳴人に目を細め、人知竜がゆっくり歩み寄る。






「………良かった、間に合って、よかった」



 人知竜が、崩れ落ちるようにその場に座り込む。先ほどまでは決して見せなかった玉のような汗が顔を伝っている。




 その言葉と消耗の理由は、遠山鳴人と化け物との戦いの結末に対してのものではない。




 勇者パーティー、射手。ウェンフィルバーナ。それと相対したという事実は、人知竜にとっても紙一重のトラブルだった。





 それがもし、本気で遠山鳴人を奪おうとすれば守りきれたかどうかわからなかった。




「数千年を生きる化け物の癖に、遠山くんに目をつけるなんて、なんてめんどくさい女なんだ……」



 己と同じ、古い大戦を駆け抜けた生命、その風の力を人知竜、アイ・ケルブレム・ドクトゥステイルは痛いほど理解していた。




 故に、彼女は、今心の底から安堵していた。永い生命の中でこれほど気を抜いたことはないというほどに。









「……全く、こんなところでよく眠れるものだ。ああ、でも、ホモ・サピエンスならそれが出来て当たり前か…… すぷぷ、変な顔。よ、いしょっと」




 そんな彼女の苦労も知らずに眠りこける男。彼の顔を見て、人知竜はくすりと笑う。




 その場にくにゃりと膝を折って座りこむ人知竜。仰向けに眠りこける遠山の首と頭を優しく持ち上げ、自分の太ももの上に、そっと置いた。




 母が、赤子を抱き上げる、そんな繊細さに満ちていた。





「いい匂い…… す、ぷぷ、うふ、ひひひ」




 遠山の顔を見下ろす人知竜。耐えきれないとばかりに喉を鳴らして笑い出す。




「ああ、いい匂いだ、たくさんたくさん殺したねえい、たくさんたくさん踏み躙り、進み続けたんだねえい。すぷぷ、ああ、良い……」



 深呼吸、膝枕をして抱えた遠山の身体に覆い被さり、その胸板で大きく息を吸う竜。その弛緩して、紅潮した顔には、もはや威厳も慈愛もない。





「キミの心臓の音が聞こえる…… キミの体の匂いに包まれて、ああ、ごめんね、でも、これくらいの役得はいいだろう? あんな厄介なのに目をつけられたキミを守ったんだからさ」



 その姿は、ただの変態に近かった。





「ぐ、すー、すぴー」




「キミは、変なものばかり引き寄せるねえい。こっちの気も知らないでさ。……中に、たくさんいるね。ハーヴィー、キミもいるんだろう? ふん、節操なしめ」




 遠山の濃い香りを思い切り味わいながら、人知竜は遠山の中に潜む者の中に懐かしい気配を感じとる。



 古臭い本の匂いは、人知竜もよく知るこの世の理から外れた者の匂いだ。



「トオヤマくん、キミはきっと進むんだろう。欲しいものを諦めることなく、どれだけ辛く、暗い嵐の中でもキミはたどり着くことだけはやめないんだろう、良い、とても、良い……、あ、鎖骨、触り心地いいなあ」




 熱を孕んだ視線。時折、そのしなやかな身体をぴくり、ぴくりと痙攣させながら人知竜が眠る遠山の身体をまさぐりつづける。




 紛うことない変態だ。



 満足げに、遠山の体を撫でまくる手はしかし、ぴたりと動きを止めて。






「でも、妬けるなあ」




 冷たい声だ、ねんどろりとした湿っぽさもある。



「ねえ、なにアレ。ボク、知らないよ? 蒐集竜の焔なんて、いつから使えるようになってたのさ…… どうすればいいかなあ、ああ、キミの香りに、はっきりと金色の焔の香りが混じってる…… すぷぷ、ああ、苛立つなあ」




 彼女は、全てを見ていた。遠山の戦いを自室から全て見ていたのだ。




 彼の自己犠牲も、命乞いも、克己の瞬間も。




 その無謀さに興奮し、その命乞いの惨めさに欲情し、その克己の勇ましさに絶頂していた。




 この竜は、救いようがなかった。



「ぐ、すー」




「ああ、でも、これも新たなる知見だよ、身を焦がすこの激情、キミを知りたいが故に、キミの全てを奪いたくなるこの竜の暴虐の本能、それを抑えようとするボクの理性…… ああ、気持ちいい…… キミの香りを嗅ぎながらさあ、想像するんだ…… ボクがもし、竜としての本能に負け、キミを力づくで己のものとしようとした時、キミはどんな顔をするんだろう」




