試験対策 1
土曜日の三つ葵は閑散としていた。
普段ならば部活動やら課外授業やらでそこそこ人の声はするものだが、いよいよテストも近付いたとあってその手の活動も基本的に休止中だ。その代わりに自主的な訓練や、模擬戦としての討伐訓練なんかが行われるわけだが、それらが開始されるのは大体午前十時以降。現在時刻はまだ午前七時三十分、研究棟へと向かう道中、誰とすれ違うこともなかった。
早足に己の職場を目指しているのは、長身の白衣の女性だ。
名を竹中美沙、裏東京の研究者の中でもエリートである専業研究者だ。彼女の専門は『死体からの魔法の復元』、検体蒐集家と呼ばれる三つ葵においてはぴったりの研究テーマであり、それ故に今は一大重要案件に駆り出されている身であった。
――大英雄の遺体の検査。
そんな大事業にかかわれるとして、たかぶらない研究者がいるだろうか。いやいない、いるはずもない――何度目になるか、美沙は己を鼓舞するように反芻し、我知らず口の端を歪める。その顔は連日の激務によってやつれ、肌も髪もすっかり艶を失っていたが、それでも彼女の心には嫌気など一欠片もなかった。
たとえそれが偽物である可能性が高いとしても、それならそれで『大英雄のクローンの死体』も十分すぎるほどの貴重品だ。本物の大英雄の身体には『この世の全ての魔法が刻み込まれている』と言われているが、その片鱗を味わえるだけでも研究者冥利に尽きるというものであろう。
美沙は昇降口で内履きに履き替え、地下へと続く階段に向かう。半階降りた踊り場に重厚な鉄扉があり、それを手持ちの職員証で開けて更に下へ。そこから半階降りて、そこでもう一枚同様の鉄扉がある。一見無意味のようにも思えるが、この半階分の空間は一種の魔法探知エリアになっており、危険物を持ち込もうとした際や逆に地下から持ち去ろうとした際、自動閉鎖されて下手人を閉じ込めるセキュリティーになっているのだ。
三つ葵の地下にはそれだけのものがある、という何よりの証左である。
二枚目の鉄扉を超えた先は、ひんやりとした空気の漂う地下研究所だ。構造としては地上階とそう変わらない。ただ、より危険な物や、生徒らが間違って触れてはならないような物品などの研究・保管をしているのである。
美沙はそこから真っ直ぐエレベーターへ。機材も載せられる大型エレベーターに入り、階層選択ボタンの前に立つと、自動的に仮想画面が現れる。それに右手の掌を乗せて掌紋認証を済ませると、階層選択ボタンの下側の鉄板がスライドし、地下十五階までのボタンが表示された。
彼女は迷わず最下層のボタンを押す。三つ葵研究棟地下十五階――そここそが、数多の大魔法使いがもの言わず眠る寝所、検体保管庫であった。
エレベーターが地下へと向かう中、美沙は寝不足の頭で思う。
――あとどれほどこの、あの遺体を研究できるだろうか。
答えは既に出ている。学校側からの命令で、期末試験の最終日、全試験が終了した後に遺体の真偽を世間へ公表する。そしてそれ以降、真偽がどちらであれ遺体の管理権限は日本政府に移譲されるという。
遺体そのものは引き続き三つ葵での保管となるだろうが、そうなれば政府から研究者が送り込まれてくるはずだ。そして研究成果の引継ぎが済めば、その先はどうなるか分からない。少なくとも自分がかかわれる可能性は低いだろう、と美沙は考えていた。
(引き続き研究を任されるとしたら、現メンバーでは主任ぐらいのものかしらね……)
頭に浮かぶのは、まだ年若い今回の研究主任のことだ。古富安奈、自分より一回り年下という年齢もそうだが、その他の点でも彼女は異例尽くしだ。三つ葵で教員を兼任しながら主任に抜擢されるというのも異例だし、そもそも本来の彼女の専門分野は遺体関連ではないはずだ。一通りの知識は有しているようだが、彼女の元々の専門分野はおそらく使役や召喚系統の魔法のはず。だからこそ遺体関連の専門家である自分たちとは別角度からの見方ができており、実際それが役に立った場面も数多いが、それでもトップに置くべき人材ではないと美沙は思う。
嫉妬が無い、と言えば嘘になる。しかしそれ以上に、異例であり、不可解なのだ。
(ま、現状こちらのやり方に口うるさく指示してきたりもしないし、構わないのだけれど)
電子音が響く。ドアが開き、地下一階よりも更に冷えた空気に出迎えられる。
つんとした薬品臭が、寝ぼけた頭を覚醒させる。その空気を全身に行き渡らせるように深呼吸を一つ、美沙は己の職場へと急ぐのであった。
