101話 アリス・with・カイキ
◇竜◇YOU◇テイル◇
〜時は少し戻り、遠山鳴人がIQバトルを始める直前、ある高校の屋上にて〜
「俺には必ずたどり着くべき光景がある。目標が、希望が、欲望がある」
あの人が、ワタシの眼を見ていてそう言った。鋭く、鈍く、爛々とした光を宿すその眼。
タブン、あまりかっこいい眼ではない、むしろキツすぎて少し怖い容姿のそれ。
ーーでも、彼によく似合うと思うデス。
「ゆ、め?」
ワタシは、彼の言葉を繰り返す。
何かが面白かったのだろうか。彼が少し、笑った。
「そこの光景にはよ、もうお前もいてくれないと困るんだ。だから、俺がお前を置いていくことはないよ。友達だろ、俺たち」
「アッ」
こつん。
ワタシが無意識に、彼に向けて伸ばしていた手。きっとほんとは握りしめて欲しかった手に、彼の返した汝は握り拳だっタ。
ワタシは、彼の手を握ることが出来ない。
「無茶はする。でも、帰る。約束だ、竜との約束だ、俺がこれから何をしようと、信じてほしい。絶対帰る」
不思議な目、不思議な声。
ワタシの知らない大人の遠山鳴人の姿。
ワタシの知ってる高校生の遠山鳴人はしなかった表情。
「り、ゅう……」
ワタシは自分が何を言いたかったのかも忘れて、ただ、つぶやくだけ。
彼が行く。
予感と確信があった。ワタシの思い出はここで終わる。
ニホンに留学してきた思い出も、彼らとあの教室で過ごした時間も、これから始まるはずだった夏休みも、全部終わり。
「……ワタシのなつやすみ、おわっちゃった」
空が重たい。
カミナリが、分厚い雲の中で煌めいている。これから何かが産まれるような光景にも見えたの。
トオヤマナルヒトが、空を飛んだ。ううん、跳んだ。嵐を靴に纏わせて、嵐と口輪を並べて、軽口を叩きながら、空を走っている。
「ァ……………」
ずきり、ずきり。
頭と、胸が同時に痛む。彼が空を飛んでいる、かれが空の中にいる。
「な。んデ?」
ぽろり、ぽろぽろ。
鼻の奥がツン、と痛む。かと思えば、眼の下側からポロポロと涙、止まらないの。
ーー吹き飛ばされないでよ! トオヤマナルヒト!!
ーーアンタこそ、怪我すんなよ! アレタ・アシュフィールド!!
その光景が、とても苦しい。違う、だめ、ダメなの。貴方のはじめての空は、ワタシが見せてあげたかったのに、ワタシの翼でーー
「なん、デ、止まらないの……」
胸が痛い、かゆくて、つらくて、とめどない。痛みの元を抑えようとしても、届かない。
ぼろぼろぼろ。
パパとママが似合うって褒めてくれて制服のスカートにどんどん涙がシミを作っていく。
ワタシとユサの周りだけは、風と雨はやってこないのに、とても冷たくて、濡れていて。
ーーアレタ・アシュフィールド! 目にゴミが入ろうとしてんぞ!
ーーあら! ありがと! 目が大きいのも考えものね
嵐の空に彼の声が鳴り響く。
あなたがとても遠い。
今までのあなたとの時間、この国に来て、一緒に過ごして友達になって過ごした時間が、一気に色褪せていく。
ねえ、あなたはあの時笑ってたよね? ねえ、あの時、ワタシも笑ってたよね?
駆け巡る数ヶ月の青い春。カイキユサ、ドードーミライ、トオヤマナルヒト。みんなで笑ったあの時間。
「なん、デ、なノ?」
ワタシにとって大切だったあの時間ーー
理解ってしまう。
ーー進め、食い殺せ
ーー進行問題なし!! ヨシ!! 目標、前方! ついてこいよ! ストームルーラー!!
