試験前のあれこれ
月曜日。遂に期末試験を来週に控える時期になり、三つ葵は普段よりも様々な面で慌ただしくなっていた。
そんな空気が僅かに緩む昼休み、礼治達はいつも通り屋上で昼食をとる。本日も勇の取り出したパラソルの下、四人が他愛のない話をしていると、不意に大音量の放送が流れてきた。
『――こんにちは、生徒の皆さん。僕だよ、生徒会長の白鷺帝だよ! 一年生もそろそろ覚えてくれたかな? 今日は生徒会から耳寄りなお話を届けに来たよ!』
屋外用スピーカーから流れてくるのは、いつも通りに明るく爽やかな帝の声だ。四人はスピーカーの近くに陣取っているため、その大音量に思わず揃って眉根を寄せる。
「スピーカーぶっ壊していいかしら」
「待ちたまえよ全く……ほら、これで幾らかマシだろう」
呆れ気味に宥めつつ、氷雨が四人を囲うように魔力障壁を出してみせる。完全に覆うわけではないが、それだけでも随分音量は緩和された。
(こうして見ると氷雨の魔力障壁は結構薄いんだな……魔力障壁を如何に薄く堅く作れるかが魔法使いの地力のバロメーター、とか聞いたことあったけど、やっぱり戦闘系じゃないとしても異名持ちは伊達じゃないか)
礼治は口には出さずにひそかに感心する。彼がそんなことを思うのは、最近共に訓練する中で直の魔力障壁をよく見ているからだ。直の作る魔力障壁は堅さはあるものの、基本的に分厚い。素人の礼治から見ても「魔力量にものを言わせた力任せ」な魔力障壁なのだろう、と分かるような代物であった。
実力が出る、というか。あるいは性格が出る、というか。
「? なによ、あたしの顔になんかついてる?」
「いや、まさか、ははは。ほら、会長はなに言うんだろうね?」
訝しげな表情を浮かべる直に対し、礼治はそういって何とか誤魔化す。
『皆さんニュースなんかで知ってると思うけど、今我が校の地下には大英雄の遺体(仮)が安置されている。言うまでもなくこれはとてもとても貴重な物だ。たとえ偽物であったとしても、欲しがる輩はいくらでもいるってくらいにね。
で、だ。今のところ三つ葵を中心に、三国連合で分担して夜間の警備をしているのだけれど、正直なところ人手が足りない。そこで、今夜から期末試験二日目の朝までの警備の仕事を公募したいと思っているんだ。仕事内容は基本的に特定のポイントの警備、当然ながら不審者が侵入した場合はその撃退もお願いすることになる。腕に自信のある者は是非今日の午後生徒会室に来てくれ、詳しいことはそちらで説明させてもらうよ。
ああ、報酬に関しては期待してくれて構わない。交渉にも応じよう。それでは、生徒会室で待っているよ』
その言葉を最後に放送は終わった。氷雨も四方を囲んでいた魔力障壁を消す。
「この時期に仕事かー。ま、時給は良いんだろうけどなー。流石にんな余裕ねーって感じ。異名持ちのお二人はどうすんのよ?」
「あたしの方こそ余裕無いわよ。そもそも警備だの防衛だのってのは本来性に合わないし」
「ボクも今回はパスかな。今ちょっと色々と忙しくてね。生徒会長には悪いけれど」
そんな氷雨の反応に、勇は意外そうに声を漏らす。
「へえ? 氷雨がこういう時に不参加ってめっずらー。試験の方はいつも通り余裕なんだろ?」
「まあね。ボクが今してるのはちょっとした探偵ごっこさ。そうだ、それについてちょっと協力してもらいたいことがあるから、後で時間くれないか?」
「げ。オ、オレどっかに侵入するとかはやだからな! 大英雄の遺体盗むとか言い出すなよ!?」
勇は露骨に顔を歪めて念を押す。出会いの際に犯罪の片棒を担がされそうになったことが、よほど記憶に残っているらしい。
そんなことしないとも、と氷雨は笑うが、勇の方は疑わしげな表情だ。礼治が聞いていないだけで、似たようなことは何度かあったのかもしれない。
「にしても、探偵ごっこって? もしかして、例の『予言者』のこと? それとも『夜な夜な徘徊する森の巨人』の方?」
礼治が問うと、氷雨は悪戯っぽく微笑んで答える。
「そのどちらもさ。うまくいけば色々な不可解が一気に解ける。ま、精々期待していてくれたまえよ」
