23話 宿屋に泊まろう
「え、ま、まじ、いいんですか? 泊まっても?」
遠山鳴人は、カウンターの前で目を丸くして言葉を漏らした。
年季の入った木の建物。薄暗いが窓から絶妙に入る夕光りが室内をぼんやり照らしている。
「なんだい、ここは宿屋だよ、お代さえ貰えれば誰でも泊める、うちのルールを守る限りだけどね。で、どするんだい?」
愛想のない恰幅のいいババ…… もとい婦人。
カウンターの向こう側、安楽椅子に揺られパイプを吹かしながらため息をつく。
接客業舐めてんのかと文句を言いたくなるが、遠山はそれを我慢する。ようやく、ありつけそうな寝所だ。逃すわけにはいかない。
「はい! はい、泊まります、泊まりまあす!」
色々交渉しようと思っていたが次の瞬間にはその考え全てをほっぽりだして手を挙げていた。
もう歩くのは嫌だ、そして宿を断られるのも嫌だ。
12件。
スラム街を出て後、宿泊を断られた宿屋の数だ。
どうやら粗末な服装の子供たちと差別種族であるリザドニアン、そして目つきの悪いローブだけは上等な怪しい恰好の男は泊める側にとっていい客ではなかったらしい。
一縷の望みをかけて訪れた喧騒から離れたこじんまりした安宿も断られたらどうしようかと不安ではあったが、
「あいよ、人数は?」
だが、この愛想の悪いババアは違ったようだ。
「みなさん! 点呼!」
疲れで逆にハイになっている遠山が後ろに固まっている連中に声をかける。
「1」
「に!」
「3」
「4です!」
「5!」
「あーうー」
割とまだみんな元気らしい。どうやら疲れているのは遠山だけだ。現代においては宿を探して歩きくたびれるなんてことはなかった為だろうか。
「7人かい、大所帯だね。あんたら家族かい?」
「いや、社員と経営陣だ。アットホームな職場とかふざけたもんを憎悪してるからな、俺」
あんなもん存在しないからね。職場がアットホームってことはお前、永遠にここにいろよ、働き続けろよ、家なんだからよ、という隠れたメッセージに他ならない。
遠山はバイトの求人雑誌に騙された記憶を思い出し、ほんの一瞬殺意を滲ませる。
「何言ってるかわかんないけど、その大人数なら大銅貨1枚か、銅貨10枚で一晩だね。どうする?」
「払った! 持ってけ泥棒!」
相場よりだいぶ高いその金額にラザールが目を開く。しかし、疲れ切っている遠山はそれを完全に無視して、財布をカウンターにひっくり返した。
「誰が泥棒だよ、ったく。ふうん、あんたはそこそこ身なりがちゃんとしてるね。でも他の連中はちょっと臭うよ。庭の桶に水を張ってるから部屋に入る前に身体でも拭いとくんだね。タオルは庭の物干し竿から勝手に取りな、使い終わったらここにまた届けておくれ」
ぷはーと、紫煙を弛わせながら女主人が中庭への道を示す。ロビーからそのまま出ていけるみたいだ。
「やだ、ホスピタリティ雑…… でも、そこがいい。なんだろこのファンタジー感、ワクワクしてきた」
「ナルヒト、お言葉に甘えて水を使わせてもらおう。ご婦人、ご好意感謝する」
「ふん、料金のうちだよ。食事がしたいなら一階に食堂がある。別料金だが味は保証するよ」
「すまん、婆さん。もうすかんぴんなの」
遠山が見事に空っぽ、金色の冒険者章だけ素早く手の中に隠して空っぽのサイフをめくる。
「チッ、貧乏人め。まあいい、面倒起こすんじゃないよ…… あんた、きちんとそこのがきんちょたちには食べさせてるんだろうね」
女主人が目を細めて、子どもたちを見た。
今までの宿屋の人間は汚いゴミを見るような目だったが、この老婆は違う。
憐れみと、ほんの少しの暖かさ。
「あら、大丈夫よ、おばさま! アニキさんはとても親切なんだから!」
ニコが胸を張って、物怖じせずに答える。
「そーだよー、おにいさんごちそうもしてくれるんだよー」
ペロがニコニコしながら間延びした声で返事をする。
「ふうん、躾はできてるわけだ。……ちょいと、そこの」
目を細めて、顔のサイズのわりに小さな老眼鏡を触りながら主人が遠山を手招きした。
「ん?」
「食堂の営業が終わった後、顔出しな。あまりモンだけどがきんちょたちに食わしてやんなよ」
