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現代ダンジョンライフの続きは異世界オープンワールドで!【コミカライズ5巻 2025年2月25日発売】  作者: しば犬部隊
サイドクエスト "石窯に火を灯せ"

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63話 ドクター・ベーカリー

 



「おいしー!! これ、お兄さん、なんていう食べ物だっけ?」




「ソーセージだ、ペロ。よく噛んで食えよ。もぐ、……うーん、すこしパサパサしてんな。もうすこし肉汁が欲しい」




 ニコニコとほっぺたを膨らませてソーセージを頬張るペロの癖っ毛を撫でながら、遠山が皿に盛られたソーセージを口に運ぶ。




 肉の香りが強い。



 よく言えば野生みのある味、悪くいえば肉の臭みが強い。香辛料の風味もほとんど感じない。



 この世界の食べもの、とりわけ庶民向けのものはやはりニホン人である遠山の口に合うものが少なかった。





「ふん、トオヤマは妙に舌が肥えた所がありますね。あまり裕福な出とは見えませんディスが」




 INT1の水色の髪の大型犬、ストルがソーセージを噛みちぎりながらぼやく。




 屋台にて非常に恥ずかしいことをかましていたストルをラザールと2人でひきずり、今は昼食の時間だ。




 青空市場の中でも飲食系の露店が集まるこの場所には、椅子とテーブルが集めて置かれている。




 屋台で買ったものをそのまま食べれるフードコートのような場所で、遠山達はたむろしていた。




「まあな。ウチの地元は飯だけには本当うるさい国でな。自国の領海にミサイル撃ち込まれたくらいでは戦争しねえけど、食に関わることに首を突っ込まれた瞬間にはその首をもぎ取るような民族だし」




「み、みさいる? なんディス? それ」




「……100をたくさん数えれて、それを足したり割ったり引いたりかけたりして、ようやく作れるものだな」




「……ヒトの所業ではありませんディス」




 しみじみとストルが額に皺をよせて、うーむとつぶやく。大型犬がたまに見せる、私もう何もわかりませんと言う顔に似ている。




「あながち間違いでもないな、ストル、そのパン一口もらうぞ…… うーん、なんか妙な酸っぱさあるんだよなー。ラザールのパンはこんなモンなかった筈だが」




 もしゃり。遠山がストルの前に置かれた黒い丸パンに手を伸ばす。



 噛み締めるたびに感じる妙な酸っぱさ。ここにきてから口にしたパンのほとんどにこの酸味はついて回る。どうも遠山はこれがあまり口に合わなかった。





「……ナルヒト、この後はどうする? たしか買い付けにはソーセージも必要と言ってなかったか?」




「あー、この辺はドロモラのおっさんに話を回してある。精肉系は数用意してもらうのに時間もかかるし、コネもいるだろうからな。ここでやりたかったのは味見だ。……ラザール、ここのソーセージ。お前はどう思う?」




「ふむ、別段文句はない。肉の風味も悪くないし、腐っている様子もないからな」




「うーん…… なるほどな。ニホン人は舌が肥えすぎていけねえや」




「お前の口には合わないのか?」




「食えねえわけじゃないが、肉はパサパサ、味も薄い、肉の臭みも気になるから香辛料あんま使ってないなこれは」



 言いながら飯に文句言うなんてかなり嫌な奴だな、遠山は自嘲気味に少し笑った。





「ふむ、香辛料、特に黒胡椒などは基本的に王国からの輸入だからな。なかなか冒険都市といえど屋台まで出回るものでもないのだろう」




「あー、なるほど。ドラ子んとこは金持ちだからか」




 話しながら、遠山は以前ドラ子の竜大使館で食べたステーキの味を思い出す。



 あれは美味しかった。



 ふんだんに使われた黒胡椒は肉の臭みを旨味へと昇華させ、グレービーソースには程よい甘み。



 付け合わせのポテトにソースを絡めて食べるとホクホクがじゅわじゅわになり、最強だった。



 たしかあれはモンスターの肉だった筈だ。脂がたっぷり乗っているにもかかわらずくどさがまるでない。現代では食べたことのないような肉。




 遠山が、さて何の肉だったかと会話を思い出していると。




「……それで、そろそろ教えろよ、ナルヒト。アンタ、一体竜祭で何をやろうとしてるんだ? ポモドロ、ソーセージ、それにいくつかの野菜の買い付け。今のところパンの材料と関係ないように思えるが」