■
三つ葵は色々と苦労しているようですねえ、と金髪の少女は呟いた。
緩いウェーブの掛かった金髪に、白いドレスのような華美な制服。そしてそれらに見劣りしないほどの人形じみた美貌――アヴァロンの屋内庭園で一人佇むのは、生徒会長のイヴであった。
以前三国連合の会議をしたその場所で、彼女は仮想画面に目をやりながら時を過ごす。いつもそばに控えるサレンの姿すらなく、珍しく完全な一人きり。それゆえか、左腰には優美なレイピアを佩いていた。
(警備の人員補充のための校内公募、ですか。ま、郊外から警備を雇ってしまえれば楽なのですけれど、あくまで学生主体の裏東京ではそれもできませんしね……三つ葵としても、帝さん個人としても面子がありますし、そう易々と我々や新明星にも頼れないでしょう)
三国連合は今のところ友好を保っているが、根本的に仲間である以前にライバルなのだ。お互いに弱みを見せることはできない。そこに付け込む強かさを持ち合わせていない生徒会長など、どこにもいないのだから。
と。
不意に屋内庭園の入り口のドアが開く。仮想画面を消しながら画面端の時刻を確認すれば、丁度待ち合わせの時刻であった。
入ってくるのはラフなジャージ姿の女性だ。年の頃は二十代後半、ブラウンの短髪にそばかすの浮いた顔、目の下には化粧でも隠しきれていないくまが刻まれている。彼女の名はリタ・グリーンウッド、アヴァロンで社会科を受け持つ教師であった。
リタはあくびの口を手で隠しながら、イヴの前までやってくる。
「来たよ、生徒会長さん。それで、改まって話ってなにかしら? あたし、あなたの出る授業は受け持ったことないと思うんだけど」
「ええ、今までご縁がありませんでしたね。まあまあ、どうかおかけになって。ちょっとお聞きしたいことがありますの」
イヴはそう言って、リタに着席を促す。庭園の中央にあるのは以前の円卓ではなく、小さなテーブルセットだ。その上には魔法瓶の水筒とお茶菓子が用意されており、リタが座るとイヴは手際よくお茶の支度を済ませる。
未だに呼ばれた意図が分からないリタは、紅茶に口を付けながらも警戒を解かない。アヴァロンの教員にとってさえ――否、だからこそ、イヴが如何に油断ならない少女であるかはよく分かっていたのだ。
強さが大きなステータスになるこの裏東京で、戦闘系でないにも関わらず三国連合トップの一員にまで上り詰めたその手腕。到底侮れるものではないだろう。
「で、聞きたいことってのは? 社会科の教科書の内容について、って雰囲気でもないね」
「そちらについてはまた後日。ですが、そうですね、ある意味社会についてのお話になるかと」
「? 持って回った言い方だね」
「すみません、私もあまり慣れていない内容でして。――たとえば、裏東京にも社会問題は数多くありますでしょう? 行き過ぎた学生主体、目に余る治安の悪さ、事実上黙認されている賭博行為――ああ、それに、児童買春も忘れてはいけませんね」
イヴが演技掛かった口調で付け足した言葉に、リタのカップを握る手が一瞬硬直する。
「……そうだね。うん、由々しき事態だ」
「特に有名なのは、裏新宿区の辺りでしょうか。歌舞伎町にある超高層連結住宅街『新九龍城』、最早一つの観光名所と化している場所ですが、その実警察も迂闊には手を出せない魔窟であるとの噂を耳にします。実際、あの辺りは新明星の縄張りですし、白日さんからも案内無しには近付くなと言われていますしね」
「それが賢明だろうね。そもそも、貴族生まれのあなたには縁遠い場所でしょう?」
「ふふ、興味はありますわよ? 単純に建築物としても、あれほど複雑怪奇に積み上げられた街並みはそうそう世界でもあそこだけでしょうし――どのような人が出入りしているのか、気になりますわ」
そう言いながら、イヴは懐から一通の封筒を取り出してリタのティーカップの横に置く。口元は相変わらず上品な笑みを浮かべていたが、目の奥には見透かすような冷たさがのぞいていた。