 ざわり。


 森の木々、木の葉が音もなく散っていく。竜の昏い心に自然が怖じ気たのだ。



 木が身を震わすように、音もなく緑の葉を散らし始める。





「すぷ。その目がボクを射抜くんだ、その口がボクを殺すと喚くんだ。キミが、ボクだけを想うんだ。殺意でも悪意でも敵意でも、キミの全てがボクに注がれる、ああ、やばい、すごい、すっごい、想像するだけで、おかしくなりそう」




 吐息、熱く、熱く。昏い瞳は熱にうかされ、ぼうっと、遠山を見つめる。




 この世の命を、善と悪に分けるなどあれば間違いなく、彼女は"悪"だ。




 己の弱さを、己の願いを、己の性を他者にぶつけることができる存在だ。たまたま、だ。未だ彼女と遠山鳴人が殺し合う存在になっていないのはたまたまだ。




 人知竜がもしも、遠山鳴人の欲望の前に立ち塞がればたちまちにそれは殺し合いになるだろう。なぜなら遠山もまた、人知竜と同じ"悪"故に。







「ぐ、ぐー、すー。ぴー」




 性に、身を震わせる竜のなんと美しく、おぞましい姿だろうか。



「……もう、呑気に眠ってさ。キミ、ほんと図太いね」


 くす、人知竜が吹き出す。



 呑気な寝息に、毒気を、一気に抜かれ、その瞳から漏れていた湿っぽい熱が消えていく。




「……遠い所、ここではないどこかをずうっと、見続けるキミの目が好きだよ。でも。少しくらいボクのことも見て欲しいなあ…… じゃないと、イタズラしちゃいそうだよ」



 定命のちっぽけな存在へ、竜が語りかける。その顔は数百年を生きた古い生き物とは思えないほど、ちっぽけで、ごく当たり前な顔だ。




 隣人が隣人へと向ける暖かなものを、ただ、人知竜は遠山へと捧げる。




「……なーんてね。すぷぷ。キミに嫌われたくないもん。そんなことしない、しない、しないよ。……ああ、心臓の音、落ち着くな……」






「コレ、やっぱりボクのと交換しちゃおうかな……」



 しなやか、しかし女性的なやわらかさを併せ持つ白魚のような手のひらが遠山の胸をまさぐる。



 くるり、くるくる。胸の真ん中、ちょうど心臓の位置、そこをうっとりとした目つきで人知竜が撫で回す。






「……よし、帰ろう。今日はお疲れ様。よく頑張ったね。そのまま、キミはキミのまま、ありのままに、ううん、欲望のままに進んでよ。ボクはずっと、それを近くで見てるから」