声を潜めながら主人が遠山に伝える。
遠山は割と驚いていた。短い時間であるが、子ども達やラザールを連れて都市を歩いていた時、周りの人間から向けられていた視線は全てひどいものだった。
中には直接絡んできたオッサンもいた。
ニコを無理やり連れて行こうとしたので路地裏に連れていって、指を5本折り、金的を中心にボコボコにしたことによりなんとか、ことなきを得たほど。
スラムの住人達は都市の人々から本当に人間扱いされていないことを思い知らされた。
「ば、婆さん、アンタ態度は接客業舐めてんのかって感じだがマジいい人じゃん」
「ふん、さっさと身体洗ってきな。臭いったらありゃしない。……特にアンタ、濃い血の匂いがするよ、ったく」
ツンデレババアが遠山をしっしっと追い払う。シワシワの顔の向こう、理知の光を持つ目が一瞬、遠山を見通すように細められた。
「なんのことだか。ありがとうばあさん、水、使わせてもらうぜ」
遠山は手を振り、中庭へ向かう。
芝生が張られた中庭は広く、洗濯ものが干されたり、日除けの小さな屋根の下に大きな桶が置かれている。
木造の古めかしい建物、ボロいレンガとすすけた木で建てられている、ザ・ファンタジーな建物の様子に少し遠山はテンションが上がった。
「……いい宿屋だな、ナルヒト」
中庭の芝生を撫でながらラザールがつぶやく。
「いやー、あの婆さんなかなかただもんじゃねえな。でも良かったぜ、日が落ちるまでに宿を確保できて。8連続で宿屋断られた時はもう焦ったよ」
「……まあ、大抵俺のせいだろうな。あの女主人が剛毅な人物で助かったよ」
「差別ねえ。まあ、どこにでもある話か」
差別。前の世界でもそれはしっかりと存在していた。人種、生まれ、境遇。どこの世界でも人間の本質は同じらしい。
その後ろ暗い人間の一面に遠山はどこか、安心してーー
「わ、わ、わ! お水、とても綺麗なお水よ! 濁っても臭くもないわ!」
「……嘘みたいだ、これ飲み水じゃなくて、体を洗うことなんかにつかっていいの?」
「お前ら、これが表の常識ってやつだ! アニキ、どうぞ先に使ってくれ!」
「どうぞ!」
「あう!」
はしゃいでる子供たちを眺めて、少し笑った。
人間はクソで、敵が多い。だけど
「敵ばかりじゃねえよ、ラザール」
「ん? 何か言ったか、ナルヒト」
「いやなんでもないんだ。おーい、お前ら先に身体洗、ってニコちゃあああああああん!? ストップ、ストップ!! 君何普通に服脱ごうとしてんの?!」
遠山が大慌てで、桶の前で服をよいしょと脱ごうとしていたニコを静止する。
歳や、あの生活の割にメリハリのついた身体をしているせいで遠山は更に焦る。
たくし上げた服から覗くウエストは陶磁器のように白く、そして綺麗なラインをしていた。
「え? だってアニキさん、お服脱がないと体を拭けないわ」
きょとんとニコが首を傾げる。
「女の子でしょうがあんた! はい、服戻す! お腹出さない! おい、リダ、お前らいつも身体洗う時どうしてんだ?」
ニコの服を元に戻しながら隣で平然としているガキ大将、リダに問いかけた。
「え? 身体を洗うことなんかほとんどなかったからな…… 雨が降って来た時にみんなで服脱いで浴びたりはしてたけど」
うーんと首を捻るリダ。
自分の幼少期や子ども時代もなかなか酷かったがそれほどではなかった、はずだ。
「OH…… マジか…… この分だと身体の洗い方から教えんといかんな……」
改めて、セーフティネットのない世界の厳しさを痛感しつつ遠山がつぶやく。
清潔。
それは遠山が生活の中でかなり上位に重きを置いている概念の1つだ。汚かったり臭いのが無理というのももちろんだが、それより衛生を保つことによる体調管理が何よりの理由だ。
まだ調べてないが、おそらく医療概念についてもファンタジーおなじみでたいして進歩してないのだろう。
聖女、あの金髪の化け物みたいな魔法みたいな力がそこかしこにあるとも考えにくい。あれはおそらく例外だ。
疫病や風土病、それに対する治療法、色々この世界については考えることが多い。
