38話 ラ・ザールと遠山鳴人
「もう1人は?」
「は! 先ほど、第7騎士クレイデア様、及び第4騎士クラン様によりその身柄を捕縛! こちらへ連行中とのことです!」
ストルの短い問いかけに、現れた部隊の男が答える。
「その情報、遅いものだな」
「……クラン、ディスか」
「やあ、ストル殿、おや、どうしたんだい? らしくなくあまり元気がないように見えるが」
部隊を率いていた銀髪碧眼の美青年。第4騎士クランが微笑みながら、ストルへ声をかけた。
「……別にそんなことないディス。あなたは逆に、竜に焼かれたというのにお元気そうで何よりディスね」
皮肉たっぷりにストルがつぶやく。今はこの男とまともに話す気にはとてもなれなかった。
「ははは! 当然だとも! あの瞬間、僕と蒐集竜様は絆で結ばれていた! 私だけに向けられたあの炎はまさに、蒐集竜様からの愛というわけさ! 私がしんでいないのが何よりの証拠!」
10剣の中でも特に竜への執着が強いこの男。
この男はつい先日、竜の巫女の不興を買い、死にかけていた。そんなことおくびにも出さずに髪をぱさり整えつつ、きららと笑う。
「……聖女がその場にいたからディスよ、あなたが死ななかったのは」
「ふ、君が妬くのも分かるよ。"竜殺し"などという下賤な奴隷のお陰で私も苦労しているものだ」
うんうんと頷きながらクランがつぶやく。竜殺しという言葉を語る瞬間、声が低くなっていた。
「竜、殺しディスか」
そう、竜殺し。騎士の間で持ちきりの奴隷の名前。
黒髪、茶眼の帝国東部の人種らしい。今しがた手にかけた男と全く同じ容姿なことに少しストルは言葉を濁した。
「ストル!! よかった! 無事なのね!」
遅れて馬に乗ってやってきた細身の女騎士が相好を崩した。
「クレイデア! 貴女も…… よかった お怪我は?」
「ええ、問題ないわ。かなりの手練れだったけど。クランが途中で参加してくれなければ、逃してたでしょうね」
馬を撫でて諌めつつ、するりと下馬するクレイデア。
「ははは、クレイデア。そう賛美されると私も恥ずかしいですよ。まあ、罪人にしては特異な才能の持ち主でしたが、我が剣の追撃からは逃れません出したねえ」
クレイデアはクランの言葉を無視し、馬のお尻のあたり手足を拘束され、荷物のように載せられていたソレを肩に担ぎ、ゆっくりと地面に下ろした。
「う……… こ、ここは。くそ…… 逃げ切れなかったのか」
ほこりに塗れ、切り傷や生傷が目立つ。
手足を後ろ手に縛られた罪人、ラザールだ。気絶していた状態から目が覚め、自分が捕縛されてる事態を理解した。
「トカゲさん……」
「チッ、こんな形で再会するとはな…… 待て、ナルヒトは? ナルヒトも捕まったのか? アンタが無事ということは、逃げたのか? 逃げ切れたのか?」
小さな声でつぶやく少女の騎士。第一騎士ストルにラザールが問いかける。
辺りは教会騎士が集まり、しかもそのうちの3人は10剣の連中、簡単に出し抜ける相手ではない。
だが、トオヤマナルヒトがいるのならどうにかなる。
ラザールはたった2日ほどの付き合いであるはずのその男の実力を既に信用しきっていた。
「…………」
スッと、ストルが視線を外した。
嫌な、予感がした。王国時代、いつも悪いことが起きる時と同じ空気を感じて。
「ストル様、罪人の遺体の確認が終わりました。死んでいます、呼吸も瞳孔も開ききっております」
「…………………………………は?」
ぽかん、口が開いた。
「……クラン、彼を押さえてください」
「む?」
ストルの小さな言葉、クランが目線を向ける。
「うそ、だ」
目を凝らす。
見えてしまった。騎士達に囲まれる中、石畳に仰向けに倒れている何かを見た。
「うそだ、おい…… なんだ、これ…… はは、なんだこれは…… どうして……」
そのあつらえの良いローブ、そして奇妙なつくりの履き物。それを着ている人間をラザールは1人しか知らない。
「ふん、おい、君、トカゲを抑えたまえ。悪いが、これ以上鎧を汚したくないのでね」
クランがラザールに触れることを嫌い、部下の1人に命令する。
「は! おら、立て! トカゲ! 手間をかけさせるなーーっ」
地面に座り込み、ただ一点、動かない人の遺体を眺めるラザールを立たせようと、騎士の1人がその肩を掴んでーー
ぱきん。
こてん。
騎士の施した拘束を神業の速度で解き、肩を掴んだ騎士の無防備な顎へ裏拳をかます。
崩れる騎士を尻目に、ラザールが駆け出した。
「ナルヒト!??!」
逃げるのではなく、友の元へ。
「く、この!? トカゲ!!」
「動くな! それ以上近づくのなら!」
騎士が色めき立つ。剣を抜き、死体への道を塞ぐように隊列を為してーー
「邪魔だ」
「「「あ!」」」
どろり。ラザールが影に溶ける。
騎士たちを簡単にすり抜け、すぐにたどり着いた。
「ナルヒト! 俺だ! ラザールだ! 頼む、たのむから起きてくれ! おい、嘘だろう! これからじゃないか! ようやく、ようやく始まったのに! なんで、なんでアンタが……… 何故だ!!」
ああ、くそ。やはり、倒れているのはトオヤマナルヒトだ。
揺さぶる、その肩を。
叩く、そのほおを。
しかし、遠山鳴人は全く動かない。
「あ……」
開き切った瞳孔の上を、小蝿が歩いていた。
パチパチと叩いたほおは恐ろしいほど冷たく、硬くーー
「………………あ、ああ、いやだ、いやだ、そんなの。ちくしょう、なんで、いつも…… いつもこうなる……」
死んでいる。
生きていない。ラザールはそれを理解してしまった。
「この、トカゲ!」
