121話 がんばれ、偉い人たち。
「え、ええ……マジかよ。これもう、完全に、ラピーー」
「な、ナルヒト! 大変だ! 冒険都市上空に! 魔術学院が!」
「あ、薄情トカゲ、じゃねえや、ラザール」
ドロリと影の中から現れた白トカゲ男に、遠山が呟く。さっき秒で見捨てられたことを遠山は少し根に持っていた。
「あ、すまない、もう俺はアンタの竜たらしには付き合わないことにしているんだ。心臓がいくつあっても足りないからね」
スンっと、それを受け流すラザール。機械的にいやいやと振られる手、彼に表情はなかった。
「たらしたことなんて一度もねえけど!? たらしこめてんならもっと多分色々上手く行ってるけど!? ドラ子はなんか訳わかんねえ避け方するし! 人知竜の奴はなんかカチコチに固まったと思ったら消えたんだけども!?」
「ははは。たしかに。さて、これは、つまりまた、やらかしたな、ナルヒト」
「うっせ。もう頭が痛い。あー、ラザール君、一応聞くけど、魔術学院って――」
「あんたがさっきたらしこんでいた人知竜の勢力だな」
「だよね、なんかかっこいい詠唱みたいなの言ってたもんね」
先ほどの人知竜の様子を思い出す。
竜というのがめちゃくちゃな存在だとは知っていたが、改めてこういうめちゃくちゃなことをされると、それを更に実感する。
遠山が、椅子に背を預けて空を眺める。もうがっつり、空飛ぶ島が浮かんでいるのだ。
「え〜どうする?」
もう遠山は割とノビノビしてきた。人はどうしようもこうしようもなくなると、逆に余裕が出てくるのだろうか。
「いや、もうナルヒト、これはもう無理だ。正直、国家レベルの一大事さ。"魔術学院"が帝国の要衝であるアガトラに現れるなんてことはね」
「よし、切り替えよう。ラザール。もうなんやかんや竜祭りは明後日だ。よーし! ガキんちょず連れれ、街にいるストルとニコ拾って、ドワーフの工房行くか」
パン、と手を叩き、遠山が立ち上がる。
空飛ぶ島が現れて、なんかそれはもしかしてもしかすると自分のせいかも知れないが、もうしゃーないの精神で遠山が切り替える。
「ドワーフの工房? ああ、パン窯!」
割と最近図太くなってきたラザールもパン釜のことを思い出したらしい。ウキウキの顔で指をパチンと鳴らした。
「おお、それと、あとはまあ、見てのお楽しみか」
「ん?」
「ま、とにかく行こうぜ、にしても、ひひひ。ラザール、見たら驚くぞ〜」
「おっと、パン釜以外にも何かあるのかい? それは、楽しみにしておくことにしよう」
庭先で待っている子どもたちと合流し、割とキャッキャっしながら遠山たちが街へ繰り出した。
それはもう、ウキウキで。
◇◇◇◇
〜冒険者ギルド敷地内、サパン・フォン・ティーチ辺境伯の館にて〜
「ふう。うーん、マンダム。さすがは世界3大紅茶のひとつウッヴ茶、芳醇かつキレのある口当たりがカップを傾ける度に、私の心を落ち着かせてくれる」
「領主様」
香気の強い湯気を、ゆっくり吸い込む。暖かく香ばしいそれが細胞の一つ一つに染み込んでいく感覚。
サパン・フォン・ティーチ辺境伯、この街の最高責任者はゆっくりと己の趣味を楽しんでいた。
「そう、私は領主、この帝国の要衝、冒険都市”アガトラ”の治世を任されている責任あるもの。うーん、大いなる責任を伴う者とはね、つまり大いなる精神力を持つものということだよ、うん」
「領主様」
丁寧に温めたカップに、舞うように淹れたお茶。ドワーフが作ったティーポットはその持ち手にあしらわれた宝石により、今の湯の温度がわかる優れものだ。
我が子に触れる優しさで、領主が王国から仕入れたお気に入りの職人の手作りカップを撫でる。白磁に、わずかに入れられた黒と白の濃淡で描かれた景色絵は、眺めているだけでため息が出るようで。
「そう! だからね! この私はうろたえないともっっ! いつだってこのウッブ茶の香りが私を現実へ引き戻してくれるんだ! うろたえない! 帝国貴族はうろたえない! そうっ! だからこれは気のせいだ! さきほど私が窓から見た景色は嘘! 嘘! うそうそうそうそうそすそすそすそすそすそうそすおすそすそすそうそ!! ありえないもんね! そんなこと! 絶対絶対絶対! ありえないもんね!」
「領主様」
やがて、領主の顔は青くなる。まるまるぷにぷにもちもちとした身体はわずかに小刻みに揺れていて。
