62話 祭りのまえに
〜ある深夜、本来なら人のいないはずの冒険都市門外、平原地帯にて〜
私の人生ってなんだったのだろうか。
私って、生きてる意味があったのだろうか。
身体が、痛い。息が出来なくて苦しい。熱い、溶ける、肌が溶けて、肉が溶けて、血が溶けて、骨が溶けていく。
とても、痛くて熱くて。
泣きそうだ。ああでも、涙も、胃液で溶けていく。
「じゃア、シャアア」
面白い。私を丸呑みにした大蛇が鳴いている。哭いている。私が思ったより美味しくなかったからだろうか。
ごめんね、餌としても私は無能みたい。
無能が人の形をしたもの、それが私だったみたい。
王族としてもダメだった。上姉様や、兄上のようにはなれなかった。
冒険者としてもダメだった。唯一あの国から共に逃げ延びてくれた従者のウォレスも死んだ。本当にあっけなく、別の冒険者の男に絡まれて、そのまま路地裏で首を折られてゴミ箱に捨てられた。
女としてもダメだった。冒険者の男に命乞いして遊ばれて、その後街の外に逃げようとしたら門番たちに嬲られて、色街に落ちて、そこでもたくさん嬲られて、消費されて、奪われ尽くした。
姉としてもダメだった。結局、あの子を理解することは出来なかった。最期まであの子が何を考えているかもわからなかった。どうして、あの子が私だけを帝国に逃したのか、わからなかった。
「あーー」
私は死ぬ。ここで、何も為せず、命すら賭けることなく死んでいく。
なんて、間抜けな終わり方。逃げて、逃げて、街の外に逃げた後、大蛇に丸呑みにされて終わるなんて。
嫌い。
全部、嫌い。この街、冒険者、私。全部全部嫌いだ。
私を嬲った男たちが憎い。
私を守ってくれなかった弱い幼馴染、好きな人すら憎い。
私を追放した妹が、私を見捨てたあの国が、私を、私を私を私私私私私私私私。
ああ、全部、憎い。
でも何よりも、私は私が1番嫌いで、1番憎い。
「シャアアアアジ、ア、アアアアアア」
私を丸呑みにした化け物が哭いている。
今夜はとても、月が綺麗。
あれ、なんで、私、月が見えるんだろう。混じっていく、混ざっていく。
私が、化け物の胃で溶けていく。
私が、化け物の体に取り込まれていく。
憎い、憎い。全部憎い。
私、私って、なんだっけ。溢れてこぼれて溶けていく。
化け物と私の境界が消えていく。
ああ、あアアア。
私、今更、アハウフフ。
兄上の隠していた才能、上姉様の持っていた才能、そしてあの子の持っていた才能。
私にも、あったみたい。本当に今更遅いけど。
大蛇の化け物の心が流れてくる。
私は彼女に食べられて、消化され、彼女となる。
この化け物は悲しんでいる、恐れている。
ある日を境に急激に数を少なくしていく同族のことを。
ある日急に、空っぽになる同族の巣穴を。
強く香る同族の死臭を。
「あ、アアアアし、アあ」
肉が、混ざる。溶けて消化される私の肉と彼女の肉が混じっていく。
「う、シャア、アあ、う、フフフ」
私は死ぬ、私は死ぬ。
蛇の化け物に絞め殺され、飲み込みやすいように全身の骨を折られた後、丸呑みにされてゆっくり消化されている。
国を追われ、大切な人を無くし、体を冒されて、尊厳も奪われた。
私はしぬ、私はしぬ。
暴力だ。
彼女もまた暴力によって奪われる側の存在となっている。本来彼女の同族、この大蛇たちは強者だった。捕食者だった、世界にその役割を課せられていた筈だ。
平原にイノシシやシカ、うさぎの化け物が増え過ぎないように。彼らが森を全て喰らい尽くさない為の存在だった。
奪う側だった。恐れられる側だった。なのに。
「シャア、ア、う、あ、ひ、と」
彼女の記憶が、彼女の想いが私に流れ込む。溶けていく身体、心や魂が彼女のそれと絡みつく。
