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104話 72時間

 

「……え、なんでここに?」



「すぷぷ。やあ、鳴人くん。おはよう、よかったよ、目を覚ましてくれて。……いい夢だったかい?」



 遠山の言葉に、すうっと目を細めて笑う人知竜。



 彼女のその笑い方に、なぜかほんの少しだけ遠山は懐かしさを感じた。



「……ああ、まあ、結果的には」



「そう、それはよかった。何よりだよ」



「全知、いや、人知竜様がアンタの容態を見てくれていたんだ。3日間ほど目を覚さないのはこらえたよ」



 ラザールが腕を組んでつぶやく。なんとなく人知竜と以前よりも雰囲気が朗らかだ。



「マジか。えーっと、人知竜、その、ありがとう。色々、手を貸してくれて」




「なに、お安い御用さ。キミとボクの仲じゃあないかい。気にしないでいいんだよぅ」



「いい奴……!」




 他人の悪意に敏感な分、割と善意にはチョロい遠山が目を見開いて。



 がちゃり。




「あ……」


「わあ!」


「あー!」


「だう」


「兄貴!」



 その時、ドアが開いた。その向こう側から聞こえるのは5つの声。




「おー、ガキんちーーうげ!?」



 スラム街の子ども達。彼らに声をかけようとした瞬間、遠山の鳩尾に衝撃。




「よかった、よかった、目が覚めた……!」



「ル、カ、お前、なんてロケットスタートを」




 ロケットのように無言で、誰よりも早く飛び出したのはルカだ。




「う、わあああああ、よかったああああ……」



 中性的でいつもは無口な彼がハンチング帽子を脱ぎ捨てて、ベッドに横たわったままの遠山に抱きつく。




「……悪い、心配かけたな、ルカ」



「起き、起きないかと、このまま、アンタが起きなかったら、どうしようって」



「……リダ、ニコ、ペロ、シロ。お前らも、すまん、苦労かけたな」




 ほぼ頭突きだった為、かなり痛むが我慢して遠山がみんなに笑いかけた。





「へっ、よしてくれよ、兄貴。水臭い。よく帰ってくれたな」



「よかった、わたし、わたし、ほんとに良かったわ」



「あはー、おかえりー。兄貴さん」



「だう!」




 子供たちが、遠山の元へと駆け寄る。



 みんな笑っている。その様子をラザールがしみじみと眺めてーー





「すぷぷ。鳴人くん。この子達を誉めてあげておくれ。気丈にキミの看病をみんな頑張ってくれていたんだ」




「「「アイお姉様だ!」」」



「ああ、そうだ、な。ん? アイお姉……様……?」



 びゅんっ。



 遠山の元からリダとルカ以外の子ども達が一斉に離れて、黒髪の美竜の元に集う。



 飼い主を選ぶ子猫のような俊敏さだ。




「お姉様! いらしてたのね! もう寂しかった!」



「わあい、お姉様ー、今日は何して遊ぶー?」



「だう! だう!」



「すぷぷ、こらこら、鳴人くんはまだ病み上がりだ、少しみんな静かにしようねえい」



 目を瞑って、子供をあやす人知竜。手慣れている、というかなんか馴染んでいる。完全に。




「……ラザール、これは?」



「見ての通りだ。うちのお子様勢力の66%は既に、人知竜様にタラされている」



「ええ……」


 いつのまにか自勢力の半分が人知竜にタラされている状況。恐ろしい竜だ。



「……」



 ぎゅっと、遠山の元を離れなかった子どもの1人、ルカが遠山に強く抱きついた。




「すぷぷ。おや、ルカ、どうしたんだい? 鳴人くんをそんなに抱きしめたらダメじゃあないかい。そろそろ離れてもいいんじゃないかな」



「……こっちの、勝手だ」



 ルカの言葉に、人知竜は笑みを崩さない。だが、その目は笑ってはいない。深淵の黒を宿した瞳が、すうっと薄く開かれている。



「ルカ、姐さんの言う通りだ。兄貴の体の負担になる」



「……わかったよ」



 リダの言葉にルカが名残惜しそうに遠山の元を離れる。