あとで落ち着いたらラザールと一度話をしなければ。遠山が顎を撫でる。ああ、たのしいじゃないか。
異世界だ。常識も仕組みも法則もなにもかもが違うのだろう。スキルやら竜やら聖女やら。
だが、変わらないこともある。
自分の力はこの世界でもある程度通用し、絶対不変の原則はここでも変わらない。
敵は、殺せる。なら、何も問題はない。
ワクワクしてきた。
遠山が知らずのうちに、邪悪な笑いを浮かべる。細い目が吊り上がり、昏い悦びに歪む。
「アニキさんが教えてくれるの?! あたし教えてほしいわ! わあーい! アニキさんが身体の洗い方を教えてくれるってーー」
そんなことは知らぬとばかりに遠山の呟きにたいして素敵な解釈をしたニコがぴょんぴょんと飛び跳ねる。
いいなーとリダやペロが羨ましがるように呟き、ルカがそれをぼーっと眺めてーー
「ふっふーん! アニキさん、優しいから好きよ! アタシ、きちんと覚えるから! 身体の洗い方おしえて!」
ニコが満面の笑みで遠山に微笑む。
やべえ、事案だなこれ。あの女主人に頼んでみるか? 流石に自分がニコにそういうのを教えるのはアウトーー
「ふん、石鹸が余ってたよ、臭くて敵わないから使いな…… ちょいと、あんた、今のはなんだい?」
アウトになった。
都合よく、そしてタイミング悪く肝心な部分を聞かずに、重要なことだけ耳に入ったらしいツンデレババアが、遠山を睨んだ。
「OH…… 事案の予感。ラザールくん、助けて」
「リダ、ルカ、ペロ、シロ。いいか、基本的に女性とは裸の状態で同じ空間にいるのは良くないんだ。紳士として女性には敬意を払うのが大事だ。わかるかい?」
「「「はい! トカゲの旦那!」」」
ダメだ、割といい性格しているらしいラザールは既に遠山を見捨てて、メンズの世話をしていた。
「アイツ、ああいうとこあるよねー。合コンで気付いたら1番可愛い子と消えてそうな感じ、ヤダヤダ」
遠山が肩をすくめ、さりげなくその場を去ろうとして
「ヤダヤダじゃないよ! ちょっとツラ貸しな! 女の子になんてことしようとしてんだい!」
がっと、肩を掴まれる、わあ、力強い。
「お、おばさま、違うのよ! アニキさんはアタシをいじめようとしてるわけじゃないわ! ただ、身体の洗い方を教えないといけないって!」
ニコが慌ててツンデレババアを止める、しかしその言葉がババアの琴線に触れた。みしり、掴まれた肩が軋んだ。
「ニコちゃん、気持ちはありがたいけど少しお口チャックしててね。アニキさん、今からババアに殺されてくるからね」
「誰がババアだい! わたしはこう見えてまだ75だよ!」
「後期高齢者!! ギャァ?!!」
遠山の悲鳴をよそに、ラザールが子ども達に身体の洗い方を教える。
彼らは初めて、飲む以外の水の素晴らしさを知ることになった。年相応の笑顔とはしゃぎ声が、夕焼けの下に響いていた。
「ほんぎゃあああ?! てめ、ババアああ?! 上級探索者舐めんじゃねゴラァアアアア!!」
「この、いたいけな女の子に何しようとしてんだい! ドスケベが! 小僧!! 100年早いよ!!」
「ギャァアアアアアアア!? また、股が裂けるゥヴヴヴヴヴヴ」
汚い叫びも中庭の奥から響く。ラザールは一瞬、その叫び声の方を見て、それからすぐに子ども達へ向き直った。
友よ、助けられない時もあるんだ。そう、小さくつぶやきながら。
…………
……
…
「すう、すう」
「ごご、がが」
「すー、すー」
「みんな寝てしまったな。……こう見ると彼らも当たり前の子どもたちだ。大人が守るべき、な」
大きな藁と布のベッドに固まって寝息を立てる子ども達をラザールが優しい目つきで見守る。
ツンデレババアの好意で渡された料理の残り物に、目を輝かせ、涙を流しながら貪ったりして一気に緊張の糸が切れたのだろう。
「厄介ごと抱え込んだのは否めないけどな。いてて、あのクソババア。冒険者とやらよりもよほど強いぞ…… まあ、なんだありがとな、ラザール」
遠山は粗末なソファに背中を預けて、目の前の椅子に座るラザールに語りかける。
「なにがだい?」
