3話 走れ!
「あ、アンタ、すごいな……」
トカゲ男が目を白黒させる、目の前で起きた一瞬の攻防への感想はそれだけだった。
「おーう、トカゲ男、怪我ないか? わりいな、アンタのパン、クズどもに踏み潰させちまった」
おいしかったのによー。遠山が呟きながら手についた返り血を、死んだ犬男たちの服で拭う。
「うまかった、そうか……」
じーんとトカゲ男が目を瞑り、尻尾を揺らしていた。なんとなくこのトカゲの性格を遠山はわかり始めていて。
「あ、やべ。悠長にしてる場合じゃねえな」
ふと気付く。ここは、敵のど真ん中。
この時点でようやく、周りの冒険者達が状況を理解した。
奴隷が、仲間を、殺した。
素行が悪く、評判も良くない。それでも同じ徒党の仲間で、そいつらが腕が立つことも知っていた。
なのに、ヤジを飛ばして、奴隷がどんな死に方をするかの賭けを誰かが言い出して話がまとまる前に、気付けば仲間が3人死んでいたのだ。
「ろ、せ」
誰かが、言葉を。その声は震えて
「あの奴隷を殺せエエエエエエエ!!」
裏返っていた。ひどい、焦りようだ。
「ようやくかよ、灰ゴブリン連中のがよほと反応いいぞ」
遠山がにいい、と凶暴な笑みを浮かべる。細長の目がそれはもう醜く歪んでいた。
「あ、アンタ……」
「安心しろよ、トカゲさん。俺はもう、出し惜しみはしない」
「え?」
プランはもう出来ている。
ムカつく奴を3人始末してスッキリ、だがここは敵のど真ん中。
コツがある。怪物種の群れを相手にするときのコツが。
衝撃
速攻
撹乱
そして、
「頼む、ーーーー」
遠山が小さくつぶやく。既に張り巡らせ、広げていたソレを起動する。
「絶対殺せ!! 逃すな! 俺らのメンツにかかわるぞ!! 冒険奴隷に逆らわれるなんざーー え?」
「な、なにこれ、お姉ちゃん」
「エル、私のそばに、動いたらダメよ」
冒険者達が、目を向く。
ある者は言葉を失い、あるものは恐れ、あるものは庇う。
真っ白。
真っ白のモヤが彼ら冒険者を、いや、奴隷たちごと辺り一面を閉ざした。
数十センチほどの先も見えぬ、真白のモヤ、それは
「これは、霧……? なんで、こんな、急に?! いくらヘレルの塔っていってもまだここは一階層だぞ!?」
キリだ。数メートル先も見通せない、霊山から降りてきたような真白のキリ。
重たい霧が、世界を閉ざす。
誰も動かない。動けなかった。
2人の奴隷を除いてはーー
「トカゲさん、いくぞ! 今のうちだ!」
「その声、アンタか?! 前が、前が見えないんだが」
「手出せ! 引っ張る! ついてこい! あの人数皆殺しはもう少しノリノリにならんと無理だ!」
遠山がトカゲ男を引っ張り、走り始める。
迷いなく、なにも見えぬ霧中をかける。
「アンタ、なんで前が見える?! この霧は、なんだ!?」
「味方さ!俺たちの! おっと、そうだ! ダメ押ししとくか!! おーい、奴隷、てか捕まってる連中! こんなチャンスもうねーぞ! 俺らは逃げる! てめーらはどうだ?! 好きにしたほうがいーぞ! どうせ残ってもロクなことにゃなんねーぞ!」
遠山が振り向き、真白な霧の中を叫ぶ。
少しの沈黙のあと、
わああああああ!!?
逃げろ、逃げろオオオオオオ!!
どっちに、どっちに逃げる!?
奴隷どもを逃すな!! 逃すくらいなら殺せ!!
ぎゃあ?! てめえ、なんで俺を斬ってんだ!? ぶっ殺す!
あ、悪ーー ギャ?!
チッ、やられた! よしな! お前ら! この霧の中じゃ同士討ちになるよ!!
