47話 オタクと竜
……
…
〜教会でのあれやこれやが終わったのち、帰路。
天使教会送迎馬車の中にて〜
「む、このナババ、なかなかの滋味よな。ナルヒト、これ食うてみよ、美味いぞ、オレの口に合うほどにな」
一口でドラ子がその湾曲した棒状の果肉を頬張る。
馬車の客室に備えられたカゴには遠山にも見覚えのある果物がたくさん飾り付けられていた。
「ナババ? え、バナナじゃん」
差し出されたそれ、黄色い皮につつまれた見覚えのある南国の果物。栄養豊富かつ、安くて美味い、みんな大好きなバナナだ。
「む? ナババだ」
ドラ子がキョトンと遠山の呟いた名前を訂正する。
色々聞きたいことはあったが、キリヤイバの使用などで身体には地味に限界が来ていた。遠山は差し出されたバナナ、ナババを素直に受け取る。
「……まあいいや、そんじゃ遠慮なく…… うっま」
ほわり。皮をむいた瞬間、熟した甘い香りが遠山の鼻を直撃した。
口に含む。
滋味だ。まろやかに広がる甘味、口から鼻に満ちる豊か、そしてフルーティな香り。
噛み締めるたびにエネルギーが体に満ちていくような感覚を覚える。
あっというまに果肉を食べ終えて一息つく。
すげえ美味しかった。この世界の料理の味付けはあまり合わないが、素材はむしろいいのかもしれない。
「帝国の南部領の離島でしか採れぬ貴重な果物だ。銭ゲバめ、なかなかに稼いでおるのう」
皮ごと食べるドラゴンスタイルで、ドラ子が大口を開いてバナナを飲み込むように食べる。
金髪の映える長身の美女だ、普段は鋭い眼をにんまりと綻ばせて果物を食べる姿は不思議な可憐さを醸し出していた。
「ふかか、それにしてもあの銭ゲバの顔、今思い出しても愉快なものよな! ナルヒト、貴様相当にアレとやり合っておったの」
「やり合ったつっても、終始一歩先行かれてた感じだったよ」
ゴロゴロ、ガラガラ。
硬い座席は時折、石畳からの衝撃をもろに伝えてくる。
遠山鳴人は乗り心地の決して良いとは思えない馬車の中、隣に座る竜の言葉に返事をした。
「ふかか、そう拗ねるでない。なに、あの銭ゲバは銭ゲバだが、能力を見ればあの女に勝るものなどそうそうおらんよ」
「やけに高評価だな」
「当然だ、オレのいる街であやつは教会のトップとして存在し続けているのだぞ? 優れた人間でなければとうにオレの逆鱗に触れておるわ」
ふふん、となぜか得意げに鼻息を吐く金髪美人。
「寛容なんだか不寛容なんだか微妙にわかんねーなほんと」
「ふん、オレほどに寛容な竜がいるものかよ。む、其奴はまだ眠っておるのか?」
遠山の言葉にコロコロ表情を変えながら反応するドラ子。ふと、対面に座りながら眠り続けるラザールを見つめた。
「あ? ああ、さっき馬車に乗せた時一瞬目を覚ましたけど、お前の顔みた瞬間、夢だ夢夢、とか言いながらまた寝たぞ」
あれは面白かった。目が覚めたと思ったら、ドラ子をみた瞬間、ふっと笑い崩れ落ちたラザールの姿を思い出す。
自分で自分の首を絞めて落ちたようにも見えたがきっと気のせいだろう。
「ふかか、リザドニアンは飛竜どもと同じく我らの存在にすこし近い存在だからの。他の種族よりもオレへの理解が早くて助かる」
「どういう意味だ?」
ドラ子の言葉に遠山が首を傾げた。そういえばさっきから徐々にドラ子のいい香りが強くなってきている。
ジリジリとこちらに近づいているような。
「こういうことだ」
柑橘の香り、さらにつよく。
「むぶう」
頭を顔に押し付けられた。ドラ子の方が身長が高いため上から金の髪に埋もれるような感覚だ。
「……聞いたぞ、あの老竜から。貴様、あの女の頭を撫でたそうだな」
「ど、ドラ子、さん。お声がとっても怖いのですが」
金の海から抜け出し、頭をぐりぐり押し付けてくるドラ子へ遠山が言葉を返す。
「貴様とあの老竜にどんな因果があるかは知らぬ。だがな、あやつすんごいマウント取ってくるのだ。おじいさまと同じ始祖とは思えぬ幼稚な奴なのだ」
「いや、まて、因果とか言われてもあいつのことマジで知らんぞ」
「……不思議だ、貴様の言葉に嘘はない。だが、あやつからは濃い貴様の匂いがしたのだ。まあ、よい。今は、よいのだ。……ん」
さらにぐりぐり。まるで己の香りを遠山に擦り付けるように、ドラ子は自分の頭を遠山に押し付ける。
「むぶ、なんすか、ドラ子さん。やけにキューティクルのある髪の毛に埋もれるんですが」
「……奴にもしたのだろう。なぜ、オレにはせぬのだ」
「は?」
奴にもしたって、なんだ。ドラ子が何をしたいのかわからない。
遠山が対処に困っていると、
「む、むにゃ、ナルヒト、全知竜、頭撫でた、むにゃむにゃ」
ラザールだ。うつむいて眠り続けるラザールが、何かをモゴモゴ呟いた。
「え、ラザール? 今喋った?」
起きているのかい? なんかよく見れば顔は汗まみれになってるし、瞼はピクピク動いてるような。
……起きてるのかい?
「ぐー、ぐー」
「こいつ、まさかばれてないとでも、むぐ」
明らかな寝たふりをかますラザール、それに文句を言おうとした瞬間、さらに顔に押し付けられるいい香りの頭。
「……いや、なのか?」
ドラ子の表情は見えない、しかし髪の隙間から覗く耳は赤く染まり、その声は少し震えていた。
「いや、そうじゃなくて、……頭撫でればいいのか?」
根負けした遠山はラザールへの追及を諦める。あの野郎、全部こっちに押し付けて寝たふりで行く気だ。
「……………………そうだ」
だが寝たふりトカゲの言葉は正しかったようだ。コクリ、頷くドラ子。
遠山はそのまま、押し付けられた頭を撫でる。
ふわり、弾力のある髪の毛を押すとポヨンと跳ねる。
指を髪の毛の合間に、梳くように動かした。
「……ふかか」
正解だったらしい。ドラ子が満足そうに笑う。
頭を撫でるたびに、奇妙な笑い声と柑橘の爽やかな香りが強くなっていく。
「そういや、あの変態ドラゴン、人知竜だっけ? アイツは?」
「む」
「なんだよ」
「なぜあやつのことを気にするのだ」
じとーっ、と細められた眼で見つめられる。
深い蒼色の瞳に、縦に裂けた瞳孔、まるで底の見えない海溝に覗かれているような感覚だ。
「いやタイマン張ってくるわっつって2人で消えて1人が帰ってきたら残りのやつどうなったかは普通に気になるだろ」
「む、そういうものなのか。……忌々しいことにオレは奴の命の1つも奪えなかった。決闘用の異界の中でのらりくらり千日手を食らってな。ついかっとなったので竜に変わり、焼き尽くしてきたのだ」
「え、焼き尽くしてきたのだってあんたそんな」
そんなテンションで言うことか?
