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裏東京の異名持ち共  作者: 愛川莞爾
33/36

プライド


 開いた口が塞がらない、という言葉の意味を、礼治は身をもって理解した。


 目の前に立っている少年は、間違いなくあの大英雄だ。子供向けの伝記で、彼を題材にした映像作品で、そして彼本人を映した映像や書物で、何度となく見て、憧れた姿がそこにある。


 御年八十歳、しかし大英雄は年齢も性別も超越して、ほぼ不老不死の存在と言われている。変装はお手の物、加えて言えば気まぐれで神出鬼没、どこに現れても不思議ではない、というのは礼治もよく知っているし、いつか出会えないだろうかと常々思っていたが――


(そりゃ、そう思ってたけど! 思ってたけど!)


 驚きの声も出ない。ただあんぐりと口を開けて、声にならない何かを喉の奥で出したり引っ込めたりするばかりであった。


「かはは、驚いたか? いいねえ、仕込んだ甲斐があった。欲を言えばあと何回か姿見せて、丁寧に伏線張っておきたかったけど、まあそんな場合でもなさそうだしな」


 大英雄は心底愉快そうに笑いつつ、礼治の肩を気楽にポンポン叩く。


「貴方って人は……御爺様、今回は一体何しに来たんだい? わざわざ『謎の店員』なんて変な役回りで引っ掻き回して」

「なんだよ、つれねえなあ。久しぶりに孫娘の顔見に来たってのに、そんな冷たい対応だとジジイしょんぼり」


 そう言いつつ、今度は氷雨の頭をわしわしと撫でる大英雄。氷雨の方は心底呆れたような表情をしつつ、それを振り払おうとはしない。


「え、え、孫、娘……?」

「んー? なんだ、言ってねえのか氷雨。ちゃんと自慢しろよ」

「隠してたわけじゃないんだけどね……うん、まあ、そういうこと。その、君が大英雄に憧れてるっていうから、言い出しづらくてね」


 気まずそうに目を逸らしつつ、氷雨は言う。その横では大英雄が「ジジイでーす!」と上機嫌にピースをする。


 礼治はそんな光景に眩暈すら覚えるものの、しかしなんとか受け入れる。そんな馬鹿な、と言いたいところであったが、それ以上に「大英雄ならそれもありえるか」という思いの方が強かったのだ。


(ぶっ飛んだ逸話には事欠かない人だし、その中でも女性関係は特にいかれてるからなあ……公式に分かってるだけで三桁以上の嫁やら愛人やらと子供作ってるし、その孫が魔法学校にいても不思議じゃない、か)


 それでもこんなに身近なところにいるとは思わなかったけれど。


 礼治の呼吸がようやく落ち着いたのを見計らい、氷雨が口を開く。


「で、だ。御爺様、貴方はどこまで知ってるんだい? ――いや、こう聞くべきか。どこから知ってたんだい?」

「かはは、相変わらず可愛げの無い孫だ。その質問には、こう答えるしかねえだろうな――最初から、だ」


 あっさりと返された答えに、氷雨は深く溜息を吐く。その溜息には、諦観と、僅かばかりの怒りが込められていた。


「? どういうこと?」

「つまり、御爺様は今回のことを最初から――それこそ十年前の森の巨人のことから知ってたのに、まるで止めようとしなかったってことだよ。おかげで今頃裏東京は大混乱だろうに」


 言われて礼治は今更ながら気付く。たしかに、一連の事件の犯人であるアナを除けば、事の真相を知っていたのは大英雄だけ。逆に言えば、彼がなんらかのアクションを起こしてさえいれば、今この事態は防げていたかもしれないのだ。


(だったら、なおさらどういうことだ……? この裏東京を作ったのは、他ならぬ大英雄だ。裏東京と表東京が切り離される、なんてことはこの人も望んでいないはず)


 そんな礼治の疑念を読んだのか、大英雄は頭を軽く掻いて苦笑する。


「お前らなあ……勘違いしてんじゃねえよ。裏東京がどんなに大ピンチだろうと、俺が手ぇ出すわけねえだろうが」

「で、でも、この街は大英雄が作ったものでしょう? 守りたいとか、思わないんですか?」

「そこだ、少年。俺はたしかにこの街を作った。けどそれは土地だとか空間だとか、そういう物理的なことだけじゃねえ。


 魔法の実力で判断される実力主義。

 自治は基本的に学生主体で行う学生自治。

 日本の学校のみではなく、世界各国から魔法学校を集めて建設させ、そして生まれた三国同盟。


 こういうシステムまで含めて、俺が作った『裏東京』だ。中でも、トラブルは学生がなんとかするってのは一番の基本で、一番重要なルールだ。そういうことができる連中を育てるために、俺はこの街を作ったんだからな。