嵐の空を駆けるあなたを見ていると、嵐と共に、化け物を屠り続けて、笑うあなたを見ていると。
ああ、どうしても理解してしまう。
こっちが、本物だってことを。ワタシの中の何かが、頭では理解したくないことを、認めてしまう。
「……ヤダ、な」
コクゴの教科書を読んで、一人でニヤニヤしてるあなたも。
たくさんのクラスメイトに囲まれて、綺麗な愛想笑いを浮かべてるユサも。
こちらをじっと。グルグルした綺麗な目で、見つめてくるトードーも。
みんなで過ごしたあの時間、みんなで食べたごはんの味も、みんなで遊んだあの場所もーー
「………ゼンブ、偽物……だったんだ」
理解してしまった。
目の前で、遥か彼方、嵐の空の中暴れ回る遠山鳴人を見ていると嫌でも理解してしまう。
あの顔、あの声、あの姿。それはとても、悍ましくて、生き生きしてーー
「ァ……. き、れい」
ーー美しかった。
ナルヒトの姿、嵐と共に大いなるモノと殺し合うその姿は圧倒的なリアリティと生きる力に満ち溢れてる。
ーーこっちが本物、こっちが真実。ワタシの記憶にいるトーヤマと、嵐を走るナルヒトは違う。高校生のトーヤマは夢の存在で、このナルヒトが本物?
「う、ウウウウ……」
頭が痛い、悲しくて、痛くて、辛くてたまらない。
ぜんぶ、ゆめだったの? ぜんぶ、にせものだったの?
ワタシはみんなが大好きだった、この国に来て、みんなと出会えて、ほんとにたのしかった。
ユサ。あなたと約束していたなつやすみ、一緒にプールとか海とか、川とか行く約束。ナルヒトも誘ってキャンプして、遊ぶ計画、ダメみたい。
「ぜんぶ、終わっちゃった」
ワタシは、ただその場に座り込んで呟くだけ。そらを見上げて、あなたを見ることしか出来ない。
あなたが嵐と並び立ち、霧を従えて、大きな大きなトードーの声がする化け物と戦っている。
嵐を操る大きな眼、それと軽口を叩きながら、標識アタマの化け物を屠っていくあなた。
ああ、あなたが遠いヨ、トオヤマナルヒト。
ワタシね、知ってたよ。ユサがあなたに惹かれてたこと。トードーがあなたを好きだったこと。
「……ワタシも、あなたのこともっと知りたくなってタのに」
なのに、今はあなたが遥か遠い。鳴り響くあなたの戦いの音、その出鱈目な姿が似合いすぎてて、遠いよ。
ワタシは理解する。トオヤマナルヒトの本当の姿を見て、理解する。
あなたは、きみはそういう生き物なんだね。あなたにしか見えない何かを追いかけて、追いかけて、進み続ける。
あなたは自分が一番大切にするものを既に決めてて、それ以外のものを必要ならば、置いていける人なんだネ。
「……ヤダ、な」
ぼそりとワタシの口から漏れるのは心そのもの。
「それ、すごく、やだ、ヨ」
ぽろぽろ、ポロポロ。
止まらない涙、滲む視界の中、気づけば、目の前が真っ白に。
嵐と暗黒がぶつかり合って、それで。
「………え?」
何かのはなしをしているようにも見えた。
トオヤマナルヒトが、そらの上でトードーの声がする何かに話しかけている。
内容は聞こえないけど、たたかいは止まってた。
「………え」
なんで、トードーの声がする大きな何かが、お口を開けてるの?
「…………ダメ……」
なんで、トオヤマが標識アタマたちに大人しく運ばれてるの?
「……やめテ……」
なんで、嵐も、トオヤマも、何も、しないの? なんで、お口に、なんで、なんで、なんでーー
ぱくん
「ァ……」
トオヤマが、食べられた。
「ーーウソ」
え、ナンで? なにしてるノ? 意味が、わからない。
トオヤマ? ナルヒト? 意味がわからないヨ。だって、帰ってくるって、言ってたよね?