モンスター。人を喰らうモノたちと私たちの間に垣根はあまりないのかもしれない。
モンスター。化け物の記憶と思いが私に流れ込んでくる。
彼女は、受け継いだのだ。数を少なくしていく同族の嘆きを聞いた。その死臭に残る想いを継いだ。
敵が、いる。
恐るべき敵が顕れた。
ヒトとは違う人だ。
甘い血の匂いがする男、黒い髪に、茶色の瞳。
「ジ、ア…… と」
仲間もいる。最初はソイツと2人だけ。竜の眷属、なり損ないのトカゲ。最近増えて、もう1人。深い血と、不思議な匂いのこどもの女。
私、私、私。
私は貴女、貴女は私。
私は今、貴女に食べられて、貴女になる。
大蛇の彼女の記憶が、私に。彼女の苦しみ、悲しみも私に。
私の憎しみと彼女のそれはとても似ていた。
嫌い、キライ、きらいだ。
私だけ、なんでこんな目に遭わないといけないの。どこで間違えたの、どこでしくじったの。
せっかく王国から逃げて、ウォレスと一緒に新しい人生を歩めるって思ったのに。
この街は、私たちを受け入れてはくれなかった。
私たちはこの街で生きていくことが出来なかった。
ーーあ。首折れてるな。死んじまったわ。ぎゃははは、ビクビク動いてきもちわりー
なんで、ウォレスが殺されないといけなかったの。ギルドの酒場でぶつかってきたのはあなた達の方じゃない。
ーーなあ? ここを通るには通行料がいるよなあ? なに? 金がない? ……ふーん、ならさあ、お姉さん、ちょっと、こっち来いよ、オラ! 逃げようとしてんじゃねえ! お前ら! 鍵閉めろ!
なんで、こんなことするの? あなた達、教会の人でしょ? なんで、大人数で、いや、こないで、触らないで…… いや、イヤ、イヤアアアアアアア!?
ーーだめだや、お前、ビョーキ移されてるや。おい、今晩中に荷物まとめて出て行け。朝までまだこの馬小屋にいたら、カラスの連中にバラしてもらうや。全く醸造所の下働きのガス抜きにも使えんだがや
あれだけ、働いたのに。あんなにいやだったのに、気持ち悪かったのに。捨てられた。ビョーキでもう助けられないからって、捨てられた。
「きら、い。ぜんぶ、にくい、きらい」
ぼうけんとし、ぼうけんしゃ。
こいつらが、私をめちゃくちゃにした。
ウォレスを殺して、私を奪った。
ぼうけんしゃ。奪うもの。私は奪われた。彼女も奪われた。
「じゃア、ア、アア」
ーーうーん、決めました。トレナ。貴女は生かしてあげます。わたくし、これからこの国を殺しますけど、貴女は特別。逃がしてさしあげますね
きおく、思い出すのはあの子との最後の会話。
あの国を出る為に港へ向かって、そこで彼女だけが私を見送った。
フォルトナ。私の双子の妹。顔や身体は全て同じなのに、あの子と私は全部違う。
ーーこれからわたくし。たくさん殺しますこれから。上姉様も、兄上も義姉上もその子も、臣下も民もたくさん殺しますの。それが出来るかどうか試したみたいんです。ええ、わたくし、運が良いですから
イカレた私の妹は、多分本当に王の国を殺すのだろう。その"幸運"はきっと誰も止めることなどできやしない。
誰も彼女を理解出来なかった。親も私たち姉妹兄妹も。
ーーでも、トレナ。貴女には殺す価値もありませんから見逃してあげるのです。逃げなさいな。ウォレスを連れて帝国に延びなさい。まあ、そこで今度こそ自由に生きればいいんじゃないですか? いつも見てて思いました。窮屈そうだなって
でも、彼女は私を理解していた。彼女だけが私の理解者だった。私はカケラも彼女を理解出来なかったけど。
自由に、生きれば。
「ア、ア、そ、うね」
キライ、にくい。
殺したい。
化け物である大蛇と私の境界が完全に消えた。
これは、復讐だ。私たちは共にぼうけんしゃに奪われ続けたもの。
奴らが私たちから奪うのなら、私たちが奴らから奪ってもいいだろう。
