46話 スピーチ・チャレンジ VSカノサ・テイエル・フイルド
「 は? 」
紫色の瞳、白目のあたりが一気に血走る。
血染めの紫水晶に睨まれているような感覚。
「おっと、どうしたよ、そんな怖い顔して。主教サマ」
不遜に、遠山はソファの背もたれに深く体を預けた。
想像以上に相手の反応が強い。戸惑いをチラリとも見せず遠山はいやらしくニタリと笑ってみせる。
「……あなた、その言葉をどこで……」
「義務教育さ、理科の授業で習った」
手をひらひら振りながら、端的に。
その言葉の意味が相手に伝わるとは思っていない。
「………トッスル、ほかのみんな、ごめんなさい」
主教の判断は早い。
ぼそり、隣にいる猫獣人や、ストルを運んできた猫獣人たちに向けて呟く。
「! 承知。皆のもの、床に伏せ、耳を塞いで、目を瞑れ!」
「「「「「はっ!」」」」」
猫獣人たちもまた従順に、そして賢明に。
三角の耳を手で塞ぎ、皆一様にしゃがみ込んでネコ寝モードに。
「あ?」
「なんだ?」
遠山とラザール、2人はその動作の意味を理解出来なかった。
「大主教令 寿命 3ヶ月使用 "主席聖女スヴィ以外の教会に属する存在は全て"発酵"という言葉を忘れてしばしの間眠りにつけ"」
「は?」
感慨も、なにもない。
当たり前のように、容赦なく発動する主教の令。
教会に所属する存在に対しての絶対命令権は、その場にいる主教と聖女以外の意識を瞬く間に奪いとってーー
【スピーチ・チャレンジ 大主教令による命令への抵抗ロール 技能 "頭ハッピーセット"適用 判定なしで無効化に成功】
流れるメッセージ。
それを目で追いかけるよりも先に、隣のラザールが。
「しまっーー ぐう……」
すやすやトカゲに変わる。こくりと首を折り曲げ、尻尾がだらりと垂れ下がる。
「おい?! ラザール?!」
ラザールは眠った、しかし遠山鳴人は眠らない。
その脳みそは現代ダンジョンに満ちる酔いと、やべえ女の凶行により変質しきっている。
教会が200年に渡り保存、継承してきたその秘蹟もハッピーな頭には届かない。
「……やはり、あなたには効かないか」
「主教サマ、どうなされますか」
この部屋に、意識あるのは3人のみ。
主教と聖女、2人から冷たい空気ーー 殺気が漏れ始めていた。
「おっと、地雷踏んだわ、これ」
遠山がおどけつつ、静かに準備を始めた。
薄く、うすく、見えないようにそれを部屋に広げはじめる。
「待て、よ。スヴィ。……発酵、知らないわ、そんな言葉。なーんて言って誤魔化されてはくれないわよね」
「ま、その反応見ちまったらな。ご丁寧にうちのパン職人まで眠らせてくれちまって…… ていうか、あんたのそれ、俺らにまで効くのかよ」
「むにゃ、天使粉…… 水…… 石窯……むにゃ、ほしい……」
主教令とやらで眠らされたラザールがなにやら寝言を呟いている。
「ええ、例え口約束であっても天使教会に属すると意思表示した段階で私の令は適用される…… そのはずなのだけれど、何事にも例外はあるみたいね」
「驚いたよ。まさかノータイムで眠らせにくるとは思ってなかった」
「トッスルたちを巻き込みたくないのよ。さて、トオヤマナルヒト。質問に答えてもらうわ。その言葉、どこで知ったのかしら」
主教の言葉はどこまでも冷たい。
「常識だろ、義務教育で誰でもーー」
遠山はその言葉をはぐらかして
「スヴィ」
「はい」
超越者の姿がふっと、消えた。
かと思えば背中だけにゲリラ豪雨が降りつけた湿り気。
首元に、肉厚のナイフが突きつけられていた。
いつ背後を取られたかも認知できない。聖女スヴィが遠山鳴人の命に王手をかけていて。
「わお…… あんたは、そういう手段に出ないタイプだと思ってたが、見込み違いかな」
焦るな、怯えるな。遠山は一切の動揺を押さえつけ、平然なフリをする。
「それだけやばい言葉って理解してもらえたら嬉しいわ。スヴィ、そのままでお願いね。……ねえ、トオヤマナルヒト。たしかに私たちはそう簡単にあなたを殺すことは出来ないわ、何故かわかる?」
それを命じた主教の顔色は変わらない。ただ、淡々と遠山に語りかける。
「ドラ子がキレて教会を滅ぼすから?」
あくまでケロッとしたふりを遠山は続ける。これは命を削る戦いではなく、精神を削る戦いだ。
「ええ、その通り。単純な損得の問題ね、でも今、私は悩んでるわ」
主教が片手で顔を覆い、項垂れる。
指の隙間から覗く紫色の瞳、それはしっかりと遠山を捉えていて。
「あ?」
「教会の滅亡と引き換えにしてでも、あなたをここで始末した方がいいんじゃないかと考え始めてる。その発酵という言葉はね、それだけ重い言葉なの」
「お、おいおい、待て待て。発酵だぜ? ……あんたの小遣い稼ぎの邪魔になる人間に対しては大げさすぎないか?」
主教の言葉は脅しか、本気か。
いや、本気だ。本気でこの女は今自分を殺すかどうかを悩んでいる。
遠山はそう判断した。
「…………奇妙ね、ほんとに解せないわ、トオヤマナルヒト。読めない、何も考察の余地がない。発酵を知ってるのに、発酵に対する認識がその程度…… まるで、あなた別の世界の人間みたい」
遠山の態度を眺める主教が言葉を回す。
「おっと」
さりげなく当てられた真実に、心臓が少し跳ねた。
「主教サマ、彼のしんぞう、うるさくなった。べつのせかいって言葉をきいた瞬間に」
聖女がぼそり、つぶやく。マジかよ、首に当てたナイフの振動から読まれたのか? 化け物め。
遠山が顔色を変えずに、黙って動かない。
あと、もう少し。満ちるまであとすこし。
うすく、薄く。
「……まさか、ね」
主教が片目だけを開いて遠山を見つめる、しばしの沈黙のあと大きくため息をついた。
