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13話 遠山鳴人と蒐集竜

 



「む? ギルドマスター、どうした、貴様。鳩が弓矢でも喰らうたような呆けた顔しおって。其方にはその顔は似合わんぞ」



「……あ、は、い、いえ、大変失礼を。竜の言葉有り難く頂戴致します。全てそのお心のままに」




 ギルドマスターがありえぬものを見た、と言う顔のまま、ギクシャクと頭を下げる。



「うむ、ご苦労。下がって良いぞ」



 金髪の女は相変わらずご機嫌だ。頬杖をつきつつ、遠山に視線を戻し、目を大きく開いた。




「おお、そういえば旦那殿、その服よく似合っているではないか」



「お、おお、どうも。……アンタも、あのかっけえ鎧もいいけど、その服もすごいな。なんか、その、ローマの偉い人って感じで」



「ろーま、とな? かか、まあ良い、褒め言葉として受け取っておこう」




 ケラケラと笑う金髪の女。



 帝国の民にとってその姿はまさに、異常。



「マリーくん、なに、あれ」




「竜………だと、思う、のですが……」




 辺境伯とギルドマスター。この都市の中でかなり竜大使館と距離が近い派閥の長たちはあり得ない光景にかなり正気を持っていかれていた。





 そしてその光景を、黙って見ることも、受け入れることも出来ない者もいた。







「………おい!! 奴隷!! 不敬だぞ!!」




 高い男の声が響く。



 豪華な装備、装飾の施された儀礼用の鎧に身を包んだ美青年だ。



 遠山を指差し、あまつさえ席を離れて、遠山へとズカズカ近づいていく。





「あ、ちょ! クラン!? やばいって、今はやばいって!」



「……………」




 隣の席に座っていた黒いシスター服の糸目の女性が男を止めるも、もはや間に合わず。白い修道服の女性は黙ってピクリとも、動かずただ、虚空を見つめている。





「あ?」




「先ほどから黙って聞いていればなんだ、その態度は?! 目の前に座す方をどなたと心得る!! 帝国の護り神、人と竜の縁の結び目、竜の巫女様になんたる態度だ!!」



 遠山に今にも殴り掛からんという勢いで男が迫る。鎧の音がうるさい。



「竜の、巫女?」



 ちょこちょこ聞いていたワードだが意味がわからない。だが、響き的におそらくあの鎧ヤローの呼び名の1つか。



 遠山は呑気に推測を始める。




「な、なんだ、その顔は? まさか、知らないとでも言うつもりか? 不敬すぎるにもほどがある! 本来であるならば貴様のような出自もわからぬ下賤な者が目にすることすら憚れるお人なのだ! その態度、許せぬ!!」




「あ、はあ、そっすか。お兄さん、やめてくれよ。こっちは丸腰だ。その大層な腰の剣から手、離してくれ。こわくてしかたねえ。まあ武器も持ってねえ人間に対して剣をチラつかせるのが趣味ならもう言うことねえけどよ」



 品定め。やかましい割にはこの男は強い。タイマンでやれば自分に勝ち目はないだろう。キリヤイバを使えば話は別だが。



 つまり、いつでも殺せるというわけだ。遠山は割と余裕だった。



 だがその態度が青年のプライドに障ったのだろう。



 青年がその腰の剣に手をかける。




「な、ぐ、わ、私を愚弄するか!! 表へ出ろ!! 教会騎士として今の言葉は捨て置けん!」



 名誉ある彼らは何より侮辱されることを嫌う。奴隷風情が竜と対等に話すその姿、そしてここ最近の一件で溜まっていた不満が、ここに爆発ーー






「騎士よ」



 その声が、ふりおりる。それは分岐点だ。それは死線だ。





「お恐れながら蒐集竜様に申し上げまする!! この者は明らかに御身に対して明らかーー っあ?! 火、火?! あ、あああああアアアアアアアアアア」




 そして若さゆえにその騎士はそれに気づかなかった。騎士が、()()()()()()()()()瞬間、彼は炎に包まれていた。



「ぎゃ、アアアアアアアア?! り、ゅうよおおお、なぜ、なぜえええええ、僕、だけえええ」




 炎だるまになりながら地べたを悶え回るその姿。




「うわ。まじか」




 普通に遠山は引いていた。肉の焼ける臭いに少し吐きそうになる。




「貴様、誰の許可を得て囀るか。今、オレは旦那殿と話しているのだ」




 女の声はどこまでも冷たく。転がり回る青年には届いていないだろうが。




「あっちゃー、だから言ったのに…… はあ、かしこみかしこみ、我らが竜よ、そこの愚か者の責任は全てわたくしにございますれば。ただ、そこな男の発言は全て、御身を想うあまりのこと。竜に焦がれる哀れな人の性として、どうかお目溢しちょうだい出来ませぬか?」