蛇は、私。
私は、蛇。
食べられたのは私。たべたのも私。
ぜーんぶ、私。
ぼうけんしゃ、だいきらい。みんなしんじゃえ。
人の私をいじめた奴らも死んじゃえ。
ぼうけんしゃ、血の匂いのする薄汚い連中はみんな殺す。
蛇の私をいじめる奴らもしんじゃえ。死臭の記憶を辿る。奴らに殺された私たちの同胞の最期の声、託された匂いを私たちは継ぐ。
トカゲの匂い、こどもの女の匂い。
声、鳴き声。
黒い髪、茶色の瞳。
そのぼうけんしゃを、トカゲが、こどもの女がこう呼んでいた。
ーーナルヒト
殺された大蛇、同胞の遺言が私が殺すべきぼうけんしゃの名前を告げた。
私と蛇が混じり合う。私の怒りと蛇の嘆きが混じり合う。
てき、てき、てき。
「と、お、ヤマ、な、ルヒト」
ぼこり、ぼこぼこ。
溶けて崩れたはずの私の身体が、蛇の口から生え出る。
新しい私。私の身体はもうあの時みたいに弱くて脆いものじゃない。
蛇の体に人の身体。新しい私にこんばんは。
私はもう人じゃない。
私はもう蛇じゃない。
「ぼうけんしゃ」
私は、復讐者。
ぼうけんしゃを、殺すもの。
私は敗北者。
ぼうけんとしを、そこで生きる人を、そこで笑うモノを妬むもの。
私はしっぱいした。誰も助けてくれなかった。
もういいや、フォルトナ、貴女の言う通り私、好きに生きることにするわ。
まずは何から始めよう。ああ、そうだ。敵、敵を殺さないと。前の私は、ぼうけんとしに広がる敵に勝てなかったから、ダメだった。
蛇としての私を脅かすもの、ぼうけんしゃ。
へびである私達を狩り尽くすてんてき。
ぜんぶ、ころしてやる。
「トオヤマナルヒト」
ああ、月が綺麗。
私は、私の新しい身体をゆっくり伸ばして、それに手を。
私は手に入れることが出来なかった。私は冒険都市で生きていけれなかった。異物として弾かれ、淘汰された。
ああ、もういいや。何もかも全てどうでもいい。
ーー自由にすればいいんじゃないですか? トレナ、貴女になんて誰も期待していないのですし。
ええそうね、フォルトナ。私の可愛くない双子の妹よ。
貴女の言う通り、自由にしてしまおう。
「よる、きれい」
新しく生えた瞳で、私は冒険都市の月を見上げてーー
………
……
…
〜レイン・インでのホストバトルから2日後、冒険都市アガトラ、青空市場にて〜
「いや、だからよー。このトマト、もう少し値段どうにか出来んかね。めっちゃ買うからマジで」
「だーかーら、兄ちゃんよ、これはトマトじゃなくね、"ポモドロ"だって言ってるだろうがよー。ああん? 野菜の名前もまともに覚えねーやつがなに値段に文句つけてんだコラ」
「あ? だからポモドーロって要はイタリア語でトマトだろうが。なんだこら、イタ公気取りか? 似合ってねーんだよ、髪を生やせタコ」
「髪は関係ねーだろうが、胸糞わりー目つきしやがって。目開いてから文句言わんかい」
「開いてんだよ最初から。人の身体的特徴を悪口にするたあ、人間性を疑うなあ?」
「なんだあ? さっきからイタリアだとかトマトとかピザとかわけわかんねえこと言いやがって、若造が」
真昼間から、そこには青果店の店主とメンチ切り合うガラの悪い男がいた。
遠山鳴人だ。
「すげえや、兄貴。あの恐ろしい青果店の親父に真っ向から一歩もひいてねえ…… あれが、竜殺し……」
「いや、リダ、アレはただのヤカラだ。君たち未来ある子ども達が真似するべき姿ではないぞ」
青果店の店主と正面からメンチ切り合う遠山の背後、刈り上げの日焼けした少年、リダとリザドニアンの青年、ラザールが。
きらきらした目で遠山を見つめるリダをラザールが嗜める。
天気は晴天、往来には人々が行き来し、市場は活気にあふれる。
