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現代ダンジョンライフの続きは異世界オープンワールドで!【コミカライズ5巻 2025年2月25日発売】  作者: しば犬部隊
遠山鳴人のたのしい異世界オープンワールドライフ

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32話 やったね、ナルちゃん、ケツモチが増えるよ

 




「いや、だみだよ、これは、ラザール君や」




 門から数十分、台車を借りてからしばらくほど歩いた場所。



 街道から大きく離れた平原のど真ん中、台車をおいてその場にラザールと遠山は座り込んでいた。



 へたり込んだ遠山の背中はすすけていた。




「なんだその喋り方は」




「いやいやいやいや、ラザール、なんだあの筋肉イノシシは。アレが本当に冒険者なりたての人間が狩ってもいい生き物かね」





 ジャイアントボア。



 平原地帯に生息するイノシシによく似たモンスター。割と狩猟の入門的モンスターという情報や、生息数が多いことからはじめの獲物として遠山はそれを選んだ。





 選んだのは良かったのだが……




「速い、デカイ、突進オンリー、無理無理、そーゆーシンプルなのが1番めんどくせえ」




 結果は惨敗。



 遠山とラザールの武装はそれぞれ、キリヤイバ、そしてラザールのナイフ、それだけしかないのだ。




 場を整えて、条件を満たすことによって確殺するスタイルのキリヤイバと速攻問答無用で突進してくるイノシシは致命的なまでに相性が悪かった。




「まあ、狩猟の難しさはそういうことだろう。レベルが上がればまともに戦えるかもしれないが、腐っても3級のモンスターだ。真正面からやり合うにはレベルが3ではないと無理だろうな」




 同じく憔悴しきった様子のラザールが項垂れつつ、つぶやく。



 なるほど、レベルとやらが上がって基礎能力があのイノシシよりも上の人間にとっての"入門"という意味らしい。



 遠山はスライディングやら顔面ダイブなどで逃げ回り草や土だらけのローブをはたきながらラザールへと話しかける。



「ラザールたしか、2レベだよな」




「ああ、凡人の到達点と言われるレベルだ。レベル3からは明らかになんらかの才能か、試練を乗り越えなければ到達出来ないだろうな」




「3級やら2級の冒険者も平均値がレベル2だったな。そこからレベル3に上がれたのが一級やらになるとかならんとか。うーむ、なるほど、はっきりモンスターの方が強いわけだ」




