6-6 盛る戦、街の災い
血剣宴の決勝戦が始まった頃。
――やっと。やっとだ。空から引きずり降ろされて幾星霜、ようやく羽ばたける時が来た。
太古の昔そうであったように、『そいつ』は我が物顔で空を征く。悠々と、夜空のような翼で白日を覆う。突如下りた帳に人間は天を見上げて畏怖し、野に潜んでいた魔物どもは狂喜する。
景気づけだ、眼下で怯える村を灰にしてやろうと咢を開き……
「無用な騒ぎを起こすな。頭を、一息に落とす。鉄血都市へ向かえ」
背中から聞こえる冷や水に、喉から漏れ出た炎が黒煙と変わる。背に乗せて運んでいることと言い、指図に大人しく従うことと言い、まるで躾の行き届いたロバのようだ。だが、この人間と『こいつ』は今や一蓮托生。多少の無礼には目を瞑ってやらねばならない。
『我が依代となった、それには礼は言うが……ライン・ニールベンゲルと言ったな。この魔竜の力を以て、何を望む?』
背中の声は相変わらず冷め、退屈極まりなさそうだった。
「……幻龍の復活」
決勝は想像を絶する力と技の応酬となった。
テレザが紅蓮でカーテンを編んだかと思えば、オーガスタスは砲弾と化して力任せにそれを引き裂く。高速で宙を滑り、叩きつけられる戦鎚をテレザは横から叩いて無理矢理軌道を逸らす。
着地直後を狙い、テレザが。しかしオーガスタスは慣性を筋力でねじ伏せ、振り向きざまに薙ぎ払った戦鎚でテレザを弾き飛ばした。追撃に『流転神器』の穂先を伸ばすが、テレザもテレザで炎を吹かし、空中で器用に体勢を立て直して躱した。
テレザは徹底して、『真正面から受けない』。オーガスタスに万全の態勢で攻撃をさせないために威力よりも手数を重視し、先手先手で炎を放つ。近接戦闘でも小さく速く攻撃を出し続け、戦鎚振りかぶる暇を与えない。その鋭い攻撃は、オーガスタスの体に少しずつダメージを蓄積させていた。
一方のオーガスタスは、その圧倒的な身体能力に物を言わせてテレザを攻撃の射程に捉え続ける。戦鎚をメインに据えながら、ある時は槍、ある時は双剣、大盾、斧……『流転神器』による変幻自在かつ剛力無比な攻めはテレザの体を幾度となく掠め、その薄皮と精神を削り取っていた。
闘技台には度重なる衝撃と爆発でいくつも窪みや欠損が出始め、2人が衝突する度にその破片が観客席まで飛んでくる。ノエルが眼鏡の位置を直し、ぼやく。
「本当に闘技台を壊しそうですね、あのお2人……今から気が重い」
「分かってたことだろ、手を抜かれるより良いじゃねえか」
「そりゃ、棟梁は壊す側ですから。気楽でしょうとも」
楽しそうなナガラジャに皮肉を返すものの、大会の盛り上がりには代えられないとノエルも思っている。眼下では今まさにオーガスタス渾身の振り下ろしが闘技台の中央部に炸裂し、大きな窪みを生み出していた。
イタズラな弾幕は消耗するだけだ。そう判断し接近戦に挑んだまではいいが……辛くも躱した打撃の余波に巻き込まれ、テレザは姿勢を崩される。
「こんっの馬鹿力……!」
想像はしていたが、接近戦でここまで押し込まれるなどナガラジャに突っかかったとき以来だ。単純な腕力で劣っていても、『付加術』を駆使し、間合いや重心、拍子を工夫して相手の力を殺し、テレザは常に互角以上に渡り合ってきた。
『巨漢に達人なし』。
体の大きな者は体格差で楽に勝ててしまうため、いつしか技を磨くことを忘れる――そんな意味の格言があるが、目の前のオーガスタスはテレザを遥か凌ぐ剛力と、それに驕らぬ技を持ち合わせていた。振りかぶれないならばと戦鎚から小回りの利く双剣に切り替え、小さく細かく繰り出されるテレザの拳と打ち合う。
同じことをすれば自然、力の強い方が優勢になる。
両の剣を捌くだけではじり貧だ。だが潜り込もうにもその懐は深く、生半可な踏み込みではテレザの拳は届かない。圧倒的な体格差に加え、オーガスタスの方が実戦経験も積んでいる。恐らく彼女の考えなどお見通しだろう。
ならば。
テレザは機動力を活かし、側面に回り込む。テレザを追いかけるように振り回される左腕を地を這うように回避し、全身のバネと足元からの噴射炎で一気に加速、自分の距離にする。
――分かっていても対応できないほど低く、速く。
「ぉおっ!」
オーガスタスの振り下ろす右の剣が、トップスピードで突っ込んだテレザの後ろ髪を際どく掠めた。生死の際で脳内麻薬は横溢、スローモーションと化した世界の中、がら空きの土手っ腹に拳を体ごとねじ込む!