「約束、してくれてた、ヨネ」
身体が痺れる、指の感覚が消えていく。ワタシは気付けば頭を押さえて地面に伏せていて。
イタイーー 頭が痛い。
ーー惨めだな
「ダ、れ?」
コエは答えてくれない。
ーー本当に惨めだ。どっちつかずというものはここまで害悪になるものか。
「だれ?! どこに、どこにいるノ?! なに?! なんなノ?!」
ーー……いちいち喚くな、みっともない。あの者はどちらでもいいと言っていたが、自覚のないヒトの部分がここまで脆いとはな。
「なに、なんなノ?! あなた、ダレ?! どこにいるノ?! ワタシ、ワタシもうなにがなんだかわからない、わからない!! ママ! パパ!! おじいちゃん! ユサ! トードー!! ナーー」
息を呑む、無意識にワタシは、口を抑えていた。
ーーどうした? 続けよ。そのまま惨めに恥ずかしげもなく助けを求めればよいではないか。
「……や、だ」
それだけは、したくなかった。
何故かわからないけど、トオヤマにだけは、ナルヒトにだけは、助けてなんて言いたくなかった。
ーー……貴様は既に思い出している。貴様はすでに理解している。この世界は、この時間は全て、素晴らしい夢であったことを。
「やめ、テ」
ーー貴様はただ、怖がっているだけだ。違いを。自分だけヒトではない。トオヤマナルヒトと違う存在である己を恐れ、それから目を逸らしているだけだ。
「違、ウ…… ワタシ、は」
ーー違わない。貴様のことをオレ以上に知る者など存在しない
声が、ワタシの中で響き続ける。
嵐の轟きの中、その声は決してかき消されることはなく。
ーーたのしかったな。奴と同じ視座から、奴と同じ生を歩むのは。
「うるさい……」
ーー安心したな。トオヤマナルヒトと同じ生き物でいる時間というものは。心地よかったな、何かの輪の中に居るということは。超越するものではないというのは、心地よかったな
「黙っ、テ」
ーー黙るものかよ。いい加減、目を覚ませ、痴れ者が
「……っ」
ーー貴様、奴がここに戻ってくるのを待つつもりなのか?
「え?」
ーー目を背けるな。今、トオヤマナルヒトは戦っている。貴様、友を1人で戦わせ、ただそれの帰還を待つだけなのかと聞いておるのだ
やだ、やだ、やだ。
聞きたくない、聞きたくないヨ。
ワタシは子どもみたいにイヤイヤと首を振る。でも、その声だけは決してワタシを離してはくれない。
ーー耳を塞ぐな、恥知らずが。許さぬぞ。このまま、我が友を独りで戦わせることなぞ。許さぬぞ、このままめそめそと己の友を運命に任せることなぞ
「勝手なことバカリ、いわないで! あなた、ダレ?!」
ーーアリス・ドラル・フレアテイル
「は……」
その声は、名前を告げる。
心臓が熱い、血液の代わりに焔が身体を駆け巡っているかのような感覚。
ーーくだらぬ。全てくだらない。全て退屈、全て等しく無価値。オレにとって、世界はそういうものだったな
「………ウン、ぜんぶつまらなかった」
ーーだが、そうではなかった。オレ達は奴に教えられた。世界は決して退屈ではないのだ。ふかかか、なあ、そうだろう?
ーー貴様は知っているな。竜の言葉に従わず、奴隷の身にありながらも挑んできた愚か者の名前を。
思い出が、代わる。
ワタシは、知っている。ボロボロの奴隷服に身を包み、武器も持たずに竜へ挑んできた男のことを。
ーー貴様は覚えているな。竜の意思に従わず、奴隷の身にありながら竜との婚姻を断った愚か者の名前を。
それも、知っている。ヒトの身であるならば、この世の全てを手に入れたも同義の竜との婚姻。それをさもくだらないことのように断った男のことを。
ーー愉快だったな
「……ウン、愉快だった」
ーー不思議で、理解不能で、憎たらしくて、ざわざわして、はらはらして、気になって仕方ないものだ。
おぼえてる、ほんとは思い出していた。
ワタシの記憶が混じっていく。
あの教室で、窓から空を眺めていた高校生の貴方。
暗い、どこか暗い水の流れる場所でワタシを睨みつける大人の貴方。
ワタシはいつも、どんな時も貴方を見ていた。ずっと、ずっと貴方を見ていたかった。
認めたくなかった。貴方がワタシと違う生き物だってことを。
もどかしかった。ワタシは貴方と違う生き物だから、分かり合えないことがとても。
怖かった。ようやく、ここで貴方と同じ存在として過ごせていたのに、それがもう全部終わってしまうことが。
ーーだが、そろそろ心地よい夢から覚めるときだ。今、奴は現実を戦っている。戦い、危機の中にいるのだ。
「……ウン」
ーー奴はオレの友だ。オレがそう決めた。貴様も、そうであろう?