「基本的に狩猟はレベル2の冒険者が複数でトントンだ。例え3級のモンスターが相手でもな」




「ふむ、ふむ。少し舐めすぎてたな。特にあのイノシシ、あれはダメだ。俺と相性悪すぎる」




「どうする? 今からでも別の仕事に切り替えるか? たしかこの冊子では平原地帯に群生している薬草の採取もギルドでの買い取りを行なっていると書いてるぞ」




 息を整えつつ、ラザールが提案する。たしかにその方法もアリだ。



 というか明らかにアレだ。この世界、人間とモンスターの力量差がデカイ気がする。



 人間と人間もだ。遠山があしらってしばける程度の冒険者もいれば、相対するだけで震え上がってしまうヤバいのもうじゃうじゃいる。



 レベルの低い連中などは基礎体力と筋力の違いで、雑にケンカにも勝ててしまいそうなのに、ドラ子やベリナル、そしてあの聖女とやらはどうしようもなさそうだ。



 レベル、とやらが違うのだろうか。改めてあの水晶で自分の今の立ち位置がはっきりわからなかったのが惜しい。




「うーん、そうだな。その薬草、探しつつ…… まて、ラザール、伏せろ、何か様子がおかしい」



 遠山が思考を巡らせつつ、ラザールの案に賛同…… した時だ。




 がぞがさ。近くで四つ足が草花を踏みしめる音が聞こえた。



 反射的にその場にしゃがみ込む遠山、それに続いてラザールもまた同じように伏せる。




「ジャイアントボア、辺りを見回しているな。俺たちに気づいたか?」



 ラザールの声に遠山は首を振る。



「いや、それならとっくに突進してきてるはずだ。アレは敵を探してるというより、何かに怯えてるみてえだ」




 2人が伏せた辺りから8メートル先、黒色の体毛、突き出た鼻に、短い四つ足、そして雄々しい牙。



 ちょっとした軽自動車くらいの大きさのイノシシ、ジャイアント・ボアがいた。




 遠山たちを見つけたのなら鼻息を荒くして、すぐに突進してくるはず。少なくとも先程までに遭遇した個体はみんな同様の反応だった。




 縄張り意識が強いのか、その割には奴らは4〜5頭の群れで行動する、軽自動車複数台に追われるようなものだ。遠山とは相性が悪い。




 だが、目の前にいる個体は何か様子がおかしい。1頭だけしかいない、それに鼻息を荒くしつつ、辺りを見回している。



 まるで何かに怯えてーー





「ーープギ?! プギイイイイイいい?!」




「うお、なんだ、ありゃ」




 悲鳴、次の瞬間、黒いイノシシに纏わりつくウネウネした太い幹のようなナニカ。



 見た瞬間、怖気のたつ感覚を遠山は知っている。爬虫類に似た怪物種と相対した時に感じる怖気だ。





 悲鳴をあげるイノシシを襲っているのはーー




「蛇、か? おいおいおい、嘘だろ、アレ、今までまさか平原の緑色に擬態してなかったか?」




 蛇だ。



 突如現れた大蛇が、大イノシシを襲っている。



 必死にもがき、牙を振り回すイノシシ。逃れようとするもダメだ、短い足が草花を散らすだけ、身体は完全に捕食者に巻き付かれた。



 既にそれは闘いではなく、狩りだ。太くしなやかな蛇の体がイノシシに巻き付き、締め上げ始める。




「ッギアイイイイイいい?!!」



 獲物と狩人の関係は固まっていた。耳をふさぎたくなる悲痛なイノシシの叫びは、どこか人の声にも似ていて。




「まて、書いてある。平原地帯の北側に群生している森林を住処とする大蛇のモンスター。"ティタノスメヤ"…… 2級の爬虫類モンスター……! とんでもない大物だ!」




「ほへー、どこの世界でも蛇の化け物はいるんだな。うお、丸呑みし始めた」





 みしり、みしり、べきべき。




 もうジャイアント・ボアはもがくことすらやめていた。万力のごとく締め付けられたその身体、骨がおしつぶされ、身体の面積を折り畳まれ、蛇に丸呑みにされていく。



 尻の方から身体半分丸呑みにされていくジャイアントボア、蛇の口にまだ収まっていない上半身が、びくり、びくりと痙攣している。




 生気のない獣の目、それが遠山を見ていた。食われていくモノ、獣の表情はわからないがそこにはたしかに恐怖と絶望があるのだろう。




 いきたまま食われるその姿、自然のありのままの残虐な光景を遠山はただ眺めたまま。




「……その割にはいやに落ち着いてるな。俺は正直、アンタがここにいなければすぐにでも逃げたいんだが」




「地元にはもっとやばい蛇の化け物がいてな。マザー・グースっつー愛称がついててよ、唄うんだぜ、その蛇、まあラザール本当にやばくなったらお前だけでも逃げろ。影に潜れば大抵の奴は追いつけねえだろ」




 声をひそめ、テイタノスメヤというモンスターの狩りを見つめたまま遠山は静かにつぶやく。




 蛇の化け物はその場から動くつもりはまだないようだ。イノシシの身体の形に膨れた胴体を地面に寝転がし、舌をチラチラしながら横たわっている。




「馬鹿言うな、その時はアンタを影に引き摺り込んでも一緒に連れ帰るぞ」




「そりゃ怖い……… ん? 待て待て、ラザール、なに、もしかして今影の中に引きずるとか言った?」




 ラザールの言葉、遠山が目を剥いて反応する。



「なんだ、冗談だと思ってるのか? 俺は本気だぞ。アンタ抜きでこの先俺たちが帝国でやっていけるとは思えない」




「ナチュラルにガキどもを身内に数えてるお前のお人好しは嫌いじゃないが、いやいや違う違うよラザールくん。……お前の影、俺も入れるのか?」




 もう一度確認する。それが真実ならば、狩猟において取れる選択肢が一気に増える。



「ああ、俺ともう1人くらいなら影に包むことは出来……… ああ、なるほど。……話し合いとは大事だな」




 返事しつつ、ラザールも遠山のしたいことに気付いたらしい。




 ラザールはその力を敵から逃れる為に使い続けていた。己の姿を眩まし、影と同化する才能はラザールという人物のものだからこそ与えられたのかも知れない。




 遠山鳴人に与えられる能力としては物騒すぎる。



 ラザールは影を逃げ隠れるものとして扱う、ならば、探索者はーー





「気づいたか。ふーん、ふんふん。ラザール、そのテイタノなんたらの情報、全部読み上げてくれないか?」




「あ、ああ。名称、テイタノスメヤ 等級は2級。昼間は大人しいが夜になると活発化する夜行性。蛇に酷似した姿の爬虫類種に分類されるモンスター。周囲の光景に溶け込むように体色を変えて待ち伏せして獲物を待つ、額にも目を備えており、個体により色の違うその瞳は、加工されて宝飾品としても扱われるため市場において高値で取り引きされている。細かな生態は不明…… とのこととだ」



 遠山の言葉通り、ラザールがギルドの冊子を広げて読み始める。




「ふうん…… いや、それだけあれば充分だ。蛇、蛇…… 夜行性っつーのは理解出来る、だが分かんねえのは今は真昼も真昼、なのに獲物を捕らえて狩りをしている…… 普通、夜だろ、なんで今なんだ?」