 ラザールがソーセージをかじり、水を飲み干した後ゆっくりつぶやく。



 鋭い瞳が遠山を見つめていて。




「おー、そういやあ、まだきちんと言ってなかったな。よし、全員注目。これから俺たちの目指すモンの説明するぞ」



 活気あふれるその飲食スペースの中では多少声を張ったり動いたりしても目立つことはない。




 遠山が立ち上がり、腕を組んでニヤリと笑う。





「アニキ、アンタが目指すモンはつまり俺たちが目指すもんだ。何を言われようと異論はねえよ」




「……リダがそういうんなら、こっちも同じ」




「みんながたのしいのなら私はそれでいいわ!」




「んーとねー、僕も美味しいものがたくさん食べれたらそれでいーよ。ねー、シロ」




「だう!」




 遠山が選んで救った彼らがニコニコと笑う。



 冒険都市の暗い場所、打ち捨てられ拾われなかった彼ら、捨てられた者だったはずの孤児達はしかし、今太陽の下で己の未来を眺めることが出来る。




「らしいぞ、ナルヒト。もちろん俺もだ。ついていこう、友よ。と、いうやつさ」



 一蓮托生、奴隷スタートを生き抜いた戦友、付き合いは短いが遠山の人生の中で数少ないはっきりと友人と呼べるトカゲ男が肩をすくめた。





「ふん、ま 貴方は私の審問官ディス。どうぞ、ご命令を、なんなりと」




 ついこの間までは厄介な敵、しかしその歪さに遠山は昔の自分を見た。歪んだ正義の剣はいまや、強欲の鞘に収められ。




「ひひ、友達がいがある奴らばかりでありがたいよ」



 ラザール・ベーカリー。



 遠山鳴人が、この冒険都市を共に生き抜いていく為に集めた仲間たちがここにいる。



 この昼食を囲む仲間達の顔を順番に眺めて、ごほんと咳払いをした。




 頭に浮かべるは、己の夢。知識の眷属の領域、"公文書館"から得た知識。



 だが世界を支配する知識よりも、遠山鳴人は己の欲望に役立つ知識を選んだ。





 公文書館、いいや、パン文書館の叡智は今や、遠山鳴人のものだ。




 それは、より優れた世界のパンの知識。



 欲望により進化する世界の歩んだ道のり。



「ある1人の人間がふと思いついた。平たいパンの上にトマト潰して塗りたくって食べたら美味いんじゃないかと」



 18世紀、スペイン領、ナポリ。




「ある1人の人間がふと願った。トランプしながら食べれる美味いモンが欲しいと」




 16世紀、イングランド南東部。



「ある1人の人間が気付いた。熱々のソーセージを持ち運びやすくするためにパンに挟んだら楽じゃね、と」




 20世紀、アメリカ。ニューヨーク、ブルックリン。




 遠山鳴人が語るは、現代において歩んだ発見の歴史。



 人類はどんな時代、どんな環境においても必ず食を進化させ続けて来た。



「俺たちはこれからまだこの世界の人間が気付いていないことに先乗りする! いずれ必ず誰かが思いつくことだ。だが、今回は俺たちが先だ。俺たちが1番ノリだ」




 指を空に。


 真上にあがった太陽へ、遠山が指を指す。



 この世界で唯一、それを知る人間。飽食の時代に生きた現代人が、ついに行動を開始する。





「何を始めるつもりだ? ナルヒト」




 ラザールの問いかけに、遠山がその細い目をぐわりと見開く。



 唇を歪ませて。





「ヒヒ、この異世界、いや、帝国に新しい食文化をぶちかます。この世界のマルゲリータ王妃、ジョン・モンタギュー、ネイサンズになってやろうじゃねえか」



 遠山が言い切った。



 この世界に彼らがいないのならば、自分がそうなるだけだ。




 遠山鳴人はこれから、帝国に新たなパンの歴史を打ち立てるつもりだった。





「……ニコ、貴女、この男が何言ってるかわかるディス?」




「ううん! わからないわ! でも、きっと楽しそうなことよ。アニキさんはすごいんだから!」




「よくわかんねえが、アニキ! 指示をくれ。アンタについていくぜ」




「……ぼくも」




「僕とシロもでーす!」




「士気は問題なさそうだな、我らが竜殺し殿?」




 ラザールが首を傾けて、流し目を遠山に送る。しっぽがくるりと、愉快げに揺れていて。




「大変結構、俺たちラザール・ベーカリーはこの世界に、"ピザ"、"サンドウィッチ"、"ホットドッグ"を流行らせる! 欲望のままにな」





「ピザ?」



「サンドウィッチ?」



