25話 冒険者ギルドの長い1日
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…
冒険者ギルドの朝は早い。
「うわー! もう"平原地帯"の依頼ねえじゃん! ちくしょう! 姉ちゃん、"自由探索"で! 申請はもういいか?!」
「はーい、承りましたー! 自由探索なのでギルドからの報酬金はありませんが、平原にて狩られたモンスターについては査定したのち適性価格で買い取らせてもらいまーす。荷車など必要でしたら各所の門でお伝えくださいねー」
都市部の外、壁の外の平原地帯に出没する怪物は早朝、活発に動く種類も多く、それだけ狩りの機会が増えるのだ。
「いやー、いつもの朝だねえ。冒険者のみなさんも活気があって大変結構」
窓口の奥で椅子に腰掛け、冒険者ギルド全体を眺める腹のでた中年男。
サパン・フォン・ティーチ辺境伯。
平穏と己の私腹を肥やすことを何より愛するこの街の領主。
彼の朝もまた早い。
理解しているのだ。己の街、己が皇帝より任されているこの都市のキモはこのギルドにあると。
「ふむ。ふむふむ。ジャイアントボアの肉の流通数が先月より少なくなってるのか…… ふんむ、帝都への輸出の主力商品だからもう少し量を増やしたいとこだけど……」
「ふむ、"ハーフリング"による軽犯罪が増えてるね…… おまけに近隣の村での略奪も増加傾向か。一度教会の騎士派と話した方がいいかもしれないなあ」
「ドワーフの人口比が減っている…… む、"工房"と商人ギルドからも陳情が増えてるな…… 原因は天使教会の祝福税の高さか…… だが酒は奴らの領域だしなあ、どうしたものか」
辺境伯邸が数多の書類に目を通していく。その速さは尋常ではない。
「見て、また領主様がものすごい勢いで書類片付けてる」
「立派な人よね。普通なら文官に任せる仕事も全部自分でやってるんだもの」
「噂ではギルドマスターとデキてるらしいけど、あれだけ仕事できたら嘘じゃないのかも」
ヒソヒソとざわめくギルド受付嬢達の声。しかし過集中している彼の耳には雑音は一切入らない。
「おっと、"姪御殿"がまた家庭教師をクビにしたのか……。帝都でも有名な古代ニホン学の学者だったのだが…… ネイティブでニホンのタンカやハイクや物語に詳しいものを用意しろ、か。ふん、魔術学院に過去へ戻ることのできる魔術式を開発させる方が早そうな話だね」
ギルドと同じ敷地内にあるのは彼の意向によるもの。曰く、冒険都市の行く末を左右する彼ら冒険者に少しでも近い存在でいたいから、と。
まあ、本当の理由は別にあるのだが。そんなことはおくびにも出さない。
数多の報告書や陳情書を一通り読み終え、1つ1つに対策を考えていく。
思考の間を縫って、ふとかけられた声。
「領主様。おはようございます」
冒険者ギルドの長。
ギルドマスター、"ハイデマリー・スナベルア"。
弱冠12歳で帝国中、最難関の教育施設、ランドナー帝国学院を主席入学、主席卒業した才媛。
その後、帝都での冒険者ギルド勤務を経て、23歳の若さで皇帝直々に、"冒険都市アガトラ"のギルドマスターに選ばれた優秀すぎる人間だ。
「ああ、マリーくん、おはよう。いい朝だね」
小太りの中年辺境伯と違ってギルドマスターには華がある。タイトなスカートから伸びるスラリとした足、丁寧にまとめられた緑色の髪、胸元をぐっと持ち上げるギルドの制服。
「もうお加減は宜しいので?」
そんな対照的な2人ではあるが、妙に彼と彼女が揃うと絵になる。ギルドの受付嬢達がチラチラとデキていると噂の2人を盗み見ていた。
「はは、なんとかね。……うん、きつかったよ、ほんと」
そんな冒険都市でも有数の人物2人。
そんな2人でも厄日という日はある。昨日の竜大使館での出来事はまさに厄、災いといっても良いことで。
「わたしもまだまだでした…… 昨日のことは良い経験になったと考えるようにいたします」
「あ、うん。君のそういうとこ素直にすごいと思うわ」
竜に呼びつけられ、その婚姻を認め祝いにいったらなんかよく分からんうちに奴隷が竜へ喧嘩を売って、その余波を食らった。