呆然とするラザールが、地面に叩きつけられる。
石畳に打ち付けられる身体、しかし痛みも感じない。
「おーいこらこら、君たち、殺してはだめだよ、適度に痛めつけておいてくれたまえ」
「はっ! この、離れろ! 薄汚いトカゲめ! そいつはもう死んでるんだ! 我ら教会騎士に刃向かったものがどうなるか、よくわかっただろうが!」
地面に倒れたまま、腹を蹴られた。
「ぐう?! う……」
「オラ! クラン様の慈悲に感謝するんだな、お前たちのようなクズ、本来なら全員その場で切り捨てるのが当たり前なんだから、な!」
「ごぼ!? ……く」
次は首を蹴られる。
「おー? なんだ、その目は? その罪人はもう死んでるんだ、終わってんだよ。賢くなれよ、リザドニアン、おら、大人しくしろ」
集団にたかられ、殴られ、蹴られ、地面に叩きつけられる。
1人の兜をつけていない騎士がニヤニヤしながら、しゃがみ込みラザールを笑う。
何も言わない、悲鳴もあまりあげないリザドニアンを面白がって騎士が痛めつけ続ける。
「……我らリザドニアンは、友の亡骸を獣どもにくれてやるような行いは絶対にしない。薄汚いのはどちらだ、その下卑たツラ、貴様らの腐った魂が透けて見えるぞ」
暴力のはざま、ペッ、とラザールが唾を地面に吐き付けた。
「「「「……………………」」」」
一斉に黙り込み、無言でラザールをなぶり始める教会騎士。
「ぐは?! ぐ、ぐううう」
「しね」
「我ら教会騎士を愚弄するクズめ」
「しにくされ、罪人」
なんと、誇り高い姿だろう。友の亡骸を守ろうとする瀕死の男を完全武装、多人数で囲み殴り、蹴り、痛ぶる姿は。
なんと薄汚い顔だろう。兜に包まれたその顔には弱者を虐げる愉悦が滲み出て。
「ち、ちょっと、クラン、やりすぎよ! 死んでしまうわ!」
クレイデアが流石にといったふうに焦りはじめた。
その声に、第4騎士、クランが肩をすくめて首を傾げる。
「はて、だがね、クレイデア殿。アレは今、我ら教会騎士を愚弄したのですよ。彼らの誇りに唾を吐きかけたのです。あの程度の制裁は権利でしょう? まあ、これで死んだら、希少な眷属のスキルが失われますからね、程々のところで止めますよ」
顎を撫でながらクランが軽薄な笑みを浮かべる。殺しはしないが助けるつもりも毛頭ない。
部下のガス抜きにちょうどいい、その辺にしか考えていない。
「クラン」
「はい? なんでしょう、騎士ストル」
「今すぐ、彼らを止めなさい」
「はは! どうしたのですか、ストル殿、貴女まで。先程の私の話、聞いてーー」
端正なクランの顔が、引き攣った。
隣にいる自分より頭3つ小さい、見下ろすサイズしかない小柄な少女の顔を見た瞬間に言葉がつまる。
天使教会第一騎士、その怒りが自分に向けられていると理解したからだ。
「2度、言わせないでくださいディス…… 私は、あなたにあのリザドニアンを抑えろと伝えたはずディスが」
「ひ……… 、や、やだなあ。そんな怒らないでくださいよ、は、はは。おい! 君たち、ストップだ、やめたまえ! その罪人は教会裁判にかけたのち、眷属の寵愛を回収する必要がある!」
「は、は!! クラン様!」
「ケッ、命拾いしたな、クズトカゲ」
「自分が眷属憑きなことを感謝しとけよ」
「…………………」
ボロ雑巾のように地面に倒れ伏すラザール。
服はボロボロ、身体には血が滲み、爪は折れた。
噛み締めるキバにもはや力はなく、冷たい石畳に全身を預けるのみ。
ああ、ここでもそうなのか。ここでも、奪われるのか。
いつも、そうだった。いつも、こうなった。自分が何をしても運命は変わらない。
「…………もう、疲れた」
希望と絶対はいつも簡単に入れ替わる。遠山鳴人という異物との出会いは、ラザールにとって希望そのものであった。
だがその希望は死んだ。終わったのだ。彼と共に見た夢も、未来も、全て終わってしまった。
「…………ナルヒト」
同じ石畳に斃れる仲間を見る、首には無数の掻きむしった痛ましい傷跡、顔は真っ青に膨れ上がり、目は見開かれ、血の涙の跡が痛々しい。
苦しんで、死んだのだろう。もう、彼は動かない、喋れない。
「ん、んん? 君、少しどきたまえ。その罪人の顔が見たい」
クランがふと、首をかしげた。
「は、は! このトカゲでしょうか?」
ぐいっと、倒れ伏したままのラザールの首もとを雑に騎士が掴む。
「違う違う、そのリザドニアンの顔はもう見飽きた。そこの斃れている罪人だ。黒髪……の男だよね」
「は! 帝国には珍しい黒い髪です。なにか?」
騎士の問いかけを無視して、長身の騎士、クランが斃れている男の死体を見下ろす。
酷薄な色、緑色の瞳がその死に顔を写してーー
「………ぶふっ!」
噴き出したのは、笑い。
「騎士クラン?」
「ブフ、ふふふ、フフフフフフ、アハハ!! まさか、おお、天使よ。ああ、貴方はやはり最高だ。ああ、そうだ、そうだろう、そんなわけがなかったのだ」
ストルの問いかけを無視して、クランが笑い続ける。
それが誰なのか。斃れている罪人が誰なのか、クランだけは知っている。
あの時、竜大使館にいたこの男だけは、遠山鳴人が何を殺した存在なのかをよーく、覚えていた。
「おっと、失礼しました。いえいえ、なんとも。罪人の死相があまりにも滑稽で。いえ、さすがは"正義"と首吊り、2つの天使からの贈り物を赦された我ら最強の剣。第一騎士にかかれば、まあ、こんなものでしょうね」
それを誤魔化し、クランがニヤニヤと笑う。
その視線は次に、ラザールへと向いた。
「……お、お前……」
笑った? 笑ったのか、この男は?