「……ホットドッグ?」




 遠山の言葉に、遠山以外の全員が首を傾げた。聞いたこともない、という様子だ。




「やっぱし知らねえか。ここへ来てからの食事内容、酒場のメニュー、市場の店。ひとつたりともこいつらを売ってる店はなかったからなあ」



 遠山の予想は当たっていた。



 この世界、少なくとも帝国はパン食文化の地域なのにそれらがまだ存在していない。





「ナルヒト、その言い方だと、そのピザやサンド……」




「サンドウィッチに、ホットドッグな」




「ああ、それ。それはまさかパンの名前かい?」




「おお、そうさ。俺の地元では誰もが知ってる美味いパンだ。この3つを嫌いな人間なんかいるのかっつーレベルでな」




「……聞いたことがないな。それなりに俺もパンには詳しいつもりだったが。ストル、君はどうだい?」




「んー? 私も聞いたことがないディスね。まあ、そもそもパンというのは天使様のお恵みによって我々に与えられたものディス。教会が作成を許しているものなのディスか?」




 ラザールに話を振られたストルが自分の顎に指を当てて首を捻る。



 静かにしておけば文句なしの美少女なのだが、INT1だともう大型犬にしか見えない。





「…………うん?」




 教会、作成を許す。



 嫌な響きの言葉に遠山が動きを止めた。




「お、や。まさか、まさかまさかトオヤマさーん? ご存知なかったのディース?」



 によーっと、ストルが表情を崩す。目をパチパチ瞬かせて、むふーっと鼻息を吐いていた。



「くそ、愉快な顔しやがって。……教えてくれ、ストル。その教会が作成を許してるってのはどういうことだ」




「ウィーフック、ふふーん。仕方ないディス。無知で無勉強なトオヤマに説明してあげますディス」




 遠山が知らなくて、自分が知っていることがあるのが嬉しくて仕方ないらしい大型犬が腕を組んでディスディス言い始めた。





「ああ、はいはい。宜しくお願いします」




「ふふん、そもそもパンというのはディスね。天使様の祝福を宿す天使粉という食材から作られるものディス。小麦をすり潰し粉にすると天使様の祝福が宿ると言われています」




「ほーん」




「そしてその天使粉に教会が指定した分量で水、卵を練り混ぜよくこねて置いておくのディス。そうするとあら不思議! 天使様の祝福によりただの粉だった筈のものが、焼けば膨らみ、パンになるということディスよ!」




「ふーん。ドライイーストやら酵母を混ぜる工程はないのか? 




「へ? ドラゴン?」



 どうやら聞き慣れない7文字以上の言葉を聴くとストルはもうバグるらしい。



 話が進まないので、遠山は温かい目をストルに向けて頷く。




「ああ、大丈夫。気にしないでくれ。で、その辺りの話がどうして教会の許可がどうたらこうたらに繋がるんだ?」




「む。何かひっかかる態度ディスがまあ良いでしょう。簡単ディス、パンとはつまり天使様のお恵みそのもの、ならば当然その製法や、種類は全て教会が管理するというのが帝国建国当時から続く習わしなのディス」




 教会が管理。



 なるほど、"発酵"の存在の扱い方や、祝福税の導入から嫌な予感はしていたがやはり、パンにも教会の手が回っているらしい。




 遠山の脳裏にあの糸目と、そこからたまに覗く金の亡者の紫瞳が浮かんだ。






「……ふーん。ラザールくん、なにか補足は?」




「博識な我らが騎士の言う通り、だな。帝国において販売が認められているのは教会が指定した製法で作られた数種類のパンだけだ」




「どんなものがあるんだ?」




「そうだな、民衆にも広く普及しているもので言えば、代表的なもので言えば貧者のパンと呼ばれるホスブレド。まぜものが多いことからふすまパンとも呼ばれるな。他にも天使粉に乾燥した豆の粉を混ぜたブラウンブレド。いわゆる黒パンだ。あとは貴族や金持ち向けの白パン、上等な天使粉だけで作られたローフブレド(切り分けられたパン)といった所か?」




「ラザール、庶民向けのパンの中にピタパン。いや、なんていうんだ、こう平たいパンとかはあるか?」




 遠山が、パン文書館で得た知識を言葉にする。それがあるかないかを確認しておきたかったのだ。



「平たいパン? ふむ、聞いたことがないな。()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()