「ウン」
ーーならば奴を助けるのはオレでなくてはならない。奴を助けるのはワタシでなければならない。なぜなら
その声は、ずっと昔からワタシの中にあった。
その声は、ずっとずっとワタシと共にいた。
だから、その声が何を言いたいのか、ワタシにはもうわかっていた。
「……ウン、その通り、だって彼はーー」
ーーなぜなら奴はオレの
「竜殺し、なのだ」
声が、消えた。
答えは初めから、オレの中にあった。
「ふざけるなよ」
これは危機だ。オレの竜殺しの危機、あの大いなるモノは今、このオレの目の前で我が竜殺しを丸呑みにした。
「それはオレの竜殺しだ。それはオレの友だ。……貴様が触れていいものではないのだ」
身体に力がみなぎる。意識しないと身体から熱が、金色の焔となって漏れてしまいそうだ。
オレは、歩む。
だが、オレは止まる。
「ユサ……」
例え、かりそめの夢だとしても。オレの中の柔らかい部分が望み、造られた幻想の中だとしても。
カイキユサはオレの友達だった。
それを置いていくことが、どうしても、歩みを止まらせる。
彼女の亡骸の方へ振り向く。眠っているかのようなソレの元へ。
頬を撫でる、硬く、冷たく。そこにはただ、死だけが横たわっている。
ギギギニギギキ
ギギギニギギキ。
竜の気に当てられた異形が、気づけば空を埋め尽くしている。
嵐が何かを喚いていたが、オレには何も聞こえなかった。
「ユサ」
オレの言葉に、カイキユサは何も答えない。
痛い、胸が。
鼻が。目が、ツンと、痛む。
これが定命。死を定められた生き物の終わり。目の前にいるのに、触れているのに、もう何もかもが違うのだ。
「……ユサ」
寂しいよ。もう、君と話すことが出来ないことが。悲しいよ、君の声を聞くことが出来ないことが。
オレは竜だ。
ユサはヒトで、ナルヒトも、ヒトだ、多分。
こんなにも違う、こんなにも、脆く弱い。
「……オレはそなたが羨ましかった」
トオヤマナルヒトと同じ、ヒトという生き物であること。
トオヤマナルヒトとそなたの間には、オレが決して触れることが出来ない何かがあった。
トオヤマナルヒトとそなたが話す姿を見てると、本当は少し辛かった。
だが、それでも
「たのしかったよ、ユサ」
ああ、たのしかった。たのしかったのだ。
そんなちっぽけな嫉妬など、どうでもよくなるくらい、この仮初の一夏は楽しかった。
そなた達と過ごした時間が例え嘘でも、仮初でもオレは
「ほんとうに、ありがとう」
固くなったユサの身体を抱きしめる。きっとこの感触だけは忘れないだろう。
空を、オレ達の真上を、異形どもが埋め尽くしていた。
太陽の光すら、届かないほどにーー
風が吹いた。
ギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキーー
その風がそっと、オレの背中を押す。
『 』
「ああ」
オレはその風に答える。
ギギギニギギキギギギニすギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキこギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギしギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギ、ギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギうニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギるキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギさギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニいギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキなギギニギギキギギギニギギ
「だまれ」
オレは、空を突き抜ける。
オレが動くだけで、オレの身体に触れるだけで、標識アタマの異形は全て、焔に包まれて焼け落ちる。
意識せずとも、背中から翼が生える。それはナルヒトやユサにはない部位、竜の部位。
ああ、思い出した。オレは竜だ。
この力、この感覚。オレは、こういう生き物なのだ。
《あーー ど、ラル、どらる、ドラルーー!!》
ナルヒトを丸呑みにした大いなるモノが喚く。
オレは背に生やした翼で空を掴む。世界が流れる。心地よい。
《は……? あの子、なに?》
どこか懐かしい声。それはナルヒトと共に戦う嵐の化身の言葉。
大矛で貫かれた目玉と、その近くに立ちすくむ嵐のヒトガタ。
なぜだろう。それらから感じるこの気持ちは。
胸がざわめき、まぶたが緩み、ため息をつきたくなるような。
郷愁ーー
「嵐の、手を貸せ」
まあいい、オレはそれに声をかける。なんと呼べばいいかわからなかったが、自然とそれへの呼び名が口から出た。
《あなた………… トオヤマナルヒトの…… ええ、わかったわ。なんて呼べばいい?》
「蒐集竜、アリス・ドラル・フレアテイル。良い、我が友とオレの代わりに戦ってくれた礼だ。好きに呼ぶことを許す」
『あは、了解。フレアテイル』
表情はわからなかったが、確かにそのヒトガタが笑ったのが分かる。
「……ナルヒトを連れ戻す。あやつが何を言うたかは知らん。だが、このままおめおめと奴の帰還を待つのは性に合わん」
『あら、気が合うわね。あたしも、同じこと考えてたの。トオヤマナルヒトに賭けたけど、だからといって全部人任せってのはダメよね』
「その通りだ。オレが奴を迎えにいく。嵐の。そなたには露払いを頼みたい」
《アハ、トオヤマナルヒトといい、あなたといい、人使いが荒いのね。ええ、いいわ。好きにしてよ》
「よい。では、行こうか」
多くの話はいらない。
この嵐の存在はおそらく、超越した者だろう。大凡の枠から外れ、ただ1人高く狭い場所で踊り続けるしかない存在。
オレと、同類。故に言葉などいらない。
ヒトの身体に、竜の翼。制服が邪魔だ。だが、オレはそれを破り捨てることも脱ぎ捨てることもしない。
思い出も、何もかもをオレは連れて行く。それはオレの蒐集品なのだから。
、
《ドラル、ドラル、ドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラル、ナルヒトくんをたぶらかした毒蛇、ああ、あなたの牙には毒がある! ナルヒトくんを、ヒトにしてしまう毒が!!》
ギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキ
「笑止」
ふかかか、今、こやつはなんと言った?
