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現代ダンジョンライフの続きは異世界オープンワールドで!【コミカライズ5巻 2025年2月25日発売】  作者: しば犬部隊
サイドクエスト "石窯に火を灯せ"

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69話 悪しき者たち、その悲劇を笑え

 



【知識の眷属 ハーヴィーからの手助け…… あちゃー。ちょっと聞いてよ、遠山鳴人。フローリアの奴、マジでキレててウケるんだけど。自分の男がまた女に取られかけてるから暴れてるww 根暗なやつがキレるとさ、キレ方知らないから怖いよね】




「ハーヴィー?! フローリアって確か、ラザールの影に関係してる奴だよな? 頼む、今は時間がおしい。ラザールを追いかける、手伝え」




 視界に流れるメッセージに、遠山が言葉を荒げる。




「と、トオヤマ? 急に、1人で何を?」



 ストルからしてみれば、急に遠山が1人で話し始めたようにしか見えない。




【アハッ、いーよ、我が主人。ま、つーかそれ。フローリアの片想いの相手が消えたところに多分、影が残ってるっしょ。それを追いかけなよ、フローリアがあのリザドニアンの力に干渉してるから見つけるのは簡単な筈だからさ】




「影、このシミか。ナイス、ハーヴィー。助かる」




【別に、単なる気まぐれだし。また、公文書館で】




「パン文書館な」




【うるせーし、マジで】





 それきり、メッセージは消える。だが、あの灰色髪のメガネ女の言う通り、ラザールが消えた場所には未だモヤモヤした黒。シミが残っている。





「トオヤマ…… その、ラザールが消えてショックなのはわかりますが、あまり現実逃避するのは」




「違う、そういんじゃねーから。ラザールの痕跡を追う。行くぞ、ストル」




「行くって、彼の行方がわかったのディスか?」




「ラザールのストーカーがブチ切れてるんだってよ」




 地面に点々と残る黒い影のシミを指差して遠山が笑った。



 シミの続く先には、森林地帯への入り口、鬱蒼とした木々が広がり始めていた。






 ……

 …




「ストル、こっちだ。また影のシミを見つけた」




「了解ディス。想像以上に追跡は容易ディスね」




 森の匂いが濃い。土を踏みしめるたびに緑の香りが鼻に届く。



 鬱蒼とした、森。



 普段であればこの時間帯はまだ日の光が強いため、そんなに暗くはない。




 だが、この日は日が弱く、森を深く感じた。




 それでも遠山達は着実にラザールに近づいている。彼の通り道には道標のように、影のシミがこびりついていた。





「ああ、ラザールが本調子であのスキルを使ってたらこうは簡単に追いかけれてねえな。フローリアとやらに感謝しないと…… 待った、ストル」




「ディス?」




 遠山が手を挙げて、ストルを制す。指を差した先には大きな



「見ろ、この辺りの木、木の皮が剥げてるものが多い…… 見たところまだ死んでる木じゃないのに、これはなんだ……?」




 森を進むたび、木々が大きく太いものへと変わっていく。遠山の記憶にある高校生の時の修学旅行で向かったヤクシマの森を思い出す。




 太い幹、奇妙な形に皮が剥げているものがいくつか。





「今、ラザールの追跡に関係あることディスか?」




「ある。ラザールに悪さしたやつの正体がなんであれ、ここは怪物の領域だ。警戒するに越したことはない。……なんでとぐろの形なんだ?」



 それはまるで、何かが木の幹に巻きつき、這いずり回ったかのような。




「ディス…… トオヤマ、何か、変ディス」




「変、とは?」




「気配が、しません。いつもはこの森、入った瞬間に身を潜めているモンスターどもの気配や視線を感じるのディスが、今日はそれが一切ありません」




「良くねえな。ストル警戒を引き上げろ」




「モンスターがいない方が楽なのでは? おそらく、横槍もないかと」




「逆だ、モンスターの住処でモンスターの気配がしないのは異常事態だろ。認識を共有するぞ。今、この森林で何かが起きている」




「了解ディス、トオヤマ、皮の剥げた木が増えていますディス。そして、影のシミもあちらに」




「だな。そして気になるのがまた1つ。周りの茂みを見てみろ、ストル」




「茂み? 特になにもないようディスけど」




 遠山が指さした茂みを見て、ストルが首を傾げる。




「よくみろ、小枝が折れている位置や、茂みが割れている位置。ちょうど人間の身長の平均辺りの場所と同じだ。つい最近にここを人が通ってる」




「……トオヤマ、あなた斥候の経験があるのディスか?」





「色々目配せしないと探索者はすぐ死ぬからな。だが、この痕跡はラザールの残したものではないな」




