反撃開始
鳶足勇は、己の場違いに身を縮めていた。
場所は裏東京駅の地下深く、普段は一般開放されていない『緊急時避難エリア』、更にその中でも最重要地点である緊急対策本部である。
広々とした部屋の中、奥の壁面には巨大なモニターが置かれ、その前には多種多様な機器とオペレーター達が並ぶ。中央には大きな長机が配され、その上には仮想画面を利用した立体映像で街のジオラマが映し出されており、それをもとに各勢力のリーダーたちが作戦会議と指示出しをしている。
忙しなく奔走している人員も、皆そうそうたるメンバーだ。見知ったところで言えば、まず目に付くのはアヴァロン生徒会長のイヴとその従者にして異名持ちのサレン、三つ葵生徒会副会長の千景とその他複数の生徒会メンバー、新明星の制服を着た者も数人いる。加えて、警察・消防・自衛隊からも、学校行事で来賓として見たことがあるような顔ぶれが何人か混じっていて、当然その部下らも学生達と様々な対応に追われている。
(災害系パニックムービーで観たなあ、こんな光景……)
あるいは怪獣物とか、と現実逃避のように思いつつ、勇は次に左右に目をやる。
勇がいるのは、邪魔にならないようにと部屋の最後方の壁際だ。右を向くと、同じように壁に背を預け、明らかに苛立った様子で腕を組む直の姿がある。元の顔からしてキツイ系美人である直だ、それが更に眉間に皺を寄せていれば、いくら陽気なチャラ男を自負する勇でも気軽に話しかけられるものではない。
(礼治の奴が生死不明って聞いてから、ずっとこれだもんな……ぶっちゃけチョー怖い。下手にフォローもいれらんねえよ)
不安を不機嫌で誤魔化しているような状況なのだろうが、そうであっても怖いものは怖い。
勇は直に気付かれないうちに視線を前に戻し、そのまま今度は左側に目をやる。部屋の隅、床に直で小さく蹲り、毛布にくるまって安らかな寝息を立てるのは、名を呼ぶことなかれと恐れられる涙である。この状況下にあって完全に我関せず、おそらく備蓄の一つである毛布を勝手に確保し、「起こさないでね」とまで言い残して寝たのがこの少年だ。
(こいつは単純に怖ぇんだよぉ……! どんな状況でもやべえ奴だって分かりきってるもん……! 目が合っただけで泥ぶちこまれた友達とかいるし……!)
直の方は異名持ちだから、という理由があるが、こいつはそもそもなんでここにいるのか。イヴが戦力として連れて来たらしいが、本当に役に立つのか。というか誰かの言うことを聞いたりするのかこいつ――湧き出る疑問を喉元で抑え、勇は視線を正面に戻す。涙に関してはできればそのままずっと大人しく寝ていてほしい、とさえ思うぐらいであった。
部屋の中央では状況報告と指示出しが続いている。聞こえてくる状況は芳しくない。勇は改めて己の場違いを自覚し、小さく溜息を吐く。
(お前なんでここにいんの選手権優勝は、間違いなくオレだよなあ……オレのせいじゃないんだけどね、これ!)