 だから、俺は手を出さねえよ。このトラブルが切り抜けられねえっていうなら、そりゃ裏東京っていう街自体が失敗作だったってことだろう。そんときは残念だが仕方ねえ、全てが終わった後に片付けをして、また違う学園都市を作ることにするさ」


 分かり切ったことをもう一度確認するような口調で、大英雄はそう言った。


 自分は決して手を出さない。お前たち自身の手でなんとかしろ、と。


 そんな大英雄の態度を見て、礼治はようやく理解する。


(ああ、そっか。大英雄にとって、それはルールなんだ)


 たとえるのなら、将棋やチェスのようなボードゲームだ。自分が追い詰められたとして、盤をひっくり返すことは容易いけれど、それをやったら何の意味も無くなってしまう。動かしていいのは駒だけ。それでどうにもならないのなら、素直に負けを受け入れるだけ。大英雄にとって、裏東京とはそういう類のものなのだろう、と。


「御爺様の言ってることは分かるけど、時と場合を考えてほしいものだね! 裏東京にいる何十万人っていう人の命が掛かってるんだよ!?」

「かはは、たかが何十万人だろ? 俺のプライドに比べりゃあ安い安い。可愛い孫娘の頼みでも俺は手を貸さねえ。当てにするのはお門違いってもんさ」


 悪びれも無く言い放つ大英雄に、氷雨は心底うんざりしたような表情を返し、礼治は「本物の大英雄発言だあ……!」と悶絶する。琴線に触れたらしい。


「阿部君、君割と駄目なタイプのファンだな……ああもう、御爺様がそういうだろうってのは分かっていたけどね。でも、手を貸さないっていう割には、『謎の店員』としてヒントをくれてたのは?」

「その辺はあれだ、流石にちょっとフェアじゃねえと思ってな。アナは裏東京じゃ存在を抹消されてる。『夜な夜な徘徊する森の巨人』の一件もな。それを消したのは生徒じゃなくて教員の方だし、その情報が無いとアナが何をしようとしてるかも見えてこねえ。だからそこはヒントぐらいは出してやろうと思ってな」

「わざわざ新参者の阿部君にだけそれを出したわけは?」

「お前じゃ変装してても俺だってバレるだろ? 三国連合のトップ連中だとか、他の異名持ち(ネームドクラス)だとヒントっていうか答えになっちまう可能性があって、それもそれで憚られる。その点この少年は実にいい感じの距離感だったってわけさ」

「いい感じの距離感……あれ、でも異名持ち(ネームドクラス)の直もいましたよね?」

「ああ、あれは……深く考える奴にも見えなかったし」


 たしかに。礼治と氷雨は声を合わせて頷く。

 直も決して馬鹿ではないのだが、自分にさして関係無いことならあまり気にしない、というタイプなのである。


「じゃあ、どうして今ここに? まさか、この種明かしをしたかった、ってわけでもないんだろう?」

「流石にそこまで暇じゃねえよ。いやなに、直接手を貸すつもりはねえが、ちょっとヒントも不親切だったかもなーって思ってさ。最後のサービスをくれてやろうってわけだ」


 大英雄はそう言って、礼治に向き直る。

 なんだろう、と思う間も無い。礼治の僅かに開いた口に、極薄の魔力障壁が二枚入り込んで、無理矢理に顎の可動域限界まで押し広げる。


「んがあ!? あぇ!?」

「かはは、騒ぐな騒ぐな。大丈夫大丈夫、喉元過ぎればなんとやらーってな」


 礼治は苦悶の声を上げるが、大英雄は鼻歌交じりである。ご機嫌な大英雄はポケットから親指ほどの真っ赤な宝石のような物を取り出すと、それを指先で弾いて礼治の口の中に放り込む。


「んがぁああ!?」

「ちょ、御爺様!? 本当に大丈夫なんだろうね!?」

「いーから見てろって。はーい少年、ちょっときついがごっくんこなー」

「んっぐ……」


 礼治は無理矢理に宝石のような物を飲まされる。凄まじい異物感が食道を押し広げ、軽い吐き気さえ誘発するがそれもすぐに消える。どころか、異物感自体が胃に届く前に食道の中で嘘のように消えてしまったのだ。


(と、溶けた……?)


 感覚的にはそれに近い。しかし、例えば大き目な氷をそのまま飲み込んだとしても、そんな急速に溶けてなくなることはありえないだろう。一体自分は何を飲まされたのか、そう問いかけようとした矢先だった。


 どくん!

