105話 審問官の剣
「ストル! どこだー、ストルさーん」
朝の空気。
遠山は久しぶりの冷たく透明な空気を吸いながら中庭を歩く。
身体も、特に異常は無さそうだったので散歩がてらさっき一目みた瞬間に部屋を去っていったストルを探していた。
簡素な革の靴から感じる芝生の感触も心地よくて。
「あ」
ぶんっ!
空気を切り裂く心地の良い音。
「ハァっ!!」
それは舞だった。
修練用の木刀が少女の動きに合わせてクルクルと廻る。
足運び、前へ、木刀が踊る。
とっ、と水面を跳ねるように少女が芝生を蹴る。重力なんて知らぬとばかりに一回転、その間にも木刀はたしかに振るわれる。
武に長けた妖精の踊り、水色の長髪が少女の動きに一拍遅れて、はらりと揺蕩うーー
「ーートオヤマ……調子はもうよろしいんディスか?」
「お」
いつのまにか、少女は、ストル・プーラはこちらに気づいていたらしい。サラシを巻いただけの上半身裸、うっすらと浮いた汗が彼女の白雪のような肌の上を滑る。
「どうしましたディス、っと、ああ失礼。髪を結んでいませんでしたディスね」
ぎっ、と手首に巻いていた紐をストルが口で咥えて取り外す。そのまま、サラサラの水色の髪をいつものようにポニーテールで纏める。
遠山はつい、小さなうなじに目がいくのをむすっとしながら目を逸らした。
「はい、これで大丈夫……何故目を逸らしてるんディス?」
ストルがキョトンと首を傾げる、水色のポニーテールも同じく傾く。
「おかしい……ストルが明らかに色っぽい」
「は、はぁ? な、なんディスか! いきなり。騎士に対してその発言は失礼ディス」
「ああ、悪い。でも、ほら、これ」
「え?」
遠山が差し出したのは自分が羽織っていた簡素な布の上着。
「いくらお前でも上着くらい着てくれ。マナーだろ」
「あ……これは、失礼を……」
ストルが思ったよりも素直に遠山から上着を受け取る。するっと羽織る彼女の耳たぶがわずかに赤いのは運動によるものか、それともーー
「感心だな。トレーニングか?」
「別に、ただの習慣ディス。この中庭はある程度の敷地があるので形の確認くらいは、と」
どっこらせと、遠山が中庭に置いてあるベンチに座りながらストルに問う。彼女も同じく遠山の隣に座り簡単に答えた。
「そりゃいいことだ。俺も少し素振りと筋トレくらいするか」
「ああ、それはいいことディス。貴方、素質は悪くないディスが、それ、全て我流ディスよね? よければ私が指南して差し上げましょうか?」
「指南? あー、そうだな、天使教会最優の騎士の技術だ、習っておいても損は無さそうだ」
「ふっふっふ、いい心がけディス! …………何も言わないのディスか?」
「あ?」
「先程は、失礼しました、ディス。その、逃げ出すような真似をして……どんな顔で貴方に会えばいいか、わからなかったディス」
「どんな顔? ん? 待てよ、ストル、お前どうした? なんか様子おかしいぞ」
「……あの夜、私はまた、貴方を1人にして、置いて行ってしまった」
「あの夜? あー……」
言われて遠山は思い出す。あの夜、メイドの異界に取り込まれた時だ、確か最後まで一緒にいたのがストルだ。
そういえばストルも同じようにメイドに眠らされていた筈だが、あの異界にはいなかった。
「この前の、古代種との戦いの時にも私は、貴方を置いていった。そして、今回も、貴方に最後まで着いていくことが出来なかった。ふ、ふふ、何が、剣、ディスよね、私はーー」
「おら」
「っ」
パチィ。ストルの言葉を遮るように放たれた遠山のチョップ。それを無表情でストルがはたき落とす。
「あっ、と、トオヤマ!?」
「いっでええ……すげえな、今のタイミングで反応すんのか。恐ろしいな、騎士」
「す、すみません、つい。お怪我は?」
「ねえよ。なんだよ、お前、そんなこと気にしてたのか? てっきり、俺がまた好き勝手やったから怒ってるのかって思ったよ」
「いえ、それはもう慣れましたディス。バカには何言っても無駄ディスから」
「おっと、本当のバカからのバカ発言はくるものがあるな」
「どういう意味ディスか、私は賢いので貴方の発言を受け入れることが出来ませんディス」
軽口が飛び交う。
「ひひひ、賢いかあ、お前。……悪かったな、ストル」
「え」
「お前、バカだけどやっぱ真面目でいい奴だな。騎士道ってやつか、そーゆーのかっこいいな」
「ど、どういう意味ディスか」
「そのままさ。お前が謝る必要も気にする必要もねーよ、今回のドラ子との一件は、ありゃ完全に俺の大ポカだ。俺がしくじった、俺の認識が誤っていた。それの後始末に付き合ってくれたお前に感謝こそすれど、何かを責めるわけねーだろ」
「ですが、私は! 貴方の剣ディス! 剣は主人の危機を退ける為にあります! それが役目ディス! それを果たせない私はーー」
「ストル・プーラ。ああ、その通りだ、今更お前が只の人だなんて俺は言うつもりはない」
「ならーー」
「どれだけすごい剣でも使い手が雑魚だとその真価を発揮しないもんさ。今回は、俺がしくじった。メイドに眠らされたことなら気にすんな。ありゃ、ドラ子とどっこいか、それ以上の化け物だ。仕方ない」
「っ! 仕方ないで、私はまた、貴方をーー」
「だから次はまた頼むわ」
「え?」
「次さ。ストル、異端審問会の剣。悪いが、俺はまたこれから先もきっとやらかす。敵をたくさん作るし、始末せにゃならん奴も出てくるだろ。だから、またその時頼む」
「な、なん、ディスか、それ」
「あー? まあ、アレだ。お互いバカ同士、細かいことなしでこれからも宜しくって奴。今からまた忙しくなる。お前にしおらしくされると調子が狂うよ、ストル」
にっと、遠山が笑う。
ストルが、真夜中に昇る太陽を見たような驚愕の顔を広げて。
「え、遠山、貴方ナニカ悪いものでも食べましたディスか?
