98話 死者と生者
「伊弉諾、鳴人くん、伊弉諾、鳴人鳴人遠山鳴人遠山鳴人遠山鳴人伊弉諾遠山鳴人鳴人伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾ーー 鳴人くん」
白い空間、遠くから何かが湧いている。最初は小さく、だんだん大きくなっていくそれは怒涛。
荒れ狂う波のごとく、湧いてくる標識アタマの異形達。その背後には一際大きな異形。
美しい大きな女の像。錦糸のような黒い髪と天女のような羽衣を揺らして軍勢に担がれて顕れる。手に持つの矛は、死と暗闇に侵されて黒く錆びていて。
死者の色をした血色のない肌、至る所から黒いドロドロとした粘液を垂らしつつ。正気のない顔、しかし目に宿る情欲の炎が、爛々と輝いている。
根の国の主人が、軍勢を率いてやってくる。
【"霧" わぬしよ、……犯されるんか?】
「やかましい、その時はお前もパパになるんだよ。それが嫌なら協力しろ、キリヤイバ」
割と油断ならない存在であるお札マッチョ、それと本気だかどうなんだがわからないくだらないやりとりを交わして。
《まて、まて、まて、待て》
白い空間に湧いてくる無数の異形たち。下半身はグズグスに溶けて、腕だけで這い寄ってくる姿は生理的な恐怖を催す。
「待つわけねえだろ! クソ、好き放題しやがって!」
遠山がすぐにかぶりをふり、軍勢に背を向けて走り出す。まともに相手をしていい存在ではない。
逃げながらも、見つける。
穴だ。何かのバグのやうに、白い空間にぽっかりと大きな穴が空いていて。
「穴! あそこか!!」
《まあああてえええ!!》
《振り返れ、ふりかえって、振り向いて、こっちみて、ままてまて》
【"霧" い、嫌じゃ、絶対にいやじゃ! わぬしよ! 決して振り返るでないぞ! じ、冗談ではないわい、あんなのに犯されるなんぞ! て、貞操じゃ! 儂の貞操の危機じゃ、誰か、男の人呼んで!!】
「気色悪いこと言ってねえで働け! 仕事の時間だ!」
遠山鳴人は振り返らない。穴に向かって地面を蹴る。ついでに、肩にかついだキリヤイバに向けて怒鳴りつつ。
【"霧" こわいわー、ほんに、怖いわー!!、じゃから、
本気で殺そうぞ、我が霧の勇者よ】
そのメッセージに、遠山鳴人は無意識に笑う。見開いた目と吊り上がった唇。
己の力を暴として振るう興奮に満ちた顔で。
きっと、彼の夢の中に巣食う"霧"も同じ顔で笑っていた。
《待て! あ、ギャァ!!》《いだい、いだい、いいいいいいい、あああ、キリ、キリ、アメノクニノ…… いや、どちらでもない? 痛いイイイイイいい》
異形の軍勢、這い寄る化け物たちが悲鳴をあげる。
不可視の薄いキリ、それのヤイバがそれらを刻んだ。
多対一に特化した能力を持つ遠山鳴人の遺物、その特性は例え相手が、神話の軍勢であろうと揺らぐことはない。
「キリヤイバ、既に仕込みは終わってる。そのサイズなら、きちんと刻めるようだな」
【"霧" 普段よりも念入りに刻んでおいたぞ。うわ、なんじゃこのネチョネチョの魂。ばっちい。えんがちょ】
《ああ、いたい、いたいいい、フフフ、まああああああてええええええ!!》
その叫びを背に受けながら、走る、走る。
ピコン。
いつものメッセージの音
【オプション目標 "凡人探索者の救出"】
メッセージが流れ、その穴に向けて↓が現れる。クエストを完遂するための導きが、遠山鳴人を手助けして。
「いっくぞおおおおおお!!」
遠山鳴人がその穴に飛び込んだ。思ったよりも傾斜がない、その空間はまるでウォータースライダー。
「うおおおおおお!? 趣味の悪い滑り台だなぁおい!!」
びちゃびちゃとよくわからない液体の流れるウォータースライダーに流される遠山。
横に、縦に、ななめに揺れる。暗闇、光、明滅する視界。自分が今どんな状況なのか三半規管すら追いつかない勢いの中、一際強い光が目を焼いて。
ずしゃああああ!!