「なんでそれがわかるのディス?」




「いくら呆けていてもラザールがこんな雑な痕跡残すわけないだろ」



 しゃがみ込み、注意深く茂みや木の枝の様子を遠山は確認する。




「ああ、なるほど、たしかに」




「歩きながら情報を整理するぞ。この森は今様子がおかしい、そして、最近何人かの人が俺たちと同じ道を歩いている。………あ」




「トオヤマ、どうしましたディス?」




「バカか、俺は…… やべえな。普通にパニクってるわ。昨日会った奴、塔級冒険者のユト・ウエトラルが森林がどうのこうの言ってたわ」




「……あなた、抜け目ないのかアホなのかよくわかりませんディス」




「いや完全にこれは俺がアホだわ。たしか、森林に行ったきり帰ってこない冒険者がわんさかいるみたいな…… 嫌な予感しかしねー」




「森林に存在する何かが平原地帯にいたラザールに影響を及ぼす…… 笑えない話ディスね」





「ああ、ほんとに笑えねえ。ストル、お前の言う通りやっぱこの森おかしいわ。鳥の声が全くしねえ」




「……ラザールは大丈夫でしょうか」




「急ぐぞ、また影のシミだ。おっと、マジか」




「足跡…… ディスね。地面がここからぬかるんでるのディスか」




「ああ、雨でも降ったわけでもないのにな。気を引き締めるぞ」




「っ、トオヤマ、ストップ、ディス」




「……どうした?」




「何か、いますディス」




『近づくな、近づくな、近づくな。それ以上我らが域に近づくな』




「……マジかよ」




「うげ……」



 遠山がぼやいて、ストルがうへえと舌を出す。



 わら、わら、わら。



 柔らかく湿った土から、それらは這い出始めた。人であるならば大抵の人間はその形に生物的嫌悪を感じる。




 蛇だ。化け物ではない、普通の蛇。



 それだけならば良いのだが。




「ストル、何匹いる?」




「……地面の下にいる奴も数えた方がいいディスか?」




 数。



 それが尋常ではない。道を全て覆い尽くさんとするばかりの数の蛇が湿った土から這い出てきた。



 ニョロニョロニョロニョロ。



 黒い様縞模様、緑色、赤色。色とりどりの蛇が、たあくさん。



 蛇嫌いの人間が見ればそれだけで卒倒しかねない光景がそこに。




『近づくな、近づくな。彼女の嘆きが聞こえぬか、彼女の唄が聞こえぬか。我らの彼女に近づくな』





「ストル、この辺だと蛇が喋るのは普通のことか?」




「御伽噺なら。あとは、"古代種"、エルダーにまつわるお話の中でならいくつか」




「もうそれ答えじゃん」





『近づくな、悪しき者よ。彼女の声が届かぬ悪しき者よ。ここより先は善き者しか踏み入れぬ、ここより先は彼女を慰める者しか入れさせぬ』




「と言われてもな。蛇さん達や、アンタらの縄張りに入ったのは謝るよ。すまんかった、でも俺たちにも事情があってな」




『知らぬ、知らぬ、悪しき者の事情など知らぬ。立ち去れ、立ち去れ。さもなくば、我ら群体が貴様を滅ぼす』





 蛇たちが口々に言葉を操る。遠山はそれを眺める。小さな爬虫類脳でずいぶんよく喋るものだと。




 そして、静かに準備を始める。




「害虫どもめ…… よく回る舌ディスね」





「待て、ストル」



 早くもピキリ始めたストルに待てをかけて、遠山が一歩踏み出した。



『近づくな、近づくな。我らの彼女は哭いている、我らと共に哭いている。善き者にしか聞こえぬ声で泣いている。それを聞けぬ貴様らにこの先へ立ち入る資格なし』





「……そう言うなよ、蛇さんたち。友達を探してるんだ。トカゲの妙にモテるオッサンだ。白と緑の鱗に鋭い目、声は低めのうちの斥候だ。見かけなかったかね」




『善き者、善き者、影の男は招かれた。我らの彼女に招かれた』




「トオヤマ! 影ってーー」




「ああ、そいつだ、蛇さんたち。そいつさ、俺たちの仲間なんだ。この先にいるんだな」




 興奮するストルと対照的に遠山は友好的な態度で彼らに接する。



 じっくり、観察。



 蛇達は、その純粋さゆえに気付かない。目の前の男は決して話に耳を傾けているわけではないということを。




 遠山が、蛇達に向けて浮かべた微笑みは、しかし、目だけはちっとも笑っていなかった。





『善き者は分かち合う、善き者は聴いてくれる、善き者は悲しむのだ、我らと共に彼女の悲劇を分かち合う』




『立ち去れ、立ち去れ。すでに影の男は彼女のもの。影の男は聞かねばならぬ、影の男は啼かねばならぬ、彼女の悲劇に寄り添うために』





「あー、あのお人好しトカゲ、ほんとなんか厄介なのに眼をつけられてからに。まあ、だいたい状況は理解出来た。ラザールはこの先にいる、そして、ラザールを呼んだ奴もこの先にいるわけってことか」




