37話 隠しクエスト 【DOG is GOD】
それは、全て補正された事実だった。
"正義"が世界を侵食する。正義の干渉により、全てがストルへ味方する。
弾かれた剣が上方へ飛んでいったのも、ストルの技量と正義の干渉による必然であった。
故に、この時点でそれは始まった
「ア」
首に、圧迫を感じた次の瞬間
うー、うー。
風の音がする。
「は?」
まっくら。
気付けばあたりがまっくらで、なにも見えない。
青空市場でも、冒険都市でもないどこかに遠山はいた。
ウー、ウー。
風の音だけが、闇の中をぐるぐる巡っている。
「汝、罪人なり」
「………ああ、そうだ」
ぼんやりと、頭に霞がかかったように考えるのが億劫だ。
かたん、かたん。うー、うー。
気付けば、遠山は階段を登っていた。
闇の中、足元だけがスポットライトに照らされている。
「あれ、俺…… なにして……」
自分の独り言が、遠くから聞こえる。自分が話しているはずなのに他人が喋っているようだ。
「汝、罪人なり」
「罪を濯げ、罪を贖え、その命で」
闇の中。階段の下から声がした。多くの人間の声が入り混じったような声。
「命…… 贖う……」
うー、うー。
かたん、かたん。
そうだ、思い出した。何かわるいことをしたんだ。ああ、そうだ、おじさんや、おばさん、しせつのひともいってた。
わるいことしたら、あやまらないといけないって。わるいことしたらあやまってもだめだって。
あれ、じゃあどうしたらいいんだ。わるいことしたらぜんぶ、おわり?
わるいことって、なに?
遠山鳴人の体は気付けば、少年の頃に戻っていた。
鍛えた身体も、経験によって変わった顔つきも、戦うための武器も。
竜からもらったローブも、なにもない。
「価値なき命よ、進め」
「……価値なき、命、そっか、おれ、ひとりだから、いみ、ないんか」
かたん、かたん。う、うーうー。
とおやまが階段を登る。素直な少年だった、周りの空気を読み、求められることをした、それが出来る少年だった。
「でも、結局、いみなかったな。おじさんもおばさんも、しせつのひともおれのこと、きみわるいって、おとなをばかにしてるって。なにしてもきらわれるんなら、いみ、なかったな」
かたん、かたん。
のぼる、のぼる。すなおな少年が階段を登り続ける。
うー、うー、かぜのおとがきこえた。
「あ、だ、だめディス…… それ以上登ったら、だめ!」
「え?」
ぐいっと、手を引っ張られる。
水色の瞳に、涙を溜めた女の子。階段を登り続けるとおやまを引き止めた。
「だれ、きみ?」
しってるような、しらないような。水色の目の女の子、泣きそうな女の子にとおやまは首を傾げて、
「だめディス! いったらだめディス! ああ、違う! 違うのディス! わたし、こんなことしたいんじゃないのに! わたし、正義、わからない、わたし、わたしは正しいのディスか?! わたし、わからーー」
ぷちゅ。
「え?」
「愚かなる少女、正義を疑うのも悪なり」
「汝はその愚かさゆえに素晴らしく、その蒙昧さゆえに正義の担い手にふさわしい、故に疑うこと許さず」
唐突に振り下ろされた光の剣が、水色の瞳の少女を挽肉に変えた。
「進め、罪人」
少女を潰したナニカの声が響いた。
「……ま、いいか」
かたん、かたん。きょうふもぎもんもない。しょうねんがひたすらに、階段をのぼる。
かたん。
終着点。もう登るべき階段もない。
1人分のスペース、蓋みたいな跡がある板の上にとおやまはたつ。
もう、なんでもいいや。
しょうねんが、全てを諦めて目を瞑るーー
「価値なき命よ、正義に逆らった愚かをその薄汚い命で濯ぐといい」
「価値なき命よ、正義にひれ伏せ、正義に捧げよ、その価値なき命よ」
うー、うー。
かぜのおとがする。
「価値、なき……いのち」
ぱちり。しょうねんが目を開く。頭に充満していた眠気が薄れていくのを感じた。
【技能 頭ハッピーセット】
「いや、それは言い過ぎじゃね?」
少年がぼやく。気付けば声が元のアラサーの低さに。顔つきもチベットスナギツネのような虚無と苛立ちが色濃く残る大人の顔に。
身体も、生命を殺すに能う鍛えられたそれに戻る。
なんだ、そりゃ。
突きつけられたクソみたいなワードが遠山の胡乱としていた意識を目覚めさせた。
「……愚かな、純粋なまま逝けたものを」
「愚かな、その悪にまみれた魂のまま逝くというのか」
声があきれたようにぼやいた。だが、驚愕はない。ただ、ただ、遠山を馬鹿にしたようにぼやき続けるだけ。
「ッ、思い出した、俺、なんで、……!? くそ、なんだ、これ、身体が動かねえ」
廻る記憶、そうだ、今は戦闘中、戦闘中……… まて、それでどうなった?