そしてすぐに飛び出る。
砂利の上をベイゴマのように回転しながら滑り転がる遠山。着ている服が探索者用の装衣でなければ擦り傷だらけになっていたことだろう。
「あばばばばば!!?」
ごろんごろんとそのまま2度3度ほど転がり、ようやく勢いが止まる。
遠山がそこにたどり着いた。
ピコン
【"渓流の夢"】
視界に一際大きなメッセージが広がる。今までの状況や目的を伝えるものとは違い、端的で
流れるメッセージ、それはどういう意味だろうか。
「いてて、……なんだ、ここ」
尻を撫でながら、遠山が薄暗く、しかし、視界が開けた辺りを見渡す。
「川…… 山の中の清流キャンプ場みてえだ」
静かな場所だ。ついさっきまで耳に障っていた異形の軍勢のうめき声が嘘のように。
ただ、サラサラと流れる清水の音。苔蒸した岩に砕けて、集まり、決して澱むことなく流れ続ける水の音だけが聞こえる。
「綺麗な場所だ……」
砂利を踏みしめて、遠山が小川に近づく。
流れる清水に、ゆらゆら揺れながら映るまん丸な光。
「……月がある」
驚くことに、その場所には月があった。この明るさは月光によるものだ。
空に浮かぶまん丸なお月様が、流れる水に揺れながらも映り込んでいた。
「……なんか、妙に落ち着くな」
空気が美味い。ほんとにここはあの神体、名瀬瀬奈の中なのだろうか。
「ん?」
ふと、小川のたもとにそれを見つける。
「積み石…… この棒は、卒塔婆か? ……墓?」
数個積まれた大きな石。鏡餅のように大きいものを下から積み上げているそれ。隣には細長い板、墓場によくある卒塔婆のようなものまで刺されている。
遠山が、妙な感覚。ともすれば郷愁にも似た何かをその石に感じ、無意識にそれに歩み寄ろうとして。
【目標更新 "神話回生 伊奘冉大神" 神体内にて、"凡人探索者"を発見する】
ふと、視界に現れたメッセージにあゆみを止める。
「いけね、とまってる場合じゃねえ 矢印! あっちか!」
目的の場所まで急がなければ。遠山が矢印の示す方向に向かおうとして。
《ず、アアア、カカカン》
《ひ、ぎわひひひひり、カカン》
ぼとり、ぞとり。
空間の歪みから顕れる異形、ヨモツシコメ。追っ手だ。
「チッ、まあ、そりゃ追いかけてくるわな」
《カカカカン》
威嚇してくる異形に向けて、キリヤイバを構える。最速で始末する。遠山がキリを濃く滲み出させてーー
「キュキュキュキュ!! マ"ァアアア!!」
背後から響く、甲高い奇声に反応が遅れた。
振り向くーー
「は? っへぶら!?」
ベチョッ。
それは湿っていて、ひんやりして、しっとりしていた。
何か、濡れタオルのような、それをゴムにしたようなひんやりが遠山の顔を覆った。
「よくやった! キュウセンボウ!! 新手ぞ! 曲者ぞ!! そのまま抑え込んでおれぇい!!」
聞こえる声に反応。
視界が閉じられた、顔に何か張り付いている。遠山は軽いパニックに陥りつつも、それを剥がそうと暴れる。
「キュキュキュキュ!!」
「ギャァアアア!? ねっちょりしっとりいいいい!! なん、なん、なんだ、これ!? くそ、離れろろろろろ! ぷはっ!」
ぶちん。思い切り顔に張り付いたそれを掴む。柔らかな部分は掴みにくく、滑る。しかし、何度か手で探ると硬くて掴みやすい部分を見つけた。
思い切り、それを引っ張り、剥がしてーー
視界が開いた。
「まずは、貴様らからぞ。黄泉平坂の住人ども」
「あ?」
月夜の下にそれはいた。
お札マッチョが着ている服装に少し似た、着物のような装衣。狩布と呼ばれる古い装衣。
ぽんと頭に抱かれたおじゃるな人がかぶってそうな烏帽子。
だが、遠山がなによりも目を剥いたのは。
「カカーー」
「ぎ」
キンッーー
「黄泉路で語れ、鬼裂の刃の閃きを」
白い骨の指が、刀を振るった。それだけで、異形達が、ずるりとズレる。上半身と下半身、それが綺麗にずるり、と。
「いや、もうここが黄泉路みたいなものよな」
ガイコツだ。骨だ、ドクロだ。
着物を着たガイコツが、異形を斬って捨てた。
「す、げ」
ーー美しい。
その動きは、ただ、ただ、美しかった。剛と柔、野性と理性、その全てが合一し、合わさった武の極地。
少しでも、"戦う"ことや争いを生業にしている人間であれば魅入られる。
遠山もまた、その完成された武の凄烈さがわかってしまう。なんであんな風に斬れる、なんであんな風に両断出来る?
ただ、ただ、そのガイコツの極みが美しくーー
「キュキュ!!」
べちょ!!