「……トオヤマナルヒト、あなたは本気で死にかけてる。私は今半分近く、教会の滅亡と引き換えにあなたを殺すことも選択肢に入れている。それは理解できるかしら?」
「ああ、脅されてるのはよく理解出来てるよ」
「そ、ならいいわ、じゃあ自分の立ち位置を理解したうえで、こちらの質問に応えてちょうだいな。どこで、誰から発酵という言葉を教わった?」
「せっかくできたこうはいをころしたくない、こたえて、こうはい」
有無を言わせる気はない2人の言葉。まさか発酵という言葉でここまで追い詰められるとは思っても見なかった。
正直に話すのだけが正解だろう。
「あー…… その前に、だ。どうだろうな、主教。あんた言ってたよな。俺たちの立場は対等だって。でも今のこの状況、これはどう見ても対等じゃあ、ねーよなあ?」
だが、しかしそれはあくまで対等な状況で、自分の意思で話さなければならない。脅しに屈して話すのと、自分の意思で選んで話すのは意味がちがう。
「何が言いたいのかしら」
主教の言葉、遠山は笑う。
「脅すんなら、脅される覚悟もしろってことさ」
「状況を理解してくれたものだと思ってたけど?」
既に準備は完了した。
結局、人と人が対等に話すのに必要なのは相互理解や思いやりではない。
自らの安全を担保できる力、暴力だ。
「理解した上での行動さ。んで、それはもう終わってる」
突きつけられている聖女という名の暴力。それに対抗しうる暴力をまた、遠山鳴人も兼ね備えていた。
「こうはい?」
「悪いな、先輩。準備完了だ。
ーー遺物、霧散」
探索者組合未登録遺物。
それは、遠山鳴人の報酬。最強の兵器。
現代科学において、説明のつかない事象を引き起こす現代ダンジョンが孕む理外の力。
遺物。
「は?」
「ッ主教サマ?!」
聖女が気付いた時にはもう遅い。
部屋に、キリが立ち込める。無色透明のまま静かに広げられていたキリは、白い靄となり実体化する。
「動くな、聖女先輩。既に、アンタの大事な主教サマや、同僚のニャンコ達は"キリヤイバ"の射程に入っている」
部屋に満ちるは、キリ。目に見えない微細なヤイバが仕込まれた恐ろしき殺しの道具。
「これは、霧…… いえ、その雰囲気、まさか」
「……グッズ?!」
2人が状況を理解する。たった一手で流れが変わっていたことに。
「ドラ子もそんなこと言ってたな、そういや。説明はシンプルだ。あの竜、蒐集竜、アリス・ドラル・フレアテイルも殺せる俺の最強の兵器。効果は簡単、その霧の中にいる人間を斬り刻む。もしくはキリを吸い込んだ人間を中から斬り刻む」
既にこの場において、主教、カノサ・テイエル・フイルドの命は遠山鳴人の手の中に堕ちた。
「遺物の名前はキリヤイバ。竜を殺した力の名前だ」
【スピーチ・チャレンジ "威圧"開始
"竜殺し"の異名、また竜大使館からの勢力評価が"友人"のため、成功率がアップします】
「え……」
「わかるか? 主教、たしかに俺は先輩にナイフを突きつけられていつ喉笛掻き切られてもおかしくない状況だ。でも、それはアンタも同じ、寝てるニャンコ先輩や、聖女先輩もみんな同じ。身体ん中に見えない小さな刃が舞っている。ここで仲良く血塗れバトルがいつでもできるわけだな」
はったりをかます遠山。首に押し付けられているナイフが僅かに揺れている。
聖女は明らかに動揺していた。自分の命ではなく、自分の主人が命の危険の中にあることを理解したのだろう。
「……そんな脅しを信じるとでも?」
声は平坦、しかし遠山は主教が額から汗を流していることを見逃さない。
「試してみればいいさ。聖女先輩なら治してくれるかもな。ああ、でも、死んだ人間は治せるのか? 竜すら殺すヤイバだ。果たしてアンタは即死しなくて済むかな?」
「主教サマ……」
聖女の反応から理解する、あの治癒の力は死者を蘇らせることは出来ないようだ。
「シンプルに行こうぜ。仲良しこよしで話し合いを続けるんならキリヤイバは解除する。このまま俺の喉笛にナイフつきつけたままならアンタらにもヤイバを飲んだままお話ししてもらう、簡単な話だろ?」
「……霧を吸い込むというなら、あなたやラザールも同じなはずだけど」
「ヒヒヒヒヒヒ、おいおい、勘弁してくれよ。自分の毒で死ぬ間抜けな毒虫がいるか? キリヤイバは範囲内の獲物を選ぶことが出来る、ヤイバが殺すのはアンタらだけさ」
嘘だ、ハッタリだ。キリヤイバにそんな器用なことはできない。この密室で発動したが最期、最高に間抜けな自殺を遂げることだろう。
そんなことおくびにも出さず、間抜けな毒虫が笑う。
背後を取られ、首にナイフを突きつけられてなおこの場を支配しているのは遠山鳴人だ。
主教と遠山が黙って互いを見つめる。どちらも動かない。
永遠にも感じる長い時間はしかし1分にも満たない時だった。
【スピーチ・チャレンジ "ハッタリ"
技能"頭ハッピーセット"の補正、
教会からの勢力評価"要注意人物'.のため補正、
ハッタリ成功 スピーチ・チャレンジ進行】
ふと流れるメッセージ、同時に主教が思い切りのけぞり、ソファに深々と体を沈めた。
「……はあぁぁ、イカれてるわね、あなた。竜と同じ、理解出来ない異質な存在だわ」
首をふり、天井を眺めながらぼやく主教。もうその雰囲気に殺伐としたものはなく。
「あれと一緒にされんのは困るな、ボス」
「うるせーわよ。似たようなもんじゃない。……スヴィ、私たちの負け。この男相手に下手な脅しは割に合わないわ。戻りなさい」
「……はい、主教サマ」
すっと、離れるナイフ。
ゆっくりとスヴィが主教の元へ戻っていく。
「おっと、やけに聞き分けの良いことで」
「悪いけど、あなたほどイカれてないの。キチガイバトルはごめんだわ。さて、こちらは武装を解いたけどあなたは? 騙して悪いが…… なんてことしないわよね?」
「……勿論さ、ボス」
