40話 私の胃が壊れる寸前なのはどう考えてもお前らが悪い
……
…
〜少し前、竜大使館での竜からのお願い(威圧)を食らった直後の教会最高権力者たち、猛スピードで街を駆ける馬車の中にて〜
ぽんぽこぽオオオオオおおん!
っべー、っじべー。やべーよ、やべーよ、マジやべーよ。
がつん。
馬車の車輪が石畳を跳ねる。私のお尻を立ち上げる座席に舌打ちしつつ、頭をフル回転。
「し、主教サマー、こ、これ以上のスピードは危ねえだよ、オラの馬っこも馬車っこも壊れちまうだ」
御者台の方から情けない間延びした声が響く。自分のポケットマネーで雇っているお抱えの御者だ。
教会の正式な人員ではないが、数少ない信頼出来る部下の1人でもある田舎出身の彼の声は本気で焦っていた。
「気合い! こんな速度で走れる御者と馬車なんて帝国で貴方しかいないんだから頑張って! お馬ちゃんには後で高級ジンニンご馳走してあげるし、怪我したらスヴィが治すし、馬車なんて壊れたら私のポケットマネーから出すわよ!」
「ほ、ほんげー、銭ゲバ主教サマが自腹切るだべか? 竜でも降ってくるんじゃねべ?」
「今それはギャグになんねーんだっつうの! あと誰が銭ゲバじゃ!! 給料減らすぞ! 良いからもっと速度上げて! 人跳ねちゃダメよ! あとお馬ちゃんにもあんまり無理させたらダメ! お馬ちゃんを利用した新しい金儲け昨日考えたんだから! その名もウマを競わせると書いて、ケイべっ!!」
がつん。
跳ねる馬車、次は舌を噛んだ。痛くて泣いちゃいそう、女の子だもの。
「主教サマ、そんなにペラペラ喋るから…… はい、治癒の光」
すっと、差し出される小さな指先。黄色い優しい光が私の口元に当てられる。
それだけで嘘のように痛みが引いて消えていく。
「あ、ありがとうスヴイ。そんなハイお茶、みたいなテンションで秘蹟使えるのは貴女くらいよ。って、とにかく急いで! 竜殺しに何かあったらもうほんとにやばいわ! 竜を敵に回すとかマジやばいからほんと!」
「……あの人なら多分大丈夫だろうけど」
竜殺しを知っているスヴィが隣でうーんと首を傾げる。この子にそう言わせる人物だ。
確かにすぐにはあの第一騎士が相手でも死なないだろう。だけど、問題はそうじゃない。
「それもそれでヤバいのよ! あんの脳筋集団、騎士ども! アイツらは政考える能力ないくせに、教会の運営への発言権無駄にあるんだから! 竜殺しが1人でも雑魚ならまだしも、10剣を1人でも殺したら、騎士団は必ず暴走する!」
「……暴走?どうなるんです?」
「決まってんでしょ?! 竜殺しへの報復で、竜殺しをぶっ殺す、で、そのあとはあの金ピカドラゴンに皆殺しにされるわ!」
そして、それを英雄譚として語り継ぐ。狂っているのだ。王国の竜教団の流れを汲む騎士派はとかく、竜への執着が強い。
ドラキチめ、滅べ。私の権力が固まって用済みになった暁には絶対滅ぼす。
でも、それは今じゃない。
「でもね! あんなド低脳の脳筋集団でも教会を維持するバランスの1つなの! 今、このタイミングで失うわけにはいかないわ! んああああ! もおおおお、なんで私ばっかりこんなこと考えないといけないのおおお! 騎士団長のバカボンボンは論外だし、少しは話の出来る副団長のフェミニン女も外ヅラだけの脳内花畑女だし! まあ、顔がいいのは認めるけども!」
「私には、主教サマの方が素敵です、ぽっ」
「ありがとうスヴィ! 愛してるわ! でも今ごめんね、お姉さんあんまり余裕ないの! えーと、待てよ待てよ、考えろ考えろ考えろー」
馬車の外、流れる景色。
石畳の轍を車輪が回る、群衆が慌てて道を開けていく。
集中。馬車の音を遮断。目を瞑り、揺れ動く馬車内の光景を遮断。
考えろ。考えろ、事態がややこしくなりすぎている。