「そうだあああああああああ!! ありえないんだあああああああああああああ! あの”魔術学院”が、なんの予告もなく100年ぶりに帝国の上空に現れるなんってことは! そんなこと絶対にありえない! あの魔術学院だぞ! 大戦の頃より存在する”魔術師”といういう愉快犯どもの巣窟! 10以上の人類国家を滅ぼし! あの炎竜をも一回殺した枠外の存在! 1個の勢力で国家単位の戦力を持つとされる存在だ! そんなものが予告もなしに帝国本土に接近どころか、ヘレルの塔がある我がアガトラに現れるなんて、そんなことあってたまるものかい! ありえないね! そんなの! ひょこっと現れた奴隷が竜を殺すくらいにはありえない……あ、タンマ、今の表現なし、みすった、みすった」
そう。今、彼は絶賛現実逃避中。
冒険者ギルドマスター、ハイデマリー・スナベリアとの打ち合わせ中、突如冒険都市直上に出現した"魔術学院"。
この街の長にとって、それの出現はまさに悪夢でしかない。
想定にない事態、"魔術学院"という存在の厄介さ、この街の要衝、"天使教会"との調整。
一気に出現した火急のタスクに、サパンのモチモチした肌は赤くなったり青くなったり大パニック。もう胃が、先ほどから悲鳴をあげまくっていて。
「領主様、そろそろ現実を見ましょう。がっつりです、ほら、カーテンの向こう」
きっちりした制服に、黒髪ポニテの褐色クールビューティー、ギルドマスターがカーテンをシャッと開き、領主に窓の外の光景を促す。
「んんっ」
がっつり、街の空の上、お城と山と湖を備えた空飛ぶ島が、ぽっかりと。
夢、悪夢のような光景ががっつりと。
「はい、そして、街の各区画に設置している副葬品”為政者の聞き耳”からの音声がこちらとなります」
執務室に、冒険都市運営の為に置かれているヘレルの塔からの出土品、この世ならざる力を持つ物品、"副葬品"の一つ。
壁に掛けられている両端がラッパのように膨らんだ奇妙な青銅色の棒、それをギルドマスターが無表情のまま、手のひらで差して。
「いやあああ、聞きたくないいいいい」
ぷにぷにもちもちの領主が、床のカーペットにうずくまる。だが、もう、その副葬品からリンリンという音ともにーー。
『な、なんだ! あれ! 空を、飛んでる!?」
『すごーい! ママみてえ、空飛ぶお城さんだあ』
『まあ、すごいわねえ。でもあれどっちかというともう島ね。空飛ぶ島さんだわあ』
『ぶ、文献で読んだのと同じ……大戦時に樹上国家の豆の木を焼き落した雷砲をついてある……魔術、学院……』
『り、竜祭りがもう明後日だっていうのに、なんで今、戦争でもする気か? 魔術師ども』
『ほ、ほわあああああああああああああああああ、こ、この魔力と式の香り、ま、まままままままさか! あ、あ、あのお方が魔術学院にいるるるるるるるるるる!!? っべ! やっべ! 行かなきゃ!』
『あ、おい! 嘘だろ、そらとんでいっちまったよ、あの魔術師』
『いや、うちのバカ魔術師だけじゃねえぞ! アガトラ中の冒険者の魔術師連中がやべえ顔して、みんなあの島に向かってる! ま、まさか、戦争か!? このアガトラに、冒険者に、魔術師が戦争をしかけるつもりなのか!?』
『天使様……』
『あ、いたいた、おーい、ストル、ニコ、今からドワーフんとこ行くからよ、お前らも一緒に行こうぜ』
『あ、トオヤマ。ええ、あの髭もじゃたち汗くさいし、なんかやけにべたべたしてくるから嫌ディス。おっと、ここにも聞き耳が。壊しておきましょう。ほいっとーーーーーーーーーーzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz』
『おじいちゃん、あの空飛ぶ島、なーに?』
『ありゃあのう、魔術学院ちゅうてのう、おっそろしい竜の住処なんじゃ。まあ、恐ろしいが、とんでもなく綺麗なお方でのう。ほっほっほっ、お望みがかなったようでなによりですなあ、ケルブレム殿……』
『主教様! 主教様に早く報告を! 我らが教会の宿敵! 天使様の法を否定する魔術の輩が攻め込んできたぞ!』
『おのれ、卑劣な魔術学院! 教会騎士が弱体化したのを見越しての蛮行か!? 騎士団の解体など、主教様は一体何を考えておられるのか!』
『いや、落ち着け! まだ教会には審問会が存在する! かの謎の審問官殿! 一夜にしてカラスの醸造所を焼き払い、生き残りを皆殺し! 元第一騎士を傍使えとするあの謎の審問官殿! ”主教の鉄槌”がまだいるぞ!』
『おお、卿の言う通りだ! 主教様に審問会の始動を! 聖戦だ! 魔術師との決着をつける時がきた!』
「以下が、愛すべき愉快なアガトラの市民の声ですが……」
「あかん! バカしかいなさそう!! なんか大体嫌な感じに盛り上がっちゃってるゥ!! なんなの!? この街には荒くれ者しかいないの!? いやそうだわ! 冒険都市だったわ!