 充分な情報。影のシミを追いかける先にラザールがいることの裏取りが出来た。




『最後の警告だ、最後の警告だ。立ち去れ、立ち去れ、立ち去れ。影の男はこれより彼女と1つになる。他の者と同じように、彼女の物語を聴き終えたのち、1つとなるのだ』




『善き者を彼女に、善き出会いを今度こそ彼女に。ああ、泣いてくれ、啼いてくれ、哭いてくれ、善き者よ、我らと共にないてくれ』




 蛇達が、感極まり口々に言葉を紡ぐ。善き者に慈悲を求めて、悲しい彼女に哀れみを込めてーー






「ストル、10秒後、撃ち漏らしを頼んだ」




 だが、その声は決してこの男には届かない。




「ああ、もう準備はいいのディスね」





『哀れな子、愛しく哀れで悲しい子。誰も彼女を救いはしなかった、誰も彼女を愛さなかった。悪しき者は必要ない、彼女はこれから幸せにーー




「蛇さんたち」




『立ち去れ』




「ありがとう、色々聞かせてくれて。ありがとう、ずっと警告で止まってくれて。ああ、お前らはたしかに善い奴ら、だったよ」




 ピコン



【スピーチチャレンジ、発ーー】





「でも、もうお前らと話す必要は、ないな」




【属性 中立・悪のためスピーチチャレンジが中断されました】





『なにを』





「既に、仕込みは終わっている。俺より標高が低くて助かったよ」




 数、多。


 大きさ、小。


 動き、鈍。




 その蛇の大群たちは、遠山と、とても相性が良かった。




 蛇たちは、遠山に時間を与えすぎた。そのヤイバを仕込む時間を。




「やれ、キリヤイバ」




『ギーー?!』




 会話の途中、遠山が静かに仕込んでいたキリが牙を、爪を剥く。遠山鳴人の喉元から、欠けた刃と柄が抜け落ちる。




『ギ、アアアアアアアアアアアア?!?』




 くねる、くねる、くねる。





 湿った土から這い出た蛇の大群達が、体から血を流し悶え始める。




 欠けた刃から漏れ出るのは、空気に散らばる小さなヤイバ。




 遠山の遺物が、善き者を守ろうとする番人たちを、斬り刻む。身体の小さな彼らにはそれは容易に致命傷となって。





『あ、アアアアアア?! 悪しき者、悪しき者、ああ、知っている、知っている、知っている!! 毒を持つ者、殺す者、我らを悉く滅ばさんとする力と同じ!』




『甘い血の匂い! 黒い髪の悪しき者がやってきた! 彼女から奪おうとやってきたアアアアア!!』




『一族を殺す者! 欲望と嗤いと共に死を運ぶ者だ! 知らせろ、知らせろ知らせろ! 我らの冬がやってきた!』




 極小のヤイバに身体を刻まれ、細切れになりつつも蛇達が喚き散らす。



 地獄のような光景だ、身体をのたうち、牙を剥き出し、血を流しながら蛇達が叫び続ける。



 彼らは知っている、この力を。彼らは知っている、この身を斬り刻む白いキリのことを。





『近づくな、近づくな、彼女にイイイイイ、コレだけは近づけるナアアアアアア』




 コレ。この力、このキリ、この痛み、この男。



 これだけはダメだ。これだけは彼女に近づけてはならない。




 小さき蛇達は、ボロボロになりながら最期の力を振り絞り、群体となりて、森に冬をもたらすキリの敵へ襲い掛かろうと。寄せ集まる彼らはまるで、怒涛のごとく固まって。






「じゅーう、びょう、ディス」





『ペヤーー」




 ザン。



 水色の風が吹く。ストル・プーラだ。



 今か今かと、力を溜めに溜めていた彼女の肉体が躍動する。安物の剣を肩に乗せて、身体ごとぶつけるようにそれを振るう独特の剣技。




「ふ、ふ、ウイイイイイイいいイイイイイフウウウウウウウゥ!! むふ、あは、アハハハハハハハハ!!」





 そうあれかし、"正義"の器たり得るその身体の膂力たるや。ぬかるんだ土を蹴り飛ばし、蛇の大群を踏み潰し、剣で斬り飛ばし、獣が暴れる。





『あ、アアアアアアア』




 蛇達の悲鳴すら置き去りに、ストルが蛇の大群を蹂躙する。個にして、群れを滅ぼすその力は化け物と比べても見劣りすることなどない。





「お見事、ストル・プーラ」




「ウイーフック!! 全て蹴散らしますディス! トオヤマ、行きますよ! ラザールの影のシミはこの道に続いていますディス!」





「おう、行こうか。邪魔する奴は全部蹴散らすぞ」




「了解、ディス!」



 一気呵成。



 悪しき者たちが、闘争の興奮に目を見開き、口角を上げて駆け出す。




『アアアアアアアア、近づくな、寄るな。軽薄な意思、残酷な魂を彼女に近づけるナア!!』






 一斉に、湿った土から這い出る蛇の群れ。






「うるせええ!! ウチのパン職人攫おうとしてタダで済むと思うなよ、害虫ども!! 森ごと皆殺しにしてやらぁ!!」




「ハハハハハ! トオヤマ! 悪い男ディス! ああ、あんなにも健気に迫る虫たちを、ハハハハハ!」




 蛆虫を潰すかのごとく、遠山が安物の槍を振り回してヘビを刻んでいく。





『アキャアアキャアアアアアアア!! 奴だ、奴だ!奴が来た! 白い死を運ぶ黒髪のニンゲン! 森に冬をもたらすもの! 汚い声で嗤う者! 名を、名を名を名乗れエエエエエエエ!!』





「ひ、ヒヒヒヒヒヒ!! 虫けらのくせによく喋る!! ああ、決めたぞ、俺の仲間に触れたお前らは皆殺しだ。よーく覚えとけ、お前らをこれから殺す俺の名前はーー」




 酔いが回る、ノリノリになり始めた遠山が名乗りを上げようとして。






「天使教会審問会、審問官補佐、ストル・プーラ!! 押し通るディス!!!」




 それよりも素でバカな騎士が、身体を回転させながら蛇を刻み、雄叫びをあげた。




『ストル、ストル、ストル!! ストルが来るぞ! 彼女に近づけるナア!』





「マジかコイツ」




 蛇たちが口々にストルの名前を恐れる。少しぽつんと取り残された遠山がぼそり。




「何をボケッとしてるのディス! トオヤマ、行きますディスよ!」




「あ、はい。もういいや」




 走る、走る、走る、走る!!