笑わずにはおられまい。奴を、オレが毒しただと?
「ふ、かか、ふふふ、かかかか」
ギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキ
溢れる蠅のごとく群がる異形ども。空を埋め尽くさんと、どこからともなく湧いて出る。
「貴様ら、誰の許可を得てオレの空を飛んでいるのだ」
目障りだ。ああ、頭が痒い。いつのまにか、オレの頭、角が戻っている。
オレの視界に入るウジムシども、それらに向けて腕を翳し、
「燃えよ」
ボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボ!!
ギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキギギギニギギキ?!! アアアアアアアアアアアアアアア
なんとも醜悪な悲鳴、焔がそれらを全て、耳障りな悲鳴ごと、焼き落とす。
竜の許可を得ずに空を飛ぶなど、生かしていいはずもなく。
《ドラル………… ドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラルドラル生意気な女、ナルヒトくんをたぶらかす女、ナルヒトくんを毒した女、女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女ァア!!! 女臭いの!! やめて、彼に匂いをつけないで!! 彼を冒さないで! 彼を人にしないで!! 気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない! ナルヒトくん、ナルヒトくんナルヒトくん! なんで、この女をそんな顔で見ているの?! ダメだよ! 汚れちゃうよ!!》
異形の主人が喚く。ソレから感じるのもまた同類の香り。たどり着いたもの、理の外にはみ出たモノ。
わかる、あの中にナルヒトはいる。
あの女は、ナルヒトと一つになろうとしている。ナルヒトを、竜の友を拐かそうとしているのだ。
怒り、視界が真っ赤に染まるほどの激情の中、しかし、オレの中に沸いてきたのは
「ふかか」
笑い、愉快だった。あまりにも奴の言葉が的外れで、道化を笑うがごとく、ああ、笑みが止まらない。
「違うな。逆、なのだ」
《は?》
「オレがナルヒトを冒したのではない。オレがナルヒトに冒されたのだ、ふ、ふふ、この、オレが…… ふふふふかかかかか!!」
ああ、腹の底から湧いでる愉悦。他者を嘲り力をひけらかすことへの昏い悦び。
ああ、やはり、オレは竜なのだ。
《は? なに? 何笑ってるの? ムカつくんだけど》
「いやなに、すまぬ。滑稽でな。ナルヒトとの関係が浅い割に、知った風なことを言う貴様の言葉が、面白うてなあ」
にいいいやりいい。自分の顔が、笑みがどんどん深くなるのが分かった。オレの言葉に狼狽える奴の姿が、面白くて面白くてたまらない。
ああ、こやつはナルヒトに焦がれている。こやつもまた、トオヤマナルヒトに冒されているのだ。
ならば、ああ、こやつは、オレがナルヒトの唯一の初めてを奪った存在だと知った時、どのように喚くのだろうか……
ああーー いいな、それは。
《は? は? は? 何いってるの? トカゲもどきが。私とナルヒトくんの関係は彼の初めからあるの。彼が小学生の頃から私はずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっと遠山鳴人をーー』
「熱かった」
《は?》
「ナルヒトが、オレの胸を貫いた瞬間だ。とても熱く、痛くて、ああ、奴の一撃はオレの身体を駆け巡った」
自然と声に熱が。
《なに、それ》
「ああ、すまぬ。奴と、オレだけの思い出、だよ。ふかか。奴はオレを殺したのだ。オレだけを見つめて、オレだけに笑いかけ、見事にオレの命を一つ奪った」
ため息が、漏れて、その時を思い出す。トオヤマナルヒトの嗤い声と、冷たい目つき。
その全てがオレをおかしくさせていく。
《うそ、じゃない、なに、それ? なにそれ!!?! 知らない! 知らない知らない知らない! 私、そんなの聞いてない!!》
「ふかか、ああ、とても素敵な時間だったよ。おや? すまぬ、もしかして、むむ? むー? 貴様、ナルヒトに殺されたことがない、のか? ああ、良い良い皆まで言うな。すまなかったよ、奴の初めてはオレが既に貰っている。知ってるか? あやつは容赦がないのだ。身体の内側から何度も何度も斬り刻まれ、血の海に斃れ、虫の息となったオレの胸にすらナイフを突き立ててな。……ああ、済まない。浸ってしまったよ。えっと、それでなんだ?
