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裏東京の異名持ち共  作者: 愛川莞爾
32/36

本物


「――裏東京を、表の東京と切り離す? そんなこと、できるの?」


 一通り話を聞き終えた礼治は、まずそのこと自体を氷雨に問う。


「できるとも。そもそもこの裏東京の基本機能として、いざという時は表に被害を出さないように切り離せるようになっている。その機能を悪用するのは、今の彼女ならばそう難しいことじゃないさ。

 具体的には、霊脈の重要地点を破壊してやればいい」

「霊脈って……たしか、氷雨と初めて会ったときに言ってたやつだよね? 裏東京と表東京を繋ぐ魔法のロープ、だっけ」

「よく覚えてるね。そうだ、霊脈狙う存在がいる、というだけで裏東京の警戒レベルは跳ね上がるし、首尾よく破壊できれば裏東京は異空間で永遠の迷子になる。どちらであろうとアナ・オールドリッチの目的は果たせる。その後のことを彼女がどう考えてるかは知らないけどね」


 無茶苦茶だよ、と氷雨は吐き捨てるように言う。素人の礼治ですらそれは分かる。


 表との繋がりが断たれたら、その先どれだけ生き延びられるというのか。食料もインフラも、裏東京内だけで完結しているわけではないのだ。裏東京の膨大な人口を考えれば、そう遠くない未来に干上がってしまうだろう。


(いや、違うか)


 多分、見ているものが違う。先程の豹変、そして氷雨に聞かされた話を思い出せば、アナ・オールドリッチは自分たちと考え方が根本的に違うのだ、と礼治は悟る。


 彼女の中にあるのは、『彼』とやらだけだ。


 二人さえよければそれでいい。他人のことなどそもそも計算に入れていない。邪魔になれば排除するだけ、そんな思想なのだろう。


「早く戻って、皆に伝えないと……! 先生は今破滅因子(ワールドエンド)を自由に召喚できる状態なんだろう?」

「しかも今日は丁度討伐試験当日、召喚準備はどこでも万全な状態だ。でも、多分状況はもう動き出してるよ。さっき君を使って発動させた魔法で、なにかが起きてるってのは地上にまでバレたはずだからね」


 隠し通せるような魔力じゃなかった、と氷雨は言う。彼女自身、その大魔法の余波でこうして逃げ出せたのだ。如何にあの場所が地下深くであろうと、あの魔力は少なくとも周囲十数キロという単位で感知されているだろう。


「なんかやってるってバレたから、先生としてもスピード勝負ってこと?」

「そうだね。うまいこと三つ葵の教員達はほとんど無力化できたけど、生徒達や警察が調べに来るのは時間の問題だ。それより先に裏東京を切り離せれば彼女の勝ち、それを阻止できればボクらの勝ちってところかな」

「だったらなおさら早くしないと……」


 気持ちは焦る。しかし、おぼろげな廊下は未だに果てが見えず、礼治と氷雨も既に疲労困憊という状況だ。やみくもに走るのは得策ではない、というよりそんな余力すら二人には残っていなかった。


 そんな時、だった。

 ぽん、と。不意に、二人の肩に同時に手が置かれる。


「「へ?」」


 二人の素っ頓狂な声が重なる。当然だ、今の今まで前にも後ろにも、人の気配などまるで無かったのだから。

 しかし、二人の顔の間に割り込み、二人の肩を強引に抱き寄せるようにして、その人物は現れた。


「――なんだよ、大ピンチじゃねえか、お前ら」


 若い女の声だ。礼治には覚えがある。反射的に顔を向ければ、金のショートカットに青い目の快活そうな女が至近距離で楽しげに笑みを浮かべている。彼女は何度も礼治の前に現れ、そして未だにその正体が不明の存在――謎の店員であった。


