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裏東京の異名持ち共  作者: 愛川莞爾
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保健室閑話


 先に目が覚めたのは氷雨の方だった。

 重い瞼を開けると、夕日のオレンジ色を映す天井が見える。薄暗い室内、身体には自室のものとは違うベッドの感触、そこが保健室であることはすぐに理解できた。


(なにが、どうなったんだっけ……)


 ベッドの中で身をよじりながら、記憶を手繰り寄せる。決闘とその結果、その全ては鮮明に思い出すことができた。頭は打たなかったらしい。


「――おや、目が覚めたかい? 気分はどうかな」


 と。

 ベッドの横から爽やかな声が響く。誰かと問うまでもなく、その声には覚えがあった。


「生徒会長……おかげさまで、意外と大丈夫そうだよ。そちらも同じようだね」


 顔を右に向ければ、ベッドの間の椅子に座り、林檎の皮剥きをする帝の姿があった。そしてその向こう、隣のベッドには、穏やかに目を閉じる礼治の寝顔もある。


「僕は当然ぴんぴんしているとも。礼治君も大事は無い。全員打撲や擦り傷だらけではあるが、程度の重いものは全て治療してある。あとは若いんだから勝手に治れ、とのことだよ」

「そうかい」


 あれだけ派手にやって、この程度で済んだのだから御の字というべきなのだろう。

 否、それこそ「おかげさまで」だ。帝の適切な対処があったからこそ、全員大きな怪我もなく決闘を終えられたのだ。


 身を起こし、改めて礼を言おうとした矢先、目の前に林檎の乗った小皿が差し出される。


「どうぞ。なんだかんだ、君も相当魔力を消費しただろう。しっかり食べて補給するといい」

「あ、ありがとう」


 どういたしまして、と帝は微笑んで、自分も一切れ口に運ぶ。

 しばし無言のままお互いに林檎を咀嚼し、次に口火を切ったのは帝の方だった。


「――良い決闘だった。意表を突かれたし、久々にあんなに必死になったよ。本当に、楽しかった」

「生徒会長は思いっきり手加減していたじゃないか」

「だとしても、だよ。それに、最後は完全に全力だったしね。嘲笑う暴君(タイラント)を使わされるだなんて思わなかった。シャベッターとか見てごらん? みんな実質僕の負けだって言ってるし、僕自身そう思う。こんな敗北感を味わったのはいつぶりだろうってくらいだよ」


 随分と楽しげに言うものだ。氷雨は若干呆れつつ、仮想画面を呼び出して言われたとおりにシャベッターを確認してみる。すると、裏東京の話題ランキングでは、上位のほとんどをこの決闘についてのワードが占めていた。


「#三つ葵の決闘、#ジャイアントキリング、#嘲笑う暴君(タイラント)相討ち、#転入生強かった、#弱そうとか言ってごめん、#地味顔なのにやる男……ほんっと好き放題だなみんな……」


 いつものことだが。よく見れば自分に対する言及も数多くあるが、どれも比較的好意的な意見ばかりだった。


「僕が全力だったかどうかなんて関係無しに、君達は力を見せた。そして裏東京の皆もそれを認めた。これは素晴らしいことだと思うよ」

「生徒会長としても、当初の目的は果たせたってことかい」

「そうだね。――彼ならあるいは、行方知れず(ノーウェアー)の弾丸(・バレット)の力になれるかもしれない」


 静かにそう呟く帝に、氷雨は目を見開いて驚く。まさか帝からそんな言葉が出てくるとは、思いもしなかったのだ。

 意外かい? と苦笑する帝に、氷雨は素直に頷くしかない。


「はは、まあそうかもね。でも、僕だって実際のところそこまでドライにはなりきれないのさ。実力が無い者は去るっていうのが裏東京の定めだけど、それでも見知った顔が去っていくのは誰だって悲しい。せめて卒業まで一緒にいられるのなら、それが一番だろう」

「……そうだね。ボクも、そう思うよ。だからこそ、阿部君が力になってくれればいいと、願っている」

「事情は説明してあるのかい?」

「いいや。流石にまだ早すぎる。それに、直本人としては、なるべく言いたくないみたいだしね」

「そうか。なら外野の僕達がとやかく言うことでもないね。

 ――ははっ、だとしたらこれから大変だぞ! 今回の件でこの少年は一気にヒーローだ、引く手数多だろう。ちゃんと引き留めておかないと取られてしまうかもしれない!」


 努めて明るい口調で帝は言う。それは話題逸らしの意味合いもあっただろうが、実際シャベッターでもかなり話題になっていることだった。


 礼治の能力は、相棒がいて初めて成り立つものだ。ならば、一体どこの誰がその相棒の座を射止めるのか。


(シャベッター見るかぎり、早くも狙ってる奴が結構いるなあ……ネット上で公言しない奴も考えれば、かなりの争奪戦になるだろう)