トオヤマナルヒトの何を知っている、と?」
にまああああ。
ああ、オレは竜だ。どこまでも、どこまでも。
他者の上に立つことが愉快でたまらない。
《…………始末しなきゃ》
《始末しなきゃ、始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末しなきゃ始末お前を生かしてると新しいナルヒトくんもおかしくなる。なるよね、だから、お前だけはここで始末するから》
「ふかか。ふむ、意中の雄に相手にされないメスとは、かように見苦しいものか。同情するよ」
《殺すから》
「やってみよ」
百を、千を超える。黒い腕、大いなるモノからそれが伸びる。
それは定命のものの生を終わらせる死をそのまま形にしたもの。
ヒトではない女の心はオレには読めないが、その言葉だけは嘘ではないのだろう。
だが、滑稽だ。また、笑ってしまう。
「定命の者風情が。不滅の我らに"死"とは、笑わせるものよな」
《はーー》
溶ける、溶けて行く。
幾千にも伸びる黒い腕、その全てがオレに触る前に溶けていく。
万人の死、定命の者の死の象徴?
笑止。
「そんなもの、竜に届くかよ」
オレは飛ぶ。黒い腕を溶かし一気に上空へ。
「嵐の!!! 有象無象を消し飛ばせ!! 邪魔だ!!」
貴様になら、それが出来るだろう? 懐かしかを感じるその女へオレは声を飛ばす。
ヒトでも、竜でもない存在。それには力があることだけ、今はわかっていればよかった。
『何する気?! フレアテイル!』
「ふかか、迎えにいくのだ! 我が友を! オレの、竜殺しを!!」
『……!! 良い旅を、フレアテイル』
「ああ、嵐の。いや、ーーレーヴァテイル」
アレタ・アシュフィールド。ナルヒトはこの嵐をそう呼んでいた。
何故か、その女の名前を、竜の言葉に換えてオレは呼んでいた。理由はわからないが、この者には竜の名前が相応しいと感じた。
我ら竜の戦いの名前。共に闘う同胞においてはテイルの姓を呼び合う習わしを、なぜかこの者に。
『ふふ、なにそれ。……ストーム・ルーラー、起きなさい。竜の道を切り拓く』
壮観だった。
空が広くなっていく。世界を埋めつくさんばかりにいた異形のウジムシどもが、レーヴァテイルの嵐で吹き飛んでいくさまは爽快だった。
「ナルヒト、少し待っていよ」
すぐに迎えに行く。
オレは己の戒めを解く。
オレは昔から不思議であった。何故、竜がヒトの姿を象ることが出来るのかを。
お父様やお母様は、竜を模してヒトが生まれたからだと教えてくれた。
本当に? だが、竜を模した生き物ならばリザドニアンや、ワイバーンが存在する。
全ての竜の源。我らが生まれ、いずれ回帰するはじまりの竜がなぜ、竜にヒトの姿を与えたのか、オレは不思議でならなかった。
だが、今ならわかるよ。はじまりの竜が何故、ヒトの姿を選んだのか。
ナルヒト。今のオレにはわかるんだ。
「きっと、はじまりの竜も、オレと同じなのだ」
それはきっと、ヒトを理解したかったのだろう。だから
ああ、だから、少し迷う。もし、この姿を見られたら、トオヤマナルヒトはどう思うのか。ヒトとは明らかに異なるこの姿を、ナルヒトはーー
風が、吹いた。
『 』
ーーありがとう、ユサ。大丈夫、聴こえているよ。
オレは友の為にその姿を選ぶ。
オレは友のおかげでその姿に戻る。
「ここに点を穿つ」
はじめよう。
見せてやろう、オレの、本当の姿を。
「我が祖父は炎竜、その炎は世を燃やし尽くした」
「我が祖母は水竜、その水は世を洗い流した」