最後の一撃、盾でぶん殴ろうとして、それでーー
「汝、刑場にて止まれ」
「刑場? ……っ!?」
息を、飲んだ。
うー、うー、うー、うーうー。
違う。
意識が覚醒していくにつれ、それが、闇の中で巡っていたのが風の音ではないと気づいた。
かん、かん。
スポットライトが、闇を少しずつ切り取っていく。
それが照らし出される。
遠山は、笑うしかなかった。
「趣味、わりー………」
ヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウうううううむうゔゔぅヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴウゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウうううううううううゥヴヴヴヴヴヴヴヴヴウウウウウウウ
うめきごえ。
ぶらん、ぶらん。
ぶらん。
それらは、苦しんでいる。電灯から垂らされた紐、あるいは軒先に吊られたてるてるぼうず。
スポットライトに照らされるのは、数多の吊られた人間たち。
足をばたつかせ、首元に手をやり、ぶらん、ぶらん。
永劫の苦しみ、永劫の刑罰、闇の中でそれらはずっと吊られていた。
風の音だとおもっていたそれは、刑死者たちの苦しみの声。
正義に逆らった者の末路がここに。
「あ」
その中にどこかで見たことのあるやつがいた。革の軽鎧に逆立つ髪型。
ああ、あいつだ。荷物を狙ってきた連中最後の生き残り。第一騎士が始末した野盗の1人もまた、ぶらん、ぶらん。
「ヴヴヴウヴヴヴウヴヴヴヴヴヴウヴヴヴウ………… 」
そいつと、目が合う。
血走り、目のふちから血の涙を流し続けるそれ、顔は膨れ上がり、真っ青に鬱血した刑死者の顔ーー
「にいいいいいいいいいいいいい」
と、嗤う、破顔う。
お前も、来たのか、お前も、来い、こっちに来いと罪人が笑った。
それを皮切りに、吊られた刑死者たちみんなが笑い始めた。にいいいいいと歪んだ顔で手を振る。
こっちへ、こっちへ来いと言わんばかりに。
「やべー…… これ、マジでやべー」
まだ、恐怖は追いつかない。
だが、確実に理解し始める。このままでは死ぬよりも恐ろしい目に遭うと。
「ちょ、ほんと、ほんと待て、説明、! てめ、説明しろおおお! なんじゃあ、こりゃあ!!」
叫び。喚く、なるべく強いことば、明るい口調で繰り返す。そうしなければ呑まれてしまいそうだった。
「汝、罪人なり、罪を濯げ」
なまじ、頭の回転が早い分すぐに気付いてしまう。
自分の状況が"詰み"に近いことに。
「ふざけんな、サイコ野郎 くそ、キリヤイバ!!」
己の信頼する最強の武装を呼ぶ。
しかし、何も出てこない。いつもならそこにあるはずのそれは今はなく。
「……あり?」
「ここは、我が異界。我が領域、"正義"と"首吊り"の場。故に何者も入ること能わず」
「ここにあるのはお前の魂のみ。ゆえに肉体に宿るものは何一つここには持ち込めず」
「……お前、誰だ」
遠山は動かない身体で、しかしその声のする暗闇を睨んだ。
闇に響くといかけの声。
うめき声をわって、それらが返事をした。
「我は"正義"」「我は"首吊り"」
多くの人の声が混じったような声。
石像だ、像だ。
闇の中から翼を生やした歪んだ像が現れる。数多の女神像、男神像が溶かされてまた固められたような歪さ。
折れた翼が何本も無理やりに背中へ、はりぼてのごとく。
そして、首には何重にも重ねられた縄が備わっていた。
「うわ」
冒涜的な存在。根源的な恐怖、遠山が顔を歪める。
「汝、罪人なり。薄汚い命を捧げよ」
像から声が響く。
無機質な声、しかしその中にはたっぷりの殺意。
「おい、まて、待て待て待て待て!! くそ、やばい、まじでやばいって!」