竜の価値観にびびりつつ遠山は話を聞き続ける。
「ふん、言ったろう。死んではおらぬどころか命の1つも奪えなかった。オレの焔で溶けておるだろうが、すぐにもとの形に戻るだろうさ。あやつはオレの…… いや、なんでもない」
「……どっちもやばいってのだけはわかったよ」
「ふかか」
ドラ子が小さく身体を震わせた。
「なんだよ」
「いや、少し面白くてな。貴様がそれをいうか、ナルヒトよ」
馬車の中、遠山とドラ子が言葉を交わし続ける。狸寝入りを続けるラザールはさらに汗をダラダラ流す。
そして、馬車の御者台に座る彼女たち。
天使教会最高指導者とその側近も、馬車内の竜と竜殺しのどこかズレたやりとりを盗み聞きしていた。
「あー…… ツッコミてえ」
「主教サマ、よそ見するとあぶない、よ?」
ドラ子に御者として見送るように圧力をかけられた主教と聖女、彼女たちの駆る馬車が冒険都市を進んでいく。
………
…
「ほう、ここがナルヒトの仮の宿か! かか! 予想通りのボロ宿よな!」
「なんでテンション高いんだよ。おい、ラザール、起きろ、ついたぞ」
馬車の窓から外を見る、バナナ食べたりドラ子を撫でたりしてるうちにどうやら宿屋までついたようだ。
「……あ、ああ、おっと、すまない眠っていたよ。蒐集竜殿は…… オウ…… 夢じゃないわけだ」
遠山の呼びかけに白々しい反応しつつ、ラザールが目を覚ます。ドラ子を見た瞬間、額に手をやり俯いた。
「かか、リザドニアン。久しいな。帝国の総力をかけた追跡を躱しきったその隠密の腕、褒めてつかわす」
「こ、光栄だ、竜の巫女殿。あなたの名前は俺の故郷でも知らぬものはいない」
竜の言葉に、トカゲ男が居住まいを正す。
恐怖こそしていないが、その声色は硬い。
「かか、よいよい。……貴様、やはり中々に賢いのう。……よくあの馬車の中で狸寝入りを続けてくれた。だが、貴様は何も見ていないし、聞いてもいない、よいな?」
遠山に聞こえないよう、ドラ子がラザールに近づき囁いた。
穏やかな声だった、なのに有無を言わさぬ迫力がそこにはあって。
「は、はは。御身の言う通り、そ、そもそも俺は眠っていましたしね、何も知らないし、何も聞いちゃいない」
ぶんぶんぶん、首を縦に振りまくるラザール。その反応を見て満足したらしいドラ子はにっこり微笑んだ。
「ドラ子、ラザール、何話してんだ?」
「いや、なんでもないさ、なあ、リザドニアン、いや、ラザール」
遠山の呼びかけにドラ子が答えた。
嗜虐心、猫のように歪められた瞳がラザールを見つめて。
「あ、ああ! その通り! その通りだとも! さ、さあ、ナルヒト、蒐集竜殿を馬車の外へエスコートして差し上げなさいよあんた!」
ラザールはきちんと100点の対応をとっていた。
「息子の彼女を始めて見た母親かお前は」
またしても何も知らない遠山はラザールの苦労など知らず、先に馬車から降りて、ドラ子を先導する。
「銭ゲバ、聖女、ご苦労であった。そう悪くない手綱捌きであったぞ」
遠山に先導され、手を取って馬車を降りるドラ子、割とご満悦のようだ。機嫌良く主教に声をかける。
「は、もったいなきお言葉に」
主教の声にドラ子はニンヤリ笑い、軽やかな足取りでお世辞にも豪華とは言えない木造の宿屋へ向かって行く。
取り残された遠山、ふと主教が御者台からこちらをじっと見下ろしていることに気付いた。
「なんです?」
視線に答えて主教の元へ遠山が向かう。
「……ストルは3日以内にはあなたの元へ届けるわ。それと仕事を頼みたい時はまた連絡するから」
「了解、ボス。家の件は……」
「一度言ったことは曲げないわよ。契約書が出来上がったらまた呼ぶわ。竜の巫女にきちんと私の献身を伝えるように」
ため息混じりに主教が呟いて。
「承知いたしました、我らが主教サマ」
「うっせーわよ。竜たらし。はあ、頭痛いわ、ほんと。スヴィ、出してちょうだい」
戯ける遠山に、うへえっと舌を出し主教が顔をしかめた。
「……あなたたちにてんしさまのご加護がありますように。トオヤマ異端審問官、ラザール審問官補佐」
「それ、笑えねえ言葉だな」
「……ふふ、ひにく、だから。またね、こうはい」
「ああ、お気をつけて聖女先輩」
不思議な雰囲気の聖女が手綱を握り、馬車が去り始める。
「嵐のようなひと時だったな、ナルヒト」
「残念、ラザール。嵐はまだ立ち去ってねえ。てかなんでアイツここまでついてきてんの? もう俺風呂入って寝たいんだけど、あ、風呂とかなかったわ」
馬車を見送っているとラザールが声をかけてきた。
「いやもうあれだ。蒐集竜様関係は全てナルヒト、アンタのアレだから。俺はほら、もういいから」
ラザールがどこか投げやりにつぶやいて。
「いや遠慮するなよ、ラザール。ほら、お前なんか本気出したらドラゴラムみたいなんするじゃん。仲良くしてこいよ」
「ナルヒト、ラザール、何をしておる? はよう、こっちに来ぬか。貴様達の部屋が見てみたい。ああ、ファランの走り狗いわくのスラム街の童たちも見てみたいのだ」
2人で色々面倒ごとを譲り合っていると、無邪気にも面倒ごとからこちらへ近づいてきた。
寂れたひと通りの少ない路地に、年季の入ったボロ宿を背景にブーツとシャツのシンプルな服装とは言え、金髪の美人はやけに目立つ。異物感が半端ない。
「……ドラ子、お前超有名人なんだろ? そーゆーやつがあんまりこんなボロ宿に来たら悪目立ちしてしまうだろ」
「む? 何か問題があるのか? ふむ、まあ確かにオレは意図せず衆目を集めるな。よいよい、ナルヒトがそれを嫌がるのも理解できるぞ」
「あれ、聞き分け良いな」
うんうんと頷くドラ子。あまりの素直さに少し遠山は驚く。
「ナルヒト、余計なことを言うな。竜よ、御身の寛大な言葉に敬意を」
ラザールが遠山をいさめて、ドラ子に向けて膝をついた。
「かか、リザドニアンのラザール。そう怯えるなよ。まあ、出会い方がちと過激だったのは認めるがな。さて、オレの姿のままだと目立ちすぎるというわけか、そーかそーか」
「すげえ、ドラ子がなんか俺らに気を遣ってくれてるぞ」
「普通ならありえないことだが……」
遠山とラザールはいままでにないドラ子の反応に戸惑いを隠さずにいた。
「ふむ、ファランが言うには確かこうだったな…… えーと、魔術式仮設証明開始ーー」
「うん?」
突如、平坦な声をドラ子が紡いだ。
「"変質"魔術式仮説構成、外見、声色、年齢を変質開始」
それはこの世の理を誤魔化し、侵す技術。
"魔術式"ーー
「おっと」
素養と特殊なエネルギー源、それだけあれば使える本物に迫る為の偽物の技術。
「世界法則への侵食開始、式名完成、"変装」
ドラ子の紡ぐ言葉が世界を誤魔化す。
竜という存在自体が多大な魔力炉であるその性質を利用しての魔術式行使。
ある器用なメイドに手慰みに習ったそれを初めてドラ子は使用する。
それは、人と共に歩むため。それは人に配慮したため。
ドラ子自身も気づかない、竜が人に合わせた、その行為の意味を。
魔力が世界を歪ませる、竜の姿を変質させていく。光が屈折するように、ドラ子の姿が歪んでいって。
「うむ、初めてやって見たが、このようなものか? どうだ? ナルヒト、中々にうまいものだろう? あの老竜の広めた技術というのが気に入らんが、まあ仕方あるまいて」
くるり、そこにはあの長身の豪華な美女はいない。
癖っ毛の目立つ金の長髪はそのままに、ちんまり小さく変わったその姿。
豊かな胸は存在を控えめに、くびれた腰はそのしなやかさをそのままに。上背は縮むも、その気品は変わらない。
深い蒼色の瞳はそのままに、クリクリしたアーモンド型の目がニヤリと笑う。美女ではなく、美少女。歳の頃は中学生か、それ以下か。
太陽の如き美女が、ひまわりのような美少女に変化していた。
「お、驚いた…… 魔術式…… 蒐集竜が、魔術式を…… それも服装も込みでの行使となるとかなり複雑な……うん、ナルヒト?」
ラザールが顎を撫でる。
なまじ魔術式への理解があるために目の前でこともなげに行われた行為の高度さに感嘆の声をあげて。
「ま、ま、ま、まままままままマ」
遠山は、固まっていた。
口をパクパク金魚のように。
「む、どうした、ナルヒト? 何か変なところがあったか?」
ピコン
【技能 "オタク" 発動】
「魔術だあああああああアアアアアアアアアアア、ウワアアアアアアアアア!! なんか、なんか詠唱みたいなんあったああああ! すげえええええええええええ、ドラ子、スゲエエエエエエエエエエエ!!」