尻餅をついた遠山の胸に、またしっとりひんやりした何かが飛び込んでくる。
それを反射的に受け止め、掴んでーー
「ぎゃぼ!!? てめ、なん、なんだ、このシリコンちみっこナマモノは!? ……は? 河童?」
くりくりのつぶらな瞳。小さな黄色の嘴に、つるつるの白いお皿。割とでかい亀の甲羅。小さな水かきはしっとり。緑の肌はひんやりと。
小さなカッパ。
遠山がぬいぐるみを掲げるようにそれを眺める。
「キュキュ」
「あらやだ可愛い」
かっぱだった。
きゅっきゅっと鳴きながら、遠山を見つめるつぶらな瞳。こいつがさっき急に顔面に張り付いてきたのだ。
「え、お前、なんーー」
遠山がカッパをとりあえず地面に降ろそうとして。
「止まれえい」
「うお……」
首元に、その刀が突きつけられるまでガイコツがこちらに近づいたことに気付けなかった。
白い刀身、峰の部分はサメの歯のようにギザギザ。刀身は白く半透明に透けている。
骨、で出来た大太刀、それの切先が遠山の首元にそっと当てられていた。
「上から降りてきたということは、黄泉大神の手先、新手よな。ヨモツのシコメどもと違うナリをしておるのは、品を変えたか?」
かたかた、ドクロが顎骨を鳴らしながら話す。どうやって発声しているんだろうか。割と遠山は落ち着いていた。
「き、きものに、烏帽子のガイコツ…… 和風だな」
「これは狩衣、ぞ。動くなや、黄泉大神の手先、伊奘冉の眷属よ。貴様は意思の疎通が出来そうだ。我が主人の戒めを解いてもらおうか。出来なければ貴様の主人にそう伝えよ」
どうやら、この烏帽子ガイコツは遠山を、名瀬の仲間か何かだと勘違いしているらしい。
たしかに急に現れて、あの異形と一緒にいればそう見えないこともないだろう。
「手先…… 待て、俺はーー いや、違う……」
思い出せ。
遠山鳴人は喚きかけたのをなんとか押し留めて思考を回す。刃は既に遠山の首に添えられている。少し力を入れて引かれれば、首は裂かれるだろう。
命の危機、今日何度目だろうか。
【技能 ラン・ホース・ライトが発動します】
命の危機に走馬灯が走り出す。考えろ、考えろ考えろ。
ガイコツに、小さなカッパ。何かがひっかかる。こいつらをどこかで知っているような、ガイコツは少なくとも、異形を斬った、つまり、名瀬瀬奈と敵対している。だから、つまり、なんだ。そうだ。
コイツらは、黄泉大神に抗っているーー
ピコン
【ーー◆山■■の神秘の友人たち、鬼を裂く鬼と西国大将は伊弉冉大神の同化に抗っている】
「そうだ! 思い出した、伊奘冉大神、黄泉大神、名瀬瀬奈に抗っている連中……!」
メッセージが告げたIQ3000の作戦概要。それに記されていた存在。あの時はなんのことか意味がわからなかったが、今なら。
つまり、この2匹。
ガイコツと小さな河童の正体はーー
「小さい河童、西国大将…… キュウセンボウ……ん? キュウセンボウ!?」
そうだ、あのガイコツ、この小さなカッパのことをキュウセンボウと呼んでいた。
カッパ。キュウセンボウ、西国大将。
遠山鳴人の中でピースが噛み合う。それは図書館で読み続けた本の知識。
本を読む。遠山にとって手持ち無沙汰の暇つぶし、しかし気付けばハマっていたその行為は、今、こうして冒険の助けとなって。
【技能 "オタク"が発動します。INT値6"教科書だけが友達さ"以上なのでアイデアロールなしで判定に成功します】
「お前!? うそ!? まさか、"九千坊"か!?」
遠山鳴人のオタク知識が、小さなカッパとキュウセンボウという名前を結び付ける。
九千坊。
クマモト県、チクゴ川に棲まうとされる西ニホンの河童を取りまとめる大妖怪。古く遥か大海を辺り、大陸からニホンへ一族まるごと移住してきたカッパの大親分。
その大妖怪と目の前の小さなカッパは名前が同じで。
「キュッキュ!!」
しゃきんと目を見開き、どこか誇らしげに、小さな水かきを腰に当ててえっへんとジェスチャーする小さなカッパ。
まるで遠山の言葉に、その通りだ、と返事しているようで。
遠山は少し頭が痛くなってきた。
「ーー待て、貴様、なにゆえにそれを? ……奴らの眷属にしては、その振る舞い、人間らしすぎる……」
「お、俺は人間だ! まてよ、待て待て、西国大将と、…… そうだ! 鬼を裂く鬼!! 伊奘冉の同化に抗ってるとか、言う、神秘の、友人……?」