その、悪人ヅラがいきなりそんな感じになられるとは気持ち悪いのディスけど」
「悪人ヅラ? バカ言うな、俺ほど人の良さそうな善人フェイスの奴がどこにいんだよ」
「クスクス、鏡、見てきてくださいディス」
いつのまにか、すっかり笑顔になっているストル。
遠山が気付かないのは勿論だが、彼女自身も気付かない。
上着の中に隠された柔肌が、またしっとり熱く、赤くなっていることを。
「なんだよ、何度見ても人の良さそうな顔しか映らねえよ。……まあ、そういうことで、悪いがストル、これからもお前(の力)が必要だ。宜しく頼むわ」
遠山が手を差し出す。
ストルが目をぱちくりさせ、くるくると自分の髪の毛をいじって。
「ディ……そ、そうディスか。ま、まあ、審問官に仕えよというのは主教様からのご命令でもあります。ええ、私、ストル・プーラは、これからも貴方の剣であり続けますディス」
その手を、握った。
ピコン
【警告・キリヤイバからの侵食が進行しています。特性・"お前の血は白色だ"が備わっています】
「え?」
【よって貴方は"人類の天敵"になり得る可能性を秘めています。ストル・プーラの"秘蹟・正義"が自動発動します】
「あ」
《汝、罪人なり》
ずっ、ストルの背後からそれが現れる。
歪な女神像、数多の顔、身体がつぎはぎされ、ねじ折れた2つの翼を備えるそれ。
遠山はそれを知っている。天使教会騎士団、第一の騎士。ストル・プーラの特別。遠山を死の寸前まで追い詰めた。
《我、絶対のーー》
「正義……! なんで、クソ!」
遠山が目をむいて、自分の左手を自分の首に当てて、キリヤイバをーー
「止まれ、誰の許可を得て勝手に這い出てきてるんディス」
「え」
《あ、汝、正義の担い手なり、汝、正義の体現者なり、汝、人類の軌跡なり。役割を、果たせ》
「黙れ、下郎。私達は一度敗けた。力なき正義が今更おめおめと、私に恥をかかせるつもりディスか。ただの力の分際で」
《あ、ああ、よ、よせ、やめろ、幼体、何故ーー》
「黙れ、私の正義は私が決める」
しゅぽん。
掃除機に吸い込まれる埃ゴミのように、ストルの身体にそれは戻っていく。
水色の瞳が爛々と輝いてーー
「え、え? ストル、ストルさん、何?」
「トオヤマ」
「あ、はい」
「……貴方、何を隠しているんディスか。貴方の身体、いや、貴方に、何が起きているんディスか」
静かに、遠山の剣が問いかける。
それはあの時の、竜からの問いと同じものだ。
「い、いや、それは」
遠山が言い淀む、自分の身体のこと、自分の問題のことを言い淀んでーー
「あ」
竜の青い瞳から溢れる涙、気付かされた自分の間違いと、あの夢の世界で終わらせた過去との訣別。
遠山が、息を吐いて。
「悪い、ストル」
「ッ」
ストルが、ぎゅっと、遠山の袖を掴み水色の瞳を揺らす。その言葉を、恐れているかのような顔をしてーー
「ーー全部話す、俺のこと。……みんなを集めてくんねえか」
「……っ、はい、承知しましたディス。我が審問官」
今回はもう間違えない。
手痛い失敗の記憶はきちんと、遠山を支えていた。
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