「……へえ」




 遠山はラザールの言葉に目を細める。それは違和感を考察する時の遠山の癖のようなものだ。




 というのも、パン文書館で手に入れた知識と、ラザールの今の説明が若干ズレるのだ。




 遠山のいた世界の歴史において、中世から近世、いや下手したら近代までのパン食文化のある地域において"平たいパン"というのは割と主流のパンのタイプだった筈だ。





「ラザール、パン種の中に酵母、いや、例えばだがビールの搾りかす混ぜたりする方法は一般的なのか?」




「……っ、いや、基本的に教会が交付しているパンの作成法にそのようなやり方はないな」



 一瞬、ラザールの瞳が揺れた。喉につっかえるような物言い。




「ふうん…… なーんかひっかかるな」




 今のラザールの言葉や、先程のストルの言葉もそうだ。



 帝国ではパンの発酵にいわゆるドライイーストや酵母は利用しない。正確に言えば人為的に発酵を後押しするものを入れる文化はないらしい。




 だとすると、やはり先程の平たいパンについてのつじつまが、パン文書館の知識と合わない。




「確認するが、天使粉で作ったパンは焼き上げると丸く膨らむのか? 特別なことを何もせずとも?」




「くどいディスね、トオヤマ。その通りディス、ソレこそが天使様のみわざなのディスから!」




 大型犬(ストル)の言葉を聞いたあと、遠山が目を瞑る。パン文書館の叡智を思い起こす。




 パンを膨らませる方法は大きく分けて2つ。



 ドライイーストや酵母を加えて発酵させるか、もしくは乳酸菌など、生地に元々存在する常在菌のみで自然発酵させるかの2つだ。




 この帝国のやり方はストルやラザールの言葉通りならば自然発酵の方法、遠山のいた世界では"サワードウ生地"と呼ばれる製法だ。



 そして。



「すっぺえ」




 遠山が手に持っていた黒パンをまた一口かじる。




 もさりとした乾燥した生地からほんのわずかに残るパンの香ばしさ、そしてすぐに現れる()()()()



 サワードウ(酸っぱい生地)と呼ばれる所以だ。イースト酵母に依らず、乳酸菌の発酵が進んだ生地は総じてこのような独特な酸っぱさを表す。




 このパンは間違いなくサワードウ生地で作られたものだろう。




「おかしい」



 遠山がつぶやく。




 だからこそ、おかしい。



 パン文書館の知識には、こう残されている。



 "中世から近世、庶民の間で広がっていたサワードウ生地により作られたパンは酵母を加えられて作られたパンに比べて、膨らみにくく、平たい形をしていることが多かった"




 遠山の知識通りでは、ベーキングパウダーなどの膨張剤なしのサワードウ生地は、基本的にはあまり膨らまないパンになる筈だ。




 なのに、この黒パンは味こそ現代のパンに遠く及ばないものの、その膨らみたるやイースト酵母で作られたパンと遜色はない。





 つまり、この世界では酵母を人為的に利用しなくても、"天使粉"とやらを捏ねるだけでパンが簡単に膨らむということになる。




「……ピザが生まれてないのも、そもそも平焼きのパンがないのが原因か。教会の規制もあるだろうけど」




 ぼそりと呟き、遠山が自分の中にあった疑問に答えを見つける。



 不思議だったのだ。パン食文化の地域で果たして、ピザが生まれないことなんかあるのだろうか、と。




 だが、これなら納得がいく。



 遠山のいた世界でもあったように、宗教はときに文化の暗黒時代を招くことがある。




 教会によるパンの造成に対しての規制。




 そしてこの世界の特異な"発酵"の仕組み。





「そもそも、ピザが生まれる土壌がなかったわけか」




 この2つが、つまり帝国というパン食文化の国においてある意味、パンの上にトマトペースト塗って焼いて食べようというきっかけさえ有れば誰でも思いつくことが未だ実現していない理由なのだろう。




 ホットドッグや、サンドウィッチも同じ理屈だ。




「なるほど、あの銭ゲバ。いや、天使教会の舌バカどもが。ひひひ、運が悪かったな。ニホン人を荒野にほっぽり出すと、どういうことになるのか思い知らせてやる」




 遠山が笑う。




 ニホン人を荒野にほっぽり出すとどうなるか、そんなもの答えは決まっている。




 どんな手段、どんな方法をもってしても、荒野でかならず"美味しいもの"を食べようとするのだ。




 遠山も例に漏れない。この異世界はまだその国の人間の食に対する呪いにも近い欲望を知らない。



 ホモ・サピエンスの中でも、格別に食にだけは本気でうるさい彼ら(ニホン人)のことをまだ知らないのだ。





「ごほん、まあ、そういうことだ。ナルヒト、アンタのいうピザやホットドッグ、それにサンドウィッチ、興味はあるが、教会が許可していないパンを販売することは中々……」




 ラザールの言葉に、一つ遠山はあることを思い出した。




 それはあの時の味だ。



 奴隷、馬車、異世界転移直後のーー





 ーー食うかい?




