第9話 届かない声
(それで、この方法に変えたことで実際何が変わったの?)
プロジェクターの光がスクリーンに反射して聴衆を照らす。結論のページで止まったパワポを眺める者。隣同士で独自に議論を始める者。指導教官の我慢強い声だけが私に向けられている。
(――誌に掲載されていた――という論文によると――)
(理論的にはそうだけど、それが今回どう反映されてるのかな)
(今回の新しい実験では――)
(もういいんじゃないですかね)
この声はどこの研究室の先生だっけ。
(これ以上聞いても何も出てこないでしょ。あれが駄目ならこっち、こっちが駄目ならそっち、ころころ変わって、やってることを理解してるの? この子はこの辺にして次にいきませんか)
もう誰も私を見ていない。
手元のマウスでパワポを閉じると、青い背景のデスクトップに戻り、室内を照らす光が弱くなった。薄暗い会議室の端を歩き、聴衆の後ろの席につく。
バクバク煩い胸の音をBGMに、真っ白な脳裏に言葉が浮かぶ。
でも――
だって――
本当なら――
スクリーンの横に人が立つ。
次の発表が始まり、視界がまた明るくなった。
心音がパチパチと焚き火の弾ける音に置き換えられていく。
枕にしたぐるぐる巻きの衣類、リュック、杖。ちょっと禿げた地面に、天然のゴキブリホイホイのような蜘蛛の糸がべったり張り付いている。
……ここ、どこだっけ?
背の高い木々が見下ろす中、眠りについたことを思い出した。
そうだ、あれから日が暮れるまで周辺を歩き回って……魔物&害虫避けをかねて、蜘蛛騒動の現場で野宿することになったんだっけ。
毛布の中でもぞもぞと姿勢を変えた。ダンボール越しの地面が固くて体が痛い。
嫌な夢見たわ……やだやだ、さっさと忘れよ……
横向きに寝転んだ視界の中を小石がコロンと横切り、不思議に思って飛んできた方に目をやった。少し離れた木の上に小さな小さな黒い人影が……
ミィっ
飛び起きかけた私の体を力強い腕が押さえつけた。ジョスが私を見ながら人差し指を口元にあてている。
「静かに」
とりあえず、毛布の中で転がってミィナに背を向けた。ジョスは視線を私から外さないままじっとしている。
「さっきから妖精がウロウロしているんです。あまり刺激しないようにしてくださいね」
あの子何やってんの……
「夜行性の……甲虫の一種が妖精になった個体ですかね。害は無いと思うのですが、石を投げてくるなんて……」
私の頭越しに拾った小石を調べながらジョスが言った。
「あまりそういうことをしないんですか? 妖精って」
「まあ、基本的に大人しい種族ですからね。個体により独自の魔法を使いますし、姿を見せることも稀で、よくわからないことが多いんです」
「あ……見世物……?」
どこか途方に暮れたような顔でジョスが項垂れた。
「時々、ね。捕まえた妖精を見世物にすることがあるそうです。妖精はみな姿形が違いますから。ただ、どういうわけかすぐに逃げられるらしくて……その日限りの見世物ということで、儲けも大きいらしいです」
あぁ、ミィナに根性なしって言っちゃった。後で謝らないと。
「昨日ミナさんも言っていたでしょう? 人間も魔物も、滅ばず共存しているのは互いを尊重し合っていたからだって。妖精も同じです。文献によれば千年ほど前までは多少の交流もあったようですが……。今はもう妖精学者でも通訳できるものはいません。完全に没交渉です」
「じゃあ、また始めればいいんじゃないですかね、交流」
何かを言いかけて押し黙り、ジョスが眉間に皺の寄った何とも言えない表情で笑った。
「どうでしょうね。人は魔物にも妖精にも無関心ですから。そう簡単にはいきません」
そういえばグクルタも、人間が他の種族と交流することは殆ど無いって言ってたっけ。
パチパチと焚き火がはぜる。
それきりジョスは考え込むように黙ってしまった。
寝返りをうって反対を向くと、もう木の上には誰もいない。私に会いに来たんだろうに、悪いことをしたかな。夜行性の甲虫ね。ほんとにカブトムシじゃん。明日の夜はちゃんと待っていてあげよう。
大きな手が頭に触れ、指がとんとんと髪を叩いた。
「寝ていいですよ。明日も一日歩きますからね」
焚き火の音が聞こえる。
いつの間にか、また眠っていた。
そして一夜あけた今、私、ものすごーく嫌そうな顔してる。鏡を見なくてもわかる。
『助けてくださ〜〜〜い』
「これ、助けた方がいいんスかね?」
カジが持ってきた木の枝を見せながら言った。
蜘蛛の糸に絡まったカブトムシ、もとい妖精のミィナが木の枝からぶら下がっている。
ほんとにこの子、何やってんの?