 聞いた情報を元に、遠山がそれを整理しやり方を考える。言葉に出しながら不確定要素をはっきりさせてゆく。




 体色を変えて待ち伏せするのが狩りのスタイル、なるほど夜ならば余程目のいい生き物ではないと見破るのは難しいだろう。




 なら、今、テイタノスメヤが狩りをしている理由はなんだ? それに本来の生息地は森林とやららしい。



 ここは平原地帯のど真ん中、生息地とされる場所からは少し離れている。そんな場で、待ち伏せーー




「さあな、イノシシがよほど好物なんじゃないか? すごいな…… 丸呑みにしちまった。どうする、ナルヒト、獲物を飲み込んで鈍重な今なら好機ではないか?」




 思考を続ける遠山へラザールが声をかけた。その線もあり得る、好物を求めて生息地から離れた場所で狩りをする怪物種も、珍しくはない。




「いやまて、昔、似たような怪物をやった時、その判断で2人死んだ。普通の蛇なら獲物を飲み込んだ直後なら大チャンスだが、アレは化け物だ。もうすこし慎重にいきたい」




 怪物種17号ハイイロヘビ。



 割と活発に動く蛇の姿の現代ダンジョンに巣食う怪物種。亜生体の討伐でも割と人が死んでいるイメージがある。



 遠山も一度締め付けられて殺されかけた経験がある。爬虫類の形をした怪物種は厄介だ。



 ()()()()人間はどうしても爬虫類系の化け物と相対すると身がすくむ。それは原初の祖先たちの捕食者への恐怖の記憶からだろうか。




 油断も侮りも一切ない。遠山は狩りの標的を決めていた。




「ではどうする? あれは諦めて別の獲物を狙うか?」




「……んー、いや、すこし考えがある。ラザール、少し待ってもらえるか?」




「ああ、なにをするつもりだ」




「ん、まあ、気休めなんだが、よしよしこの辺の土は湿ってんな。よっと」




 おもむろに、遠山が地面の草をむしる。荒々しく湿った土ごとむしった草花を体にまぶし始めた。



「……ナルヒト、なにをしている?」




「泥塗ってる。怪物といえど蛇の形をしてんなら蛇と同じ生態機能を持っててもおかしくない。お前の影を信用してないわけじゃないが、これが1番早い」



 湿った土を掬い、ぐちゃぐちゃと手のひらでかき混ぜて顔や首にぬりたくる。




 ラザールは狂人を刺激しないための笑顔を浮かべてその様子を見守っていて。



「んな顔すんなよ、ラザール。ピット器官っつてな。蛇とかトカゲとかには生き物の体温を感知出来る器官が備わってる。泥を塗って体温を誤魔化すんだ。心配するな、俺の知りうる中で最強の特殊部隊の男もこれで宇宙最強の狩人をボコボコにしたんだぜ」





「……またわけの分からないことを。はあ、だがわかったよ」




「悪いな、ラザール」



「いい、気にするな。俺はアンタに賭けてるんだ、今さらこの程度、さ」




 ラザールもため息をつきながら、遠山と同じく露出した体の部分に湿った土を塗りたくり始める。



 土の匂いが鼻につく。青臭く、鼻の奥に溜まる匂いに遠山はなぜか生きている実感を覚えた。




「まあこんだけ塗りたくればいいだろ。じゃあ、ラザール、俺はどうすればいい?」




 泥だらけになった遠山の準備は終わった。



「なにもしなくて構わない、能力を使用した後は自分の身体の輪郭のことだけ考えててくれ」




「輪郭?」




「濃すぎる影は人の形を忘れさせることがあるのさ、まあ、俺がいるからそんなに心配することはない。では、始めるぞ」




「おう、よろしく」





 ラザールが徐に立ち上がり、手を広げた。


 そして言葉を、届ける。



 それは己に影を歩む運命をもたらした世界の天辺にいるはずのナニカ、高度の情報の集合体への言葉。





 ーー祈り




「フローリア、貴女の外套で我らを包め。我らの足音、我らの息音、そして我らのよからぬ企みは貴女の外套で隠すべき悪徳だ」





「"影の導き(シャドウ・ハイチュー)





「う、お?!」




 闇が、ラザールの手のひらから広がる。視界を一瞬暗く塗りつぶす深い影が遠山を包んだ。



 冷たく、涼しい。一瞬で濃い闇は晴れたがしかし、視界は全てがモノクロに染まっている。



 空を見上げても、もう、青い空はなく、ただ世界を白黒に染めていた。



「完了だ、並大抵の存在なら俺たちに気づくことは不可能だろう、視界は能力を解除すれば元に戻る、安心してくれ」



「こりゃすげえ。ステルス技術やらがバカみたいになるな。外からはどう見えてんだ? これ」




「影さ、空に浮かぶ雲から落とされる影、路地裏の奥に溜まる影、それそのものになる。この場においては我々は平原の草花の影にしか見えないだろう」




「お前それスニークとしては反則級の力じゃね」




「ああ、誰かさんに簡単に見つかった時を除いて、影の中の俺を見つけるのは例え塔級探索者でさえ困難だろうな」



「まああれは俺というよりキリヤイバが。まあいいや、これ俺普通に歩いてもいいのか?」




「いや、俺から3歩以上離れると影が落ちてしまう。ついていこう、あまり激しく動かないようにしてくれ」




「了解、あの蛇の化け物、テイタノスメヤを追う。俺の予想が正しけりゃ、アイツはこれから巣へ戻るはずだ。ヒヒヒヒ、台車が活用できそうだな」




 これ以上ないほど、ワクワクした顔で探索者と暗殺者が蛇の化け物のトラッキングを開始する。




 化け物に対する恐怖よりも、その仕留め方を考える愉しさが遥かに勝る。




 遠山は知らずのうちに乾いていた自分の唇を舐めつつ、影に紛れて進み始めた。





 ………

 ……

  …


 〜遠山たちの狩り、それからしばらく経った頃、冒険都市アガトラ"竜大使館"にて〜






「おやおやおやおやおや、これはこれは。帝国にとどろく天使教会の優れたる賢人よ。よくきたな、歓迎するぞ」




「……もったいないお言葉です、偉大なる竜よ」




「この度はお招きいただき恐悦のきわみです」




 尊大。そう表現するより他にない態度。



 玉座にも似た椅子にふんぞり返り、脚を組んで笑う金髪蒼眼の絶世の美女。



 片目を隠した前髪をそっと、長い指が流れた。







「ふむ、よい、くるしゅうない」




 3段ほど高い場所から竜が座ったまま、見下ろすのは2人の人間。




 帝国唯一の統一宗教、天使教会のトップ、女主教、カノサ・ティエル・フイルドと、第一聖女、スヴィ・カーナ。



 竜に呼ばれたのはこの2人。決して触れてはいけない竜の逆鱗に首輪をかけてしまったことについての弁明、もしくは処刑。




 カノサは呼吸をするたびに、命が縮まっていく感覚を覚えていた。



 もおおお、やだあああ、キョワーイ! 竜の隣にはあの()()までいるじゃなーい、はい詰みましたー! ヤケになって対抗しても確実に死ぬのが確定しましたー! おっぴろぴー。



 恐怖でおかしくなっている内心を少したりとも出さず、カノサは恭しく首を垂れる。




 聖女のやらかしから、竜への発覚、それが想像以上に早く教会全体としての対応も練ることが出来ないまま呼び出された彼女の焦りときたら。



「蒐集竜さま、この度のーー」




 なんとか、カノサが平坦な声を死に物狂いで絞り出してーー




「ふと、昔話を思い出した」



 竜の呟きがカノサの声を遮った。



「ーー昔、話?」



 見上げる、椅子に背中を埋まらせる美しき竜が金色の髪を己の手櫛でときながら退屈そうに目を細める。







「ひとりぼっちの天使、あらしの天使、……竜に伝わる数多の天使の物語はいつも、嫉妬と執着と破滅に満ちておったわ。他人のモノを欲しがるばかりの嫉妬深いオンナ…… 天使とはそういうモノだ」