何が、そんなに面白くてーー
がしゃ。
クランが、しゃがみ込む。
そのまま、地面に倒れ伏しているラザールの耳元に口を近づけて、ささやいた。
「ああ、なるほど。報告にあったリザドニアンの冒険奴隷とは貴様のことか。ふふふ、ざまあみろ、身の程知らずども。……無駄な努力ご苦労様」
男の嫉妬ほど、醜いものはない。
あの場で竜の関心を獲得したであろう竜殺しを誰よりも憎んでいたのはこの第4の騎士であった。
「う、あ」
悪意が微笑む。
ラザールのボロボロの心はもはや悪意に立ち向かう気力はなく。
満足そうに鼻歌を歌いながら去っていく男をただ、見送るのみ。
こんなとき、奴ならどうするだろう? ふと、思うのはもう亡くなった友の顔。
ああ、なんだっただろうか。
彼が困難や敵に臨むとき、いつも口ずさんでいたそれ。
しかし、絶望の中にいるラザールにはもうその言葉はーー
「……はは、もう、思い出せないよ、ナルヒーー」
諦めと絶望は仲が良い。
もういい、疲れた。とても疲れた。終わりたい。
目を瞑ろうとする。あまりに辛いことが多すぎた。あまりにこの世界は残酷で悲しすぎた。
ラザールはもう、それに怒ることも抗う気力もなく。
全部諦めて、全て投げ出してーー 楽に。
《うめえな、好みの味だ。甘さ控えめで健康的、ライ麦か?》
《お前のその夢、俺の欲望と、とても相性が良い》
「……………あ」
それなのに、消えない。彼と初めて出会ったときの声が。彼から貰った言葉だけが、消えてくれない。
全部諦めたいのに、投げ出したいのに、それだけがラザールの胸に、心に今も、爪痕のごとく残り続ける。
"拡大する自我"は、確かにラザールへ託していた。
「……………………ナルヒト」
その時、ラザールはそれを見た。
遠山鳴人の右手を見た。
「…………はは、アンタらしい」
それを見て、こぼれたのは笑いだ。
地面に仰向けに倒れ、瞳孔は開ききり、顔に生気はなく、呼吸もしていない。
しかして、なおその手に握られたままのそれ。
武器。人が敵に立ち向かうために生み出したモノ、叛逆の意思、立ち向かう意思、敵を殺す、己の邪魔をするモノを始末するための道具。
それを、死してなお遠山鳴人は握り続けていた。
それだけで理解した。
ああ、遠山鳴人は、最期のその瞬間まで遠山鳴人で在り続けたのだ。
そうだ、奴はいつも、絶望の中で
ーーのままに
「…………ヒヒヒヒヒヒ」
喉が引き攣るような笑いは、ラザールの出した声だ。
ラザールの目に光が戻った。
ああ、そうだな、ナルヒト。思い出したよ、アンタの口癖。
ーー好きに、やってしまおう。
ソレが目覚める。
「よし、それじゃあ連中を運ぶっーー」
ラザールと遠山に背を向けて、クランの言葉を聞いていた騎士達。
その1人が振り返る寸前、石畳からラザールが跳ね起きた。
「ーー動くな」
1000年封印された、雪国の井戸の底から届いたような、冷たい声。
「ひっ」
短い悲鳴は、誇り高き天使の剣から漏れ出した。
「わかるだろう、鎧の隙間から影の牙が貴様の喉笛に触れている」
影の牙が、目覚める。
影がまろびながら、騎士の背後をとる。
分厚い銀鎧に包まれた教会騎士の鎧の隙間から、どこからともなく取り出した黒い短剣を喉笛に突きつけていた。
「は?」
「お、おい」
あまりの早業、あまりの隠形。あまりの業。
遅れてその場にいる人間は理解した、つい先程まで虫の息の筈だったリザドニアンが、一手で場の主導権を握ったことを。
騎士の首に影の短剣を突き立て、盾にするラザール。
縦に開いた人ならざる瞳が、天使の剣たちを睨みつける。
「動くな、だ。2度も言わせるな。そこのアンタ達もだ。お仲間の首が胴体とサヨナラしたいところを見たいというなら、話は別だが」
「ひ、ひいっ」
「口が臭い、しゃべるな。慄くのも耳障りだ、次、喋れば貴様はもういらない。人質なら、お前じゃなくてもいいんだ」
その口調、その表情、それは遠山鳴人と出会って時のラザール、パン職人を目指して、己の過去を悔やむラ・ザールではない。
古い血と古い約定、人類の救済システムの生産地、そして"終わり"が眠る土地、"王国"の暗部に潜む最優のウエットワーカー。
「影の、牙…… あなた、まさか、王国の……」
「ああ、お嬢さん。お望みとあらばいつでも、我が業、お見せしよう」
ストルへおどけながら、答えるラザール。
目は全く笑っていない。
「や、やめなさい、冷静になって。"死"は貴方まで指差していなかったわ。今、ここで罪を重ねるのはよして。お願い」
クレイデアの懇願する声は、しかし影の牙には届かない。
天使の騎士、全員が彼女の持つ善性のカケラでも兼ね備えていればラザールはもしかすると降っていたかも知れない。