リタは無言でその中身を確かめる。入っていたのは数枚の写真で、写っているのは全て彼女自身。夜の歓楽街の中、高等部生になるかならないかという年齢の少年の肩を抱き、今まさにラブホテルへと入っていこうという瞬間を捉えたもの、あるいは逆に満足げな表情で出ていく際の写真などであった。
深く溜息を吐き、リタは頭を抱える。でっち上げでもなんでもなく、身に覚えはある。なんなら昨日の話だ。寝不足もそのせいであった。
「火遊びも程々がよろしいかと。今のところ、これは私の手元で止まっています。二人きりの場所をご用意したのもそのためですわ」
「ぁあ、はい、ありがとうね……マジか。あの辺じゃ、誰も客の情報なんて売らないものだと思ってたんだけどね……」
「新九龍城に住んでいる者がいまして。彼が言うには『おいたが過ぎるよ。あの値段で買った相手に求めていいプレイじゃない』ですって。無法の街なりのルールを守らなかった制裁、といったところでしょう」
変わらず穏やかな調子でイヴは言う。対するリタは小さくなるばかりだ。
「えぇー……そりゃまあ、たしかに多少は無茶言ったけどさあ……チップも付けたし、そういうもんでしょうが……
――それで、何が望みなの?」
リタの簡潔な問いに、イヴはにっこりと微笑む。わざわざ呼び出して弱みをちらつかせたのだ、要求が無いはずもない。
「話が早くて嬉しいですわ。難しいことはございません、ただ昔話を聞かせていただきたいだけ――『夜な夜な徘徊する森の巨人』、御存知ですわよね?」
「ッ……あれは名簿も消されてるはずなのに、よくもまあ調べてくるものだわ」
ええ大変でしたわ、とイヴは頷く。氷雨から改めて依頼を受け、苦労してようやく探し出せた当時のメンバーの一人がリタだった。
とはいえ、まだこの件についての箝口令は解かれていない。ましてや現職のアヴァロン教員なのだ、真正面から聞いても答えてはくれないだろう、とイヴは判断した。そしてそれならばとこのような手段に打って出たのだ。
(こんな直接的な脅しなんて、下品ですしあまり好きではないのですが……)
でも手っ取り早いですしいいですわよね、とイヴは内心で一人頷く。そもそも権謀術数で今の地位にいるイヴだ、実際さほど抵抗も無いらしい。
「あのこと喋ったってバレたら、あたしもそれなりにまずいんだけど」
「この写真が表沙汰になるよりも? 情報提供者は、具体的な『火遊び』の内容まで御存知のようでしたが」
「それ言われるとさあ……ああもう、分かったわよ。でも喋ったら本当にそのこと黙っててくれるんでしょうね?」
「それは勿論。私がどのように呼ばれているか、御存知無いわけではないでしょう?」
イヴはそう言って立ち上がる。そして彼女が手を伸ばすのは、左腰に佩いた優美なレイピアだ。
誓約者――彼女の異名はその能力を端的に示している。イヴの魔法は基本的に一対一の結界型魔法、戦闘向きではないがその効果は強力だ。
彼女が刀身を抜き放つと、イヴとリタを覆う結界が形成される。リタは観念したように立ち上がってイヴと向き合う。
「範囲内で交わされた誓約を、強制的に両者に守らせる魔法、だったわよね。しかも、破ったら罰則があるっていうタイプじゃなくて、そもそも破れないタイプの魔法。実質的に呪いの一種でしょ、これ」
「ええ。お互いの身体に誓約という呪いを刻み込む、という認識で正しいです。破ろうとした場合、刻まれた呪いがどのような方法を使ってでも順守させようとするのでお気を付けください。その方法は私自身にも分かりませんから」
「えっぐい話ね、それ……まあいいわ。今回の場合、誓約内容はどうなるのかしら?」
そう問われると、イヴは即答する。予め内容は考えていたのであろう。
「まず第一に、『リタ・グリーンウッドは「夜な夜な徘徊する森の巨人」について、イヴ・レイクに問われたことに関して正直に全て答えること。また、問われていなくても特に印象に残ったことなどについても説明すること』としましょう」
「なっがいわね。知ってること全部話す、とかじゃないんだ?」
「そういう曖昧な指定をしてしまうと、本当に『全部』話すことになってしまいますの。私、リタ先生が当時履いていた靴下の色にまでは興味ありませんので」