「良い。こうしてまた一つ正義が為される」
「く、そ。ふざけんな、こんなとこで……! あっッッッッッッッッッッッッッッッッッッ?!!」
しゅるり、首にいつのまにか縄が。
そう思った瞬間にはもう、足元の板がぱかりと抜けていた。
「首吊り開始、苦しめ、永劫の時を吊られ続けよ」
「捧げ、苦悶を。悔いよ、罪を」
「ゔ、っ、ウウウッ?!」
当然、吊られる。首に食い込む荒縄、目が弾けとびそうな衝撃。苦しみよりもまず衝撃が先に。
「お前は死ねない。身体は滅ぶとも、お前の魂はここで永劫の刑死を繰り返す」
「お前は苦しみ続ける、我らの正義に反したその愚かさゆえに」
「ヴっ?! う、う」
ぼきり。衝撃が首の骨を折る。肉体があれば死んでいる。でもここには死すべき肉体がない。
ゆえに。
「その縄は、永遠にお前の首を絞め、骨を折り続ける」
「その苦しみは永劫にお前の魂を痛めつける」
「正義に反した故に。正義に刃向かったゆえに」
「あ、ア」
いつまでも、遠山は死に続ける。
ケタケタ、ケタケタケタケタケタ。
石像が、嗤う。
我慢できずにと言うように、首元に手をやり、外せるわけのない縄をどうにか外そうともがき続ける遠山を見て、嗤う。
「その顔が見たかった」
「見せろ」「見せろみせろ、みせろみせろ」
「正義に刃向かう末路を見せろ」
「罰だ」「裁きだ」「報いだ」
それはまさに、"正義"と首吊りの化身だった。
現代においても、そうだ。正義という世間が決める概念から少しでも道を踏み外したものを人は異様に叩きつける。
個人の正義感。理屈ではなく心から生まれるその感情を誰しも人は持っている。それは社会を形成するためになくてはならない防衛機構だ。
だがーー
「ああ、見せろ、見せろ。正義に刃向かう愚かもの」
「悔いろ、悔いよ、罰におののけ、命乞いをしろ、謝れ、あやまれ、醜く謝れ」
「我らは正義」
「我らは首吊り」
「我らこそが、正しさ」
「正しくない貴様は苦しめ」
「正義ではない貴様は死ね」
「う、ぐ、ぞ………ヴヴッ」
ぼきん、また自分の重みで骨がずれた。でも、死ねない。口があぶくで濡れ続ける、目玉から血が滲み出る、でも、遠山は死ねない。
永劫の責め苦の中、絞首刑が執行され続ける。
泳ぐようにもがく足を見て、正義が嗤う。
呼吸を求めて、ぱくぱく開く口を、首吊りが嗤う。
「ああ、面白い」「おもしろい」「正義に逆らうからだ」「正義に反するからだ」「正義とは、違うからだ」
「我らには権利がある」「そう、正しい我らには権利がある」「罪人を裁く権利が」「罪人を糾弾する権利が」「罪人を苦しめてもいい」「罪人などどうなっていい」「しね、しね、くるしめ」
「正義の為なら、我らはなにをしてもいい」
「なぜなら、我らは、我らこそが」
正義。
行きすぎたそれのなんと、醜いことか。だがこの姿は正義の概念。人の生み出したもの、人の姿、それそのもの。
社会から道を踏み外したものを叩く、社会の道義からそれたものに怒る。
「う、ヴヴヴ、ぐ、ウ、もつ、やめ、ヴウっ」
遠山が数度目の死を迎える。だが、この世界では死ねない。正義の異界の中で罪人が死に続ける。
「あは」
石像が、嗤う。目のないその顔、口だけが耳のあたりまで裂けるほどに、嗤う。
「あははハハハハハハ!!」
「おもしろい! ごらく、ごらくだ」
「やめてっていった! 正義に逆らうバカがやめてってゆった!」
取り繕っていた荘厳な言葉遣いが一転。
まるで、幼いこどものように。
「もっと、もっと苦しめよう! もっと長く痛めつけよう! きっと、もっと、たのしいぞう!」
「我らはせいぎ! われらはばつ! ただしいせいぎ、ただしいばつ! だから、なにをしてもゆるされる!」
「そう! せいぎはなにをしてもいい! だって」
「我らは正義なのだから」