「姐さん? え? 待って、人知竜、アンタ我が家で一体どんな地位を確立してんの? 怖いんだけど。ラザール、これは?」




「……うむ、はちみつが美味い」




 助けを求めたラザールは、ハチミツトカゲとなってグイッとコップを傾けている。




「はちみつ水に逃げるな! すーぐこの純白トカゲは甘味に逃げるんだからよお!」



「すぷぷ、いいコミニュティを築いているじゃあないかい。鳴人くん。なにそう怖がらないでおくれ。ボクは別にキミのこの家をどうこうするつもりはないのだから」




「家にいつのまにか居座ってるライオンにそんなこと言われてもなあ。草食動物からしたら怖い以外にねえんだけど」



 ぼそり、遠山がつぶやく。



「…………しゅ、ぷ」




 そして、遠山に弱いドラゴンは傷ついてしまった。無表情のまま、コロンコロンと固体の涙を流す。



「あああ!! 嘘嘘嘘! 言いすぎた! すみません、色々助けてくれたのに! 失礼しました!」



「もう! お兄さん! お姉様は恥ずかしがり屋なの! 余裕ぶってミステリアスなこと言ってるけど結局はお兄さんと仲良くしたいってだけなのよ! いじわる言ったらダメ!」




「あ、はい。すみません」



 幼女に弱い遠山が素直に頭を下げる。



 ペロとシロが人知竜に抱っこされながら、彼女の白い髪をヨシヨシと撫でていた。



「すぷぷ、ニコは優しいいい子だねえい。ペロとシロもありがとうねえ……」



「ヤダ……我が家の勢力、かなり乗っ取られつつある……!」



「ナルヒトが眠り続けていた時、不安な子ども達のケアを人知竜様がよくしてくれていたからな……」



 うんうんと頷きながら、ごくごくとハチミツ水を飲み続けるトカゲを尻目に遠山が人知竜を見つめる。




「んでよ、人知竜、そのそろそろ教えてくれねえか。俺が寝てる3日間、何があったんだ?」



「うん、そろそろ鳴人くんに伝えないとね。キミが寝ている間、何があったのか。どうして、あの幼竜がキミと会えないのか、その辺をねえい」



 きい、きい。



 人知竜が座っている安楽椅子がゆっくり、ゆっくり、揺れていた。




 ………

 ……

 …


 〜72時間前〜



「ナルヒトは、目覚めないのですか?」



 ゆらめく蝋燭は、そろそろ役目を終えるだろう。窓からそっと差すのは夜明けを告げる日の光、うっすらと。




 ラザールは6時間ほど前、竜大使館の執事に担ぎ込まれてきた眠り続ける友人を夜通し見守り続けていた。





「うーん、そう、だねえい。いや、あのメイドの異界は既に滅び、彼の魂も帰還した。魔術式の走査の結果でも異常はない。……近いうちに目を覚ますはずだが……よほど、いい思い出だったんだろうね」




 寝ずの番は1人ではなかった。



 世にも美しく、夜の神秘よりもヒトを魅せる存在。この世界の魔術師たちの生みの親にしてヒトの庇護者にして支配者の一つ。



 人知竜がラザールの言葉に声を返す。




「良かった。……人知竜様、一体今夜、何があったのですか?」




「うーん、まあ、言ってしまえば規模の大きな痴話喧嘩なのだけれども、ボクでも予想していなかった"乱入者"がいたりしてねえい。……危うくトラウマで、頭がおかしくなりそうだったよ、……確実に以前よりもおかしくなっている……なんなんだよう、アレ……あー、今思い出しただけでも、鱗がめくれあがる」




「トラ、ウマ……?」



「いいや、こっちの話だよ。ラザールくん。さて、ラザールくん。すまないがしばらくの間、ボクもこの屋敷に滞在させてもらえるかな? 鳴人くんの容体、安定しているとは言え、少し気になることがあってねえい」




「……一つお聞かせ願っても?」



「ふむ。鳴人くんの友人であるキミだ。許すよ」




「貴女は、何故彼にそこまで? 蒐集竜様がナルヒトに関わるのは分かる。ナルヒトは彼女を打倒し、友誼を結んだ。俺もその一端を見た。だが、貴女はわからない。……失礼だが、俺の知っている"魔術学院"の竜はーー」