だが、その道はもうなく。
「無駄ですよ、クレイデア殿。ご覧よ、あの目。アレはもう呪われた魂の目だ。いいじゃないか、リザドニアン。君の影と、私の剣、どちらが正しいか比べてみるのも一興だ」
愉快げにクランが嗤う。その心にあるのは暗い嫉妬と、甘い憧憬。
故に影の牙とは決して相容れない。
「正しい、正しいだと? 恥知らずどもが。貴様らのうち、誰一人として正しいやつなぞいるものか」
クランの言葉に、ラザールが笑いを噛み殺して吐き捨てる。
言葉だけでここまで吐き気を催すのは、ラザールにとって初めてだった。
「天使教会を侮辱する、かい?」
「ああ、ヘドが出るよ、ヒューマン。貴様らのその二枚舌には本当に吐き気を催す。表面では平和と誠実を謳っておきながら、その内面は下水道の淀んだ汚水よりもひどい饐えた悪臭そのもの、自らの醜さを表面の輝きで固めた貴様らほど醜い生き物はいないだろう」
「……口が過ぎるな、罪人」
「は! 罪人! いいだろう、その通りだとも! 俺は所詮、薄汚れた罪人だ! 罪を犯し、人を傷つけることでしか生きる術を見出せなかった罪人だ! だがそれは貴様らも同じだ! 門番ども、あの下卑た笑い声の持ち主ども! 奴らが何をしていたか知っているか?!」
人間が嫌いだ。言ってることと思ってることがまるで違う。
なのに、それを前提として群れて生きるソレが今は気持ち悪くて仕方ない。
「……っ、クラン様、罪人への制裁のき、許可を!」
ラザールを取り囲んでいた数人の騎士が、何故かびくりと身体を震わせた。
まるで、何かを焦るように。
「そうだね、まあ、人質の彼は、仕方ないか」
顎を撫でつつ、クランが笑う。軽薄な笑いはどこまでも鼻につき、どこまでも冷たい。
「ひ、ク、クラン様」
見捨てられたと理解した騎士が情けない声を漏らした。
「チッ」
コイツは間違いなくやる。人質が通用しない。それを理解したラザールが男を蹴飛ばそうとしてーー
「待て」
少女騎士の声が、場の展開を止めた。
強者にとって、盤面の流れは乗るものではなく作り出すものに過ぎない。
「……っ」
「ストル殿、困ります。あまり罪人にペラペラ喋らすものでもないでしょう。ほら、市民たちの目もありますので、ね」
たはー、額にぺしりと手のひらを当てて大袈裟にクビを振るクラン。
「興味がありますディス、リザドニアンさん。門番たちがなにをしていたって?」
それを無視して、表情を変えずにストルがラザールへ問いかけた。
「は! 騎士様はご存知ないだろう! 連中は冒険者の中でも力の弱い、立場の弱い者へ補償金だか手数料だか知らんワイロの強要、それを払えない女の冒険者へはその他の方法で搾取をしていた! 少し調べればわかるだろうさ、見るからにマヌケヅラが揃っていたからな!」
声を荒げるラザール。
遠山が手を下したクズの顔がまだはっきりと残っている。
「き、貴様! て、ててて、適当なことを言うな! クラン様、処理のご許可を!」
「そ、そうだ! それ以上の愚弄、ゆ、許せん!」
明らかに、色めき立つ何人かの騎士達。
"拡大する自我"は、ラザールにその閃きをもたらした。
彼がこの場にいたなら気づくであろうことを、またラザールも気付くことができた。
「ははは! これは面白い、そこの雑魚ども! これは、もしや、お前らも奴らの悪事に噛んでいたな? やけに饒舌、しかもこいつの心音が今大きく跳ねたぞ! 三下ども、正義が聞いて呆れるわ!」
ハッタリだ、鎧の奥の心音など聞こえるものか。
だが、その言葉、"舌"から生まれた毒はきちんとこの場において機能した。
遠山鳴人と同じように、ラザールが言葉を操り、世界に挑む。
「で、デタラメです! クラン様、こいつ、追い詰められたからデタラメを!」
「ふうん…… うーん、まあそうだろうけど、ねえ。ストル殿、ほら、貴女なら判断出来ますよね?」
その毒はきちんと、まわり切っていた。
「"正義"」
言葉も、確認もなく。
第一の騎士がその機能を発揮する。正義の問答は例え、教会に仕える騎士であろうとも逃れることはできない。
「は、ひ、これが」
「第一騎士、正義……?!」
「『質問に、はいか、いいえで答えよ。汝ら、罪人たるか?」』
「……一応伝えとくけど、貴方たち、ストルの正義に虚偽は通用しないわよ。……ストル、残念だけど彼の言うことは真実みたい。"死"が教えてくれたわ」
「ひ、ひ、ひ…… ち、違います! お、俺たちはやめとけって言ったのに!」
「そ、そうです! お、俺たち騎士と、あのトカゲどちらを信用なさるんですか?」
「『答えられないのなら、汝ら、罪人なりて」』
「ひ」
「び、ぎ!」