「あの時、ニコを、ガキども助けようと思ったのはお前のことばのおかげだ。俺は本気であの時コイツら見捨てようとしてた」
あの時はそれが最適解だと思っていた。余計な敵を作らずラザールだけをスラム街から連れて行くつもりだった。
その選択をしていればこの光景は見れなかったのだろう。後悔は、なかった。遠山はきちんとその欲望を満たしていた。
「フッ、なんだそんなことか。違うさ、ナルヒト。決めたのも行動したのもお前だ。今、彼らが呑気に眠ってるこの光景は全てあんたの行動の結果だよ、俺は何一つ決めてはいない」
「それでも、だよ」
「……そうかい、なら素直に受け取っておくさ」
小さなロウソクと、油のカンテラだけが光源だ。
窓を開ける。
この冒険都市には割と高低差がある。坂を登った先にあるため、灯りの少ない冒険都市の街並みを眺めることが出来た。
遠く、一部明るい箇所もあるようだ。朝になれば街を散策しなければならないだろう。土地勘があまりにもない。
「ああ、それでまあ、ラザール、喫緊の課題だけ話しておきたい」
窓から入る夜風を感じつつ、少し声を潜めて遠山がつぶやく。
「ああ、それは俺もそう思っていた所さ。だが、その前にどうだい? 一杯」
ラザールも声を潜めた、しかしニヤリと笑い懐から何かを取り出す。
琥珀色の液体が入った瓶だ。見覚えがある。
「ああ、あん時飲みそびれた奴か。もらうよ」
「一気に煽らないでくれよ? ちびちびやるのがいいんだ、こういうのは」
ラザールが笑いながら部屋に置かれていた木のコップを小さなテーブルに置いた。
遠山も席を移り、椅子に座る。
ラザールが満足そうに頷き、瓶のコルクを引き抜く。
キュポン、気味の良い音が子ども達の寝息と重なる。
とくとくと少なめに注がれた琥珀色の酒。遠山は香りを嗅いで、それを煽り舌の上に広がる。
「……ん、お。……驚いた、こりゃ、美味い」
甘み、同時に鼻に抜ける濃厚なハチミツの香り。好物のお菓子を思い出した。
「ふ、まさに、天使のキスだろう? ああ、美味い。天使の祝福様々だよ。ハチミツをこんな天上の飲み物に変えるなんて。天使教会が200年以上隠し通している秘密の味、という奴だ」
「ふんふん、なるほど…… 待て、ラザール。今なんつった?」
「天使教会が200年隠している秘密、かな?」
「いやその前だ。天使の祝福がハチミツを酒に変えるやらどうたらこうたら」
なんだ、それは。独特の言い回しなのだろうか? いや、それにしては言葉のニュアンスがおかしかった。
「おいおい、アンタでもそれは知ってるだろう? パンが膨らむのも、グレプの絞り汁がワインになるのも全て天使のお力さ。教会しかその細かな仕組みは知らないよ」
言葉を失う。
遠山は今、ラザールが挙げた現象、それを起こす存在や原理を知っている。
現代に生きるものなら、大抵は一般常識として知っているそれ。
ーー発酵。
「……ラザール、発酵とか醸造、イースト菌、酵母。これらの言葉に聞き覚えないか?」
発酵だ。微生物の活動を利用して人間にとって都合の良い腐敗の名称。
パン種が膨らむのも、果実の搾り汁がワインになるのも、決して天使の祝福とやらが理由でないことを遠山は知っている。
「ハッコウ? 醸造はわかるぞ。教会が全て醸造所の権利を持っているからな。だがイーストキン、コーボ、ふむ、初めて聞く言葉だ」
「……醸造所っつー言葉があるのに発酵が隠されている? ラザール、お前、酒やパンがどうやって作られるかの仕組みを知らないのか?」
「おいおい、からかってるのか? それは天使教会の主教クラスや聖人でないと分からない天使の秘密、というやつだよ。まさか、ナルヒト、アンタそれをしってるとかーー」
ラザールが朗らかに笑う、しかし次の瞬間には真顔に戻った。
「酒は発酵によって原材料の糖分が炭酸ガスとアルコールに置き換わることによって生まれるんだ。天使とやらがどうこうしてるわけじゃない。全て菌の活動のはず。パンだって同じだ。イースト菌やら酵母やらの発酵でパンは膨らむわけだが」
遠山がその祝福とやらの正体を語る。本来、天使教会のごく一部しか知らないそれを、つらつらと。