遠山が自分の首に手を当てて、そこからずるりとキリヤイバを取り出す。
欠けた剣を軽く振るうと同時に部屋に満ちていた霧が嘘のように晴れていった。
「主教サマ、副葬品の気配が消えました」
「ええ、みたいね。教会の認知していない副葬品とか色々聞きたいことあるけど今日はもういいわ…… ふう、ほんと、私の胃が壊れる寸前なのはどう考えてもアンタらが悪い。……わかったわよ、トオヤマナルヒト、あなたとの取引に応じるわ。あなたのその度胸と力に敬意を表して改めて話がしたい」
「そりゃありがたい。涙が出るよ、ボス。ここにきてから話の通じない人間の姿をした化け物が多くて困ってたとこなんだ」
自分の身体にキリヤイバを収納しつつ、遠山が答える。
どくん、どくん。賭けの高揚が未だ心臓を熱くさせる。
「うへえ、竜が気に入る訳だわほんと。……一問一答で行きましょう。あなたの知りたいことに私は答える、あなたは私の知りたいことを答える、それでいいかしら?」
「OK、暴力とかそういうのはなしにしようや。じゃあ俺から。家が欲しい、アンタはそれに手を貸すことが出来るか?」
「NO、と言いたいとこだけど、YESね。私が節税対策で持ってる物件はいくつかあるわ。でもあなたには貸したくない」
シンプルな問いにシンプルな答え。
遠山は軽く笑う。
「正直にどうも。交渉の余地がありそうで助かるよ、じゃ、次はアンタの番」
「発酵、あなたの言う発酵の仕組みを説明なさい。知ってることだけで構わないけど、知ってることは全て話してもらうわ」
主教が懐から葉巻を取り出した。スヴィが音もなくナイフでそれの火口を切り落とし、マッチで火をつける。
紫煙が部屋にぼわり、広がる。
【スピーチ・チャレンジ
発酵について INT値が6以上なので判定ロールなしで発酵を説明することが出来ます】
「あー、要は人間にとって都合の良い腐敗のことだ。微生物が有機物を分解して代謝する一連の行動。パンやら酒やらもこれを利用して作られるはずだ」
遠山は素直に自分の知ることを簡潔に話す。
「……驚いた、心底驚いた。今というほどあなたを気味悪く感じたことはないわ。発酵だけならず、微生物の存在も知ってるのね……」
「待て、その反応…… アンタはやっぱり発酵っつー仕組みを完全に理解してるよな」
主教の反応から、発酵に関する認知はおそらく同じのようだ。つまり、それを理解した上で"天使の祝福"とやらを騙っているのだろう。
遠山は強請るポイントを絞り始める。
「それこちらのセリフね。帝都の大学連中はもちろんのこと魔術学院の連中ですら知らないことよ。全知竜なら、まあ知っててもおかしくはない、か」
「言っとくけど、あの変態ドラゴンとは初対面だぞ」
人知竜と名乗った女を思い浮かべて遠山は言葉を紡ぐ。
「とてもそうは見えなかったけど? 生き別れた恋人に再会したような熱の入りようだったわよ、彼女」
「だからビビってるんだろうが。初対面の初コミュニケーションが飲血だぞ。しかも絨毯に寝そべりながら」
「……まあ、竜だし仕方ないわ。うん、愛情表現よ、愛情表現。話が逸れたわね。はー、ほんと厄介だわ、微生物も発酵も知ってるわけか…… どうしたものかしら」
「……その反応、アンタの小遣い稼ぎの仕組みを暴いただけにしては大袈裟すぎないか?」
だが違和感が拭えない。
たしかに主教からすれば自分が秘匿して利益を生んでいる仕組みを知っている人間は邪魔だろう。
だがそれだけで、それだけで竜と争ってもいいとまで言わすようなことだろうか?
「おばか、そっちも大問題。だけどあなた、そんなことで私を強請れるとと思うほどバカでもないでしょ? ま、動揺させることに関しては大成功よ、正直、心のどこかでまだあなたを舐めてたんだと思う。これは反省して教訓にさせてもらうわ」
「それはよかった。……待て、今、そっちも、って言ったか?」
「………………」
主教は答えない。ぼうと揺れる葉巻の火の向こうに紫色の瞳が薄く覗くだけ。
「……教会が発酵とやらを天使の祝福って嘘ついてんのって、金の為以外にも理由があるのか?」
違和感を口にする。
何か自分は思い違いをしてるのかもしれない。つい現代知識無双できそうで少しテンション上がりすぎていたことにようやく気づく。
「………ほんっと、可愛くないわね。でも待って。次は私の質問に答えてもらうわ。はー、ほんとこんなこと聞くのはバカらしいんだけど……」
「……どうぞ。こっちからしたら今の状況すらジョークみたいなもんだ。ファンタジー世界で冒険者してるんだからな」
「………それよ。さっき言ったそれ」
苦々しく、葉巻を構えたまま主教が顔を伏せ言葉を漏らした。
「あ?」
「りかのじゅぎょう…… じゅぎょうって、授業のことよね。帝都の教育機関、幼年学校、中等学校、高等学院、大学で行う教育の場のことだわ」
「あー、こっちもそういうのあるんか。地理とかもそのうち勉強しないとなー」
「……何言ってるかわかんないけど、あなたが理科の授業とやらを受けているはずはないのよ」
「……ん?」
何が言いたいんだ? 遠山は主教の言おうとすることをいまいち咀嚼できない。
遠山の言っている理科の授業とは勿論、現代の話である。それの嘘かほんとの判別なんて主教につくはずがなくてーー
違和感、もやもやしたそれが次第にしっかり形を帯びていく。
「少なくとも、私が主教となった期間、そしてここ100年の歴史において、トオヤマナルヒトという名前の人物が帝都の教育機関に入学した記録は残っていないわ」
紫煙に混じるその声の内容を遠山は聞いた。
「うん、……………うん?」
最初その言葉の意味を理解出来なかった。
「……いや、ないない、それはない。いや、アンタそれマジで言ってるなら、まさか」
今、目の前の女はなんて言った?