「我が父は鉄血竜、その血を流せる者この世にはなし」
「我が母は花竜、その美を超えるものこの世にはあらざる」
オレの身体に流れる血、魂。竜とは受け継ぐ者である。血脈が、そして回帰する魂が引き継いだ全てが、次の世代の竜へ。
焔がオレの身体にまとわりつく。
背中から生えた翼が、より大きく。
『フレアテイル……それ、すごいわね』
《と、かげ……エエエエ》
生命ある者よ、畏れよ。
魂持つ者よ、震えよ
意思強き者よ、跪け。
「竜化」
角が伸び、増える。
骨格が肉を突き破り、焔を纏う。皮膚が破け、鱗が生える。
はじまりの竜が、それでもヒトと歩む為に選んだそのカタチが崩れていく。
本来の姿に、戻るのだ。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
もはや、この喉は言葉を繰ることはない。相互理解にひつよな言葉など必要ないゆえに。
もはやこの身体は痛みも感じない。弱者に寄り添う必要などないゆえに。
オレは、竜。ヒトではない。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
純粋なる力の結晶。
王冠の如き6本の角も、空をねじ伏せる6翼も、焔を従える6本の尾も。その全て、他者を圧倒するためのものである。
オレの金色の鱗が、輝く。
身体が熱い、眼下に位置する大いなるモノ、いや、小さきモノを見つめる。
《……トカゲが! 爬虫類臭いの! ナルヒトくんに懐かないで! 死んで!!》
闇色の身体から、大矛を取り出して、それを振りかぶる巨体。だが、遅すぎる。
空を飛ぶ竜を堕とすことなど、できるモノなど。
「アアアアアアアアアアアアアア」
いや、いたな。
オレは口に溜まった焔の熱を舌で転がしながら、少し笑う。
ナルヒト。オレは竜だ。
貴様とは違う存在だ。
貴様の全てを理解することなど出来ない。貴様と本当の意味で寄り添うことなど出来ない。貴様の弱さと同じでいることは出来ない。
オレは竜。貴様とは違う。
だが。それでも竜で、良かったと思う。
竜だからこそ。今、こうして、そなたを助けに行けるのだから。
眼下、空が広い。
嵐が、有象無象どもを、全て消し飛ばしてくれたおかげだ。
『遠慮はいらないわ。ぶちかましてよ、フレアテイル』
同類の言葉に、にやりと笑い、オレはその焔を闇色の女へと向ける。
光が。闇を裂いた。
《え》
しゅぼ。
金色の光が、闇色の女の半身を焼き切る。ああ、貴様の中身がよく見える。
それは死、暗黒の奈落。
その遥か下、オレの目には映る。
鈍く、それでも輝く星のごとき煌めきが。
そのちっぽけで血生臭く甘くて、古い匂いと生命の輝き。
見つけたぞ、ナルヒト。
オレは翼をたたみ、一気に降下。風が、空気が邪魔でもどかしい。
もどかしい、もどかしい、もどかしい。
オレは竜の身体で降下して行く中、ふと、思う。
オレは、なぜ、ここまでナルヒトのことになると必死になるのだろうか?
何故、オレはおかしくなっているのか?
心に湧いた小さな、痛みにも似た何か。
それはきっと一緒にいる彼女がずっと抱えていた想いとよく似ているものなのかもしれない。
まあ、いいか。
オレは、闇色の女の身体、その焼き開いた空洞へと堕ちていく。
そこは、死だ。
そこは、終わりだ。
きっと、定命の者が全てを終えた後に向かう場所そのものなのだろう。冷たく、ただ、冷たくて暗い場所。
空洞を堕ちる。
近くにナルヒトがいる。
む?