「『熱杭』!」
「ぐぉっぉおおっ!!」
オーガスタの咆哮と共に訪れたのは、しかし待ち望んでいた手応えではなかった。オーガスタスの肉は焦げず、破れず。テレザに残ったのはとんでもなく固いものを叩いた感触と、拳が握れないほどの激痛。
「――~っ」
甲か、指の付け根か。あるいは両方……折れた。
思わず漏れそうになる呻きをかみ殺し、テレザはオーガスタスをねめつけた。散々うるさいと思ってきた大歓声にも今だけは感謝だ、自分の息遣いが悟られない。
オーガスタスも無傷では済まなかったようで、左手に握られていた剣が消えている。その代わり、鈍い光沢と錆の入り混じった金属が不格好に腕に巻き付いていた。『熱杭』の高熱で一部は溶け、皮膚と一体化してしまっている。どうやら双剣を変形させて左腕に巻きつけ、身を守ったらしい。
「つくづく化け物だな、お前さん」
言いながら、オーガスタスは片方だけになった双剣を刺突剣に変え、半身に構えてその切先をテレザに向ける。貴族の帯びる儀礼用の剣とばかり思っていたが……彼が扱う以上は立派な脅威だ。
テレザも開手を構える。といっても右手は形だけ、炎を出すことすら億劫だ。だが口は減らない。
「死ななくて良かった。けど、倒れては欲しかったわ」
「殺したくねえなら死ぬような攻撃するんじゃねえよ……」
「そこはお互い様でしょ?」
オーガスタスの攻撃だって、相手がその辺の荒くれ者ならばとっくに死んでいるだろう。凹みとヒビでボロボロになった闘技台がそれを如実に物語っている。
「だから、死なないように頑張ってね」
「それこそ、お互い様だな」
互いに死力を尽くす。たとえその命を散らすことになろうとも、この戦いに悔いは残さない。そう確認し合い、2人は地を蹴った。
「……何だ、あれは」
ノエルが何かに気づき、違和感を凝視する。澄み渡る蒼空に、あまりにも不釣り合いな黒い点が1つ。鳥? にしてはあまりにもサイズが大きすぎるし、少しずつ詳細になってきたシルエットも妙だ。コウモリのような翼に、長い首……それが、不意に光る。
――やばい。
「――『城壁』!」
本能的に危険を察知し、ノエルは土属性幻素、そして闘技場の壁そのものも材料として防壁を築く。ナガラジャがその詠唱に気づいて振り返り、同じく驚愕の表情を浮かべた。
迫ってくるのは、比喩でなく中央闘技場を丸々飲み込めそうな、超巨大な火球だった。間違いなく人間技ではない。魔物――いや。魔獣、もしかしたら魔竜と呼ばれる、もっと高位の害悪だろう。
「ちっ!間に合え、『城壁』!」
ナガラジャの術式で金属性幻素が凝集され、同じように壁を作り始める。だが彼の属性は金。周辺から材料を調達できない分、完成が遅い。
「な、何ですか!?」
「シェラさん、下へ!」
間に合わないかもしれない。ノエルは叫び、この場でもっとも優先して避難させるべきシェラを貴賓席から下段へ、半ば突き落とすように促した。
最上階に座る観客が事態に気づき、我先に逃げ出そうとする者が続出する。動揺は下へと伝播していき、あっという間に『何か分からないがやばい』という感情が蔓延した。シェラの華奢な体躯は、あっという間に人波にさらわれる。その騒乱は当然、闘技台にいる2人にも伝わる。
「っ!?」
「何だぁ?」
戦いを中断し、テレザとオーガスタスも観客席を見やる。そこへ、人波をかき分けて闘技台へと飛び降りてくる人影があった。アーノルドと、小脇に抱えられたシェラである。あわや絨毯になりかけていたシェラを、事情を探ろうと貴賓席を目指していたアーノルドが救い上げていた。
「おい、何事だ?」
「分かんねえ。が、ただ事じゃな――」
言い終わる前に、轟音と共に黒と赤が空に舞い散る。同時に、日差しとは異なる熱が顔に吹き付けた。アーノルドが眉をしかめる。