それが本当のことならつまり、この女はーー
いや、そんなのありえない。遠山は香ばしい煙の匂いの向こう、その細い糸目から目が離せない。
「私はここ100年間、帝国において"教育"を受けている人間の記録と記憶を全て頭に入れてるわ。私が主教になった後は勿論、私が生まれる前の記録もね。その中に、トオヤマナルヒトなんて名前は見たことない」
予想通り、ありえないことを女がいいのけた。なんじゃそれ。
「うそん、だって、お前学校なんてどこにでも、あ……」
言いながら、気付いた。帝都の教育機関、帝都の大学。
そうだ、ここは現代じゃなくてファンタジーの世界。
時代もいいとこ大航海時代真ん中くらいの生活様式、ということは、教育機関の存在自体が、現代と大きく異なっているはずだ。
「……まるで、帝国において教育機関は帝都だけにあることを今初めて知った、いえ会話から気づいたって感じね。トオヤマナルヒト」
主教の声に疲れが見えた。
だがそれは遠山も同じだ。
「あー、なるほど、そういうことか。……いやでも、それでもやばくね?」
つまり、この女は限られた地域にしか存在しないとは言え教育機関の全ての情報を握り、それを全て覚えて認知していると言う。
それはもう人の領域ではなく、パソコンか何かの仕事だ。
「それくらい出来て当然でしょ。私の商売の仕組みに気付いて邪魔するような存在なんて教育を受けた人間以外にありえないんだから。まあ、そんなこと今はどうでもいいわ」
遠山の動揺をよそに主教がそうなんのこともないように言い捨てた。
「肝心なのは、教育機関にいたことがないはずの人物が、少なくとも大学卒業者と同じ程度の教養をもってこの場に存在してることよ。おまけに教会が3紀に渡って秘匿しているものまで知っている。……ありえないのはあなたのほうだわ」
葉巻の灰を崩し、深く吸う。
主教のその姿は絵になりすぎる。
「……なるほど、帝都にしか大学がないのは、知識層を庶民にまで広げさせないためか?」
帝都、この国が帝国と呼ばれてるのならそこはおそらく首都なのだろう。
そこにしか教育機関がないということはつまり、そこに住める力のある富裕層や特権階級にしか教育を施す気がないということにつながる。
「それ、その考え方。大学において国富論を学ばないとその視野は持てないはず。奴隷上がりの冒険者として考えられない思考と教養、あなたほんとに何者なの?」
「冒険者だよ、パン屋を開業しようとしてるただの冒険者さ」
言いながらなんとか平静を取り戻そうとする遠山。しかし未だ混乱の中。
主教が何を言いたいのかわからない。
自分が感じている違和感があともう少しのところではっきりしない。
「不可解な言葉、深い教養を持つ癖に時たま散見される常識知らずな行動、発言。……本当に頭が痛いけど、私は今、あなたの正体に対して1つの仮説を作れた。答え合わせ、してもいいかしら」
「答え合わせ?」
「あなたは、少なくとも人類大陸の人間ではない。未知大陸、もしくはそう、もっとずっと遠い所からやってきた異分子そのもの…… 違うかしら」
「あー…… どうしてそう思う?」
「ちくはぐなのよ。あなたという人間を説明しようとしても何も理屈が通らない。庶民階層ではありえない教養を持つくせに帝国の常識を知らない。ああ、でもそうね、皇帝の名前。今ここでそれを言えれば話は変わるわ。言えるかしら……」
「……………」
固まる。知らない、そんなの知るわけがない。遠山はまだこの世界に来て2日目だ。
「……言えないわけね。はあ、最悪。全部筋道が通んのよ。あなたが帝国でも王国でもない、私たちが認知していない所から迷い込んだ存在だとしたら、竜への認識がずれすぎているのも説明がつく」
固まる遠山を見て、一際大きなため息を主教がつく。
葉巻を一本吸いきり、吸い穀をスヴィの差し出した灰皿へと捨てる。
俯き、少し黙ったあと主教がボソボソと呟き始めた。
「……いや、待てよ、確か学院の初代学長が書いた論文…… 帝国のヘレルの塔の天辺、王国はマーヤジーア樹海の奥底…… それはどれもそれの入り口であるという」
遠山を置き去りにしてはじまる異次元の知性による考察。
それはゆっくり、しかし、確実に遠山鳴人という人物の正体に近づく。
「お、おい、どうした?」
遠山は言葉を我慢できなかった。
主教が、ぱっと顔を上げ、目を見開き、遠山を見つめて、ぼそりーー
「異世界」
「っ……」
理解出来なかった。遠山にはなぜ今その言葉が主教から放たれるのか。
隔絶した知性が導いた結論はしかし、的中していた。
「思い出したわ。晩年狂ったとされている彼女の認知されなかった論文。"天辺と穴の底への考察" 魔術学院、初代学長 ウィルラネス・ミッド・ラークの遺した論文にて登場した言葉よ」
淡々とつぶやく主教はそこで言葉を区切る。
遠山の顔を見つめて、また息を吐いた。
「やめてよ、トオヤマナルヒト、そんな真顔になるのは…… ああ、頭痛いわ、ほんと」
「……驚いた。シャーロックホームズと喋る人間の気持ちが分かった気分だよ」