多くの人を抱えるこの冒険都市経済のバロメーターたる青空市場。
そこは今日も威勢のいい呼び込みの声や、値引き交渉の声に満ち満ちていた。
「けっ!! けったくそ悪い! ウチの商品の値段が気に入らんなら他の店を当たりな! 他の屋台にもポモドロ置いてるとこはあるだろが!」
遠山のしつこい値引き交渉に、とうとう店主がキれた。たしかに30分は粘り過ぎだろう。それに店主も口が悪いが遠山も口が悪い。
目つきの悪い男といかめしいハゲヅラのメンチ合戦は他の客を完全に遠ざけていて。
「いや、俺は決めた。トマトは必ずアンタの店から買いたい」
「あ?」
「他の露店で置いてある奴とは色が違う。真っ赤でツヤツヤ。おまけにヘタも濃い真緑、そしてなによりこの果実の底の尖り具合。見事な出来だ。この店に置いてあるトマトはどこかの農場と契約してんのか?」
遠山が八百屋じみた露店の台に置かれているトマトを指さす。
赤々とした皮が、冒険都市を照りつける太陽の光を、てかりと映している。良いトマトの証拠だ。
「………わかるのか、若造」
「わかる。この出来はただの運だけじゃたどり着けない境地だ。土、草取り、剪定、いや、それだけじゃないな。そもそもの農場の場所、日当たりから計算し尽くして精魂込めないとこれは作れねえ。ましてや科学由来の農薬無しでこの出来栄え。この街でアンタのとこの店ほど良いトマトは見たことがない、果たしてこれを作るのに何をどれだけ犠牲にしたのか、想像すら難しいよ」
遠山は店棚に積まれているトマト、この世界ではポモドロと呼ばれている赤い果肉野菜を手に乗せて言い切る。
ずっしりと、重たい。程よい水分をしっかり蓄えていることだろう。
いかめしい面のハゲ店主がごくりと息を呑んだ。
しわらだけらの顔が目を細めて、遠山を見つめる。
「……若造、名前は」
店主の声。喉から搾り出されるような声だ。
「トオヤマナルヒト、冒険者だ」
すらり、遠山が答える。
「へっ、冒険者がなんでそこまでたかが野菜一つにそこまで本気になるんだよ」
「良いものだからだ。たかが、なんてアンタは微塵も思ってないだろ」
「じゃあ値引きなんざ言わずに買えばいいだろ」
「ただ食うだけなら言い値で買うさ。でもな、今回は事情がちがう。この買い付け一つで俺の未来が決まるんでな。交渉はシンプルだ。トマト500個、銀貨9枚を銀貨7枚にしてくれ」
遠山がすらすらとよどみなく言い放つ。その言葉に負い目も何もない。
それ以上は何も言わない。ただ、射抜くような店主の眼差しから目を逸らさないだけだ。
「………トマトじゃねえ」
「あ?」
「うちにトマトなんて野菜はねえ! あるのはポモドロだ! ポ、モ、ド、ロ!!」
店主が遠山にずいっと身を乗り出し叫ぶ。
「へえ、つまり?」
「けっ! トマトなんざ知らねえが、ポモドロならあらぁ。ごうつくばりめ、気が変わった! てめえの言い値で売ってやるよ! みょうちくりんの冒険者野郎が!」
「イエス! 交渉成立!」
無表情から一転、遠山がにいっと口を吊り上げて手をぐっと握りしめる。
「ああ、やっと終わった? もう、アンタも強情ねえ。お客さん、この人ね、ポモドロの出来を褒められて嬉しいのよ。ごめんなさいねえ、何分も付き合わせて。この人なんだかんだお客さんと値引き交渉するの好きだからさあ」
露店の奥から恰幅のいい女性、猫耳の生えたおばちゃんが現れた。遠山と店主の値引き交渉をずっと眺めていたらしい。
「な?! か、かあちゃん、そういうのはやめろいや! 俺ァ、ただほんと気が変わっただけでよ!」
「はいはい、で、お客さん、いつまでにポモドロは必要なんだい?」
わきゃわきゃと騒ぐハゲ店主を流しつつ、恰幅の良いネコミミのおばちゃんが遠山に問いかける。