 ラザールの言葉はかなりの覚悟をもって放たれた。彼の頭のおかしい友人とは違い、ラザールには常識がある。



 竜を疑うようなその発言、本来なら発した時点で殺されてもなんら文句は言えない蛮行だ。




「邪智暴虐、傲岸不遜、ヒトを飼う悪竜……といった所かな」


 にこり。


 安楽椅子に腰掛けた人知竜が、微笑む。夜の闇に浮かぶ銀色の髪が朝日を受けて薄っすらと輝いて。




「……リザドニアンの古い話に、"全知竜"には関わるなという話があります。ヒトが大好きな竜、彼女はどうしてもヒトと仲良くなりたかった。だが、彼女はヒトのことは好きでもヒトのことが理解出来ない。その交わりはいつも、ヒトの破滅で終わる」



 ラザールは言葉を止めない。友人の為に彼は竜を警戒し続ける。まっすぐと、リザドニアンが竜に言葉を紡ぐ。




「すぷ。耳が痛いねえい、ラザールくん。まあ、キミの心配はごもっともだとも。ふむ、どう言ったものかな。キミを誤魔化すのは簡単だ。だが、彼の良き友人にいい加減な事を言うのも良くはないねえい。どうしたものかなあ」




「……俺も、貴女を信頼したい。だがお許しを、竜よ。我々定命の者は臆病でね。上位の生物の意図がわからぬ愛玩は恐ろしいんだ」




「すぷぷ、キミが言うと実感が増すねえい。……影に愛されたリザドニアン。フローリアは随分と、キミにご執心のようだ。とても濃い、悪事と影の香り……まるでマーキングだねえい」



 人知竜が薄い唇に手を当てながら、また笑う。彼女の存在に魅せられた魔術師ならばもうこの時点で卒倒していてもおかしくはない。





「説明はしてもらえない、ということで宜しいか?」



 ラザールの足元から、影が漏れ出る。彼の感情に従い、彼の、彼だけの庇護者たる悪事の眷属、フローリアの領域が口を開く。





「まあ、待ちなよ。そんな結論を急がないでおくれ。ううん、なんて言えば伝わるのかな。……ラザールくん、ボクはね、キミとも仲良くしたいんだ。ナルヒトくんの友達だからね」



「その理由だ、竜よ。そこが知りたい。なぜ、そこまでナルヒトを……」




『……とても、綺麗でした、とても美しくて、それで』





「なに?」




 その言葉、その顔。一瞬、よく似た誰か、別人が話し出したかのような感覚。



 ラザールが更に警戒を深めて。



「ーーおっと、ごめんねえい。ああ、漏れ出てくるか。まだ消化しきれてないね、これは。すぷ、ごめんね。最近少し胃もたれ気味で、変なのが溢れるのさ。……ボクは彼のことが気になっている。知りたくて知りたくて仕方ない。それじゃダメかな」



 元に戻る。一瞬だけ感じた存在そのものがブレて変わったような感覚は消えていく。





「……ひとつだけ、答えて頂きたい。貴女は、ナルヒトの味方と思ってよろしいのか」




「ああ、そこは間違いなく。ボクは味方だとも。もし彼が世界を敵に回せば、ボクも一緒に世界を壊してもいいと思える程度には」




 ラザールの質問に、寸分の遅れもなく竜が答えた。



「……竜は」



 竜殺しの友、リザドニアンが、口を開いて。



「嘘はつかない、さ。古い盟約だけどね、我々竜は約束や契約にうるさい。それでも信用ならないのなら、魔術式で何か契約を交わそうか?」





 魔術学院の祖たる竜が答える。



 ラザールは大きく息を吐く。理解している、目の前のこの竜のほんのちょっとの心変わりで全てが終わると。




 だが、それでも彼は彼の友人のこれからのために確認しなければならない。



 この存在を本当に受け入れていいものか、どうか。この奇跡のようバランスで成り立っているコミュニティを引っ張ってきた男は今や眠りの中。



 ならば、自分がやらなければならない。



「……失礼を。古き竜よ、貴女はこれまで幾度となく俺の友人を助けてくれた。その行動を信じたい、信じたいのだが……」






「へえ、へえへえへえ。信じたい、ねえ。影の牙、らしくないじゃあないかい。魔術学院にもキミの話は届いていたよ。王国の闇と影を背負った護国の裏の顔。王国にちょっかいを出した魔術師(我が子)も何人かはキミに葬られたと聞く」



「……………」



「そんなキミが、ずいぶん、お人好しなものだねえい、何故、ボクを、君からしたら理解不能、恐怖と畏怖の存在であるはずの竜を理解しようと努力するのかな? そんなに怯えてなお、ね」



