第8話 すんなりコトはススまない
蜘蛛や鼠やはぐれオーク、そう聞いたとき連想したのは、某禁じられた森の蜘蛛とか某蜘蛛峠に住まうかの女とか、そんな巨大生物系のモンスターだった。
「いぃぃやああぁぁっ!!」
包囲するようにジリジリとにじり寄るスイカ大の蜘蛛の群れを、セリーナが悲鳴をあげながら弓で追い払っている。
「アネキ! ちょっと落ち着いて!」
カジはといえば、何やら燃える葉っぱの束を振り回して煙で追い払う燻煙式を試みているらしい。屋外ながら効果はあるらしく、カジの前の蜘蛛たちは先頭が入れ代わり立ち代わりころころ変わっている。
「なかなか諦めてくれませんねぇ」
ジョスはメイスをバッドのようにぶん回している。
その足元で腰を抜かしているのが私だ。ちなみに思いつく限りの魔法を叫んでみたけど何も起こらなかった。なんだかんだ言って実は使えるんじゃないの〜なんて思っていたのに全然そんなことない。つらみが深すぎて地殻に沈み込みそうだった。
飛びかかってくる蜘蛛たちが、ぽーん、ぽーん、と遠くへ打ち上げられていく。その光景のインパクトに蜘蛛たちも敬遠したのか、こちらも足踏みしているようだ。
「蜘蛛はだめ、蜘蛛はだめ、蜘蛛はだめ、蜘蛛は……」
「気持ち悪いと思うからダメなんスよ! よく見りゃ毛が生えてフラッフィーでしょうが!」
「セリーナ、ほら、変に振り回すから弓が糸を引いてますよ?」
「いぃぃやああぁぁっ!!」
「あわわわわ……」
【オッキナスパイダー】生まれて数日は100匹ほどの集団で行動する、食べ物の味をおぼえる大事な時期のベイビーズ。
カオスである。
カチャカチャと顎を鳴らしながら、にじりにじりと迫ってくる足の長い蜘蛛たち……まるで巨大なアシダカグモだ。軍曹と違うのは、体の大きな私たちにも向かってくるところか。
「アニキ〜、これキリがないっスよ?」
「でもうっかり群れに突っ込んだのは私たちですし……」
「もういいでしょ?! これもう自衛のラインでしょ?!」
「手を出す前にやれるだけのことは……あ、ミナさん。蜘蛛の言葉ってわかったりしません?」
「は、はいっ?! 私ですか?」
三人の背中に隠れながら、杖を支えになんとか立ち上がる。
えぇと、ゴブリンみたいに話せるかってこと? グクルタは喋ってたけど、こいつら蜘蛛だよ? カチャカチャとうるさいだけ……
『『『にっく肉♪ にっく肉♪ にっく肉♪』』』
「肉だそうですぅぅう!!」
「いぃぃやああぁぁっ!!」
言語を理解する能力?はゴブリン以外にも有効らしい。
腰が引けていることに変わりはないけれど、言っていることがわかるというだけで気持ち落ち着いた。よくよく集中して見れば蜘蛛たちの目はご馳走を前にしてかキラキラ輝いている。心なしか頬も紅潮……
ないないないない。そんなに可愛くない。
「お、オッキナスパイダーのみなさーーん!!!」
私たちに向かって押し寄せていた蜘蛛たちの行軍が止まった。打ち鳴らす顎の音にのって、蜘蛛たちのささやき声が波のように伝播していく。
『肉喋った』
『肉喋った?』
『肉喋る?』
『肉喋らない』
『肉違う?』
『肉違う』
『じゃあなに』
『喋るなかま』
『大きいなかま』
『大きいなかま?』
『『『おかあさん?!』』』
伝言ゲームか。
「ごめんなさいだけど、おかあさんでも肉でもないですよ!」
『食えない?』
『おいしそう?』
『肉食いたい』
「だーかーらーっ! マッチョ筋だけ!チビ肉なし!チャラ男は味なし、おっぱいふたつじゃ少なすぎ!!」
振り返った3人の視線が痛い。
『ほんとだ』
『ちょっとしか食えない』
『鼠うまい』
『鼠食おう』
『鼠行こう』
『行こう』
それまでのしっちゃかめっちゃかが嘘のように蜘蛛たちが森の奥へ引いていった。蜘蛛たちが垂らした涎や糸が、もう一歩も動きたくないレベルでそこら中にベタベタと張り付いている。
気が付くと4人でその場に座り込んでいた。
セリーナが涙目で糸がまとわりついた弓を拭いている。よっぽど蜘蛛が嫌いらしい。冒険者の肩書きに勇ましいイメージを持っていたので少し意外だ。
「ミナさん、ありがとうございます。助かりました」
一方ジョスのメイスは土埃でくすんでいるくらい。あんなにポンポン蜘蛛を打ったのに、どんな力加減で扱えばこうなるのか全くわからない。
「でもびっくりしたっスねー。あれお嬢何したんスか」
何と言うほどのこともしていないような?