「あっちに落ちてて、ベトベトだから引っ掛けてきたんスけど」
『見世物やだーー! フォリボラ様呼んでもなかなか起きないし! ミナさん助けてくださいよーーーー!』
糸がぐるぐるに巻きに巻いてもがくこともできないらしい。
「拾ったあなたが助けなさいよ。私触りたくない……」
昨日必死に拭いていた弓をかかえてセリーナが言った。
『た〜〜すけて〜〜〜〜!!』
「助けを求めているように聞こえますし、とってあげましょう」
ぶらんぶらんと揺れるミィナの前にしゃがみ込んで、ジョスがねっとりした糸を丁寧に巻き取り始めた。
さすが神官、弱者に優しいっ。
ジョスの大きな手の上で、ミィナが自由になった手足を確かめるように擦り合わせた。
『ベタベタするよぅ……』
見えない太陽を探すふりで、ミィナと3人を横目に見た。
どうしよう……。記憶喪失のお嬢様(仮)ってことになってるし? 都会育ちで各種魔物どころか妖精とも意思疎通できるお嬢様って何だそれ。ここは他人のふりで……
『ミーーーナーーさ〜〜〜〜ん!!』
顔面にダイブしてきたミィナが頬に張り付いた。
これがカブトムシなら悲鳴をあげたかもしれないが、人型だから平気だ。というか知ってた。なんとなくこうなる気がしてた。
「なんか懐かれてない?」
「んー……お嬢、名前呼ばれてないっスか」
言語は違っても固有名詞は共通かっ。こんなの誤魔化せる気がしないんだけど……。どこかなー。太陽はどっちかなー。
頬にミィナを貼り付けたままキョロキョロと辺りを見回すも、いつまでも時間稼ぎしてはいられない。怪訝そうなセリーナとカジの無言の視線が心に痛い。
「昨晩の妖精ですかねぇ」
手を拭いながら、面白そうにジョスが言った。
『見世物にしないでって言ってやってくださいよ〜』
しがみつかれた頬が少しネトネトする。これはもう覚悟を決めるしかない。
「その……知り合いです、この子」
三人が顔を見合わせ、三様に首を傾げ合う。沈黙の中、それぞれの考えがなんとなくだだ漏れてる気がしないでもない。
「き、記憶が戻ったとかじゃなくてっ、あの、この森で! ゴブリンに助けられる前に、少し一緒にいたんですっ!」
「妖精にも会ってたんスか」
「この森で一緒に」
『記憶? 森? ……あぁあ! そういう設定なんですね〜』
「知ってる方なら教えてくださればよかったのに」
「ちょっ設てぃいやあぁ! 再会するとは思わなくてっ?!」
ややこしいっ! 私の言葉は全員わかるけど、3人とミィナは通じてないのよね?
○ ミィナ⇐⇒私⇐⇒3人
✕ ミィナ⇒/⇐3人
こういうことよね???
とりあえず顔からミィナを引っぺがし3人の前に突き出した。
「えぇと、この子はミィナという名前です。ミィナ、こちらは神官のジョスさん、セリーナさん、カジさん。冒険者さんです」
ミィナの小さな頭がペコリと会釈した。3人もミィナを凝視しつつ続いて会釈をした。
「ミィナさんですね。昨夜は挨拶もせず失礼しました」
『でっかっ! この人でっかいですねミナさん!』
「妖精見るのって初めてだわ〜」
助けられたこともあり、私もいるからかミィナも警戒を解いたようで飛び回っている。お互い噛み合わない会話を展開しながら珍しい相手に興味津々で接しているのが、なんだか微笑ましい。
ただ一人取り残されたように立っていたカジが気になって目をやると、中途半端に突き出された両手が抑え込まれているかのようにワナワナ震えていた。
「……10G/分……10人……入れ替え制……」
カジ、こいつ……
見つめる目に気付いたカジが両手を後ろに隠した。
「はい?! ちが、一般的な試算でどうかなって! だいたいお嬢のツレ、言わば仲間っスよ? 情報は売っても文字通り仲間を売るような真似、誓ってしませんって」
顔は真っ赤だが嘘は言ってなさそうだ。
『ミナさ〜〜ん』
セリーナの肩に座ったミィナがこちらに手を振っている。
『人間って体の作りがいろいろ違うんですね〜! 見て見てほら! 滑り台!』
慌てて駆け寄り、今にもセリーナの肩から滑り降りそうなミィナをつまみ上げた。やめて? ほんとやめて? これもうミィナも一緒に行くってことなんだろうけど、もう神経すり減って断線しそう……。
でもまあ……
心強いっちゃ、心強い、かな?