そりゃ、あれだよ! バカが引き寄せられそうな響きの街だようん!」
響き続ける副葬品が伝える街の声、もう誤魔化すのすら無理らしい。
「領主様、冒険都市は皇帝閣下がつけられた名です、今のは不敬罪に相当するかと」
「ちくしょう! あの老獪たぬきじじい! いつもいつもティーチ家にばっかり面倒なこと押し付けやがって! ほんっと一回政権ひっくり返したろか!」
領主が器用にティーカップを皿に乗せたまま、ピョンピョンと海老反りになって広い部屋を飛び回る。
「精兵ぞろいの南領の主が言うと冗談に聞こえなくなるのでおやめください。とにかく、まずは混乱の収拾と、魔術学院出現の原因の調査、何から始めますか、領主様」
「んごおおおおお、何はともあれ教会だよ! 教会! カノサちゃ――。主教殿とアガトラで足並みをそろえなければ何も始まらない!」
海老反りのまま、びしっと領主が言い放つ。紅茶は一滴たりともこぼれていない。
「はい、そうおっしゃられると思い、すでに天使教会に伝書鷹を飛ばしております。すでに聖堂の伝書巣へ書面が届いているかと」
「マジで!? 有能すぎるでしょ、マリーさま!」
「はい。領主様が30分前に、窓の外から魔術学院が現われたのを見て、笑顔で紅茶の葉を蒸らし始めた時にはもう鷹を飛ばしておりました」
すっと、メガネの位置を白手袋の眩しい指で直しつつ、淡々とギルドマスターが答えていく。
「あれ、なんか、マリーくん、キレてる? ちくちくしたものをオジサン感じるなあ」
海老反りしたまま、領主がすっと、紅茶を口に含んでーー。
「失礼します! 領主様! ギルドマスター様! 庭園の門に天使教会主教! カノサ・テイエル・フイルド様がお見えとなっております! 火急のご用事とのこと! いかがなさいますか!」
「すぐにお入れして! ジャストナウ!」
部屋に入ってきた家令に、海老反りから跳ね起き指示する領主。彼の肉体は躍動していた。
「は――あ!? え、嘘、早、もう――」
そして、家令がうなずいた瞬間、彼を押し退けて部屋に入ってきたのはーー。
「ちょーーーーーっとごめんなさいねえ、優秀な衛兵さんと家令さんたち。今回はマジで時間ないからご無礼するわよ! 無礼討ちは勘弁な!」
「は、は。カノサ・テイエル。フイルド様です!」
カノサ・テイエル・フイルド。
実質、この街の領主と権力を二分する帝国にとっても非常に重要度の高い人物。
この2人の辣腕により、今日、冒険都市アガトラはその抱えている厄介ごとの割に、大きなトラブルなく運営されていると言っても過言ではない。
「ご機嫌麗しゅう。領主様」
「ご足労痛み入りますな。主教殿」
黒い主教衣の裾を少しつまみあげ、礼をする主教。
腰を折り、胸の前に手をかざし、頭を下げる領主。
「「…………」」
互いに対等な敬意を相手に向ける2人、権威者特有の重い雰囲気に、この部屋にいるギルドマスターと、主教の後ろに音もなく侍る聖女が、わずかに息を呑んでーー。
「あれ、なにかなあああああああああああああ、夢かなああああああああああああ、カノサちゃああああああああああああああああああああん!!」
「夢であってええええええええええええええええええええ、もう無理よおおおおおおおおおおおおおお、おじ様ああああああああああああああああああああああああ」
崩れ落ちた2人が、手を取り合い、わんわん喚き始める。糸目の白髪女とモチモチの可愛いおじさんが泣き喚く姿にはもう、権威もクソもない。
この2人、実はかなり気ごころ知れた仲である。
主に――。
「なんかさああああ、最近やっぱりおかしいよおおおおおおおおおお、カノサちゃんと、天使教会と南領で酒や天使粉のアガリをチューチューして、ウェイウェイだけしてた頃とは違うよおおおおおおおおおおおおおおお」
「そうよねえええええええええええ、分かるわあああああああ、おじ様あああああああああ! 醸造所とか養蜂場をさあ! 南領の直轄地に立てて近隣に教会を建立することで仲良く利権をハムハムだけしてた頃がほんとに恋しいのよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
