8-3 暗中の銀、奮戦に霞む
複数の足音が草を踏みしめる音、そして夜空を劈く狼王の咆哮。
ジェヴォーダンの配下――レッサーガルムの群れを蹴散らしていたテレザは、本格的な魔物の攻勢を感じ取った。テレザの背後から、マーブルウルフが4頭。足音はますます大きく、若い女の匂いに興奮した息遣いが聞こえるまでに距離が縮まる。
「シェラ!」
対多数ならば、先手が肝心。テレザがシェラの名を叫ぶ。
「はいっ! ――『閃光』!」
打てば響く答えと同時、強烈な閃光がテレザの周囲を染めた。『閃光』はテレザの予想より随分明るく、目を瞑っても瞼の裏に若干白が残るほど。瞑ったテレザでさえこうだ、モロに浴びた狼どもは軽いショック状態に陥り、悲鳴と唸り声を草地へ落としていた。
「好機逸すべからず、ね!」
テレザは正面にいたレッサーガルムの顔を半分を拳で吹き飛ばす。半死半生でもんどりうったそいつの前足を、がっしりと掴んだ。
「っ、ぉおりゃあ――っ!」
そのまま、ハンマー投のようにぐるんぐるんと振り回し始める。今はジェヴォーダンの能力により、下っ端の魔物も侮れない耐久力を持っている。それを逆手に取り、凶器として使わせてもらう。大規模な炎での攻撃は、幻素の消費的に避けなくては。
武器となったレッサーガルムが遠心力に晒されて不吉な音を立てるが、テレザはお構いなしに周囲の狼どもを巻き込んでいく。旋風さながら、テレザの勢いは収まることを知らず、肉で肉を叩き続ける。
臓器の潰れる湿った音や骨を叩き折る鈍い音、甲高い断末魔が連続した。
「これっ、で――ラストっ!」
高速回転にも一切軸をぶれさすことなく、テレザは投擲に入る。毛皮は剥げて肉も抉れ、文字通りぼろ雑巾になったレッサーガルムを、思いっきりマーブルウルフの1頭へと叩きつけた。顔に血まみれの同胞を被されたマーブルウルフは草地を転がり、頭を振るって立ち上がる。
「残りは……」
テレザが周囲を見ると、ズタボロになった狼が死屍累々。生き残った者もテレザに怯えるように遠巻きに、弱々しく唸っているのが殆どだ。逃げ出さないのはジェヴォーダンへの忠誠か、あるいは恐怖か。
が、マーブルウルフは流石に頑丈だった。投擲を喰らった奴も含めて3頭とも健在で牙を剥き出し、テレザを狙っている。ここからは、真っ向きって――
「――まずい!」
見えるマーブルウルフが1頭足りない。テレザが反射的にシェラを振り向くと、闇に紛れた1頭が今まさにシェラへ飛びかかるところだった。
「きゃぁあっ!」
悲鳴を上げつつも、シェラは地面に身を投げ出してその牙を逃れた。そして素早く膝立ちになると杖を握りしめ、マーブルウルフの脇腹めがけて唱える。
「貴き光よ。照りて駆け抜け、邪を貫きたまえ――『輝槍』!」
が、その光の穂先は太く長い剛毛に阻まれ、儚く砕けた。
「そ、そんな……」
医療術式をメインに鍛錬してきたシェラは、ジェヴォーダンによって強大化した魔物の装甲を貫くには非力すぎたのだ。シェラに振り向き、再度噛みつこうとするマーブルウルフ。その顔が歪む。
文字通り、頬骨が大きく変形させられていた。
横合いから爪先をねじ込まれたマーブルウルフが声もなく吹っ飛ぶ。代わりにその場所に立ったのは、誰あろうテレザ。本気で焦っていたらしく、息を切らしている。
「シェラ、無事? ……迂闊だったわ」
「い、いえ! ありがとうございます」
「早めにカタを付けないと、まずいわね」