混乱、完全に冒険者達は統制を失った。
「ヨシ! 作戦成功! トカゲさん、ほら、進むぞ!」
「あ、アンタ、ほんとに何者だ? 学院の魔術師? いや、教会の騎士? それとも王国の冒険者?」
「いや、探索者だ! 2流のな!」
「タンサクシャ? いや、それよりもアンタなんでこの霧の中スイスイ進めるんだ?! 見えてるのか?」
「いや全く! でも、なんか知らねえけど"矢印"が見えるんだよ! 作戦通りだ! "キリ"を最大限濃くしても、"矢印"は見える! ヒヒヒヒ、まるでゲームのマーカーだな!」
そう、遠山の視界には再びあの"矢印"が浮かんでいる。先見えぬ霧の中、ご丁寧に【逃げろ!】 というメッセージ付きだ。
「ユーザーフレンドリーで助かるよ! ヒヒヒヒ、これが夢じゃなけりゃ最高だったんだけどな!」
探索の時にこれがあればかなり優位じゃないか? 進むべき地点を教えてくれるだけでもありがたい。
まあ、夢でもなければこんな怪しい矢印信じる気はまったくないが。
「何の話をしている?! ま、まさか、この霧はアンタが?! スキル? 魔術式、いや、まさか秘蹟?!」
「なんだそりゃ? まあとにかく走れ走れ! 中には勘のいいやつもいるだろ、ヤマカンで追ってくるかもしれねえっーーぞいや?! うわ、へ?」
ずるり。
2人がこける。
急に地面がななめに、そして濡れて、水が流れ始める。
「うお、なんじゃこりゃ!」
ウォータースライダー。つい先程まで石畳みの平行な回廊だった場所が傾き、流れる。
もちろん、探索者とトカゲ男もつるつるりん、流しそうめんのように地面を滑り落ちていく。
「う、く、"ヘレルの塔"だ!! 何が起きてもおかしくない! うおおおおおお?!」
「ヘレルの塔ってなんじゃああああああああ?!!」
夢とは思えないリアルな墜落感、水が踊り、身体が跳ねて、目の前が真っ暗にーー
【クエスト目標 達成 冒険者の包囲網を突破する】
………
……
…
わん! わん!
あはは、おまえ賢いなあ! ……なんで捨てられんだろうね
わうん? わん!
あ、ごめんな、そろそろ門限だ。……ぼくんち、施設だから、おまえを連れて帰れないんだ。……また来るから。ごめんよ、僕も食べ物、持ってないんだ。
きゅううん、ふん
ぼくたち同じだね、捨てられて家もない。だけど、ご飯は食べたいよなあ。
くうん……
そうだ、こうしよう。ぼく、あの場所から食べ物とってくるよ。しせつのやつらぼくを殴るんだ。生意気で頭がおかしいからなおしてやってるんだって……
あんなとこもういやだ。出てやる。ねえ、お前さ、よかったら、ぼくとーー
…………
………
…
ぴちょん。
「ん…… た、ロウ……」
「おい! アンタ、大丈夫か? よし、息はしてるな? 俺がわかるか?」
うっすらと目を開ける。トカゲツラが覗き込んでいた。
「んあ、トカゲ……? あれ、タロウは…… ん、てか、あれ、バベルの大穴、あれ?」
目を擦りながら遠山が身体を起こす。ボロ布の服は濡れているが身体に異常はなさそうだ。
「寝ぼけてるところ悪いが起きてくれ。俺はアンタと違って腕に覚えがないんだ。……偉く不思議なところまで滑り落ちたものだな」
トカゲ男の言葉に、遠山が辺りを見回す。
滝だ。
滝つぼのほとりにいる。辺りは薄暗く、しかし緑、赤、青に輝く岩が光源となり見通すことができた。
滝の上を眺めても何も見えない。どれほどの高さから滑り落ちたのか見当もつかなかった。
滝壺から伸びる小川、空気の流れ、風が吹いている。その感覚は本当にリアルで、これが夢なのかと本気で違和感を覚え始めていた。
「夢から覚めて、また、夢……か。 でも背中痛えな…… まさか、これ夢じゃなかったりするか?」
「なあ、頼む、しっかりしてくれ、こうなっちまったいざ頼りになるのはアンタだ……… け……」
