第2話 タヨーセにようこそ!
『キエェェェッ!』
「ああぁぁあああアァ!!!」
走れ、走れ、走れ!
私は今、木々の生い茂る森の中を鼠の大群を引き連れ全力で走っている。走る私の足に飛びつこうとひっきりなしに跳ねるこの黄色い鼠たちは、カケズリマウスというらしい。
なぜ知っているかって? 頭上に書いてあったからだ。
【カケズリマウス】何故かいつも走っている
……網膜投影的な?
(――不便はありませんので!)
確かに不便じゃない。名前がわかるって確かに便利。でも不便さ解消にしては地味な機能……ってミィナ? 合流するんじゃなかったの?!
箒を持つ手を必死で振り、もう片方の腕でぎゅっとダンボールを抱え込んだ。両手が空けばもっと早く走れるかもしれないが、体も脇もがら空きになると思うと捨てるなんて選択肢は怖くて選べない。
何かが腰を引っ張るような感触がして再び振り返った。ワンピースの裾に爪を引っ掛けてぶら下がっていた一匹が、ひっくり返りながら後ろに飛んでいったのが見えた。
「ああぁぁあああアァ!!!」
『キエェェェッ!』
駄目だ、このまま走っていても埒が明かない。
"何故かいつも走っている"?
は? 私を追いかけてるんじゃないってこと?
前方から迫る木々に目を走らせた。枝、足場。違う、これじゃない。もっと太い枝、もっと高い足場……
『ねーさん! こっちだ!』
声がして、思いきってホウキとダンボールを投げ捨てた。迫る岩場に駆け上がり、更に前方の枝に両手を伸ばす。掴んだ枝を力いっぱい抱き寄せ、両手両足でしがみついた。
鼠も急には止まらない。ナマケモノのようにぶら下がる私の下を奇声をあげるカケズリマウスが駆け抜けていく。
ざらつく木の表面に顔を押し付けた。
見ちゃ駄目だ。もう逃げようがない。
走り抜けた鼠たちが戻ってきたら?
すぐ下で牙をむいていたら?
腕が悲鳴をあげ始めた頃、地面を掻く音が止み、恐る恐る木から顔を離した。静まり返った森の奥で微かに土埃が舞っている。
助かった?
手を引かれて枝の上によじ登ると、緑色の生き物と目が合った。
【グクルタ】ゴブリン族の若者
細い顔。長い耳と、長い鼻。こちらを見つめるまん丸の目。可愛いげの無い緑色の小人が、大きな目でぱちぱちと音がしそうな瞬きをしながら私を見ている。
『ねーさん人間だろ? 何やってんの、こんな所でよ』
ボロボロの服から伸びた細い腕には、白い花がこんもり盛られたカゴを下げていた。
「えぇと……」
視線を上げると枝の合間に青い空がのぞいた。チラチラと見える太陽が眩しい。風が緑と土埃の匂いを運んでくる。
何、と言われても……。私、ここで何をしているんだろう。気がついたら鼠に追いかけられていた。夢?にしてはリアルで、明晰夢?にしては今にも醒めそうな焦燥感に欠ける。
「確か、上から……」
返事に驚いたように、そいつはまた瞬きをした。私はもう一度空を見上げた。
「上から落ちてきた?」
最後に見た光景は、明るい窓が並ぶ建物と、いくつもの窓に照らされた仄白い夜空。
緑色の生き物がつられたように頭上を見上げ、そのまま首を傾げた。
『学者さんかよ? 崖から落ちて頭でも打った?』
崖? 頭? 打ったのかな? 落ちてきたし?