 その中で、あの素直じゃない親友は勝ち残れるのだろうか。氷雨は早速不安になってきた。

 そんな氷雨の思いを知ってか知らずか、帝は愉快そうに笑いながら席を立つ。


「もう行くのかい?」

「ああ。本当は健闘を讃えて、君達をどこか美味しい物でも食べに連れて行こうと思ってたんだけど、三国連合の方で招集が掛かっちゃってね。生徒会長ってのも中々面倒な立場だよ」

「三国連合が……? なにかあったのかい?」

「さてねえ。まだなにも聞いてないんだよ、会合で話すの一点張りでさ。キナ臭いよねえ」


 やだやだ、と帝は顔をしかめる。


「外では迂闊に話せないレベルとなると、たしかに気掛かりだね……なにかあったら教えてくれ。ボクも直も、三つ葵の異名持ち(ネームドクラス)として、いつでも協力するよ」

「心強い。ま、それよりも、後で礼治君と君と、予定空けておいてね? それから何が食べたいか決めておくこと。楽しみにしてるからね!」


 帝は上機嫌にそう言い残し、保健室を去っていく。いつ見ても大抵笑顔な男ではあるが、今日の笑顔がとりわけ楽しそうだったのは、氷雨の勘違いではないだろう。

 静かになった保健室の中で、氷雨は隣のベッドに目をやる。顔中に絆創膏やらなにやら張られているものの、寝顔は実に穏やかだ。


「全く……大した奴だよ、君は」


 自然と呆れ交じりの口調になってしまうのはどうしてだろう。

 特異体質は大したものだけど、その他は顔も中身も平均的。なんだかんだ、平凡といっても良いような少年だろうに。そんな彼が、これからこの学校全体を大きく振り回すであろうという確信がある。

 それは彼のパートナーの座を巡る件かもしれないし、それだけじゃないかもしれない。


(なんにせよ、だ)


 今日のところはゆっくりと休んでほしい。それだけの頑張りを見せてくれた。

 それに、明日からはどうせもっと忙しくなるのだから。




     ■




 礼治が目を覚ましたのは、時計が八時を過ぎようかという頃だった。

 ずっしりと身体が重い。意外なことに痛みはあまり無いが、身を起こすのも億劫なほどの濃い疲労が、彼の全身を支配していた。


「――おや、起きましたか」


 と。

 声に顔を向ければ、そこには見知った顔がある。肩口まで伸びた真っ黒な髪を一つ縛りにした、丸メガネの女性だ。服装も地味目で図書館司書でもやっていそうな雰囲気だが、よくみるとかなりスタイルが良く、男子生徒からの人気は上々――礼治達のクラス担任である古富 安奈(ふるとみ あんな)であった。

 ベッドの横に座っていて本を読んでいた彼女は、礼治が目覚めたのを確認すると、彼の身体を検分するようにぱたぱたと触れる。


「うん、治療魔法の効果もしっかり出てますし、大丈夫でしょう。気分はどうですか?」

「ええと、滅茶苦茶疲れてます」

「でしょうね。強敵との戦闘に加えて、魔力も枯渇してるんです、とりあえずこれでも食べて一息ついてください」


 そう言って安奈が差し出してきたのは、若干変色した剥かれた林檎だった。


「あ、ありがとうございます」

「いえいえ、これを置いて行ったのは生徒会長らしいですよ。冷泉院さんも君のことを心配していたんですが、遅くなりそうなので先に帰らせました。ああ、あと一文字さんと鳶足くんも見舞いに来てくれてたそうです。初日からクラスの子たちと馴染めたようで、先生ちょっと安心しちゃいました」


 安奈はそう言って微笑む。そして彼女はサイドテーブルに礼治の制服を置くと、「落ち着いたら着替えてください」と言い残してカーテンを閉めた。


(そっか、俺決闘に負けて、そのままずっと寝てたのか……)


 落ち着いた今、不思議と悔しさは無かった。現段階で自分ができる限りのことは尽くしたし、勝てはしなかったものの一矢報いることはできたからだろう。

 林檎を食べ終え、言われたとおりに着替える。身体中生傷だらけではあるものの、どれも大した深さではない。絆創膏や包帯で処置してあるし、すぐに治るはずだ。

 軽くベッドを直してからカーテンを開けると、安奈はソファーに腰掛けて礼治を待っていた。


「では、行きましょうか」

「? どっか行くんですか?」

「いえ、君にとっては帰るだけですね。ほら、その状態じゃ歩くのも辛いでしょう? 今日は特別に送っていきますよ」


 言われて気付くが、たしかに足元も覚束ない。無理をすれば自力で帰れないこともないが、礼治は無理せず担任の好意に甘えることにした。


 荷物を持ち(勇がまとめて教室から持ってきておいてくれたらしい)、安奈の先導で教員駐車場へ。その道中、今回の決闘が裏東京中でどれだけ注目を浴びたか、礼治の評価がどれだけ上がったかなどを聞かされ、礼治は誇らしいような気恥ずかしいような思いで赤面したり。