ギブアンドテイクの関係で。
おーいおいおいと泣き始めるダメ為政者たち。そう、この2人の仲の良さ、それは互いの私服を良い感じで満たすためのちょっとした小物同盟だ。
少し前までは、冒険都市と天使教会という帝国の中でもトップに君臨する勢力の長として、絶妙に法に触れず、良い感じに恨みも買わず、犠牲者も出さない、もしくは気づかないレベルの悪事をちょこちょこしていた同志の関係である。
「ああああああああ、もう、なんで、なんで、このタイミングで、蒐集竜様の竜祭りのタイミングで、あの魔術学院が……はっ、まさか竜同士の抗争をこの街でっ!!」
「あ、あ~、お、落ち着いて、おじ様。た、多分それはないわ。教会が把握している限りでは、かの竜と竜の間柄はそんなに、悪くないみたいだから」
「そ、そうなのかい? 天使教会が言うのなら、そうなんだろう。いやでも良かった、カノサちゃんとこの段階で早めに話し合いが出来て。こほん、ま、まずは、アガトラと教会の足並みを整えなくてはね。えっと、この魔術学院出現の対応だけど……」
ゆっくり、それぞれ喚いてそれなりにすっきりしたらしい2人が、正気を取り戻す。
為政者と権力者、両方に共通して言えるのは両者ともに、切り替えの速さが重要だということだ。
「おじ様、教会としてはすでに答えは出ています。こちらからの威嚇、及び敵対行為は起こしません。魔術学院は教会が真実としている”天使”様の存在に懐疑的かつ、敵対的態度を取る不倶戴天の敵ですが、正直、戦力的に教会が必ず勝利できる見込みがありませんので」
「り、了解、あー、よかった、それは私も同感だよ、ほんっとに良かった、天使教会が戦争を始めれば、アガトラも追従することになっただろうからね。そうなると、冒険者ギルドに所属している魔術師が一気に牙をむいてくることになるだろうし」
「ええ、おじ様の言う通り。連中と本気で戦うのなら圧倒的に今は手ごまが足りません。それに奴らが今回、本気で教会やアガトラに戦いを挑んできたのなら、もう終わってますもの」
「終わってる、てのは」
「あの空飛ぶ島の底面、あの奇妙な動力部、えっと確か、工房が同じような機構を開発してたわね……名前は、そう、プロペラ。あれの近くに備わっている”雷砲”。上空をすでに抑えられている以上、戦争したいのならあれを1発撃てば全て終わりますもの」
「うっわ、えっぐ」
「それが魔術師です、でもそれをしていないということは、少なくとも現状、魔術学院の目的は戦争ではない、ということです」
「あ~よかった。でも、じゃあ、なんで、また急に100年の間、魔術師以外は行方を知らなかった学院がここに……」
「――人知竜」
「ほえ?」
主教の呟きに、領主が思わす声を漏らす。
「ごめんなさい、おじ様。混乱を避けるため、そして教会の益の為、公表はしていなかったけど数週間前からアガトラには彼ら魔術師の祖、”全知竜”改め、”人知竜”が逗留しています」
しれっと言い放つ主教。
そして次の瞬間、同席していたギルドマスター、そして超越者であり、この部屋の人員でぶっちぎりの戦闘力を誇る聖女、2人が、すっと、息を呑む。
「――それを今になって報告するとはね。さすがのツラの皮の厚さじゃあないかい。主教殿」
それは、為政者の顔。
個を滅し、集団の為に存在するシステムの顔。必要であらば、指先一つで他者の命の行方を決めることが出来る男の顔で、領主がつぶやく。
「――あら、フフ。怖いお顔が出ていますよ、皇帝が恐れる唯一の貴族。ティーチ家の末裔、辺境伯様」
それを受け流す彼女もまた、そこの見えぬ権力者の顔で答える。
そのような威には慣れている、指先一つで他者の命運を決める者との交渉こそ我が生業、そんな人のみが持ち得る凄みで主教が微笑む。
「……主教サマ、めっ。ノリで挑発しない。人知竜、蒐集竜様の竜大使館にしばらくいた。教会が勝手に口外するのは、蒐集竜様の意向に背くことにもなる」