 竜からの問い。


 彼の友人が何度も繰り返し遭遇し、その度に乗り超えてきた超越者からの盤外の戯れ。



 今それがラザールへと。



 定命の者からすればそれは、間違れば即、死に繋がってもおかしくない恐ろしき戯れーー







「ナルヒトなら、そうする」



「へえ……」



 だが、リザドニアンに迷いはない。


 だって、彼は見ていた。その男を。



 だから、恐れはない。




「奴は用心深くヒトを簡単には信じない男ではあるが、恩には敏感な奴だ。貴女が我々にとって怪しい存在でも、最後の最後でコイツならきっと、今まで貴女に助けられた事を重視する筈だ」




「それで、ボクに騙されたらどうするんだい? 竜がキミ達定命の者には想像もつかない深い謀をキミ達に仕掛けていたら? それでもキミはその判断に胸が張れるのかなあ」




 人知の竜が光を移さない深淵を溜めた瞳で、小さき者を見つめる。



 定命の者はそれを覗くだけで心を乱す何かがある瞳。竜に見つめられたラザールがーー




「ハハハハ、問題ないね、人知竜殿」



 竜の瞳を笑う。牙を覗かせた凶暴な爬虫類の笑みだ。



「その時は、心置きなく叩きのめす。……と我らが"竜殺し"ならばそう言うだろう」




 拡大する自我。


 拡がり大きくなり、その自我は他者を冒し変えていく。



「ああ、……いいねえい。キミはもう完全に鳴人くんに冒されたんだねえい。すぷぷ、ああ、ヒトよ。ボクはキミ達がとても愛おしいよ」




「願わくば、竜殺しの刃が人知の竜に向かわぬことを祈るよ。奴の友として」



 影の牙がにいっと笑う。




「すぷぷ。影の牙と竜殺しを相手取るのは苦労しそうだねえい。おや? 誰かそこにいるのかい?」




 人知竜が、その答えに満足げに喉を鳴らした、その時。






「あ、あの、ごめんなさい、ラザールさん」




 きいっ。



 ドアが僅かに開く。



 そこにはわずかに寝ぼけ眼の少女、スラムの子どもたちのおねえさん、ニコがいた。





「ニコか、どうしたんだい? ストルはそろそろ落ち着いたかな」



「う、うん。ストルちゃんならもうふて寝して静かになったわ。ごめんなさいね、アイお姉さん」




 騎士ストルと人知竜のイザコザ。それはもう凄かった。お互いがお互いの勢力の揚げ足取り、歴史マウント。



 不倶戴天の敵同士である教会と学院の代理戦争を思わせるそれ、家の敷居を跨がせるかどうかの争いは最終的にはニコの泣きそうな顔に折れたストルがふて寝をすることで終わったのだ。




「すぷぷ、なあに、気にしていないさ。天使教会の騎士には嫌われているからねえい。んん?」



 人知竜が、それに気付いた。




「……老竜」




 ひょっこり。ニコの背後から現れて、部屋の入り口に身体半分だけ覗き込むように現れた少女。



 手習の魔術式により、少女の姿に身をやつしたアリス・ドラル・フレアテイルだ。




「すぷぷ、おや、おやおやおや、これはこれは、驚いたねえい。幼竜、ほんとに幼い姿になってるじゃあないかい」



「なんだとーー」



 いつもの変装用の姿より、ほんの少し大人びた様子のアリスが人知竜の言葉に怒気を表す。




「アリー……」



「む、……ふん。ニコの顔を立てよう。良い、許す。老竜、貴様がここにいることを含めてな」



 この竜同士もやはり中々に仲がよろしくない。だが、ニコの泣きそうな声にアリスもまた牙をすぐに納めた。



 竜は幼い子や友人には比較的に優しいこともあるのだ。



「おやおや、どうしたんだい、幼き竜よ。随分とまあ、物分かりがいいじゃあないかい」




「ふん、知れたこと。オレもいつまでも貴様にめくじらを立てるばかりではないのだ。……それ、に」



「うん?」



「そ、れに、だな……む、うぐぐぐぐ、それ、にい……」



 人知竜の言葉に、アリスが言葉を澱ませる。




「頑張って、アリー! 貴女さっき言ってたじゃない! わたし、そういうのすごく素敵で大事なことだと思うわ! 手助けしてくれたアイお姉さんに御礼を言うって! ……あ」