「待て、ラザール。お前のパン。あれ、どうやって作った?」




「ぎくり」



 ラザールの尻尾が、わかりやすくピーンと立ち上がっていて。




「こら、パントカゲ。顔背けるな。あの時、俺とお前が初めて出会った時のパン、お前あれ、なんか酵母使ってるだろ?」




「な、なんのことだか、わからないな。何も生地に混ぜてなんかいないぞ」




「へえ、その割にはさっき、ビールの搾りかすとかの話した時にはお前、らしくなく目が泳いでたぜ。ラザールくん」




 遠山がじいっと、ラザールを見つめる。基本的に戦闘中も含めて普段は落ち着いているトカゲの友人の様子は明らかに変だ。



 だらだらと汗をかいているラザールを、ただ、しばらく遠山は黙って見つめて。





「……はあ、降参だ。アンタに腹の探り合いで勝てる気はしないよ。ナルヒトの言う通り、俺が作っていたパンは帝国では馴染みのない作り方で焼成されている」



 ぐだり、ラザールがテーブルに突っ伏して、それから降参するように尻尾をフリフリ。




「へえ、酵母は何使ってるんだ?」




 にいっと、遠山は笑う。




「そのコウボ、とやらがなんなのかはわからないが、俺が生地に混ぜているのは酒の醸造所が捨てる搾りかすだ。廃棄物だからな、手に入れるのはそう苦労するものでもなかった」




「そのやり方はどこで?」




「……俺の部族にいたへんくつな爺さんのやり方でな。故郷を出る前に一度教えてもらったことがある。大戦期から生きているボケ老人さ。戦争中、あるリザドニアンに教えてもらったとかな。試しに言われた通り作ってみたら、帝国パンよりも柔らかく、そして酸っぱさのないものができたわけだ」




「ビンゴ、酵母パンだ。なるほど、だからあん時のアレは普通に美味かったわけだ。ラザール、また作ってくれよ。そろそろ家も手に入る。石窯も用意するからさ」




「……ああ、喜んで」



 遠山の言葉に、ふっと、ラザールが目を瞑る。大切な何かを思い起こす、あるいは抱きしめるように瞼が閉じられて。







「ディース? ラザーアアアアル??」




 大型犬が、ワンと鳴いた。



 気付けば、ストルがラザールに至近距離でメンチを切っている。




「あ、やべ、コイツのこと忘れてたわ」




 しまった、遠山が眉間に指を当てた。




 正義バカの前で普通に教会のルール外の話をしてしまったミスに気づく。






「トオヤマ、あなたもディス。今の言葉は聞き捨てなりませんディスねえ…… 私の耳にはどうも、あなたたちが教会の指定している方法以外のパンを作っていると風に聞こえたんディスけどお?」