全部氷雨のせいだ、と勇は内心で毒づく。頼むから早く出てきてくれ、とも。
――彼がここにいるのは、彼自身が氷雨の緊急出口になっているからだ。『なにが出るかな』の内部に氷雨がいるのは、繋がった感覚からして間違いない(何故かその後に一度、外部から介入されたような違和感もあったが)。ならば氷雨は少なくとも生きていて、最低限魔法を使える状況であり、外に出ようとしている。
そのことを生徒会長に連絡したら、「とにかく急いで対策本部に行って。氷雨君には出てきたらすぐに働いてもらうから」と指示を受けたのだ。
一週間以上行方不明だった人間を、病院どころかある意味の最前線に連れて来ることには抵抗があったが、そんなことを言っている場合ではないのは勇も分かっている。この部屋を出て廊下を進めば一般避難区画があり、そこには既に大勢の人が詰めかけて不安に身を寄せ合っているのだ。こんなとき異名持ちには最前線に立つ責任があるのだろう。
いや、と勇は首を振る。異名持ちに限った話ではない。この裏東京で暮らす学生達には、全員裏東京の危機に立ち向かう義務と、裏東京を守る権利がある。御大層な異名など持たない一般生徒でも、それは同じなのだ。
(裏東京の問題は、裏東京の学生が片付けるのがルールだもんな……大人達はそのサポートまでしか手が出せねえ。これはもう、そういうルールなんだ)
大袈裟に言えば、それが裏東京の誇りなんだ――自分に言い聞かせるように、勇は心中で独白する。現にこの部屋にいる制服組の大人達も、部下に飛ばしている指示は基本的に避難誘導と危険地域の封鎖だ。直接的な戦闘は学生達が担当しているし、そもそも大人達は裏東京にはそこまでの戦力を置くことは許されていないはず。勇自身も、氷雨が出てきたら戦力として何らかの指示が与えられるのだろう。
(つっても、戦闘系はやだなあ……オレ、攻撃はチャラ男流抜刀術ぐらいしかねえもんなあ……)
あれだって言ってしまえば「堅い棒をいっぱい出して殴る」だけの技である。出来れば補給役にでも徹していたい、というのが勇の本音であった。
と。
そんなことを考えていると、不意に背中がむず痒くなるような違和感が走る。その感覚に、勇は思わず勢いよく壁から身を離し、「来た!」と小さく叫ぶ。
「!? なに、氷雨が来たの!?」
仏頂面だった直の表情が僅かに緩む。
「おう、もうオレの感知範囲内まで――って、あいつなんか漁ってる!? ちょ、やめろ! 貴重品とかエロ本とか最近買ったヤマハのバイクとか入ってんのに!」
「駐車場代わりにしてんじゃないわよ」
「オレのアパート自転車は無料だけどバイクは駐車場代掛かるんだよ! っていうかなんだこれ、一人じゃねえ!? え、他に誰いんの!? こわ!」
「他にって、まさか……!」
慌てふためく勇の右後方、丁度壁に重なるように空間の揺らぎのようなものが生じる。そこからまず現れたのは、ぶかぶかのジャージを身に纏った右足だ。続いて右手、そしてショートカットに眼鏡をかけた幼いながらに知的な顔――勇のジャージを着た氷雨が、左腕を残して現れる。
「氷雨! お前、みんなどんだけ心配したと――」
「済まない鳶足君、だがまだいるんだ」
揺らぎの向こうに残った左腕が引かれる。そこについてきたのは、生死不明と聞かされていた礼治であった。
二人とも五体無事。予想外の展開に、勇も直もぽかんと絶句する。
「心配かけて悪かったね。あとちょっと事情があって、ジャージを借りさせてもらった。後で洗って返すから」
「お、おぅ……でも、礼治、お前なんで――」
と。
勇の問いかけよりも先に、直の鉄拳が礼治の顔面を襲った。
「んがぁああ!?」
クリーンヒット。礼治は数メートル転がって、涙の毛布を巻き込んでようやく止まる。
「んぅ……邪魔」
「ぐいぇえ!?」
今度は寝ぼけまなこの涙に逆に蹴り戻され、最終的に礼治の身体は直の足元に戻ってくる。
「……あんたね」
「ま、待て! 待ってくれ直! 話を聞いてくれ! 今日の討伐試験をすっぽかそうとしてたわけじゃないんだ! ただ、氷雨を助けるためって言われて――」
「んなこと分かってんのよ! だから心配したんでしょうが!」
直は礼治の前にしゃがみ込むと、その胸倉を掴み上げて怒鳴る。その顔は安堵に緩むことなく、激怒に燃えていた。
「な、直……」
「あんたが今日の討伐試験を差し置いて出て行ったっていうなら、そりゃそれだけの事情があったんでしょうよ! でもね! どんな事情があったにしても! なんであたしに相談の一つもしないのよ! そんな重要な時に頼らないで、な・に・が・相棒だってのよ!」
どごぉん!