「がー、く、すー、ぴょー」




「すぷぷ、変な顔。……匂い、つけちゃおこれくらいはいいでしょ。トオヤマくん」



 きっと、彼女は答えなど求めていないだろう。ぐずぐずと遠山の頭を膝枕したまま抱きかかえ自分の頭をこすりつけた。





 長い時間、そうしていた。



 ふと、人知竜が顔を上げて、ぼそり。



「……俺のドラゴン、かあ」




 彼女は全部、聴いていた。そして彼女は知っていた。遠山鳴人の底の底には確かに、金色の竜の強さへの信頼があるということに。





 友人。遠山鳴人にとってその役割はとても特別なものであるということに。






「いいなあ」





 すぷぷ、愉快げにも聴こえて、どこか寂しげにも。



 ーーいいや、違う。



 幼いこどもが、やきもちを妬いた。そんな声だった。


 ………

 ……

 …



〜帝国北部、前人未到の山嶺の頂上にて〜







 風が、強く吹いている。




 その音がうるさくて、私は眠れない。もうずっと、ずうっと眠れない。




 勇者がいなくなったあの日から、私はもう数百年、眠っていない。




「どう、しよう」



 帝国領、最北部。未だこの時代のヒトが至れぬ最も空に近い領域。




ある山の頂上に、私はいた。



気付けばここに、逃げていた。




雲の海を見下ろしながら、冷たい空気を頬に感じる。




「どうしよっ、か」




 私は誰に語りかけるべくもなく、言葉を紡ぐ。




 諦めた、諦めた、ケリをつけたはずだった。あの時代は終わり、それぞれの結末を迎えた。




 大団円だ、ハッピーエンドなのだ。私たちは旅の目的を完遂した。




 だが、どうしたものか。



「くく、あは、アハハ。みつけ、ちゃった」




 その男を、見つけてしまった。運命でも宿命でもなく、劇的なものなどなく、淡々とその力を見つけてしまったのだ。




「……魂の、保存…… それはつまり、世界の保存……、ああ、なるほど。"魔の王"、貴様がやろうとしていたことは、そういうことね」



 あの日々の記憶を手繰る。



 駆け抜けた日々、あなたたちがいた日々を、私だけが想う。



 気付けば私は、そのやり方を考え始めていた。




「王国の、幸運と英雄は動き出した…… 塔は未だ健在、踏破する者もなし。天使教会の長は賢明で、竜教団の秘宝のことごとくは英雄の武装に成り果てた……」




「そして、アレ。あの力、トオヤマナルヒト…… "霧"、保存の力…… 興味が尽きないな。トオヤマナルヒト。キミは、何者だ?」




「なぜ、あの時、私の名前を知っていた? この私の、呪われた民の名前を。誰も覚えていないはずの民の名前を、さ」





「キリヤイバ…… アレ、アレさえあれば、勇者を…… みんなを、あの時を、また」




 私の中で、一度は諦めたものに火がつき始める。それは決して求めてはいけないもの、決して願ってはならないもの。




 私だけは、それを望んではいけないもの。



 だって、それはみんなとのあの時間を、あの物語を否定することになる。



 めでたし、めでたし。それで私たちは完結した。だからーー






 ーーウェン! 見てみて! すごい景色! ワタシ、貴女と旅に出て本当によかったわ!