ダメだ、遠山はそういうのにとてもテンションが上がるタイプだった。
友達のいなかった中学生時代は図書室の本を全てコンプリートしたほどのガチ勢だ。もちろんその中には魔法を扱うファンタジーモノも網羅されていて。
「ふふん、よい、くるしゅうない、もそっと褒めよ、我が竜殺しよ」
「いや、ナルヒトお前、副葬品を持っているのになんだその魔術への反応は」
遠山が落ち着くまでかなり時間がかかった。
………
…
ぱかり、ぱかりこ。
馬の蹄が石畳を叩く。街の喧騒の中を嵐を運びきった教会の馬車がゆっくり進む。
「天使教会の馬車だ……」
「見て、聖女様よ、なんてお麗しいお姿……」
「主教様が御者台に座ってる、なんでだ? 普通馬車の中だろ?」
「馬鹿、主教様はきっと聖女様に手綱を握らせてるのが心苦しいんだよ、見ろ、あの慈愛に満ちた表情をよ」
遠巻きに馬車を見つめる信心深い民衆は思わずその姿に祈りを捧げる。
「……主教サマ、みんなこっち、見てるね」
「そうね…… ま、聖女と主教が馬車の御者台に座ってたらそりゃそうよ」
時折、民衆たちに完璧な作り笑いを浮かべて愛想を振りまきながら、スヴィに返事をする主教。
その外面は全て計算され尽くしている、自分が周りにどのように見られればいいのか、全て把握した上での行動だ。
「ふふ」
「どしたの、スヴィ」
一通り愛想を振り撒き終わった後、ケープから面隠しの薄い黒色のヴェールを取り出し表情を隠す。
遠巻きに見つめる民衆からはもう、主教の表情は見えない。そのヴェールの内側でどれだけ疲れた顔をしていても、見えないのだ。
「いえ、主教さま、たのしそうだったな、て」
「はあ?」
ヴェールの奥から素っ頓狂な声が響いた。
馬が少しその声に驚き、ヒヒンといななく。
「ふふ、あの人。竜殺しの人とかけひきしてる主教様、まるで昔の主教様みたいだった、よ」
ニコニコ笑う聖女スヴィは温かな視線を己の主人に向けるだけ。
「……勘弁しなさいよ、スヴィ。あんなイカレポンチの業突く張りの相手してて楽しいわけないでしょ? ああ、ほんと、今思い出しただけて頭痛がするわ。……家の権利まで持っていかれるとは、ほんと、大損よ、大損」
「ふふふ、やっぱり、たのしそう…… よかったね、気の合いそうな人が味方になってくれて」
「うへえ、やめなさいよスヴィ。竜に気に入られるようなイカレ野郎よ、人畜無害の私とはとても合うわけないじゃないの」
「じんちくむがいな人は聖賓室のなかで金貨をみがいたりしないと、おもうな」
「……なんで? 楽しいでしょ? 金貨磨き」
キョトン、主教が首を傾げた。自分の特殊な嗜好をさも世の中の当たり前として考えるその在り方はたしかに、誰かによく似ていて。
「うん、そういうじぶんのことに無頓着なところすきだよ、主教サマ」
「はいはい、そりゃどうも…… スヴィ、竜を実際に見たところの感想なんだけど、どうかしら」
主教の声のトーンが少し低くなる。カポカポ、ゆっくり歩く馬車馬達の蹄の音が心地よい。
「……うん、今は無理、だと思う。でも、もしその時が来たらあるていどは戦えるかな? なんとなくそんな気がする」
同じく聖女の声もまた低く。
語る内容は、天使教会の裏の使命。人類の存続、そしてこの世界の支配権の継続を狙うもの。
天使という超常かつ、理解不能の存在を秘匿すること、そして"竜"という理外の存在が人類に牙を剥いたときの対抗手段である。
「ふうん、竜のカウンターであるあなたがそういうんならそうなんでしょうね。ま、そんなことが起きないようにするのが私の仕事だけど」
「しょうじき、蒐集竜さまなら時間かせぎはできると思う、よ? でも、もう1人、全知竜は難しい……」
スヴィがつぶやく。2人の竜を見定めた彼女がぼそりとつぶやく。
「相性の問題ね。あのバカ、正義のストルなら全知竜とは相性いいでしょうけど。竜殺しに持っていかれちゃったしねー」
騎士団もまた同じ。その本来の使命を覚えているものはすでにいないが、初代主教が創り上げた仕組みは今も、対竜を見越して機能している。
竜に挑むことは誉である。
平時の折も騎士達は竜に挑むのだ、その戦果は全て教会に保存され当代の主教の竜への戦力評価に活用される。
刻まれたその概念は200年にも渡る初代主教の令の通り騎士達に染み込んでいる。
それはもはや、呪いの如くーー
「うそ、主教サマ。わざとでしょ」
「なにが、かしら」
ヴェールの奥で悪い微笑みを浮かべていた主教が、聖女の言葉に反応した。
視線を向けることはない。カノサ・テイエル・フイルドは目の前に広がる街並みをただ、見つめたまま。
「主教サマ、こうはいがストルを引き取ることを知ってた。へたなお芝居、確信してたでしょ、こうはいがストルを殺さないって」
「……どうしてそう思うのかしら」
主教は決して聖女の顔を見ない。そこには答えがあったから。
「だって、あなたもこうはいと同じ立場ならそうするから。言ったでしょ、主教サマとこうはいは似てるって」
「勘弁してよ、スヴィ。私があんなのと一緒なんて」
「同じだよ、だってあなたは私を助けてくれたんだもん」
偽悪的な言葉を、スヴィはたった一言で否定する。
銭ゲバ、守銭奴、女狐。数多の蔑称で呼ばれるカノサ、しかし彼女の行いの全てを聖女スヴィは知っている。
「……昔の話よ」
「わたしにとってはきのうのことのようなもの」
「……そ」
主従2人の間に沈黙が積もる。気まずいものではなく、ごく自然に、そしてどこか心地よい沈黙だ。
冒険都市の喧騒の中を、教会の馬車が進んでいく。
穏やかなこの時間が永遠に続かないことを彼女たちは知っている。だがそれを少しでも長くすることが使命だ。
主教が、ふと、ヴェールをまくって空を見上げた。
長い1日だった、日の傾き始めた空、あと数時間で茜色に染まるのだろう。
息を吐くカノサ。
束の間の休憩、起きている時は常に無意識を含めて金と教会のことだけを考えている彼女の数少ない何も考えないほんの少しの時間が訪れる。
ーーそして大抵、そんな瞬間に彼女の才は蠢くのだ。
十字星、その秘蹟が彼女に新たな預言を示す。
ありえざる出会い、ありえざる選択、ありえざる可能性、それが生まれたことを彼女だけが今。
「ーーッ、ア」
流れ込んだ情報は、光の如くカノサの血管、神経を駆け巡る。
身体の痺れとともに、小さな悲鳴をあげた。
「主教サマ!? まさか、大主教令の時間がーー」
馬車を止めたスヴィが悲鳴に近い声をあげた。己の主人の運命を彼女もまた知っていて。
「……いえ、違うわ。もう一つの方、十字星の方よ…… かっー、ツレー、秘蹟を2つも持ってる天才はツレーわー…… ひどい預言ね、我ながら、意味わからないわ」
脂汗を浮かべながら、主教がごちる。
新たに得た預言、それのあまりの荒唐無稽さに頭痛を抱えて。
「……なにが、聞こえたの?」
「ここじゃ、だめ。戻りましょ、私たちの家に」
スヴィの問いかけに主教が首を振る、あまりにも、あまりにもその内容は馬鹿げていて。
「……はい」
「ふざけてんのかしら、なによ、この預言……」
ぶつぶつつぶやく主教、彼女の気苦労はまだまだ終わりそうになかった。
…………
……
…
「あ! お帰り! おかえりなさい! アニキさんに、トカゲさん!」
「アニキ!! 無事だったか、信じてたぜ!」
「……おかえり。きちんと言いつけ通り、どこにも出ずに宿屋にいたよ」
ボロ宿の部屋、扉を開けた途端にやいのやいのと声が広がる。
お世辞にも広いとは言えないベッドとボロい椅子だけの簡素な部屋、随分長いことここを空けていたような気がした。
「おーう、がきんちょども、元気で何より。言いつけまで守ってるとはいい子すぎて言うことなしだ」
この宿から出るな、ラザールと共に冒険者ギルドへ出かけた時に彼らにお願いした内容だ。
カラスという連中と揉めた上で連れ出した子どもたち、どこで報復の手が回るかわからない。言いつけ通り宿屋から動かなかったおかげでトラブルは無さそうだ。
「ただいま、みんな。変わりはなかったか?」
ラザールの声色も少し優しい。
子供たちは3人同時に頷いた。
「ええ! あ、そうだわ、おばさま、すごく沢山のお料理を分けてくださったのよ! 余ったからいらないって!」
「マジかよ、あのばあさん完全にいいババアじゃん」