シンプルに、私のたどり着くべき答えを簡単に導け。
まず最優先事項は、竜殺しの安全の確保。今回の目的はなんとしてでも、竜の意向を護ること。
つまり、竜殺しのケツ持ちだ。それにはまず竜殺しの生命の無事が必要不可欠。
「ああああああ?! なんでもおおおお! よりによって、相手があの、ストルなのよおおおお! 騎士団長の肝いり、孤児院育ちの正義の兵器! 自分で考える力ゼロのクソガキじゃない! ほんとどういう教育してんだあの顔だけ女ァああ……… いや、違う。わざと? わざと必要な教育を受けさせなかったの? て、違う、聡明すぎて別のこと考えちゃうわ、かーっ、ツレー、頭良すぎるのもツレーわ」
そして第二は竜殺しの立ち位置の確保。これはある程度の道筋がみえている。
騎士派と揉めた彼はいわば反体制側の犯罪者となっている、それはまずい。
竜殺しを体制側の組織へ取り込む必要がある。
そして、それは問題ない。クリアするべき課題はあるが、不可能ではない。
「ふ、ふふ、権力とお金って、す、て、き。私こそが体制側なんだもの。うふふのふ」
「スヴィの嬢ちゃん、主教サマ、大丈夫だべか?」
「……大丈夫、主教サマは追い詰められるとこんな感じになる。でも、追い詰められた時の主教サマは誰よりもかっこいいから、私的には非常にあり…… ぶい」
「この親にしてこの子あり、だべな」
「だあああれが行き遅れの未婚の親よ! 私はモテないわけじゃないから! 私のステが高すぎるだけなのよ」
「まだだいぶ余裕ありそうだべな」
「主教サマ、素敵……」
「おっと、こっちは手遅れだべ」
「は?! いかんいかん、愉快な連中とお話ししてる場合じゃないわ。落とし所、落とし所…… 竜殺しは偶然だろうがなんだろうが、それでもあの竜を殺した男、ならすぐには死なない? いや、そもそもなぜ、第一騎士と竜殺しは敵対してるの…… 情報が足りない…… スヴィ?」
そう、あまりにこの状況の意味がわからなすぎる。
このままでは事前情報なしに、場のコントロールに臨まなければならない。
冗談じゃない、そんなもの装備なしで戦争するようなものだ。そんな装備で大丈夫か?
「はい、主教サマ、そろそろかと」
この事態を収めるために、クリアすべき敵は2つ。
ド低脳ドラフェチ脳筋集団、"教会騎士団"
私のストマックブレイカー&ポンポンペインの元凶、'"竜殺し"
「騎士団は余裕。赤ちゃんを説得する方が難しいほどに。余裕で言いくるめることが出来る。武力行使もスヴィ1人いれば護衛も十分………」
「厄介なのは、竜殺し。その目的も出自も不明…… でも、これまでの立ち回りから感じるのは、知性。感覚で動いているように見えて、その実、その恐ろしいまでのバランス感覚で立ち回ってる…… 確実に、厄介な敵ね」
勝利条件を仮定しろ。
必要なものは、相手への理解。
私の勝利条件はつまり、少しでも安く"竜殺し"を買い叩くことだ。
そうすれば、竜の意向には逆らわず、かつ竜殺しの行動をコントロール出来る、はず。
「あの竜の態度…… つまり、竜殺しの自由意志を尊重しつつ、かつ、彼のこの街での安全を教会が担保すれば、逆鱗には触れないはず…… 」
こちらの非を認め、事情を理解させ、利益を提示し、こちらへ引き込む。
ポイントはいかに、この利益を安く済ませるか。
頭ならいくらでも下げよう。
言葉ならいくらでも与えよう。
態度ならば、心ならばいくらでも捧げよう。
でもーー
「でも、金だけはいや、絶対いやよ」
ケチとか言うな。
「適正価格、予算内で必ず収めてやる…… 金だけはびた銅貨無駄にはしない。適正に買い叩かせてもらうわ、竜殺し」
ケチとか言うな。適正価格だ。
竜殺しと実際に話し、会って、見て、彼の価値は私が決める。
そこでもし、価値なしと判断すればどんな方法を使っても買い叩いてやる。