ぼんやり呟く遠山の様子に息を吐くトカゲ男。しかしすぐにとある一点を見つめて口をあんぐり開けて固まる。
「あ? どした? 固まってから、に……」
遠山もその視線に釣られ、そしてそれを見て、言葉を失った。
【クエスト更新 "サイクロプス"から生き残れ】
それは一つ目の巨人。
みどり色の肌に、粗末な腰蓑。
8メートルほどありそうな巨人が、しゃがみ込み遠山たちを見て、よだれを垂らしていた。
「oh…… 仲良くは出来なさそうだな」
「さ、サイクロプス…… 俺でも知ってる…… モンスター、巨人種……」
『愚ウ……ウオオオオオオオオオ!!』
「トカゲさん!! 伏せろ!!」
「え、あ?」
大きな手のひらが横薙ぎに。
トカゲ男を突き飛ばしながら遠山は地面に転がるように伏せる。
『愚ウオオオオオオオ!?」
ひゅおう。髪の毛先、チリチリとした感覚、その化け物の一撃が掠めた。
「うひゃあ!? ひ、ヒヒヒヒヒヒ、これは1発食らったらアウトだな! "マザーグース"を思い出す!」
探索者は危機を嗤う。ダンジョンの酔いで茹だった脳みそが危機感や恐怖を、高揚へと変えていく。
「あ、アンタなに、笑って」
「ああ?! 怖くて面白いからに決まってるだろ! 笑いたい時には俺は笑うんだよ! それも俺の欲望だから、なあ!!」
ああ、探索者は命の危機に酔うのだ。
笑いながら遠山が近くにある手頃な石を拾い、思い切り投げつける。狙いはあのデカイ目。
ぱち。
『愚?』
目に直撃した投石。しかし、なんの意味もない。
「うーん、やっぱダメか。手斧捨てんじゃなかったな」
割とノリで生きている遠山が首を捻る。
さて、まだ"キリ"が充分には広がっていない。
だが、ここは風上、化け物は風下。もういっそ使っちまうかと考えていると
『愚ウオオオオオオ!!』
「あ、やべ」
武器もない。道具もない。まだ切り札の仕込みも出来ていない。
大腕の一撃、タイミングを間違えればぺちゃんこになり、死ぬ。
それを理解していながら、遠山鳴人はどうしても笑いを止めることが出来なかった。
「ほう、死を前に笑うか。奴隷」
ジュ……
『愚?』
ぐらり。サイクロプスの首が、傾いた。
大腕が首を押さえようと動き、ぴたりと止まる。
かと思えば、その首がもげる。鋭利な刃物により斬り落とされたのだ。
肉が焼ける良い匂いが漂った。
「ふん、あっけないものだ。こんな獲物を狩り比べの目標にするとは…… やはり、塔級、せめて"一級"程度でないと遊び相手にもならんな」
金属が重なる音。くぐもり、男か女かわからぬ声が空間に響いた。
首のなくなった巨人の肩に誰かが、いた。
「おお、マジか」
「ばか、な…… サイクロプスを一撃? 一級でも数人がかりの巨人種だぞ? い、や、まさか」
「かかか、ほう、我らの傍流のリザドニアン、どうした? 鱗色が悪いぞ」
ぐらり、地鳴りを鳴らし、首を失った巨体が倒れる。
当たり前のように飛び降りたソイツが巨人の身体を踏みつけながら歩いてきた。
鎧だ。
この暗がり、光る岩しか光源のないこの空間でもよくわかる金ピカの鎧。
雄々しい2本の角があしらわれた豪華なフルフェイスの冑に、すげえ豪華なマント付きの鎧騎士がそこにいた。
その手には、赤熱している三叉の大槍が掲げられる。あれで巨人の首を落としたのか? 信じられない膂力だ。
「お、おう、トカゲさんどうした? 腹でも下したか?」
トカゲ男が途端に、体を丸める。
尻尾をたたみ、震えながら地面に這いつくばり始めた。
「……まさか、あんた、いや、あなたは…… 竜?」
「ほう! ほう! かかか! 身隠しの祈りが込められた我が鎧の中身を見抜くか! リザドニアン、貴様、なかなかに血が濃いと見える…… よい、褒めて遣わす」
「……竜? あの鎧が?」
鎧を見る。どこにも竜要素が見当たらない。