 黒いシスター服の糸目女性。おずおずと、しかし、かなり呑気な様子で声を上げた。




 金髪女は一瞬、場が凍るような殺意を放つが、発言したのがその糸目のシスター服だと分かるとその雰囲気を和らげた。




「む、銭ゲバよ。そういえば貴様の予言がオレと旦那殿を引き合わせたのだったな。よい、許す」




 ぱち。



 悶えて地面に暴れ回る男を包む炎が嘘のように消えた。




「あ、ぎ……」




 黒焦げ。



 美しいブロンドヘアは溶け落ち、黒コゲの人間がピクピクと痙攣していた。





「はあ、まったく、だーから連れてきたくなかったのに。竜の巫女よ、そこの愚か者、しかし我ら天使教会の剣のうち、最も鋭き者の中の10本に入る男です。どうか寛大な御心をもって、治療の許し頂きたく」




「ほう、なんだ、此奴、10騎士の1人か。かかかか! どうりで、消し炭にしてやるつもりがまだ息があるわけだ。良い、許す、治してやれ」



「御心、有り難く。スヴイ?」



「はい、主教さま」



 白い修道服の小柄な女性、140センチもなさそうだ。



 彼女がとととと、とその黒焦げの男の元へ歩み寄り、しゃがんで手をかざす。




「いと高き、貴女のお恵みを私の手のひらに」




 透き通る声。紡がれる言葉。



秘蹟(サクラメント)治癒の手」




 それは天使に与えられた奇跡。教会に属する一部の人間にしか扱えぬ天の力。



 癒しの権能が黒焦げの男に作用する。



「……う、あ……」




 驚いたことにまだ男は生きているらしかった。オレンジ色の光が灯るたびに、小さく呻く。



「ほう、教会の聖女。噂に違わぬ濃い香り、天使の深い香りが其方から漂うぞ」




「もったいなきお言葉です、竜の巫女」




「わ、たしは」



「黙って。あなたが今生きているのは竜の巫女様の気紛れと主教様が命をかけて上申してくれたおかげ。それもわからぬのなら、ここで私があなたを殺す」




「く……」



 それから男はもう何も言わなかった。



 しかし、黒焦げの顔は遠山の方を向いていた。グロいのですぐに遠山はそれから目を逸らしたが。





「かかか、さて、一悶着あったが、まあここにいる選ばれたヒトである貴様らならば、もう理解しておろう? なぜ呼ばれたのかをな」




 改めて、金髪女が再び話し始める。




「今、オレの目の前におるこの男。黒髪の奴隷。此奴こそ、このオレ、蒐集竜を殺した男。紛うことなき、真剣勝負にて、オレはこの男に敗れた」




「故に許すのだ。オレの目の前に座ることを。オレの言葉を遮ることを。オレの言葉に意見することを。オレと、対等でいることを許すただ1人の人間種である」




「そこな教会騎士はなんぞ勘違いしたのだろう。竜が人に絆されているのだと。かかか、代償は高くついたな。否、断じて否、だ」




「オレが許し、絆されるのはただ1人。この男のみ、ぞ」




「ここまで言えばオレの意思が貴様ら全員、すなわち冒険都市、いいや、帝国に伝わっただろう? 本日をもって、オレはこの男をツガイとすることに決めた。竜の婿イレぞ。誉れと思え、冒険都市、祀るといい、帝国よ。この男とオレの婚姻を持ち、帝国と竜界の縁は永遠のモノとなるのだから」