 ーーウェン姉ちゃんが寂しくならないようにさ、俺が




 ーーウェン、オレと結婚しようぜ、大丈夫、オレの方が先に死ぬけど、でも、おまえはーー




 ーーウェン、僕と君だけ、この先ずっと、生きてて何になるのかな





 ーーウェン、ここじゃない場所で、いつか、今じゃない場所でーー




 みんなの声が聞こえる。熱に浮かされたように駆け抜けた日々の記憶。




 ーーいつか



 ーーいつか、また会えるよ、ウェン





 温かな言葉の数々。勇者パーティー。大戦を駆け抜けた私の大切な仲間たちとの思い出。





 それを、私は。









「嘘だ」






 また会えるなんて、嘘だ。



 いつか、また、なんて、嘘だ。




 いつか、なんて日はずっとやってこなかった。





 風が強く吹いている、だから私は眠れない。




「ヒトの時間と、私の時間は違う。みんな私を置いていった」




「いつか、また。いつかって、いつなの? もう充分待ったよ、私」




 ダメだった。みんながいなくなった後、私も1人で頑張った。




「みんなと出会う前の数千年はすぐだったのに、みんながいなくなってからの数百年が、とても永い…… 暗くて、寒くて、たのしくないの」




 弟子を取ったり、世界を救ってみたり、この世の嫌なことを色々なくしてしようとみたり。




 でも、ダメだ。ふとした時に理解する。



 私の時間はあの時から止まっていることに。みんなと、勇者と駆け抜けたあの日々は私とい存在に焼けつき、離れない。



「昔の私のままでいれたなら、平気だった。私はこういう生き物で、ヒトとは違うって理解していた」




 まばゆく輝く一時、みんなと一緒だったあの時間。かけがえのないものと私は知らずに過ごした。




「でも、もう違う。みんなが、勇者が私を、ヒトにした。してしまった」




 めでたし、めでたし。勇者とその仲間の英雄譚の結末はきっと、ハッピーエンドで幕を閉じた。




 世界は救われ時は巡り、新たな文明を迎えた。それでよかったはずなのに。




 私達はやるべきことをやり、成すべきことを為した。それでよかったはずなのに。





 ああ、どうしよう。




「……会いたい」



 あの時を想う。




「……さみしい」




 あの温もりを想う。





「戻りたい、みんなが、勇者が、いたあの時に」




「永遠に、あそこにいたい」





 それは、決して私が願ってはならない■■。



 だって、そうでしょ。そんなのバカみたいじゃないか。勇者もみんなも、世界のために、世界を次に進めるために全てを賭けた。




 不滅の私がやるべきことは、その素晴らしいみんながもたらした世界を愛して、それを見守ることだ。




 そう、そう、そう。それが私にしか出来ないことのはずだ。




 そうやって、言い聞かせた。みんながいなくなってもう数百年が経つ。私にとっては本来短い時のはずなのに、それはあまりにも永くて。







「……勇者、また、話がしたいよ」




 風が強く吹いている。たった数年の思い出と、たった数百年の孤独は私を壊していたらしい。




 尊さも、誇りも、意義も。私にはもう価値が感じられない。



「く、クククククククク」




 ああ、笑えてきちゃった。だって、そうでしょ。あれだけ取り繕っていたのに。みんながいなくても生きていけると思い込んでいたのに。











「見つけた、みつけちゃったよう、みんなにまた会える方法。勇者とまた出会う方法。見つけてしまった、よう」






 ーーキリヤイバ。



 彼、竜殺しのあの力。勇者や私の"魂喰らい"とは似て異なるあの力。




「魂を保存する力」




 ああ、ダメ、ダメなのに。



 あっけないものだった、私はみんなとの別れを受け入れていたわけじゃなくて、ただ、ずっと一緒にいれる方法がなかったから、諦めただけだったんだ。





「あの力さえ、あれば」




 やり方を、見つけた。無意識に探していたその最後のピース。



 出来る、そう思ってしまった。




「……"王国"は既に幸運と英雄の手の中。あれらが権力を握った以上、あの国はこれからひどいことになる」




 気まぐれで少し手を貸していたとある国の出来事。"勇者"の香りを纏う緑髪のおぞましい幸運はきっと、これから世界に牙を剥く。






「となれば、残るは帝国。ああ、なんてことだろう。出来てしまう、帝国さえ乱れ、ヒトという種に全滅の可能性さえ生まれれば」



 揃った、揃ってしまった。



 条件も、時勢も、理由も。



 そして、実現可能な方法も。





 ビュオオオオオオウ。




 風が、また強く吹いた。



 私の背中を押すように。





 そして、ぷちんと。



 何か、私の中で留金がちぎれる音がした。










 ーーウェン、また、会えるよ、またいつか。きっと。










「く、くく、そうだ、そうだね、勇者。ああ、でもね、いつか、なんて日はこないのさ。……それを本気で望み、それを実現するように動かない限りは」






 決めた。よし、しよう。




「やっぱりダメだよ、私。みんながいないと、キミがいないとつまらなかったよ、勇者」




 胸が、暖かい。



 ああ、数百年ぶりの感覚。この名前はなんだっけ。




「勇者、キミがまた生まれるように努力するよ」





 それはつまり。私はこれからみんなが愛し、守り通したこの世界を壊すということだ。




「そして、今度こそキミを失わないようにするよ、キミをずっと、ずっと、保存して、もうどこにもいかないようにするんだ」



 それはつまり、勇者が生まれる世界を望むということだ。





「何人殺せばいいかな、何を壊せばいいかな。キミはきっと怒るだろうね、勇者。ああ、でも、キミがいないこの世界よりは、キミが私を殺そうとして怒る世界の方がいい」





 手が震えている。



 ああ、出来る、私にはそれが出来てしまう。




「竜も、超越者も、軌跡も。全て、全て。乗り越えよう。大丈夫さ、あの時は出来た。ならこれは、そう、前人未到の物語じゃない、クククク、ああ、そうだ。物語はまだ終わっていなかったんだ」