「……なんだって? ナルヒト、それはーー」
ラザールの顔がどんどん険しくなる。
彼にとっては遠山の話は荒唐無稽そのものだが、友人の言葉を最初から否定するような男ではなかった。
そして、ラザールが酔っ払いの戯言だと断じるにはあまりにも、遠山の言葉ははっきりとしていて。
「あー、嫌な予感してきたぞ。いや、でもこの世界とあっちでは自然の法則が違う可能性も…… いや、でも発酵に関してだけ違うとか都合いいことあるか?」
色々な可能性を考える。
まだこの世界の食については情報が足りない。しかし街並みや、先程子ども達が食べていた残り物を見る限り、おそらく主食はパンだ。
発酵の仕組みを隠す。知識の占有が狙いなのだろうか。主食に関わるそれを200年続けることのできる組織とは、つまり。
「……ナルヒト、そのことの真偽がどうであれ、あまり教会を刺激しないほうが賢明だろう。教会には後ろ暗い部分もある。"聖女"や"教会騎士"とは別に、彼らの敵を秘密裏に処理する"審問会"がね」
「ああ、分かってるよ。これを教会とやらが秘密にしてるってこと。それを200年隠してること。どう考えてもきなくせえ。あんな化け物がいる組織だ、表立って敵対する気はないさ。……天使とやら、いい仕事するじゃねえか。美味いよ、このハチミツ酒」
おそらく意図的に、教会とやらは発酵の仕組みを隠している。天使がどういうものかは知らないがおそらく信仰対象なのだろう。
うまく人々の信仰心を利用し、身近な食品に絡める。なるほど、天使とやらの信仰心を高めるとともに、発酵の仕組みも隠しやすい方便だ。
そこまで考えて、遠山はこれ以上の追求をやめた。現代知識無双には憧れるが、藪蛇にしかならない気がする。
「ハッコウ、ではなかったのかい?」
ラザールが小さくつぶやく。
「知らねえな。微生物による分解による化学現象なんてもんは。この件に首突っ込むのは止めとくよ。で、それとは別にラザール、これからのことだが」
遠山が戯けて返事をする。昼間に出会った金髪シスター服の威圧感はすぐに思い出せる。あれと敵対するような真似は避けた方がいいだろう。
それよりも、今は目の前の話が重要だ。
「ああ、俺もその話がしたかった。悪いがセーフハウスから持ち出せた金は多くない。おそらくここの宿代も5日泊まればすかんぴんだろう」
「いや、5日保つだけでだいぶありがたいさ。あの時バタバタしてうまく話せなかったな。ラザール、俺たちのこれからだが」
5日間の猶予はありがたい。
異世界オープンワールドでお馴染みのアレの方法を考えるのに時間はあればあるだけ良いものだ。
「う、うーん…… あ、アニキ、その話、俺も混ぜてくれ。わりい、寝ちまってた……」
遠山とラザールの声に反応した子どもが1人いた。
目を擦りながら、起き上がる。
「リダ、お前は寝てろ。ただでさえ身体ボロボロんなってんだから」
「いや、1時間寝たからだいぶ楽になったぜ。頼む、話の邪魔はしねえ。ただ、これからアンタたちの下につくんだ。こいつらの代表として俺も話には参加しときてえ」
完治したとはいえ、腹を刺されていたはずだ。なかなかタフなやつだと遠山は少し感心した。
「どうする?」
ラザールへと視線を投げかけて。
「まあ、いいんじゃないか。ナルヒトも気付いているだろうが、リダは歳からは考えられないほど聡明だ。物事を考える力においては大抵の大人よりも優れているだろう」
「……場所変えるか」
遠山の言葉にリダが満面の笑顔を浮かべる。
大人2人とこども1人。夜はまだ、続く。気の合う仲間とこれからの予定を話し合う。
例え異なる世界でも、それは割とたのしい作業だった。
………
……
…
〜天使教会、聖別室〜
「ふんふふふん、ふふふふん、ふふふふ」
そこは天使教会200年の歴史においても、歴代の主教とそれに許されたものしか立ち入ることの許されない神聖な部屋。
「はー、ほんとこの時間だけが至福ですなあ。金ピカちゃりんちゃりんの白金貨。んっんー」
腰まである長い白髪をひとまとめにした糸目の女性。黒いシスター服を着崩したその姿はこの部屋にいる時しかしないオフの格好。