 その言葉は竜の言葉。



 帝国に今、宣言されたのだ。



 竜が、ツガイを見出したのだと。




「おお…… やはり」



「うわお、マリーくん、胃薬頂戴」



「ごめんなさい、先ほど全部飲みました」




「……なるほど、こうなったか」


 広間がざわつく。



 この場にいるのは帝国の運営にも関わる有力者たち。予想はしていたが改めて竜自身の口から告げられたソレはやはり衝撃だ。






「かか、ざわつくのも分かる。が、しかし、だ。婚姻とはつまり祝福だ。この婚姻に不服がある者は手を挙げよ。ないのならば沈黙と恭順を持って、賛成の意を示せ」



 あるわけが、ない。



 人界において竜の言葉を覆す出来るものなどいないのだから。



「かか、良いよい。ふむ、これで今日より竜と人。古の約定の1つがまた為された。ああ、竜冥利に尽きるのう。竜殺しと結ばれるのは、竜の本懐よな」





「……冒険者ギルドを代表し、この度の蒐集竜様の婚姻、真、おめでたくお祝い申し上げたく、つきましては竜祭りの折には闘技場にて祝いの一戦を奉りたく存じます」



 音もなくたちあがり、恭しく頭を下げるのはメガネの女。



「おお、よいではないか。ふんむ、そうさな。エルダーと塔級の試合が見たい。塔級は誰でも構わぬ。奴らは数少ない、オレから見ても退屈せぬ人種ゆえに」




「はっ、必ずや御身の退屈を晴らす試合をご用意いたします」




「かか、よいよい、励めよ」




「……お恐れながら、帝国を代表し申し上げます、この度の婚姻、誠にめでたい。帝都にて座する皇帝におかれましてもこの場に居合すことの出来なかったこと大変悔いておられることでしょう」




 続けて小太りの男もそれにならう。




「ああ、あのジジイもそれなりに忙しいであろう。よい、許す。辺境伯、貴様ならばあのジジイの代理として申し分ない。罰することはせん、安心せよ」




「は、なんと慈悲深きお言葉でしょうか。帝国にもちましては、此度の婚姻を祝う形として、軽い犯罪により牢に入れられているものの特赦、そして農村地帯への租税の減税、また都市部においては徳政令をもって借金の打ち消しを行おうかと。蒐集竜さまのお慈悲、という形を考えております」




「うむ、悪くない。だが金貸しの連中が哀れよの。ふむ、こうしよう。徳政令により貸付の回収ができなくなった金貸し連中に関しては、竜大使館名義でその文を補填してくれてやろう。帳簿の提出、血判状、契約書の類を用意させておけ」




「はは、なんとありがたきお言葉でしょう」




「かかか、まあ、のう。お主の商売にも金貸しどもが困窮すれば影響があるだろうし…… かか、日頃の貴様のタヌキぶりを評価しての判断よ。存分に私服を肥やすがよい」




「は、はは、竜の巫女さまも、お人、いえ、竜が悪う存じます」




 脂汗をかきながら小太りの男が愛想笑い。竜はソレきり興味をなくしたのだろう、男から視線を外した。



「して、他に?」




 金髪の女が青暗い目で広間の席を見回す。



 競うようにその場に集まった名士たちが竜の婚姻を祝い、それの祝いとして自分たちの派閥が何をするか、何を出来るかを口々に発表し始める。




 竜がそれを機嫌よく聞き、鷹揚に頷き話が進んでいく。



 この世界において、竜の婚姻とはすなわち並ぶことのない名誉であり、歴史に残る祝い事なのだ。



 少しでも竜の興をひこうと派閥の長たちが竜への敬意を示すための祝いを提案していく。





「このたびの蒐集竜さまの婚姻を祝い、商人ギルドにつきましては、貸店舗の賃料の引き下げ、またギルドの影響の及ぶ商人全てに、竜の婚姻に関わる祝いごとの商品を並べることといたします」




「ふんむ、ちと弱いの。明日までに他の案を大使館へ提出せよ。つまらぬものであれば、貴様らの交易路を全て潰す」




「は、全ての知恵を集め、御身の興をひいてみせます」




「ほう、かか、娘。悪くないな、貴様。期待しておるぞ」



「もったいなきお言葉」




 人、本来ならば竜の目に個としてとらえられることもないちっぽけな存在。



 しかし歴史の中、いくつかで時折、たまに竜に見初められる人が現れる。



「竜の巫女さま、先ほどの教会騎士の蛮行、この首をもっても贖えぬことは存じております。しかし、それでも御身の祝いの前にまず、ふさわしき罰を。教会の者の不備は全て、このわたくしに責がありますれば」