 竜であるからこそ許される天使への侮辱。



 天使教会において唯一絶対の偶像たる天使への侮辱は戒律により禁じられている。だが、その戒律など竜が気にすることではない。




「さすがは帝国に轟く天使教会、貴様らの仰ぐ偶像のソレに倣うとは。信仰心とは恐ろしいものよな、死をも厭わぬ愚行すらためらわぬようになるとは、何も天使のモノマネなどせんでもよかろうに」




 心底、退屈、無為であるかのように竜がつぶやく。


 隣に侍る執事、鬼が差し出した銀の盆においてある果実を掬い、舌の上で転がし飲み込む。




 傲慢な所作、しかし、どこまでもそれはただ美しく、絵画のようなワンシーンで。




「……………スヴィ」




「……はい」




 カノサにしか分からない聖女の静かな怒り、それを一言で鎮める。




 今は、ダメだ。竜を刺激することはすなわち全ての終わり、竜と教会の全面戦争を意味する。




 この場で自分たちに出来ることはただ1つ、どうやって穏便に死ぬか、だ。



「おや、どうした、聖女。天使の祝福をうけたヒトよ。何か、言いたいことがあるのか?」




「……いえ。なにも」




 聖女、スヴィが竜の問いに端的に答える。あれれれ、スヴィちゃんちゃん、そんな睨むような目はやめなさいよほんと、なんなのキミは、そんな子じゃないでしょ。



 カノサの内心の焦りはスヴィには伝わらない。



 ダメなのだ、聖女という特別として生まれた彼女は己より強き存在というのをどうも信じていないフシがある。






「な、に、も」




 竜が、かくりと首をかしげながらスヴィの言葉を復唱する。




 カノサの胃は残念ながら死んでしまった。もう一生お湯しか飲めないかも知れない。




「ヒ、りりりりり、ゅう、我らが蒐集の竜よ、こ、この度は謝罪、謝罪に参った次第です。不幸な行き違いにより貴女の()()()と契約を結んでしまったことにつきましては」




 シュバっと、聖女ですら反応出来ない速度でカノサは平伏した。頭を上げて立っているとそれだけで殺されてしまいそうな気がしていた。




 だが、カノサとてこの街、冒険都市にとどろく権力者の1人。竜とのいざこざもこれまで何度か、その全てを生きてくぐり抜けてきた逸物だ。




 その経験からして、なんやかんや竜は人に甘い。きちんとその怒りを理解し、謝ることを間違えなければーー




「か、い、び、と」




「え?」




 あれれ? あれれれれれれ?



 すっごい、空気、ねばついて。息が、出来ない。




 カノサの言葉を復唱する竜、彼女から広がる圧力が空気に影響したのだろうか? それともカノサの人間としての本能が生きることを諦めたのだろうか。




 パクパクと口を動かし、必死に呼吸を続ける。聖女、スヴィが必死にカノサの背中をさすり続ける、その感覚すらわからない。




 今の言葉の何が竜の琴線に触れてしまったのだ。カノサは苦しみの中で必死に脳を働かせる。





「オレと貴様らの間には認識の齟齬があるようだ。あの男は、オレの飼いヒトではない」




「あーー」




「あの男は自由だ、あの男は個人だ、オレがそう認めた、オレがその在り方を尊ぶと決めた。あの男はまだオレのモノではないのだ…… ああ、そうだ、尊いのだ。オレの決定に反き、オレの興を超え、オレを殺し、そしてオレのモノにならない、その在り方をオレはとても愉快に思っている」




「何を」



「ス……ヴイ、黙り……なさい」




 一言一句、竜の言葉を聞き逃すわけにはいかない。竜への認識、それが何か致命的にズレている。




 修正しなければ、死ぬ。次また一言でも竜への言葉を違えれば全て終わる。




「あの男は好きに生きるのだ、己の身、定命のか弱き身体に渦巻く"欲望"、それを為すために動き続ける。良いモノとはそれに相応しい蒐集の法がある、アレは手元に置くのではなく隣に立たせる、オレはそう決めていたのだ」




 誤った、見誤った。ミス、ミスミスミスミスミスミスミスミスミス!!




 ありえない、そんな馬鹿な。




 竜が、人を気遣っている?




 個人を認めている、個人の自由を尊び、個人を己が対等な存在として扱っている?




 ありえない、そんなわけが。




 カノサの知識と経験による竜という生き物への理解からすれば今の蒐集竜の言葉はありえない。




 彼ら彼女らは超越者だ、並び立つ者はなく、それを戒めるものも、縛るものもいない。




 故に、他者との関わり方は限定される。支配、使役、強奪。たまに同盟を組むこともあるだろうが、それはあくまで同じ超越者同士の話だ。




 竜は決して人とは並び立たない、それが竜という生き物ーー  




 カノサのその考えはしかし、目の前の竜の表情をみたことで打ち砕かれる。






「自由なあやつが見たい、己の内なる欲望のままに生きるその姿こそ、オレの愉しみ、オレの友の姿。貴様らはそれを汚した」





 それは、人の顔だ。友人を想い、友人の為に怒るヒトの顔だ。




「あ、う………」




 完全に見誤った。変わっている、変わりつつある。不滅であるが故に不変であるはずの竜が変化を迎えている。




 だれだ? なんだ? どうやって?