嬉しそうに身を寄せてくるニコに遠山が答える。空賊の主やってそうな風貌なのにガキには甘いのか。もう少し宿代まけてくれたらもっと良かったのに。
割と図々しいことを考える遠山。ニコがその様子を見て、ふふふと笑った。
「ええ、ほんとうに、ってあら? アニキさんの後ろ、誰かいるのかしら?」
ふと、ニコが出入り口と部屋の境目に立ったままの遠山を見つめた。
「あ、あー、まあ、な。……おい、お前がこいつら見てみたいって着いてきたんだろうが。何してんだよ」
遠山は、さっきからずっと自分の背中に隠れているそいつへ声をかけた。
「な、ナルヒト、彼女は、そのいま、あれだろう」
ラザールがしどろもどろつぶやく。
妙な様子を感じ取ったこどもたちがぞろぞろとこちらへ歩いてきた。
「ほんとだ、アニキ、後ろにだれがいるんだ? ん? ルカ、どうした、いきなり座り込んで」
「………うそ、だろ」
のんびり遠山の背後にいる誰かを覗き込むリダ、何故か尻餅ついて顔を青くしているルカ。きょとんと首を傾げるニコ。
「おい、いい加減お前出てこいって! なんで急にそんなんなるんだよ、ドラーー じゃない。アリー!」
遠山が、彼女の名前を呼んだ。
背中に隠れるその小さな身体を掴んで、部屋に押し込んで。
「……ぷ、かか。こ、こんにちは、なのだ。お、おろかな下等生物、じゃなくて、ナルヒトのこじたちよ」
少女が、頬を掻きながら愛想笑いを浮かべる。
カールした肩までの金髪をイジリイジリ、目線は泳ぎおぼつかない。
魔術式であつらえた白いワンピースが余計に儚さを強調していて。
ただの人見知りドラゴンと化したドラ子(少女バージョン)がそこにいた。
「え?」
「おお」
「うわ」
ニコが目を丸くする。リダが感嘆の声をあげる。ルカは思い切り顔を顰めて。
「……アリー・フレールだ。その、なる、ナルヒトのともだち、だ。……やっぱむり、かえる」
ついさっき遠山が思い付いた偽名をそのままに、ドラ子が名乗る。かと思えば踵を返して部屋から出て行こうとして。
「待て待て待て待て、お前ほんとなんなんだよ、ちびっこ化した瞬間、情緒不安定になりやがって。そんな状態でそと歩かせられるか」
「はーなーせー! 知らんのだ、姿を変えた瞬間、なんかもうたまらなく色々恥ずかしいのだ!」
捕まえた遠山から逃れようともがくドラ子、だが力から本気の抵抗ではない、ただ単純に、信じられないが照れているだけらしい。
竜が子供たちに人見知りしているのだ。
「魔術式で変えた姿に精神が引っ張られているのだろうか? 一族の教えでは竜は人の形の時と竜の形の時で気性が違うと言うが……」
「おっと、新情報。待て、ドラ子じゃなくて、アリー、あとで家まで送るから今は少し休ませてくれ」
「む、ううう」
遠山の引き留めにドラ子が諦めたのか、その場で動かなくなった。
さて、どうしたものか。ドラ子のまさかの反応に遠山が子どもたちにどうやって説明しようか考えていると
「か、可愛い……! アニキさん! だ、だれなの? 紹介して! わたし、こんな綺麗な女の子初めて見たわ!」
「お、俺も、なんだ。すげえな……」
「……待てよ、ニコ、リダ。この子、なんか、変だ」
三者三様の反応だが、みんなドラ子に興味を持っているようだ。
よしよし、いいぞ、この感じで上手いこと打ち解けることができるだろう。
さあ、ドラ子、お前も普段あんな感じのやつなんだからきちんと自信を持ってーー
「う、うう、ナルヒトォ……」
「なんでお前そんな感じなん」
ダメだった。
遠山のローブの裾を握って、ドラ子は俯いたまま動かない。
「まあ! アニキさん、さっきからその子に対して言葉が強いわ! 紳士らしくないわよ」
「あ、すまんつい。ほら、アリー。いつまでもくっついてないで、お前が会ってみたいとか言ってたんだろうが」
腰に手をやり、プリプリ怒るニコ。
なんかコミュ力高そうなので遠山はドラ子を彼女に突き出した。
「む、むむ…… き、きさま、名はなんという」
未だローブの裾は握ったまま、しかしドラ子がおずおず言葉を返して。
「わたし? わたしはニコ! あなたアリーっていうの? 綺麗な金髪ね! おめめも青くて宝石みたいだわ」
「か、かか。お、おかさまと同じ髪で、めはお父様と同じ色なのだ」
「あ、心を許し始めたぞ」
なんと割と早くドラ子はニコと会話を始めた。親の話で反応するなんて不思議だなと遠山は思いながらその様子を見守る。
「まあ! とても素敵なお父様とお母様なのね! 私は両親の顔を知らないからとても新鮮! ねえ、こっちに来て色々お話ししない? 女の子のお友達は初めてだから仲良くしてくれたら嬉しいな」
「か、かか、……い、いいだろう。ニコ、よい、ゆるす」
「すげえ、圧倒的なコミュ力。これが陽キャか」
陽の化身とも言えるその明るさで、ニコがぐいぐいドラ子と距離を詰めていく。
遠山は自分には絶対出来ないその対応に本気で感嘆していた。
「……ニコは昔からこんな感じ。誰とでもあんな風に仲良くなるんだよ。……おかえり、兄貴。首に包帯巻いてるけど、どうしたの」
きゃいきゃい始めたニコドラから少し距離を置いた遠山、帽子を被った中性的な少年、ルカが静かに話しかけてきた。
「あー、怪我した。少してこずってな。あれ、あの鼻水ボーイとのほほんちびっこの二人組はどこだ?」
なかなか鋭いルカの指摘に頷き、首の包帯を指差しつつ、そういえばペロとシロがいないことに遠山は気づいた。
「ああ、あの2人なら庭で水桶の掃除してるぜ。俺たちは今ちょうど部屋の掃除の手伝いが終わったところだ」
「あのババア、うちの従業員ただでこき使ってやがるな、いや、飯をサービスしてくれてんならトントンか?」
よかった、宿の外には出てないみたいだ。遠山はふっと息を吐く。
「アニキ達の分も残してるぜ、先に食って悪かった」
「いや、むしろ成長期のお前らに一日飯を我慢させたのは悪かったな。甲斐性なくてすまん」
「一日? はは、冗談よしてくれよ、アニキ。飯ってそもそも3日にいっぺん食べるようなもんだろ? 昨日も食べたのに今日も食べたから、なんか動きにくくてよ」
朗らかに笑うリダ、おそらく悪気や嫌味は一切ない。
改めてスラムで彼らがどのような生活を送ってきたのかよくわかる。よくぞここまで捻くれることなく育ったものだ。
「…………俺が稼がねば」
「その通りだ、ナルヒト。無性に俺も勤労意欲が高まってきた」
「え、え? ど、どうしたんだアニキ、それにラザールさんも」
戸惑うリダ、アラサー2人が妙なところで父性を刺激されていて。
「ね、ね、ね! アリーはアニキさんとどうやって知り合ったの? どんな関係なの?」
「か、かか。む、そうだな、どこから話したらいいものか。そもそも俺が狩りをしていたところでなーー」
「……ねえ、アニキ」
「ん、どした、ルカ」
「……あの子、多分普通のやつじゃないよね。連れてきて大丈夫? わぶっ」
勘が鋭いらしい。何かに気づいているらしいルカの頭を帽子ごと撫でつける。
「ルカ、お前すげえな。実働部隊だっただけはあるぜ。まあ、普通のやつじゃないが、その、あれだ。悪い奴じゃねえよ」
「……アンタがいうなら」
ルカはそれで納得することにしたらしい、しかしどこかハラハラした様子でニコとドラ子の様子をチラチラ確認している。
「あー、アニキだー。おかえりー」
「だーう!」
「おー、ペロ、シロ。なんかババアに勤労させられてたんだってな、おつかれさん」
明るい声が2つ、ペロとそれに負ぶわれたシロが現れる。
「へへー、たくさん褒めてもらって、パンも分けて貰ったからラッキー」
「だう!」
「へえ、あのババアやっぱなかなかいい奴だな」
遠山がまた憎まれ口叩きつつ、全員無事に揃ったことに密かに安堵したその時だった。
「ああ、そうだよ、ババアは基本ガキには優しいんだ。口の悪い大人の男には厳しいけどね」
「………いつからそこにいた」
ぬっと、現れたでかいババア。
マジで何も気付かなかった。ラザールの様子を見ると口を開いてあんぐりしていたので同じようだ。
「この子らと一緒にいたよ、どうも、なかなかいい奴のババアです」
上級探索者と王の隠密にすら気配を気取らせぬババアが慇懃無礼に頭を下げる。
「……やだな、まだまだいけますよ、レディ」
「ああ、その通り、それはありうる」
遠山とラザールが震える声で返事をして。
「あともう少し早くそのセリフを思いついてりゃよかったね、って、ん?! あんた、また新しい子を持ち帰ってきたんか!?」