 ワラワラ、ワラワラ。何故かぬかるんだ土の上、冒険者が2人、押し寄せる蛇を蹴散らし、進む。




「オラァ!! 邪魔だ! 虫けら! どけ!」



 ぶおん。安物とはいえ、鉄の穂先。バラバラとヘビを真っ二つ、時には叩きつけて潰していく。





『アアア?!』




『知っている、知っている、知っている! 我らを滅ぼす甘い血の匂い! 白い霧と共に来る冬だ!』




『我ら大いなる蛇を狩る者、皮を剥ぎ、目玉を抉る者! トオヤマナルヒト!!』





『森に知らせろ! 一族に知らせろ、彼女に知らせろ! トオヤマ、トオヤマ、トオヤマ、ナルヒト、ナルヒト、ナルヒト! 我らを滅ぼす冒険者がやってきた!』




「うるせえエエエエエエエ!! そこどけ! てかなんで俺の名前知ってんだ、気色悪い!」




「ッ、トオヤマ! 空気が変わりました! 何か、奥に、この先に何かいますディス!」




「どー考えてもソイツだ、悪玉は! 殺せそうならぶっ殺す! 無理そうならラザール連れて速攻撤退!」




「了解ディス!」




「蛇どもの追跡もない! 急げ! ストル!」




「ディーー 止まって! トオヤマ!」




「どした?!」



 ストルの警告、遠山は素直に立ち止まり問いかける。



「……近い、います、何かとても、大きなのが」





「了解、様子を確認する」



 辺りを見回すストル、遠山はしゃがみ込み茂みや木に沿ってゆっくり移動し始める。




 影のシミを追い続けると、ふと開いた場所にたどり着いた。




 そこだけぽっかり、木々が生えていない。広場のようになっている。




 ぽつんと、広場の中央に大木が1つだけ聳えていて。




「トオヤマ、あれ……」





「…………」



 その大木の下、見慣れたマントに白い鱗と緑の模様。ラザールが木を背に1人立っていた。






「ラザール、見つけた。なんでアイツ棒立ちしてんだ?」




「……どうします? トオヤマ」




【技能"オタク"発動 目星ロールに無条件で成功します】




「いや、どう見ても怪しいだろ。こういうのはお約束だ。化け物に攫われた奴が開けた場所に1人でいたらそれは大抵釣り餌なんだよ」




 数々の創作物、パニック物やホラー物でお馴染みのアレだ。茂みに姿を隠したまま、遠山とストルがラザールを観察する。






「……悲しき子よ、悲しき子よ。貴女の声を聞いた。貴女の悲劇を知った。だからどうか泣かないでくれ、君はもう1人ではないから」





「なんか1人で喋りはじめたディスよ」




「静かに。ストル。周辺警戒」




「ディス…… ん? 何か、音がします」





 ポタ、ポタ、ポタ……




 雫が、垂れる。そんな水音。



 今、雨は降っていない。




「……ストル、最近、雨って降ったっけ?」



「ここ1週間は、晴れディス」



「だよね、そしたらなんで地面、こんなに濡れて……」





『アア…… 止まらない、トマラナイの。涙…… フフ』




「「ッッ?!」」




 それは、そこにいた。




 いつからいたのか、遠山にもストルにも認識されずに。



 巨体が、大木に絡み付いている。




 くねる肢体、大きな鱗、長い身体。




 大蛇。それも、今まで遠山達が狩っていたティタノスメヤを遥かに上回るサイズ。




 目を惹き寄せる、白い鱗。曇り空の中でも鈍く輝くかのような躰。





「ああ、悲しき子よ、泣いているのか……」




 ラザールが虚な表情で、木に巻き付き、逆さまにぶら下がる蛇の化け物に言葉を向けていた。



 ぽた、ぽた、ポタ。



 蛇の目から、涙が、ずっと。



『ワタシ、ワタシワタシワタシ。ゆるゆる絡まって溶け合うの。ぷよぷよ、ぷよぷよ、響いてる。ああ、海はとてもヒロイノネ』




 ふるふる体を震わせた白いティタノスメヤがラザールになにかを語りかけている。




 喋る蛇の次は、喋る蛇のモンスター(ティタノスメヤ)






「マジか」




『あら? フフ、甘い匂い。ああ、私たちを殺す冬がチカイわ。小さなお友達の血の匂い…… ああ、彼らは約束を守ってくれたのね』




 蛇が、急に体をもたげた。ぶらぶらと身体を揺らし始めて笑い出す。




「……トオヤマ、アイツ、私たちを見ています、ディス」




「いや、見てるって、なんだよ。ぶら下がってるだけじゃ……」




「違う! トオヤマ、アイツ、あの中に、蛇の体の中にーー」




 ストルが自分の肩を抱いて、心底おぞましいものを見る目をした。



『アア、涙の海、冷たい冬の人、ヨウコソ、ウフフ』




 でろり。



 白蛇の口が上下に裂けた。


 目は三つある目は全て白目を剥き、口からポタポタ、血を流す。




「なんだありゃ」



 空いた口が塞がらない。



 蛇の口から現れたのは、人間、その上半身。白い鱗に包まれた白い髪の女体。




 蛇の口から女が生えた。粘液に塗れたその姿。一瞬、遠山は目を奪われる。



 何かを超越して、振り切ったその姿。神々しさ、それが見えてしまった。





『ねえ、影の人、優しい優しい影の人。アナタのオトモタヂを紹介して、みんなで仲良くお話しシマショ』





「……ああ、悲しい君よ、それで君の悲しみが癒えるなら」





 蛇女が、ラザールに語りかける。



 虚な表情のリザドニアンが、腰からナイフを引き抜き遠山とストルの隠れている茂みに向き直った。





「なるほどそのパターンね」




「トオヤマ、どうしますか? 指示を」




「ストル、2人であの操りトカゲをボコボコにして速攻で撤退するぞ」




「ああ、シンプルでいいディスね。ところであなた、心とかないんディスか?」




「褒めるな、照れるだろうが」




 状況は、理解した。ラザールは今あの化け物の支配下にある。



 遠山とストルはゆっくり茂みから抜け出して、化け物とラザールの前に姿を表す。






「……悲しい子、悲しい子。君の嘆きが聞こえる、誰にも救われぬ悲しい子。せめて、俺が」




「ラザール、お人好しもいい加減にしとけよ。悪いが、荒療治だ。目覚まさせてやる」





『アア、冬の香り、フフフ、私たちを滅ぼす冬がオトモタヂを殺そうとしてるのね、アア、私もそうだった。とてもとても大切な人だった。フフ、ウフフ、いいなあ、あなたは救おうとしてくれる人がいるのね、フフ、わたしにはいなかった、ワタシ、ワタシワタシワタシ』