「えぇと、肉肉うるさかったので美味しくないアピールで……」
「あれでよく通じたっスねー。めっちゃ普通に喋ってましたよ」
言われてみれば普段通りに喋ってただけだわ。どういうシステムなのこの通訳機能……
「……何で通じるんでしょう……」
「ゴブリン語もそんな感じなんスか?」
頷く私に、カジが怪訝そうに首を傾げた。
「魔物語って、この言葉は人間語のこれに相当してとか、逆にこう言いたいときはこう、発音はこう、とかあるんでしょ? 普通に会話するだけってのは聞いたこと無いっス。ねえアニキ」
話を振られたジョスも渋い顔をしている。
「魔物の言語を学問として研究している学者はそうですね。でもこの場合は……ゴブリンを呼んで議会で証言してもらうのは難しいかもしれませんねぇ」
「どうしてですか?! 話が通じればなんとかなるんじゃあ……」
納得いかない。ゴブリンの話を私が通訳して伝えることに何の問題が?
「説得力がないからよ」
蜘蛛の衝撃から立ち直ったらしいセリーナが言った。
「通訳するなら魔物語話者と人間語話者の間に入って橋渡しをしなきゃいけない。でもミナ嬢、あなたが喋っていたのは魔物の言葉じゃない。人間の言葉よ。証言するゴブリンは人間の言葉を理解できるの? できないでしょう? あなたが自分で話せないゴブリン語を理解して、正しく伝えられているか、正しく聞き取っているか、どうしてわかるの」
返す言葉がみつからない。
「でも! 会話できるのは本当なんです!」
「意思疎通ができるのが本当だとしても、よ」
表情も、声も、口調も、何も厳しいものじゃない。なのにどうしてこんなにも言葉が刺さるのか。
「あなたが都合のいいように解釈して、都合のいい証言をでっち上げているとみなされてもおかしくないわ」
「魔物学者ならそちらの権威筋から能力的な裏付けもとれますからね。ミナさんに魔物語を指南した方がどなたかわかればいいのですが……どういった方法論で魔物語を理解しているのか、それがわかるだけで説得力が違います」
師匠なんていない。方法論なんてない。この世界に来た時の便宜とやらで言葉がわかるというだけだ。つまり、私だけでは役に立たず、何もできないということだ。
「じゃあ……じゃあ、どうするんですか? ゴブリンたちは? 放っておけと? このままじゃ森を追い出されちゃう」
無力感に俯いていると、カジが覗き込んできて言った。
「心配しなくても大丈夫っスよ」
昨日出会った時と同じセリフだ。セリーナの手が優しく肩を叩く。
「そのために森の調査にきてるのよ。森は魔物のもの、人間が手出しするべきじゃないって、私たちで証明するの。あなたもよ」
「昨夜はその話し合いをしていたんですよ。ゴブリンの証言があれば勿論助かりますけど、私たちだって、できるだけ力になりたいんです」
ジョスの落ち着いた声が慰めるように言った。