スヴィがため息をついて主教の前に割り込む。仲裁の体を装いつつ、本当は無意識にカノサの盾になれるような位置へ。
「……聖女殿、そうか、そういうことか。ふむ。カノサちゃん、すまないね。少し、私もいらだっているみたいだ、謝罪を」
「とんでもないです。アガトラは我々教会の大切な友人、その友人に気を遣わせてしまい申し訳なく」
この街のトップ、同時に毒気が抜けていく。そのような毒気を見せることすら、この2人にとっては駆け引きのコマでしかなく。
「はあ、……しかし、そうなると一気に話が見えなくなる……なぜ、今魔術学院がここに? 竜大使館に逗留しているということは、実際のところ、我らが護り竜がその縄張りに招きいれたということだ。本当に関係性が悪いということではなさそうだし……」
「ええ、実はその、つい先ほどまで、教会で起きたごたごたに人知竜がいたのですが……」
「ええ!? なにそれ、カノサちゃん! な、ななななんかそれが人知竜を刺激したとか!?」
ブルブルと領主が震える。もちもちのほっぺたが落ちそうなほどに。
「い、いいえ、そんな。おそらく、人知竜にとっては我々のごたごたなど児戯にも等しいことでしょう。このような魔術学院の召喚につながることには……」
「あー、頭いったいなあ。あ、カノサちゃん、ごめんね、さっきからたちっぱにさせて、聖女殿もほら、そこのソファに腰かけて、とりあえず紅茶でも入れようか。すごく良いウッヴ茶が入ってね」
「領主様、ここは私が淹れます」
「あ~いいからいいから、マリーくんもほら、座って座って。よいしょっと」
4人がけのソファ席に領主が皆を促す。
お気に入りのティーセット、手際よく暖かな湯気と香りを立てていく。
「あ、いただきますね、おじ様」
「頂戴します。領主サマ」
「うん、ほら、さっき焼いたお菓子もあるからね。お口に合えばいいけど」
「いえいえ、ほら、スヴィ。あなたもおじさまにお礼言いなさい」
「ありがと、領主のおじさま」
もふもふと、お菓子を頬張る聖女に領主がニコニコと微笑んだ。
「ははは、いやいいんだよ。それにしても、謎だ。どう思考を進めても、今、このタイミングで魔術学院が現れた理由を論理的に説明出来ない。どうしたものか」
「以前、私とおじさまで進めていた冒険都市災害対応目録での構想でも、流石に魔術学院が突如、空の上に出現するなんて想定はありませんものねえ。……いざとれば、"壁"を使用なさるんですか?」
すっと、互いに完璧なマナーで紅茶を傾けながら会話を続ける。
主教の細く長い手、爪にはうっすらとピンクの塗り物が差されていて。
「むう、明確に魔術学院が我々に攻撃をしてくるのなら、すぐにでも発動するのだけどね。だが、今はとにかく刺激したくないというのが本音だよ。いや、本当によかった、早めに教会と意思の歩み寄りが取れて」
「こちらもです。冒険都市の住人はスカポンタンが多いですが、その長は聡明で何よりです」
「君に聡明と言われるのは、胃が痛くなるなあ……」
領主もまた、音もなく紅茶を嗜む。
もちもちの指はしかし器用にティーカップのつまみをそっと挟み、一切音を立てることなく紅茶を傾けて。
「ああ、本当に美味しいわ……領主様、この茶葉、仕入れるのに苦労したのでは?」
「おや、わかるかい? 王国からの舶来ものは間違いないね。港で大規模な荷入れのトラブルがあったと聞いた時は焦ったものだけど」
互いに白い湯気越しに笑顔を浮かべる。
特徴的な香りが、机を囲むものたちの雰囲気を和ませていく。
「あら、寡聞にして初耳ですわ、領主様。そんなことが?」
「ああ、本家の草の者からの情報さ。海賊の襲撃を受けた船団がいてね。そのまま寄港間近のところで船が沈んでしまったらしいんだよ。幸い。港の鼻の先だったから死傷者はいなかったみたいだけど、その際荷物の回収の時に色々それぞれの船ごとの荷物が混じっちゃったとか。食料品の他にも、ほら、薬師や魔術師が使う毒物や植物とかもごちゃごちゃになったって」