 ぽた。ぽた。



 蛇の口から生えている女体が泣く。音もなく嗚咽もなく、ただ涙だけを流し続ける。



 白い蛇の身体をつたい、涙はずっと注がれる。



 土がまた、湿った。





「………ああ、そうきましたディスか。トオヤマ、作戦は変更ディスね」




 ぴくん、ストルが何かに気付いたようにしゅういを見回して。




「あ?」







『でも、今は、ワタシにも沢山のオトモタヂがいるの、フフ、善い人、達、ウフフ』




「ア、アアあ、悲しき人、悲しき人よ……」




「泣かないで、泣かないで、泣かないで」




「嘆きの歌を響かせて」



 女の声、それに反応するように森の奥からうぞうぞと。



 黒い鱗に波打つ長い身体。2級モンスター・ティタノスメヤが現れる。



 群れ。森を埋め尽くさんとする大波にも見えて。






「マジかよ」



あまりにも。見上げるような蛇の化け物に囲まれて、おまけに仲間は1人洗脳状態。




やばい。焦りが、遠山の脳をぼやかせる。






「トオヤマ」



隣から聞こえる透き通った声。



水色。誰も触れることのない春にだけ湧く泉の水底のような瞳が遠山を見上げて。





「私は教会の、異端審問官の剣です。命令を。剣にその役目を果たせと、命令を」




その目が綺麗だった。



少し呆けて、それから遠山は息を吸う。ストルは何も迷っていない。ならば自分がここで迷うわけにはいかない。




覚悟をしてる時間はない。実行するだけだ。





「ーー悪い、ストル。化け物どもを頼む。ラザールは俺がボコす」





「ウイーフック」





『アハ、悪い人たち、それでも諦めない、綺麗な心。アア、どうして』





「悲しき子に、別れの歌を」




「我らに、冬をもたらす甘い匂いに死を」




「我らを滅ぼす冬、トオヤマナルヒトに、死をーー」



黒い蛇、ティタノスメヤの1匹が駆け出した遠山に迫ろうと




「させません」




水色の風。



1房にまとめられた髪がなびき、血が飛び散る。



顔をギザギザに刻まれた蛇の化け物が悲鳴を上げて。




「天使教会審問官側仕え、ストル・プーラ。教会の、いえ、審問官の正義のため、貴方達を斬ります」




遠山の背を守るは、第一の騎士、ストル・プーラ。




「アーー」




「行け! トオヤマ!」




「頼んだ、ストル!」



 背中を仲間に任せる。武器も構えず、遠山鳴人はぬかるんだ地面を蹴る。




 背後には迫る大蛇の大群、振り返らずとも感じる化け物の威圧、生物として持つ感覚が危機と恐怖を伝える。




 だが、遠山は決して振り返らない。その背を護る第一の騎士の性能を身をもって知っているから。




()()審問官に触れさせはしない」





『あは、すテキ』



蛇が濁流のごとく迫る、それよりも早く濁流を駆け上るストル。安物の鉄の剣が蛇の鱗を裂いた。





「ラザーァァァル!! 帰るぞ!」




視線は前に。横も後ろも何もかも、全てをストルに任せて遠山が走る。




「悲しき子に哀れみを。救われぬ人生に、憐れみを。俺はここで彼女の喪に服すのだ」






「知ったことか! アホトカゲ!」



虚な目で、ナイフを構えるラザールに一喝。




ぶちのめして、連れて帰る。それしか考えていない。




「"影の導き"」




 ラザールの身体が、影に包まれる。それは一瞬で、影に愛された男の姿を隠しーー




 ピコン




【知識の眷属ハーヴィーの手助けが発生します】




【HEY! listen!! 遠山鳴人。悪事の眷属、フローリアがアンタの手助けしてくれる、フローリアの影は今だけ、アンタを受け入れる。そこのリザドニアンを必ず連れ戻せってさ】




「ナイス! ストーカー女にありがとうって伝えてくれ!」




「?!」




 どぼん。遠山がそのまま、ラザールの消えた影の沼に飛び込む。



 何の躊躇いもなく、遠山とラザール2人が地上から消えた。





「行きましたディスか。眷属スキルの権能にあたりまえに干渉してるあの男、なんか考えるのがバカらしくなりましたディスね」




 それを見送るのは騎士ストル。



 化け物に囲まれながらも、どこか緩い顔つきで影の沼を見つめて。



『ァは、みんな、みんな、影の人が好きなのね。アハ、ウフフ、でも、貴女、は違う。貴女、ふふ、空っぽだわ、あゝ、その目、上姉様や、あの子に似てる…… 空虚で、でも、持って生まれた側の存在』





 化け物が、ストルを見下ろす。辺りに蠢く大蛇の群れが、うぞろ、うぞろ。




 1人の少女を取り囲む。





「……ムカつきますディス」




『うん? 何か言ったかしら?』




「お前、妙な香りがしますね。人と化け物、その両方の匂い…… 醜い化け物め。古代種、教会は貴様のような存在を許しはしないディス、でもなによりもムカつくのは」




 小さな顔、妖精のような美貌が鋭く。



 "正義"の繰り手、その正義のためならば人を殺すことも厭わない悪しき者としての顔、呪われた殺人者の顔に変わる。




「あの男とラザールは呑気にヘラヘラ笑っているのがお似合いディス。私の……、私の世界に傷を付けようとするお前は決して生かしてはおかない」





『アハ、コワイ顔……』




 騎士が1人、化け物の群れと相対する。



 影の沼にちらりと視線をやった後、己の世界を壊そうとする外敵にその剣の先を向けた。








 ………


 …




 ラザールが沈んだ影、そこに遠山鳴人も踏み入る。そこは物理法則の存在しない眷属の領域。




 ふわり、体が浮く。まるで水中に突如放り込まれたような感覚。色のない世界、白黒の世界。




 悪事の眷属が、ラザールにだけ許した場所に今。




「よう、ラザール。悪いが、お前とまともにやり合う気はねえ」




 悪しき者が踏み込んだ。




「その、笑い……」



 虚な表情のまま、僅かにラザールが言葉を詰まらせる。何かに迷うように泳ぐ手、しかし次の瞬間には腰に備えたナイフを突き出して




「遅い!!」



 その攻撃は、あまりにも遅い。影の男の本領を知っている遠山からすればふざけているのかと言いたくなるようなトロさ。



 突き出されたナイフを交わし、それを握る手を上から荒々しく殴る。




「がっ!?」




 ふわり、持ち手も緩く、ナイフが手からこぼれ落ち、影の世界に浮かぶ。




 上も下もわからない影の世界。友が2人、向かい合う。




 善き者は、その悲劇を憂い虚にそれを背負う。



 悪しき者は、その悲劇を踏み躙り己の思うままに振る舞う。




「目え、覚ませ、ラザール。俺たちにはそんな暇はねえ!」




 遠山鳴人がラザールの胸ぐらを掴んで、頭突きをかます。




「あ、が!? 悲しい、ものを、見た」



 遠山の頭突きを食らったラザールが、うめく。



 影の世界。それは悪事の眷属の力とラザールの意識が混じり合う異界。



「ーー!」



 遠山は見た。



 新月の日に生まれた忌み子を。古い部族の習わし。月の出ない夜に生まれた子は災いをもたらすものとして扱われる。




「悲しい唄を、聞いたんだ……」




 虚なラザールの手のひらに影が集まる、湾曲した刃の形となったそれが遠山に振り下ろされる。




「遅い」




 先ほど叩き落とし、ふわふわ浮いていたラザールのナイフを遠山が掴み取り、影の刃を受け止める。




 ぎり、りりり、



 鉄と影。凌ぎ合う。




 遠山に流れ込む、影の男の記憶ーー




 彼は遠山鳴人とは違う。



彼は愛を知らないわけではない。



彼の両親は忌み子として生まれた彼を決して見捨てることはしなかった。



 部族の習わしよりも、己の血を分けた家族を選んだ。生まれた瞬間に、マイナスの立場を決めつけられた我が子にしかし、付けられた名前はーー




「ラザール!!」



「ぁ、俺、はーー」





 再び、(ラ・)立ち上がる者(ザール)