「かか、銭ゲバめ。金に汚く、およそ聖職者らしからぬ貴様を憎みきれんのはその度胸よ。貴様、オレがどうあっても貴様を殺さんとみてのその言葉であろう。かかか、許す、全て許す。そこな騎士の暴走、全てもう良い。貴様の予言と、貴様の度胸に免じてな」




「……あなた様はいと高き我らが光と並び立つほどの素晴らしい存在であります。帝国にあなた様があることを誇りに」




「かかか、良い、よい。して、教会は此度の祝賀、どう考えておる?」




 竜という数多の生命の到達点、それにツガイとして選ばれる。それはすなわち、神から直接寵愛を受けることに等しい。




 人を超えた叡智、財、不老不死、美しさ、大凡人が求めてやまないものその全てを、竜は持っている。




「は、蒐集竜さまの名の元に、まず教会が物流権と販売権を確保している聖品の大幅な値下げと市場への放出を。具体的には"天使粉"を中心とした食品必需品への教会税の減税、そしてあなた様を謳う讃美歌の創曲をひとまずのところに」




「ほう、かか、良いだろう。許す。竜祭りまでには全て完成させよ」




「は」




 皆が、頭を下げる。人と竜の関係は古より決まりきっていた。



 竜が上、人が下。



 人は竜に選ばれることでしかその存在に触れることさえ許されない。



 竜が人を試すのだ、竜が人を選ぶのだ。そして人は竜に見初められることを最大の栄誉の1つとして求める。




 天使教会の教会騎士が竜に打ち勝ち、そのツガイに選ばれることを至高の目的とするのも、帝国という国自体が竜を護り神と崇めるのも全て、竜という存在の絶対性、神聖さ。





 だからだろうか。



 この場にいる全員。この帝国で生きる皆が忘れていたのだ。



 皇帝からこの要所を任された昼行灯の辺境伯も。




 荒くれモノ、曲者揃いのアウトローのとりまとめ、ギルドマスターも。



 帝国国教、唯一の統一宗教総本山、銭ゲバ女主教に、歴代最優と歌われる教会最強戦力、聖女も。



 帝国随一の経済特区をとりまとめる辣腕の商人ギルドの長も。



 その他、人の中での選りすぐり。最低でも竜の大使館に招かれることを許された人間たち。




 誰もが忘れていたのだ。



 そう、竜でさえも。数百年ぶりの竜殺しの存在に本当に当たり前のことを忘れていたのだ。










「いや、お前とは俺、結婚しねえよ? 婚姻とか祝いとか言ってるけどよお、俺まだ独身でいたいし」





 空気が凍りついた。



 婚姻とは、片方だけの意思で決まるものではない。



 3歳のこどもでも知っていることを皆が忘れていた。




 竜との婚姻を断る人間など、()()()()()いるわけがないから。




「……………………は?」




「いや、いやいや、は? じゃねえよ、こっちがは? だよ。話がわからん、なんで俺がお前と結婚するみたいな流れになってんだ? 新手の詐欺にしてもガバガバすぎるだろ、設定が」