「ひ、あ?! う、うぶ」
正義の裁きは平等に下る。
首吊りの剣が教会騎士の何人かを吊り殺す。
「……あらら。これは残念ですねえ。教会騎士ともあろうものがほんとに不貞を働いていたとは」
「…………どちらが正義かわからないディスね、これでは」
「あ、あ、ああ、お、お助け……っ!!」
ラザールの盾となっていた男もまた、吊られて死んだ。
正義は、罪人を決して逃さない。
「……っ! どういう風の吹き回しだ」
「勘違いなさらないように、リザドニアン。……私の存在意義は教会の剣、天使様の教え、正義に反する存在への罰。それはたとえ騎士であろうと関係ありませんディス、私の役割を果たしたまで」
「……そうかい、その冷静さを少しでもナルヒトに分け与えてくれたらよかったよ」
「……私は私の正義を執行するまでディス」
「はは、そうかい。なら、俺も同じだ」
「ストル殿……」
「ええ、わかっています。これが最後の警告ディス、リザドニアン。たとえ彼らが罪人であれ、貴方達が教会に牙を剥いたことは事実、大人しくするのであればーー」
「タコどもが」
ラザールの言葉が、正義の言葉を遮る。
普段の紳士的な口調ではなく、それは彼の友、今は亡き友の口ぶりと酷似していた。
「誰がお前たちのような不愉快な正義に従うものか。俺は決めた、俺は決めたぞ。俺は2度と諦めない、俺はもう屈しない。連れて帰る、彼の遺体は必ず俺が連れて行く」
"拡大する自我"、例え本人が死のうともそれは滅ばない。
完成されていない、他者を必要とするが故に、また他者も遠山鳴人を必要としてくれる。
死んでも死なない、しんでもしなない。それは受け継がれて、なお拡大するのだ。
「欲望のままにーー 俺は、俺の求める場所へ必ず辿り着く」
その在り方は人を侵す、その在り方は世界を歪める。
不滅にも似た自我、それは■の在り方にも似ていて。
「約定をここに」
ラザール、いや、リザドニアンの祖たる"大いなる歯"。
隠された歴史の中でのみ存在するそれら。その中の一つ。
"歯"と呼ばれるナニカが、彼らリザドニアンを作りたもうたその時に与えた機能。
「……これは、なんだ?」
「お、おい、何か、何かまずい、これ」
生き残った騎士達、悪事に手を染めていなかった純粋な騎士たちが慄く。
目の前の罪人から感じる圧を彼らもまた、知っている。
教会騎士の最優、到達点、"10剣"。"竜"をはじめとする上位生物への対抗手段として用意された彼ら極点の存在。
それと同じ"圧"を取るに足らないはずの罪人から感じとり。
「某はもはや亡く、"光"もまた亡く。"腕"により終わりし世界、恐るべき人により終わりし我ら、しかしてここに証を残さん。我が残りし証をここに」
ぺき、ぺき。
ラザールの身体が変わっていく。
皮膚が溶け始め、鱗が剥がれる。剥き出しになる爬虫類の骨格、まるで骨の竜、剥き出しの歯。
「ほう、へえ。初めて見ましたね。リザドニアンのフィード"歯の尖兵"でしたかね?」
「濃い死の香り…… そういうこと、ね。1人1人の死を種族全体で共有し、力に変える。これが、侵略種、リザドニアンの本気……」
「"竜"に近い種族、いえ、竜の眷属たる存在というわけディスか」
「フローリア、力を貸せ。アンタが俺を愛してるなら、全てくれてやる」
ラザールの本領はここからだ。
種族全体が使えるその先祖の力、そこにさらに加わるのはラザール個人に与えられた力。
[…………クス]
微笑みかけるのは悪事の女神、天使の眷属、その名はフローリア。
どこまでも純粋で、どこまでも不運、そしてどこまでもお人好しの男にその祝福を授ける。
「おっと、まずいですね。フィードと眷属憑き、両方の存在でしたか。……惜しいな、殺すのが」
「……残念だけど、危険、すぎるわね」
「……第4騎士クラン、第7騎士クレイデア」
「「はっ」」
「教会法8条 "眷属憑きの天使教会総本山付近での武力行使"を確認。全副葬品、全スキル、全秘蹟、全戦力の解放を、第一騎士ストルの名のもとに許可しますディス」
「「お言葉のままに」」
[「あ、アアアアアアアアアアアアア!! つれて、カエル! ナルヒトに触れるナ! ミズウミに、ツレテ、カエルゥヴヴヴヴヴヴヴヴヴ!!]」
友の亡骸を護るは、先祖の姿に、影を纏う異郷の牙。
生きる意味を見失い、帝国に流れ着いた彼はしかし、強欲と出会うことにより生の意味を見つけてた。
例え、友が死んだとも、消えたともその思い出は消えない。
友情とは時が育むものではない。互いの心が育むものだ。そこに時など関係ない。
見よ、その異形。肉も鱗も皮も爛れ、骨が剥き出しのその姿。拡大する骨の姿勢は四つ足に変わり、どんどん巨大になっていく。