 カノサは今、恐怖よりも遥かに大きな困惑の嵐の中にいた。




「許せぬ、見過ごせぬ。あやつのみちゆきにオレ以外が触れるのは許さぬ。オレでさえ、我慢したのだ。本当なら今すぐ欲しいが、我慢、しているのだ」




 竜が竜座に腰掛けたまま、火の息を紡ぎヒトを見下ろす。



 シャンデリアの光が彼女の身体を照らす、床に映される影法師はしかし一瞬、ヒトの形ではなく翼持ち、尾を振るう竜の姿に変わって。




「貴様らはあやつに枷を課した。竜の友に、不粋な首輪をつけたのだ。なんたる屈辱、なんたる侮辱、なあ、聞かせておくれ、天使の子らよ」




 白磁の顔、深海か、天辺の空の色を宿した隻眼が人を見つめた。そこには驚くほど表情は無くーー





「貴様らは竜を怒らせたいのか?」




「………ッ」



「……………」






 息が、出来ない。



 肺から空気が逃げていく。空気ですら、ここにはいたくない、そう怖気ているような感覚。




「そう怯えた顔をするな、主教。オレは貴様のことはこうておるのだ。なに、此度のことは確かに非常に気分を害された。しかし、天使教会全てを滅ぼすつもりはない」




「あ、ありがたきお言葉に」





 声を絞れたのは奇跡だ。


 カノサは息も絶え絶えに竜の問答に答える。





「よい、そこの聖女。オレの友に枷を課したその女、それの首を貴様が刎ねよ、それで全て終わらせてくれよう」





「………………は、は」





 …………やはり。




 予想していた代償。竜は人に選ばせるのが好きだ。定命の者がその短い生涯の中で下す決断や、選択を見るのが好きだ。




 それがどんなに残酷な選択であろうと、竜はそれを好む。





「どうした? 何か問題があるのか? わかるさ、主教。貴様は弁えている人間だ。正しくオレを恐れ、正しく現状を理解することが出来る人間だ。此度の不遜、貴様の考えでないことはわかっておる」




「そ、それは」





 選択の時、迷わずそれを選ぶことの出来る人間は少ない。



 誰もが強欲な男のように己の信念(欲望)のままに笑うことが出来るわけではない。




 誰もがイかれた男のようにテンション(その時の気分)のままに挑むことができるわけではない。




 誰もが壊れた男のままにその善性(生存理由)を握りしめることが出来るわけではないのだ。



 忘れているかもしれないが誰もみんな、頭がハッピーなわけではない。




「わたしはーー」




 震える身体、まとまらない思考。それがカノサの判断を鈍らせていた。



「あーー 主教サマを、泣かせた」




 ふわり、竜の圧が和らぐ。聖女だ、聖女、スヴィ。天使の祝福を色濃く与えられて生まれてきた特別なる者。



 その秘蹟は生命を癒し、その肉体に宿る剛力は人中を超えている。




 スヴィが立ち上がり、竜を睨みつける。その小さな身体に宿る剛力、逆立つ髪の毛、膨らむ闘気。並大抵の者ならば相対するだけでみのすくむ強者の覇気ーー



 だが、今は、ダメだ。



 それでも聖女は竜には及ばない。この場においては聖女ですら中途半端としか言いようのない存在で。






「囀るな」




 竜が、一言。



「ガッ?!」




 スヴィの悲鳴、見えなかった。



 一瞬で、竜の隣に侍る執事服の鬼が聖女を押さえ込み床に叩きつけた。





「喋るな、オレの許可なしに。そこな聖女。天使と同じく浅慮で頭の足りない獣の仕業だろう。驕っていたか? それとも絶望的に頭が弱いのか? どうして聖女ごときが、竜と並べると思う?」




 玉座に膝をつき、手の甲に頬を預けて竜が首を傾げる。






「……あ、ぎ、ぎ、ギギギが」




 ぎ、ぎぎぎ。


 スヴィの剛力が鬼を跳ね除けようと軋む。噛み締めた奥歯が1つ、2つ砕けた。




 頑丈なロイト石、冒険都市の防壁や、帝都の城の石材にも使われている素材。それをふんだんに使っている床がひび割れていく。




「お嬢様、いかがなさいますか?」




 しかし、執事は平然と汗1つかかずに聖女を床に押さえつける。いや汗どころか、顔色1つ変わっていない。



 圧倒的な実力差。カノサの予想以上に、教会勢力と竜大使館には絶望的な戦力差が存在していた。





「ふむ、そのまま抑えていよ。なるほど、聖女。天使からの愛を強く受けし異分子。優れているだろうさ、凡百の人間多数よりも、抜きん出ているだろうさ、だが弁えていない、他を抜きん出ているだけで、決して貴様が竜と並び立てるわけではないのだ」




 どこまでも、冷たく。




「故に、不遜。その蒙昧、その行動の責は貴様の命を以って償え。主教、はよう」




 どこまでも、強く。




 竜が人に選択を強いる。



「………主教サマ、竜の言葉通りに」




 項垂れる聖女、ぐったりとその小さな身体を投げ出して。



「いさぎの良さは認めよう、そら」




 からん、からん。



 どこからか現れた剣がカノサの足元に放り投げられる。


 銀色に輝く刀身に、カノサの見開かれた目が映り込む。




「あ、……え……」




 ふらつき、身体の痺れを覚えながら、カノサが剣を拾った。




 やるべきことは、1つ。選択肢も、もはやなく。





「主教サマ……」



 己の右腕。敵ばかりの世界で唯一信頼出来る愚かで、強くて、可愛らしい右腕が全てを諦めたように、ほほえんだ。




 首をぐったりと横たえる。





「主教」




 竜の言葉は、人に響く。呼びかけは処刑の合図と同様で。




 天使教会はこれから代償を払うのだ。竜の怒り、いや、竜を見誤った代償を。



 変化を促された竜。それはたった1人の強欲な男の起こしたこの世界への侵略。




 手を出すべきではなかった。関わるべきではなかった。竜をすら変えるその人の本質は猛毒と変わらないのだから。




「…………………」





 カノサが、剣を構える。



「それで良い」




 竜が頷く。




「……主教サマ、おてまを」



 聖女が最期に、小さくつぶやいた。





 カタ、カタ………




 震える手、震える剣先が、カノサの唯一の味方に向けられて






 金貨、お金、お金、貧乏、金貨金貨金貨金金幸せ人家族竜天使クソども金さえあればスヴィ聖女教会家金貨金金金金金金金金払う聖女金金金金金金金金金金金の金お金貧乏は嫌食べものもないなにもえらべない弱者金がないのが悪いこの世は金金さえあればスヴィ金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金教会金金金

