ーーだが、行きすぎた正義は、少なくとも悪よりも醜いモノだ。自らの醜さに気づくこともなく、他者を傷つけ続けるその姿はどうしようもなく醜く。
だが、正義は止まることがない。
けたけた、けたけた、けたけたけたけた。
正義の異界で誰もが嗤う。
正義と首吊りは大笑い。
他の刑死者たちもいつしか嗤う、遠山をみて吊られながらも嗤う。
正義は感染る。だってそれは気持ちいいから。安全な場所から好き放題に他人を傷つけることができる。
だって正義は正しいから。
「ゥヴ、う」
「……あきた。あきてこない?」
「飽きた」
正義は次を求める。罪に対する罰を充分たのしみ、飽きるのだ。
石像が歪んだ翅を広げて、ばっさ、ばさ。
吊られて、もがき続ける遠山のもとへ。
「飽きた、次はなにする、なにで遊ぶ?」
「こいつであそぶ。こいつにはなにをしてもいい」
「だって、こいつは正義をばかにした、正義に逆らう大バカもの。だから我らは何をしてもいい」
人と同じだ。彼らは人の正義という概念、正義という行いから生まれた存在。
現代社会に生きる人間なら誰もが知っている、行きすぎた正義、陶酔する心地よい正義に浸かった人間は何故か、皆、その罪人のことを調べようとする。
特定、晒し。過去を調べたり、家を調べたり、人を調べたり。
ああ、正義は知っているのだ。それがどんな痛みになるか。
「しりたい、しりたい。我らには権利がある。罪人のことを知る権利がある」
「せいかつ、いきざま、生き方、生まれ、全部さらけだせ、罪人。我らは正義、だから、許される、なにをしても許される」
ああ、正義は本気で思っている。
罪人を調べ、晒すことが"正義"の行為であることを。
"正義"は、我にありーー
その姿のなんと、気高いことだろうか。
石像が、その長くのびた爪が、遠山の頬を撫でてーー
「みせろ、お前の過去、今、未来、全てをーー」
正義が、罪人から全てを奪う。
正義は何をしてもいいのだから。
遠山の思い出。誰も触れる権利はなく、本人だけが大事にしていいもの。
もう戻れない過去。青い春、冷たい夜、夕方の匂い、夏休みのプール、読み込んだ教科書、朝の図書室。
涼しい、高架下、けむくじゃらのかおりーー
正義が、その宝物に手を触れて
「それに、触、るな」
「っ!」
だが、正義は知らない。
奴らにこれっぽちも権利はないことを。
だが、正義はわからない。
何をしてもいいわけがない、そんな簡単なことを。
罪人が、目を見開く。
罰により鬱血した顔、血を流す目。
正義が動きを止める。
「いま、さからった」「さからっ、た」「今、こいつ、正義に逆らった逆らうさからったさからった、さあらっカラカタあやあやあるかヤァ皿またらとわ逆らうりとさから「おわうっら
正義が、膨らむ。
「タコどもが……」
遠山はミスをした。
正義、それの何よりの厄介さ。
それは、正義に言い返せばまたそれを何倍にもして返してくることだ。
「逆らうさからう、さからったたたたたた」
見よ、その膨れ始める石像を。
拡大していく正義という概念、膨張する正義のなんと醜くおぞましいことか。
正義という快楽を貪る存在が、遠山からの拒否、反撃を燃料に増長する。
「せいぎ、せいぎせいぎせいぎせいいせきききしぎぎきぎぎじぎ」
正義。
人はみな、その言葉が大好きだ。
だって、正義は正しく。
「きも……」
「せいじぎぎぎぎぎぎ、正義イイイイイ!」
正義であれば、何をしてもいいのだから。
人が積み重ねてきた歴史が、"正義"という概念をそう定義していた。
「……ほんと」
正義から最も遠く、カケラもそれを持っていない罪人が吐き捨てる。
ぶらん、ぶらん。
だが、遠山の抵抗もここまで。人である以上、社会に根差す人間という存在である以上は、"正義"からは逃れない。