もしも、この小さなカッパが西国大将九千坊だとしたら、メッセージが告げていた伊奘冉に抗っている神秘とやらということになる。
ならばこのガイコツもそれと同じ。つまり、この2匹は"アレフチームのバカ"の味方、ということだ。
「キュ?」
「ええ…… なに? なんなの? ナマモノマスコットに、烏帽子ガイコツ……? 頭が、痛くなるんだけど」
いったい、何をどうやったらこんなのが味方になるんだ? というか、妖怪って実在したのか? いや、ダンジョンに怪物種、遺物に、そして異世界まで実在したのだ。
「なら、まあ、妖怪も……いる、か」
この分だと恐竜もどこかで生き残っていてもおかしくないな。遠山鳴人は、深く考えるのをやめて少し笑う。
「貴様、妙だ。たまらなく、妙、だな」
遠山を、ぽっかりと空いた眼窩で見つめるガイコツがつぶやく。その声からは少し、敵意が薄くなっている。
「その香り。古い神格の香りをぷんぷんさせながらも、貴様の雰囲気、それは人間、ぞ。ちっぽけで無力、故に残酷な人間の雰囲気。貴様、なんだ?」
しかし、遠山の首に突き付けられた刀は微動だにしない。
未だ助かってはいない、嘘はリスクが高すぎる。
遠山は誤魔化しも、嘘もなく、ただ真実だけを言葉にする。
「……コイツら、伊奘冉、ヨモツオオカミの敵で、アレフチームの共闘相手だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「…………なに? あれふちーむ? 彼奴等がここに? 追いかけてきたのか…… む? 待て、待て待て、我らは主人ごと、此奴に取り込まれた身。なれど、貴様、あの女、伊奘冉の敵を名乗る貴様はどうやって、ここに?」
「食われてきた。騙して食わせて、ここまで侵入した」
「………….なに?」
ガイコツにまぶたはない。だが、彼にまぶたがあればきっと何度も瞬きしていたことだろう。
「烏帽子ガイコツ、いや、鬼を裂く鬼。俺の名前は遠山鳴人。伊奘冉とかわけわからんモノになったバカ女の元チームメイト。俺は俺の仲間がしでかしたことの始末をつけるために、ここにいる」
「……いや、待て、名乗りよりもまずは説明せい。前、前の言葉はなんぞや。俺の耳…… いや、耳はないのだが、食われたとか、言っていたような」
「ああ、口説いて騙して食わせた。それで侵入した。狙い通りだ」
遠山は半ばやけになりつつも、そう言う。だってそれが真実だ。それ以外なんと言えばいいのだろうか。
「……………」
烏帽子ガイコツが、すっと刀を振り上げて、遠山に振り下ろそうと。
「待て待て待て待て!! 烏帽子ガイコツ! なんで刀を振り上げるんだ! 何がお前をそうさせたかな!?」
「いや、もう、判断に困るゆえに。悪いが今、我らには余裕がない。貴様のような理解に時間のかかる人種の相手をしている暇はないというわけだ」
非常に疲れ切った声でガイコツが呟く。遠山の言葉に辟易としたかのように。
「な、なんて合理的な判断。このガイコツ、慣れてやがる……」
「じゃあ、良いな? 苦しめるつもりはない」
「待、待ーー」
やばい、なんでだ。本当のことを言っただけなのにこのままでは勘違いで斬られる。口説いて、食わせて騙して侵入した………
「あー、すこし無理あるな」
ぼそりと、遠山が我に返って、それで。
「キュッキュッキュ! キュキャキ! キュキュ!」
「え?」
刀を振り上げたガイコツの前、遠山を庇うように立つ小さなカッパ。
嘴をカチカチ鳴らしながら、きゅっきゅと鳴き始める。
「む? なんのつもりよ、キュウセンボウ。……貴様も承知のはず。今、我らはこの領域を守るのに手一杯。これ以上の不確定材料は、不要の筈だ」
「キュッキュ! キュキュ! キュ!」
「む、まあ、そうか。貴様ほどの者がそう言うなら…… 人間、一つ聞かせよ」
割と簡単に、なんかカッパがキュッキュと鳴いてるうちに話がついたらしい。
ガイコツから殺気が消える。
「今、このナマモノマスコットとあんたの間でなんの会話が……? ああ、いや、すまん、なんだ。出来ればこのかっこいい刀を納めてくれると答えやすいけど」
殺気はなくとも、刀は微動だにしない。未だ遠山鳴人の首元に、ひたりと触れていて。
「刀を納めるかどうかはこれから決める。……貴様はここへ何をしに来た」