「説得、おそらく"竜殺し"は交渉を理解できる程度の頭はあるはず…… 問題はーー」
問題はある。
竜殺しの性格、目的。安く彼を買い叩くための戦術それを作るためのピースが足りない。
だが、それはもうじき届くーー
ああ、ほんと、私のスキル、使いにくすぎ。もっとシンプルな未来予知ならいいのに。
「失礼、主殿、隊長殿、指示通り、情報を集めてまいりました」
トッ、スル。
馬車の屋根から響く音、かと思えばするりと馬車窓から車内に滑り込む白い人影。
「ナイス! えらい! ナイスタイミング! さすが私の羽!」
「よーしよしよし、角砂糖あげますよー。何個ほしいんですかー?」
私は思わずガッツポーズ、スヴィはどこからか取り出した角砂糖を指の隙間に挟んで揺らす。
白い三角の耳、白い修道服、かわいいニャンコフェイス。修道服のケープからニャンコ耳だけが出るデザインにしたのはマジ私天才だと思うわ。
猫獣人のトッスルちゃん。私のお気に入りの審問会メンバーの1人。
既に白い毛と緑色の瞳、するりとした尻尾がチャームポイントの彼女に竜殺しの調査は任せてあった。
我ながら仕事出来すぎて、ワロタ。
「長殿、私は角砂糖は食べません。主殿、火急かと、情報お伝え申し上げます、まず竜殺しと第一騎士の衝突、これは本日のお昼前に起きた東門での騎士派所属の門兵殺害事件が原因です」
美しいハスキーニャンコボイスに私とスヴィがうふふと微笑みを浮かべる。
やっぱ時代はニャンコだわ。
「……東門、以前汚職の報告が上がってた区域ね。審問会による粛清対象に入ってなかった?」
ただ、ニャンコボイスにメロってる場合ではない、彼女の報告に私は以前上がっていた報告を思い返す。
「おっしゃる通りです。確認されているだけでも、低級の冒険者、その中でもこの都市に地盤のない地方出身者や仲間の少ない孤立しがちなものへの賄賂の強要、そして女性の冒険者へは性行の強要などを証明する証拠が出ております、つい最近も、王国より流れつき、冒険者となった女性への脅迫と姦通の痕跡が」
弱きを助け、強きをくじく。潔癖のきらいがあるトッスルちゃんのニャンコ目が細まる。
今回の死んだ門番たちの素行に思うところがあったのだろう。
「ふん、無能だけならまだしもクズまで備わるともはや粗大ゴミね。誰だか知らないけど殺してくれてせいせいーー 待って、もしかして、そゆこと?」
かっー、べー。全て、繋がってきた。
頭回りすぎるのも大概だわ。私は全ての点と点がつながり、それが線となり絵となる感覚を得る。
「そゆことがどうかはわかりませぬが、殺害事件の実行犯が竜殺しである、と騎士団は結論づけたそうです。"死"の眷属憑きである第7騎士の異能による調査でしょう」
「あのチート女ね。探偵でもしてりゃいいのに」
頭を回せ。既に必要な情報は得た。
恐らく事の発端は、竜殺しとあのクズ門番どもにある。
まずは竜殺しの性格のプロファイル。
常識がなく、イかれてる。うん、これは間違いない。竜を殺すような存在だ、まともなわけではない。
しかし一方で、あの侵略種、リザドニアンを手懐けている。スヴィからの報告ではかなり良好な信頼関係を築いているとのことだ。
「あのぼっち嗜好のくせに寂しがりの面倒臭い種族を相棒にしてる…… 物好きね。ま、嫌いじゃないけど」
奴らは人の好悪にとてもうるさい種だ。
温厚な癖にその裏側には種としての悪性をたぎらせている厄介な連中、それが少なくとも今のところ何の問題もなく竜殺しと共にいる。
「リザドニアンは人の性格の表裏にうるさい…… 童貞拗らせた40歳の男よりもその辺はうるさいはず…… つまり、竜殺しの本質に二面性はない、ていうこと?」
連中はしかし、悪事を嫌う。その癖に悪事を行うのに非常に適性がある厄い連中だ。