 心臓が蹴り上げられたように激しく鼓動する。続いて礼治を襲うのは熱だ。身体の内側から、全身の細胞が燃え上がるような熱が駆け巡り、礼治は呻きながらその場に蹲る。


(なん、だ、これ……!?)


 全身の汗腺から汗がにじみ出るのを感じながら、礼治は必死で呼吸を整えようとする。ともすれば意識が飛ぶような熱量が身の内で暴れているにもかかわらず、それは不思議と不快な感覚ではなかった。


(この感じ……まるで、魔法を使う時と、真逆……)


 そのことに気付くと、この熱の正体が何なのかも思い至る。

 魔力だ。通常は休息によってゆっくりと回復するはずの魔力が、今礼治の身体の中でありえないほど高速で回復――否、精製されているのだ。


「おう、落ち着いてきたか? これから最終決戦だってのにガス欠じゃあしょうがないからな、大英雄からの特別サービスだ。ほら、ゲームでボス戦前に都合良く回復ポイントがあるだろ? あれだよあれ」

「ぅ、ぐぁ……すげ、こんなこと、できるんだ……」

「いやいやいやいや! 普通ありえないからね!? 御爺様は平然とやってるけど、一歩間違えば内側からはじけ飛ぶ奴だからね!?」


 俺がそんなヘマするわけねーだろ、と大英雄は鼻で笑うが、礼治ですらこの行為が滅茶苦茶なものであることは理解できる。

 それこそゲームではないのだ、都合の良い『回復薬』などあるはずもない。こんなことをできるのは大英雄だからこそ、だろう。


 ようやく息が整ってきた礼治を横目に、大英雄は軽く頭を掻きながらぼやく。


「っつうか、少年がまさかあんなに綺麗にアナの口車に乗るとは思ってなかったんだよ……もうちょい人を疑うことを覚えろよ、少年。うまいこと利用されやがって」

「それに関しては同意だね……いやまあ、事前に情報共有してなかったボクの落ち度もあるけど」

「お前はそれ以前に、戦闘系でもねえのに不用心に二人きりになるんじゃねえ。見えてる罠に掛かりに行く馬鹿がいるか」


 こつんこつん、と二人にそれぞれ軽い拳骨を落とし、大英雄は苦笑する。その表情はそれまで見せていた悪戯っぽいものではなく、実年齢相応の穏やかで優しいものだった。


 そんなやりとりを終えた頃には、礼治の身体は完全に復活――むしろ絶好調と言えるほどにまでなっていた。


「お、おぉ……? なんか、なんか元気!」

「語彙力ねえなあ少年。ま、そりゃあ魔力が漲ってんだから元気だろうよ。んじゃもうちんたら歩かなくても大丈夫だよな?」

「はい! 今なら幾らでも走れます!」

「そいつは重畳。んじゃこの不思議空間の出口まで急ぐぞ。無理矢理出ることもできなかねえが、これ以上俺が無茶やるとこの空間に綻びが出そうだしな」


 入る時も無茶しちまったし、と大英雄は呟く。その横で、はっと驚いて声を上げるのは氷雨だ。


「え、ちょ、ボクは!? まさか置いていくつもり!?」

「んなことしねえよ。ほら、来い来い」


 大英雄はしゃがみ込み、氷雨に背を向け手招きをする。完全におんぶする気満々である。

 氷雨は数秒間絶句したのちに、少なくとも礼治は初めて見るほど感情的になって叫ぶ。


「や、やだー! この歳にもなって! クラスメイトの見てる前で! やたら若作りの御爺様におんぶされるのとかやだー!」

「散々裸ワイシャツ晒しといて今更恥じらってんじゃねえよ!」

「やだー! ボクも回復させてよ! 自分で走るから!」

「そう何個もあるか馬鹿! あれ一個で家が建つんだからな! つうかお前の場合監禁されて身体の方も弱ってるだろうが!」

「それもどうにかしてよ御爺様! 大英雄でしょ!? 世界最高の魔法使いでしょ!? そんな場合じゃないって分かってるけどおんぶはやだー!」


 そんな場合ではなかった。

 大英雄に無理矢理背に乗せられると、氷雨も観念したのかようやく大人しくなる。


「悪いな少年、白衣を普段着にしてるような痛い孫だが、これでも年頃の娘でな」

「うるさいよ御爺様!」

「ていうか貧相だなお前。乳も尻も虚無。お前のばあちゃんも貧相だったから、遺伝かなあ。まあこれはこれで」

「最低! 最低! 最ッ低!」


 氷雨は顔を真っ赤にして大英雄の頭を叩くが、大英雄はかははと愉快そうに笑うばかり。見た目は同年代の友達かカップルか、という様子だが、そのやりとりは完全に無神経な祖父と多感な孫とのものである。