■
礼治がスマホを確認すると、時刻は十時二十五分になったところであった。
場所は三つ葵の正門前。約束の時間まではあと五分。いささか落ち着かない気持ちで、礼治はシャベッターを見ながら時間をつぶす。「#名を呼ぶことなかれ、#裏田町駅泥没、#裏田町駅隔壁閉鎖中、#避難勧告」とランキングには物騒な文字が並ぶ。ハッシュタグを追ってみれば、どうやら裏田町駅の改札付近で何者かが涙に喧嘩を吹っ掛けたらしく、涙の魔法による二次災害で大惨事になっているようだ。
(うわあ……この泥があいつの魔法なのか……)
しかも触るとやばいらしい。挙げられている動画では、十人以上の人々が改札前で泥に触れて倒れている。撮影者も悲鳴を上げながら逃げているし、完全にパニックムービーのワンシーンであった。
見れば氷雨が涙の魔法についての解説と注意を連投していて、その一連の投稿は既に三千回以上拡散されている。礼治が裏東京に来た初日も似たようなことをしていたし、彼女の趣味なのかもしれない。
「――何見てんの」
「え、シャベッター。なんか裏田町駅で名を呼ぶことなかれが暴れてるって――うぉあ!? な、直!?」
目の前に唐突に現れた直に、礼治は思わず一歩引いて校門に背中を強打する。痛みに悶絶する礼治に対し、直は呆れた様子で「なにやってんのよ」と笑いかけた。
ちらりと確認すれば、現在十時二十八分。直の普段の態度から、てっきり五分十分遅れて来るものだと勝手に思い込んでいたので、礼治としては正直意外なところであった。
「は、早いね、直。おはよう」
「別にこんなもんでしょ。あんたこそいつから来てたのよ」
「今来たところだよ、丁度」
おお、なんかそれっぽい会話だ。礼治は自分が待ち合わせのテンプレ台詞を口にしていることに小さな感動を覚える。実際には十時十五分からずっと待っていたのだが、浮かれているようにも思われたくないので黙っていることにした。
気を取り直し、礼治は直に目をやる。普段の制服姿ではない。涼しげな白のチューブトップに、タイトな七分丈のジーンズ。シンプルなブレスレッドを巻いている以外飾り気は無く、しかし彼女の豊満なスタイルが良く映える服装であった。礼治としては露出が多くて目のやり場に困る。困るが嬉しい、今日来てよかった。内心でガッツポーズ。
「そ、その、似合ってるね、その服」
「……あんた、浮かれてんじゃないわよ。今日何しに集まったか分かってんでしょうね」
「わ、分かってるって! 試験本番の下見だろ? 忘れてないよ!」
図星を言い当てられて動揺しつつ、礼治はなんとか言い返す。そう、本日土曜日だというのにこうして二人が集まったのは、期末の討伐試験の会場になる可能性がある場所を、二人で下見しに行くためであった。
可能性がある、というのは、まだ場所が確定ではないからだ。そもそも討伐試験の会場は、正規のグラウンドや体育館ばかりではなく、市街戦を想定して街中で行われることもある。そうした場合、事前に場所が分かっていると何らかの細工ができてしまうので、討伐試験の会場は基本的に当日の朝に通知されることになっていた。
だが、地竜クラスとなると戦闘によって生じる周囲への被害も大きい。よって、ある程度試験会場の候補は絞られる。二人が今日向かう予定なのは、特に選ばれる可能性が高そうな数か所であった。
「分かってればいいけどね。デートのつもり、とかほざいたらグラウンドに埋めるから」
「そこまで調子こいたこと思ってないから!」
休日に女子に会うとかデートっぽい、とは思ってたけど。やたらと服選びに気合を入れたけど。
直は疑うような目をしばし礼治に向けたが、「まあいいわ」とそっぽを向く。
「言っとくけど、時間が余ったら学校戻ってきて訓練するから。映画とかショッピングとかは無いわよ」
「う、まあ、そうだね。分かってた。大丈夫、ロッカーに体育着あるし」
「それと」
「?」
「その――ありがと。似合ってるって言われれば、悪い気はしないわよ」
それだけ、と素っ気なく言い放って、直はポニーテールを揺らしてずんずん校内へと進んでいく。礼治は一瞬ぽかんとしていたが、すぐにこみあげてくる笑いをかみ殺し、彼女の後を追うのであった。
■
校内の候補地は二つ。一つは最早礼治にとってはお馴染みとなった第一グラウンド、そしてもう一つは学内でもかなり奥まった場所にある雑木林――生徒の間ではシンプルに『森』または『三つ葵の森』と呼ばれるエリアであった。