マジかよ。こいつ。
もうそれしかなかった。
本当の天才、ほんとうに頭が良い人間というのはこういう女のことなのだろうか。
遠山は駆け引きとかなんやらかんやらを全て忘れて、目の前の女の知性に感服していた。
「誰よ、それ」
「イギリス、コナン・ドイルの作品の登場人物さ。アンタみたいな化け物並みの頭を持つ人間の名前」
「イギリス…… どういう意味の言葉?」
「国名。国の名前だ。俺のいた世界にはそれこそ数えきれないほどの国があった」
「もう否定する気もないってこと? あなたは、その、イカれた結論だけど、異世界人ってことでいいのかしら」
「俺から見たらアンタらが異世界人なんだけどな。まあ、その認識で間違いないと思う。俺は俺のいた世界で死んだ。たしかにそれは覚えてる。でも、なんか妙な声が聞こえて、気付けば馬車の中、そこでラザールと出会ってなんやかんや、ったわけだ」
「自分で言っててなんだけど、ほんと頭痛くなるわね。うん、でも、今はそういうことにしましょう。ていうかあなたという人間を理解しようとした時、異世界? 私たちとは異なる歴史を歩んだ世界の人間って認識すれば全て説明つくのよね」
「アンタほど頭がキレるのも考えもんだな。色々苦労しそうだ」
「ええ、今まさに苦労の種がドヤ顔でふんぞり返ってるしね」
主教がふっと、力を抜いて笑う。
「ラザールはこう見えて腰が低いぞ?」
遠山は隣で眠り続けるトカゲを見て、答えた。
「アンタのことよ、竜殺し。…………1つ、聞いていいかしら」
「答えられることなら」
何を聞かれるか、そう身構えた遠山にかけられた質問は意外なもので。
「……あなた、死んだって言ったわよね。怖く、なかったの?」
その言葉を主教が口にした時、スヴィが一瞬、唇を噛んだ。
「意外だな、もっと別の、俺のいた世界のこと聞かれるかと思ったよ」
「あー、正直、あんま興味ないのよその辺は。私は学者や探究者でもないしね。あなたがこことは異なる世界から来たっていう認識さえあれば交渉には充分。異世界とやらが実在しようとしまいとどちらでもいいの。それで、答えてもらえたら嬉しいのだけど。死ぬって、どんな感じなの?」
さらさら答える主教、しかしその質問は変わらない。
死とは、どんなものだったか。
それを主教が遠山へ問う。
「……冷たくて、重くて、眠たい感じだ。ゆっくり、それでも確実に自分が自分の身体を動かせなくなる感じ」
正直に答えた。
あの時、ダンジョンの中で死ぬ間際に感じていた全てのことをそのまま言葉にする。
「……怖かった?」
「っ」
主教の呟きは、今までにないほど頼りなく、か細い声だ。スヴィがその声を聞いた瞬間、目を逸らしたのを遠山は見逃さなかった。
「……いや思ったよりも怖いとかはなかったな。ダンジョンに酔ってたのもあるけど」
誤魔化すことはせずに全て正直に遠山は答える。
なぜかそうするべきだと感じた。
「そ…… 冷たくて、重くて、眠い、か」
「ああ、でも、最後の最期には確か、たのしかった、って感じだったけどな」
何気なく、遠山はそれをつぶやいた。
たしかそんな感じだったはずだ。
ふと、主教を見ると、ぽけっと口を開いて固まっていて。
「……ふふ、なにそれ。うん、そう、あなたいい人生を送ってたのね。最期にそう思えるんなら上出来なんじゃないの」
脱力して、主教が笑う。
「ま、ありがとう、正直に答えてくれて。参考になったわ」
「ああ、どうも。話がだいぶ逸れたな。ま、そんなこんなというわけだ。俺は本当にこの国どころかこの世界に戸籍やら足掛かりがない。でも早めに拠点が欲しいわけよ。オープンワールドゲームでも家とかすぐ買うタイプだから、俺」
「所々話が通じないのはもう異世界人だからって理由で納得してあげるわ。……あるにはあるんだけどねえ…… 立地がいいのよ、商業区にも近くて面積も広い、工房の職人が設計、制作全てやってくれて、おまけに家の骨組みは全て王国産の木材を使ってるし」
指を揺らしながら主教が言葉を続ける。
緩慢な物言い、どこか勿体ぶった喋り方だ。
「回りくどいな、何が言いたい?」
「お、か、ね。少なくとも頭金で…… そうね。白金貨5枚は欲しいところなの。払えないでしょ?」
ふふ、と笑う主教に遠山が目を細め、声を低くした。
「……がめつさも過ぎると毒だぜ、主教サマ。何も家賃を払わないって言ってるんじゃない。お互い少し歩み寄れねえかって話だ」
ふっかけられている。遠山はその鋭い目で主教を睨む。
「あなたが異世界人だろうとなんだろうと、お金をまけることはないわ。誠意とは金よ、冒険者」
平行線は変わらないらしい。
埒が開かない。
遠山は違和感を押し込み、自分のカードを切った。
「……発酵のことを隠して大儲けしてんだろ? 祝福税とは考えたな。この世界の風俗についてまだ理解と勉強足りてねえが、ギルドで振る舞われてた料理、主食はおおかたパン、麦酒。全部発酵が絡んでるもんだ。さぞ大儲けしてることだろうよ」
言外に、その秘密をバラす。と脅してみる。
さて、どう出る?