 ラザールへゼロ距離で顔をぶつけ続けるストル、ラザールは机に顔を突っ伏して無視を決め込んだらしい。



「うわ、ガラ悪」



 教室で寝てるやつにちょっかいかけてる奴みたいだ。許されない。



 遠山が少し呑気なことを考えていると。





「……トオヤマ、あなた、主教様に異端審問会のメンバーとして認められておりながら教会の法に逆らうつもりディスか?」




 すんっと。ストルの顔から表情が消えた。




 ああ。遠山は少しいらつく。



 あの顔だ。ストルと殺し合った時に彼女が見せていた顔。



 "第一の騎士"、天使教会の剣としてのストルの顔だ。




「……ヒッ」




 ルカがひきつるような小さな悲鳴をあげる。しかしそれでもリダを庇うような位置へ移動する。





「す、ストルちゃん、お、落ち着いて、ね? 喧嘩はダメよ」




 ニコが恐る恐る、ストルへ声をかける。



 しかし、ストルはその声を一瞥するだけで何も返事をすることもなく。






「……トオヤマ、私は私の正義を、教会の正義のためにここにいます。あなたがそれに反するというのなら」



 これはもはや、呪いだ。



 ストル・プーラはやはりまだそれに囚われている。



 教会の剣、そうあれかしと育てられ、剪定されて生まれた歪みはもはや直るものでもない。




「教会の正義、ねえ」



 遠山が、じっとストルを見つめる。



 襲いかかってくれば多分負けるだろう。小細工なし、正面からの殺し合いではこの騎士に勝てる方法はない。




「ええ、それが私の役割ディスから、あなたがもし、それに反する、いえ、守る気すらないというなら」




 水色の瞳から既に光は失われている。人殺し、いや、剣の目だ。道具には知性も心もいらないだろうから。





「どうなるんだ、ストル」



 だが、今更そんなものに怯える遠山ではない。



 刃を必要以上に恐れるものへ、剣を振るう資格もなし。





「………ッ、言いたく、ありません」




 わずかに剣が揺らいだのは多分、この数日は記憶だろう。



 殺して、食べて、寝て。騎士の頃のストルと変わらない生活はしかしそれでもどこか違ったもののはず。




 殺して、食べて、寝て、笑って、怒って、そして笑って。




 異端審問官側仕えとしての生活の中にはしかし、そのようは色があった。それが剣を僅かに歪ませる錆となっていた。




 遠山はそれを見逃さない。





「バカガキ。お前は一つ勘違いをしている」




「……ディス?」




「ストル・プーラ、お前は今、教会の剣じゃない。お前が守るべきは教会の正義ではないはずだ。今のお前はそもそも、天使教会騎士団、第一の騎士、ストル・プーラじゃないだろうが」




 恐れも、動揺も決して見せずに、遠山がストルへ言葉を。




「………え?」





「はあ、本気で忘れてるのか。それとも洗脳でもされてんのか? いや、バカなだけか。ストル、いいか、よく聞け、お前は教会の剣じゃない。お前は剣としての役割を果たせずに、あの主教から刑罰を言い渡された筈だ」




「あ」



 ストルが口をポカンと開いて。




 遠山は言葉を巧みに。




 武器を上手く活用するコツは一つ。その特性を理解し、それを尊重することだ。




「その小さじ1しかない脳みそをよく回せ。あの銭ゲバ、天使教会最高指導者からお前に言い渡された罰はなんだよ」




「……騎士団からの追放、そして、異端審問官、トオヤマナルヒトへの無期限の奉仕活動……」




 ぼーっと、ストルが喉から言葉を。か細い言葉だ。





「そういうことだ。ストル、何度でもいうぞ。お前は教会の剣でも、第一の騎士でもない」





 ずいっと、遠山が席から身を乗り出し、机に置いてあるパンを掴んだ。



「もごっ?!」



 ぽかんと開いたストルの口にパンを突っ込んで、胸ぐらを掴む。強引にその小さな体を引き寄せた。




 がちんと、額と額を突き合わせて、ゼロ距離に近いその、鼻先へ言葉をぶつける。





「お前は俺の剣だ。お前の主人は俺だ、お前の正義は教会じゃない。俺だ」




 それはどこまでも、強欲な言葉。




 人の拠り所を塗りつぶし、すげ替える欲深い業罪そのもの。





「ーーあ」





 ストル・プーラの歪みを治すだとか、そのあり方が哀れだとか、そんなもの遠山にはどうでもよかった。




 ただ、一つだけ。遠山の欲望はストル(教会の剣)に新たな役割を求める。







「お前は俺の役に立て、騎士ストル」




「ーーっ?! もぐ、もごごごご! ごくん! わ、あ、あ」




 顔を突き合わせて、遠山が叫ぶ。ストルは目をぐるぐる回しながらなんとかパンを飲み込む。



 水色の瞳の中に、チベットスナギツネ顔が入り込むような大きさで映り込んでいる。




 少女のたまごのような肌、ほっぺたが赤くーー





「返事は?! 見てみろ、ニコとルカとリダの顔を。お前が無駄に殺気を出すから3人とも怯えてるじゃねえか! 正義スイッチを気軽に押してんじゃねえ!」



 当たり前のように、遠山はストルの変化に気付かない。胸ぐら掴んだまま、ぐらぐらストルを揺らしながら怒鳴りつける。




「あ、う、うう、わ、か、した」




「ああ?! よく聞こえねえんですが! いつもみたいにアホみたいな声ではっきりと!」





「あ、! わ、わかりました! わかりましたから! 顔、かおが、ちかいです!」





 ばたん!