「始まっちまったか! とりあえず、俺は棟梁と執務長の援護に回る。お前らは怪我が何とかなれば来てくれ」
「分かった」
「何とかできる? シェラ」
「や、やってみます。けど……完治は、絶対に出来ませんよ」
「構わないわ。とりあえず痛みなく動けば」
テレザの言葉に、シェラが痛みをこらえるような顔をする。もっと自分を大事にしてくださいと言いたいのだろうが、彼女も事態を分かっている。何も言わずにテレザのうっ血した右手の治療を始めた。流石に浅い切り傷のような回復は無理なので、シェラが深く息を吐いて集中を高める。
「おい! 治癒薬だ。飲んどけ」
「どっからこんな高級品……にがっ!」
「子供舌かお前」
「オーガスタスさんも、左腕!」
「おう、悪いな!」
テレザがオーガスタスから受け取った治癒薬を1口飲むと、右手に残っていた違和感が一気に小さくなる。動かしても痛みはない、痛み止めとして効果は覿面だった。オーガスタスの左腕もシェラの治療で、癒着していた金属が剥がれて動くようになったらしい。隣で薬臭い息を吐いていた。
「今朝貰った治癒薬が、まさかこんなに早く役立つとはなあ」
「申し訳ないですけど、私にできるのは最低限です。無理に使えば、またすぐ痛むと思います……」
「十分よ。あなたがいて良かったわ、ありがと」
「全くだ。シェラがいなけりゃ、俺らは片腕を縛ったまま戦う羽目になったんだぜ」
場外ではまだ争いの気配が色濃い。名状しがたい咆哮や、建物が崩れる音が断続的に響いている。ナガラジャは正真正銘の怪物だし、ノエルもああ見えて腕っぷしは超一流、アーノルドも腕利きだ。3人がいればそうそう負けることはないはず、というか負けてもらっては困る。
「早く行きましょう。シェラはここに……」
残って、と言いかけて逡巡する。外に連れ出せば危険だ、安全圏に残すべきだと思う。そのはずなのに、何か引っかかる。オーガスタスが彼女の様子を見て、推測を述べた。
「荒くれ者どものあの慌てよう、よっぽどの何かがあったんだ。もうこの付近に、安全地帯はないのかもしれねえ。だったらいざって時に、お前さんと一緒にいたほうが安全なんじゃねえか」
「お願いします、連れて行ってください。もしかしたら、負傷者の治療にも当たれるかもしれませんし」
「……じゃあ、約束。怪我人よりも、あなたの命を優先して。良いわね?」
「は、はいっ」
話は決まった。3人が立ち上がり、移動を始める瞬間。
絶叫が空を割る。
直後、闘技場の頭上スレスレを巨大な何かが高速で通過していく。風圧で転がりそうになったシェラを抱き寄せて空を見上げ、テレザは総毛立った。
「(魔竜……!?)」
間違いない。竜人をいかつくしたような顔を2本の角がさらに禍々しく彩り、漆黒の鱗の中で目だけが金色に輝いている。爪は彼女が見たどんな業物よりも艶深く、尾はどんな大蛇よりも太くたくましい。
幻龍大戦の直後、荒廃した世界の空を支配したのが魔竜だ。幻龍の血を色濃く継いだ直系の子孫とも呼べる存在だが、彼らもまた幻素を使う者達との戦いに敗れ、やがて姿を消したとされている。人知れず生き残っていたのか、はたまた蘇ったのか。テレザのシェラが慄然とした顔で呟く。
「な、何ですか今の……。まるで、災害そのものみたいな感じ」
「魔竜だな。実物見るのは初めてだが……」
「感想は後よ。今は、外で戦ってた棟梁たちとの合流を優先しましょう」
「……そうだな。医者を連れて行きゃ喜ぶだろうぜ、なあ!」
暗い雰囲気を振り払ってくれる、オーガスタスのこうした面は頼もしい。仕切り直した3人は、闘技場の外へと踏み出す。
――すでに、惨劇が起こっているとは知らず。