骨ゆえに頼りない部分に、影の肉が象られる。見よ、その姿、竜に足らず、しかしもはや尋常の生命からかけ離れるその姿。
影の牙、その本領、リザドニアン、侵略種。かつて大戦時に7つの国を滅びした恐るべき種族。
「[オオオオオオ! おオオオオオオ!!」]
彼が吠える、それは亡き友への鎮魂歌。
「ひ、ひい……」
「り、竜、竜だ、竜が出た!」
「うそだろ」
遠巻きに見ていた観衆が蜘蛛の子を散らすように消える、教会騎士達もその多くが戦意を失い尻餅をつく。
影を纏いし、骨の竜、歯の眷属、リザドニアン竜形態、出現。
「ふふふ、あはは。これはちょうどいい。竜殺しを守る竜もどきか。いいですね、興が湧いてきました」
「騎士クラン?」
「手出しは無用。あれは私の獲物です。副葬品、起床、追え、"猟犬の剣」
一歩前に踏み出る美丈夫、第4の騎士クラン。その手に握る細い剣、ヤイバはなく、ただ剣先は針の如く。
レイピア。帝国においては貴族の儀礼用の美術品としての側面が強いその武器を、クランが握る。
「ふふん、覚えているだろう? 我が"猟犬の剣"は貴様の薄い影を貫き、どこまでも追い詰める。貴様と私はどこまでも相性が悪いのだよ」
そう、もしラザールを追ったのがクレイデアだけであればラザールは逃げ切れていただろう。クランの副葬品、猟犬の剣の斬撃はどこまでも、どこまでも標的を追いかける。
それはラザールの影でさえも。
「あ、アア、こいいい、薄汚い、セイギどもオオオオオオ」
「ははは、これは良い。少しばかり格落ちだが、紛れもない竜殺しの英雄譚だ! ああ、これこそが正しい、私、教会騎士こそ竜に並ぶに相応しい存在! 感謝するよ、罪人、君がそれに成り上がってくれたことに」
銀色の鎧。教会の祝福を受け、装着者のステータスに補正をかける一品がクランの身体を強化する。
手に握るレイピア、"猟犬の剣"もまた、大いなる獲物の気配にカタカタと武者震いしてーー
カタカタ、震えていた。その副葬品の犬の顔を模した丸い持ち手がカタカタと。
鞘にいれたまま、クランが地面を駆け抜けた。
「猟犬の剣、再び罪人の肉を貫け!」
「オオオオオオオオオオ!!」
強大、歯の竜の腕が雑に振るわれる、真っ向からクランがそれを迎え撃つ。強化された肉体、そしてその副葬品の斬撃ならば、その腕ごと歯の竜を貫けるーー
シーン。
「…………んん?」
猟犬の剣が鞘から抜かれることはなかった。カタカタ、カタカタ。
武者震いではない。ソレは本気で震えていたのだ。
犬は格付けに敏感だ。
"猟犬の剣"は怯えていた。目の前の歯の竜…… ではなく。
もっと、もっと、遥かにおぞましいなにかの気配に。
犬同士の格付けは既に終わっている。
「え、うそ、なんで? 抜けなーー あ」
「オオオオオオオオオオ」
ぼびん。
振るわれた竜の骨腕。あっけなくおもちゃのようにクランの身体を吹き飛ばす。
スーパーボールのように跳ねるその銀鎧の男は地面を何度か抉ったのち、露店に突っ込み、そこから起き上がることはなかった。
「オオオオオオオオオオ! オオオオオオオオオオ!」
「ひ、う、うそだ、クラン様が一撃で?!」
「た、助けろ、助けるんだ!」
騎士達がゴミのように吹き飛んだクランのもとへ駆け出す。
「…………ストル、貴女わかっててクランの一騎打ちを?」
「まさか、彼とは連携が合いません。一騎打ちの方が正しい彼の使い方だと判断したまでディス、では、クレイデア、そろそろ本番といきましょうか」
それらを素知らぬ顔で動かない2人、正義と死の騎士が2人、ここに立つ。
「ええ…… せめて彼を苦しまないように」
ずっ。
クレイデア、細身の女騎士の背後から黒いボロボロの騎士鎧が顕れる。
ガイコツだ。ガイコツが騎士鎧を身につけて。
それが手に握っているのは大きな馬上槍
恭しく、捧げるようにソレがクレイデアにランスを手渡す。
「秘蹟 来訪 死の眷属 "13番目のペールの槍"」
この世あらざる場所からもたらされる"死"を凝縮した武器。
死に愛されたクレイデアにしか握ることのできない眷属からの贈り物。
それは条件さえ整えば、竜の命にすら届き得る概念の兵器。
それがラザールへ向けられる。
「私の信じる、正義のために」
水色の髪の少女は、何かを振り切るごとく、一歩前へ。
「秘蹟 執行 "正義"」
少女の背から、像が顕れる。
歪な像、数多の種類の像が歪んで無理やりに混ぜ合わされたようなそれ。
「問う必要もありませんディス、貴方は罪人ディス」
それは眷属には数えられぬ正体不明のナニカ。人の世が続けば続くほど力を増す"正義"という概念の固まり。