「せぎ! 正義! せぎ、せぎい! ぎぎぃぃせせせせせせせせせいいいいいぎいいいいいああああ、正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義せいぎ、ただしいいせきぎたこやぉをあせいじせちぎせいぎせいぎいいいいいきいちい」
膨れる正義が遠山に手を伸ばす。
逃れられない。遠山鳴人は欲望のままに生きる人間であり、その欲望は人間社会の中でのみ満たされる。
これがもし、そう、例えば、本質から他人を必要としない"完成された人間"であるならば、膨張した正義を殺すことが出来たかもしれない。
これがもし、そう、例えば、"英雄"であるならば正義に対して更に強い確固とした己の"正義"で太刀打ちすることができたかもしれない。
「くそ、タコ……」
「せいぎいいいいい」
だが、遠山はどちらでもない。欲望を求め、拡大してゆくその自我の成長にはいつも、"他人"が存在していた。
決して1人では完結出来ない人間は、膨れる正義から逃れられない。
吊られた罪人へ、巨大化した"正義"が手を伸ばす。
足をひきちぎろう、手を潰そう、耳をくりぬき、目をかきまぜ、腹をねじきり、腸を結ぼう。
くるしめて、くるしめて、あそぼう。
遠山鳴人が、正義の異界で死に続ける。
遠山は、逆らえない。
「ほんと、キモいわ」
諦めたように、力なく笑って。
ああ、くそ。
また、かよ。
2度目の終わりの実感。吊られた男の脳裏に流れるのは遠い光景。
冷たい水、暖かい椅子、遠くから聞こえる仲間の声。青い空、白い雲。
そこにはもう、たどり着けない。
仲良くなれた影に愛された嫌われ者、ひとりぼっちの不器用な竜、すなおなこどもたち。
ようやく始まった冒険。それが終わる。
「いえ、みとめろ」
「自分のおこないが悪くて、反省していると、いえ」
「せいぎにさからって、ごめんなさいと、いえ」
膨れたそれはもうなんなのかすらわからない。
正義の原型すら失ったそれは、ただひたすらに醜く、そして、どこまでも幼稚だった。
「いえ、じぶんがまちがって、いたと」
正義はそれを求める。自分のおこないが正しかったと認めたいが故に。
罪人に反省を。
「そうすれば、少しは許してやってもーー」
正義が、罪人に、吊られた男の心にトドメをーー
「バーカ、俺はなんも間違ってねえ、なんも後悔してねえ。次も、同じことを何度でもしてやるよ」
嗤う、笑え。
自由なる罪が、正義を嗤った。
「欲望のままにな」
ペッ。
吐き出された赤黒い唾と痰。
汚く、不浄なるもの。遠山の生きた証、身体からの分泌物が飛ぶ。
ぺちゃり。醜い正義に当たって垂れた。
「正義」
鉄槌、無表情で、振り下ろされる光の剣。遠山の存在をこの世から完全に消しーー
ピコン
【"正義"と"首吊り"のコンボ 異界 "絞首刑"内において技能、"頭ハッピーセット"及び、POW値による対抗ロールに成功。唾と痰、不浄なるものにて、"正義と罰" 人間により生み出された"清浄"なるものへの対抗に成功】
【知■の眷■、■■■■■の■■書館の知識から"人類の概念"への対抗神性を検索、正義と罰を"清浄なるもの"と仮定。"強欲と遠山鳴人"を不浄なるものへと認定】
【遠山鳴人の過去の思い出より、■■■■■■■猟■の未覚醒幼体との接触、交流を確認。■の概念体、■■■■■■及び■■■■■■の合一体と未覚醒幼体の集合体、通称"キリヤイバ"の結合を確認】
【縲舌う繝?レ縺ッ蠢倥l縺ェ縺い、決して】
ソレは、最期まで悔やんでいた。
自分と同じ、孤独な彼を1人にしてしまうことを。
ソレは匂いで知っていた。彼は自分と同じでほんとは1人が嫌なことを。でも、意地を張り、強く在ろうとしていた。
ソレはとても嬉しかった。彼がこどもから大人になるまでの過程でさまざまな冒険を繰り返したことを。