 二人が同時に悲鳴を上げるのを愉快そうに笑い飛ばし、謎の店員は二人を解放する。そして一歩前に出て、くるりと踊るように振り向いて言った。


「久々登場、謎の綺麗なお姉さんだぜ。待ってた? 流石にもう出ないと思ってた? 甘いぜ少年、油断したな!」

「な、な……!? え、ここってそんな簡単に入れるもんなの!?」


 魔法をコピーできる氷雨だから、例外的に疑似的な異空間トンネルとして使える、という話ではなかったのか。


 礼治はわけもわからず混乱するが、しかし氷雨の方は対照的に冷静だった。唐突な登場にこそ驚いていたものの、今はむしろ呆れを含んだ目で謎の店員を見遣る。


「おっとぉ? なんだ、ノリが悪いなお嬢ちゃん。お前としても、俺の存在は気になってたんじゃねえの?」

「ああ、少し前まではね。でも、二度目に礼治君達に言った言葉で、あなたが誰だかは大体予想がついているんだ」

「いいねえ、探偵役が様になってるじゃねえの。言ってみな」

「謎の綺麗なお姉さんって言ってるけど――本当は、お爺さん(・・・・)だろう、あなたは」


 氷雨の言葉に、謎の店員は一瞬目を丸くして、それから思いきり天を仰いで哄笑してみせた。

 響き渡る高笑いにどん引きしつつ、礼治は小声で氷雨に問う。


「え、なに、どういうこと?」

「ボクの口から言うのは無粋だよ。そうだろう? 御爺様」

「くはは、そうとも! 変装は、最後に正体を明かす瞬間こそが醍醐味! もうちょっと勿体ぶってやりたいところだが生憎と時間が無え、お待ちかねの自己紹介と行こうか!


 ある時はスーツケースの中身、またある時は謎の綺麗なお姉さん、果たしてその正体は――!?」


 大袈裟に煽りながら、謎の店員は己のエプロンに手をかける。そしてそれをばっと高らかに投げ捨て――そこには、全くの別人が立っていた。


 まず女ですらない。と言っても、氷雨の言う御爺様、というような老人でもない。礼治達とさほど変わらない外見年齢の、少年である。

 頭は漆黒のオールバック、顔の造形で目を惹くのは日本刀の切っ先の如き双眸だろう。口元には不敵な笑みが浮かび、見た者全てに只者(ただもの)ではないという印象を抱かせるようなオーラを全身から放つ少年であった。


「――――――」


 礼治は絶句する。その正体に見覚えがあったからだ。


 否。

 今この世界で、この少年の顔に見覚えが無い者など、いるはずもない。

 どこの国の大統領や首相よりも、間違いなくその顔は有名であろう。何故なら。



「――天野晴人。ハルト、あるいは単に大英雄(・・・)、って言った方が分かりやすいか? クローンでも死体でもない、本物だぜ」



 この世に知らぬ者のいない大英雄は、そう言って心底愉快そうに笑うのであった。





     ■




 一方、地上。

 多少時は前後して、氷雨が礼治を連れて『なにが出るかな(パーティーハウス)』に逃げ込んだ直後。地上にいた新明星の警備隊と帝達も当然地下からの強力な魔力は感知していて、警備隊の中から数人を斥候として地下に向かわせよう――そんな手筈が早くも整いかけた、そんなタイミングだった。


 二波目の巨大な魔力が、今度は避けがたい質量をもって地上の者達を薙ぎ払ったのだ。


 その正体は、討伐訓練や決闘の際に使われる魔力障壁。それも通常では考えられないほどの分厚さの強固な障壁が、三つ葵の中央から押し広げられるように、警告も無く超高速で展開されたのだ。


 ――人間や使い魔を弾く魔力障壁が、唐突に展開されたら、周囲の人間は一体どうなるか。


 考えるまでもない。迫りくる壁にぶつかった者は、例外無くその範囲外まで吹き飛ばされる。走行中の大型トラックに轢かれるようなものだ。完全な不意打ちであったことも相まって、一瞬にして新明星の警備隊のほとんどは重傷を負って宙を舞うことになった。


 幸運にも生き残ったのは、帝と白日(バイリー)、それから黒門を警備していた数人だけ。彼らは三つ葵の敷地の外縁にいたことが幸いして、難を逃れることができたのだ。


「魔力障壁だト……!? 総員、無事な者は返事をしロ!」


 反射的に三つ葵の向かいのビル屋上に逃げ延びた白日は、仮想画面に向かって声を上げる。瞬時に彼の周囲に表示される仮想画面は三つのみ、しかもその画面に映る姿も無傷ではなかった。