 母と父は彼に、願いを込めてその名前をつけた。踏み躙られる定めにある我が子に、それでも儚き願いを込めて、愛と共にその名をつけた。




「悲しい、生を見た、あの子は俺と同じだ、全部奪われた……!」




「く、そ」



 ぎりり、強い力。影の刃が鉄のナイフを押し込み始める。



 それを通じて、ラザールの悲しみが影の世界に、遠山鳴人に共鳴する。





 ーー忌み子を探せ。忌み子を探せ。日照りが続くのも、畑が育たぬのも、あの忌み子が生まれてからだ。




 ーー忌み子の親の骸を晒せ、部族の掟に逆らった愚か者に思い知らせろ



 ーー忌み子を庇ったあの老人も殺せ、どうせ独り身の変わり者、いなくなっても俺たちには関係ない




 ーー最後まで子を庇った薄汚い親、部族に二度と生まれぬように血を絶やせ。




 燃え盛る己の家、目の前でバラバラに殺される己の親。幼き忌み子は、父と母に庇われて、隠された。




 力なき忌み子はただ、眺めるしかない。




 己を愛してくれた父と母が、多数の大人になぶられて、殴られて、斬られて、汚されて、殺されていくのを眺めるしかなかった。





「この世は悲劇ばかり、誰も悲劇を振り返らない、だれもあの子の嘆きを、聞いてはくれない。ああ、あの時の俺と同じ、あの子は、俺だ。だから、俺が、俺だけはせめて、あの子の悲劇をーー」




 善き者は、寄り添う。善き者は想う。悲劇にすら、悲劇をすら理解してしまうのだ。




 父と母が殺され、家を燃やされたあの日、忌み子は結局見つからなかった。



 影に、見出されたのだ。




 悪事の眷属に、その忌み子は愛された。理由もなく、きっかけも些細。超越者の愛とは常に一方的なのだ。




 忌み子は影に生かされた。



 そして、成長し、力をつける。



 悪事を繰り返し、その力を王家に認められた忌み子はやがて王家の隠密となる。




 彼の初めての仕事は、ある亜人の部落の焼き討ち。



 王家の隠密となった忌み子はその手で己の故郷を一夜にして滅ぼし、"影の牙"となったのだ。




「ーー俺は、奪われた、俺は奪った、俺は、自分の手で、故郷を、誰も、誰も、誰も誰も、助けてくれなかった。だから、俺が、せめて、あの子の悲劇を」




 己の時にはなかった救い。善き者は、それになろうとしていた。




 善き者は悲劇を想う、善き者は悲しく泣き続ける彼女の救いになろうと心を虚にさせてーー






 ぎりり、せめぎ合うナイフの刃。影の中で鳴いた。






「ヒヒヒヒヒヒ」





 男は、わらった。



 影の世界が見せた忌み子の過去を。影の世界が教えた善き者の人生を。




 ラザールの悲劇を、遠山は笑う。




「ラザール、お前は勘違いをしている」




 ぎり、躍動する肉体、鉄の刃がじわり、じわりと影のナイフを押し上げていく。




「なん、だ…… なぜ」



 戸惑うラザール。



「お前は間違っている、お前のそれは悲劇じゃねえ」



 戸惑わない遠山。



「ラザール、お前の親は、滅んだ。だがそれは決して悲劇ではない」




 どこまでも傲慢に、どこまでも身勝手に、どこまでも不遜に。



 遠山鳴人が、ラザールの傷に踏み込む。



「お前はその名の通り、再び立ち上がった、お前はその名前の示す通りに生きた」




「……なにを、言っているんだ。……悲劇だ、悲劇を、俺は、己の手で、故郷を」




「それだよ、そこが大事だ。いいか、ラザール。よく聞け、それは悲劇ではない」




 それがたとえ万人には受け入れられない考えであろうとも。



 それがたとえ、万人に非難される答えでも。



 遠山鳴人には関係ない。




「お前はお前の両親の無念を、借りをきちんと精算した。報いを受けるべきクソどもを、己の手で滅ぼした。何度でも言うぞ、それは悲劇ではない。俺はそれを悲劇とは思わない」



 欲望のままに、彼は彼の思うがままに答えを出す。



「胸を張れ、誇れ。ラザール、見事だ。お前は見事に復讐を果たし、悲劇を殺したんだ」



 ぎ、ぎぎ。



 分厚いナイフの刃が影の刃を押し出し始める。



 鍔迫り合う2人、遠山がラザールの虚な瞳を見る。





「こ、ろした?」




「そうだ。いいか! お前は悲劇に負けなかった。 再び立ち上がり、その手で悲劇を殺した。それはもう悲劇ではない 喜劇だ!」




「あ、俺、は、悲劇、父さん、母さんを、目の前でーー」





「そいつらは全て報いを受けた。お前がその手で借りを返した。その手の汚れを、その血の香りを、お前は恐れてはいけない、お前は後悔してはいけない」




「ーー俺は、じゃあ、どうすれば」




「笑え」




 ラザールの問いかけに、迷いなく。



 悪しき者の自我は答えを迷わない。




「笑え、お前が始末した敵の断末魔を思い出せ、それを笑え、ざまあみろと、笑い飛ばせ」






「わら、う」




「ああ、クソ野郎どもが死んだだけだ。滅ぶべきものが滅んだだけだ。そして、お前にはもう2度と悲劇は訪れない」




「どう、して、そんなことが言える……? 彼女の悲劇を、俺は見た。この世界は悲劇に満ちてーー」



 ラザールの目が泳ぐ。傷つき、かすれて、なおも他者に対する憐れみを忘れぬリザドニアンは、その化け物の影響にあった。




 悲劇、悲しみ、それはラザールの自我を侵していて。






「お前は、俺と出会ったからだ」




「ーーあ?」




 ラザールの動きが止まる。




「思い出せ、俺らの目的を。思い出せ、俺とお前のたどり着くべき場所を。俺の欲望を、お前の夢を」




 それは遠山とラザールの楔。あの日、あの時、あの場所で。




 (試練)を前に、彼らは光景を共有していた。




【技能発動 "拡大する自我"により、仲間の精神汚染に対して干渉することが可能です】






「ラ・ザール! こんなとこで躓いてる場合じゃねえ! こんな所で他人に同情してる暇はねえ! 他人の悲劇を踏み潰せ! 他人の悲劇を踏みにじれ! 悲劇を笑え! ラザール!」