状況から考えてリザドニアンの価値観と竜殺しの価値観は似ていると理論づけていい。
法による秩序よりも、己の中にあるルールを守るタイプ。例えそれが殺人だとしても、己の中にある譲れないものを守るためには容赦なくそれを行うタイプだ。
そして、あの第7騎士が調査をしたということは=第7騎士のスキルを使わなければ特定が出来ないほどの巧妙な殺しだったということ。
「狩りに優れ、冷徹で残忍、しかしリザドニアンを惹きつける魅力もある。自分のルール、ああ、だから、あの時も、竜に……」
ピースがはまっていく。理解不能と思えていた竜殺し、その人格、人となりの辻褄が合っていく。
だが、まだ足りない。危険だ、この男は危険すぎる。本音を言えば始末してしまいたい。だがそれをすれば竜を敵に回すことになる。
理屈ではなく、感情が欲しい。
竜に言われたからでなく、私個人の意思として、竜殺しを抱き込むための納得が欲しい。
「……主殿、それともう一つ。鴉の情報です」
「は? あの忌々しい害鳥ども? 今あんな木端どもなんてどうでもーー」
「鴉にリザドニアンの冒険奴隷、及び黒髪の冒険者を探している動きあり。スラム街にて殺害された鴉の幹部、どうやらこれも竜殺しによる殺人の可能性が高いかと、そして数名のスラムの子供たちを竜殺しが連れ出している情報も羽先から伝わっています。……保護、といってもいいでしょう」
「ンでかした!! ナイス、ナイス情報! それそれそういうのよ、そういうのよ! 交渉材料ゲーっツ!」
素晴らしい。私は歓喜に思わず叫ぶ。あの忌々しい鴉ども、あの骨なしチキンと竜殺しは敵対している?
いや、もうオッケーオッケー、感情はクリアです。あの害鳥と敵対するのならつまりは、私の味方となりえるわけだ。
「イエス、イエスイエス、いける、行けるわ! その他なんやらかんやら含めても、竜殺しを抱え込むメリットが見えてきたわ! まあなんやかんや言ってもこれ以上の厄ネタなんてないだろうしい!?
竜殺しの人格、性格の予想図は出来た。
残忍、理性的、お人好し。
客観的に見れば相反し、矛盾しているその人格はしかし、当人の中では何一つ矛盾などしていない。
己の中に法を敷き、己の中に光景と基準を持つ人間。
他者にそれを強いることはせず、しかしそれが犯されれば牙を剥く獣の残忍。
他者を本質的には敵だと理解している、しかし敵ばかりではないということも知っている人の理性。
だが、恐ろしいのは、お人好し。
ここだけがわからない。リザドニアンと手を組んでいるのも、スラム街から子どもを連れ出しているのも、その行動だけ理由がわからない。
「どれもこれもリスクにしかならないはず…… 不気味ね、彼のものさし、あと1つ手がかりがーー」
「主教サマ」
「……ごめんね、スヴィ、今ちょーっと考え事してるから」
小さな呼びかけの声。私はそれを一旦かわし、思考の海へ。私の周りの信頼出来る部下はみーんな、少し頭が足りない。
いや、私にしてみればこの世界の人間は全て頭が足りないように見える。
お金への認識の甘さ、社会システムへの解釈の甘さ、そして何より"竜"という上位生物への理解。
そのどれもが、てめーら本気で脳みそついてんのか? と首元揺らしたくなる程度にはノータリンに見えて仕方なかった。
「……あの人ね、主教サマと同じ匂いしたよ。優しい人の匂いがした」
「ーーあ」
流されていることにも気にしないスヴィの言葉で、私の中の全てがつながった。
「ああ、そゆこと」
ああ、なるほど、世界が嫌いなタイプだ。世界に嫌われ、世界を嫌った人間だ。だが、決して絶望はしないタイプの人間だ。
この世は汚くて、人はクソばかりで、人生に意味はない。
けれど、それでもまだ諦めていない。そんな人間なのだ。
残念さも、理性も全て、弱さを覆い隠すための武器。