違和感は、やはりまだ消えない。
「……あら、あらあらあら。あなたどうやら1つ勘違いしてるわね、その言い方だとまるで発酵を天使の祝福だと嘘をついて世に広めてるみたいじゃないの」
「いや、その通りだろうが。微生物の代謝活動こそが発酵ってアンタも理解してるんだろ?」
「は、はは、な、る、ほ、ど。なるほどなるほど。そういうこと。トオヤマナルヒト、やはり私の理解とあなたの理解には大きな隔たりが存在してる」
「なんだと」
「その話だと、あなたの世界の発酵ってほとんど仕組みが解明されてるみたいね。微生物を認知出来てるってことは学院のような魔術式を扱える勢力もいるのかしら」
「……俺らの世界では魔術やらなんやらは実在しない、空想だ。ま、ダンジョンやら怪物種やら遺物やらが存在したんだ。秘匿されてるだけかもしれねえけど」
「OK、魔術式ではなくそれに類似するなんらかの方法で発酵の仕組みを理解したわけね。ふ、む。ギムキョウイク…… もしかして義務教育? ……え、なに、教育を義務づけてるとかそんなこと言わないわよね?」
「悪いがその通り。中学生……15歳まではみんな一律で学校に通うことになるな」
「ワオ、イカれてるわね。王族や皇族や貴族の権威は? どうやって社会態勢を維持して……っとまた話が逸れたわ。私のいけない癖ね」
「何を言おうとしてる?」
「認識のすり合わせよ。あなたの言う発酵の仕組み、たしかに正解、その通り。でも、それは半分だけ、教会はね、何も祝福税のためだけに真実を隠しているわけじゃないの」
「は? 嫌気性とか細かい話しようとしてんのか?」
違和感がいよいよ形になってくる。
自分はやはり、何かを見落としていたのだ。
遠山は気づかずうちに唾を飲み込んでいた。
「違うわ、そういう小手先の話じゃなくてもっと根っこの話。……天使は存在するわ、そして彼女の祝福もまた存在する」
「あー、教会の教えの話か?」
「いいえ、シンプルな話よ。だいたい100か、150くらいかしら?」
「なんの数字だ?」
唐突に言い表された数字。なんの数字か予想もできない。
「帝国暦前、第三文明の紀元前に存在していた人類国家の数。どのくらい続いたかも定かでない、なんで始まったかも定かでない戦乱の時代。数々の国が生まれて滅んでいったわ」
「大戦…… 世界大戦?」
「あら、センスの良い名前ねそれ。ええ、数多の英雄、数多の伝説が争い殺し合った時代、最終的に残った2つの人類国家、それが帝国と王国」
「帝国と王国がほかの国を滅ぼしたのか?」
「まあ何個かはね。勇者もいくつか国を滅ぼしてたし。そもそも帝国も王国も大戦期に存在した複数の小国が合併してできた新興の国だからね。まあ、帝国には竜が、そして王国には勇者がいたのも生き残れた要因でしょうね」
「それが発酵となんの関係があるんだ?」
嫌な予感がする。しかし、遠山が質問をやめることもなく。
「紀元前末期、帝国と王国以外にもそこまで生き延びた人類国家はあったの。光の国ソーアマール、最初の聖女の生まれ故郷、ラーナ公国、勇者パーティ"斥候"を生んだ国、フォール。ねえ、トオヤマナルヒト、これらの国がどうやって滅んだのか想像出来るかしら?」
「戦争だろ? 帝国と王国しか生き残らなかったんならそう言うことじゃねえの?」
「いえ、答えは簡単。帝国と王国以外の国で全ての"発酵"、いえ、微生物の活動が停止したから滅んだの」
「………うん?」
さりげなく言われた言葉に、遠山は首を傾げた。
活動が停止?
何を言って……
遠山の困惑をよそに主教の話は続く。
「あら、聞こえなかったの? ある日、麦酒が作れなくなった。パンも膨らまない、チーズも固まらない。そして次に家畜が死んだ。牛や馬や羊、草を食んで生きる牧畜が死んだ」
淡々と、物語を読み聞かせるかのように主教が唇を動かす。
「次に、食べ物が腐らなくなった。初めはみんなそれを喜んだ。でもすぐに異変が起きた。赤子がみな、生まれてすぐに死ぬようになった。次は大人も。誰も病にかからなくったのに、急に倒れてそのまま死ぬようになった」
「お、おい」
なんだ、それ。遠山の違和感が一気に襲いかかってくる。
予想だにしない話はそれでも続く。
「そして決定的なことが起きる。死人が土に帰らない。死んだ家畜も人も死骸が土に還らない。埋めても埋めても肉のまま、死んでも死んでも、人のまま。廻り巡り続けるはずの仕組みがいつのまにかなくなって」
主教の言葉は事実だけを伝える。
教会が保存した世界の秘密を惜しげなく。
「火葬しても、火葬しても、灰や骨が土に帰らない。天使の祝福が消えたから、天使がそれに飽きたから、天使がそれらを選ばなかったから」
「いや、それ、微生物が死骸を分解しなくったのか? 待て、それがほんとだとしたらその国には今でも死骸の山が……」
遠山の言葉に主教が首を横に振る。
「天使に見捨てられた哀れな国と人間たち。しかし、誰よりもなによりも優しい竜たちは天使の行いを酷く罵った。見捨てられた死骸は炎の竜が焼き尽くした。見捨てられた国土は水の竜が世界の隅に押し流した。もとより竜たちはそのバランスを保つために存在するのだから」
主教が告げる話のスケールがいまいち掴めない。
遠山は黙って話を聞くだけ。
「……天使教会に遺された歴史書の一文よ。発酵やら微生物の仕組みも全て教会は把握してる。でもそれは天使様の意向によって左右される仕組みってこと」
主教がまっすぐ、異世界人が遠山鳴人を見つめて。
「祝福ってのは嘘でもなんでもないのよ」
「……いや、なんだそりゃ、発酵にそんな何かの存在が介入するなんて」
違和感の正体はこれだ。
発酵の裏側に何かが気持ち悪く関与している。
「ここではそれが普通なの。たしかに発酵は微生物の働きによるもの。パンや酒もそれで作られる、ええ、正解よ。でもね、その仕組みを回してるのは私たちが天使様と呼ぶ得体の知れない何かのおかげなの」