1人1人のたしかに正しい想いから生まれたそれはしかし、同じく1人1人の人間によって歪んでいく。
主人を無くした正義の行き着く先は、正義という悪意に他ならない。しかし、それを知るにはあまりに少女は幼く、そして愚かであった。
「私には、何が正しいのかわかりません、だからこそ、"正義"の正義を、教会の正義をこそ、正しいものとして在り方を決めますディス」
しかし、愚かゆえにまだ少女は正義に飲まれず。
ああ、しかし、しかし。愚かゆえに気付かない。正義の像に薄いヒビが入り始めていることに。
その背に広がる翼が、傾き始めていることに。
同時に、腰から細剣。首吊りの剣を抜く。
「リザドニアン、罪人、最期に、言い残すことはありますか?」
天使教会騎士団、最高戦力、10剣。
第一の騎士ストル。
第7の騎士クレイデア。
竜に抗う為の剣が、ありえざる歯の竜と対峙する。
その問いかけはーー
「くたばれ、タコども」
歯の竜には届かない。
連れていく、渡さない。友の亡骸をその夢の光景へと必ず連れていく。友の亡骸を庇い、竜が世界へと唾を吐く。
リザドニアンは、同胞を絶対に裏切らない。
「……教会法に基づき、刑の執行を開始します」
「はい、騎士ストル」
死と、正義と、首吊りが、歯の竜へと向けられた。
ああ。
歯の竜は、ラザールは理解した。
ここで死ぬ、命を賭けて。
勝てないのはわかっている。竜にすら届きうるその剣たちに、竜に届かぬ己が敵うはずもない。
「アアアアアアアアアアアアアア?!?」
死の馬上槍が、歯の竜の窪んだ眼窩を穿つ。
死が、影を飲み込む。
「ガバ、かば、クホオオオオオオオオオオ?!?」
うめき声。
首吊りの剣が、歯の竜の首を絞める。ばき、ばき。未だ生命の仕組みから抜け出せぬその影と歯の体は、確実に壊れていく。
歯の竜の攻撃は当たらない。
鋭き剣が、作業のように巨大な骨と歯と影の亜竜を解体していく。
ああ、勝てない。勝てない。
「オオオオオオオオオオ」
それでも、吠える。吠えるのだ。
遠山鳴人は、世界に抗い続けた。ならば、己も同じように。
遺体が握りしめた武器、その光景だけが歯の竜をくいしばらせた。
「しんでも、しなない、死んでも、死なない シンデモ、シナナイ……」
「いいえ、貴方は死ぬのディス」
歯の竜、その一撃を掻い潜り、トッ。
跳ねるように舞う第一の騎士。一っ飛びで歯の竜の真上まで。
振り抜くは、細身の剣。
正義の罰、その化身。
「副葬品 開廷」
正義と首吊りの同時使用。第一の騎士だからこそ扱えるその才能。
竜を殺す為に造られた、その生命。その機能の全開。
「吊れ、首吊りの剣」
「ちく、ショウ」
影の眷属、ラザールを愛するその存在が全力で警鐘を鳴らす。
ニゲテ、オネガイ。
ラザールを愛する影が懇願する。それには勝てない。それには届かない。
人である以上、正義と罰には抗えない。それを悪事の眷属は知っていた。
そして、ああーー
「コ、イ、モウ、ウバワセることは、ない!」
歯の竜が、《再び立ち上がる者》が、もう2度と逃げないことも、悪事の眷属は知っていてーー
全部、終わる。
歯の竜はこれより、正義と罰の異界に送られてそこで死ぬ。
存在を吊られ、悪虐なる正義に弄ばれ殺される。
悪事の眷属は、それを知っていた。
物語が、英雄譚に塗り替えられーー
わおーーーん。
どこか呑気で、どこか嬉しげな遠吠えが、世界に響いた。
「ーーは?」
ぱきん。
砕けた。ラザールではない。
首吊りの剣。天使がナニカに贈ったと語られる副葬品。
決して壊れぬはずのその人域を超えた存在が、嘘のように、呆気なく砕けた。
「は?」
誰もが、動きを止めた。
わおーーーーーーーーん。
呑気な遠吠えはまだ続く。
どこから響くもわからないその声。ああ、その声。
それは鬨の声だ。それは見送る声だ、それは始まりの声だ。
それは、仲間には
「ナンダ、これ、なんて、美しい声…… なんて、頼りのある声」
勇気と希望を。
敵には
「ひ、ヒ、い、いや、なに、これ………? 幽玄? 異界、違う、どれも違う、どこでもない、まるみのないせかい、なに、とがってる? なに、これ、いや、イヤアアアアアアアアアアア?!! 見ないで、ミナイデエエエエエエエエ!! いない、いない、私はどこにもいないから!! いや、イヤ、イヤアアアアア、た、たすけ、やだ、ストル、助けて、あーー ミラレテル」
「クレイデア?! 何故?!」
敵には、恐怖と狂気を。
ああ、誰も知らない。
眷属、教会、竜。
だあれも知らないのだ。
「ッ…………ケッーー」
フオヌ、コポォ
死骸の胸が大きく膨らみ、息を吐き出した。
決着が、ついた。
どこでもないどこか。
正義の異界の中で、決着はついたのだ。