 ーースヴィ、わたしの可愛いスヴィ









 走馬灯にも似た景色の中、銭ゲバと呼ばれた女主教、カノサ・テイエル・フイルドの脳裏に最期に残るのは、ちいさなせいじょの静かな笑顔でーー











「…………………試練」





 限界を超えたカノサ、人間の脳がこの状況を打開するための言葉をひとりでに、主人の許可なく呟かせた。




 それはまさしく奇跡。タダビトであればもたらされない、天使に対する信仰を捧げたものだからこそ、舞い降りた天啓ーー




「え?」



 聖女が、間の抜けた声を。



「なに?」




 竜が僅かに目を見開く。




「ふむ」




 鬼が愉快がに目を細めた。




「試練、試練に、ございますれば。我らの竜。人界と竜界を繋ぐ誇り高き巫女や、御身の関心を惹くかのモノ、竜殺しへの試練です」




 アアアアアンアナアアア!?!  もー知らん、もー知らん知らん知らん!! アー?! やっちまいました! やっちまいまちたよー! スヴィ1人犠牲にすれば終わってたものをやらかしましたよー!




 カノサの頭がパンクする。もう自分が何を言ってるかもわからない。



 だが、今言葉を止めれば死ぬ、それだけはわかる。




「貴様……… 抜かしたな」




 ほら、激おこですもの。空気が燃え始めている、何それ、バーベキュー特化生物ですかー?! ドラゴンしゅごーい!!



 カノサの頭がハッピーに。それは一時的なものではある、だがもう止まることはできない。



「奴を試すな、奴を測るな、それはオレですら我慢していることなのだ、それはオレの愉しみなのだ、天使教会、貴様らが竜のモノに触る権利があるとでも?」




 竜が怒る。カノサは瞬時に竜に対する理解を最新のものへアップグレードする。




 つまり、要は、お気に入りのおもちゃを他人に汚されたような感覚、いや、恋人を寝取られた? それとも初恋の相手に好きな相手がいた感覚?



 童貞厨がよ、ドラゴンじゃなくてユニコーンの間違いなんじゃあねえのかぁ??



 言葉に出せば一瞬で消し炭にされるであろうセリフを押し込み、別の言葉へと昇華させる。




「ええ、ええ! その通り、竜よ。ああ、お許しを、お赦しを乞いたいのです、竜」





 追い詰められたカノサが、涙を流しながら竜へ嘆願する。





「もうよーー」





 その様子を見る竜の目は冷たい。光の届かぬ深海にもその冷たさがきっとあるだろうと感じさせる目つき。





「貴女への愛ゆえに! 愚行に走った我らを! が弱く、愚かで蒙昧なヒトの持つ、貴女様への愛を、お許しいただきたいのです」





 カノサが叫んだ。




「主教、サマ?」




 聖女が、呆然と呟く。




 あまりに突拍子もなく、あまりにトンチンカンなセリフ。



 セリフなのだが、しかし、これも奇跡か。竜の怒気がわずかに和らいだ。






「………………………………………つづけよ」





 そう、竜。アリサ・ドラル・フレアテイルは割と自分への好意に弱い。






 オラッシュァァアアアアア!! 奇跡、奇跡キタァアアアアア、首の皮、首の皮いんちまい、繋がったアアアア!!



 最適解にたどり着いた女が、心の中で両手を上げて叫んだ。



 女主教は内心の爆発しかねない激情を己の全性能を用いて抑える。




「ええ! 貴女さまがかのモノに関心をお寄せになるそのお気持ちと同じく我らもまた心を貴女に向けているのです! 人域の外、この世の柱、超越者すら超えし偉大なる生命! そんな貴女に焦がれるのです、狂おしく魅せられているのですよ、我らか弱きヒトは!」




「…………ふむ」




 竜の眼は嘘を見抜く、ゆえにここでカノサが語るのは本心。竜という存在への本心からの憧れ、敬愛。それを間違いなく彼女は持っていて。




 それをヒトの叡智による弁舌で料理する。



 回れ、舌や。



 うごめけ、脳や。



 ここで働かねば二度と金貨を磨き、それを肴に酒を飲む時間は訪れぬと覚悟しろ。




 カノサは自分で自分に鞭打ち言葉を弄する。それもまた一つの竜へ立ち向かうヒトの姿。




「貴女の言う通り、嫉妬にございます。貴女、理解の巫女の関心を独占するかの竜殺しに我々はやいているのです、貴女の視線、貴女の声、それは今、帝国でななくかのモノに向いている、ああ、だからこそ、我らは愚行を為した! 貴女の竜殺しに近づけば、貴女が我らを見てくれるのではないかと!」




「ふむ、なるほど」




 頷く竜、大袈裟に天を仰ぐ女主教、呆然とする聖女に、笑いを堪える老執事。



「嗚呼、だからこそ、我らはこれに満足です! 蒐集竜よ、貴女は聖女1人の首で御許しになられると仰った! いいえ、いいえ! 足りませぬ! 私も、この聖女、スヴィと共に焼いてくだされば! 貴女の関心、敵意だろうとそれを少しでも独り占め出来る時をいただけたのならば!」