艶めく王国から取り寄せた世界でも最高級の調度品に囲まれた部屋。
「可愛いかわいい、金貨ちゃん、ああ、美しいわ…… 今月の天使粉の売り上げ、天使の祝福使用料、もとい、お布施もたんまり、ああ、帝国よ、永遠なれ……」
黒く輝くテーブルの上には白い金貨が山のように積もっている。1枚1枚、うっとりしたため息を吐きながらそれを布で磨いていく。
天使教会、最高指導者。女主教と呼ばれる彼女の至福の時。
しかし、彼女は今日珍しく金貨を100枚ほど磨いただけで手を止めた。いつもならその10倍は熱い吐息を吐きながら続けるその趣味を、だ。
「はあ、頭いたいわ、ほんと。まさか蒐集竜が殺されるなんて…… あー、でもわたしほんとよく頑張った! すり抜けた、すり抜けたわよ! 試練を!」
頭痛のタネ。
竜殺し。帝国どころか人類の歴史の中でも本当に数える程度にしか存在しない大偉業。
教会の長たる彼女からすれば大迷惑もいいところだった。竜を殺したということにアホみたいに反応した脳筋集団、教会騎士の抑え込みや、竜の絶対制をここぞとばかりに非難してくる天使原理主義。
天使教会は一枚岩ではない。帝国という国と対等な関係を維持している巨大なその組織は、蒐集竜の死という大きな投石により大きく揺らめいていたのだ。
「まあ、一応スヴィには監視だけお願いしてるけど。他の勢力もこのタイミングであの竜殺しに手出すほどバカじゃないと思うけど」
そして何より厄介なのは、あの竜殺し本人。
未だに信じられないが、今日、たしかにあの男は蒐集竜と事実上、対等な関係を築きあげたのだ。
上位生物たる竜に真正面から意見を伝え、あまつさえ再び立ち向かおうとした。あの化け物ジジイにもまとめてケンカを売ったのはもう驚きを超えて少し笑ってしまったが。
目の前で見ていたからわかる。
あの男は劇薬だ。関わりたくない。しかし放っておくのも恐ろしい、かと言って消すのはもってのほか。
竜と教会の全面戦争間違いなし。余波で帝国が滅びてもおかしくない。
彼女はこの世界と国、正確に言えば貨幣経済と富を愛している。
その愛を貫くためにはこの今の世を続けなければならない。
竜を絶対視するゆえに、竜殺しに対してお門違いの敵意、いや、嫉妬を抱く教会騎士、竜殺しを抱き込もうとするであろう天使原理主義者。
考えることが多すぎる為、とりあえず手駒のうちで最も最強のコマを監視に出していた。
騎士や原理主義者をに近づけないようにする番犬のつもりだったが、ここにきて女主教はとてつもなく嫌な予感を感じ始めていたのだ。
「……スヴイ、大丈夫よね? 上手いことしてって言ったけど、超越者たるあの子だもの。いちいち他人に必要以上に関わったりしてないわよね? 大丈夫よね?」
彼女自身のスキルが、囁く。
あー、やらかしたね、これは、と。
「いやいやいやいやいや、大丈夫大丈夫。危険が迫れば助けてあげなさいとは言ったものの、それ以上言ってないものわたし。うん、自然に恩を売るのはいいけど、あれはあくまで蒐集竜のモノ、下手に手を出したら竜の怒りを買うことくらいスヴィもわかってるわよね」
しかし、彼女はそれを振り払うように金貨に頬擦りしながら早口で独り言をブツブツと。
「あれ、なんだろ? 冷や汗が止まんなくなってきたゾ? いやいや大丈夫。大丈夫よ、わたし。スヴィよ? 聖女よ? ただの人間に必要以上に興味なんか持たないはず。わざわざ接触もしないわよ。そう、定例の報告が遅れてるのも、わたしのスキルがさっきからものすごく嫌な予感を伝えてるのもぜーんぶ気のせいよ。うん」
その早口がピークに達した瞬間。
彼女の最強の審問会が虚空より現れた。
「ただいま、主教サマ。ごめんね、遅くなりました」
当たり前のようにいつのまにか現れた小柄な白いシスター服。教会主席聖女の姿を、彼女もまた当たり前のように受け入れる。
「ごほん、スヴィ、よく戻りました。その様子だと務めは果たせたようですね。かの竜殺し、冒険都市に降りたとのことですが、特に何もなかったのですね、ね? ね、ね?」