前掛けに、どっしりした態度、恐らくこの店の本当の権力者は彼女なのだろう。
遠山はびしりと居住まいを正して、
「1週間後でおねがいします! ラザール、リダ! こちらの紳士とご夫人が俺たちにトマ、いやポモドロを売ってくれるってよ!」
「すげえや兄貴、店主さん、ありがとうございます!」
「まあ、ナルヒトにしてはたしかに平和的、だったな。ご主人、ご婦人、こちらの連れがしつこくして済まない。貴方が丹精込めて作った野菜のおかげで腕が奮えそうだ」
リダとラザールがそれぞれ頭を軽く下げつつ近づいてくる。
「あ? リザドニアン? ……リザドニアンに、黒い髪の冒険者…… どっかで聞いたような……」
「あらやだ、ご婦人なんて。ふふ、冒険者のお兄さんも素敵だけど、リザドニアンのアンタも良い声だね。モテるでしょ?」
ラザールを見た店主とおばちゃん、それぞれ何か思うことがあるらしい。
「いやなに、ウチの連れほどではないさ、何せコイツはレイン・インのナンバーワンホストだからな」
ラザールがその言葉をいなしつつ、遠山を手で指し示す。爬虫類特有の縦に裂けた瞳がにやりと、歪んでいた。
「……おっと、こんな時間だ! おっさん、ほら、先払いだ。帝国銀貨7枚。きちーんと数えてくれよ」
「お、おう。……ああ、確かに7枚だ。1週間後にまたこの店に来てくれ。用意しておくからよ」
遠山がさっと、懐から財布がわりの革服を取り出して、中から銀貨を取り出す。7枚、支払いに誤魔化しも交渉もいらない。
「あ、いくつか包みで今貰っていいか? 試作品の為に必要でな」
「試作品、1週間後? ……まさか、アンタら、竜祭に出るのか?」
店主がぽかんと口を開けつつ、おばちゃんがさっと真っ赤なトマトによく似た野菜、ポモドロを包んでくれた。
「ああ、おっさん、アンタは運がいいぜ。1週間後、冒険都市は、いや、帝国に最強に美味いパンがたくさん生まれる。 ラザールベーカリー、アンタが来たなら少しおまけしてやるよ」
「ら、らざーるべーかりー? なんだそりゃ」
「あら、たのしみにしておくよ。珍しいねえ、冒険者なのに竜祭でお店を出すなんて」
「そのうち嫌でも聞くことになるさ。ありがと、おばちゃん。 ラザール、リダ、トマトは確保! 次の店に買い付けん行くぞ!」
ポモドロの包みを受け取った遠山が、店を後にする。
「おう! 兄貴」
「了解だ、ナルヒト、ではご婦人。最近は暖かいが夜は冷えます。お体にお気をつけて」
「まあ、どうも、素敵な冒険者さんに、可愛いぼっちゃんに、リザドニアンさん。アンタらの今日という一日に天使様の口付けがあらんことを!」
ラザールやリダが店に会釈して、遠山を追う。
ホストバトルから2日経ったある日のこと。遠山達は本格的に竜祭に向けての準備を進めていた。
昨日と今日はいわゆるオフだ。街の外に出ての狩猟は2日ほど行っていない。
それと言うのも、ドロモラから市場に必要以上のテイタノスメヤの素材を卸した為、価格の高止まりが起きているのを聞いたこと、そして異端審問会としての仕事、密造酒醸造所の破壊の報酬などで割と金銭的にも余裕ができていたのだ。
なので、今日も今日とて竜祭の露店の準備。遠山の一味全員で青空市場に繰り出していた。
「さて、とりあえず、ストルやニコ達と合流するか。そのあと、卵の買い付けな。リダ、この前ストルと一緒に市場に行かせた時のメモ覚えてるか?」
雑踏の中を遠山達は進む。時折、挙動の怪しい者がこちらをチラチラ盗み見してくる、じろりと睨めば消えていく、恐らくスリか何かだろう。
遠山は周囲に気を使いつつ、リダに話しかける。
「ああ、もちろんだぜ、アニキ。卵は大体1つが銅貨3枚、普通だと6つ1セットで布に包まれてるからそれで大銅貨1枚から2枚が相場の筈だぜ」