世界に抗うための武器でしかない。
その本質は、つまるところーー
「ーー私とおんなじね」
竜殺しは私だ。思考パターンが似ている。
「ふふ、主教サマ、いいおかお」
ごたん。
一際大きく馬車が跳ねて。
ぶるるるるる! 馬たちの声、わたしにもわかる、それは悲鳴のように聞こえた。
明らかに馬車の動きが精彩を欠きはじめて。
「しゅ、主教サマー!! お、オラの馬っこの様子がおかしいべ! 怯えちょる! こ、この先んなんがウマを怯えさせるなんかがおるど!」
同じく御者台から悲鳴に似た声。馬思いの彼のことだ。きっと馬車を止めてあげたいはず。うんうん、動物には優しくしなきゃ、ね。
「行きなさい! お馬さんたち! あなたのためじゃない! この私の保身のために!」
でも、わたしは残念ながらそういうタイプではないのだ。
働け、経済動物ども。
「め、めちゃくちゃだで! 絶対、今のセリフは説明せずに色々こじれるやつのセリフだで! ええい! もう行くしかねえべ!」
ぶるるん。
それでも馬車が進むのは一重にこの地方から見出した田舎っぺ大将の手綱の巧さだろう。
何かに怯える馬をそれでも、巧みに操り馬車は進んでいく。よし、OK、あとでお馬さんたちにはジンニンをあげよう。
「主教サマ! あれ! あの人です、それに、アレは……」
「トッスルちゃん、状況確認! あなたなら馬車の屋根から見えるでしょ!」
ナイスネコちゃんのトッスルが私の声に反応し、しゃなりと猛スピードの馬車の屋根へ飛び移る。
「承知! あれは、青空市場に竜…… 骨の竜?」
らしくない戸惑いの声。
「状況報告! トッスル!」
私は声を張り上げる。猫獣人のトッスルはヒューマンと比べ物にならないほどに目が良い、市場の状況を全て見回せるはず。
「は、ハッ! ご報告します! 青空市場にて、巨大な骨の、竜です! それに並び立つ黒髪の男! 第一騎士ストルの姿もあります! 向かい合って今にも殺し合いを始めそうです! え? そ、それと第7騎士クレイデアが、泡を吹いて倒れています、し、白目剥いてる……」
「はあ?! し、死んでない? 死んでないわよね?!」
「わ、わかりません! それと、露店の残骸に第4騎士クランが巻き込まれて」
「あ、そいつはどうでもいいわ。むしろ死んでて欲しいくらい」
ん?
骨? 骨の竜……………
あ、やべ。リザドニアンのフィードじゃん。それ使うほど追い詰められてる、騎士ストルがまだやる気まんまん……
「トッスルちゃんトッスルちゃんトッスルちゃん! 竜殺しは?! 黒髪の男! 生きてるわよね! 大きな怪我とかしてないわよね?!」
「い、いえ、首に掻きむしった傷がたくさん…… 第一騎士に殺された死体と同じような傷が竜殺しにも見られます!」
「がっつり殺しにいっとるううう!! え、てかそれ首吊りの剣の傷よね? なんで竜殺し生きてんの!?」
「あ、主殿! ストルが彼らに再び向かっていきーー」
トッスルの悲鳴に似た声。
走り抜ける馬車、馬の荒い息、揺れる車内。
限界にやばい状況の中、わたしは無意識にその名を叫ぶ。
「スヴィ!!」
この世界で数少ない信頼出来る人間の名前を、私の最強の愛しい道具の名前を。
「おまかせ」
猫獣人のみのこなしよりも更に、夙く。
黒い影が、馬車よりも速く。
都市を駆け抜け、石畳を砕き、そして第一騎士の元へ飛ぶ。
「"大主教令" 発令。寿命3年使用。止まれ、第一の剣」
無意識に使ってしまった奥の手。ああ、信じたくないけど、万が一にでもスヴィに第一騎士からの反撃がないような選択を取ってしまった。
さあ、どうする。
馬車は進む、市場に突っ込む。
教会戦力と殺し合い、やる気まんまんの竜殺しとその相棒。
利益? 理屈? 脅し? どうすれば殺し合いを止められる?