「………………旦那殿、オレは、竜、だぞ?」




「あ、はい。で、それが?」




「ーーーッ?!!」




「お嬢様!!」




「あ、ああ、すまぬ、爺や。少し悪い夢を見ていた。……オレの婚姻を、旦那殿が断る夢だ、かか、さて、婚姻衣装に着替えねば…… あれ、もう着てる……」




「お嬢様、お気をたしかに。夢ではありませぬ」





「え、は? オレ、竜ぞ?」




「はい、竜にございますれば」




「………ふう。よしわかった、状況が掴めた。まさかオレはいま、婚姻を断られたのか?」




「そういうことにございます」




「そうか」



「ッ?!」




 遠山の身体が強張る。



 がたん、気付けば周り、先ほどまで竜に頭を下げていた偉そうな人物たちのうち、殆どが椅子から転げ落ち、苦しそうに地べたに這いつくばっていた。





「げ、ぅえ」



「こ、れは、りょ、領主、さま、お気をたしかに……」




「す、ヴい、秘蹟を……」




「はい、主教様」




「おええ…… し、ひぬ」



 顔色を変えずにいるのは本当に数人だけ。ほとんどみな、あぶくを吐いたり、白目を剥いたりの阿鼻叫喚。




 生き物が、生き物に触れもせずにこのような影響を与えていいものなのだろうか。



 いや、いいのだ。これが竜。上位生物の威。下位生物たる人間はその威に首を垂れるのみ。




 辛うじて椅子に座ったままでいられる遠山。探索者としての化け物殺しの3年がなければおそらく気絶していたほどのプレッシャー。





「は、はあ、はあ。おい、なんの、つもりだ」




「なんのつもり、だと。貴様、旦那殿。何か勘違いしているようだな」




「……婿殿。あなた様は竜との婚姻が何を意味するか、わかっておいでではないようですな」



 玉座の隣に立つ老人が静かに、遠山に向けて言葉を紡ぐ。




「は? なんだ、そりゃ。何を意味しようとも、そんなもんーー」




 遠山が身体に力をみなぎらせ、言い返そうとして



「全て、です。婿殿」



「は?」




「あなたも人ならば欲があるでしょう。生命、金銭、名誉、性、実現。人の身にとって欲とはその者を前に進める原動力のようなもの。人はそれを叶える為に生きている、乱暴な言い方かもしれませんが1つの真実であることは確かです」




「ひ、ひひ、それは否定しねえよ、爺さん」



 欲望の話。それは遠山鳴人にとって聞いてみる価値のあるものだ。




「ほう、であるならば。この言い方であれば婚姻をご納得していただけますかな? もう一度言います。全て、ですよ。お嬢様、つまり竜との婚姻とは人の身が求める欲の全てを手に入れると同じことです」



 低い声が、ステンドグラスを通して降りる光に混ざる。




「竜と婚姻し、竜に選ばれるそれだけであなたの名前はこの帝国の歴史に刻まれる。例えあなたが滅びたのちも、帝国臣民全ての記憶にあなたは名誉の象徴として生き続ける」




「尽きぬ財、この世の全ての悦楽をあなたはなんの苦労もなく得ることができるのです。竜との婚姻とはつまり、欲望その全ての完成とも言える、ご覧なさい、お嬢様の威に伏しる彼らの姿を」




 老人の汚れの一切ない白い手袋につつまれた指が、彼らを示す。



 竜の威に平伏す人間たちを、示すのだ。




「人とは他者より秀でたい、他者に勝ちたい、他者より優れたい、比較の欲を持つ存在。ご覧なさい、あなたが竜と婚姻したのち見ることのできる光景を。どれだけ人の世界で上に立つモノであれ、竜の前にはこれ、この通り、皆が平伏す。つまり、あなたに平伏すのですよ」





「全て、叶う。全て、手に入るのです。あなたが欲しいもの、その全て、が」




 その老人の言葉は、甘い毒だ。



 人を超えた存在が、人を唆す言葉である。人である以上、その言葉は抗いがたく。



 その言葉の対象ではないはずの者まで夢想する。もし、自分が竜に選ばれていたら。



 ああ、全て手に入るのだ。竜との婚姻とはつまり、欲望の完成に他ならぬ。



 人の身で有り余るこの世の欲望の全てを、欲望のままに貪ることができる、その権利そのものーー






「……………」



 遠山が、深く椅子に座り込む。竜の本気の殺意に触れた身体が疲れ果て、目はうつろに天井、天窓からさす光を仰いでいた。







「2度は言わん、人間。オレは貴様を選んだ。我がツガイとなれ、我がモノとなれ。オレの7つある命のうち、1つを奪った貴様にはその権利がある」




「お選びなさい。選ばれし人よ。あなたはこの世界で誰よりも幸運なお人なのだから」





 竜と超人。



 2つの超越者が、遠山鳴人に声と威を届ける。



 選ぶべくもないだろう。それは完成、それは全て。ただ、頷くだけで全てが手に入るのだ。



 そうだ、死んだのだ。あの時、仲間を庇い、死んだのだ。



 そして、なんの偶然か、なんの因果か。



 続きがあった。次があったのだ。




 いいじゃないか、もう。意味もわからないが、理由もわからないが。



 婚姻、それをすれば全て手に入るらしい。湖の辺りに立てる家、それも手に入るのだろうか。




「旦那殿」



「婿殿」





 超越者、上位存在たちがその欲望のままに、下位の存在、その全てを手に入れようと言葉を向けてーー





 ああ、もういいか。全部、手に入るんなら、それでーー



 遠山鳴人がそれに屈するように、頭を縦に振る









 ーーぼうけんのたびにでるんだ! ぼくと、おまえで!