広い部屋中が一瞬静まり返るような、鈍い音が響く。礼治と直の額から、それぞれ一筋の血がたらりと流れて落ちる。
直は激怒のままの表情で。礼治は怯えを消して、真剣な顔で向き合う。
「――ごめん、直。俺が軽率だった」
「……次は無いわよ」
ふん、と不愉快そうに鼻を鳴らし、直は礼治の胸倉を開放して背を向ける。
そして顔を腕で乱暴に拭い、振り向きもせずに声を投げかける。
「試験どころじゃないみたいだけど――代わりの仕事はあるわ。あんた、万全なんでしょうね」
「ああ、今日はいつになく絶好調だ」
礼治の返答に、直はもう一度鼻を鳴らすのだった。
■
「――はぁ? 大英雄に会った?」
「そうなんだよ! ほら、別れ際にシャツにサインも貰ってさあ! もー俺これを家宝にするね! 無事に帰ったら額に入れて飾るんだ!」
自慢気に言いつつ、礼治はシャツに書かれた大英雄のサインを見せびらかす。
場所は変わらず緊急対策本部の片隅。氷雨は早速部屋中央の作戦会議へと参加し、勇は他の仕事があるとかで退室、涙が変わらず数メートル横で寝こけているその位置で、二人はパイプ椅子を持ってきて座っていた。
「人がしんぱ――んんっ! 怒ってるってのに、あんたはなにやってんのよ……つうかその大英雄はどこ行ったの。一緒に出てこなかったじゃない」
「他の人に見つかると厄介だから、他の出口作って出るってさ。『観戦してるから頑張れよ少年!』って言ってもらえた!」
「観戦て。丸っきり遊び感覚じゃない……聞いてた通りの変人なのね。っていうか、その他にも色々と突っ込みたいところだらけなんだけど」
「え、なに? 大英雄のこと!?」
「そこから離れろ馬鹿! あんたが! 迂闊すぎるってのよ! 『他の人に秘密で一人で来い』とか、完全に罠でしょ! どんな話術に引っ掛かったのかと思えば、あんたが馬鹿なだけだったとはね!」
直は何度も礼治を指差して怒鳴る。言い切った後は洋画張りの溜息のおまけつきだ。
「え、ちょ、そこまで言う……? 確かに結果的には騙されてたけど、相手は先生だしさあ、疑えって方が無理っていうか」
「どう考えても怪しさ全開でしょ。ったく……じゃああんた、今裏東京がどうなってんのかまるで分かってないのね?」
「うん。事が起こってからはずっと異空間だったし、大英雄三昧だったしね!」
「こ・の・浮かれ馬鹿……!」
どごん、と。本日二回目の頭突きが炸裂する。
■
「……あっちは賑やかだな」
鈍い音に一瞬つられ、氷雨は部屋の隅に目をやる。しかしそれもほんの僅かな間だ、彼女はすぐに正面の長机――そこに映し出された裏東京のジオラマに視線を戻した。
正確に言えば、そこにあるのは裏千代田区から裏文京区にかけてのジオラマだ。それも建物の詳細な形などは簡略化したシンプルなものであった。
氷雨の隣、イヴはこの状況にあってもいつもと変わらぬ笑みで「そうですね」と応えてから、説明を再開する。
「現状、最も大きな問題は、この裏千代田区から裏文京区にかけてのエリアが、既に他の区から分離しかかっているということです。まだ完全に断絶されたわけではありませんが、人の通行はまず無理、連絡もアナログな目視か魔法を用いた強引な手法以外は通じません」
「分離しかかっている、というのは? 繋がり自体は残っているのかい?」
「ええ。より正確に言うなら、他の区との間に薄い異空間の隙間ができている、というべきでしょうか。目視では続いているように見えるんです。しかし、一歩踏み出すとその隙間に飲まれ、違う異空間に出てしまう」