奥にあるドラ子に気付いたようだ。ババアがかしましい声をあげた。
「あ、やべ、説明がめんどそう」
「……まったく、退屈しないよ、ナルヒト」
やいのやいの。
帰宅を叶えた遠山たちの部屋は騒がしく、しかしどこかたのしい声に満ち溢れ。
確実なことはひとつ、遠山鳴人は誰一人を失わず異世界での生活2日目を無事に終えようとしていた
………
……
…
水は冷たく、心地よい。
遠山鳴人はまろやかな水の中にいる。身体を沈める水面に傾き、茜色に染まる陽の光がきらきらと反射していて。
「あー、生き返る…… ある意味壺風呂みてえなもんかー」
中庭、遠山は水に浸かってぼやいた。
でかい水桶を井戸水で満たした即席の水風呂。
ペロとシロが洗って乾かしていたそれを引っ張り出したのは正解だった。
足こそ伸ばせないものの、身体全体をきちんと沈められるそれはこの状況ではとても得難いものだ。
「ナルヒト、俺は部屋に戻っておくぞ。それとあまり水に浸かりすぎるなよ。身体がひえる」
身体を拭いて簡素な肌着に着替えたラザールが肩関節を回しながら遠山へと声を向ける。
「おー、わかってる、わかってる。ぬるめの水風呂が実は1番危ないんだよな」
だいたい19度か20度、井戸水の割に少しぬるめだ。
「ふ、水風呂ね、奇妙なものが好きなものだ。ほどほどにしとけよ」
「ういー」
その場から去るラザールに間延びした返事を送りながら遠山は水に身体をつけたまま。
疲れで発熱しているだろう身体をゆっくりとぬるい水が冷やしていく。
「……はあ、なんか濃い1日だったなあ」
ぶった斬られた腕、その後に繋がられた腕に今のところ違和感はない。
手のひらを見つめ、開いたら、閉じたり。動作にも問題なし。
死ななかった、誰も死なせなかった。
その事実だけを握りしめて、遠山は冷水の中まどろむ。
気付けば、吐く吐息が喉を通るたびにすーっと冷えていっていることに気付く。
水の冷たさもほとんど感じない、そろそろ出る時だ。
「よっと、あー…… 疲れた」
ちゃぼり、水桶から立ち上がりババアが用意してくれていたゴワゴワしたタオルで身体を拭う。
あらかじめ洗濯していたトランクスを履いて、中庭の石畳に寝転んだ。
1日かけて日光により暖められた地面が、冷えた肌に心地よい。
あ、すっごい、これ。寝れる。
地面の暖かさが肌を通して遠山に伝わる、あまりにも心地よいこの感覚。
目を瞑ると瞼を通して夕焼けが暗い視界に染みわたる。茜、オレンジ、赤。闇の中、瞼の裏でその色を数えていると、ぐるぐると世界が回り始めていた。
得難い。
遠山があまりの心地よさにトビかけていると。
ーーふと、人の気配を感じた。
「ん? ラザールか? なんか忘れもん?」
ちゃぽり。水に浸かる音。なんだよ、なんだかんだ言いながら水風呂興味あったんかよ。
遠山が寝転んだまま転がり、目を開けて振り返るとーー
「すぷぷ、……昔会ったことのある奇妙な男も、水に浸かるのが好きだっだねぇい、名前はたしか、ダイミョウ、だったかなあ」
「………oh、マジか」
奴がいた。変態ドラゴン人知竜。
息を吐きながら遠山がさっきまで浸かっていた水桶に入っている。
白い、あまりにも白い肩が見えた、全裸だ。
「やあ、トオヤマくん、君の人知竜だよ。ふう、だがこれがなかなか水に浸かるというのも悪くないねえ……」
「……色々聞きたいことあるけど、まずひとつ。生きてたんだな。ドラ子も仕留めてないとか言ってたけど」
遠山はごろりとその場に座り込んで人知竜に問いかける。なるべく肌を視界に入れないように眼を晒しながら。
「すぷぷ、あんなもの、竜同士のじゃれあいだよ。ま、あの幼竜はなかなかにやるからねえい、いい準備運動、身体の慣らしにはなったかな」
「慣らし?」
「すぷ、いやなに、随分長い間身体を動かしてなかったものでねえい…… んん? トオヤマくん、どうして目を逸らすんだい?」
人知竜は遠山の視線に気付いたらしい。自分から目を逸らすのが気に入らないとばかりに口を尖らせた。
「いや普通の反応だろ」
「すぷぷ、かわいいなあ。……ちょっと、いじわるしちゃお。えい!」
「うおっとお?! うそお!?」
ちちんぷいぷい。
人知竜が指を振る、それは理外の技術、魔術式の行使。
本来ならば詠唱による仮説構成を経ないと成立しないその技術も人知竜にかかれば、これこの通り。
遠山鳴人はまるで操り人形のように立ち上がり、その水桶のもとまで歩かされる。もちろん己の意に反してだ。
「ちょ、お前、これ、どうなってんのよ!」
「すぷぷ、怪我はしないさ、させるわけないだろー?」
ニヤニヤ笑う水に浸かる女の眼前に、引き摺り出されて。
「すぷぷ、ほら、きちんと見て。キミ、こういうの好きだったろ?」
「ーーあ」
夕日が、女を照らしていた。
水桶の淵に引き寄せられ、いやがおうにも、女の姿を見せつけられる。
銀の髪ーー
あれだけ真っ暗だった女の髪はいつのまにか色を変えていた。
「なぜ、までは覚えていないけど、君に関する記憶ならそのほとんどの引き継ぎは完了してる。銀髪、好きなんだろう? すぷぷ、似合ってるかな?」
「……マジかよ」
女が水に浸かったまま、その髪を弄ぶ。水滴が垂れ、水に広がる銀髪を夕日が透かしていた。
女の暗い目に、夕日が沈み込んでいく。その目はただひとりを。遠山鳴人だけをじっと、見つめていて。
「その反応、正解みたいだねぇい」
満足げに、女、人知竜が笑う。目を和らげ遠山を見つめ続ける。
「……あの身体を動かそうとしても言うこと聞かないんだけど」
「すぷぷ、トオヤマくんがボクの身体を見ていたいからじゃないのかい? キミの好み通りに作り替えてるから、自信はあるよ?」
艶かしく。
夕日を反射する冷水の中、女のしなやかな手が彼女自身の白い陶磁器を思わせる身体を這う。
水の屈折ではっきりとは見えない、しかしあまりにも美しく、しなやかなその身体のシルエットはわかる。
「う、あ」
くびれた腰、長くて細い脚。
ドラ子の太陽のような他を威圧するような美とはまたちがう美しさ。
月、いつまでも眺めていたく、それでいて気づかないうちに虜にされてそうな妖しい美を人知竜は兼ね備えていて。
「すぷぷ、君が望むなら、触れてもいいんだよ?」
狼狽えるトオヤマを見透かすように、細められる目。
常人であれば、魅せられ、頭を犯されてもおかしくない危うい魅力。
上位生物、竜の美にたいていの下等生物は魅入られる。
だが、遠山鳴人の脳は壊れているのだ。
「……いや、やめとく。よいしょ」
魅力を振り切る。力の抜けていく身体を鞭打ち、体勢を入れ替えて水桶に背を向けて背中を預けた。
いつのまにか身体の拘束は解かれていたらしい。どこからかはわからないけど。
「……ぶー、ちえっ、どうして目を逸らすのさー」
「いや捕まるわ普通に」
頬を膨らませる人知竜に遠山が吐き捨てる。
水桶に背を預けて、背中越しに会話を続けた。
「えー、教会騎士の連中にかい? 大丈夫だよ、もし君が覗きの罪で捕まってもボクが助けにいくからさ」
「いやどう言うマッチポンプだよ」
人知竜の軽口に遠山も軽口で返す。妙に息の会う会話に少し遠山は戸惑って。
「っ、すぷぷ」
「なんだ?」
どもりながら、笑い声が乱れた。
「すぷ、ぷぷぷ、う、ううん、なんでも、ないんだ。……ず、ずず。今のやりとりが、たのしいなあって…… 私は間違っていなかった」
「は? 何言って…… え、まて、なんでお前、泣いてって」
裏返った声、啜られる嗚咽、振り返りことしないがその声は明らかにーー
「すぷ、ないて、ないよ。竜が泣くわけないじゃん。すぷ、しゅぷ。すぴ」
「ええ…… どう言う状況……」
鼻水を啜る音を背に遠山がつぶやく。
「ああ、たのしい、たのしいなあ。君とずっとこんなくだらない会話がしたかった。なんのこともない会話を、なんの知見もえられないはずの無駄な会話を、ずっと。……そのためにぼくは……」
「……あんま、長く水風呂浸かるなよ。風邪ひくぞ」
何言ってるかよくわからないが、遠山はとりあえず伝えておいた。
「そしたら君に看病してもらうからいいよ」
「何もよくねえよ、……なあ、人知竜」
「なんだい、トオヤマくん。一緒に浸かるかい?」
「2人も入ったら桶が壊れるわ。そうじゃない、お前マジで何者だ? なんで俺のことを知ってる?」
そう、この竜はそもそも何者だ?