 拡大する自我が、善き者を冒していく。



 悪しき者よ、その悲劇を笑え。



 他者の悲劇への憐憫など、悪しき者には関係ない。




「あ、ああ…… 知っている、俺は、お前を、知ってーー」



 ラザールは知ってる、例え古代種のスキルにより虚になっていようとも、彼の心に、魂に、あの時のことは刻まれている。



 己と夢を共有する、残酷で悪辣で狡賢くて冷酷でーー




 でも、暖かいその声を。




「名前、知っている、パン、竜、俺は、アンタは」




 ぽろり。ラザールの手からナイフがこぼれ落ちて。






「あ」





「隙有りイイイイイイ!!」




 反射的に、遠山はナイフを投げ捨てラザールの顔を思い切りぶん殴った。




「アガ?!」




 目を白黒させるラザール、その縦に裂けた瞳にはいつしか光が戻ってきて。





「帰るぞ! ラザール!」




「ぐぶ…… ああ、分かったよ、()()()()




 ラザールの胸元をつかみ、なにも悪びれることなく遠山が大声を張った。




 ラザールが、顔を腫らして力なく、眩しいものを見るように目を細めて笑った。






 どぼん。




 上がっていく、上がっていく。




 影の帷、影の世界から2人が一気に浮上して。





「お早いお帰りで、おふたりとも」



 気付けば地上。



 ラザールと遠山は取っ組み合った状態で帰還した。



 そこにはストルが、立っていて。




「ああ、ただいま」





 死屍累々。



 遠山が影の世界でラザールとせめぎ合っている間に、既に奇妙なティタノスメヤの群れは、全滅していた。




 首を落とされた蛇の死骸、その中に1人可憐な少女が返り血を浴びて1人立つ。





「まあ、久しぶりにスリリングな時間でした。冒険者、私そこそこ向いてるかもしれませんディスね」




 くるくるくるくる。



 ペン回しでもしているかのようにストルが剣を器用に指先でスピンさせる。



 べっとりついた血糊は、ぶんと大きな風音ともに振り払われた。




「はは、ストル、世話をかけたね」




 力なく、正気に戻ったラザールがストルへ微笑む。




「まったくディス。ラザール、貴方は良い人ディスが、その優しさを向ける相手は選ぶべきディス」





「ストル、お前、頭でもぶつけたか? おぶって帰ろうか?」



いつになく賢いことを言うストルに遠山が首を傾げる。




「うるさいディス、悪人。……まあ、良かったディス、2人とも無事で」




ぷいっと、そっぽを向くストル。しかし、遠山とラザールは見た。彼女の小さな耳たぶが少し赤くなっているのを。




「はは」




「ひひ、ああ。さて、それじゃ帰ろうか」

















『あゝ、みんな貴方のことが好きなんだ。トオヤマナルヒト』




 ぬるり。音もなく、それはいつのまにか傷を治し、体をもたげて遠山を見下ろしていた。




 歪にねじ曲がった躰、蛇の身体から大きな腕を生やして。





「ーーは」



「ーーウソ」




その腕、大きな拳を遠山に。




「ナルヒト?! ック!!」



押された。ラザールが、遠山を突き飛ばした。次の瞬間、ラザールは見えなくなって。




 ばき。



 壊れてはいけない何かが壊れたような音。




 一回転、二回転、三回転ーー



 錐揉みながら、血を散らし、よく見知った奴の身体が吹き飛ぶのを、遠山は見た。




「ッガ」




 一回、二回、三回、地面に頭から落ちたソイツの身体がゴミのように転がる。



 四肢をぐったりと投げ出し、首をぐねりと曲げて、舌を溢してピクリとも動かない。




『ァ、間違えちゃった。さよなら、影の人』




 動かない、動かない、動かない。




 ラザールがーー





「ラザール?!?!」




「ッ、危ない!? トオヤマ!!」



化け物が、蛇の口から生える女体が大笑い。




『ァあ、良い声、イイイイイイイイイイイ声。悲しい声が聞こえるの、悲しい歌が聞こえるの。私だけでは寂しいわ、トオヤマナルヒト』





 化け物が、嗤う。遠山たちの悲劇を嗤う。




 悪しき者が、悲劇を嗤った。




『謳いましょう、歌いましょう、悲しい終わりを歌いましょう。ふわすわふわふわ、広がるの。海はとってもフカイから。ぷよぷよぷよぷよ、私たちは、広がるの。さあ、起きて、みんな』




「ワー、ウロロロロ、シュロ、ア、ア、我らの彼女…… の言葉のままに」




「ウイー、イタイ、イタイイタイイタイ、シュラララロロ」




どろり、でろでろ。



ストルによって死骸の群れに変えられていた筈のモンスター達が起き上がる。



身体についた大きな傷、絶たれた首や砕けた頭蓋がじゅわじゅわ泡立ち、次第に治っていく。






『アは。ティタノスメヤ・フィードスキル(種族スキル)"不死の蛇(ウロボロス)




それはもう、ただのモンスターではない。




人とモンスターの同化、彼女の特別な血と才能、危機に陥ったモンスターの血は進化をもたらした。




『あなた達が彼女達を追い詰めた、ウフフ、みんな、みんなこの森のティタノスメヤ達はあなた達のことを覚えてる、あは、うふふ』




"古代種"、モンスターの中の特異点が騎士の殺戮を乗り越えてしまった。





「うそ、ありえない、私、私、私が仕留め損なった…… 首を落としたのに、どうして…… 私のせいで、ラザールが……、ァ、ァァァア」




 震えるストル、力なく剣を落としてその場に膝をつく。顔を真っ青にして歯をガチガチ鳴らしながら手を口元に当てて震え続ける。




 ラザールは、動かない。



 遠山を庇って、化け物の一撃をモロに受けたラザールは動かない。




「ッーー ハァ」




 心が、冷たくなっていく。頭がグツグツと煮えたぎり、視界の端が赤くなり始める。



 状況は最悪。手札も一気になくなった。



 人間の本質は、窮地にこそ浮かび上がる。嗚呼、遠山鳴人の本質が今、浮かび上がる。





「トオヤマ、トオヤマ、どうしよう、どうしよう、どうしようどうしようどうしよう、ラザールが、ラザールが、私のせいでーー」





「ストル!!」




「フッ?!」




 ばちん!!