「ああ、全く融通利かないタイプの魔法なのね……で、こっちについては?」
「第二に『イヴ・レイクはリタ・グリーンウッドの児童買春に関する証拠を完全に破棄し、また今後その内容を他者に広めないこと』でいかがでしょうか」
「いいわ。でも、あなたにその情報を提供した人間はどうなるの? そちらには別に交渉しろ、なんて言わないわよね?」
「ああ、そちらに関しては、先生が今後『火遊び』の仕方を弁えていただければ問題無いかと。封筒の中をよくお確かめください」
封筒? と首を傾げながらリタはもう一度それを調べる。すると、奥から一枚のカードがぽろりと落ちてくる。
名刺大のそれに、表には筆記体の店名と指名料二十パーセントオフの文字が、そして裏面には『アブノーマルがお好きならぼくを呼んでね』という手書きのメッセージと、涙というサインが書き込まれていた。
しばしの沈黙。
「……マジ?」
「お店では当然偽名を通しているらしいですわ。性転換魔法も扱ってるお店らしいので、女の子としての『ドロシー』っていう名前の方が通りがいいかも、と言ってましたが」
「あーあーあー! 知ってるそれえ! ハマったら最後、人生破滅まで一直線の『ドロシー』ちゃん! 小悪魔じゃ済まないマジモンの傾城だって評判の!」
「そんなに有名なんですのね……全くもう、あの子ったら、妲己ごっこはやめなさいっていつも言ってますのに」
悩ましげに溜息を吐くイヴと、「行ったら絶対やばいけど超行ってみたい……!」と懊悩するリタ。
閑話休題。
イヴは咳払いを一つ、右手に握ったレイピアを顔の前に掲げるように構える。
「リタ先生、私と同じようにしてくださいませ」
「同じようにって、こんな風に――って、うわ」
言われるがままにした瞬間、虚空を握っていたはずのリタの手に、魔力で作られた金色のレイピアが現れる。
「――私、イヴ・レイクはここに誓う。決してこの誓いを破ることはないと」
「え、あ――あ、あたし、リタ・グリーンウッドはここに誓う。決してこの誓いを破ることはないと」
「この身と誇りと名にかけて」
「この身と誇りと名にかけて」
「「誓約する」」
声が重なる。
そして言い切った瞬間、二人を包んでいた結界も、リタの手にしていた魔力のレイピアも弾けて光になり、その光は小さな十字架を形成して両者の胸に飲み込まれて消える。
誓約は成ったのである。
イヴの促しで両者は再び座り、早速誓約の履行が始まった。
彼女がまず取り出したのは、氷雨から受け取っていた謎の店員の似顔絵だ。まずは分かりやすいものからと、この人物が調査隊の一員だったかどうかを問うたのだ。
しかし、リタの反応は鈍かった。彼女はその似顔絵をしばらく眺めていたものの、結局は首を振る。
「――違うわね。あれから十年後って考えても、こんな顔になる奴はいなかったと思うわ」
「そう、なんですか? だとしたら、なんで『夜な夜な徘徊する森の巨人』のことを知っていたのか、ますます謎ですね……」
イヴとしても、正直なところ当てが外れた状況だ。調査隊の一員ですらないとなると、いよいよもって謎の人物である。
だけど、とリタは言う。
「だけど、他の調査隊のメンバーについては、ちょっと怪しいのが一人いるのよね」
「怪しい? 確信が持てない、ということですか?」
「うん。前に仕事で一度すれ違っただけだから、ちょっと自信無いんだけどね。名前も変わってたし、髪色も染めたのかヅラなのか別になってたけど、あいつは調査隊の一員だったと思う」
「名前も、髪色も? 裏東京にいる人なんですか?」
「うん。そいつの名前は――」
■
よし、と氷雨は己に言い聞かせるように呟いた。
仮想画面でイヴから送られてきた情報を確認し、自分の立てた仮説が粗方間違いでなかったことに安堵する。謎の店員が結局謎のままなのは気になるものの、そちらについても氷雨には心当たりがあった。
ともあれ、これで現状集められる情報は粗方出揃っただろう。先程勇と話をして、打てるだけの手も打った。