「待て、その話がほんとなら微生物の働きをその天使とやらが操作できるわけか? いや、そんなもんいるわけ……」
「いるのよ、姿も声も誰も認知出来ていないけどたしかにそれはいる。私たちの世界はね、たまたまそういう理解を超えた存在のきまぐれで成り立ってるの」
2本目の葉巻を咥えた主教が天井を仰ぐ。
「天使教会の責務はシンプル。天使様の威光を世に広めることで誰もそれに疑念を抱かないようにすること」
その教会はもとより、それに触れる人間を少なくするために。
愚かなヒトが天使を探し索めることがないようにするために作られた組織。
「愚かな好奇を天使様から遠ざけて、世界の安定を図るのが我らの使命ってわけ。下手にアレをいじくって世界が滅びましたなんて笑えないでしょ?」
訳の分からないモノが確かにいて、訳のわからない理由で、気まぐれに自分たちを滅ぼす力を持っている。
そんな事実を世界から隠すのが彼女らの真の使命。
「いや待て、おかしいだろ。天使とやらの存在を認知出来ないのになんでそれがここまで強い宗教、いや統一宗教になってんだ? そもそもその微生物の死滅が天使とやらの仕業ってどうやってわかるんだよ」
「そこよ、トオヤマナルヒト。それが答え」
「あ?」
「その存在が定かでないのに、帝国に生まれた全ての人類種は天使様の存在を信じてしまう。理屈ではなく魂の部分でわからせられる。それはたしかに存在する、それはたしかにどこかにいるってね」
「そんなアホな……」
気味が悪い。
そんなことありえない、と言いたいところだが、遠山自身の存在もまたありえないものなのだ。
終わったと思った人生の続きがあった。異世界で確かに始まっている欲望の続きがあった。
そんなことがあったのだ、天使という存在をまた強く否定出来ない。
「信じざるを得ないのよ、私達は生まれた時から天使様の枷をはめられてる。信仰を彼女へ向けるように出来てるの」
「……なんだ、そりゃ」
どこか諦めを含んだ物言いだ。
遠山はそうつぶやくしかない。
「ふふ、知りたくなかったでしょ? そう言うことが出来る存在がいる、言えるのはそれだけだけど、天使様の証明をするにはそれで充分。それが初代主教の考え方。世は全てこともなし。私たちの理解を超えた存在が気まぐれを起こさないことを祈るしかないのよ、私たちはね」
「…………キリストもびっくり、だな。きな臭いことこの上ねえよ。俺の世界にもそりゃエキセントリックな神様はたくさんいたが、そこまで気味悪いのはなかなかいないぜ」
「うん? カミってなに?」
「oh…… マジかよ。まさか、神様っていう言葉、いや、概念がない感じ?」
きな臭い、明らかにこの辺は異常だ。
そもそも突っ込めば、"天使"という名称すらおかしいことになる。
神がいないのだ。ならば天使とは、いったいなんの使いのつもりなのだろうか。
「どこかで聞いたことがあるような…… ニュアンス的に天使様のことを言ってるのかしら」
「……ああ、ここまで気味悪い存在じゃないけどな」
「どこにでも似たような存在はいるものね。さて、それで? トオヤマナルヒト。発酵の事実を知ったあなたはそれで私を脅すのかしら?」
「……いや、やめとくよ。想像の10倍キモい話だったんでこれ以上深入りしたくない」
藪をつついたら蛇どころか、バズーカが飛んできたようなものだ。
遠山は早々に現代知識無双を諦めて、発酵での脅迫を諦める。
どう考えても厄ネタ。気軽に近づいていいものではない。
「懸命かつ聡明ね。仕事が少なくなって助かるわ」
「そりゃ何より」
【スピーチ・チャレンジ終了
一部成功につき教会との関係が"共同歩調"に変更
"発酵"に関する最深度情報を取得
"大戦"に関する非公開情報を取得
隠しクエスト
"Who is she"発生
クエスト目標
"天使"についての情報を集める
※ 非常に危険なクエストです。進行非推奨】
流れるメッセージに目を向け、うへえ、やべえと焦りつつも遠山は考える。
さて、どうしたものか。
ダメもとで切ったカードは予想よりやばい代物だった。
手札にあったのはトランプに勝てるワイルドカードではなくて、初版の傷なしブラックロータスだった。正直扱いに困る。
「まあ、そうね。口止め料も兼ねて頭金は白金貨4枚……いえ、4枚と金貨50枚にまけてあげていいわ。これ、すごいことなのよ?」
主教が少し態度を和らげたのか。値段が少し下がった。
それでもまだ高すぎる金額のはずだ。
「うそ…… 主教サマがお金をまけた……」
「ええ…… 焼石に水ぅ……」
目を丸くするスヴィとは裏腹に遠山はそのがめつさにうんざりする。
「ちょっと、ちょっとなにその反応。感謝して欲しいのだけれど。竜を脅しに使わなかったこと、発酵の真実を脅しに使わなかったことを評価した上での判断なんですけど」
「いやしょっぱ過ぎる」
「破格の値段よ。そもそもあの辺の土地はこれから"竜祭"で必ず値上がりするんだから。それを貸してあげるって言うだけでもどれだけ…… どれだけ私と出会える金貨ちゃんを逃すことかって……」
「え、うそ、泣いてる? 泣いてんの? マジ?」
言いながらえづき始めた主教を見て遠山がドン引きする。
やべえこの女、はやくなんとかしないと。
話し合いが行き詰まり始めた、そんな時だった。
「ふむ、なるほどなあ。だがの、銭ゲバ。そもそも、その竜祭もナルヒトがオレを殺したおかげで開けるものよな。それを考えればもうちこっーと値段の方は考えてもいいのではないか?」
威厳と幼さが同居してる不思議な声だ。
その声を遠山は知っている。
「あーに、言ってんのよ。竜関係でうちの教会がどれだけ困らされてるか。そもそも教会騎士だって竜の影響でバカになってるし、あのワガママドラゴンに私の寿命がどれだけちぢ…… ち、ち、…………地上におわしめしいかなる生物よりも美しく偉大な、竜の巫女とお話しできるだけでもこの卑小な身には過ぎた栄光です」
そのままその声に流れで適当に答えていた女主教はしかし、言葉の途中で顔を真っ青にして無理矢理な軌道修正をかました。