「アンタ、アンタ本当に帝国領の人間か? ヘレルの塔、そして竜、あの金色の鎧…… 1人しか、いないだろう……?!」
「そこの人間種。貴様はリザドニアンと違って察しが悪いな、死ぬか?」
鎧のくぐもった声。男か女かわからない。
「は? なんだ、てめえ、ぶえ!? と、トカゲさん! 何すんだ!?」
遠山が鎧ヤローの言葉に言い返すと同時に、トカゲに肩を掴まれ、下に押し込まれる。
「た、頼む、アンタ、アンタは恩人だ! だが今は頭を低くしてくれ、頼む!」
トカゲに押さえ込まれながら、遠山は仕方なく膝をおる。その様子を鎧ヤローは満足そうに眺めていた。
「ほう、ほうほうほう、リザドニアン、貴様、いいな。立場を弁える賢しいトカゲは嫌いではない」
「故に1つ興を思いついたぞ。奴隷狩りよりも面白そうな、興をな」
巨人の肩から飛び降りた鎧ヤローが、ふむふむと楽しそうにこちらへ歩んでくる。
マントを偉そうに翻しながら。
「おい、なんでアイツあんな偉そうなんだ、あとトカゲさん、アンタ震えてないか?」
「静かにしろ! 逆に何でアンタはそんなに落ち着いてられるんだ!? 竜だぞ?! "塔級、タワークラスの冒険者"だ! いくらアンタが腕が立ってもアレは別格、この世の理を半分踏み越えてるような存在だ!」
「ククク、トカゲ、そう褒めるな。うむ、悪い気分ではないな。奴隷、良い、面をあげよ、おれが許す」
「は、はは!!」
「…………」
「ふんむ、人間種、貴様…… 妙な香りがするな…… まあ、いい。奴隷、褒めて遣わす、よくぞ冒険者どもの枷を破り、逃げ切ったものだ。今頃ここより少し上の階層は面白いことになっておるぞ」
「面白いこと、ですか……?」
「まあ、だろうな、それ狙いだし」
「かか! 人間の奴隷、やはり貴様狙っておったか! 良い、その態度は別として存外悪くないではないか」
「ど、どういうことなんだ?」
遠山と鎧ヤローの様子にトカゲ男が目をパチクリさせながら混乱していた。
遠山は少し考えた後、
「……トカゲさん、ここ、化け物がいるようなところなんだろ? んで上の連中、あの冒険者とかいうプライドだけは高そうなトーシローども。そして、俺が煽って一斉に逃げ出した奴隷。化け物の巣窟で人間同士の大騒ぎ、……何が起こると思う? 誰が喜ぶと思う?」
トカゲ男もそれで理解したようだ。ごくりと喉を鳴らして頷いた。
「かかか!! ああ、いや、なんだ、貴様、いい目をしてるではないか。殺せる者の目だ。数多の命を己の意思と欲望のもとに奪ってきた目だ」
その鎧が喋るたびに、身体の芯が震える。よく似た感覚を遠山は知っている。
度を超えた存在、怪物種、現代ダンジョンに巣食うあの強い生き物と相対している時と同じ感覚だ。
「…………なあ、トカゲさん、もしかして、だけど、これ夢とかでは、ない?」
あまりにリアルな感覚に、遠山が汗を流す。
「アンタ、まだそんなこと言ってるのか?! 頼む、しっかりしてくれ、今、あの方の目の前でふざけるのだけはよしてくれ」
「かか! まあよいよい! さて、そんなうぬらに私からの提案だ、なに、そう気構えるな、そう、ゲームだ」
「ゲ、ゲーム、ですか?」
「…………ロクなもんじゃねえなこれ」
嫌な予感がする。この鎧ヤローからはとても嫌な予感がしていた。
「貴様ら、今から殺し合え。生き残った方を奴隷から解放し、この塔からも生きて返してやろうぞ」
とても明るい声だ。くぐもっていてもわかった。鎧ヤローがたのしんでいることが。
「このオレ、"蒐集竜"の名に誓って、な」
クエスト目標更新
【"蒐集竜"の言う通りに、トカゲの奴隷を殺し、ヘレルの塔から脱出する】
「……は?」
「ほら、やっぱり」
<苦しいです、評価してください> デモンズ感
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