「ーーーーば、かな」
人間社会に根差す概念、正義が固まった、概念としての本能がソレを見て動きを止めた。
「くさい、なんだ、悪臭、これは、世の不浄全てを煮えたぎらせて蒸留したような悪臭は?!!」
目に見えて、正義が狼狽えはじめる。
いいや、違う。
遠山はぶらんぶらんと揺れながら、正義を見た。
怯えている、正義はその匂いにおびえていた。
「この、におい……」
悪臭と騒ぐ正義とは裏腹に、遠山はそのにおいがきらいではなかった。
お日様ののにおいと、ポップコーンのにおいと、香ばしいなにかのにおい。わずかに土にも似たそのにおい。
ああ、ソレを遠山は知っている。
【異界内での"鋭角"の存在を確認。遠山鳴人の眼窩において120°以下の鋭角を確認】
ーーチベットスナギツネみてーな目してるよな、鳴人
いつか、探索者時代に仲間から言われた言葉。遠山鳴人の特徴的な目。
それは、ソレの出入り口となれる。
「あ、ああ……?! ああああああ………!? 不浄…… 不正義、あああああ、なに、なん、なんだ?!」
正義の石像。膨張した自意識の塊が今度こそわかりやすく、おののき、遠山から一歩、二歩あとずさった。
あ、あああ
ううううううう
いいいいいいい
ぶらん、ぶらん。
正義に屈した刑死者たちもまた同じように怯え始める。
折り重なる悲鳴とともに、彼らの首を吊る縄が揺れぐるぐる回り始めた。
悪趣味なお遊戯会にいるようなーー
恐慌がその異界を支配する中、でも、何故だろう。
遠山だけは決してソレが怖いものだとは思えなかった。
「す、姿を見せよ!! 姿を見せよ! 我ら正義と首吊りの異界に紛れ込んだ異物!」
「然り! 姿を見せよ! その悪臭、許すまじ! その不浄、断ち切ってくれる!」
喚く正義の原型、慄く正義の集合体。光の剣をぶんぶん振り回し始める。
意思持つそれは今、明らかに怯えていて。
ソレは、決して許さない。
遠山鳴人を害すもの、遠山鳴人を脅かすもの、遠山鳴人を傷付けたものを。そして何より
【DEADクエスト "絞首刑" クエスト更新】
【隠しクエスト Dog is God
クエスト目標 "クソ正義"に死を】
遠山鳴人のぼうけんを邪魔するものを決して許さないのだ。
「あ、ああああ?!! なんだ、なんだあ!? ソレ、ソレはあああ?!!」
「え?」
正義が、遠山を、いや、遠山の背後にアるものを指差してーー
気付けば、首の苦しさが消えている。
首を吊られたまま振り返る。
ただ、ソレは巨大だった。
膨れあがった正義と同じか、それよりも少し大きいくらい。
闇の中、何故かソレの姿は浮かび上がるように見えていた。
青い粘液が滴る身体、大きな四つ足、大きな口からは太くしなやかに伸びる注射針のような舌が覗いている。
ドロドロの青い粘液を纏う獣には、燃え上がるように金色に輝く2つの目がそなわり。
ーーずぶずぶに溶けかけたなにか。
おおきなくち、おおきなさんかくのみみ、しっぽ。
「……い、ぬ……?」
何故、そんな呟きが出たのか遠山にもわからない。
見るだけでおぞましい存在のはず、その姿は明らかに正しいものではない。
なのに、なんで、なんで、こんなにも胸を締め付けるのだろうか。
なんで、なぜか懐かしいのだろうか。
遠山はぼんやりと鋭角のある細い目でソレを眺め続けた。
ソレも燃え上がる目で遠山を見つめていた。
がちり。
ソレがおもむろに、牙を鳴らす。およそその顎から逃れることのできる存在などいないだろう。
首吊りの縄など問題にもならない。
「うおっ」
遠山の首に巻きつき、締め上げていた吊り縄が千切れる。
《…………》
ぽふ。
縄がちぎれ、落ちていく遠山をソレが顔を伸ばして掬い取る、おひさまの匂いと香ばしいポップコーンの香りに遠山は包まれた。
「……お前」