加速する世界の中、割と簡単に残り少ない寿命を使ってハイになってしまった私の選択は1つだった。
プライド? 銅貨一枚の価値を持ってから出直せ。
「土下座しかぬえ!!」
わたしはギリギリで倒れるのを避けれた馬車から転がるように飛び出た。
竜殺しが、骨の竜がこっちを、ぽかんと口を開けて見ていて。
さあ、ゴラ、見せてやるわ、私のやり方ってやつをね。
あれ?
急に飛び出たから? それとも緊張?
少し、吐きそーー
…………
……
…
〜天使教会総本山"大聖堂" 地下大浴場にて〜
かっぽーん。
竜大使館のものとはまた、異なる意匠の湯船。
プールに似た浴槽に、地下水を汲み上げて張られた湯水。
チベットスナギツネに似た顔の男は頭の上にタオルを巻いて。
傷だらけのトカゲ男は爬虫類特有の大きな鼻と口にタオルをかけて。
「……いい湯だな」
「……ああ」
男2人で湯船にどぼり。
ここは、天使教会総本山、大聖堂の浴場。
賓客向けにあつらえた豪華な浴場は、シックな黒い石で作られ、絶えず床は新鮮な水がどこからか湧き出ている。
「……なんか、こういうの入ってたら全てどうでも良くなるよな」
泉質は透明、かつまろやか。水源が豊富なのだろう。案内してくれた白い猫の獣人シスターの話曰く全て驚くことに掛け流しらしい。
遠山がまろやかな湯に身体を委ね、隣のラザールへ声をかける。
「……ああ」
茹でトカゲになりつつあるラザール。体には生傷が絶えないが、それも既に塞がり始めている。
爬虫類すげーな、遠山は湯気を深く吸い込みながら呑気な感想を抱いた。
「……疲れてる?」
「……蕩けそうだ」
「最高のコンディションだな」
短い会話、耳をすませば豊かな湯の流れる音。
流れ、砕け、満ちて、流れる。
温泉の音は生命を豊かにしてくれる。
「……で、次はどうする? 完全に湯まで浸からせてもらってしまったわけだが」
茹でトカゲこと、ラザールが大きく息を吐きながら、遠山へ短く問いかける。
「あー…… まあ、色々話し合いの余地がありそうだよなあ」
そう、あの後、あの衝撃のゲロ土下座のせいで完全にテンションが落ち着いてしまった遠山とラザールは、馬車に乗せられ、この場に連れてこられていた。
「ナルヒト、まったく、きんちょうかんが、ないな…… これも教会のわなだったらどうする…… あー、いきるのたのしい」
やけに腰の低い糸目の女と、面識のある聖女からまずは汚れと疲れを落としてはどうかと提案を受けたのだ。
いや、アンタが先にゲロ落とした方がよくね? と言う言葉が喉まで出かけたが、なんとか我慢した2人だった。
「今のお前に緊張感とか1番言われたくねえよ、茹でトカゲ」
訳の分からない状況ではあるが、ニホン人特有の温泉欲には逆らえず、そしてラザールも温泉と聞いて目の色を変えて頷いたおかげで、この状況にたどり着く。
殺されかけた勢力のお膝元で呑気に温泉。
しかし、割と図太い2人は大してその辺は気にしていない。面倒な駆け引きよりも、目先の温泉。
「しかた、ないだろ。暖かい湯と豊かな湯気は、我らの祖たる"歯"も大好物だ。歯の言葉通り、風呂には全てが宿るとされてだな……」
それこそが、生きるということなのだ、という雑な結論で自分達を誤魔化し、今に至る。
「種族単位で風呂好きなのは、お互い様か。あー、この後話し合うとか、駆け引きとかしたくねー。めんどくさー」
「もうその辺、任せていいか? もう一生ここにいたい」
「アホ、お前もくるんだよ、ラザール」
「……ああ、わかってるさ、ナルヒト」
湯の音だけが、広がる。
少しの沈黙、しかし流れる豊かな水の音が静寂を寄せ付けない。
「こんなに良い浴場があんなら、サウナもあったらいいのにな」
「さうな? なんだそれは?」
「………え? 待て、こんなに温泉施設あんのにサウナもしかしてないの?」