 ーーわん。わん!



 ーー湖のほとりに、店を建てたかった。 














 全てを手に入れるために、全てを投げ出そうとした遠山。しかし、その首が縦に振られることはなかった。




 はじまりもしなかった友との、ぼうけん。



 身体に痺れをもたらせたある男の言葉。



 それらに共通していたこと。ああ、ぜんぶ、たのしそうだった。




 欲望とはたのしむものなのだ。



 遠山鳴人が求めてやまないもの、欲望のままに。それが大切だ。



「ひ、ヒヒヒヒヒヒ。ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ、ああ、そうか、バカか、俺は」





「……旦那殿。答えを」




 言葉は静か。しかし、至近距離で銅鐸を鳴らせたかのような圧力に、心臓が軋む。




 だが、もう、遠山の嗤いを止めることは出来なかった。





「休みの日ってよ、実は1番楽しいのは休みが始まる前日の夜なんだよなあ」





「……なに?」




「ああ、そうだ。そうだよ、ゲームとかもよ、レベルがMAX、所持金マックスの全クリ状態より、序盤の金策やらなんやらが一番たのしかった。G級もG級なりたてでスキル構成見直したりしてる時が1番たのしいもんなあ」





「婿殿、あなた、何を?」





「ヒヒヒヒヒヒ、いや、なんだ。改めて理解したんだよ。欲望ってのは、1番たのしいのはそれを叶えようと足掻いてる時だって。ああ、そうだーー」



 立ち上がる。



 身体が悲鳴をあげる、動くな、と。目の前の生き物の機嫌を損ねるな、死ぬぞ、と。




 だが、それを無視する。それが遠山の欲望だから。




「湖のほとりに家を建てよう」




 その言葉は続いていた。最期の瞬間からたしかにこの場に続いていた。




「その為にはまず、金だ。土地を買うにも、家を建てるにもまず金がいる。この世界の経済、貨幣制度も勉強しよう。カネを稼ぐ為に仕事もしよう、その為にこの世界をよく知ろう、ああ、なんだ、なんだよ、叶えたい欲望は1つなのに」




「やることがたくさんある。めんどくせえ、だがその全てがたのしみだ。その全てが俺の欲望に繋がる道だ。道中の苦労、困難、試練、それを達成した時の悦び。ああ、そうだ、その全ては俺のもんだ」