 縋るように手を伸ばしたストルの小さな背中を遠山が叩いた。マントの下に着込んでいる帷子で手のひらが痛む。




「ーー命令だ。俺が時間を稼ぐ。ラザールを連れて森を出ろ」



 静かに、告げる。



 遠山は知っている、今自分達にはもう選ぶことの出来る選択肢が少ないことを。




 ラザールを生かす方法は、もうこれしかない。彼がまだ死んでいない、その可能性に賭けて、もうこれしかないのだ。




「なにを、だ、ダメディス! 貴方1人でこの数を、し、殿なら私が! 私が適任ディス! 私は強いから!!」




「俺にラザールを抱えて化け物を振り切る脚はない。でも、お前なら逃げ切れる」




「あ、で、でも、でもーー」



 ストルがワナワナ口を動かす。戦闘にかけては頭の回る彼女は、すでに理解している。




 この場において、賭けに等しいその選択。遠山鳴人を殿として自分がラザールを連れて帰る、それが1番可能性があることを理解してしまう。







「ストル・プーラ異端審問官側仕え」




「……ハイ」




「お前に任せる。だから、俺に任せろ。返事を」




「…………っ、ご命令の、ま、まに。審問官」



 拳を握りしめたストルが目の端に涙を溜めて、それでも前を向き、弾けるように駆け出した。




 倒れて動かぬ仲間の元へ騎士が駆ける。




『アハ、行かせない』




 化け物、蛇の口からはみ出た女体、人間部分の顔がにいっと笑う。



 彼女の意図に従うようにストルの行方を取り巻きの大蛇が塞いで。




「よそ見してんじゃねえよ」




 キュポン。



 遠山鳴人の首元から栓を抜くような音。それは楔、それは栓、それは力、それは刃。




「「ジャ???!」」





「刻め、キリヤイバ」




 透明に薄く伸ばされたキリが道を塞ごうとする大蛇の体を刻む。




「ディス!!!」



 キリを、水色の風が突っ切る。



 声も、目線もなく。



 遠山の経験と、ストルの感覚による連携。



 キリヤイバの発動の隙間をついてストルがデッドラインを超えた。




『アラ、スゴイ』





「トオヤマ!! 必ず、必ず助けに戻りますディス! 死ぬな、死ぬな! 死んだら、ほんとに、許さないからっ」




 泣きそうな声、いや、泣きながらストルがラザールを抱える。そしてもう2度と振り返らずに、大蛇たちなど追いつけるはずもない速度で、森を突っ切っていく。





「ひひ、速。お前やっぱすげえよ、ストル」



 本物だ。ストル・プーラは自分とは違う、本物の選ばれた者だ。



 きっと、アイツにとってはラザールや自分がいなければこんな状況、ピンチにもならないのだろう。




 ドラ子や人知竜でも同じだ。彼女達も同様だろう。




 だが、自分は違う。彼女たちと同じ存在ではない。




『アハ、うふふ、ふよふわ、ふわふわ近づくの。アア、ヘビをたくさん殺した者、冬の名前はトオヤマナルヒト。1人に、なってしまいましたね』




「シャロロロ」



「おお、冬だ。我らの一族を滅ぼす冬だ。喰らえ、喰らえ、喰らえ。滅ぼせ、でないと我らが滅ぼされる」





 化け物化け物化け物。



 どこを見回しても、化け物だらけ。



「あー、死ぬかもな、これ」




 遠山は自分の実力を正確に理解している。大物食いに特化し、不意打ちを根幹とした戦い方。この世界に来てからはそれが大抵ハマっていた。




 だが、今は違う。他勢に無勢。言葉も、思考ももはやここでは役に立たない。




『アハ、あなたの骸を飾りましょう。いえ、あなたも私たちと同じになりましょう。あの水色の子、良い顔をしていたもの、ウフフ。きっとたくさん泣いてくれる、ああ、一緒に泣きましょう』




「うぼ、ロロロラロ」



「ウエバロロロロロ」




 一斉に、取り巻きの大蛇達が口を裂けんばかりに広げて、えづき出す。




 びしゃ、びしゃ。嘔吐。吐き出すのは胃液と、ばらばら、骨、人骨。




「ウエバロロ、あ、あ、あ、冒険者、の力」




「じゅろろろ、人の力、人を喰らう、我らの力」




 ぷちゅ、ぶちゅ、びひゅ。



 それは不完全な人の形。蛇の化け物達が彼女に倣い人を食って人になろうとした歪な姿。




 大蛇達の開かれた口から、鱗の生えた腕が伸びた。それはそれぞれ異なる武器を握っている。




 この森に食われた冒険者達を材料に、彼らが選んだ進化の形。しかし、食われたのは特別ではない者たちばかり。




 故にその進化はあまりにも醜く、中途半端で。




『みんな、貴方が死んだら悲しむわ。私と違って、ネ』





「……趣味ワリー」




 口から武器を握る腕を生やした大蛇の群れ。



 口から、女体を生やした大きな白蛇。




 化け物の中、遠山は1人。




 ああ、知っている、遠山鳴人は知っている。



 もしも、運命というものが、もしも宿命というものがあるのならば、それはこういう風に決めたのだろう。





「さて、()()()()()()()()()2()()()()()あの日と、同じだな」





 遠山鳴人の現代ダンジョンライフの終わりの再現。異世界でも遠山は、同じ選択をする。




 ピコン




 運命は遠山に告げるのだ。



 もう一度、アレをやれと。



【警告 危険なクエストが開始されます。失敗した場合死亡します】





 運命が、クエストを発行する。数多の矢印が、化け物全てを指し示して。







【DEADクエスト 発生】



【クエスト名 Time for(答え合わせ)answering(の時間)



【クエスト目標 "あの日"を超えろ】






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― 新着の感想 ―
[一言] 取り巻き大量かつザオリクベホマ持ちのボス うーんこのクソモンス
[良い点] 盛り上がってきた!
[良い点] ラザールが過去に対して優しすぎる。 これはもう聖人レベルですよ。 [気になる点] 遂にトオヤマの過去の一つが分かりそうでワクワクします。 あの日に何があったか、ついに明かされるわけだ。
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