「初めて聞いた名…… いやまて、王国の歴史書で見かけた記憶があるな。湯を使わず、熱で体を温める温室だったか?」
「んー、微妙にズレてるがそんな感じ、え? 待て、歴史書ってことはもしかして、今はない感じ?」
「ふむ、確か、大戦中に突如現れた"ダイミョウ"というヒューマンが各地に奇妙な温室を作って旅をしていたとか、そんな伝承は残っていたような…… 今は滅んだ北の大陸の亡国から流れてきた……とかなんとか」
「嘘だろ、この文化体系でサウナが生まれてない? まさか、ラザール、帝国って、地下水とか火山とかめちゃくちゃある国なのか?」
「ああ、妙なことを聞くな。 だがその通りだ。竜界の影響を強く受ける国土だからか、魔術師の話では帝国近海の海の底にも火山が多数あるとのことだ。まあ、炎竜が初代皇帝と共に興した国だ。源泉が豊富なのもそのおかげかもな」
「水が豊富すぎて、サウナの必要がなかった? 蒸し風呂より源泉流す方が楽とか? マジかよ…… もしかして、帝国って雪降らないのか?」
「む? そんなことはない。中央や北部では早霜の月になれば道は凍るし、雪は降るぞ?」
「オーロラとか見える土地は?」
「オーロラ? はて?」
「アホみたいに寒い土地があるわけじゃないのか。そうだよな、雰囲気似てるとはいえ、同じ文化そのままあるわけじゃないよな……」
「まあ、何を気落ちしてるが知らんが、湯をたのしめよ、ナルヒト」
くだらない話を湯の湧き出る音ともに繰り返す。
遠山は喉の掻き傷が染みる感覚に目を細めつつ、息を吐いた。
「……ラザール、まあ、なんだ、その心配かけたか?」
「……ああ、思わず2度と使わないと誓っていた切り札まで使ってしまうほどにはな。……この都市ごと全部壊してやろうと思ってたが、あれだな、教会騎士恐るべし、だ。あのまま続けてたら、間違いなく死んでたよ」
2人は目を合わせず、言葉だけを交わす。
互いに黒い天井を肩まで湯につかり、ぼーっと眺め続けた。
「お前あんなドラゴラムみたいなん、ずりーよ」
「いい男は変身するものだよ、ナルヒト」
「その理屈だと俺も変身できて然るべきだとおもうんだけど」
「………………?」
きょとん、ラザールが首を傾げた。
「てめ、無表情のトカゲみたいな顔で首傾げてんじゃねえよ」
「トカゲ男、だからな」
「タコ、違うだろ?」
「む?」
「リザドニアン、だろうが」
かぽーん。
ラザールが目をぱちくり。タオルを尖った鼻と口の上に載せ直し、そしてでかい口をにいっと吊り上げた。
「ふ、そうだな。その通りだ。なあ、ナルヒト」
「あ?」
「いい湯だな」
「ああ、ほんとにな」
男2人。敵地にて、呑気に風呂に浸かる。暖かい湯気を呼吸で取り込む。
流れる湯を皮膚で感じる。
ああ、たしかに2人は生きていた。教会騎士を相手取り、正義を乗り越え、死を躱し、追跡を食いちぎり、生きていたのだ。
ピコン。
【メインクエスト開始】
【クエスト名 "同胞の選択"が開始されます】
【クエスト目標、あなたの滅ぼすべき敵を決める】
【オプション目標
天使教会最高指導者"主教"カノサ・テイエル・フイルドとのスピーチ・チャレンジを成功させる
※相手の知性値があなたの知性値の2倍以上です。達成は非常に困難でしょう、技能やヒントを活用しない限り達成は不可能でしょう】
湯気にまみれて浮かび上がるメッセージ、遠山はチベットスナギツネに似た虚無顔を浮かべて、湯船から立ち上がる。
「……よし、じゃあ、もうひとふんばり行きますか」
「働き者で涙が出るよ、ナルヒト」
茹でトカゲがおどけて、涙を拭って。
「うるせーよ」
交わす軽口、ああ、2人はたしかに冒険者としての初日をなんとか生き延びていた。
読んで頂きありがとうございます!ブクマして是非続きをご覧ください!
<苦しいです、評価してください> デモンズ感