指を折るのもすぐに、リダが答えを導き出した。
ラザールがそっと、歩幅を大きくしてリダを遠山と挟み込むような形で歩調を合わせる。
「OK、頭の回転早い奴は頼りになるよ、リダ、問題だ。大銅貨5枚は銀貨1枚の何枚分だ?」
「えーと、大銅貨が10枚で銀貨1枚分だから…… 半分、いちの半分だから、0.5枚もしくは2分の1枚ってやつのはずだ。この前教えてくれたから覚えてるぜ」
「素晴らしい。それじゃ計算だ。さっき買い付けしたトマト、いや、ポモドロ500個。俺は銀貨7枚で購入した。んで、問題だ。もし、必要な個数が半分の250個になったら、必要な銀貨は何枚になる?」
子供たちの中でもずば抜けて頭が冴えるのがこのリダという日焼けした少年だ。スラムでもあのグループたちを率いるリーダー的な立ち位置だったのも理解出来る。
あの生活環境で、幼い彼らだけで生き抜けたのもリダの手腕によるものが大きいだろう。
「えっと、……わかった。だいたい銀貨3枚…… いや、割り切れないから、3.5枚…… あ! 銀貨3枚と大銅貨5枚でちょうど払えるぞ!」
「お、気づいたか。計算はえーな。教えがいがあるよ。お前にそのうち仕入れやら頼むのもいいかもな」
「う、お、おれが?」
ぱちくり、リダが遠山の言葉に目を瞬かせた。
「ああ、リダ。お前は地頭がいい。ルカみたいにすばしこくなくてもニコみたいに愛想がなくても、ペロシロみたいに幼くなくても、お前にはきちんと力がある。期待してるぜ、リダ」
「う、おおおお…… ま、任せてくれ、アニキ! あ、部屋に戻って時間あったらまたこの前教えてくれたかけ算や、九九について聞いてもいいか?!」
「おう、ルカやらニコやらはまだ引き算がダメだからな。ストルに至っては100まで数が数えれない残念仕様だ、望むところだ、リダ」
遠山の言葉にリダが目を輝かせる。
そこにはまるで仲の良い兄弟のような光景があった。
遠山鳴人が自分で選んで救った光景の一つだ。
「…………」
「どした? ラザール」
2人のやりとりを黙って見つめていたラザール、彼の視線に気づいた遠山が首を傾げる。
「いや、なに。戦闘の時と普段の時で本当に人間が違うなと思って、感嘆していたわけだ。ナルヒト、アンタ、今更だが算術やら古代ニホン語やらはどこで学んだんだ?」
リダを挟んで隣で歩くラザールが声を向けてきた。
遠山は少し、道脇の露店を眺めてそれから
「前にも言ったけど、義務教育だってば。 ラザール、この辺説明すると長くなるんだ。パン屋作って落ち着いたらきちんと話すさ」
「……まあ、今更アンタが何を言っても驚けない気がするよ。だが、ククク」
遠山との付き合いに慣れ始めたラザールが、早々に追及を諦める、そしてリダにちらりと視線をやったあと、口元に手を当てて笑い出した。
「なんだよ、気味悪いな」
「いやなに、案外子どもの面倒見がいいと思ってな。意外だっただけだ」
ふ、と笑うラザール。誰目線のセリフだよ、と遠山が目を細める。
「ラザールの旦那! アニキはすげえんだぜ! 頭が良いし、俺の知らないことをたくさん知ってる!」
ぴょんこ、ぴょんことリダが、その年頃の少年に相応しい振る舞いでラザールへ明るい声を向けた。
あのスラム街で出会った時より、最近はかなり顔色もよく、そして何やらよく笑うようになっていた。
「おーおー、その調子で褒め称えてくれリダ。 ラザール、案外と意外は余計だぜ。俺は元々こんなふうに優しい心の博愛主義者なんだからよー」
「は、くあい?」
「うわ、なんつー顔してんのよお前。っと、 ラザールのたわごとに付き合ってる場合じゃねえや。ニコとルカを探さねえと。ペロシロのお守りに加えてストルのお守りも頼んでるからよー」