 安奈の大衆車の助手席に乗り込み、礼治はまた礼を言う。安奈は「今回は特別ですから」と笑って、車を発進させた。

 学園を出てすぐの信号待ちの際、安奈は暇潰しのような気楽さで問いかけてくる。


「そういえば、阿部君はどうして魔法使いになろうと思ったんですか?」

「んー、子供の頃見てたアニメとか、動画とかの影響も大きいと思うんですけど……一番は、やっぱり大英雄に憧れて、ですかね」


 ――大英雄。

 たとえ個人名を出さなくとも、この国で大英雄と言えばただ一人を指す。それは、この世に魔法が明らかになった二〇二〇年の黎明戦争の際、若干十八歳にしてその戦争に終止符を打った救世主、天野 晴人(あまの はると)である。彼の逸話は枚挙に暇なく、彼を題材にした創作物は世界中にありもはや数えきれないほど。なにより二〇七〇年現在も存命であり、全世界に対して現在進行形で強い影響力を持つ存在なのだ。

 大英雄、あるいはハルトの愛称で慕われる彼に憧れて魔法使いを目指す者は数知れない。礼治もまた御多分に漏れず、幼い頃からその姿に魅せられた一人であった。


「そっか。大英雄か……うん、先生も好きですよ。この裏東京のシステムを考案して作り上げたのも、あの人ですしね」

「はい。だからずっと前から、ここには一度でいいから来てみたいと思ってたんです。まさか観光にくるどころか、ここに住むことになるだなんて思いもしなかったですけど」


 でしょうねえ、と苦笑して車が発進する。礼治の入学の経緯は、当然ながら安奈は知っている。だからこそこうして特別に気遣ってくれているのだろう。


「折角だし、頑張ってくださいね。先生も結構裏東京歴長いですから、なにか困ったことがあったら頼ってくれていいですから」

「はい、お願いします。先生、裏東京の卒業生なんですか?」


 礼治はちらりと運転席の安奈を見遣る。どう見てもまだ二十代後半程度、教員を始めてから裏東京に来たのだとすれば、歴が長いというのは少々無理がある。


「ええ、初等部から高等部までずっと。と言っても、今も学生時代もずっと裏港区在住なので、この辺よりアヴァロン付近の方が詳しいですけどね」

「アヴァロンって、イギリス資本の学校でしたっけ」

「そうです。裏文京区の三つ葵に、裏港区のアヴァロン、そして裏新宿には中国資本の新明星(シンミンシー)――俗に言う裏東京主要三校のうち一つです。今後関わることもあるかもしれませんから、三つとも覚えておいて損は無いですよ」


 教師らしい口調でそう言いながら、安奈はハンドルを切る。気付けば帰路も半ばを過ぎた、もうそろそろマンションも見えてくる頃合いだろう。

 帰ったらまずシャワーだな、と思いつつ、礼治はなんとなしに聞いてみる。


「先生は、どうして裏東京に戻ってきたんですか? 元から教員志望とか?」

「それは――やりたいことが、あったんです。あるんです、っていうべきかな。正直教員やってるのはその目的のため――って言ってもみんなのことも大好きですよ? ええ、やりがいある仕事ですしね。でも、一番は私の目的は三つ葵じゃないと果たせないからっていう理由です。それも、そろそろ実現できそうなんですけどね」


 今度は先程とは違ってにこやかに、念願が叶う喜びが滲む口調で安奈は言う。おそらくこれは学校では見せない顔だ、と思うと礼治は思わずどぎまぎしてしまう。大人の女性がこんな可愛らしい表情を見せる、ということ自体、礼治にとっては新鮮で刺激の強いものだった。


(それがどんなことなのか、って聞くのは踏み込みすぎかな……)


 聞いてみたくはあったが、そこは自制。そうなんですか、と言うに留めておいた。


 その先は車の流れもスムーズで、ほどなく礼治の住むマンション前に到着する。礼治は改めて礼を言い、安奈はまた明日と手を振って去っていった。


「――疲れたなあ」


 礼治は思わず一言呟いて、ふらつく足で部屋へと向かう。それがこの激動の登校初日の、嘘偽り無い素直な感想であった。

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