何か一瞬、筆舌にも尽くしがたい見るだけで不快な肉塊と存在が視界に写った気がしたが、すぐに闇に飲まれたので、無視をして通過する。
そして、オレは見つける。
オレとは違う翼もなにもない身体で、弱々しく落ちて行くそれを。
牙も爪も翼も尾も、焔も。
竜が備える何一つ一切を持たずとも、竜を殺しせしめた我が友を。
オレの竜殺しよ。
ナルヒト、待たせたな。迎えに来たぞ。
◇海◇優◇シャ◇
『一緒に行こうぜ、ドラル。あのトーヘンボクを迎えにさ』
声にならない声。それでも君に届けばいいな。風よ、頼む、届けておくれ。
僕は今、滅びの中にいる。仮初で嘘の命にも死は訪れる。
僕は、死ぬ。僕は滅びる。僕は終わる。
でも不思議と、あれほど焦がれていたはずの死に対して僕はあまり感想を持たずにいた。
ああ、知ってたぜ。ドラル。
君が、かっこいい奴だってことは。
僕は、空を眺める。溶けていく身体よ、もう少しだけ。消えていく魂よ、あとほんの少しだけ。ぼくに、付き合ってもらうぜ。
僕の冷たくなった身体を抱いてくれた君が、空へ駆けるのを眺める。
ああ、見てよ。空を埋め尽くしていたあの化け物たちが羽虫のように堕ちていく。
空は彼女のものだ。彼女は決して許さねえ、自分が許した者以外が空を飛ぶことを。
僕は、キミが羨ましい。
トオヤマナルヒトと同じ、本物であるキミがとても羨ましいよ。
知ってたかい? とーやまが君を見る目は、僕達を見てる目とは少し違うんだぜ。
アイツがたまに窓の外から空を眺めてるあの顔。
まるで自分のいる場所はここじゃない、もっと別の場所なんだって突きつけられるような顔。
遥か遠くを眺め続けるあの顔だよ、きっとアイツにしか見えない何かを見てるあの顔。
僕はあの顔が嫌いだった。
僕はあの顔が好きだった。
その顔で、ドラル。君を見ていたんだぜ、アイツ。
空を、キミが駆けていく。
きんいろ。
美しいきんいろの焔が、異形たちを焼き払い、キミの綺麗な髪の毛が嵐になびいている。
その美しい顔が、なにかをためらっているように見える。ああ、君は優しいやつだよ、ドラル。
でも、大丈夫だ。
いっちまえ。
ドラル、君にはその資格がある。
大丈夫だよ、ドラル。君は綺麗だ。
君が竜だろうと、なんだろうと、きっとアイツは気にはしないさ。
それに、ククク、ほら、想像出来るだろ? アイツ、きっと竜の君なんて見たら大喜びするぜ。
『ドラゴンが嫌いなオタクなんているわけねえから』
僕の、ーーを頼んだよ、ドラル。
ああ、大丈夫。微力だけど、僕に出来ることもするさ。ほんの少し、オリジナルのカケラほどの力だけど、君に、君と、一緒に。
君ならそれが出来る、生と死を行き来し、いずれそれさえも超えることが出来る生き物、竜。
僕を連れていってくれ。僕の意志も想いが消えるとしても、この力だけはどうか君の役に立てればいいな。
ククククク、あーあ。なんだよ。たのしかったなあ。偽物でも、仮初でも、幻想でも、みんながいたから、楽しかった。
それに、ああ。なんだよ。偽物の僕でも、本物にひとつ勝てたものがあるや。本物にはなくて、僕にだけあるものがある。
竜が、空を飛ぶ。
嵐すら晴らしながら、彼女が従えるきんいろの焔が暗闇の女神を焼き滅ぼしてる。
綺麗だよ、ドラル。
ーーひっひっひ。なあ、オリジナル。海城 優紗。悔しいだろ?
この光景は、これだけは、僕、だけのものだぜ。
あばよ、とーやま。君は好きに進むといいさ。でも、たまには後ろとか横とか向けよな。ドラルのことは、置いていくなよ。
とーやま、まあ、あれだ。ドラルと君が共にいればそれでいい。それが僕だけの勝利だ。
竜が空を飛ぶ。全てを焼き滅ぼし、闇色の女神の半身へ、嵐が切り拓いた空間を伝いて、金色の熱線を。
ぽっかり空いた巨体の空洞、そこへ竜が吸い込まれるように入り込んでいく。
僕は君と共にいる、この魂が滅びても、きっと君のそばにいる。
やっちゃえ、アリス・ドラル・フレアテイル。
僕の、最高にかっこいい竜の友達ーー
感想いつもありがとうございます! 全部読んでます!
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