ドクロの真っ暗な眼窩、見つめていると吸い込まれそうなそれが、遠山を見つめる。
「心して答えよ。嘘も、誤魔化しも効かないと思えよ」
伊奘冉の軍勢、根の国の軍をも斬り捨て続け、己が蕩けそうになりつつも、この領域を守り続けた男の言葉。
嘘も通じない。真でもガイコツの道理に背けば斬られる。
故に、遠山鳴人はただ、真実だけを告げるのだ。
「アレフチームのバカを、凡人探索者を助けに来た」
「………なに?」
「キュッキュ!」
《みつけ、たあああああ!! フフフフフフフフフ、鳴人くん、伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾伊弉諾、逃がさない、逃がさないから、絶対絶対、犯して溶かして、作り直すからああおあ》
ざばむ。
渓流の水が吹き出す、みるみるまに美しい月夜の渓流の世界が姿を変える。
水はどろりと澱み、月は赤い雲に遮られる。地面には蕩けた肉や血管のようなものが浮き出る。
《カカカン、ベロホホホホホ》
《ぼほぼぼぼ》《きんきんきんきんきん》《かいさつかいさつかいさーつじんしんしんしんしんじんしんしじここここここここここじんしんしんしんしん》
根の国の女神、そしてその軍勢が渓流の中から溢れて出でる。
美しいこの場所があっという間に、生者を許さぬ死者の領域、根の国に様変わり。
「うわ! やべえ! 呑気してたから追いつかれた! 烏帽子ガイコツ! 信じろ! 俺はアイツの敵だ、ということはーー」
遠山鳴人が目を剥き叫ぶ。もうだらだらしている場合ではない。
ガイコツに向けて言葉を飛ばして。
「ふむ、ならば、我らの味方、加勢と見て良い、ということか」
ふと、ガイコツが遠山から刀を離す。そして、自分の骨剥き出しの顎を、骨の指で撫でて。
《カカカカンかかん》《せんろそんろつづくのどーこまでも》《カゴメか過去ママがコメ》
「あ、やべ」
怒涛。異形の軍勢がはじけるように、カッパとガイコツと遠山の方へ押し寄せてーー
「少し黙れ」
ざんーー
野菜の束を一気に斬り飛ばしたような音。
《《《…………???》》》
大太刀の一振りで、こちらに襲いかかってきた異形達の動きが止まる。
どの異形もみな固まって動かない。そして、1匹の異形の標識アタマがずるりと斜めにズレて、落ちる。
《《《《カカン》》》》
ずる、ずるり。そしてそのあと一斉に、ようやく全員がその大太刀に斬られたことに気付いたらしい。
赤いモヤを流しながら、斃れる。
一太刀で、軍勢の先鋒、その全てが斬られた。
「ま、じか」
「キュキュキュ」
「……わかっておる、キュウセンボウ。どのみち我らだけでは手の打ちようもない。……おい、妙な神格の香りを纏わせた怪物狩りよ。謝罪を。疑ってすまない。加勢の段、感謝する」
唖然とする遠山を尻目に、なにやらカッパに言われたらしいガイコツが、綺麗な一礼で遠山に頭を下げる。
「お、おう…… 聞き分けがいいな」
ゆっくり、遠山が立ち上がる。
あの大太刀の一太刀で、完全に異形達は意気を潜めている。
動かない、出てこない。
「ふん。今代の鬼狩り、いや、怪物狩りどもに常識などてんで意味なさぬことは、我らが主人で慣れておるわ。……我らは今、共通の敵を持ち、そして貴様は我が主人を救いに来たという。神を口説いて、騙し、その肉の中に忍び込んだわけ、か」
「まあ、そうなるな」
ガイコツの言葉に、遠山が頷く。真実だもの、仕方ない。
「クハ」
からん。がらんどうのしゃれこうべが顎を外した。
「クハハハハハハ!! 貴様、なんだ、それは! なぜ、なぜそうなる! クハハハハ! 神殺しの手段が、口説く、ときたか! 我が主人とはまた違った種類のイカれよな! クハハハハハハハハハハ!」
大口をあけて、かんらかんらと笑う烏帽子ガイコツ。
「キュキュキュキュキュキュキュキュキュ!!」
合わせてカッパも小さなお腹をぽこぽこ叩きながら鳴き声を。笑っているらしい。
遠山の何かが、そいつらの琴線に触れた。
カラカラと音を鳴らして笑う髑髏と、小さな嘴からきゅきゅと愉快な音を鳴らす河童。
それだけで、遠山鳴人は彼らに受け入れられてしまった。
「ええ……」
妖怪の笑い声に包まれた遠山が、ぼやく。なんだこれ、どうしたらいいんだ。とりあえずガイコツに視線を向けて。