ついでに葉巻を手で握りつぶし、誰に言われるまもなくソファから降りて片膝をつき始める。聖女も慌ててそれに倣ってその場に片膝をついて。
清々しいほどの手のひら返し。
主教にそこまでさせることが出来る存在は、帝国広しといえど彼女くらいのものだろう。
「ふかか、貴様、よくあそこから軌道修正できたの」
「あ、ドラ子、おかえり」
炎で蓋作られたゲートが部屋に開く。
そこからすっと現れたのは長身かつ、黄金比の肉体を持つ金髪の美女。
隻眼の蒼い眼に、外ハネした豊かな金髪。
遠山の言葉に、ニカリと太陽の笑みを返すその女。
「うむ、ただいま、ナルヒト」
蒐集竜、アリス・ドラル・フレアテイルが帰還した
「おっふ、オワタ」
主教が天につぶやく。誰も聞いてはくれない嘆きを。
「ふむ、先程なんぞや、ワガママドラゴンなる言葉が聞こえたが…… 主教、それは誰のことかや」
遠山の背後に現れたドラ子が、首をかしげる。声色は穏やか、それどころか美貌はたしかに笑顔を象る。
しかし、その目は笑っていない。縦に裂けた美しい海溝を思わせる瞳孔が主教を捉えていた。
「え、お前のことじゃーー」
「我が君ドラゴン!! 我が君、ドラゴン、そう! 蒐集竜! あなた様のことにございますれば! ね!! ね!!! トオヤマ異端審問官!」
遠山の言葉に上乗せされる主教の大声。先程までの雰囲気を全てかなぐり捨て叫ぶ彼女は、生きる力に満ち溢れていた。
「あ、はい」
遠山は完全に勢い負けする。すげえ軌道修正かましたなこいつ。
「ふうむ、なるほど、知らなんだ。貴様がそれほどまでにオレのことを崇拝していようとは。凡百のヒトにそんなことされてもなんとも思わんが、貴様から拝されるのは悪くないぞ、銭ゲバ」
「は、も、もったいなきお言葉で」
「時に銭ゲバよ。まあ、なんだ、そこのトオヤマナルヒトはオレの友人でな。家もなく身元も定かではない。だがオレが保護しようとすると手元からするりと抜け出してしまう困った奴なのだ」
「うなぎみたいな扱いやめてくれる?」
すぴーとため息をつくドラ子に遠山がぼやく。
「は、は、蒐集竜様のご苦心、お察し致します……」
主教が恐る恐る言葉を漏らして。
「ほう! そうか! 察してくれるか! かか! 良い良い、くるしゅうない。まあ、そこでだな、まあ友としてやはりナルヒトにはせめて家くらい早々に持って欲しいのだ。住所が定かでないとおちおち文通も出来んでな」
「は、文通…… ですか?」
「なにか問題でも?」
ドラ子が主教へ向けたその声は、遠山に向ける高いものとは違い、どこまでも低い竜としての声色で。
「いいいいいえええ!! あるわけない! あるわけございませんとも!」
床焦げるんじゃない? と言いたくなる勢いで主教が絨毯に額をこすりつけて首を振る。
「なら良い。のう、銭ゲバ。無論タダとは言わん、家賃もきちんと正規の金額を支払わせてかまわん。オレの友の自宅を都合してくれんか? ん?」
「……ドラ子」
思わぬ竜の気遣いと手助けに遠山は少し感動していた。ティラノサウルスが友達になってくれたような気分だ。
「あ、が、ぎ、わ、ぐ、た、も、もちろんに、ございますれば……」
「すげえ、今までで1番苦しそうな顔してる」
遠山がどれほど揺さぶっても吐き出せなかったぐぎぎ顔で、主教が確かに了承した。
「……トオヤマ異端審問官、竜の巫女のありがたいお言葉と、教会の竜への敬意を表す印として、あなたに、商業区の丘にある住宅を貸し与えます…… 頭金は……」
ぐぎぎ、主教が顔中に血管をうかばせて遠山をみる。
なんか、ごめん、すまん。
遠山はもう何も言えなかった。
「頭金?」
ドラ子がまた首をかしげる。
やはりその目は笑っていない。
ジュラシックパークの恐竜が人間をみるような目で主教を眺めていた。
「ひぎい!!? 頭金は、いらな……いらな、い、いいいいいいい…… ギギギギギギ」
ぐぎぎマシーンと化した主教が、言葉を引き絞る。
「ドラ子、うちのボスが憤死しそうなんだが」
遠山が思わずつぶやいた。
「ふかか、ここだけの話、オレはあやつがああいう風に苦悩する姿を見るのが嫌いではないのだ」
そっと、耳元に寄せられたドラ子の顔。
綺麗な声には確かな愉悦が。
「ドSドラゴン……」
「ドラ子と呼べ、ナルヒト」
「アリス、じゃだめなのか?」
ピコン
【技能 竜殺し(意味深)発動】
「ぎゃう…… ナルヒトはイジワルだ」
ドラ子がばっと、顔を逸らし、一瞬顕した尻尾をくゆらせあとずさる。
竜と、その竜殺しがふざけ合う。
「ヤチン!!」
「「うん?」」
ヤチン!
引き絞られた言葉が部屋に響いた。
竜と竜殺しが互いに首を傾げて。
「た、だし、家賃、家賃だけは正規の金額を、wow支払ってもらうわ、もらいますわよ、ひと月、金貨4枚、いや、5枚…… 例え、我らが竜の炎に焼かれようとも、これだけは譲らないいいいいい」
片膝のまま、血涙と鼻水を垂れ流しながら言葉を絞り出す主教。なんか1人だけクライマックスになっていた。
「…………ふかか、払ってやれよ、ナルヒト。あやつに金を払わんと竜大使館の宝すら徴収されそうだ」
その異様は竜からすら譲歩を引き出し。
「あ、うん。すげえな、血の涙流しながや家賃請求する人初めてみたわ」
遠山は、あ、こいつやっぱやべえやつだわ。と主教の人物像を定めていた。
【スピーチ・チャレンジ(竜) 成功!
自宅を借りる権利を手に入れました。
拠点を手に入れたので新たなるクエストが開始できます。
サイドクエスト "石窯に火を灯せ" 発生
クエスト目標 パン屋を開業する】
TIPS€ スピーチチャレンジには複数のアプローチがある。
STR値による補正の強い"威圧"など
POW値による補正の強い"ハッタリ"など
INT値による補正の強い"説得"など
噂ではモラグ・バルという言葉には強い威圧の呪いが込められているとか。
モラグ・バル(威圧)
なんて、 恐ろしい言葉だろうか。