なんか距離感がおかしい。それを遠山は素直に問いかける。
「すぷ。教えない。言いたくもない。重い女にはなりたくないからねぇい」
「うわ、めんど」
既に重い感じを出してきた女に遠山はそのままの感想を漏らした。
「あ! ひどい、ひどいことゆったねぇい、いま! 罰として僕の番になってもらいまあす!」
「どういう罰? ドラ子といいアンタといい、竜はやたら番が好きだな」
「まあ、そりゃ、竜にとって番ってほんと特別な存在だからねえい…… 今回の幼竜があれだけ君に執着してるのは驚いたけど」
ちゃぷり。人知竜が水桶の中で身体をくねらせるたびに悩ましい水の音が夕焼けに響く。
「君にとって、あの幼竜はなんなんだい?」
「友人だ。俺がそう決めた」
人知竜から、ふと、問いかけ。
やけに低い声のその問いにノータイムで遠山は答えた。
「ふふ! 決めた、そうか、あはは! 竜を友にすると、決めた、ね。ああ、やはり君は新しいねぇい。愛すべき、未知、だよ」
「なんだそりゃ」
「……ふふ」
「どした」
「いや、なに、ほんと、たのしいなって。これからよろしくね、トオヤマくん」
「いや何一つまだ状況がわかんないんだけど」
人知竜だけが理解している会話に遠山は眉間へ皺寄せつつぼやいた。
「シンプルな話さ。ボクと君はこれから沢山の時間を共に過ごすんだ。だから、よろしく」
「……意味わかんね」
割とすぐに理解をほっぽりだす。まあとりあえず敵ではなさそうだ。また今度元気のある時に問い詰めよう。
遠山はそれ以上の追求を諦めて。
「いいよ、それで。あ、でも、そうだ。トオヤマくん、君がボクと仲良くしてくれたらいいものをあげれるんだけどねえい……」
遠山の投げやりな態度に気づいたのだろう。人知竜が水桶の淵から身体を乗り出して、遠山に声をかけた。
彼女の銀髪から垂れる水の雫が遠山の肩を濡らしていた。
「いいもの? 悪いけど物に釣られて誰かと仲良くするなんざーー」
人と仲良くするのに割と理由を求めるタイプの遠山は、ふんと鼻を鳴らす。
友達は選ぶタイプなのだ、この男は。
「ほら、これさ。実験の副産物なんだけど、君はきっと欲しがると思うんだけどな」
「石ころ? カスカベ防衛隊の1人にあげてこいよ」
遠山に差し出された小粒の小石たち。それらにはよく見ると奇妙な紋様が刻まれており。
小石程度で何言ってんだこいつ、遠山が怪訝な表情で水桶の淵からこちらを見下ろす美顔を睨むと。
「私の技術を応用して完成させた魔術石、これを利用したら、あれが作れるよ。サウナストーブ」
「俺の名前は遠山鳴人、これから宜しくな!」
がっしりと人知竜の手のひらを掴んで握手をかますチベットスナギツネがそこにいた。
ここに、遠山鳴人と人知竜の友情が成立した。ユウジョウ!
「すぷ、わ、きみほんとに欲望に素直だねぇい、その現金ぶりは類を見ないよ、でも、そういうとこも好き……」
「サ、ウナ、イキタイ」
うっとりとした目で互いに見つめ合う2人。
銀髪の女は目を輝かせる男の顔を、焼き付けるように見つめる。
黒髪の男は女が手に握る奇妙な石をよだれを垂らしながら見つめる。もう遠山にはそれがサウナストーンにしかみえていなかった。
明らかにすれ違っている2人、だがーー
「な、なるひと?」
だが、それは他人から見ると、沐浴をする美女を涎垂らしてガン見している男にしか見えなかった。
どさり。
カゴにたくさん入れられていたパンが、その小さな手から落ちた。
「ん? あ」
「おや…… すぷぷ。あらまあ、可愛い姿になって」
遠山が声を漏らした。
人知竜はニヤリと笑った。
「なにを、なにを、しているのだ……」
「ドラ子?」
ドラ子だ。カゴにたくさん詰められたパンはきっと遠山と一緒に食べようとわけてもらったものだろう。
「ナルヒト、キサマ、きさま、さっきあまり、食べてなかったから、お腹すいてると、らざーるがゆってたから……」
「あ、やべ」
事態を理解した遠山が、短くぼやいた。
「トオヤマくん、どう見てもあの幼竜、見た目が幼くなってるんだけど。蒐集竜は竜化以外の変化は出来なかったはず…… 魔術式を誰か教えたりしたのかな」
人知竜が遠山へ声をなげかけて。
「……やめろ、キサマがナルヒトと仲良さそうに話すな」
腹の底から背筋の裏側を震え上がらせる、そんなドスの効いた声だった。
「すぷぷ、幼竜、落ち着きなよ、きみらしくもない。ああ、なるほど、君だいぶ人間に近づきつつある訳だ。ナルヒトくんも罪な男だねぇい」
それを向けられた当の本人はどこ吹く風、水に浸かったまま、遠山をうっとり見つめる。
「え、なに」
遠山は嫌な予感でいっぱいだ。なんとなくまずい気がする。
「なぜだ、自分でもわからぬ、なぜ、オレはここまで…… わからぬ……」
ドラ子が自分の頭を抑えて、ふらつき始めた。
ぼう、ぼおおう。
彼女の周りの空気が燃え始める。金色の焔が花開いた。
「おっと、今日1番のやばい雰囲気。やめてよね、俺パンイチなんだけど」
「そんな君も素敵だねえい」
「ちょ、お前静かにしてろほんと」
そのやりとりが、最後の引き金だった。
「いやだ」
「「うん?」」
ドラ子の呟き、短く。
「なかが、よさそうなのだ。オレより、キサマの方がナルヒトと仲良さげなのだ…… いやだ、いやだ…… ナルヒトはオレの竜殺し…… なのに」
ぶちり、ドラ子の背中からそれが飛び出した。
夕焼けを眩しく受け、輝くのは金色の翼。
世界を駆け、大空を支配する竜の証左。
「おいおいおい、ドラ子、落ち着け、翼、翼翼! 翼出てるから!! おい、銀髪ドラゴン! ドラ子どうしたのアレマジで」
「すぷぷ。うーん、幼児退行……? 姿形を幼くした弊害だろうねぇい。我々竜は外見に魂が引っ張られる性質があるからねえい」
遠山の焦りと裏腹に、人知竜は珍しいものを観察するようにのんびり声を返す。
「また、オレをのけものにして、はなししてる」
2人のそのやりとりが蒐集竜をさらにおかしくさせていく。脳が、はかいされていく。
ぶちり、次は尻尾。
敵を薙ぎ倒す、それはかつて大いなる者から受け継いだ己より大きな者を喰らう存在の名残り。
「うお、待て待て待て待て、ドラ子、その翼と尻尾を引っ込めろほんとに」
竜が、いた。未だ人の形を多く残すが明らかにあれは人ではない。
翼に、尻尾、縦に大きく裂けた瞳孔に、長い爪。
頂点捕食者の姿が、夕焼けのもとに現れる。
「トオヤマくん、アレをみてどう思う?」
「あ?」
ふと、なんの遊びもない人知竜の声が背後から。
「あの幼竜は今、君との交流の中で変わり始めている。ああ、確かにアレは人間寄りの竜だろう。だが、見たまえよ、あの翼を、あの威を、あの瞳を」
「ッ……」
その声は遠山に現実を直視させる。短い付き合い、しかし濃い付き合い。ドラ子の態度に少し忘れていたのだ。
あれが人ではないことに。
「問題だ。竜と人は本当に対等かな? 答えは単純、否、だよ」