「ああ、わかったわかった、これは良い! まさかあれだけ欲した援軍が、我らが主人と似たり寄ったりの大莫迦とはの! まあ、いい、我ららしくてよし!」
ガイコツがうんうんと頷き、遠山の肩を叩く。
もう、彼からは敵意を感じなくて。
《フフフ、フフフ、鬼狩り、鬼裂、神仏をも己が楽しみで屠ったもの。貴方の刃はやはり痛いわ。この領域、あの人がまだ溶けきってないのも貴方の作りだしたこの場所のせい…… いいわ、鳴人くんごと、今ここで溶かしてあげる》
軍勢に囲まれた根の国の主人。
名瀬瀬奈が、ガイコツに語りかける。
「クハハ、女。残念だが、この場所は俺の呪血式でも九千坊の異界でもない。……今はもう亡き誇り高き凡人共の残滓が組み上げた境界。ここが我らの背水の陣。心せよ、愛に澱んだ愚か者よ。貴様が腹に納めたものは、手強い、ぞ?」
ガイコツが大太刀を肩に乗せ、女神の言葉に骨を鳴らした。
《フフフ、でもこの人はもう動けない。栄養になるの、鳴人くんを産む栄養に。鬼裂、九千坊。貴方達の抵抗も、もう終わり。主人無き貴方達のけなげさだけは忘れないであげるから》
「好き勝手言ってんな、名瀬。……いい加減追いかけられるのも、面倒だ。ここでーー あ?」
あの大太刀の一撃。このガイコツが味方ならばやれるかも知れない。当初の予定とは違うが、遠山が戦う用意を始めた瞬間、それは遮られる。
「良い。潮目が変わった。クハハ、これは機、ぞ」
遠山の前に歩むのは、烏帽子のガイコツ。身の丈よりも大きな大太刀を肩に担ぎ、遠山の前へ。
黄泉の軍勢の前へ立つ。
「お、おい、烏帽子ガイコツ、お前」
「黄泉の大神、根の国の主人。ふむふむ、よいよい。だいだらぼっち以来の大物か。巨いなる者との立ち会いに、多勢に無勢の殿ときた。ククク、武士の誉れよな」
軍勢を前に、カラカラと骨が鳴る。それはしゃれこうべが嗤う音。
「キュ」
「ああ、我が友、九千坊。その通りよ。のう、霧の香りの怪物狩り」
「何だ。烏帽子ガイコツ」
「行け、ここより先、ここより下に我らが主人が眠っておる。すまんが、それを叩き起こしてくれや」
黄泉の軍勢、その奥をガイコツが指差す。
ピコン。
同時に、遠山の道を伝える矢印もまた同じ場所を指し示す。
遠山鳴人とガイコツの目的は同じ。
「ーー荒っぽくなっても大丈夫か?」
「クハハ、1000度殺しても死なぬ男よ。思いっきりやってくれや」
「わかった、すまん」
そのやりとりだけで伝わる。
このガイコツは遠山鳴人の道を助けてくれるらしい。死地に残って。
「九千坊、霧の香りの怪物狩りについてゆけ。案内してやれ。そして、いざとなれば頼む、ぞ」
「キュキュ!」
「うわ!? お前、ついてくんの?」
「キュマ!」
ぴょいっと、遠山の身体を登り、首元に肩車するようにまとわりつく小さなカッパ。見た目よりも遥かに軽く、重さをまるで感じない。
しっとりとは、しているが。
「クハハ、西国大将が御身の守護を務めるとのことだ。……時を稼ぐ。はよう、行け」
きっ、と。
骨の大太刀の刃が軍勢を向く。
「敬意を。烏帽子ガイコツ」
「ふむ、その呼び方は気になるがまあ、よいわ。……難儀な者に魅入られた者よ。その霧の力であれば、我が主人を起こすことも出来ようぞ。助かる、だが」
「努、忘れるな。それは決して貴様の友でも、従者でもない。狡猾に貴様の器を狙うておる化外の存在ゆえにな」
「忠告どうも。……あっち、あの穴か」
遠山がカッパのキュウセンボウを肩に担いで走り出す。
《フフフ、どこにいくの? まって、まってええ、置いてくなんて、許さないいい》
「行くぞ、ナマモノマスコット!」
「キュ!」
《まってよ、まって、フフフフフフフフ、行かせないから》
「くそ、数が多い……」
この軍勢を抜けた先の穴、その下に逆転の手段がある。
遠山鳴人が受け継いだ"作戦"の完遂にはなんとしてもここを通り抜け、そこに辿り着かなければならない。
邪魔するやつは。
遠山鳴人が、首元に手を当ててーー
「温存しておけ、今代の怪物狩り」
ざんっ。
斬撃の音。空気を裂き、肉を裂き、死を斬り裂く。鬼をすら裂くその剣気が死の軍勢を屠っていく。
「う、お」
視界が開けた。
「心して進め、これより貴様の道はこの鬼裂が切って開く!! 遅れるな! 進め!」