ゆっくりと、ソレが鼻に乗せた遠山を闇の底に下ろした。
遠山が巨大なソレを見上げる、
ソレがゆっくり首を下げる。まるで、遠山と目線を合わせようとしているかのようにーー
「不浄! 不潔! 正義にあらず、我が異界を侵す悪臭を絶つ!!」
正義の像が、声を響かせた。
その手に握る断罪の剣、光そのものといった剣を振りかぶり、ソレに振り下ろ《わ
ん》
「ーーェ?」
光の剣、虚しく、闇の中にくるくる廻る。
ソレが、おもむろに牙を鳴らした。
それだけで、正義の像はその面積の6割を消失した。
何かに噛みちぎられたような断面、歪な像の無機質なはずの表情はしかし、はっきりと恐怖の色に染まって。
「あ、ェ? ま、待っ《わん》 じゃすていじゅッ」
がちり。
2度目、ソレが青い粘液の滴る顎を鳴らす。
正義が、ぷちり。光を漏らし潰れて消えた。
獣に正義など関係ない、知るものか。
《フンッ》
ソレがぷるぷると首を振り身体を震わせる。雑魚が、と言いたげに消えていく光のカスに向かって鼻を鳴らした。
「…………」
遠山にはソレがなんなのか、理解出来ない。形を認識しようとも意識が理解を邪魔する。
目の前にある存在に霧がかかっているような違和感。
《………………》
「う、あ」
あまりの、異様。
思わず、遠山がうめく、恐れたのだ、その未知、その力が怖かった。
ソレは黙って遠山を見下ろし、そして後ろを向いて去り始めた。
何故だろう、その去りゆく背中、尻尾のようなモヤが元気なく垂れ下がっているように見えた。
三角の耳もぺたりと垂れ下がり、燃え上がるような目が寂しげに揺れた気がしてーー
《……………フゥン……》
闇に溶けるように、巨大なソレが去っていく。
どくん、どくん。
心臓が、うるさい。恐怖のせいでも、痛みのせいでもない。
胸を締め付けるこの感覚が、なんなのかわからない。ただ、寂しげに消えていくソレに気付けば手を伸ばしていて。
「ーーま、て」
呼び止めた。ソレをこのまま返してはいけない。帰してはいけない。
理解もできぬ、人知を超えた力に殺されかけた。だがソレは更なる力をもって正義を噛み殺した。
明らかな危険、明らかな恐怖を感じるべき存在。そのまま行かせた方が絶対に安全、刺激するべきでない、関わるべきではない。
理性はそう叫ぶ。
でも、ダメだ。
理性以外の全てが遠山にソレを呼び止めさせた。
手を、伸ばす。
《………ブフ、クォン》
ず、ずずず。
ソレが闇を引きずりながら遠山へ駆け寄る。巨大な牙、大きな耳、青く濡れた体毛。
「……………」
言葉はない。
ただ、手を伸ばす。
《……フンフンフンフンフン》
ソレが、身体を出来る限り縮め、遠山の手に鼻を伸ばした。
ぺちゅり、濡れている。青い粘液にまみれた鼻が遠山の手に押しつけられる。
遥か巨大なソレは、しばらく遠山の手を嗅ぎ続けた。まるで懐かしさを味わうように。
《フン、ぶふ、フーーンン》
ソレが鼻を鳴らす。
遠山が闇に座ったまま手を伸ばし続ける。
あの日、高架下での出会い。
ひとりぼっちの少年と、ひとりぼっちのソレの道が交差した僅かな夏の日の時間が、今また、ここに。
「おまえ……」
遠山にはソレがなんなのか認識できない。霧と闇に紛れた巨大なソレを理解も視認も出来ない。
でも、手を伸ばさずにはいられなかった。
《……… 蜈ア縺ォ》
ソレが鼻を鳴らし、満足げに燃え上がる金の目を細めた。
ツンと、鼻で遠山を押す。
行ってきて。
ソレは願いを込めて、ソレは親愛を込めて、強欲冒険者を正義の異界から押し出す。
「あ……」
ソレの姿が今度こそ、はっきりぼやけ始めた。闇に溶けて崩れていく。
でも、今度は尻尾は垂れておらずゆっくり振られて。三角の耳はヒコーキのように平行に伸びていて。
ーーいっしょに、ぼうけんにでるんだ!
ーーわん! わん!