「んー」
緑色の顔が困ったような表情で、ちょいちょいっと地面に転がった私のホウキを指差した。
『なんで箒? 武器は? この森にいるのは俺らみたいにおとなしいのばかりじゃないしよ? 今の鼠もそうだが、この辺は蜘蛛もはぐれオークもいるし。人間の町も近いから、人間の追い剥ぎだっていつ飛び出して来てもおかしくないからよ』
鼠、蜘蛛、オーク、人間……ちょっと待って、何か混じってる。その並びにオーク? いやいや、そもそもカケズリマウス? 目の前にいるこいつだってゴブリンなわけで。
辺りを見回して、その緑色の生き物、ゴブリンはうーんうーんと唸った。
『んー……やっぱり頭打ったか何かかよ? どう見ても旅慣れてなさそうだし、一人だしなぁ。ねーさん町まで帰れるのかよ?』
町? 町があるなら行った方がいいのかな? とにかく何をすればいいのかも、何ができるのかもわからない。そこにミィナ?もいるかもしれない。
『その様子じゃ何もわかってないよなぁ。近くだし途中までなら連れて行ってやってもいいんだがよ?』
「いいの?」
『良くはないなぁ。近付くなって長に言われてるからよ? でも放っといて喰われたりしたら寝覚め悪いしよ』
ゴブリンの手を借りて地面に降りる。
『そら、行くでよ。俺はグクルタだ』
ゴブリン――グクルタが、白い花がこぼれそうなカゴを持ち直して手を差し伸べた。溢れんばかりのいい人感、もとい、いいゴブリン感に、知らず知らずのうちに微笑んでいた。
「あ、美奈です、私……あ、ありがとう!」
とりあえず町に行こう。町でミィナを探そう。これからどうするかなんて、それから考えよう。
緑色の小さな手をとる。人より少し冷たい、力強い手が私の腕を引いた。
道すがら、何を聞かれてもまともに答えられない私に、学者さんが頭を打って……可哀想に……とあまりに同情されてしまい、仕方なく思い出したふりで作り話をしてしまった。
「庭にいたら大きな鳥に攫われちゃって」
『ビッグバードかよ? あいつら何でも攫っていくからなぁ』
無理があるだろうと思ったら意外といけた。
ビッグバード……2m超えの黄色いアレしか思い浮かばないけど違うんだろうな。ここでは鳥に攫われるのもよくあることなのかもしれない。オークに襲われるよりマシ?なのかな? どっちにしろ大変そうだけど。
先導されるまま歩きに歩き、やっと森を抜けたところでグクルタが立ち止まった。
『一緒に行けるのはここまでだなぁ』
私もホウキにすがって一息つく。運動なんてしばらくしてなかったから息が辛い。少し先にのびる街道が平原の更に先へと続いていて、整地された道に文明の気配を感じた。
良かった……助かったんだ……。
『ここまで来れば、ねーさんでも大丈夫だろうがよ』
差し出されたダンボールを受け取った。バテた私のかわりに持ってくれていたのだ。
なんというイケゴブ。このさり気ない気遣いはどこの世界でもウケがいいはず。ゴブリン界ではもてるんじゃないだろうか。
「いろいろありがとう」
『いいって。ゴブリン語のわかる学者さんに会うなんて、里に帰ったらいい土産話になるしよ』
笑いながらグクルタが言った。
聞けば、種族間で異なる言語を理解できる者は滅多にいないらしい。特に数も多く繁栄している人間が他種族と交流することは殆どなく、酔狂な学者が趣味でフィールドワークに出て魔物に追い掛けられているのを見かけるのが数年に1度あるかないかくらいなのだとか。
言葉を理解する能力? これもミィナ?の言っていた便宜ってやつなのかもしれない。
(凄いねぇ、美奈は学者さんになるんだねぇ)
笑顔のお婆ちゃんを思い出す。進学するって伝えた時は嬉しそうにしてたっけ……。
改めてお礼を伝え、ゴブリンの里へ戻るというグクルタを見送った。森の奥へ去って行く命の恩人の後ろ姿に心細さがつのる。脚の疲れもあって、別の世界にいるんだと実感がわいた。
町の方を見るとまた視界に文字が表示された。
【地方都市オイデマセー】
大歓迎じゃん?
グクルタの話から推測するに、人の町に他の種族がいることはなさそう。ということはミィナ?もいないかもしれない。でもおいでませされてるんだから行くしかない。
とりあえず町の方向を睨みつけた。空を飛ぶとか、テレポートとか? こういう時は何か便利な魔法があるんじゃないかと念じてみても、一向に距離が縮まる気配はない。
「とべ? フライ? テレポート!」
最後にダメ押しでジャンプしてみたけど何も起こらなかった。移動の魔法が使えたりするわけじゃないらしい。
見られてないよね? 恥ずかしいな、もう。
また歩くのかと思うと気が重い……。食い下がるようにじっと見つめていると視界の文字が書き換わった。
【地方都市オイデマセー】特にこれといった産業もない地方の小都市。近くの都市への人口流出の抑制が目下の課題。
……調べるコマンド的な? 地方の問題は世界が違っても似たようなものらしい。
とりあえず町を目指すとして、お金とかどうしよう。服装は青い花柄ワンピース、レギンス、オフィスサンダル。こういう世界だと麻とかコットンがいいのかな。ポリエステルとか持ち込んで大丈夫? 手持ちのダンボールは土に還るとして、ホウキの柄は……杖になる? 歩かないとだし。
近くにあった岩の鋭角にほどよい長さになるようあてて押し付ける。流石にのこぎりのように真っ直ぐな線にはならなかったけれど、何度か繰り返すうちにぐるっと一周掘ることができた。
岩のフチに置いたホウキを踏みつけて、柄の上の方を……
「っせい!」
ヒュン!
「あっ」
天高く、雲は流れ……
くるくる回りながら杖になる予定の棒が空を舞う。
おぉ……回る回る……
ゴッっ。
「い、ったぁ!」
「ジョス!」
「アニキッ!」
……あら?
こうして、私の異世界ライフは幕を開けたのでした?