先頭に立つのは、烏帽子のガイコツ。彼が走りながら刀を振るうたび死の軍勢が目減りする、道が文字通り、斬り開かれていく。
「す、げえ、なんだこりゃ」
「キュマっキュ! きゅ!」
遠山の頭の上に、しっとりとしたお腹をくっつけて捕まるカッパの子が小さな水かきで方向を指さす。
「あっちか!! って、いででで! 髪! 髪の毛引っ張るな、ナマモノ!」
髪の毛をひっぱられつつ、かっぱの指し示す方向、化け物の群れの狭間に、また大きな穴があるのを見つけた。
「どけ、どけ、どけ! 根の国の亡者ども、既に滅ぼし者どもよ。死者が生者の道を閉ざすこと能わず! 我らが主人の道を邪魔するもの、道理の分からぬ塵芥! 全て、斬る」
斬る、斬る、斬る。
烏帽子ガイコツの振るう骨の刃。それが異形の群れを斬り散らす。
【敵神性 黄泉大神 "根の国の主人"特性により、神秘の残り滓に対する特攻が発動しています】
【"神秘の残り滓 鬼裂"に対し、黄泉大神の神性による絶対優位権が発動、隷属の命令が発動しています】
【■■◆◆の技能発動 "神秘の主人"により■■◆◆の保有する神秘の残り滓たちは、黄泉大神の隷属に抵抗しています】
根の国からウジのように湧く死者の群れ、その悉く烏帽子ガイコツが振るう骨の刃の前に、肉を散らしていく。
相性。
本来であれば、とっくに烏帽子ガイコツもかっぱも黄泉の大神に取り込まれ、溶かされていた。
一度死した存在である彼らはつまり、根の国の住人でもある。故にその根の国の主人とはとことん相性が悪い。
だが、それらを全て跳ね除けて、本来従うより他ない隷属を跳ね除け、死に抗うその姿はまさにーー
「鬼、だな」
遠山が呟きながらも、ガイコツの切り開いた道を一気に走り抜ける。
手を伸ばし、その進行を邪魔しようとする異形達、全てが細切れに骨の刃に裂かれていく。
そして、すぐにたどり着く。
眼前の大穴。渓流の中洲にポカリと空いた大きな穴。
ピコン
↓
【オプション目標 "凡人探索者"の救出】
目標は、その穴の下。
「ーー頼むぞ、烏帽子ガイコツ!」
「ーー任せた、霧の怪物狩り」
互いに任せる。
遠山はこの場の足止めを。
烏帽子ガイコツは逆転の一手を。
遠山鳴人は頭にひっつくかっぱのひんやりした感覚を感じつつ、その穴に向かって飛び降りる。
「う、おおおおおおおおおお!?」
「キュマアアアアア!?」
その姿に、なんの躊躇いも無かった。悲壮感も何もなく、短い出会いに少ない言葉。
それでも、目標を同じくした者同士、黄泉をねじ伏せるべく。
鬼狩りと冒険者はほんの少し視線を交わし、別れた。
「行ったか」
遠山の落ちた大穴、それを背中に烏帽子ガイコツが仁王立つ。
彼の前に存在するは根の国の軍勢。斬っても斬っても決して滅ぶことなく、尽きることなき死の軍勢。
異形たちの奥、一際大きい腐りかけの女神が笑いかける。
《平安最恐の鬼狩り、鬼に堕ちた貴方。フフフフ、道理がわかっていないのはどちらかしら? 生はいずれ死に終わる。それは決して覆らないこの世の道理。むしろ貴方たち、残り滓たちの方こそ道理に従わぬ、まつろわぬ者、道理を受け入れられない愚か者とは思わないかしら》
名瀬瀬奈が、目の前ほ存在の心を折りにくる。
烏帽子ガイコツ、小さな河童。
彼らは皆、既に滅び、終わった者たち。その生を終え、しかし残った未練のためにこの世に残り滓を遺した神秘たち。
ひょんなことから、"アレフチームの馬鹿"とその道を同じくし、そしていつしか友人となった道理に従わぬ愚か者達だ。
「ふむ、たしかに、貴様の言う通りよ。我らはみな、歴史の中で力尽き、終わりを迎え、それでもそれを素直に受け入れることの出来なかった者、死を受け入れられなかった弱き者かもしれんな」
《フフフ、そうでしょう? この世は大きな理の中動いている。誰もそれに逆らうことは出来ない、逆らうことは許されない。始まったものはいずれ終わる。生まれたものはみんな死ぬ。傲慢なのよ、貴方たちは》
古い鬼狩りと黄泉の大神の問答。
かつて己の愉しみのために死を築き上げた男と、死を司る存在の問答は、互いの存在を証明するために必要な儀式に等しい。
「たしかに、貴様の言葉こそがこの世の真理であろう。盛者必衰、生者必滅、生老病死に愛別離苦。死に抗うことなど、何の意味もない愚かなことなのかもしれんな」