 ストルが両手を突き出し、遠山の胸を押した。



 力がやはり強い。遠山はジェットコースターの落下の瞬間に似た感覚と同時に後ろに吹き飛ぶ。




「ぐえ!! ……このガキ、大人を突き飛ばしやがった。本当にわかったのか?」





 しっかりと受け身を取れるのは探索者、今は冒険者として日常の賜物だろう。ローブについた埃を払いながら遠山がストルを睨む。






「は、はい、わかりました、ディス。……私は、貴方の剣、それでいいんでしょう……」



 しおしおと、ストルから殺気が消えているのがわかった。




 内心少し焦っていた遠山は、冷や汗を背中にかきつつもそれをおくびにも出さない。





「わかれば宜しい。ただ、お前の言う通り真っ向から教会の決まりを破るなんて真似は俺もしたくない。この国において天使教会っつーのは権力と影響力がデカすぎるからな」




「……ディス?」




「あー、だから、お前が心配するようなことにはなんねえよ。お前の正義を否定するつもりもないし、お前の価値観を笑うこともねえ。剣の機嫌を損ねることにはならねえってことだ」




「……貴方のいうことはよく、わかりません……ディス」




「そのうちわかるさ。ニコ、大丈夫か? こわくなかったか?」



 遠山が子供達のケアに走る。



 ストルもかなり馴染んでいて、それを受け入れてくれた子達だがやはり今のはこたえただろう。




「……ううん、ありがとうお兄さん。大丈夫よ。ストルちゃんは友達だもの。すこし元気が良すぎる所があるだけ」




 しかし、遠山の心配をよそに、ニコが微笑む。それは心配かけさせまいという大人の顔だ。





「やだ、器すごい……」




 思わず遠山が口に手を当てて感動して。





「に、ニコちゃん……」




 ストルが今更、あわわと慌て始める。やらかした後の大型犬が、あのこれは違うんです、違うんですとくるくる回っている時の顔だ。




「ストルちゃん」




「ハイ……ディス」




「私、さっき傷ついたわ。お友達であるあなたに無視されたんだもん。……ストルちゃんは私のこと嫌い?」




「な?! そ、そんなわけがありませんディス! ニコちゃんは、私のはじめての友達で! あ、いや、その、今のは」




「ふふ! ストルちゃん、嬉しいわ! 私も貴女は大切な友達だと思ってるわ! でもね、さっきみたいによく話を聞かないうちから喧嘩越しになるのはよくないわ。貴女はとても真面目で正しい人だけど、そういうのはダメよ」




「……はい、ディス」




「いけないことってわかったらどうすればいいと思う?」




「ご、ごめんなさい、ごめんなさいディス…… 無視して、ごめんディス」





「ん! なら私も! 偉そうに貴女にこんなこと言ってごめんなさい。えへ、これでおあいこね! ストルちゃん」




 ぎゅっと、ニコがストルの手を握る。



 どこかの誰かが胸ぐら掴んで、揺らしまくっていた姿とは大違いだ。




「に、ニコちゃああああん!!」



 ぶわわと涙を流してストルがニコに抱きつく。




「きゃ!? うふふ、もう、ストルちゃん、私より年上でしょ? 泣いちゃダメよ」





 一瞬ニコは驚いてびくりと体を揺らしたが、ゆっくりとニコもまたストルを抱きしめた。




「ねえ、見てラザールくん。うちのニコちゃん人間性がやばいんだけど」




「ああ、そうだな。学ぶべきところがあるよ」






「お兄さん、ちょっと、座ってもらえるかしら?」



「ん? 俺?」




 ストルをあやし終えたニコが、そっと遠山に近づく。



 遠山はしゃがみこみ、ニコと目線を合わせた。




「お兄さんもです。真っ直ぐ私たちに向き合ってもらえるのはとても嬉しいわ。あなたは私やリダ、ルカやペロシロにもきちんと1人の人間として向き合ってくれる。それはね、私たち、とてもとても嬉しいの」