(大英雄がお爺ちゃんしてるところを生で見ることになるなんてなあ……)


 予想外のことが連続しすぎて、いい加減感覚が麻痺しつつある礼治であった。







 どこまでも続くように思えるフローリングの床を、二人の少年が走っていく。


 先を行くのは礼治だ。憧れの大英雄から身体強化の共有を受けた彼は、この状況で場違いなほど身も心も軽やかに床を蹴る。

 その少し後に続くのは、背に氷雨を背負った大英雄だ。こちらは終始変わらずご機嫌な様子で、時折背の孫と言葉を交わしながら走り続ける。


「――氷雨。お前、アナが黒幕だって推測できてたくせに一人で会いに行ったのは、本当はどうしてなんだ」

「それは……」


 問いかけは重いものではなかった。ただなんとなく聞いてみた、そんな程度の質問に、しかし氷雨は口ごもる。


「かはは、やっぱりか。確信が無かったから、だろ? 物的証拠は残ってなかったし、それを探す時間的余裕も無かった。だから直接確かめに行った」

「……我ながら、馬鹿なことだってのは分かってるよ。せめて分かってるだけの情報を他の異名持ち(ネームドクラス)達と共有すべきだった、ってことも重々承知さ。

 ――それでも、ボクは探偵じゃなくて研究者だ。なんの根拠も無く他人を告発したりできない」

「せめてるわけじゃないさ。むしろ、それでこそ俺の孫だ。それがお前のプライドなんだろうさ」


 かははと愉快そうに笑う大英雄の肩に、氷雨は拗ねた顔をして顎を乗せる。


「裏東京の何十万人の命が掛かってる、って分かってはいたんだけどね……それでも、証拠も無いまま先生を犯人扱いしたくはなかった。可能ならあの時点で止めたかった、ってのも本当だよ」

「止められない、ってのも本当は分かってたんだろ? だからこそ、この空間を繋げられるように準備もしてた」

「……まあね」


 氷雨は自嘲気味に笑う。先程は大英雄を責めたが、自分だってまるで変わらないのだ。


(血は争えない、って奴なのかな……)


 裏東京の魔法研究者など九割九分どこかしら狂ってて、残りの一分は完全にイカレてるというのが常識。今回の自分の行動は、完全に後者のそれだろう、と氷雨は自覚していた。


「でも」

「ん?」

「今回の件、原因の原因は御爺様だからね。そもそも御爺様が遊びで変なゴーレム作ってその辺に捨てたせいで、先生の人生狂ったんだから。あれがなければ、普通の魔法使いとして大成してただろうに……」

「げ。いやまあ、それはな、多少責任感じないでもないけど」


 氷雨に鋭い視線を向けられ、大英雄はたまらず目を逸らす。


「ちゃんと責任感じてよ。それと」

「まだなにかあんのか」

「御爺様、これ本体じゃないでしょ」

「――――――」


 にやん、と大英雄の口元が歪む。


「この体、ホムンクルスかなにかかと思ったけど、ゴーレムだよね。おぶられて分かったけど、魔力の流れが人間のそれじゃない」

「よく気付いたな。そ、最低限の機能を付けたゴーレムだ。つっても中身は複製した俺の精神だし、リアルタイム同期してるから『本物の大英雄』で間違いないぜ? 本体ほど派手な魔法は使えないってだけだ」


 自慢げでもなく、あっさりと大英雄は言ってのける。氷雨が身を預けている背中も肩も、体温も鼓動も、全て真っ当な人間となにも変わらないように思えるが、その実全て作り物なのだ。


(これがおそらく、十年前の御爺様が目指したものの完成形……クローンよりも手軽で、面倒な倫理規定にも抵触しないスペアボディ。そんな身体で現れるなんて、御爺様もつくづく人が悪いというか……)


 っていうかこれ多分原材料は倫理規定に抵触するか、と氷雨は大英雄の頬をつつきながら思う。土で作れば土のゴーレムができる。そういう当然の話である。


「精神の複製とか、常人がやったら精神崩壊するとおもうんだけど……さっき阿部君に飲ませたのも、核にしてる魔石の一部だろう? 大丈夫なのかい?」

「大分寿命は縮んだが、この体が駄目になったら新しいの作ればいいだけだしな」

「御爺様も、完全にイカレてるよね……」


 血は争えない、という奴なのだろう。

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