人知の竜が問いかける、その問いは事実から目を逸らすことを許さない。
「いくら見た目が可憐でも、いくら君に友好的でも、我ら竜は君たちとは違う存在だ。我やあれの少しの気まぐれで君は命を落とすかもしれない。ねえ、トオヤマナルヒト、己よりも遥かに強くそして理解の及ばぬ存在、
それでも君は、アレを友だと言うのかい?」
その問いはきっと、蒐集竜と遠山だけの関係へのものではないだろう。
ちゃぽり。水桶の淵に顎を乗せ、うすら笑いを浮かべる人知竜。
銀色の髪が濡れて、肌に張り付いている。
「見なよ、あの姿を。わかるだろう、あの力を。我らは気分で人を殺す。我らは己の快と不快で人を選ぶ。ほんの少し自分の気に入らぬことがあっただけで、ああなる。それが我ら竜。星々に人が手を伸ばしていた時代より生まれた上位の生き物」
そこから覗く瞳のなんと暗いことか。遠山を覗き見るような目つきは深淵を映すだけ。
竜が、人に問う。
「君は竜を理解していない。たまたまアレの興味を買っただけ、たまたまアレに気に入られただけ。物珍しいだけさ。飽きれば君も、あの金色の焔に焼かれて終わる。それでも君はーー」
人知竜の銀色の髪、そこから垂れる雫がぽたり。
昏い瞳はただ、立ち尽くす強欲な男を見るだけ。
その目は、何かに期待するようにも、そして失望を覚悟しているようにも見えた。
「あれと対等で在り続けることが出来るのかな、強欲冒険者」
人知竜は笑う、その問いかけは自分の願いと期待をも含んだ歪なものだった。
人知竜は試す、祈り願ったそれが本当に自分の求める者のままでいてくれたのかを。
遠山鳴人への理不尽で身勝手な期待を、人知の竜は抱き続けてーー
ピコン
【技能 オタク 発動】
その技能は、誰にでも発現する現代人の可能性。
数多の歴史を積み重ね、なお繁栄するその世界。人類の欲望は常に良質のエンターテイメントを創り上げてきた。
たかが娯楽、たかが息抜き、たかが妄想の産物。
しかし、それは消費者というフィルターを通していつか、どこかで誰かの答えとなるのだろう。
竜からの問い。
だがそんなもの関係ない。
間違えれば命にかかわるその問答の答えを、遠山鳴人は既にそれから得ていたのだ。
「ーー俺の知る偉大な老竜はこういった。ドヴァは元々邪悪な存在だと。だがその自らの邪悪さと向き合い続けることこそが大事だと、な」
それはオタクとしての人生、ゲームを通して遠山にもたらした知見。
その知見が言葉となる。
その言葉は毒となる。
どこかの誰かが考えた創作物は、今こうして遠山鳴人の力となる。
竜という存在への遠山鳴人が出す答えへの希望となって届くのだ。
「そうか、ドラ子。お前もドラゴンなんだな」
遠山がつぶやく。その目は今にもこちらに襲いかかりそうなドラ子を見つめる。
「うん、なんて?」
人知竜が、間抜けな声を上げた。だが、その表情はどこか高揚していて。
「大丈夫だ、俺ドラゴンのそういうの詳しいから。てか、待って、ドラ子、お前、その翼とかめちゃくちゃかっこよくない?」
「え」
「うん、だから、なんて?」
遠山の言葉に、竜達が狼狽え始める。
己に惑う竜、力を抑えきれず竜としての破壊衝動に駆られる蒐集竜。
本来ならば恐れるべきだ、逃げるべきだ。
だが、遠山はどれもしない。酔いに茹だるその鋭い目にどこか気持ち悪い熱を浮かべて、竜の翼や尻尾を見つめた。
「ふ、ひひ、いや、あん時も思ったけどその翼爪ついた翼かっこよすぎだろ、キングギドラ?」
「トオヤマくん、君状況理解してるのかい? 今、蒐集竜は自分を制御出来なくなっててーー」
「うるせえ! いちいちドラゴン程度にびびってニホンのオタクが務まるか!」
「すぷ」
人知竜が、オタクの恫喝に鳴き声をあげて固まった。
「ステイダウン! ブルー…… じゃないや、ドラ子、ステイダウン!」
パンツ一丁で両手を水平に広げ、その場で仁王立ち。
ドラ子を諌めるその姿に、怯えや恐怖は微塵も感じられない。
「え」
己の中のぐちゃぐちゃした心に支配され、歪に竜化を遂げようとしていたドラ子が止まった。
「おいこら、ドラ子! そういうノリはわかる、ジュラシックパークの恐竜も嵐が来ただけですぐ凶暴化したりするからな、だけどな、はっきり言うぞ、お前なんかなんも怖くねえ! 今更俺が、お前如きにビビると思うなよ!」
「ごとき、だと? ナルヒト、いまのはどう言う意味だ? いかに貴様とて、言葉次第では、許さぬ」
膨らむ威圧。
あの時と同じ、ドラ子を仕留めた竜狩りの時と同じ背筋を焦がすような殺意が遠山を襲う。
ギルドでも見せたあの威圧だ。選ばれし存在や、心の強いもの以外を問答無用で行動不能にする竜の特権ーー
ピコン
【"上位生物(竜)"により"人間種"への絶対優位発動 判定に失敗した場合、気絶する。……技能 "頭ハッピーセット" 隠し技能 "ホモ・サピエンス"により、精神対抗ロール発生、"竜特効"により判定に多大な補正、精神対抗ロール成功】
だが、竜の特権は遠山鳴人には関係ない。
竜殺しは、竜を恐れない。
不敵な笑みを遠山が浮かべる。パンツ一丁で笑うその姿は不審者そのもの。
遠山鳴人は、アリス・ドラル・フレアテイルを恐れない。
友達だからーー とか言った真っ当な理由ではなくて
「だって、俺、お前に一度勝ってるし」
それはどこまでも、愚かで、しかし本質を突いた理由だった。
「………すぷぷ、わーお」
「な、んだと」
竜達が言葉を失う。
ちっぽけな人間の言葉に。
蒐集竜は表情を固め、人知竜は形の良い口を三日月のように吊り上げていて。
「格付けは済んでるぜ、金ピカドラゴン。お前は一度俺に負けた。たまたまお前が命をいくつも持つデタラメドラゴンだったせいでまだ生きてるだけだ。本来ならお前は俺に殺されて終わってんだよ」
一歩。
遠山が前に進む。
一歩、ドラ子、蒐集竜、アリス・ドラル・フレアテイルが退がった。
ああ、たしかに格付けはすでに完了している。
前を真っ直ぐ見つめる遠山、それから目を逸らし視線を泳がせる竜。
「う、あ」
「ドラ子、落ち着けよ。落ち着くんだ、お前ほんと急にどうしたんだよ?」
「オレ、オレは…… ああ、わからぬ、オレは貴様をどうしたいのか、それがわからぬ…… そこの老竜の言う通りだ、オレはいつか、貴様をーー」
「ヒヒヒヒヒヒ」
惑う竜、嗤うパンツ一丁男。
「俺はこれまでに数多くのドラゴンを超えてきた。世界を喰らいし者と呼ばれたドラゴンも、運命の戦争と呼ばれたドラゴンも。全て、俺は超えてきた(ゲームの中で)」
「え、トオヤマくん、それって、ゲームの……」
人知竜が遠山の言葉に戸惑う、しかしもちろん遠山はそれを完全に無視している。
「今更その俺が、ドラゴンが少しキれたくらいでびびるとでも? 舐めんなよ、アリス・ドラル・フレアテイル」
「あ、う」
「無意味にキレるな、無闇に恐れるな。安心しろよ、俺の方が強いんだから。だから、俺はお前が怒っても殺されたりしねーからよ」