 思い出した。これは高揚だ。





「私の血、私の元。ああ、ククク、そうだ、決めたよ、そもそも私は何も我慢する必要なんかなかった」





 風が、風が、止まらない。



 大戦よりも、前の時代。ヒトとは別の人が星々に手を伸ばしていた時代の末。




 私達は産まれた。この星の機能を司る存在として。竜とはまた別の惑星の概念体として。




「決めた、やろう。勇者パーティ射手のウェンフィルバーナじゃなくて、私自身として。古い星の機能として、私は私のやりたいことをしよう」



 そうだ、方法があるのなら我慢なんてもうする必要はなくなった。




 私は、いや、私(・)の(・)種(・)族(・)はそういう生き物だ。





「くくく、ああ、私、どうしようもなく、トゥスクの民だったのね。世界の深層、真理を求めて最も古い時代に消えた民。あの時、一緒にいかなくて、本当によかった」





 まずはどこから始めようか。効率よく、誰に気づかれることもなく、始めよう。




 ーーウェン、あたし、少し心配。あたし達の時間と貴女の時間は違うから。貴女を独りにしてしまうのが、とても怖いの。貴女のような良い人を独りにしてしまうのがとても。




「……ッ」




 声が、リフレインする。



 勇者は、もしかしたら私がいつかこうなることに気づいていたのかもしれない。




 ーーウェン、世界をたのしんでね、心ゆくまで。あなたのーー





「勇者……」




 水が、溢れるように、もう限界は来ていた。



 キミはとてもいいやつだ、でもね、私は





「私は、キミが思ってるほど良い人じゃなかったよ」





 手の震えが、ゆっくり収まりはじめる。




 その震えは、きっと、私に残された最後の良心。最後のタガ、最後の分岐点。




 ここで諦めれば、世界は安寧。"幸運"と"英雄"がやろうとしていることはおそらくこの世界の免疫機構によって修正される。




 竜か、超越者か、あるいは別の何かが、彼らの前に立ち塞がるだろう。




 そこに横槍さえなければ、そこに大きな風が吹くことがなければ。






「なんだっけ」




 でも、もう私は止まらない。諦めることはない。勇者の守った世界に、勇者はいないから、もういいんだ。




「勇者の口ぐせ、難しいこととか、試練とか、ピンチの時によく言ってた言葉なんだっけ」




 私もそうするよ、勇者が生きていたように、貴女はいつも笑って、心の底からたのしそうに、世界に挑戦していたね。




 いつも、あ(・)の(・)言(・)葉(・)と(・)と(・)も(・)に(・)。(・)





「……の、……に」




 ゆっくり、目を瞑る。




「……う……のま……に」




 貴女を思い出す。思い出せなくなる前に。




 貴女の言葉が、私に勇気をくれる。この世界をぶち壊すための勇気を。







 ああ、そうだ。貴女は世界と闘うときに、いつも、こう言っていたね。






















「欲(・)望(・)の(・)ま(・)ま(・)に(・)ー(・)ー(・)」







 私は、勇者を取り戻す。




 私のたどり着くべき場所は、過去にしかないのだから。






「さて、どこから始めようかなー」




 手の震えは、完全に消えて、私のタガは無くなった。




 やることはたくさんある。世界のこと、あの塔のこと。そして、キリヤイバと竜殺し。




「たのしくなってきた」





 たのしい世界のはじまりだ。勇者、貴女に会えたらまずは、うん。お昼寝がしたいな。もう数百年は寝てないから。





















 ぴこん。





「えっ?」






 気づくと、目の前に何かの矢(・)印(・)が(・)







【メインクエストが発生しました】



読んで頂きありがとうございます!ブクマして是非続きをご覧ください!



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― 新着の感想 ―
あ、 それ普通に進行したらバッドエンドのトオヤマに付いてるやつじゃん
んんん?霧刃って霧刃で殺したやつしか保存できないんだろ? エルフ、無駄じゃね?
懐古厨なうえに自分が愛した人が一番悲しむことをやろうとしてるエルフ…まぁ欲望のままに生きるなら仕方ないか あとアイちゃんが可愛かった、母性と乙女回路を感じさせる立ち回りがぐっとくるね(所々に挟まるフェ…
感想一覧
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