いや多分なんのプラスにもならないけどね、あんなもん100年生きてようと普通は巡り合わないけどね。
喉まで出掛かった言葉をサパンは飲み干す。
「まあ、昨日のあれは事故みたいなもんだよ、事故。今日の地下当番に竜殿はいないし、例の竜殺しもおそらくなんだかんだまだ大使館にいるだろうね。いやー、世はこともなし、いい言葉だねー」
サパンが明るく振る舞う。自分に言い聞かせるように続ける言葉。
そう、もうあんなことは起こり得ない。
竜関係のトラブルはごめんだ。巻き込まれた時点で命の危機が発生するのだから。
だが、そうそう起こるものではない。そう、ないない。もうないから。
サパンが何度も心の中で頷きまくる。完全に昨日の出来事。竜と超越者の怒気にあてられたのがトラウマになっていた。
「領主さま、あまりそういうこと言わない方が…… 蒐集竜様に常識という言葉は通用しませんので」
「なははは! 大丈夫だよ、こちとらゲロは吐くわ漏らすわ昨日は大変な目にあったんだ。そんなことそうそう続くものかね」
空明るい言葉は完全に空元気。
「漏らしてたんですか」
さりげなくカミングアウトされた事実にマリーが少し引いた。
辺境伯はそんなことを微塵も気にせず、しかし、急に首を傾げた。
「ん? おや、いきなり静かになったね。何があったのかな?」
まだこの時間はギルド中に依頼を取り合う冒険者たちの怒号が響いていておかしくない時間帯なのだが…….
「……領主様、その、お伝えするのが遅くなったことはお詫び申し上げます。昨日はお調子が優れないと思い、私の判断でご報告を上げていませんでしたから」
「うん?」
言いづらそうな顔。声色。サパンはマリーの様子を感じた瞬間、急に胃が縮む感覚を覚える。
「あの後、領主様が気を失っている中、蒐集竜、及び竜大使館より冒険都市、ひいては帝国に宣言されました」
「せ、宣言?」
「"冒険奴隷、トオヤマナルヒトの奴隷登録を抹消、及びかのものとの婚姻発表を撤回、彼自身の自由と意思を尊重する"とのことです」
「マ?」
竜が人を尊重する。
その逆は当たり前だがこれはあり得ない。すくなくともサパンの知る中でそのような事例は知らない。
「マです。公式な声明として帝国に広がるのは少し時間がかかるでしょうが。それと昨日のお昼の時点で彼はすでに冒険都市へ降りています。残念ながらギルドとして監視までは行っていませんが…… ただ、冒険者の中にスラム街へ入っていくトオヤマナルヒトの姿をみたものが」
「す、スラム街? なんでまた…… てか、ほんとに静かだね。一体何があってーー ァッ」
小さな悲鳴はサパンのものだ。
窓口の向こう側、冒険酒場の様子を覗き見た彼が、小鳥が絞め殺されたような声をあげて。
「……何も言わないでください、お願いしますから」
何かを察したマリーが眼鏡を拭きながらその場にうずくまる。彼女を知る人間からすればありえない姿だ。
「あ、あの、あのあのあの、マママママママママリリリリリククククン、君、ギルドマスターだよね、ね」
リズムを刻んだサパンの声。彼の胃の中は既にオオシケになっていた。
彼が見た光景が、そうさせているのだ。
「アー、何も聞こえません、アー!」
頭の回転が速く、聡いのも考えものだ。恐るべき光景も可能性も全て気付いてしまうのだから。
帝国屈指の才媛、冒険者の聖地、アガトラのギルドマスターが幼子のように耳を押さえて、いやいやと首を振る。
「あの、蒐集竜様と、その、彼女がいるんですが!」
そしてサパンはその恐るべき光景を自分一人で抱える気も、ギルドマスターを逃す気も一切なかった。
「アー、アーァ!」
「蒐集竜と"元勇者パーティ 射手"!! 塔級冒険者、ウェンフィルバーナ嬢がメンチきり合ってんですが! "トオヤマナルヒト"を挟んで!」
「言わないでって言ったのにいいいい、もおおおおお!」
マリーの悲鳴がギルドに響く。
冒険者ギルドの長い1日は、竜と英雄のメンチから始まった。
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