「ずらされた、というわけか……裏東京自体と同じように、それぞれの区もいざとなればパージできるようになってるんだ。その留め金を少し緩める細工をしておいたのだろうね」
これは予想外だったな、と氷雨は悔しげに顔を歪める。裏東京を表東京と分断する、というのは読めていたが、その前段階としてもっと小さな単位でそれを実演してくるとは思わなかった。
(そして、これは悔しいことにとても有効だ。どおりで裏東京を敵に回しても勝てると豪語するわけだ)
氷雨がこの意味を理解したのを悟ったらしく、イヴはええと頷いてから言う。
「これはつまり、裏千代田区と裏文京区にいる人員だけでこの件を片付けなければならない、ということです。アヴァロンや新明星の生徒でも、今現在この範囲内にいる人員は動かせますが、追加はできません」
「三つ葵の生徒だって、全員が全員近所に住んでるわけじゃないしね……人手が足りないな。今の人員配分は?」
「警察消防の皆さんは総出で避難指示と区の外周の交通整備、事情を知らずに踏み越えてしまうと異空間へ真っ逆さまですから。学生の方は、帝さんを中心に霊脈の防衛戦、それから白日さんをリーダーにして散発的に召喚される破滅因子への対応をしています」
「防戦一方ってわけかい。霊脈は、具体的にはどこを守っているんだい?」
「裏皇居です。それ以外の霊脈は捨てました」
「英断だね。ただですら人手が足りないんだ、その取捨選択は正解だ」
裏皇居。裏東京の慣例としてそう呼ばれているものの実際のところそこに皇居は無く、代わりにその広大な敷地には自然公園区画があり、更に運動場や訓練場が並んでいる。しかしその地下は裏東京でも最大の霊脈集合地点であり、裏東京駅からの近さもあって表と裏を繋ぐ最重要地点となっているのだ。
そこを落とされれば、問答無用で裏東京は表との繋がりを失う。そこにはイヴが早々に他の霊脈を見限ってまで防衛に集中するだけの価値があるのだ。
氷雨は改めて机に投影された裏東京のジオラマに目をやる。その中の裏皇居は内側から外側まで六層に線引きされ、外側二層は既に赤く染められている。
「向こうの狙いも当然裏皇居に集中している……破滅因子は操られているような状況なのかい?」
「いえ、そこまで明確には。しかし、明確に裏皇居の最奥部へと向かっています。おそらく、以前の大英雄の遺体護送の際使われた、マーキング弾のような仕掛けがあるのかと」
その解除も模索していますが、とイヴは付け加える。
「そうか、あれはその試験運用でもあったわけか……三つ葵の方は? 今どうなっているんだい」
「敷地全体を覆うように極厚の魔力障壁が展開されていて、更にその周辺には破滅因子が多数召喚されています。今は更にその外側にこちらから魔力障壁を展開して、破滅因子の流出を抑えていますが、逆に言えば一切攻められていないということです」
「単純だが厄介な手を……」
魔力消費を度外視して維持しているであろう極厚の魔力障壁は、容易く破れるようなものではないし、どうにか破ろうとしても周辺の破滅因子が襲い掛かってくる。あちらとしては万全の備えと言えるだろう。
だが。
今までこわばっていた氷雨の表情が、わずかに緩む。苦境は変わらず、しかし彼女には突破口がうっすらと見えたのだ。
(だが、堅いだけ、厚いだけの壁なら、こちらにだってやりようはある)
氷雨はちらりと部屋の隅に視線を送る。目当ての二人はこの状況に場違いなほどやかましく何かを言い合っている。それでいい、元気が有り余っているというのならば、こちらとしても無茶な作戦を立てられる。
「活躍してもらうよ、二人とも」