目の利かない夜の戦闘、テレザと言えどミスは増える。体力的にも精神的にも、早めに終わらせてジェヴォーダンを引き付ける2人の援護に回りたい。が……草地に血を垂らしながらもマーブルウルフは立ってきた。
「どんだけタフなのよ……!」
テレザの苛立ちを隠しきれない声が風に紛れる。残るはマーブルウルフが4頭。ジェヴォーダンによる強化を受けた彼らから、シェラを守りながら戦うとなると……。
「シェラ、集落の中へ逃げて」
「へ? でも、そうしたら」
「大丈夫、集落への被害は出させないから。情けないけど……このままだとあなたを守り抜くのは難しいわ」
自尊心の高いテレザからすれば業腹極まりない話だが、今この状況において、シェラはテレザの近くにいない方が安全だと言わざるを得ない。奥歯を噛みしめたテレザの表情でその気持ちを察し、シェラは頷く。
「分かりました……勝ってくださいね。絶対、絶対ですよ」
「言われるまでもないわ」
シェラはソロソロと後退り、集落へと逃げ込む。それを追うようにマーブルウルフが走り出そうとして――凍り付くような殺意と、反比例するように熱く滾る拳を前に立ち竦んだ。
「……ほんっとムカつくことの多い日ね」
テレザは独りごちる。色々と酷い日だった。後先考えず突っかかるわ、後輩を危ない目に遭わせるわ……散々だったと言って良い。
だから、
「せめて最後はきっちり締めさせてもらうわよ」
マーブルウルフはまずテレザを倒してから、シェラに向かうことにしたらしい。軽やかな足取りでテレザを囲み始める。それを突き破らんと繰り出されるテレザの拳が、再三にわたってマーブルウルフを捉える。が、1撃でのせたレッサーガルムとは格が違う。しぶとく起き上がり、テレザの隙を狙い続ける。
「くっ、この!」
テレザが押される場面が増え始める。夜目の利く魔物が有利な状況の上、日没直後から戦い通しだ。消耗は激しい。いかに炎を節約しているとはいえ、肉体への付加術で幻素は使わざるを得ないのだから。
首筋を狙った牙を籠手で受け、勢いよく地面を転がる。かぶりつかれた左腕を大きく振って引きはがし、立ち上がると同時に右拳で殴りつけ――られない。既に右手側から迫っていた爪を握りしめた裏拳で弾くと、背後に気配を感じた。右足を軸に左足で半円を描く。反転すると、案の定唾液を纏った牙が月に光る。
「はぁっ!」
裂帛の気合いと共に、テレザの左フックがカウンターで入った。ぼこっと穴を空けたような感触が伝わり、マーブルウルフは地面に頽れて痙攣し始める。おそらく頭蓋骨が陥没し、脳にもダメージが行ったのだろう。
「残り、3……!」
ようやく1体倒した、と安堵する。
そんな暇、なかったはずなのに。
「しまっ――」
またも背後から危機が迫る。今度は、気づくのが遅すぎた。振り返った時にはもう、視界一杯に真っ赤な咢が広がっている。
テレザに出来たのは、顔を不格好に庇うくらい。牙が籠手にぶち当たり、地面へと押し倒された。先ほどのように自分から転がったわけではなく、完全に相手有利な姿勢で抑え込まれる。残った2頭もようやくテレザを仕留められる、と喜び勇んで彼女の足にかぶりついた。
「ひっ……」
テレザは悲鳴をかみ殺した。辛うじて、鎧の上を噛ませることに成功はする。だが、不機嫌そうな唸り声と共に今度は脇腹に爪が振り下ろされる。革鎧と言えど付加術で強化したためある程度は強いが、魔物相手にいつまでも持つものではない。少しずつ壊されていく鎧の呻きで、テレザの寿命のカウントダウンを始まる。獣に集られもがくテレザは、今や完全に食われる側となっていた。
死神の足音が、月夜に木霊する。