森と言ってもそう広くはない。精霊などを呼び出す儀式の際に使われる空間であるため、中心の広場以外は人の手入れは最低限にとどめられており、足場も視界も悪い。
中央の広場まで行ってみて、内部の地形を確認しつつ戻る。礼治は腐葉土とそこに隠れた木の根に難渋しつつ呟く。
「ここで戦うとなると厄介だな……」
「そう? むしろ地竜みたいなデカブツ相手なら、人間の方が有利な地形よ、ここ。相手は木々が邪魔で思うように動けないし、こっちは身を隠しやすいしね」
直にそう言われると、礼治も成程と思えてくる。戦いづらいのは両方同じ、ならば搔き乱せた方が弱いこちら側に有利になるということだろう。
と、礼治はふと疑問に思い聞いてみる。
「あのさ、破滅因子って、何で俺達人間を感知してるの? あの赤い目?」
「ああ、基本は魔力よ。低位の奴はそもそも視覚がかなり弱いらしいし、視覚がはっきりしてるレベルの連中でも魔力チャフなんかの影響は受けるわ。高位の存在だと器用に切り替えたりするらしいけど、地竜クラスだとそこまでの知能は無いはずだしね」
「そうなんだ……その魔力チャフって奴は、直は使えるの?」
「そりゃ、市販品に魔力流すだけだし使えるけど、あれ基本的に切羽詰まったときの逃走用よ? 討伐試験で使っても――いや、そうか……目の前で最大出力で散らしてやれば、破滅因子にとってはスタングレネードみたいな効果もあるかしら。ちょっと待って、氷雨に聞いてみる」
言ったが早いか、直はすぐに仮想画面を立ち上げ、氷雨に映像通話を繋ぐ。そしてやり取りすることしばし、通話を終了した彼女は、満面の笑みで礼治に振り返った。
「どうだった?」
「多分有効だろうってさ。いいわ! 小技だけど、ちょっとでも手が増えるのはありがたいわ! 流石ね、あたしら普通の魔法使いには『逃走用だから』っていう固定観念があったけど、あんたはその辺柔軟だから色々思いつくのね!」
「いやあ、まあ、ははは」
スタングレネードとして使うとまでは考えてなかった、なんて今更言えない。なんとなく一時避難用に持っておいてもいいかも、ぐらいに思ってただけなのだ。
礼治は冷や汗を押し隠すように笑うしかないが、直は大層上機嫌だ。それもそのはず、攻め手の少なさは昨日の白日との決闘で散々思い知らされたばかりなのだから。
(なんか予想外に買いかぶられてるけど、結果良ければ全て良しか。とりあえず思い付いたことはバンバン口に出していこう)
的外れなことを言ったとしても、それで失望されるような相手ではない。お互い一蓮托生の相棒なのだ、遠慮は無用だろう。
そんなやりとりもあって、早速その魔力チャフを用意しに行こう、ということで二人は購買へ。営業時間は短縮されているものの、購買は土曜日も開いているのだ。
「俺、あの一件以来、なるべく近付かないようにしてるんだけどな……他に行かない?」
「結局今のところ害は無いんでしょ? なら平気でしょ。氷雨はやけに気にしてたけど、裏東京じゃ怪奇現象なんてそう珍しいことでもないし」
「そうなのかなあ」
そうならばいいんだけど。
昇降口まで戻るのが面倒だったので、二人は渡り廊下に靴を置いて靴下で購買へ。時折どこからともなく訓練の声は聞こえるが、すれ違う人もなく校内は静かなものだ。こういう時は賑やかな方がいいのにな、と思いつつ礼治は恐る恐る店内に入った。
二人の他に客はいない。どちらが言うでもなく、まずは一応確認しておこうということになり、二人は奥のレジを覗く。普段は店員が最低一人は立っているはずなのだが、しかし今日に限ってそこには誰もいなかった。
(暇すぎてバックヤードに引っ込んでんのかな……)
不用心だとは思うが、気持ちも分かる。この様子じゃ客なんてろくに――
と。
ぴと。頬に、首に、肩に、脇腹に、腰に、足首に――優しく極薄ガラスでも押し当てられたような感覚が、唐突に礼治を襲う。否、礼治だけではない、隣の直も同時に微動だにできなくなり、短い悲鳴を漏らす。
これはなんだ、と問うまでもない。なんせ二人とも一度経験しているのだから。
「「――で、出たあああ!」」
「おいおいいきなりご挨拶だな」
苦笑交じりの女の声が背後から響く。一体いつの間に現れたのか。姿は見えないものの、その声は以前もこの購買で聞いた謎の店員のものだった。
「ほ、ほら出た! やっぱり出た! 直が能天気すぎるんだよ!」