「すぷ?」



 ニコが思わず滑らせた言葉に、部屋の空気が停止した。




「…………老竜」



「……なんだい、幼竜」



 竜が2人、言葉を交わす。


 中々に拗らせた関係の強き竜たちのそれぞれ異なる色の瞳が互いを見つめて。



「……此度の件、……礼を言う。オレの竜殺しの手助けを、あやつの味方でいてくれたこと。感謝す、る」




「……わあお。マジかよ」



 人知竜が思わず、と言った様子で言葉を漏らした。



 アリスから告げられたのはそれほどの言葉だった。




「えらい! えらいわ! アリー! あれだけ悩んでたのに、きちんと言えたの、ほんとにえらいわ!」



「ふかか。良い、良い、許す、もっと褒めろ、ニコよ」



 女子高生くらいの姿のアリスが、ニコの手が届くところまでしゃがみ込み、それをニコがヨシヨシと撫でている。



 アリスも満更では無さそうだ。小さい子どもがでかい犬を褒めているようにも見える。




「……うむ、ハチミツ水が美味い」




 ラザールはもう、色々と驚いたのでミニテーブルに置いてあるハチミツ水の入ったコップをぐびり。




「驚いた…… キミ、幼竜アリス。何があったんだい」



 人知竜が、深く、深く安楽椅子に背中を預けて問いかける。




「……さあ、な。オレにはわからぬ。だが、ある友ならば、オレのある友人ならばきっと、礼をきちんと言うと思ったのだ。それだけだ。2度は言わん」




「……なるほど。へえ、キミも、どうやら混ざってるねえい……ボクとは違って同意の上、みたいだけど」



 竜は遺志を継ぐ生き物だ。



 不滅に近い生命、強い肉体、幼い心は長い年月をかけて完成を目指す。



 あの夜の夢、トオヤマナルヒトの思い出から生まれた存在はアリス・ドラル・フレアテイルの中に今も。



「なんだと?」



「いや、別にい、こっちの話さ。まあいいさ、キミとはまあ、昔色々あったがそれはそれ、鳴人くんの様子を見にきたのだろう? ほら、顔くらい見ていってあげなよ」




「お兄さん、まだ寝てるのね……リダは怖い顔してずっと1人で考え事してるし、ルカはもうふにゃふにゃだし、ペロシロもそれで怯えてるし、早く起きてほしいわ」



 ニコが部屋に入り、心配そうに遠山のベッドに近づく。


「……」



「アリー?」




 ふと、ニコが首を傾げる。


 無言で、部屋の入り口に立ち尽くす金色の竜を不思議そうに眺めて。




「……どうしたんだい、幼竜、そんな所に突っ立って。ほら、部屋に入りなよう。構わないよね、ラザールくん?」



「勿論だ。蒐集竜様は、ナルヒトの友人ですし」




「あ、う……」



 蒐集竜、停止。何故か、部屋に入ってこない。




「「「んん?」」」




 部屋の中にいる全員が同じ角度に首を傾げた。




「む、む、待て、まだ、その心の準備が出来て、おらぬ」



「「「んん??」」」



 心の準備? また部屋にいる全員が首を傾げる。




「う、うるさい! なんだ、みなのもの、その目つきは! ち、違う、別に恐れてるわけではおらぬ! 見ていろ!」




 目をぐわっと見開きながら、恐る恐る部屋に入ってくる少女。そっと、そっと歩いて、それからゆっくり、遠山鳴人の眠るベッドに近づいてーー



「あ、う」



 しゅんっ。



 疾風が吹く。竜がその身体能力を全開にして、また部屋の入り口に戻った。




「え」



 人知竜がぽろりと声を漏らす。彼女だけだ、アリスの動きが目で追えていたのは。




「…………今のは、違うのだ」




「あ、アリー? どうしたの? もしかして、まだお兄さんと仲直り、出来ていないの?」



「に、ニコ、違う、違うぞ、そうではない、そうではないのだ! そうでは、ない、の……だ」




「人知竜様、これは……」




「……ふう、ん。ん、んんん? ンンンンンンンンン?」



「な、なんだ! 老竜! 貴様、オレをそのような目で見るな! 焼き尽くすぞ」




「幼竜、アリス。キミ、もしかして、照れてる……?」



「ふ、か」



 人知竜の言葉に、アリスが怒り顔のまま固まる。



 ぴくり、ぴくりと動く瞼、目線はどうしても遠山の方だけには向かわない。



