魘され想う、強さの定義
「う、うわぁぁああ!!!」
目覚ましは後輩の悲鳴だった。
跳ね起きて集落へと出たカインの目に飛び込んできたのは赤々と燃える炎。そして悲鳴の主――グラシェスへと斬撃が振り下ろされる光景だった。
頭頂部から深々と斧刃が食い込み、骨に守られていた中身が飛び散る。そのまま力任せにぶっ裂かれたグラシェスの頭は、右半分が本体と別れを告げた。
「……えっ?」
突然のことに思考が固まってしまうカインだが、事態は彼の認識を待ってはくれない。あちこちから斬撃、打撃、断末魔――殺戮の音が響く。
手足を斬り落とされたピジムにゴブリンが覆いかぶさり、しきりに腰を動かしている。彼女の発する末期の痙攣が心地良かったのか、そいつは身震いしながら腰をピジムに押し付けて達した。
「幻導士さんはどこ!? 見張りは!?」
「皆やられたよ! グラシェス君も、ピジムちゃんも!」
「チクショウ! カインさんが起きてくれれば……」
漏れ聞こえる会話で、カインは悟る。
|(寝てる? 僕が?)
起きたきり動けないでいる彼を、世界がどんどん置き去りにしていく。武器を呼び出そうとしても、記憶は濃い霧に飲まれたように曖昧で、詠唱がまとまらない。
何もできない間に、良くしてくれた村人たちも死んでいく。
多数のゴブリンにのしかかられ、血の涙を流さんばかりの村長の目の前で、その妻が凌辱されている。ドゥムニはその傍で既に事切れており、柔らかそうな二の腕やふくらはぎを齧られていた。
「っぁ、アア……!」
見えているのに、何とかしたいのに。体は戸口で突っ立った状態のまま動いてくれない。ショックと怒りで絶叫したはずが、掠れた声が漏れただけ。
どれほどそんな状態が続いただろうか、人の喧騒が収まり、動いているのはゴブリンだけになった。奴らは上機嫌な笑い声を発しながら、村の女性達を運び去っていく。
悔しさと恐怖で埋め尽くされたカインの目は、その光景を最後まで映せなかった。涙で滲んで機能しなくなった視界が、徐々にブラックアウトしていき――。
「――っ!!」
カインは目を見開き、次いでがばっと上体を起こした。そこで初めて、自分が眠っていたことに気づく。急いで後輩たちの方を向くが、
「……二人とも、いる。良かったぁ」
隣ではグラシェスがすうすうと寝息を立てていて、その向こうのピジムはいつも通り布団を蹴飛ばしてお腹を出していた。正確な時刻は分からないが、起きるにはかなり早い時間帯なのだろう。外は随分と静かだ。
動く予定の時間には、まだまだ余裕がある。痛みは今のところ収まっているが、戦闘で消耗すればすぐにでもぶり返すだろう。本当は寝直すべきなのだろうが……あんな夢の直後に安眠できるほど、カインの神経は太くない。
「完全に、目が冴えちゃったな……。見張りの人達と代わってこようか」
抜き足差し足、ピジムに布団を掛け直してから寝床を出る。戸口を開ける際、もう一度二人を振り返った。
「今度は、夢じゃないよね」
安らかな寝顔のグラシェスと、もう布団をはねようとしているピジムの姿がきちんとある。カインがほっと胸を撫で下ろし、村の入口へと歩き始めた時。
「あっ、幻導士さん!」
背後から聞き覚えのある声で呼ばれた。思わず背筋が伸びてしまう。
「ドゥムニ君か。こんな夜中に、家から出るのは危ないよ?」
「うん、分かってる。でも……何だか変な音が聞こえたんだ。本当だよ?」
「音? どんな?」
ドゥムニの聴覚はかなり鋭いらしい。カイン達が集落に着いた時も、村の外でゴブリンが物色する音を鋭敏に感じ取っていた。
「それは、分かんない。けど、向こうから」
ドゥムニはそう答え、前回ゴブリン達の襲撃してきた方角を指差す。
カインには何も聞こえてこないが……情勢が情勢だけに気のせいにはできない。
「ありがとう、ドゥムニ君」
「俺、役に立った?」
「うん、とってもね。ここからは幻導士の仕事だ、君は安全な場所にいてほしい」
「わ、わかった! 頑張ってね」
コクコクと頷き、家へと戻って行くドゥムニを見送ったカインは改めて村の外へと向かう。道中で耳を澄ましてみたが、それらしい物音はキャッチできなかった。
「すみません、交代に来ました。カインです」
見張りをしていた村人に声をかける。寝ているはずのカインに驚いたものの、彼らの表情はすぐに安堵へと変わる。
「皆の手前引き受けたけど、本当は怖くてしょうがなかったもんで……」
「君も怪我してるのに、悪いね」
「いえ、皆さんのおかげで早くに寝られましたから。任せてください」
カインに礼を言って家へと戻って行く見張り達の足取りは、恐怖から解放され随分と軽そうだった。
「こんな危ない役目、幻素を使えなかったら絶対やりたくないよね……」
カインは、彼らの代わりに村の入り口を固める。
この集落の人々は幻素を使えるわけでも、武術を修めているわけでもない。魔物に襲われたら戦う術などない。それでも村のため、負傷したカイン達のために体を張ってくれた。
「父さんの言葉の意味、やっと分かった」
そんな村人の姿に、カインは己の父を重ねる。
彼の父は、少々大柄であることを除けばただの人間だ。しかし周辺の集落で何か被害があればすぐ家を飛び出し、農具片手に熊にも賊にも立ち向かう勇敢な男だ。
そんな父に、幻導士になりたいと言った時。贈られた言葉がある。
『お前には、俺にはない力があるんだろう。だが、力があるから強いわけじゃない。それを忘れるなよ』
そこから「俺は幻素は使えないが、若い頃から力自慢でな。鍬一本で、隣村のキレイな娘さんを獣から救ったりもしたんだぞ。それが今の母さん、あの頃はお互い……」と馴れ初め話へ繋がっていったのだが、その思い出は今関係ないので封をする。
「集落の人達は強いな……僕なんかより、ずっと」
少し負傷した途端、悪夢にうなされた自身をカインは恥じる。幻素なんて大層な力がありながら、何と情けないことか。
怖かろうが弱かろうが、怪我人を庇って闇の中、最前線に立つ。その勇気の、何と貴いことか。
そんな尊敬すべき彼らだからこそ、
「誰も、死なせやしない」
改めた覚悟と共に、カインは右手の指を曲げ伸ばす。中指と薬指の付け根辺りに軋むような感触と、時折鋭い痛みが駆け抜ける。剣を握りしめての戦闘は、まだ厳しいだろう。
後ろ手でバリケードに触れ、少々の投石なら弾けるよう強化を施してその陰に隠れる。さらに周囲から草を抜き取り、投擲の弾も確保した。
そんな折、坂の下で小さな変化が起きた。




