第14話 深夜の追走劇
机上の空論。取らぬ狸の皮算用。
ミィナの声を頼りに木々の合間を走り抜ける。遠くに複数の光がチラつくのを見たのは、ゴブリン達の避難が終わったことをグラフタに伝えようと里の方向を目指していた時だった。
よく見ようと木陰から顔を出すと、空気をきる音とともに頭上を掠めた何かが背後の木に刺さり、続けざまに飛んできた火の玉に慌てて身を隠した。
「……って言ったろ! 燃えたらどうすんだ」
「……まん、つい癖で」
人だ。遭遇してしまったらしい。小声でミィナを呼ぶと、羽音が耳元の木の幹にとまった。
「知り合いまだ来ないの?」
『ええと……まだ南の山を越えているところみたいです』
呼べばすぐ来られる程この世界の妖精密度は高くないらしい。
右に曲がったらそのままぐるっと左に行ってしまいそうな真っ暗な森の中、武器を持った相手から身を隠していると思うと、無性に逃げ出したくなる。
「こっちか?」
話し声と金属音が近付く気配がして、ほんのり届く光に木々の影が踊った。
交渉だ。声をかけて、それから……
猶予は無い。腹をくくって唾液を飲み込み、大きく息を吸い込んだ。
「すみませーーーん!!」
背中を預けたリュック越しの木の向こうで何かが音をたてて弾け、小さな破片が突き刺さる音があちこちで聞こえた。ヒヤッとした冷気が周辺を満たす。
「今の女の声じゃなかったか?」
「マネキザル? 声真似で獲物をおびき寄せるんだとか……」
「き、気味の悪いこと言うなよ」
少し離れた場所から会話が聞こえる。マネキザル?を警戒しているのか足を止めたらしい。
「森に入ったっていう神官の仲間じゃないか? サルならサルでいいじゃねえか。とっとと殺っちまおうぜ」
声は4つ、鎧、弓、魔法使いが少なくとも一人ずついる。4人5組で展開しているとしたら、鎧が2人? 金属が真っ直ぐに擦れ合う音がした。長い。剣だ。
そこからはあらゆる音が一気に押し寄せてくるようだった。駆け出したいくつかの足音が地面に落ちた枝を折る。
「ちょっ、はなしっ! 話をっ」
冷気を纏う硬いものが弾けて、周囲に突き刺さる。パラパラと飛んできた木片に頭を抱えて木陰に蹲った。
「おい、加減しろ! こっちにも飛んできたぞ!」
「火もだめ氷もだめでどうしろってんだよ! だから朝まで待とうって言ったろ! あのゴブリン捕まえるの待って巣まで案内させりゃ良かったんだ!」
チラつく光に、目の前の木に刺さった何かがきらめいた。
氷の魔法? 氷の釘爆弾?! ガチなやつじゃん?!
『ミナさん! こっち!』
声を頼りに走り出した。木の根に足を取られ、よろめく。誘導するミィナの声が何度も何度も方向を変えた。
『と、止まって! セリーナさんと同じ樹脂の匂いがします! 弓持ってる! 先回りされてます!』
樹脂って何だと思った瞬間、風斬り音とともに頬で風を感じ、体勢を崩して転がった。湿った木と土の味がする。
『まだ動かないで! あいつ引き付けてみますから! ここから南に行って! 防衛隊がいます!』
「え? ミィナ?!」
『あとで合流しますので〜!』
ミィナの声が遠ざかり、怒ったような叫び声があとを追う。
明度の低いモノクロの濃淡の世界に取り残され、起き上がることもせずにその場に伏せて動きを止めた。
1秒……10秒……60秒……。数えれば数えるほど脈拍につられてスピードが上がって、時間をはかるには意味が無さそうで、でも何かを考えていないと腰が抜けそうで、ひたすら数を積み上げる。
ミィナは大丈夫……かな? 小さいし、飛べるし……? 南? 南ってどっち?
バキっと枝の折れる音がして顔だけ上げた。うっすら浮かぶ木の影が揺れる。
「っくそ、マジかよ……あいつらどこ行きやがった」
一人だ。
金属の音がしない。
弓はミィナを追って行った。
魔法使いだ。
周囲がしだいに明るくなり、目の前の低い木の繁みの向こうにランタンと、ランタンを持つ手が見えた。顔のすぐそこで、繁みを回りこもうとする靴がぼんやり照らされている。
ただでさえ地面についた顔を押し付けるようにして、目だけで男を見上げた。
【ゼルー】鷺の嘴団に所属する強気な魔法使い。あなたの命を狙っている。
は?! 何そのタイムリー? そんな情報知りたくないんですけど?!
足を止めた男が森の奥を照らすようにランタンを掲げた。気付いてない。やりすごせる? でも、もし回り込んできたら……?
ちらっと見えた反対の手には何もない。ランタンしか持っていないらしい。そういえば魔法使いを表す単語は杖じゃなかった。私の杖は……いつ落としたのかも覚えてない。カジのナイフはズボンのベルトに挟んでいて直ぐには取れない。
よりによって、どうしてローブの下に入れたんだろう。このローブもなんでポケット無いの。町に戻ったら見直さなきゃ。
ここ数時間で何度目かの覚悟を決めた。
蹴り出す足の指に力を込める。
男の踵がこちらを向いた。
地面に影が踊って、男の足が進む。
1歩、2歩……!
体を低く、全力の大股で飛び出した。驚く声にあわせて熱を伴う光が膨れ上がる。両手を伸ばして男の足を掴み、思いっきり抱込むと姿勢が崩れた男の手からランタンが飛んだ。
「このチビ!」
影が伸びる。魔法の熱源が霧散し目が眩む。もつれるように倒れた男が手を掴み、引き寄せられた。力じゃ勝てない。勝てない。
魔法使い相手の戦い方、何かで読んだことがある。
たしか、こかして……踏みつけるんだ!
掴まれた手を支点に下半身を振り上げた。Vライン目がけて体重をかけた膝を突き下ろす。くぐもった声がして動きがとまり、掴まれた手が緩んだ。
おそるおそる体を起こすと、男が気を失っていた。助かったという安堵と、膝の鈍い感触への罪悪感に複雑な思いがした。
ごめん、なんか超ごめん……。何か問題あったらジョスが治すからっ。
リュックに入っていたロープで男の手首と足首を縛って繋げてみた。正しい拘束の方法は知らないけれど、引っ張った限りでは簡単には外れなさそうに見える。
繁みに引っ掛かっていたランタンを手に辺りを見渡した。ミィナの声が消えたのは斜面を登る方向だ。
山で迷ったときの原則はどれも危険に思える。登る、ミィナの言っていた南はこっちじゃない。戻る、もうどっちから来たかもわからないのに? 待つ、追われているのに? 山を下るのはもっと危険、下って滝にでも出たら……
……滝だ。シルベの花の咲いていた。
便宜とやらで不便はないはず、よね?
ランタンを掲げて緩い斜面の下りを照らす。
減衰する光が暗がりへと続いていた。