「動悸が荒い、瞳孔も開いて、頬も紅潮、耳元も赤く、ツノも光っている……ねえい。もしかして、キミ、あっちで鳴人くんに、……竜の姿でも見せたのかなあ」




「ひゅ、か」



 ひきつけのような呼吸の後、アリスが動かない。



「あ、アリーが固まっちゃった」



「人知竜様……これは」



「うーん。ああ、うん、大体わかった。この幼竜、竜体を見せた雄に本気で恥じらいを覚えてるんだねえい、一丁前に。あー、うん。なるほどねえい」




「り、竜体……?」




「竜にとって、本来の姿である竜体は特別な意味を持ってねえい。まあ早い話、君たち定命の者で言うところの全裸みたいなものさ。誤魔化しが効かないからねえい」



「老竜、貴様、このオレを侮辱するのか! オレは蒐集竜、アリス・ドラル・フレアテイル! 花竜と鉄血竜の子、そしてかの炎竜と水竜の血を引く竜ぞ! 定命の者に我が竜体を見せた程度で慄くものかーー」「術式、仮説構築」




 めくじらを立てながら言葉を並べるアリス。それを



 尻目にアイが結んだ魔術式を紡ぐ。



 眠りこける遠山の体に紋様が浮かび上がり、そして、するり。遠山鳴人がベットから抜け出て、つままれた人形のように空中に浮かんだ。




「わあ! お兄さんが浮いた!」



 ユーフォーキャッチャーに吊られた景品のように逆さまの遠山が空中を浮かぶ。




「ひゅか」






「えい」




 ぶん!


 割とすごい勢いで、眠りこける遠山が何かに引っ張られるように浮かんだまま、アリスの眼前へーー




「ナ、ル、ヒ……ーーとーーや」




 アリスが固まる。


 すぴょー、すぴょーとアホヅラ晒して眠る遠山とは裏腹に、青い目を見開いたアリスが固まる。



 ダラダラと白い肌に汗を浮かび上がらせる。金色の御髪が逆立ち、髪の毛の間から生える角は鱗立ってゆく。



 白い肌は、みるみるうちに真っ赤になってーー



「ああ、やっぱりこれ、もう」



「う、うるさい! 老竜! 貴様、なんのつもりーー」



「わあ! アリー、お顔まっかっか! どうして? あ! わたし、わかったわ!」



 天真爛漫、ニコ。彼女はようやく事態を理解した。




「待て、ニコ!」



 ハチミツトカゲがやばいと思ってニコを制する、だが閃きの興奮に身を任せたちびっ子を止めることは誰にも出来ないのだ。



「アリー、貴女、おにいさんのことが大好きなのね!」



「あ」


「すぷぷ」




 ニコの満面の笑顔と共に放たれた言葉、時が止まる。





「………………………………………………………………かえる」




 ヒュン。



 疾風一陣。



 少女の姿に身をやつした竜が消えた。




「わ、わたし、も、もしかして、ダメなことを言っちゃった?」




 泣きそうなニコの声がぽつり。



 王国の暗部を背負い続け、必要とあらばヒトの枠を踏み越えた存在、魔術師をも狩ってきた影の牙。



 そして、その魔術師の祖、ヒトの枠を再定義し、大いなる戦いの時代にヒトを生き長らえさせた人知の竜。



 2人が同時に、くぴり。手元に置いてあるコップを傾けた。




 ………

 ……



「というわけなんだよねえい。いやー、まさかあの幼竜があそこまでクソ雑魚ドラゴンだとはとてもとても」




「何がというわけ!? 何もわかんねーだけども! ラザールくん! これは!?」



「いやこれが現場にいたのだがまるで分からん、何も分からん。ハッハッハ」




 ラザールが目をニコニコさせながら笑う。



「お前そんな目で笑う奴じゃねーだろ! 諦めんな!」



「ご、ごめんなさい、おにいさん、わたしがアリーに余計なことを言ってしまったのだわ……どうしよう、これでもし、お兄さんとアリーがお友達じゃなくなったらとても、わたし……」



 しょんぼりしたニコがボソリ呟く。




「いやいや、ニコは悪くねえよ。悪いのは……あれ、困ったぞ、今回なんか明確に悪い奴がいねーような気がしてきた」




「そこなんだよ、ナルヒト。強いて言うなら蒐集竜様の好感度をイタズラに高めすぎたお前が悪いと言うべきか……」



「クソゲーすぎるギャルゲーみたいなギミックやめてくんない!! 必死だったの! こっちは、大変だったんだよ、マジで! なんか暗黒女神みたいなんに飲み込まれたり、頭の悪い耳のバカみたいなのと対面したり!」




