危機一髪、蹄鳴らして
「今日はもう暗くなる。手早く挨拶と集落の状況を確認して、できる限り夜に備えよう。……すみません、急いでもらえますか」
「はいよっ」
カインの言葉を受け、小気味のいい風切り音が1つ。尻に伝わる揺れが大きくなり、小さな窓の外でそよいでいた草花がその形を失い、ただの緑へと変わっていく。
「日が落ちきるまでに着けばいいと思って走ってましたが、何か気になることでも?」
「いえ。暗くなってから村の方々を家から出すのも、忍びないですから」
嘘ではないが、急かした理由の全てでもない。
御者だって依頼が終わるまでは依頼の村で過ごすのだ。「今夜にもゴブリンが攻め寄せてくるかもしれない」などと不安を煽っていいことはない。
「なるほど、お優しい。私だって、魔物が近所をうろついてるって時に家から出たくはな……うん?」
御者が怪訝そうな声とともに、背を丸めて前方を凝視する。
「おや、何か動いてるような……」
「何かって何? ゴブリン!?」
ピジムが声を高くする。馬車の中にいる3人からは、御者の背中で前方はよく見えない。
「私の目じゃどうにも……いや、ありゃ人だ。人がいますよ!」
カインが頭上の幌を取り払い、馬車の上から顔を出す。
だんだんと大きくなってきた松明、その明るさから逃れるように複数の影が見える。
「奴ら、もう動いてるのか!? もう少し」
「急げってんでしょう分かってます――ただしっ! 放り出されても文句は受け付けかねますよ、っしゃあ!」
掛け声の直後、忠告通りの強烈なタテ揺れが馬車を襲った。危うく本当に宙を舞いかけたカインが馬車の中に引っ込む。
同じ揺れが来たはずの御者は、先ほどまでと変わらぬ姿勢で手綱を握り、前を見据えていた。
揺れと、幌がなくなってもろに吹き込む風。顔を上げるのも億劫になった3人はしゃがみ込み、馬車を降りた後の方針を立てる。
まずは、目の前の命を最優先に。
頷き合っていると、少しずつ揺れが収まり始める。飛び降りるために馬車の速度を落としてくれているらしい。
「着きますよ、お気を付けて!」
「ありがとうございます! 2人とも、準備はいいね?」
「オッケー!」
「は、はいっ!」
村へと出入り口へ向きを変え、走り続ける馬車から転げるように飛び降り、カインが叫んだ。
「幻導士です! 聞こえますか!?」
「た、助けてっ! 大事な――」
幼い声だった。最後まで待たず、3人は物陰へと踏み込む。
「大丈夫かい!?」
カインたちが見たのは尻もちをついている少年が1人と、突然の乱入者に目を丸くしているゴブリンが3匹。手には何も持っていないが、小さな子供1人にとっては十分すぎる脅威だ。
「ギャッ! グギャエ!」
少年を庇うように立ったカインを新たな標的に定めたか、ゴブリンが濁った叫びと共に拳を振り上げる。
「何言ってるか分かんないけど、容赦しないよ!」
その一瞬にピジムが飛び出し、先頭の鼻面に右ストレートをお見舞いする。体ごと巻き込むような左フックで2匹目もなぎ倒し、3匹目を振り向い……たときには、グラシェスが水を纏わせた杖でそいつの腹を貫いていた。
「2人とも、流石だね」
「このくらい当然だよ。ね、グラシェス」
「う、うん。それより……だ、大丈夫?」
グラシェスが、地面に座り込んだままの少年に目を向ける。短い茶色の縮れ毛につぶらな瞳、大きな口がわんぱくそうな印象を与える。薄手の半袖は汗で二の腕に貼りつき、その緊張を物語っていた。
「ありがとう。俺、ドゥムニ」
「ドゥムニ君っていうんだね、無事で良かった。僕はカイン。こっちの女の子はピジム、男の子はグラシェス。依頼を受けて来た幻導士だよ、よろしく」
「幻導士って……助けに来てくれたの!?」
「うん。だから、もう暗くなってから外に出ちゃいけないよ」
そう言われ、ドゥムニはバツが悪そうな顔をした。
「ごめんなさい。でも」
「そこにいるのは誰だ? 返事をしてくれ!」
ドゥムニの弁明は、村の入り口から聞こえた大声に遮られる。御者が事情を村に伝え、男手が様子を見に来たようだ。
「お迎えも来たみたいだ、村に入ろう。立てるかい?」
カインがドゥムニに手を差し伸べ、引っ張り起こした。松明の良く当たる場所へと姿を見せて名乗る。
「依頼を受けたギルドの幻導士、カインです。 只今到着しました」
「おお、幻導士さんか! ようこそ……ってドゥムニ。村の外にいたのはお前か。散々ダメだって言われたろ?」
「ご、ごめんなさい……干し芋が心配で見に行ったら、本当にゴブリンがいて……」
「説教は後でな、無事で何よりだ。じゃあカインさん、早速ですが村長の家までお願いします」
エレメンターズ豆知識
『初めて来る街ではまず馬小屋を探せ』
馬小屋には、馬に乗って人や物を運ぶ御者がいる。彼らは目的地まで効率よく到着できる段取りを常に研究しているため、周辺の地理に大変詳しい。客商売なので礼儀正しい者も多く、平和にその土地を知ることができるだろう。