「はぁ!? あんただって別に購買来ること自体は拒否しなかったでしょ!? っていうか、魔力チャフとか買うならここが一番安いのよ!」
「それとなく嫌だって雰囲気は出したじゃん! 別のとこにしようって言ったじゃん!」
「はっきり言わない方が悪いでしょ! それとなくなんて知るか!」
ぎゃーぎゃーと言い合う二人の背後で、謎の店員は「お前ら余裕あるなあ」と苦笑する。正体不明の存在に生殺与奪の権を握られているのだ、能天気すぎるのは二人とも同じであった。
「ええと、今日は魔力チャフ買いに来たのか? はいこれ。カード型、五枚セットで二千四百五十円。今はすげえよなあ、簡単な魔法ならこうして外部化できちまうんだから」
そう言いつつ、謎の店員は前に回りカードパックのような物を直の手に握らせる。
直の方も特に逆らいもせず、むしろ二度目ということで余裕も出たのか、いつものつっけんどんな口調で言い返す。
「今はって……もうこんなの十年近く前から市販されてたでしょ。値段は半額以下になったらしいけど」
「まあな。それでも大した技術さ。こういうのが発展すれば、三つ葵もわざわざ悪趣味な死体集めなんざしなくてもよくなるんだろうけどなあ」
「死体集め……あの、今回の件、なにか知ってるんですか?」
礼治の方は直ほど肝が据わっていない。若干の怯えを押し隠しながら、それでも彼は勇気を振り絞って問う。
すると、謎の店員はにんやりと悪戯っぽい笑みを浮かべ、礼治の顔を覗き込むようにする。
「今回の件、ねえ。それはどのことだ? 大英雄の遺体の件か、それともお前らが戦った護送車襲撃の件か――あるいは、十年前の『夜な夜な徘徊する森の巨人』の件か。少年、お前は何が知りたい? 遺体の真偽か、MAGAに入れ知恵した『予言者』とやらの正体か、それともこの俺の正体か」
「全部、知ってるんですか?」
「全部、知ってるとも。教えてやるとは言ってないがな」
愉快そうに笑いながら、踊るように一回転。金のショートカットが跳ねて、豊満な身体が揺れる。
「――どうして、俺達にこんなことを?」
「おや、真っ先に聞くのがそれでいいのか。そうだな、お前らにちょっかい掛ける理由か……期待しているし、警戒してるからさ」
と。
不意に二人の身体の戒めが解かれる。バランスを崩して倒れそうになる二人の肩を、謎の店員が軽く触れて支える。
「期待に、警戒? 相変わらず意味分かんないわ。あんた、そもそも何者なのよ」
「ただの店員だってば。そろそろレジ打ちも慣れて来たよー。じゃあお会計しようか」
謎の店員は上機嫌にそう言ってカウンターに入る。二人は顔を見合わせ、結局警戒しつつレジに向かった。
会計はつつがなく済んで、商品は直が受け取り、彼女はそのまま謎の店員を睨みつける。
「――聞くだけ聞いておくわ」
「どうぞ。答えるかは気分次第だけど」
「この前『夜な夜な徘徊する森の巨人』の話をしたのは、大英雄の遺体が同じ場所で見つかったことと、何か関係あるの?」
「ああ、そうだよ。あの一件と、大英雄の遺体、そして『予言者』――全部繋がってるんだぜ」
「繋がってる……?」
拍子抜けするほどあっさりと、謎の店員は言ってのけた。
直は怪訝そうに顔を歪める。もしかしたら関係はあるかも、と氷雨から聞いてはいたが、この正体不明の相手から断言されるとは思っていなかった。
「『夜な夜な徘徊する森の巨人』、その正体は一体何だったんだろうな。西洋の化け物? それとも新種の破滅因子? ――いやいや、なんのことはない、あれはただの失敗作だ。丁度十年前、大英雄のクローンが世界各地で問題になっているのを見て、そのご本人が気まぐれの手遊びで作り上げた出来損ないの土人形なのさ」
「大英雄が作った、土人形って――」
それはどういうことなのか――そう続けて問おうとして、しかし二人の視界が不意に歪む。眩暈のような、眠気のような、とにかく無理矢理に瞼を閉じさせられて、次開いたときには謎の店員はいなくなっていた。
代わりに直の目の前できょとんとしているのは、謎の店員と同じエプロンを着けた中年男性だ。二人からは謎の店員が消えたように見えたが、こちらの真っ当な店員からしたら二人が急に現れたように見えたのだ。
驚いてはたきを投げ飛ばす中年店員をよそに、二人は揃って大きなため息を漏らす。
夢か現か。
どこまで信じていいものかすら分からないままに、二人には新たな謎が宿題のように残されたのであった。