「耳……? バカ……? うおえ……げぶ、ご、ごめんねえい、ペロシロ少し降りてくれ、ナルヒトくん、ラザールくん、お手洗い少し借りてもいいかな? 吐き気が……」




 遠山の言葉、その一部を聞いた瞬間、人知竜が口元を覆い、青い顔をしながら椅子から立ち上がる。




「あ、ああ、おう、どうぞ」



「人知竜様、どうしたんだ? 急に」



「さあ、顔色めちゃくちゃ悪くなってたな」




 よろよろと部屋から出て行く銀髪ミステリアス美竜を見送り、部屋が少し静かになる。





「兄貴……すみません、アンタが寝ている間色々俺たちで出来ることはやってみたんだが、正直あまり役には立ててねえ気がする」



 リダが遠山の近くに椅子を引いてやって来た。



「お? どした、リダ。気にすんなよ、むしろ3日も寝てた俺が全面的に悪い。色々って何してたんだ?」




「竜祭りの為に必要なことだ。兄貴の構想は話を聞いててなんとなく俺なりに解釈してた。だが、それにはあのおっかねえ竜の姉さんの協力が必要なんだろ? 街の色々な所から情報を集めてたんだ。竜大使館の今の状況を」




「お前、リダ」



「すまねえ、ルカにも手伝ってもらったんだがこの程度のことしかできなくて、面目ねえ! こんなにいい家に住まわせてもらって、拾い上げてもらってんのに、何も返せねえ……」




「バカお前何言ってんだ。すげえよ、お前らは。俺がガキの頃なんか施設の連中にどう一泡吹かそうかとかしか考えてなかったしよ」




 ばっと、頭を下げるリダの肩を遠山が叩く。何かしようとしてくれただけで充分だ。



「兄貴……」



「……リダ、早く報告しようよ」



 ルカがなにやら感動しているリダの脇腹を突いて言葉を促した。



「おっと、そうだな。あー、その、正直な所俺にはその、好き避けとかそういうのは分かんねえ。ただ、竜大使館の方も今色々大変らしいんだ」



「大変っつーと?」




「ああ、なんか、そこのメイド。めちゃくちゃ有能でその屋敷のことをほぼほぼ1人で取り仕切っていたらしいんだけど、ちょうど3日前から倒れて寝込んでるらしくてな」



「メイド……寝込む……ああ」



「やっぱり何か心当たりがあんのか? 兄貴が夜中に運び込まれて帰ってきた時とタイミングが同じなもんで何かあると思ってけど」



「おお、まあ、あれだ。めちゃくちゃな奴らが好き放題に暴れてたからなあ」



 あの夢の世界。



 異界、とやらは確かあの眷属メイドの力で作られたものだ。多分中でバカが大暴れしたせいで色々あったのだろう。南無三。




「よく分かんねえが兄貴が理解してるならいいや、それと、うーん、まあ、これはあまり関係ないか、あの竜の姉さんとは」



「他に何かあるのか? リダ。どんな些細なことでもいい。お前が知ってること全部教えてくれ」





「うーん、大した情報じゃないんだが、色街に出入りしてる貴族が噂してたんだが、倒れたメイドの代わりに竜大使館が新しいメイドと執事の見習いを雇った、みたいな話もあったんだ」