 ここは今、カノサのステージ。





「し、しゅきょーー」




「ーー」




 何か言おうとした聖女スヴィを目で黙らせる、あまりにも血走り余裕のない死地にて躍るカノサ派聖女の言葉を目力で止めた。





「つまり、貴様、オレの気を引きたいがためにこのようなことを?」




「愚かなことでした」




「オレが怒ることも理解した上に?」




「その怒りすら、ああ、我らには得難いものです」




 つらつらと語られる言葉の数々。一歩でもミスれば消し炭のたのしいデスゲームをカノサは踊る。




「そうか、なら、望み通り終わらせてくれよう」





 竜が目を細める、ああ、そうだ。こういう生き物だ、こういう存在だ。




 己の舌で言いくるめることが出来る簡単な存在ではない、そんなこと百も承知。




 熱が、炎が。



 ヒトの女の形を象るその姿、その中に押し込められている竜の力が、天使の教えを守る人間2人に向けられる。




 竜の力の前に這いつくばる聖女、その炎と熱、死を前に呆然と立つ主教。




「主教サマ……」




 女主教の剣、竜に手折られた剣が力なくつぶやいて。





「シャコラ、スッゾコラ」




 女主教は唇を噛んで、独特な心から湧いた鼓舞の声をつぶやく。



 少し自分の人生を思い返して、笑う。




 ある男は、その身に蠢く欲望と、キリの力を宿すイレギュラーを用いて竜に立ち向かった。




 カノサは身に余る天使の奇跡と、やけっぱちのド根性で竜と相対する。




 ヒトは誰しも武器を持つのだ、時に竜をも殺す毒を誰しもが持ちうる。



 それこそがヒト、可能性の生物最大の武器にして、狂気ーー





 女主教は賭けに出る。やけっぱちの自暴自棄でもなければ決して言えない言葉。




 だが、カノサは知っている。死に1番近い場所でこそ、生は光輝くことを。



 だから、覚悟してその言葉を言うーー



















「あーあ、竜殺しも大したことなかったなー」




 心底、つまらなさそうに。




 カノサは、竜の逆鱗に再び触れた。むしろビンタだ、竜の逆鱗を逆撫でするのではなく鼻くそほじった手でビンタをかました。





「ーー今、なんと?」





 竜の周囲に満ちていた熱、それが揺らいだ。


 あまりの言葉だったのだろう、予想だにしない言葉だったのだろう。



 だからこそ、竜はポカンと口を開いて固まった。

 戸惑い、それが竜に現れて。





「ああ、白金貨50枚の契約、たしかに凡百の人間であればそれは生涯をかけても手に入れることの困難な金額でしょう」




 プリジ・スクロールの契約内容。聖女が竜殺しと結んだ懲罰規定つきの契約を女主教がつぶやく。




 言ったった、言ったった、言ったてもーた。もう止まらない、止められない、その困惑が怒りに変わる前に、カノサは舌をフル回転させまくる。




 ここからが、正念場。





「ですがかのモノは"竜殺し"、人でありながら、人を超えず、人のままに竜を殺したまつろわぬ者。ああ、残念だ。であるのに竜は、彼をその程度のものと考えていらっしゃる。白金貨50枚も集められぬ程度の実力しかないと」




「………………………」




「スヴィ、聴かせてちょうだい。貴女は何故、竜殺しと契約を結ばせたの?」




 これも賭けだ。スーパード天然のこの子に腹芸は期待していない。だが、だからこそ使える方法もある。





「……それは、尊かったから、です。ヒトの死を、ヒトの終わりを見つめ、静かに送るその姿が、主教サマに似ていたから…… だから、助けました。だから、契約を結んで貸し借りを、なしに…… 天使の教え、対等を尊び、契約をかわしました、それとーー」




 それは心の底からの真実。



 竜もそれを理解したのだろう、スヴィの言葉を遮ることはしない。



「ああ、その通り! その通りです! 全ては愛! 竜殺しの力を、我ら天使教会は認めております、竜殺しの行く末を見届けたい、その姿、その有り様を我らは肯定しているのです! ああ、光栄です、竜が彼の力を信じぬゆえに、竜が彼を庇護するゆえに、我らは貴女の関心を引けた、それで滅ぶのなら本望です」




 何が続けて言おうとしたスヴィの言葉に被せてカノサがクルクル廻りながら、竜へ手を広げる。





「いかように、この生命、貴女の意思のままに。我らの竜。貴女の庇護下に生きる竜殺しにも、溢れんばかりの光がありますように」




 そして、思い切り微笑む。本人は最高級の美しい笑顔のつもりだったが、この場にいる者には狂人の微笑み以外の何者でもなかった。





「………………………………………」





 竜が、ついに、押し黙る。



「主教サマ……」



「静かに」



 カノサがダンスの決めポーズのまま、聖女の言葉を遮る。やるべきことは全てやった。これで死ぬのなら仕方ない。




 奇妙な満足感のなかに、カノサはいて。






「…………………ふむ、ベリナル、どう思う?」




 竜がふと、聖女を抑え続ける執事に問いかける。



「失礼ながら、お嬢様の完敗かと。ここで彼女らを処断すれば、彼女の言葉が真実であるとお嬢様本人が、お認めになられたことになりますな」




 くくく、喉で笑いながら執事が答える。



「ふむ、ナルヒトがオレの庇護下にある、というのか?」




「ええ、それと、かの者の実力をお嬢様自身が信じていないことにもなりますな。白金貨50枚も集められぬ程度の人間であると認めたことにもなります」





「ふむ、たしかに」




「加えていうのなら、彼女たちは見事、竜の関心を引き、竜への愛のために滅んだ者として記録されましょう。竜界にもそのように伝わることになります。ふ、一本取られておりますな、既に」