「ストルがお守りされる側なのか。彼女はしかし、あの天使教会騎士団の最優の騎士だぞ。ナルヒト、彼女への評価がいささか過小評価に過ぎないか?」
「……んー、 ラザール。言っとくけど、あいつはよー」
ラザールのストルへの認識は、遠山のソレとは違うらしい。
やんわりと、遠山が言葉を選んでーー
「だーかーらァァ! たくさんって言ってるじゃないディスか! ん?! 個数?! だからたくさんディスって! あのーあれディスよ、アレ。きゅーと10よりも多いアレディス! こう良い感じにたくさんいるのディスよ!」
市場の活気の中においてなお、その声はでかかった。
水色の髪を一束に。妖精かと思わんばかりの愛くるしい容姿、卵型の小さな顔。
それらは全て台無しにする、その表情。鼻の穴を開いて、額に青筋を立てて、露店に向けて、吠え散らかす残念な美少女がそこにいた。
「だ、だめよ、ストルちゃん! 店員さんが口をぽかーんと開けちゃってるわ! お兄さんの言う通り、市場では静かにしてましょうよ。かいつけ? とかはお兄さんやリダがやるのだわ!」
そばかすの可愛らしい少女が残念な少女を嗜める。しかし、止まらない。散歩中の大型犬にひきずられる無力な飼い主みたいだ。
「ノン! いくらニコちゃんの言葉でもそれは聞けないのディス! 思えばトオヤマのあんちくしょうはこの私を舐めてるのディス! 昨日だって、リダやルカやニコに教えていた足し算? なるもの! 私にだけアイツ教えなかったのディスよ!」
大型犬は止まらない。ふんふんふんと鼻息荒く。昨日、遠山が子供たちに算数の授業を施した時のことがよほど気に入らないらしい。
「え、えっと、ストルちゃん、それはだって、あなたが足し算の前に数字が……」
そばかすの少女、ニコが何かをいいたげに、しかし聡い彼女は言葉を濁した。
「ニコちゃん! 人間の手足の指は20本ディス! 天使様がそうあれかしとつくった身体では20本なのディス! つまり、人間はそもそも20本以上のものを数える必要なんてないのディス! よって、私が50から先の数を数えるのが遅いのも何も、おかしいことなど、ないのディス! ディスディスのディス!」
全く聡くない大型犬はやはり、止まらない。顔と腕力だけに才能を振りすぎたのだろう。
「え、ええ……」
「……やめておこうよ、ニコ。ストル姉ちゃんはほら、アレな人だから」
隣にいた少女とみまごう中性的な少年、ルカがペロとシロをあやしながらぼそり、つぶやいた。
「ディス?! ルカ!? 貴方のその今のセリフ聞き流せませんディス! トオヤマのあんちくしょうみたいなこと言わないでくださいディス!」
「……ああ、もうだめだ。兄さんか、ラザールさんじゃないと止まらないや」
ほふう、ルカがため息をついて。
「とゆーわけで、この賢い私の凄さをトオヤマのアンチクショイに教えてやるべくアイツがやろうもしてる買い付け? を私達で終わらせておくのディスよ! 店員さん! だからこのポモドロをたくさん欲しいのディス! おかね?! たくさん払えばいいのディスよね?!」
ストル・プーラ、14歳。今日もとても、元気らしい。
「ラザールくん。俺のストルへの評価がなんだって?」
その様子を目の当たりにした遠山がぼやく。
「ナルヒト、正直すまんかったディス」
その淡々とした問いかけに、ラザールが目を覆って天を仰いでつぶやいた。
「ストルのアネゴ、ヤベー」
リダの言葉が全てだった。
今日も、彼らは冒険都市で生き残り、生活を続けていた。
「……良い天気だなあ」
遠山が、ぼそり。目の前の大型犬のハッスルぶりから目を逸らして。
冒険都市に昇る太陽をぼんやり見上げた。
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