あの日、世界に奪われて叶わなかったぼうけんがあった。
あの日から遠山はさらに世界が大嫌いになった。この世は基本的には奪われるように出来ていると知った。
世界とは容赦するべきでない敵だと知った。
《…………………》
ソレは溶けながら、じっと、遠山を見ていた。
遠山も、黙ってソレを見ていた。
あの日の続きは、たしかにここに。
ソレがなんなのか理解出来ない遠山、しかし気づけば喉を震わせる、舌を噛んだ。
「■■■」
名を、呼ぶ。自分が何を言ったのかすら壊れゆく世界の中の遠山はわからない。時間も空間も超越した異界が崩れていく。
《! フン、ブフ、ワフ!》
満足そうに、ソレが身体を揺らす。
青い粘液、闇と霧を纏うソレの声が異界を破る。
主人の旅路を、友の冒険を。
例え己が滅びても、ソレは決して忘れない。高架下で交わしたゆうじょうのひびを。
決して。
「行ってくる」
《ワン!》
あの時と変わらない声。
しょうねんとけむくじゃらのぼうけんはまだおわっていない。
何一つ、奪われてなどいなかった。
世界が割れる、異界が崩れる。
遠山の視界が、ぼやけて、消えて。
ああ、でもなつかしいその香り。香ばしい犬の匂いだけはいつまでもーー
ピコン
【正義の消滅を確認、異界の主が倒された為、元の世界に帰還します】
【DEADクエストを乗り越えました。■■■■■の公■書■で特別な技能を選ぶことが出来ます】
【隠しクエスト DOG is GOD クエスト目標達成】
【キリヤイバへの理解を深めました。特殊なクエストを繰り返し、キリヤイバの秘密に迫ることで秘められた力の全てを扱うことができるようになります】
………
……
…
「……………ア、ア………」
ひととおり暴れ、もがき苦しんだそれの動きが止まったのをストルは確認した。
喉はかきむしられ、皮膚がじゅくじゅくに剥げている、手の爪は喉のほかに石畳を掻きむしったせいで剥がれたり、傷んでいる。
「…………………」
誰にも聞こえない声で、ストルは今自分が殺した男を無表情で見下ろし続ける。
水色の瞳にはなんの感情も、映っていない。
正義の裁きは下った。少々のアクシデントはあったが概ね戦術通り、首吊りの剣がまた教会の法に逆らう、正義に逆らう愚か者を裁いた。
「………強かったディスよ、あなたは」
唇の中で、ストルが黒髪の冒険者の死骸を見下ろしつぶやいた。
ふと、気付く。彼の右手はまだメイスを握りしめていたことに。
「……見事、ディス」
あれだけ苦しんでいた。首吊りの剣による窒息の苦しみは人が耐えられるものではない。
顔は青く腫れ上がり、口は泡を噴いている。死相は壮絶、目を見開き、目の端からは圧迫によって血が滲む。
なのに、彼は最後まで武器を手放していなかった。今更その事実に、ストルは敬意とともに少しの恐怖を感じた。
「第一騎士、ストル様!! ご無事ですか!!」
ばから、ぱから。
軍馬の集団が街を駆け抜け、市場にたどりつく。
フルプレートの鎧に豪華なマントをあしらう教会騎士の部隊のおでましだ。
馬から降りた彼らが一斉にその場に片膝をつき、右手を胸に添えて首を垂れた。
その敬意の向く先は、第一の騎士。少女の姿に身をやつした教会騎士最高の剣へ。
「……ええ、お仕事ご苦労様ディス、楽にしてください」
「「「ハッ!!」」」
正義の担い手、理想の騎士へ憧憬を孕んだ声で騎士たちが答える。
「お見事です、ストル様。この短時間で教会に仇なす賊に裁きを下されるとは」
「あなたこそ、正義の具現、天使の光に愛された教会最高の剣」
騎士たちから放たれる数々の賛辞。それに精一杯の作り笑いで答えるストル。
今日は、今日はとても疲れた。
帰りたい、もう、帰りたくて仕方なかった。
「……もう1人の方は?」
だが、そういわけにはいかない。己の職務に邁進することこそ騎士の本分。ストルはおろか故に気付かない、その気持ちを認識するのも、言語化するのも知性が足りない。
なんで、ころしてしまったんだろう。
一瞬芽生えた迷い、それは決して自分が抱いてはならないものだ。愚か故に聡い彼女は自分に沸いたナニカを握りつぶした。
……
…
ぴく。
ぴく、ーー
ーーさあ、起きて。ぼうけんのはじまりだよ。
イッヌは決して忘れない、あなたとすごしたじかんを、決して