「ふむ、そうか」




「そうでございます」




 淡々と問答を続ける主人と従者。小気味の良い信頼がその会話に浮き出ていた。



 超越者同士のただしい同盟の姿。竜と執事はまるで聞き分けの良い孫と、聡明な祖父のように会話を続けて。





「面をあげよ」




「はっ」




「はい……」



 カノサが汗まみれの顔をあげる。



 執事の拘束から解き放たれた聖女がすぐさまカノサに寄り添い同じく膝をついて顔をあげる。



「見事。女主教、オレの前でホラを吐き、舌を回せたこと、褒めてやる」




「ありがたき」





「気が変わった、オレの竜殺しへの愚行、それを償う方法は貴様らの生命ではなく、別の方法で返してもらう」




「……いかようにも!」




 奇跡は成った。ふつふつと湧いてくる歓喜をカノサは抑える。




「ふむ、その言葉に異はないな?」




「は、勿論です」




 だからだろうか。カノサは気付かない。竜がどこか笑いを堪えたかのように首を傾けて、瞳を猫のようにぎらつかせたことを。




「では1つだけ。これから奴がこの街に、そしてこの国に起こすだろう数々の騒動、それの後始末を貴様ら天使教会の主命とせよ」




「そ、騒動?」




「アレは異物だ。湖の水面に波紋をおこすもの、完成したものを壊すものでもあり、凝り固まったものを進める者でもある。ああ、色々考えていたのだ。あまりオレがでしゃばりすぎるのを奴は嫌う。だが何か手助けはしたいものなのだ、友、だからな」





 カノサと、スヴィはしばし、ぼうっとした。




 生物的には同じ女、同性であるはずの、竜、竜の巫女、蒐集竜の"奴"のことを語る顔が、あまりにもーー





「ゆえに、天使教会。冒険者、トオヤマナルヒトの庇護は貴様らがせよ。表立ってする必要はない、契約が貴様らを縛る間、奴を見守れ、此度のことはそれで不問とする」




「お言葉……まこと、まこと、ありがたく」




「ありがたきしあわせ」





 シャアアアアオラァアアア!! 勝った、勝ったわよおおおお!



 庇護、騒動の後始末? もうなんでもやりますとも! そんなもの、いくら竜殺しと言えど個人だ、人間だ。



 ()()()()()()()()




 竜との約束は、口約束と言えどプリジ・スクロールに匹敵する絶対契約に近い、しかしどう考えてもこれは儲けものだ。




 個人の庇護と、少しばかりの便宜で竜との全面戦争を回避出来た。




 出来過ぎだ、さすがわたし、日頃の行いが全てなのだ。よっしゃ勝ったな、風呂入ってこよ。




 カノサが心の中で花びらを振り撒きながら踊り始めていたその時だ。





「失礼致します、お嬢様。今、走り狗からの報告であの方にトラブルが発生しているようです」




 竜の隣、空間が歪んだ。ぐにゃりとガラス細工の成形段階のように歪んた空間からひょこりとメイドさんが現れた。




 隣にいるスヴィが僅かに息を呑むのがわかる、あのメイドさんもまた聖女をすら戦慄させる存在なのだろう。




 カノサはしかし、どこか他人事のように超越者同士のやりとりを見つめる。




 いやー、いやいやいやい、もう余裕っしょ、これ以上はもうないっしょ、勝ちっしょ、アザアザのアザス。




 比較的調子に乗りやすいカノサの脳内に冷静さはない。少しでも冷静になれば恐怖で死んでしまいそうだからちょうどよかった。




「む? ファラン、よい、許す、話してみよ」





「現在、商業区にて4級冒険者トオヤマナルヒトと、天使教会騎士団、"第一騎士"が戦闘中とのことです。東門での門兵殺害にトオヤマナルヒトが関与していること、また2級モンスター、ティタノスメヤ、4級冒険者ではどう考えても狩ることの出来ないモンスター素材を数匹、商人に持ち込んだことによる冒険者殺しの疑いをかけられているようです」





「…………………エッ?」




 不穏な、言葉。思わず身体が飛び跳ねた。



 ン? 第一騎士ってあのイノシシバカ? 脳みそが多く見積もってもスプーン大さじ1しかない戦闘バカ?




 おやおや? あれれ? なんか空気変わってきたぞ?




 カノサは額に大粒の汗が浮き出ていることに今、ようやく気づいた。



「かかかか、早速やらかしおったな、ナルヒトめ。良い、面白いやつよ」





 どこまでも愉快げに、そしてわずかに熱を帯びた竜の声。ナルヒト、そう呼ぶ声は今まで1番高い声だった。





「いかがいたしますか? お嬢様。第一騎士相手にかなり善戦してらっしゃいますが、時間の問題かと」





「かか、安心せい、ファラン。つい今しがた話がついた所よ、のう、女主教」





「……………ア、ハイ」





「そういうことだ、では1つよろしく頼む。穏便に、オレの友を救い出せ。頼んだぞ、天使教会よ」







「…………(問題起きるのが)早ない?」







 呆然とつぶやく女主教。



 その不遜なる言葉にしかし、蒐集の竜は長い金髪を揺らし、愉快げに喉を鳴らしていた。




読んで頂きありがとうございます!ブクマして是非続きをご覧ください!



<苦しいです、評価してください> デモンズ感



レビューや感想ほんとありがとうございます! 助かります、更新し続けますので完結までよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
気まぐれだけど距離遠い竜相手にするより近い問題児の方が大変なのは当たり前だよなぁ…
[一言]主教の言い訳スゲー!着地点がどこだか全く予想できなかった。
[一言] たかが知れてる?早速分からせ来たけど、そのたかが知れてる奴のせいで竜に○されかけたのに…( •︠-•︡ )
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