「新しいメイド? なるほど。どんな奴かは知ってんのか?」



 今はとにかくこれからの竜祭りの動きの考察のために状況を整理したい。その為にはどんな些細な情報でも把握しておきたくてーー









「いや、素性までは分かんねえ。ただ、盗み聞きしてる範囲だと、()()()()()()()()()()()の2人組らしい」




「………………………あ?」




 何か、どこかで、最近そんな2人組がいたようなーー




 ………

 ……

 …


 〜同時刻、竜大使館にて〜




「お嬢様、ベルナルにございます。お調子はいかがですか。……そろそろ何か少しでもお召しになられた方がよろしいかと」



 暗い部屋。



 竜大使館の主人の自室は3日前から灯りがともっていない。



「……爺やか。よい、下がっておれ。腹が減っておらぬ」



 大きなベッド、モコモコの布団の塊の中から竜の声が聞こえる様子に、執事長、ベルナルがため息をついた。



「……さようですか、何かあればすぐにお呼びを」



「うむ。……ファランの様子はどうだ?」



「未だ眠っております。しかし、命などには別状はないかと。いずれ目覚める筈です」




「そうか……世話をかける」



「……お嬢様、この爺に出来ることがあれば。何なりと。



「ああ……」



 あの日から、ベルナルの主人はこんな感じだ。


 竜殺しとの和解を終わらせたその次の日の明け方、様子を見に行ってくると言って帰ってきた日から様子がおかしい。



「……かの竜殺しと、何があられたので?」



「…………………いいたくない」




 ぼそりと、布団の中から帰ってくる声。その音的にまだ健康上の問題は無さそうだ。




「さようにございますか。……気が変わればいつでもお申し付けを」




 長い付き合いだ。この竜に頭ごなしに何かを言っても無意味なことを彼はよく理解している。



「うむ」



「新入りのメイドをお部屋の前に着けております。何かお変わりあればすぐにそのものに託けて頂ければ」



「ああ……わかった」




 布団からの声を聞いた後、ベルナルがそっと主人の部屋を出る。



 後ろ手にドアを閉め、ひとつため息。



「どうしたものか」




 孫娘との会話に困る祖父の顔でベルナルが呟く。


 超越者である彼とて、その竜の悩みに寄り添うことは出来ない。いや、超越者として完成してしまった自分だからこそ、きっと、あの幼竜には本当の意味では寄り添えないのだろう。



 ベルナルが自嘲気味に笑って。






「あら、あらあらあらあら。ご機嫌麗しゅう。執事長サマ」




 朗らかな陽気が話すことが出来れば、きっとそのような声なのだろう。




 ベルナルがその声の持ち主へ視線を傾ける。



「お早いですな。ちょうど今から呼びにいこうと思っていた所です」




「ええ、アリスお嬢様のお部屋の番ですね。フフフ、お任せください」




 緑の髪に、星形の虹彩、小さな顔にヒト離れした美貌。幼さと、高貴さを併せ持つ容姿。



 新しく入った竜大使館のメイド、とある古い約束に則り、しばしの間竜大使館に奉公を許された高貴な一族がそこに。




「ええ、申し訳ない。本来ならば、王族たる貴女にはメイドではなく賓客としての扱いが相応しいものを」




「まあ、執事長サマったら。古い約束においては王族と言えど、竜へは臣下の礼を取るのが習わしです。光栄です、かの蒐集竜様のおそばに仕えることが許されるなんて」




 ベルナルの言葉に緑髪の美人が微笑む。



「ふむ。そう言ってもらえると助かりますな。貴女の存在はきっと、これからの帝国と王国の関係をさらに良くされることでしょう。第三王女殿。貴女の竜への献身に敬意を」




「まあ、勿体なきお言葉です。執事長サマ。王国の王。父も母もそれを望んでいらっしゃることです。執事長サマ、ご安心を、竜様もお年頃のレディ、もしかしたら同性のわたくしにはお心のほどを呟いてくださるかも知れません。すぐにお元気になられますよ」



「それでしたらよろしいのですが」



 ベルナルの言葉に、ニコニコと緑髪のメイドが微笑む。



「大丈夫です、きっと、その想いは竜様に届きますとも。全ては世はこともなし。竜様もすぐに元気を取り戻され、ご友人とのすれ違いも収まることでしょう」




 星形の虹彩が歪む。世界から、運命から愛された女がいつものように、いつもの言葉を、竜の従者へと語りかけて。





「きっと、幸運にも」







読んで頂きありがとうございます。


2022年10月25日、ついに書籍版発売となります。


みんなの課金待ってるぜ! 各通販サイトでもご予約始まってますので是非活動報告やTwitter覗いてみてくださーい。


ストルや銭ゲバ、人知竜を表紙として出力させるために続刊目指して頑張ります!

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― 新着の感想 ―
[一言] 遠山の味方でいてくれてありがたいけどそれはそれとして人知竜ざまぁw
[一言] よおINT1。お前さん天下の人知竜様とレスバ出来るほどの知性ねえだろ。スキルでINT盛ったんか?
2022/10/11 19:15 単行本買います
[一言] 自称幸運(笑)女共がめちゃくちゃ気持ち悪いからさっさと退場しないかな・・・・・・そろそろウザったい。
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