「あ、はい」



 ぽかんと遠山が頷く。



 ニコがふっと、微笑み、遠山の耳に唇を近づけて。



 ささやく。遠山とニコにだけしか伝わらないように。




「でもね、お兄さんはもう少し、女心を勉強したほうがいいわ。でないといつか大変なことになるかもよ」



 桜色の唇、静かな囁きを紡いで。





「え? ニコ? いや、ニコさん? どういうこと?!」




 思わずさん付けしてしまう遠山に、ニコは手を後ろに組んでいたずらげに笑うだけ。




「それは自分で考えましょう。はい! 喧嘩は終わり! それでこの後の予定はどうするのかしら? みんなでお出かけの続きだと私、とても嬉しいのだけれど!」




 ニコが笑う。とてて、と自分の席の近くに戻っていく。



 完全に上をいかれていた。人間性という面で遠山はニコに敗北感を覚えて。




「ラザール、もしかして、これ保護者枠のピンチ?」




「……適材適所、というやつかな?」




 ラザールのにべもない言葉。しかし、真実だ。





 はあ、とため息ついた遠山。ニコがその視線に気づいてパチリとウインク。



 あれは将来男泣かせになるな。遠山はうんうんと保護者ヅラを全開に。










「おいおいおい! さっきからよお、そこの席! リザドニアンとガキばかりのてめえら! ごちゃごちゃ、うるせーんだけど?」




 ガシャアン!



 無粋な音、下卑た怒鳴り声。



 飛んできたのはまだ、食べ物が入ったままの皿。





「キャっ!?」




 ニコの足元に、それが投げつけられた。




 遠山とラザールが買い与えたロングのスカートの裾が汚い残飯で汚れる。





「飯がまずくなんだよ! ここは冒険都市だ、ガキがキャッキャ騒いでていい場所じゃねーんだよ、黙ってろや!」




「薄汚ねえリザドニアンまでいやがる! マジで飯マズだぜ。おい、てめえらのせいでもう俺今日飯食えなくなっちゃったよ、どうしてくれんの?」




「いやー、これはもう慰謝料っしょ? はい、金、金だせ、金。嫌だってんならそこのガキ達寄越せ、ちょうどイキのいい冒険奴隷欲しかったんだよ」





「おい、ツラ貸せや、お前ら。ガキは置いていけよ」



 ぞろぞろと、それらが遠山たちに因縁をつけてきた。



 リザドニアンと、よく笑う子供達。ああ、それだけで悪目立ちしてしまったようだ。




 そいつらはいつも、自分より弱そうな奴等を探しているのだから。





 ギャハハハハ。



 下卑た笑い、武器をチラつかせた武装した人間、多人数の冒険者達が笑う。



 ぞろぞろと、無粋に。遠山たちの席を囲むように近づいてくる。似たような顔に、似たような笑いを浮かべて。




「おーい、無視してんじゃねえぞ。あ? それとも怖くて声も出せねえってか?」




「お、あのそばかすのガキ。身体付きがいいな……」




「ぎゃはは! お前その趣味ほんと変わんねーなー! この前も色街でボロクソ遊んで捨ててたじゃん」





 これが、冒険都市の理不尽。冒険者という必要悪の存在。




 社会にとって必要な暴力機構である"冒険者"彼らはやはり職業柄血の気が多く、そして人格的に問題があるものが多い。




 低級から中堅にその傾向は強い。




 中途半端な連中が、中途半端な力を手にするとどうなるか、決まっている。そしてギルドは未だ組織改革の途中、冒険者の素行を取り締まる機構が機能していない。




 だから、こんなことになるのだ。彼らにとっては遊び半分の暴力、だがそれを向けられた者に待つのは苦しみと、悲劇だけ。





 この都市には理不尽が当たり前のように存在している。



 それは時に人の人生を簡単に歪めてしまうだろう。




 ただ明日を願ったちっぽけな希望も、ただ緩やかな日常を望んだささやかな夢も、等しく暴力により奪われる。



 そんな理不尽はこの都市のどこにも転がっている。同じ数の悲劇も等しく存在していて。



 力なき人は理不尽に見舞われた時、それに耐えるか、受け入れるかしかない。



 それが現実、どんな世界にもある残酷な真実。



 力なき人は、理不尽に対して何も出来ないのだ。









 だが、彼らは。








「「「は?」」」





 元、天使教会騎士団、最優の騎士。"第一の騎士"



 元、王の隠密、"影の牙"



 元、上級探索者、"竜殺し"




 身内に手を出された時、彼らの沸点は非常に低く、そして理不尽に対して彼らが何をするか、そんな答えなど決まりきっていた。








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<苦しいです、評価してください> デモンズ感

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― 新着の感想 ―
キリヤイバ、正義、影や竜化 そういった切り札を無しにしても十分に自力がある三人なんだよな……
[一言] インガオホー
[気になる点] こういう、外にモンスターが闊歩してる世界て 農耕地はどーなとるんやろ 城壁で囲むわけにもいかんやろし
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