 白日が指示を飛ばすその横、同様に魔力障壁の殴打を避けた帝は、いつもの笑みを消してドーム型の分厚い障壁に囲まれた三つ葵を睨む。


(結界じゃなくて、障壁なのが厄介だな……拒絶要件を誤魔化して侵入することができない。これをやらかした奴が何者かは分からないけど、一見強引に見えてよく考えてる。

 とても個人で発動できる規模の魔力障壁じゃないし、間違いなく学校側のシステムを乗っ取ってるな。となれば発生装置は障壁の内側、装置を壊して障壁を無効化するってのも使えない。となれば、力業でぶち抜くしかないわけだけど……)


 本来ほぼ透明であるはずの魔力障壁が、今は擦りガラスのように内部をぼやかしている。普段目にするそれとは厚さがまるで違うということだ。


「――白日、君の拳でこの障壁、ぶち抜けるかい?」

「無茶言うナ。こんなもんぶち抜けるとしたラ、裏東京でも一人しかいないだろウ」


 部下に指示を飛ばす合間に、白日は即答する。


「だよね……彼女との合流も含めて、まず態勢を立て直す。何が起こってるかは不明だけど、敵対的であることははっきりした。白日、そっちの負傷者の回収が終わったら、ここは一旦退くよ」

「分かっタ。今のうちにイヴや警察やらにも連絡を頼ム」

「もうやってるよ。うちの副会長の千景君に情報を集約させる。今後何かあったら彼女を経由してくれ、そうすれば関係各位全体に行き渡るようにするから」


 そう言い放つ帝の顔横には、ロングヘア―の女子生徒を映した仮想画面が立ち上がっている。そして彼が言い終わるなり、同じ映像を映した仮想画面が白日の顔横にも表示され、画面内の千景が一礼をする。


「相変わらず可愛げが無いほど優秀だナ、お前のところの生徒会ハ……だガ、そう素直にはいかないようだゾ?」

「? なにを――って、おいおい……」


 帝が振り向いた先、白日が顎で指すのは、魔力障壁のドームの上空――正確に言えば、そこに現れた無数の黒い歪みだった。

 虚空に浮かぶ歪みを押し広げ、そこから這い出てくるのは影をこねて作り上げられたような漆黒の化け物――破滅因子(ワールドエンド)だ。両手の指でも到底足りない数が、大小様々次々と生まれ落ちていくではないか。


「大した大盤振る舞いだな……! どう考えても手が足りないぞ、これ!」

「泣き言言ってる場合カ。皆聞ケ! あの破滅因子(ワールドエンド)はオレと帝で食い止めル! その隙に負傷者の回収を済まセ、終わり次第近隣住民の避難誘導に専念しロ!」


 白日の命令に、仮想画面からよく訓練された暑苦しい応答が響く。


「無茶言うねえ! まぁそれしかないんだけどさ! 千景君、片っ端から連絡入れて応援要請頼む! 多分これ無限湧きって奴だから、避難完了後に周辺の封じ込め要員も必要になるよ!」

『了解しました会長。結界魔法、あるいは魔力障壁に特に優れた者達をチームとして編成します。ご武運を』


 対して、こちらに返ってくるのは温度の無い事務的な返答だった。それでいい、と帝は頷く。


 お互い部下からの返事に満足すると、勝気な笑みで顔を見合わせる。この緊急事態には不釣り合いな表情だが、その余裕こそが二人のリーダーの器である。


「僕は西から行く」

「ならこちらは東ダ。ちゃんと数数えておけヨ?」

「当然。負けた方がこの騒動の慰労会を奢る、でどう?」

「乗っタ!」


 二人は互いの拳をぶつけ、それを合図にそれぞれの方向へと飛び出していく。


 ――地上の者はまだ何一つ事情も知らぬまま、裏東京の緊急事態は幕を開けたのであった。

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