「まあ、それはそれは。では、我々がこうしてウッヴ茶を楽しめるのはまさに、領主様の幸運の賜ということで」
「はは、そうだね。幸運にも、という奴さ。……まあ、その分の運のぶり返しが、今のこの状況というのなら、中々、幸運というものは、ヒトが良いように扱えるものではないのだろうね」
「それでも運を掴むのは人生を進めていくにあたって、欠かせない要素ですわ、領主様」
「ははは。君ほどの人物がいうのなら、きっとそうなのだろうね。そうだ、それでカノサちゃんや。全知竜様、いや、人知竜様か。彼女は君の所からどこにいったんだい? 教会での用事が終わった後に、魔術学院へ行ったのかな?」
すっと、領主が首を傾げる。特に交渉や、他意などない純粋な疑問を浮かべて。
「いいえ。その後は今、彼女が逗留している拠点へ戻られた筈です。教会からその後の足跡についてはそれくらいしか」
「ふむ、それでその後に魔術学院の出現か。炎竜を一度殺した伝説の古き竜。その彼女の巣である学院の出現、魔術学院はまさか、彼女が呼び寄せた、とか?」
「判断が難しいものですが、それが出来るのは彼女以外にはいないかと」
「そうだよね。そうだ、まだ聞いてなかったね。その教会が把握している今の人知竜様の逗留先は? かの竜大使館ではないのかい?」
彼らにとっては謎すぎる魔術学院の動き、それに人知竜が関わっている可能性は非常に高い。
そこまでは予想出来る。だが、それ以降の予想が立てられない。人知竜に何が起きたら、いったい魔術学院の召喚などというこの先の歴史書に間違いなく起きる珍事が起きるというのだろうかーー。
「いえ、現状、ちょうど4日前ほどから住処を変えていらっしゃいます」
「その場所は?」
それは何気ない問いかけだった。
主教カノサ・テイエル・フイルドがもし、万全であれば。
いつものルーティンである、お気に入りの森の香りがする香油を垂らした源泉の湧き出るお風呂に3時間入り、彼女お気に入りの白毛の猫獣人の部下の肉球ふみふみマッサージを2時間受けてうたた寝し、その後、古今東西津々浦々のお宝を集めた聖別室で、白金貨を最低でも100枚は磨き、天使の口づけと呼ばれる蜂蜜の名酒を暖ためて少し嗜み、ふかふかにこしらえた純白のベットでぐっすり9時間以上眠っていれば、きっと彼女はここに到着するまでに気付いただろう。
だが、彼女の昨日からここに至るまでの道はハードだった。
とある男とひょんなことから自らの死の運命の告示などというイベント、そしてそれへの対処法の考察を行い、その後溜まりに溜まった通常業務を行い、そのついでに水面下でクーデターを企んでいた反乱分子の処理を行い、しかし最近割と竜殺し込みの策略に慣れていた彼女は少し加減を見誤り、割と絶対絶命の所までひっくり返されて、やべえとなっていた所を急に来た人知竜に救われて、なんやかんや色々あった後に、魔術学院出現!!
カノサは本調子ではなかった。
故に、ようやく、今、ある可能性に気づく。
「ああ、それなら身分は確かですよ。天使教会審問官、トオヤマナルヒトの邸宅。竜殺しの家で……ァッ」
「そう、か。竜殺しの、家……人知竜、竜、逗留先、竜殺しの家……」
ある答えに。
「「………………………………」」
すっと、2人が同じタイミングでぐいっとカップの中身を呷る。
適度な渋さ、ウッヴフレーバーと呼ばれる強い香気が喉から鼻へ。スモーキーな味わいが、温かさと共に領主と主教を楽しませてーー。
「「またアイツかァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」」
2人、目を剥き叫ぶ。優雅さなんてない。ほぼ白目だ。
すっと、お互いの隣に座る2人が音もなくカップを傾けて。
「お紅茶、おいしいね、ギルドマスターさん」
「そうですね。聖女様」
褐色のクールビューティーと小柄な金髪シスターがにっこりと互いに微笑んだ。
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