《その通り、そしてそれは貴方の主人も例外ではない。不死身の存在など、不滅の存在などこの世にはいないの。貴方達の命運は既に尽きた。終わりを受け入れる度量こそ、最期の時を迎えた生者の唯一の美徳なのよ、鬼裂》
死が笑う。
既に一度死した烏帽子ガイコツに対して、名瀬の力、根の国の主人という特性は相性が悪すぎた。
黄泉大神、伊奘冉の言葉は烏帽子ガイコツにとって令であり、毒であり、蜜。
「……そうだな、そうかもしれん」
烏帽子ガイコツの佩く骨の大太刀、それの切先が地面に降りる。
黄泉大神の言葉は、死者にとって本来抗うことの出来ない令だ。
黄泉大神としてのリソースをこの場に集中させた名瀬の判断は正しい。根の国の主人としての力が、烏帽子ガイコツに強い影響を与える。
《そう、死を、私を受け入れなさいな。溶けるの、貴方も一緒に。大丈夫だよ、死は怖くない、みんないずれそうなるの、みんないずれ私の元に来るの。貴方の主人もすぐにひとつになるからね。死は怖くない。等しくみなに、いつか必ず訪れるのだから》
俯き、太刀を待つ手をだらりと下げる烏帽子ガイコツ。
それに向けて、根の国の主人が、黄泉大神がその大きな手を伸ばす。包み込むように、死を。
《死に抗うことなど無意味。生きて産まれて死んで滅ぶ。ああ、そうなのよ。生きる、なんてことに元から大した意味などないのだから》
烏帽子ガイコツは動かない。
決して抗うことの出来ない死が、甘く烏帽子ガイコツを包み込んで。
キンッーー
ずしゃり、腐った巨大な果実が両断されたような音。
《え?》
「なるほど、貴様の言葉はきっと正しいのだろうな。その通りだ、生の結末には必ず死が存在し、生まれ来たからこそ、死に去る。いつか全ては失われる。きっと人生の真実は無意味だ。それは正しい、貴様はどこまでも、正しいのだ」
骨の大太刀が、根の国の主人の手のひらを斜めに両断した。
《なら、何故ーー》
「だがそれはきっと今日ではない」
烏帽子ガイコツ、その骨に、窪んだ眼窩に、骨しかない腕に、黒いモヤがまとわりつく。
「己が命がいつか必ず尽きることを知り、己が輝かしき日々がいつか必ず滅ぶことを知り、終わりは決して覆らないことを知る」
ゆっくり、ゆっくり、骨の体に肉が戻る。
「だが、それでもと。己がいつか滅びるとて、己のこの鼓動に意味がないと何度も絶望する。しかし、それでも、と。明日はきっと良い日になる、そんなふうに何度も何度も、泥の中から希望を見つける。結局は、それの繰り返しよ」
頬、顔には白い化粧。まぶたのしたには紫の紅。血色の薄い、細目の美男子がいつしかそこに現れた。
それは有りし日の姿。平安の世を生きた彼の生者の姿。
「生きるとはそれの繰り返しぞ。でも、と。だとしても、と。いつか必ず終わりは訪れようとも、例え己の人生が必ず終わると知っても、それでもーー」
烏帽子に狩布、大太刀を佩く儚げでしかし、鋭い剣気を放つ青年が死を前に笑う。
「それはきっと今日ではない。そう言い続ける、それこそが生きる、ということなのだ」
《……無価値ね、だとしたら言ってあげる。神秘の残り滓、鬼裂。今日が、貴方の、いえ、貴方達のその日よ》
「それを決めるのは、きっと貴様ではないさ」
なあ、そうだろうよ。
一度滅び、しかし数奇な巡り合わせにより再生された伝承が死に向けて刃を振るう。
己の刃が届かないことを彼は知っている。ここでこのし死に己が敗れることも知っている。
だが、彼は託した。だが、彼は知っている。
その日を決めるのは、その日を進めるのは自分やこの女神のようなものではないことを。
生に意味をもたらすのは神でも死でも決してない。
「任せたぞ、今日は生きる生者ども」
渓流の穴の奥。
深く眠る己の主人と、霧の香りを纏わせた男。2人の生者を思う。
己の前に迫る死の軍勢とその主人、少しでもそれが彼らにたどり着くのを遅らせるために、刃を振るう。
はて、と。
烏帽子ガイコツ。鬼裂と呼ばれた男はふと、刃を振るうその瞬間、何故かそれに気付いた。
何故、自分は、あの男のことを霧の怪物狩りと呼んだのか。
どこか、あの神格の香りを、どこかでーー
「まあ、よいか」
キンッ。
美しい硬い鈴が鳴る音。
渓流に響いたその音はしかし、すぐに大量の死者の笑い声に埋め尽くされて、消えた。
いつもありがとうございます。もう少し。