取り繕いながら、最後らへんはもう半分懇願しつつ、女主教が聖女へと問いかける。
「むふふのふ。はい、主教サマの言いつけ通り、スヴィは彼の監視を果たしました。カラスの人員を始末していたようです」
無表情の割に愛嬌のある聖女がVサインをかましながら監視の報告を始めた。
「カラス?! え、あの男、冒険都市に降りてまだ1日も経ってないわよね? え、揉めるの早くない? こ、コホン、まあ構いません。あの害鳥が1匹でも少なくなるのならばそれに越したことはありませんし、それ以外何もなかったですよね? あの恩をそれとなく売ってもいいとは言いましたけど、スヴィわかってますよね? あれはあくまで竜の所有物であってーー」
竜から解放されて都市に降りたのは知っていたが、まだ1日も経っていないはずだ。もう早速この街のタブーに手を出しているとは。
まあ、竜を殺すのだ。カラスなぞ当たり前に殺すか。キチガイってこえー。女主教は少し呑気に考えて。
「むふふ、ご安心を。皆まで言わなくても主教サマの御心は存じております、貴女の聖女故に」
そんな彼女に向けて、聖女が懐から何かを取り出した。
ネコが主人に見て見てと獲物を見せびらかすように。
女主教は子供を見守る母親のごとき笑顔でその様子を見つめて、見つめて……
「スヴィ、アナタって子は……………………………………………………………………………………………………………Why?????」
固まった。
聖女が見せびらかした羊皮紙。生き物のように字が踊る羊皮紙など、彼女の知る限りアレしかないからだ。
「教会誓約書にばっちり、かの竜殺し、その血判をもらっちゃいました。むふふ、次の冬までに白金貨50枚を条件に彼のお願いを聞いてあげました。主教サマの言いつけ通り、彼にうまくさりげなく恩を売ってきたのです」
ネコが、セミを得意げに見せつける。褒めて褒めてと言わんばかりに。
そんなネコに対して飼い主が何を出来るだろう。いや、何も出来ない。
「??????」
主教の背後に宇宙が広がる。
そう、空、空にあるたくさんの星々、第二文明の人々の足はその星々にすら届いたらしい。
え、どうして? なんで?
「スヴヴヴヴヴヴヴイ? な、なして、なしてアナタそんなこと……」
もう声が震えるしかない。現実を見たくないが、がっつりはっきり目の前の誓約書には血判が押されていて。
「ぽっ、竜殺しさんが、主教サマと同じでどこまでも人間だったから、つい…… 主教サマを思い出してしまいまして」
聖女が何故かほおを染めて、女主教を熱い瞳で見つめる。
女主教は正反対に、真っ青な顔で高い天井を見上げていた。
あ、天使教会、私の代で終わるかもしれん。
「ああ、そう、そっか、うん、そっかー、似てたかー、しゃーねーわねー、うん」
うふふのふ、私も星の世界に連れて行ってくれないかしら。え、なにこれ、ゆめ? 竜殺しにプリジ・スクロール? うんん? え、なに、つまり、あれ? 教会の首輪つけちゃったこと? りゅうのお気に入りに勝手に首輪つけちゃったの? よーし、ママ今日ははりきって竜に中指立てて全面戦争かましちゃうぞなの? 原理主義の拗らせバカに頭下げて聖女全員と脳筋共に竜殺しの件で火をつけて第一騎士ぶつければワンチャンある? あーもう、カノサ知らない。
「ばぶう」
ばたん。
泡を吹いて彼女。天使教会主教、"カノサ・ティエール・フイルドをは金貨がたんまり積まれた机に崩れる。
「主教サマ?! なんで?!」
「あぶぶぶ」
主教は壊れながらも、そのスキルと頭をフル回転させる。
どうやって竜に釈明するか、炎で焼かれるの熱いのだろうな、クランのバカにどんな感じだったのか聞いとこ、とか思いながら。
ふっと、目を瞑りそのうち主教は考えるのを、やめた。
<苦しいです、評価してください> デモンズ感
読んで頂きありがとうございます!ブクマして是非続きをご覧ください!
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明日から繁忙期入るので少し更新ペース落ちます、ごめんね。リーマンだからね、ちかたないね。