"正義"は、イッヌにひれ伏した。
もう、どこにも行くことはない。
「………………は?」
ストルが、固まる。
歯の竜の目の前で、その竜が護るソレを見て、身体を固めた。
「ガキの頃、ずっーと思ってんだけどよお」
ソレは、右手に武器を握りしめたままだ。
誰もが固まり、言葉を発さない、その中でただ1人呑気に話し始めた。
「死刑になった人間が死刑で死ななかったらどうなんのかなー」
ぼり、ぼり。
頭を掻きながら、ゆっくり立ち上がる。大きく何度も何度も、息を吸って、吐いてを繰り返す。
あんぐり。歯の竜が、顎が外れるほどに口を開いてそれを見る。
「セキテツ県死刑囚蘇生事件みたいになんのかあ? ヒヒヒ、この世界だとどーなんのかね」
こき、こき。身体の機能を取り戻すように首を鳴らし、肩を回す。
「どー思う? ラザール」
わおーーーん。
また、どこかで遠吠えが響いた。
やはり、その声は明らかに嬉しそうで。何かが、何かを自慢する、そんな響きを含んでいた。
「………知るものか」
「あり? ラザール、なんかイメチェンした? お前、それ、かっこいいな」
「………馬鹿野郎が、生きてたのなら、さっさと起きてきてくれよ、ばかやろう……」
「おー、悪い悪い。なんか夢みてたよーな気がするよ。すげえ懐かしくて、少し寂しいそんな夢」
2人が笑う。
ボロボロの歯の竜と、絞首刑後の吊られた男。
満身創痍の2人は、しかしまだ死んでおらず。
故に、彼らの冒険は未だ終わらず。
「…………意味が、わからないディス」
「俺は死ななかった。死刑執行中! ではなくて死刑終了! ってわけだ。で、この場合どうするよ?」
へらへら、どこまでもへらへらと遠山鳴人が笑う。
「……"正義"」
シン、何も出てこない。
砕けた剣はもはや鉄屑と同じ。
「悪いな、よく覚えてないけど、あれだ。正義はばらばらになった! てやつだ。2対1だな。周りの腰抜かしてる雑魚は多分相手になんねーよ? ラザール先生の敵じゃねえ」
「俺かよ、ナルヒト」
ははははと呑気に笑う男2人。
それを少女が睨みつける。
「私の正義は」
「正義は死んだ、殺したぞ」
「ッーー 私は、私の生まれた理由に従うのディス、教会の正義、いえ、教会の敵を滅ぼす! そうして生まれた、そう望まれた! 私はその為に生きてるのディスから!」
「なら初めからその為に戦えよ。正義、正義、馬鹿みたいに繰り返しやがって、このバカが、あ、デカイの取れた」
瞳に涙を溜めて叫ぶ少女。
その必死の叫びを鼻くそほじりながら、やべ、血が出たとローブでそれを拭うアラサーの男が聞き流す。
「私は、バカじゃないディス!!!」
第一の騎士、武装を全て無くしてなお、その強き造られた肉体が躍動する。
強欲冒険者と、歯の竜がそれを迎え撃つ。
教会の正義と、教会の敵。
それはもはや、誰にも止められぬ殺し合いとしてーー
「"大主教令" 発令。寿命3年使用。止まれ、第一の剣」
「ーーえっ」
物凄い勢いで、馬車が青空市場に乱入した。
露店を蹴散らし、車輪を歪ませ、大爆走。
びたん。
跳んだストルの身体が、物理法則を無視して固まり、地面に落ちる。
「ふん」
「聖女?!!」
「えい」
ぼかん。
馬車から砲弾のごとく飛び出した黒い修道服の少女が、地面に倒れたストルの頭をぶん殴る。
「「え?」」
ピクリとも動かないストル。顔面が、石畳に食い込んでいた。
「主教サマ、第一騎士を止めました」
「ぜえー、ぜえー、ゲホ! よ、よくやりました、スヴィ、ゲホゲホ、あー、ほんと寿命縮まるわ。あ、縮んでたわ、ほんとに」
きい、ぱたり。
ドリフトしながら止まった馬車から現れたのは、同じく黒い修道服に身を包んだ糸目の女。
青い顔、ケープからはみ出た白髪がぴこんと跳ねていて。
よたり、よたり。
ふらつきながらも、馬車から這い出て、その女が遠山とラザールの元へたどり着く。
だれだ?
遠山とラザールが突如現れた女へ警戒をーー
「ほんと、このたびは、マジで申し訳ございませんでしたアアアアアアアアアアアアアアア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッア、ア、ムリ、大声出したから…… うぼ、ぬぶ、オボロロロロロロロロロロロロロホホホホロロロホホロホロロロロロロオボオオオオオオオオロロロロロロロロロロロ……」
土下座。
からの、キラキラ。
土下座しつつ、キラキラを撒き散らす女。
「「ええ………」」
遠山とラザール、それしか言うことがなかった。
読んで頂きありがとうございます!ブクマして是非続きをご覧ください!
<苦しいです、評価してください> デモンズ感




