満天に、見上げる
三人の幻導士と村長は挨拶を済ませ、互いの情報をすり合わせる。まだ三〇代という村長の、ハリのある浅黒い肌にしわが刻まれた。
「ついに直接、村の物に手を出して来たか……。昨日までは村の外で出くわして、追いかけられる程度でしたが」
「僕らが倒した三匹は、おそらく斥候でしょう。ドゥムニ君のおかげで、奴らをアジトへと返さずに済みました」
「おあつらえ向きの囮になったわけですか。勝手に外へ出たのはいただけないが、思わぬところでお役に立ったようで」
ゴブリンは単純だ。目の前に襲いやすい獲物がいれば、仮に偵察を命じられていても襲いたい本能を優先してしまう。ドゥムニの行動は結果的に、村の危機を遠ざけた格好である。
とはいえ、「斥候を出せる程度に群れの規模が大きい」ということが分かってしまった。斥候が帰ってこないことで多少は警戒されるだろうが、村の危機が解決されたわけではない。
「ゴブリンがどこから来ているか、心当たりはありませんか?」
「奴らを見かけてからは、森にも川にも極力近づかないようになりましてね……」
村長の申し訳なさそうな返答。しかしカインに落胆はない。実際、ゴブリンの後を変につけて帰ってこられないなんて事態になったら元も子もないのだ。
「早急に本拠地を叩きたいですが、焦りは禁物。僕たちは周囲を警戒し、奴らのアジトを探ります」
「そりゃありがたい! 自分たちは村の防備を固めましょう。男衆が村にいられるようになれば、随分はかどる。もちろん、土地の情報も知っている限りね」
これまでは周辺の見張りにてんてこ舞いで、村で何かするどころではなかったらしい。希望が見えてきました、と村長が破顔した。カインも釣られる。
「馬車に乗って来ていきなり、今日はお疲れでしょう。狭いかもしれませんが、寝床は用意させてもらいます」
「ありがとうございます」
と、礼は言うもののカインの心は複雑。いや、寝床を用意してもらえるのは非常に嬉しいのだが……村の中で揃って寝てしまうと、緊急事態に気づくのがどうしても遅れる。三人分使うことはないだろう。
集落周辺は切り開かれて丈の低い草地だ。丘を下りきると馬車の走ってきた道がギルド街へ向けて伸び、その街道を挟むように背の高い草原、さらに先にゴブリンが潜んでいるであろう森が広がっている。
森から星見の丘までは一キロほど。そして上り坂とは言っても、傾斜は緩く登りやすい。丘まで辿り着けば、集落は目と鼻の先だ。
寝床に案内されてしばらく。外が静かになると、カインは後輩に確認した。
「二人とも、分かってるね?」
「はーい。交代で村の入り口を見張るんでしょ」
「ひ、一人は寝床で、もう一人は外で仮眠ですね」
「その通り。最初は僕が見張りに立つよ、二人は先に休んでてくれ」
ピジムを寝床に残し、カインは村の門に立つ。グラシェスはその数メートル後ろで丸まった。カインの言葉を寝床で眠るピジムに伝えるのが彼の役目である。
「ま、魔物に狙われていなければ、夜通し見上げていたくなりますね」
グラシェスの言葉通り、星見の丘の名は伊達ではなかった。人口自体はそれなりだが、必要以上に自然を侵してはいない。だから空気が澄んでいて、天を遮る大きな建物もない。夜を謳歌する星々の声を余すことなく受け取れるような気さえする。
「そうだね。そのためにも、まずはこの事態を解決しないと」
作り出した木剣の握り心地を確かめつつ、カインは感覚を研ぎ澄ます。呼吸はゆったりと深く、澄んだ空気を体の隅々まで行き渡らせるように。風がゆるりと集落に入り込み、草をこすっていくのにすら気を配る。
すると微かに、闇の先で何かが動く気配がした。距離はまだありそうだがこの状況、この時間帯に動き回るとなると恐らく人ではない。
「ゴブリンか?」
グラシェスが立ち上がったのを音で察し、カインは前方に目を凝らす。光源は満天の星空と月。ゴブリンたちを逆に引き付けないよう、松明は消してしまっている。
相手はまだカインに気づいていないようだ、無警戒に近づいてきている。
「センパイ、お待たせ」
「な、何者なんでしょうか」
「分からない。でも、戦闘が始まったら――」
小声で、作戦をやり取りする。微かだった気配はいつしか、草を踏みしめる足音に変わっている。カインはゆっくりと手の平を地面に付け、術式の準備を始めた。
「逞しき神樹よ。不埒者を捕らえ、世の秩序を守りたまえ――『拘束蔓』」
小さな詠唱と共に手の平から木属性幻素が地面へと流れ込む。カインの足元で蔓の先端がうねり、今か今かと出番を待つ。姿が見えた瞬間に捕縛し、ケリをつける構えだ。
が、
「こ、来ないですね」
待ち構えていても足音が少しずつ大きくなるばかりで、肝心のシルエットが見えてこない。カインの脳裏に、嫌な想像がチラついた。ただのゴブリンだと思っていたが――ごく僅かな、最初に感じた気配よりなお弱い感触。
それが、最悪の想像が形になったことを知らせてくれた。
「まずい――」
音にズレがなかったのは、数が少ないからではない。かき消されていたからだ。
シルエットすら見えてこなかったのは、単純に遠くにいたからだ。
足音だけが聞こえ続けたのは、それだけ遠くからでも聞こえていたからだ。
そして今感じたのは、紛れもなく足踏みの振動振動だ。
「『冠持ち』っ、もう目の前だ!」
エレメンターズ生物図鑑No.8
『冠持ち』
通常は二年ほどで死ぬゴブリンの内、幸運や機転が重なって五年以上を生きた個体のこと。王冠のように発達した角が特徴で、体格も大柄。多くの死線を越えてきた身体能力は人間を遥かに上回り、戦況を理解して冷静に撤退する知能も持っている。
一般的なゴブリンとは文字通り「別格」で、この個体の存在が確認された瞬間からその依頼は「駆け出し向け」ではなくなる。