 一歩進む。



 誰しもが超越者たちの圧に平伏すその温かなひかりがさす広間にて、強欲な人間のみが、ただ、進む。 



 目を爛々と怪しく輝かせ。





「おまえらに1つたりともくれてやるものか。全て、だと? タコが。なんもいらねえ。おまえらのモンなんて、お前らが俺に与えるものなんて、何一つ興味はない」





「なんもいらねえ。だから、俺のモンに触るな、殺すぞ」





「ほう」




「これは」





 キリだ。遠山鳴人の身体からキリが漏れ始める。竜の威がすぐさまそのキリに混ざるヤイバを焼き尽くす。




 だが




「……なるほど、婿殿の中にいた者、予想外に手強い」




「爺や?! まさか」



 老人が、その豊かな白い口髭の隙間から、こぽり。赤い血をまろびだす。




 消えない。今度は消えない。



 遠山の身体から漏れ出たキリはしかし、消え去っても、焼き切れても、消えないのだ。



 むしろ満ちていく。ああ、何故だろうか、それはやけに部屋の角からどんどん次々、キリが満ちる。






「警告だ。俺を自由にしろ。決めるのはお前たちじゃない。俺だ。欲望のままに、全てを決めるのは俺だ」




 そのキリは、主人の欲望を全て肯定する。



 そのキリは、主人のぼうけんを邪魔するものを全て狩る。




 誰もが、眼を剥いた。



 竜の言葉に意見する、竜と対等に接する。百歩除いてここまではいい。



 だが、なんだ、この光景は。



 竜との婚姻を断るだけでも、帝国の歴史、いやこの世界の摂理からすら外れた蛮行、なのに、あまつさえ、今ーー



「うえ、ほんと、新しい胃薬ほしい」




 ゲロまみれの辺境伯が、虚な視界の中それを見る。



 ああ、悪夢だ。



 ーーひとが、りゅうを脅している。





「俺にはこれからやらないといけないことがたくさんある。邪魔するか、クソドラゴン、クソジジイ、どけ」




「ふ、フフフフ、若造が、イキがいい」




「そっちが本性かよ、ジジイ。どけ、年寄りいじめる趣味はねえ」




「ははは、言うじゃねえか、クソガキ」




 遠山の足が止まる。圧が、尋常ではない。



 死ぬかもしれない。容易にそれが予想できた、だが、もう悔いはない。





「ああ、ぼうけんだ。欲望を通す。俺のやりたいようにやるための冒険だ。冒してやろう、危険を飲み込もう。死んでも、俺は欲望のままに全てを叶える」





「ハハハハハハハハ、それが最期の言葉で、いいんだな?」




「てめえこそ、品がなくなってんぞ、爺さん」



「ぬかせ、クソガキ」





 老人から放たれる殺意が膨れ上がる。



 それに反応するように、ああ、部屋の角という角から濃い、とても濃い、遠山の支配下にはないキリが立ち込める。




 超越者と冒涜者。



 互いに譲れぬ、しかし、対等な殺し合いが始まろうとして













「………旦那殿、そんなにオレとの婚姻は嫌なのか」



 ぼそり、呟かれた言葉。



 老人の殺意が少し萎む。



 あまりにもその声が、しょぼくれていた為に遠山は思わず返事をした。





「い、いや。だって、俺のお前への印象最悪だし。トカゲさん殺そうとするわ、舐めた態度とるわ、偉そうだわ。普通に嫌いだ」






「嫌い、なのか」



「うん」



「そうなのか」



「ああ」





「………………ぐすん」




「お、お嬢様?!」



 老人の殺意が一気に消えた。萎むどころから消えたのだ。それに伴い、部屋の角に満ちていたキリも嘘のように消えていく。





「…………もうよい。ぐすん。……旦那殿、すまぬことをした。爺や、オレは少し休む。……旦那殿を浴場に案内し綺麗にしたあと、街へ送ってやれ…… 丁重にな」




「は、は、よ、よろしいので?」



「……だって、きらいってゆわれたもん。これ以上、オレ、きらわれたくないし…… おふろ、入れてあげて、服もかえしてやれ。ぐすん」



 ばさり。



 女が、しょぼくれた女が立ち上がる。



 かと思えば、その華奢な背中から大きな金色の翼がに広がる。



 風がはためき、その翼にみちて、はためく。



 真上に飛ぶ、女。天窓を突き破り、一瞬で遥か彼方、高く、高く空に向かう。



 砕けた天窓のガラスがキラキラと光を受けて輝いた。



 竜の涙も同じように輝くことを、遠山は知らない。



「お、お嬢様、お待ちを!! お嬢様! くそ!! ファノン! 婿殿をお嬢様の言いつけ通りに浴場へご案内して差し上げろ! あとお越しの冒険都市の皆様にはお茶と菓子を振る舞い、丁重に都市へと送れ!! 俺はお嬢様を追う! お嬢様!! お待ちを!! アリスお嬢様ァアア!!」




 老人が優雅さを全て捨て去り、大声で叫ぶ。かと思うとそのままジャンプ。一瞬で見えなくなった。




 遠山がそれを見て固まっていると



「はい、承知いたしました」



「お世話します、むこどの」




「ふふ、おせわチャンス到来」




 気付けば、同じ顔をした人形のようなメイド集団に囲まれて、わっしょいわっしょいと複数人に持ち上げられて運ばれる。




「………うん、まあ、もういいや」




 遠山が目を瞑り、そのまま抵抗するのをやめた。あまりにも空気の寒暖差が激しすぎて、全ての思考が回らなくなったのだ。





 わっしょい、わっしょい。メイドに運ばれるスーツ姿の男。



 天窓を突き破り、目に涙を溜めて空へ逃げた竜。



 そしてそれを素ジャンプで追いかけた老人。




「……やっぱり、古代ニホン語の、塾、いってればよかった」




「……です、ね」




 とばっちりでぶっ倒れているビビりすぎてキラキラまみれの辺境伯、割と平気そうなギルドマスター。



 彼らの声は割れた天窓から広間に迷い込んだであろう、ピチチチと歌う小鳥の声に混ざっていた。






お待たせしました。いつもご覧頂きありがとうございます。


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[一言] 格好良かった。
[一言] かわいちょー
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