ならばあとは実行するのみだ。氷雨は教室の自席を立ち、壁掛け時計で時刻を確認してから廊下へと出る。
と。
そこでばったり礼治と出会う。汚れた体操着姿の彼は、廊下にある自分のロッカーをがさごそと漁っているところであった。
「阿部君? どうしたの?」
「うぁ!? な、なんだ冷泉院さんか、びっくりした……いやさ、今直と組手してたら、体操着駄目にしちゃって」
彼はそう言って着ている体操着の背中を見せる。右肩甲骨の辺りには穴が開いていて、その下には地肌に貼ったガーゼが見えていた。
「これはまた、派手に投げ飛ばされたみたいだね。大丈夫かい?」
「あー、平気平気。ちゃんと身体強化してもらってたし、最近受け身もちょっと取れるようになってきたから。それより、冷泉院さんはなんで教室に? 最近はいつも研究室じゃなかったっけ」
「今日はちょっと用事があってね。これから古富先生に会う予定なんだ。待ち合わせ場所がここの方が近いんだよ」
「へー。なに、人型の知性のページ増やすの? 先生の専門ってなんだっけ」
「ゴーレムと、死霊術の類のはずだね。メインはゴーレムの方だろうけど。といっても、今日はその用事じゃないけどね。古富先生も、今は大英雄の遺体の検査もあって忙しいだろうし」
氷雨が何気なく言った言葉に、礼治はぽかんと目を丸くする。
「遺体の検査……? 先生がやってんの?」
「おや、その辺りは聞いてなかったかい? ああ、一応生徒会と異名持ちまでだったか……すまない、内密に頼むよ。君はあの護送の仕事もやったんだし、知っていても良いと思うけどね」
「わ、分かった。へー、でも先生がそんなことを……担任もやってるし、生徒会の副顧問もやってて、大英雄の遺体の検査までしてるとか、寝る暇あるのかな」
礼治が感心交じりに漏らした言葉に、今度は氷雨が驚かされる。
「え……? 生徒会の副顧問? 先生が?」
「知らない? 本人が言ってたよ。ほら、あの護送の日に俺達の仕事内容まで知ってたから、なんでかなーって聞いたら、副顧問だからって」
「……成程。ありがとう、良い話が聞けたよ」
「?」
どうしたしまして? と礼治は首を傾げながらも言う。
と、そんな会話をしているうちに目当てのものは見付かったらしく、礼治はロッカーから新しい体操着を引っ張り出す。まだ転入して一か月も経ってないのに、男子ってどうしてああもロッカーを散らかせるんだろう、と氷雨は横目に見ながら思ったが口には出さない。自分の研究室を思えば人のことを言える立場ではなかった。
礼治は体操着を抱えると、「それじゃあね」と残して男子更衣室へ走り去っていく。氷雨もそれを手を振って見送った後、昇降口へと向かって歩き出した。
(にしても、『生徒会副顧問』ねえ……)
一応の確認のため、氷雨は三つ葵の生徒会が出している広報誌の電子版を仮想画面に表示させる。顔写真付きの構成員紹介のページを端から端まで精査してみるが、結果は予想通りだ。
(そもそも、前に生徒会長と話した時、彼は古富先生のことを「知らない」って言ってたんだ。彼が少しでも縁のある人間を忘れるはずもないし、なにより)
ああ、なによりも、だ。
――三つ葵の生徒会において、『生徒会副顧問』なんて役職は存在しない。
そもそも顧問ですら、生徒会の監督役なんて大層な役目はなく、学校運営側と生徒会側の連絡係でしかない。副顧問など書類上ですら必要としないのだ。
であれば、何故古富安奈はそのような嘘を吐いたのか。
であれば、何故古富安奈は護送の仕事の内容を知っていたのか。
情報は出揃ったと思っていたが、最後にもう一つ大きな状況証拠が出てきた。幸運は思わぬところに転がっているものだ、なんて思いながら彼女は靴を履き替え、待ち合わせ場所へと向かう。
指定されたのは、三つ葵学内でもかなり奥まった場所にある雑木林――『森』と呼ばれるエリアであった。
誰かが訓練にでも使っていると思っていたが、近付いてみても人の気配は無い。
「奥の広場で、だったよね……」
よし、と氷雨は己に言い聞かせるように呟いて。
覚悟を決め、鬱蒼とした雑木林の中へと踏み込んでいくのであった。