「……竜が怖くないのか?」
「大丈夫、俺の方が強い」
「オレは、竜の姿になったら今よりも強いぞ」
「大丈夫、竜とかすごい好きだから。ちなみに四つ足? それとも翼脚?」
「……四つ足だ」
「めちゃくちゃ強い本物のドラゴンじゃん、ワイバーンじゃないタイプじゃん。かっこよ」
流れる会話、竜の問いに何一つどもることなく遠山が言葉を返す。
「ふ、かか、ふかかか、ナルヒト、貴様、ほんとに、バカだのう」
「お前よりはマシさ。……ドラ子、お前は竜で、俺は人だ。俺はお前を完全には理解することは出来ない。同じ生き物じゃないからな」
「…………同じ、じゃなくてもいいのか?」
「お前、その姿になってくれたりしたのは俺らに合わせようとしてくれたのか? 気遣いは嬉しい。だけどな、俺はティラノサウルスをペットにしたいとは思わない」
「て、ていらの?」
「ああ、最強にかっこよくて恐い竜だ。ティラノサウルスは残虐で強くて恐ろしい、だからこそティラノサウルスなんだ。お前と同じだよ、ドラ子」
「もともとそういう存在なんだ。人とは違う生き物なんだ。竜もそうなんだろ? お前らはかっこよくて強くてそして、自分勝手でわがままだ。そんなお前が何をそんなに悩んで苦しんでんだよ?」
ドラ子の動きが、止まる。
陽炎のごとく空気に纏う金の焔、ゆらめく尻尾が垂れ下がる。
苦しそうに、目を歪め、自分の頭を抑えてうずくまった。その見た目はもう、迷子になって泣き叫ぶ幼子と何も変わりなく。
「オレは…… ナルヒトともっと、仲良くなりたいのだ、貴様のことがしりたい、なのに、そやつと話してるお前をみると、くるしい…… オレ以外の竜と話すナルヒトを見ると、おかしくなりそうで」
助けを求めるように、竜が遠山に手を伸ばす。己に初めて浮かんだ感情。
本質的に孤独な存在である竜は、初めて得た真の意味での対等な存在の熱を求める。それを一度でも得たモノは、それを失うことをひどく恐れるのだ。
差し伸ばされた手、遠山はそれを見つめて。
「そうか、ならかかってこいよ」
「え」
「え」
竜2人が、声を漏らした。戸惑いの声。
人は惑わず、竜だけが惑う。
ドラ子、いや、アリスの苦悩へ遠山が導き出した答えは、それだ。
助けを求める手は取らない。己と竜の関係はそうではない。
それは解釈違いだ。
困惑の声、竜をすら戸惑わせる頭の壊れた男の言葉。
しかし、2人の上位生物。人知竜と蒐集竜はその男の姿から目を離せぬ、その男の言葉から耳を離せず。
竜が人の言葉を黙って聞いていた。
「俺はお前の竜としての在り方を理解することも、共感も出来ん、俺は竜じゃないからな」
人として、竜への敬意から遠山はその差をはっきり言葉にする。
人知竜と蒐集竜、寂しい顔をした、悲しそうな顔をした。
「だが認めることはできる。想像することはできる。その凶暴、その攻撃性、その傲慢、それもまたお前の欲望だ。なら、俺はそれを否定しない」
遠山鳴人が、己の首に手を当てる。そこから引き摺り出すのはキリヤイバ。
「否定しない上で、俺は俺なりにお前と対等でいてやるよ。お前には意地でもビビらない、お前には絶対に屈しない」
悲しそうな顔をしたドラ子が、はっと前を見る。
己の前に立ちはだかるヒトを、まっすぐ目に捉えた。
竜を殺し、教会を脅したキリの力。それは上位生物の命すら奪うこの世の法則外の力。
遠山鳴人以外には決して従わぬソレはぼうけんと欲望を叶えるためにただ従うのみ。
「だから、お前がとち狂うそのたび、俺がまたぶっ殺してやる」
それが答えだ。
「あ…………」
「だから、お前はお前のままでいい」
竜が、破壊衝動とともに在る生き物ならば、それに立ち向かおう。同じ時間を過ごす中で命の危機があるのなら逆に息の根を止めてやろう。
「俺とお前は対等だ、殺すのはお前だけじゃない、俺も殺そう」
【技能 竜殺し(意味深) 発動】
「あ、ああ……」
「す、ぷぷ、ああ、やはり、いい……」
狂った言葉のやりとりだ。それこそ理解のできぬ言葉の数々だ。
だけど、その言葉で人知竜はうっとり顔を崩した。
だけど、その言葉で蒐集竜はその姿を元に戻した。
雄々しく開かれた翼も萎え、背中に戻る。
太い尻尾も縮み消える。
開ききった瞳孔も本来の大きさに戻り、その身に舞い踊る金色の焔も止んだ。
「オレは…… またこうなるかも知れないぞ」
「そん時はまたキリヤイバでズタズタにしてやるよ、鎧ヤロー」
「……ふ、かか。ああ、そうか…… これが……」
ドラ子の姿が変わっていく。本来の人としての姿。
長い金髪、豊かな長躯、鋭い竜眼に怜悧な顔立ち。
「ナルヒト、貴様、ほんに大バカだの」
吹っ切れたように微笑むドラ子。人跡未踏の地に咲く花が開くような、そんな微笑みだった。
「いや、それはおかしい」
一瞬それに遠山は見惚れたが改変されている脳はそのときめきをすぐに打ち消した。
「ふかか、のう、ナルヒト。少し近く寄れ。なんか、オレもう今たまらなく貴様を抱きしめたいのだ」
「いやパス。なんか目が怖いからやだ」
「ふかか、ならば、貴様が言ったのだぞ。竜らしく、俺は俺のままで良いと、竜は自分の欲しいものを得るためには、暴れるぞ」
ドラ子がイタズラげに目を細める。悪竜が宝を前にヨダレを垂らしているような目つきだ。
「それに抵抗するのが人間の権利だよな」
ふざけ半分、半分本気でジリジリと距離を測る2人。
そんな2人をつまらなさそうに、しかし、どこか眩しげに見つめる人知竜。
「……すぷ。妬ける、なあ…… だけど、トオヤマくん、今回はキミがその幼竜と戦う必要はなさそうだよ」
竜と人。竜殺しの選択を見届けた人知の竜がぼそりとつぶやく。その声色はどこか、ホッとしているようでもあって。
「あ?」
遠山がその声に首を傾げた。
「お、嬢さまあああああああ!!」
「わー、おじょうさまー、ごぶじー? ごめんねー、中途半端な式をおしえてしまいましたー」
「保護者たちのお目見えだよ、トオヤマくん」
クスクスと人知竜が笑う。
「え?」
ふわり。
光の輪っかが、現れる。
空間に穴が広がり、そこから現れた保護者たち。
白髪丈夫の燕尾服をバッチリ決めたナイスシルバーと、どこかぼんやりした雰囲気のメイドさんが現れて。
超越者はいつも、突然こんな感じで現れるのだ。
「…………不審者?」
「友人殿、まさか、お嬢様を手込めに……?」
メイドとシルバーがじっとり、遠山を見つめた。
残念ながら、はたから見ればパンツ一丁の男がヘラヘラ笑いを浮かべながら刃物を握っている絵面だ。
「おっと、待て、話せばわかるぞ」
遠山はパンイチのまま、もう一度両手を広げてジュラシックポーズをかましていた。
3章終わり!
次からは4章!
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<苦しいです、評価してください> デモンズ感




